テンポイントさんが出走するレースの応援のために訪れた京都レース場。私はいつものメンバーであるボーイさんたちに加えて引率としてグラスさんのトレーナーである沖野さんと一緒にテンポイントさんのレースを見ている。そこにパドックで出会ったホクトボーイさんのトレーナーである時田さん、レース場で偶然出会ったキングスさんとそのお友達の皆さんを加えて、テンポイントさんの応援をしている。
パドックでテンポイントさんの姿を一目見た時、驚きのあまり一瞬声を失ったことを思い出す。それまでは華奢な雰囲気があったテンポイントさんだが、それが一切無くなっていた。一体どのようなレースをするんだろう?私は少しの興奮を覚えながらレースが始まる瞬間を待っていた。
そして、いざレースが始まるとテンポイントさんはそれまで先行で走っていた戦法を変え、逃げを取っていた。私はそのことに驚く。実況・解説の人たちからも驚きの声が上がっていた。
(逃げ?見た感じ何が何でも先頭に立つ、というわけではなさそうですが……。いつものテンポイントさんなら逃げる子の後ろで控えるように走るはず……。まさか、掛かっている?)
いつもと違う戦法を取っているテンポイントさんに私はそう結論づける。だが、どうにも違う気がする。冷静にレース運びをしているように感じられる。とにかくこのままレースを見てみないことには分からないだろう。私は片時も見逃さないようにレースを観戦する。
《……ホクトボーイは本来の位置でレースの展開を窺っています。第2コーナーを回って向こう正面に入ろうかというところ。先頭は依然としてテンポイント。テンポイントがちょっと差を広げようとしています2番手との差を1バ身から2バ身と広げていきます。しかし快調に飛ばしていますね、気持ちよさそうに走っています先頭のテンポイント》
《しかし、彼女が逃げを取ったのは初めてのはず。やはり掛かっているのでしょうか?最後までスタミナが持つのかが気になるところ》
《向こう正面に入って2番人気ホクトボーイは後ろから3人目ホクトボーイはこの位置につけています。しかしすぐに後ろから2番目になりました。しかしこちらもいいペースで走っています。ホクトボーイの調子もよさそうだ》
レースが向こう正面に入ったタイミングでボーイさんが口を開く。
「なんか、今までのテンさんらしくねぇな?」
その言葉に同意するように私も自分の主観を交えて話す。
「そうですね。今までのテンポイントさんは先行気味に走っていました。今のように先頭に立って走る作戦を取ったことはありません。私は最初掛かっている、と思ったのですが……」
「アレが掛かっている走りに見える?カイザー」
マルゼンスキーさんからすぐにそうツッコまれた。私はその質問に答える。
「見えませんよね……。つまり、テンポイントさんはこの夏で今までの戦法とはまるっきり違う戦法に変えてきた、ということでしょうか?」
そんな私の言葉にグラスさんが真っ当な疑問をぶつけてくる。
「え~?でも結構リスク高くな~い?確かに位置取り的には近いけど~、ペースとか脚の残し方とか色々変わってくるからかなり大変だと思うけどな~」
「ですが、実際にテンポイント様は走りを変えています。それがどのように影響するのか……。それはまだ分かりませんが」
クインさんがそう締める。私たちの隣ではキングスさんたちが大きな声で声援を送っている。反対側の沖野さんたちの方を見ると、難しい表情をしていた。トレーナーという目線から見ても意外だったのかもしれない。
私はすぐにターフへと視線を移し、依然として先頭を走り続けるテンポイントさんを見据える。考えるのは1つのこと。戦法を変えた理由である。
(まさか、宝塚記念でボーイさんに負けたから無理矢理先頭を走るために?ですが、テンポイントさんがそんな単純な思考で作戦を変えるわけが……。宝塚記念がそんなにショックだったのでしょうか?)
宝塚記念でボーイさんに負けたショックからヤケになっている可能性が私の中で出てきた。レースから1週間後に元気を取り戻した様子だったが、もしかしたら空元気で内心はとても傷ついていたのかもしれない。そう考えだすと途端にテンポイントさんが心配になってきた。
「大丈夫でしょうか……テンポイントさん……」
思わずそう呟いてしまう。その呟きが聞こえたのかグラスさんが私に不思議そうな表情で話しかけてきた。
「大丈夫って、何が~?」
「いえ、テンポイントさんが逃げているのはもしかしてヤケになってるんじゃないか……って思ったらそうとしか見えなくなってしまって……」
「……あぁ~、その可能性もあるね~」
「あくまで可能性、ですが」
「……まあ、見てるしかできないよね~」
グラスさんの言葉に私は頷く。果たしてどのようなレースになるのか、先頭のテンポイントさんは第3コーナーを回ろうとしていた。
《……各ウマ娘が第3コーナーの坂へと入ります。これから苦しい坂に入りますが先頭は依然としてテンポイント。2番手フローカンボーイとサイコームサシに1バ身半から2バ身のリード。フローカンボーイとサイコームサシ8枠の両ウマ娘が今レース2強の一角を崩すか?ホクトボーイはしんがりへと下がりました。京都レース場からは心配の声が上がっています》
《ホクトボーイはいつ仕掛けるか?そろそろ仕掛けないと先頭には追いつけません。ここから上がっていきたいところ》
《そして第3コーナーの坂を下っていきます先頭はテンポイントだ。テンポイントと2番手フローカンボーイの差がまた開いていくその差は1バ身半から2バ身。坂でその差は縮まりましたがまたしても差が開いていく。余力たっぷりだテンポイント。フローカンボーイの外からサイコームサシが上がってきたサイコームサシが2番手に変わります。そしておおっと!ようやくホクトボーイも上がってきた!勝負は第4コーナーを回ろうかというところ!》
勝負は最後の直線に持ち越される。この最後の直線で今まで抱いていた私の心配は完全に消え去った。戦法を変えても大丈夫なのか?掛かっているのではないか?ヤケになっているんじゃないか?それらが完全に霧散する。それほどまでに衝撃な走りを、テンポイントさんは見せてくれた。
《勝負は最後の直線に持ち越されました!先頭のテンポイントが外を確認する!そして外を確認した後内へと切り込んだ!今日は内へ行きましたテンポイント!そして……ッ!なんという脚だ!?テンポイント!2番手との差がグングン開いていく!よーしという声が場内から聞こえてきます京都レース場!》
《驚きました……!初めて取った逃げにもかかわらずここまでしっかり脚を残しているとは……!》
《わー!テンポイント先頭だ!初めての逃げもなんのその!初めての逃げもなんのその!2番手との差がグングン開いていく!最早独走状態だテンポイント!2番手以下ではホクトボーイが上がってきた!サイコームサシが粘っている!しかし先頭テンポイントの姿は遥か彼方だ!もうこれは決まったでしょう!場内からは大歓声が響き渡る!大歓声大歓声!差は開いた開いた!そして今ゴール板を駆け抜けましたテンポイント完勝です!》
《いやはや……!今までとガラリと戦法を変えて走っていた時は掛かっているのかとも思いましたが……。これは見事な逃げ切り勝ちという他ないでしょう!》
《勝ち時計は2分27秒9!テンポイント強い!これは文句なし!これからのレースがひっじょーに楽しみになる、そんなテンポイントの走りでした!2着はサイコームサシ、3着はフローカンボーイです。2番人気ホクトボーイは仕掛けるのがちょっと遅かったか6着に沈みました!》
私は言葉を失っていた。テンポイントさんが先頭でゴールしたという事実にではない。初めて取った逃げにもかかわらず、まるで今回の逃げこそが彼女の本来の走りなんじゃないかと錯覚してしまいそうになるほど見事な走りを見せてくれたことに私は驚きのあまり言葉を失っていた。そのテンポイントさんは涼やかな表情でターフの上に立っていた。
ふと横に目をやるとボーイさんが抑えきれないといった様子で闘志を燃え上がらせている。それはマルゼンスキーさんも一緒だった。
「やっぱさすがだよテンさん……!テンさんはそうでなくちゃな……!」
「ウフフ、あたしも燃えてきちゃった……!戦える時が楽しみね!」
マルゼンスキーさんの言葉に私も心の中で同意する。キングスさんとそのお友達の皆さんは黄色い歓声を上げていた。
「お姉かっこよかったしー!次も頑張れー!」
「「「キャー!テンポイント様ー!」」」
様付けされていることに少しだけ疑問を感じたが、私はその様子に思わず笑顔になる。
テンポイントさんの走りを見て私は一緒に走ってみたい、あの走りを体感してみたい。そう考えたところで私は思考を止める。
(一緒に走りたい?……私はもう、チームを辞めたのに。一緒にレースで走ることは、もうできないのに……)
私はもうハダルを辞めてしまった。今更戻ることはできない。再契約でもすれば、またレースに出られるだろうか?しかし、その考えに私は首を横に振る。
(今更こんな気持ちになってももう遅いんです。私はもうレースで走らないって決めたんですから……)
それに、レースで走ったところで私はテンポイントさんに手も足も出ずに負けるだろう。情けないがそれだけの実力差がある。そう考えることで、私は自分の中に湧いて出た気持ちを無理やり押し込める。
私がそう葛藤していると隣からグラスさんが心配そうに声を掛けてくれた。
「カイザーちゃん、大丈夫~?」
「……はい、大丈夫です。それにしても、テンポイントさん凄かったですね!初めての逃げなのにペース配分も完璧で!私も思わず……ッ!」
「どうかされましたか?クライムカイザー様?」
「……いえ、何でもありませんよ」
クインさんの言葉に私はそう返す。大丈夫、大丈夫だ。ちゃんと気持ちを抑えることはできるはずだ。
私は話題を逸らすために沖野さんたちトレーナー陣へと話しかけることにした。
「沖野さんたちはどう思われましたか?今回のテンポイントさんの走りを見て」
すると、沖野さんと時田さんも苦々しい顔をしていた。
「最悪だな。下手すりゃ、今までの対策が全部無意味になる可能性すら出てきやがった」
「同感です。これは、新しく対策を組み直さなければなりませんね」
お2人はそう答えた。確かに、今までの対策を全部組み直さなければならないのはかなり大変だろう。私も今すぐに変えなければ……ッ!
(だから……!私はもうレースで走らないって決めたんです!なのに、どうして!?)
競ってみたいという衝動が抑えきれない。再び膨れ上がってきたその感情を無理矢理抑え込む。グラスさんが心配そうに私を見るが、それに大丈夫だと私は返す。グラスさんは一応納得したのか何も追及はしてこなかった。
何とか落ち着いたところで、ボーイさんが興奮しながら私たちに話しかける。
「チックショー!あんな走り見せられたらオレも走りたくなってきた!」
「ダメよショウさん。ショウさんも、来週はレースでしょ?我慢しなきゃ東条トレーナーにまた怒られるわよ?」
「そういえばそうだった!また怒られるのは勘弁だから我慢するか……」
「と、トウショウボーイ様!私でよければ併走を……」
「ダメよ?クイン。ショウさんを甘やかしちゃ」
走りたくなったというボーイさんに一緒に走ることを提案したクインさんをマルゼンさんが窘める。その光景を私は微笑ましく見る。少しだけ、先程の気持ちが薄れてきた。そのことに私は安堵する。
その後は最後のレースを見終わった後、ウイニングライブの会場へと向かう。そして、テンポイントさんがセンターで踊っている時のキングスさんたちと神藤さんのテンションに、私はちょっと引いた。
ライブも終わって、新幹線で帰る道中私は外の月を見ながら物思いにふける。思い出すのは今日のテンポイントさんの走り。
(すごかったな……。私も、あんなふうに走れたら……)
だが、それは無理だろう。私にあんな走りはできない。少し悲しくなったが、みんなを心配させないように表情には出さないようにする。
今回の京都大賞典、私の中でレースを諦めるという気持ちが、少しだけ揺らいだ時間だった。
揺れるママママインド