授業も終わって放課後、ボクは帰り支度を整える。ボーイたちに別れを告げた。
「じゃあボーイ、グラス、カイザー!また明日やな!お先に失礼するで!」
「おうテンさん。また明日な!」
「本当にもう元の調子に戻ったね~。また明日~」
「はい、テンポイントさん。また明日」
それぞれの返事を聞いた後、ボクは急いで教室を出る。向かう場所はトレーナー室だ。
ボクが落ち込んでいたということもあって、宝塚記念が終わってからの初めてとなる練習。そして何よりトレーナーが考案したという打倒ボーイに対する秘策。それを今日教えてくれるらしい。一体どんな策なのだろうか?気になりすぎてボクは早歩きで学園の廊下を歩いている。
はやる気持ちを何とか抑えながらボクはトレーナー室へと着いた。ノックもせずに中へと入る。扉は開いており、中にはトレーナーがいた。いきなり扉が開いたことに驚いたような表情を浮かべていた。
「どうした?テンポイント。ノックもしないなんて珍しいな」
「トレーナー!いやぁ、そんくらい楽しみやったってことや!」
「例の秘策のことか?」
ボクは肯定するように首を縦に振る。ボクのその姿を見てトレーナーは苦笑いを浮かべる。
「そんなに楽しみだったのか。まあいい、じゃあその秘策について教えよう」
トレーナーは一拍おいてその秘策について話を始める。
「打倒トウショウボーイに対する秘策、それは簡単に言えば序盤から先頭に立って逃げるってことだ」
「……は?逃げる?誰が?」
「お前だ、テンポイント」
なんというか、意外にもあっさりとした秘策だった。以前からトレーナーは最後の直線で先頭に立つことを重要視していたが、それ繋がりだろうか?ボクはトレーナーの言ったことに疑問を覚える。
確かに序盤から先頭に立てば展開にもよるが最後の直線を先頭で迎える可能性はグッと上がるだろう。それにボーイよりも前につけて直線を迎えることだってできるかもしれない。だが、ボクは序盤から先頭に立って逃げたことなど、メイクデビュー以外はない。そのメイクデビューも距離が短いから先頭に立っていただけなので今のレースとは訳が違う。今の走りとはペース配分も何もかも違ってくるのだ。そう簡単にいくものではない。
まさか、ボーイよりも前につける為とかいう単純な理由だけか?一瞬そう思ったがすぐにその考えを否定する。何故なら、
(ボーイへの秘策、簡単に言えばって前置きしとった……。つまり、ちゃんとした理由があるっちゅうことやな?逃げへと転向する理由が)
トレーナーは簡単に言えばと前置きした。つまり、ちゃんとした理由があるのだろう。ボクはそう思い、トレーナーに問いかける。
「序盤から逃げる……。なんでそう思ったん?まさか最初から逃げればボーイよりも前につけるから……なんて単純な理由やないやろ?」
ボクの言葉にトレーナーは肯定する。
「そうだ。これにはちゃんとした理由がある。まずお前は今の走り、前の集団につけて走るよりもさらに前、先頭争いの方がお前に合っていると思ったからだ」
「なんでや?今んままでも十分勝てとったけど」
「そうだな。正直、今のままでもレースで勝つことはできる。だが、トウショウボーイに勝つってなったら今のままだと絶対に勝てない。それを宝塚記念で痛感したからな」
トレーナーはそう言って悔しそうに歯噛みしていた。しかし、すぐに元の表情に戻して切り替えていた。
「同じ戦法で走った場合、その後の優劣を決めるのは本人たちの実力と作戦の引き出しの多さだ。実力が拮抗している以上、勝敗を分けるのは後者の方になる。その点で俺はおハナさんに大きく劣っている」
「そうやなぁ……。東条トレーナーは学園最強を率いるベテラン、対してトレーナーは新人やからどうしたって差はあるわな」
「そうだな。俺の経験不足を露呈しているだけだが……、これはあくまで理由の1つに過ぎない。そして、もっと大きな理由がある。お前が逃げに向いていると思った理由が」
ボクはトレーナーの話を黙って聞く。そしてトレーナーはこの秘策を考えついた本当の理由を話し始める。
「テンポイント、お前の1番強い武器は卓越したスピードや、他のウマ娘よりも高い心肺機能じゃない。お前の1番の武器は前で走る時の勝負根性だ」
「……勝負根性?」
「そうだ。お前は他の子よりも闘争心が強い。絶対に負けたくない、そんな気持ちが走りにも表れるのか、抜かされた時のお前は凄まじい強さを見せていた。俺がそれに気づいたのはジュニア級の時に行ったハイセイコーとの模擬レースを見直した時だ」
トレーナーの言葉にボクはそんなこともあったと思い出す。対戦相手を一切伏せられて挑んだ模擬レース。相手は学園最強のハイセイコー先輩ということでかなり驚いた記憶もある。
トレーナーは話を続ける。
「あの時お前は第4コーナーに入る前にハイセイコーに抜かされてその差はグングン開いていった。もう追いつくことは絶望的、模擬レースを見ていた全員が勝敗は決まったと思ったその時、お前は凄まじい追い上げを見せたな」
「あ~、そないなこともあったな。あん時はがむしゃらに走っとったけど、だんだん思い出してきたわ」
先輩と言えども、戦う以上絶対に負けられないという気持ちで走っていたことを思い出す。結局そのレースは負けてしまったわけだが。
「俺の推測混じりになるが……、その時は後ろからのプレッシャーでスタミナを削られ続けてもうほとんど空、脚も残っていない……そんな状況だったんじゃないか?」
「……せやな。もうなんも残ってへんかったはずや」
「だが、お前はそんな状況から追いついてみせた。負けたくないという意志が、お前を突き動かしたんだ。そして一度離された距離を再び縮めることができた。結果としては負けたが、みんな度肝を抜かれただろうな」
「そんで、それが逃げることと何の関係が……ッ!」
言っている途中で気づく。トレーナーの言いたいことに。この秘策を考えた本当の理由に。ボクはそのことを告げる。合っているかを確かめるために。
「……ボクの勝負根性が一番発揮されるんが抜かされた時。やから、そん力を発揮するんやったら前で走れば走るほど発揮できる……!そんで、そんために最適な作戦は今のように先行気味に走るんやなくて逃げて走ること……!」
トレーナーはボクの言葉に頷く。ボクの考えが合っていることを証明するかのように。そして、そのまま頭を下げて謝罪する。
「俺はお前の強さに甘えていた。先行気味に立ち回って勝てているのだからこれが一番合っているのだと。この作戦が最適解なのだと、他の可能性を模索することなく同じ作戦を貫き続けた。その結果が宝塚記念だ。本当にすまなかった」
「もうええよ。アレはボクらが未熟だったが故の敗戦や」
「そう言ってもらえると助かる」
謝罪を言い終えた後、頭を上げてトレーナーは話を続ける。
「秘策のことに関してはお前が言った通りだ。お前の勝負根性を発揮するために先頭で走ることこそが最適解。作戦自体は状況次第で適時変えるつもりではあるが、基本的にはこれからのレースでは逃げで走ってもらうことになる。そのためにはこれからの練習が重要だ」
「せやな。今までの立ち回りを全部変えて新しい立ち回りにする。言葉にするんは簡単やけど、いざ実践てなったら難しい話やからな」
いくら近い戦法であるとはいえ、10戦以上同じ戦い方をしてきたものを今から変えるというのだ。簡単な話じゃない。
だが、トレーナーはそれに関してもちゃんと考えているのだろう。その顔は問題ないとばかりの表情を浮かべていた。
「そうだな。今までの作戦を一新するんだから難しい話だ。だが、そのための練習プランはちゃんと考えてある」
そう言ってトレーナーは机の上に置いてある資料を1つ手に取ってボクに渡す。そこには逃げのことに関してビッシリと書かれていた。
「まずは逃げに関しての見識を広めることから始めよう。ここにある資料は全部逃げのことについて書かれた本だ。だがこれを1冊1冊読むような手間がかかることはしない。お前に今渡した資料のような俺が本の内容をまとめたものを渡す。ここにあるだけじゃなく、今学園に在籍している逃げウマ娘の資料も用意してあるからな、その量は膨大だ。そして肝心のこれからの練習内容だが、これはいつも通りの練習を行う。夏合宿まではな」
「夏合宿まで……。つまり、それまでは逃げに関しての見識を広めるだけっちゅうことやな?」
「その通りだ。お前にどんな逃げを取らせるか、それについてはもう考えてあるが、知識を蓄えておくのは悪いことじゃない。その分引き出しが増えるってことだからな」
ボクの言葉にトレーナーは頷く。トレーナーが渡そうとしている資料は少し見ただけでもかなりの量がある。これに並行して逃げの練習を行うとなったらボクの負担が大きいと判断したのだろう。だから、まずは逃げの知識を深めるだけに留めておくだけにする。少なくとも夏合宿までは。
ただ、ボクは1つ気になることがあってトレーナーに質問する。
「トレーナー。まとめた資料の中にカブラヤオー先輩のはあったりするんか?」
「……アイツの逃げは参考にならん。逃げの中でも異端中の異端だ。一応用意してあるが」
……まあ、先輩の逃げはある意味異次元の走りだ。あんな走りは先輩ぐらいしかできないだろう。ボクも心肺機能には自信があるが、同じことやったら身体がもつ気がしない。
少し話が横道に逸れたが、トレーナーが今日の練習内容を説明する。
「さっきも言った通り、夏合宿まではいつも通りの練習だ。これから練習するぞ。特に宝塚記念以来練習していないからな。今は1秒でも惜しい」
「せやな。その節はホンマに迷惑を掛けました……」
「気にするな。これから取り戻していけばいい」
そう言って、トレーナーは部屋から出た。ボクもその後を追う。久しぶりの練習は、とても充実しており、気分よく終えることができた。
練習後、帰り支度をしているボクにトレーナーが話しかけてくる。
「それにしてもテンポイント。俺の秘策のことに関してだが、やけにあっさりと受けいれたな?」
「ん~?まあ、ちゃんと考えがあるんやろうなとは思うてたから、特に抵抗はなかったで?」
確かに最初は驚いたというか肩透かしを食らったような気分になったが、ちゃんとした理由もあっての秘策だった。ボクの強みを最大限生かすための作戦。文句を言うべきところなどない。
トレーナーは話を続ける。
「正直言うと、単純な考えだなって言われると思ってたからな。レース終盤に前で走られると追いつけないなら最初っから前で走ればいいじゃん!って言ってるようなもんだからな。俺の秘策」
「まあ簡単に言えばそうやな」
「それで本当にトウショウボーイに勝てるのか?ってツッコまれるかとビクビクしてたよ」
トレーナーは笑いながらそう告げた。だが、ボクは自信をもってトレーナーに告げる。
「トレーナーは、ボーイに勝てる思うたからこん秘策をボクに話してくれたんやろ?ボクならできる、そう信じとるからこそ伝えたんやろ?」
「まあそうだな」
「やったら、ボクもそれを信じるだけや」
トレーナーの信頼に、ボクも信頼で返す。あの日以降決めたことだ。それに、仮にこれで勝てなかったとしてもその時はまたトレーナーと一緒に考えていけばいい。ボクはそう思っていた。
トレーナーは笑顔を浮かべて、ボクに話しかける。
「そうか。だったら、お前の信頼を裏切らないように俺も頑張らないとな」
「それはボクも一緒やでトレーナー。トレーナーの信頼裏切らんように、ボクも頑張らんとな!」
そう言って、お互いに笑いあう。復帰初日の練習は、とても充実した日となった。
70話到達。次回は時間が飛んで夏合宿になると思います。