テンポイントが京都記念を辛勝してから1週間が経ち、俺は今仕事がひと段落したということで昼食を食べるために食堂へと来た。ただ結構早めに来たためか人はまばらであり購入から席に着くまではスムーズに進んだ。しかし食堂に人がいなかったのも一瞬のことで俺が席に着いて少ししたら続々と人が入ってきた。その光景を見ながらラッキーだと思いつつもご飯を食べ始める。
そんな時、誰かから声を掛けられる。
「失礼、こちらよろしいでしょうか?」
その声は聞き覚えがあった。菊花賞後に訪れたトレーナー棟でひと悶着あった人物時田である。正直言ってあまり好きではない人物なので俺は一瞬顔をしかめるものの返事をする。
「良くないので他を当たってください時田さん」
「そうですか、ありがとうございます。ではお向かい失礼しますね」
「話聞いてた?」
断ったはずなのに何食わぬ顔で向かいの席に座ってきた。周りを見渡す限りまだ席は空いているのになぜわざわざ俺の近くの席に座るのか理解できない。
少しの間無言での食事が進む。気まずい、あまりにも気まずい。あの一件以降も積極的に関わろうとしなかったため、話題が出てこない。同じトレーナーということで共通の話題は沢山あるはずなのに今は不思議なほど出てこなかった。何か話さないとまずいだろうか?そう思っていると向こうから話を切り出してきた。
「そうそう、テンポイントさんのことなんですが。京都記念優勝おめでとうございます」
「はぁ、ありがとうございます……」
一応褒められたのでお礼は言う。ただ、わざわざそんなことを言うために俺の前に座ったのだろうか?疑問を抱かずにはいられない。
そんなことを考えていると時田は言葉を続けてきた。
「おや?せっかく担当が勝ったというのに嬉しくないのですか?声に覇気がありませんが」
「生憎と、正面切って嫌いと言ってきた人物の言葉を素直に受け取るほど純粋な人間じゃないものでして」
「それは残念です。本心なんですがね」
そう言ってはいるが本当なのか怪しいところだ。
このままあちらの話題ばかりというのも良くないと思ったので俺からも話題を出す。
「そういえば時田さん、秋川理事長が提示したトレセン学園の授業の改革案に納得したらしいじゃないですか。どういう心変わりですか?否定的だったのに」
俺の質問に彼は嘆息しながら答える。
「私個人の我儘でこれ以上場を引っ掻き回すのは良くないと思ったまでです。まあ秋川理事長の提示してきたものが完璧で非の打ち所がなかっただけですが。担当達にも影響が及ばなそうなので特に反対する理由がなくなっただけです」
「私個人の我儘?一体なんですかそれは?」
「あなたに教える必要がありますか?」
そう言ってこれ以上話すことはないとばかりに話題を終えた。気になるところではあるが教えてはくれないだろう。
すると今度は向こうから質問してきた。
「ところで神藤さん、あなた随分と堅実にトレーナーをしているんですね。正直意外でしたよ、有マ記念の時も、この前の京都記念も。何故です?」
「何故も何も……。俺はテンポイントが勝つために最善を尽くしているだけですよ。堅実なのはそれが1番勝率が高いからで……」
俺の言葉を遮って向こうはさらに質問を飛ばす。
「どうでしょう?今の作戦が、本当にテンポイントさんの中で最善なんだと胸を張って言えるでしょうか?」
「……何が言いたいんですか?」
俺は思わずそう質問する。もしかしたら彼はテンポイントが勝つためのより最善の策が思いついているのだろうか?
しかし、俺の返しに時田はただ溜息をつくだけだった。
「いえ別に?深い意味はありませんよ?」
その言葉に俺は時間の無駄だと思った。だが彼は気になることを告げる。
「ただ、あなたはただマニュアル通りのことしかやらないトレーナーなのだなと、そう思っただけです。多少は期待していたのですが……残念ですね」
「それの何が悪いんですか?」
「そこは自分で考えてください。ただ1つ忠告しておくなら……、このままマニュアル通りのレースを続けていくのであればテンポイントがトウショウボーイに勝つことは一生ありませんよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は時田を睨みつける。しかし俺の顔を見ても時田は涼し気な顔をしていた。
「おやおや、怖い顔ですね。食事時ぐらいリラックスしてみては?」
「黙れ、誰のせいだと思っている」
「やれやれ、自分の愛バのこととなるとすぐに熱くなりますねあなたは。相当お熱なようだ」
「余計なお世話だ。わざわざ俺のところに来たのはそれだけか?だったらもう帰らせてもらうぞ」
そう言って席を立とう……と思ったがまだ昼飯が残っているので座りなおす。微妙に恥ずかしい気分になった。勢いだけで動くもんじゃないと反省する。
ただ時田は何事もなかったかのようにこちらへと話を続ける。
「別に立てた作戦に正解があるわけではありませんが……。もう少し視野を広げてみることをお勧めしますよ。先輩トレーナーからのアドバイスです」
「アドバイスありがとうございます。記憶の奥底ぐらいには留めておきますよ先輩」
「ええ、是非そうしてください。活かせる機会があるといいですね新人君」
ダメだ。俺自身悪い方でしか彼を見てこなかったせいか、普通のアドバイスを言われているはずなのにどうしても嫌みのように聞こえてしまう。
どうにかして時田の鼻を明かしてやりたいと思っていると彼が先程言っていたことがふと気になった。理事長の改革案の話をした時に言っていた私個人の我儘という言葉だ。アレはどういうことだろうか?
(普通、私個人の我儘だなんて言うか?私たちの我儘ならともかく)
まるで時田だけがその改革案に反対していただけのような口ぶり。それに担当達に影響が及ばなくなったから反対する理由がなくなった。そう言っていたということはつまり。
(この改革案を担当しているウマ娘達には知られたくなかった、もしくは特定の誰かに知られたくなかった?)
俺が急に黙りこくったので時田はこちらへと声を掛ける。
「どうされましたか?神藤君。急に黙り込んで。何か考え事ですか?」
とりあえず疑問を解消するために彼へと質問する。その質問は先程の我儘の点についてだ。
「時田さん、先程私個人の我儘と言っていましたがその我儘って何でしょうか?」
「……さっきも言ったでしょう?あなたに教える義理はありますか?」
時田は先程と同じ答えをする。しかし俺は追及することにした。少々子供っぽいが時田の鼻を明かせると思ったからだ。
「別にありませんけど。でも気になるじゃないですか?時田さんの我儘が何なのか」
「別に大したことではありませんよ。あなたが気にすることじゃありません」
「大したことないなら教えてくれてもいいんじゃないですか?大したことないならね」
「グッ……!」
時田は顔を歪めている。こうなれば完全にこっちのターンだ。
「これは勘なんですけど、もしかしたら担当が関係あるんじゃないですか?どうやら担当には知られたくなかったようですし」
「……それはあなたの勘でしょう?違いますよ」
「そうですか。では時田さんが担当しているウマ娘の名前を教えてもらってもいいですか?」
「ホクトボーイですよ。あなたのテンポイントと同期の」
「本当にその子だけですか?他にもいますよね?時田さんはすごいトレーナーですから」
「……しつこいですね、あなたも」
「お褒めに預かり光栄です」
そのまま時田は唸っていたがやがて観念したように溜息をついた。一体私の我儘の正体とは何なのだろうか?
「私が改革案に反対していた理由。あるウマ娘には知られたくなかった理由。その原因を作ったのは……ジ、ですよ」
「はい?」
肝心のウマ娘の名前だけ声を小さくしたので聞き直す。すると彼は諦めたように声を大にして答える。
「エリモジョージ、ですよ。私が改革案に反対していた理由は彼女が原因です」
その名前に俺は思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。思わずその表情のまま聞き返してしまった。
「エリモジョージ……ですか?」
「そうですよ」
「<気まぐれジョージ>と名高い、あの?」
「……そのエリモジョージですよ」
時田さんは手で顔を覆う。まるでやってしまったと言わんばかりに。
俺は時田さんにそのまま質問をする。
「あの、なんでエリモジョージが関係しているんですか?彼女の気まぐれはレースだけじゃないんですか?」
「ハハッ、それならどんなに良かったか……!」
どうやらレース以外でもその気まぐれは発揮されているらしい。時田さんは言葉尻を強めていた。
(……待てよ?もし彼女の気まぐれがレース以外でも発揮されているのだとしたらこの改革案を聞いた時彼女はどんな反応をするだろうか?)
今考えついたことを恐る恐る彼に聞いてみる。すると彼は首を振って答える。
「分かりません。彼女の考えていることなど私にはさっぱり理解できませんので。ただ確実に言えることがあります」
「……それは?」
正直、俺と時田は同じことを考えているのだろう。時田はこちらに目を合わせながら告げる。
「ふとした気まぐれでレースを辞めて転科しかねない。その危険性があるので私は改革案に反対していたんです」
「いや、そんなまさか。そんなことがあるわけ……」
断言できない。少なくともエリモジョージを担当している時田さんが言っていることだ。それに思い出すのはとある日の番組での時田さんのコメント。
『私にもさっぱり分かりません。もし前もって分かる人がいたら教えてもらいたいぐらいだ』
そんなことを言っていたことを思い出す。つまり、時田さんが言っていたことが現実に起こりえる可能性は0ではないということだろう。
「だから言いたくなかったんですよ……。お恥ずかしい限りですが本当に私個人の我儘ですので。けれど、彼女がレースで走り続けるためには余計なものを目に入れないようにするしかないんですよ……」
時田さんはそう言って頭を抱えて伏せてしまった。俺は何とも言えない気持ちになる。正直今聞いた話をなかったことにしたいとさえ思った。
そして、なぜ彼がウマ娘のことを管理主義に近い接し方をしているのかが分かった気がした。おそらく全てはエリモジョージのことが尾を引いているのだろう。彼女の気まぐれっぷりに振り回された結果、管理主義の考えに至ったのかもしれない。そう思うと何とも言えない気持ちになった。
俺と時田さんの間には気まずい沈黙が流れる。俺はかける言葉が見つからなかったため、自分の昼飯である定食のおかずをそっと時田さんの皿に乗せる。
「あの、俺のおかず1つあげるので……元気出してください」
「原因を作ったのはあなたでしょう……」
「はい……。あの、本当にすいませんでした……」
思わず俺は時田さんに優しく接してしまう。ただ、彼が歩んできた苦労のことを考えるとやってしまったと後悔するしかなかった。
その後はお互いに無言でご飯を食べ終わり、それぞれの仕事に戻る。この日以降、俺は時田さんにはできるだけ優しくしていこうと決めた。
嫌いな相手と接する時は子供っぽくなる主人公。後担当(テンポイント)のことになるとすぐに頭がカッとなる。