京都大賞典から一夜明け、俺はトレセン学園でいつも通りの業務に取り組んでいた。朝は学園の清掃を済ませ、昼食までの残りの時間でトレーナーとしての仕事を片付ける。最早用務員とトレーナーとの仕事の両立にも完全に慣れた。特に苦戦することなく作業を進めていく。
今は前走である京都大賞典のデータをまとめている。今までの先行とは戦法をガラリと変えて逃げへとシフトした初めてのレース。そのレースでテンポイントは見事な走りを見せてくれた。
俺は興奮を抑えきれずに呟く。
「本当にすごかったな。思わず痺れちまったぜ」
終わってみれば2着に8バ身差の圧勝劇。年末に出走を予定している有マ記念に向けて良い弾みをつけることができた。
だが、喜んでばかりはいられない。俺たちの大目標である有マ記念での勝利を掴み取るまでは最後まで油断するわけにはいかない。そう思い直し俺は気を引き締める。
京都大賞典の走りを見て分かったが、やはりテンポイントにはこの作戦の方が合っている。初めて取ったにもかかわらず、ここまでの圧勝を見せてくれたのだ。間違いないと見ていいだろう。主となる作戦は逃げでいくとして、誰をマークするかなどの細かい作戦をまとめ、後でテンポイントと話し合って決めていく。
そうして作業を進めていき、ひと段落したところで俺は時計を確認する。時刻はもう少しで正午になりそうな時間だった。資料をまとめて昼食を取るためにトレーナー室を出る。
食堂へと足を運ぶと、まだ席が完全に埋まっていない状態だった。そのことに俺は安堵する。食券を買い、それを食堂の人に渡し、ご飯が運ばれてくるのを待つ。程なくして頼んだ定食が運ばれてきたので俺はそれを受け取って適当な席に着く。
「いただきます」
手をしっかりと合わせて昼食を食べ始める。しかし、食べようとしたタイミングで誰かから声を掛けられた。
「失礼、相席よろしいでしょうか?」
とても聞き覚えのある声だ。俺はその言葉に返事をする。
「他を当たってください時田さん」
「ありがとうございます。では失礼しますね」
「前もやりましたよねこのやり取り」
そして前回同様、時田さんは俺の目の前の席に座る。もう何も言う気はなかった。向こうも手を合わせて黙々と食事を取り始める。俺も気にするだけ無駄だと思い食べることにした。ただ、今回の相席に限っては他に席が空いてなさそうだったのでたまたま空いている俺の対面の席に座っただけだろう。
すると、突然食べる手を止めて時田さんがこちらに賛辞の言葉を贈ってきた。
「そうそう、京都大賞典おめでとうございます。初めて取った作戦で2着に8馬身差の圧勝劇、お見事という他ないでしょう」
「ありがとうございます。素直に受け取りますよ、その誉め言葉」
そして、時田さんは言葉を続ける。
「しかし、練習したとはいえ重賞レースで新しい戦法を試すとは……。私には恐ろしくてできませんね」
「普通なら、今までの俺ならそうだったでしょうね。けど、俺はもう失敗を恐れないことにしたので。もし負けたのだとしても、それは次の糧となります」
「……ほう?」
俺の発言に時田さんは興味深そうな視線を俺に送る。俺はその視線を軽く受け流して食事を再開しようとした……が、そう言えば時田さんにお礼を言うのがまだだったのであの時のお礼を言う。
「時田さん、あの時はアドバイスありがとうございました。あのアドバイスがなければ、この作戦に気づけないままだったかもしれないので」
「おや?記憶の奥底に留めておくだけだったのでは?」
「記憶の奥底に留めさせてくれたおかげで、勝てましたので。なのでそのお礼ですよ」
「そうですか。ならその言葉、ありがたく受け取っておきましょう」
そう締めくくり、時田さんと俺は食事を再開する。そこから先はお互い一言も喋らなかった。俺たちの間に沈黙が訪れる。だが、別に時田さんと特別仲がいいわけではない上に、お互いに嫌いあっているので沈黙している方が合っている。嫌いな割にはこの人はやたら俺に絡んでくるのだが。
お互いに食事を取り終わり、そのまま別れた。俺も作業の続きをするために、トレーナー室へと歩みを進めていった。
時間は進んで放課後、トレーナー室の扉をノックする音が聞こえた。
「いいぞー」
俺は返事をして中に人がいることを伝える。ノックした人物が扉を開けた。中に入ってきたのはテンポイントである。
彼女はトレーナー室に入ってきて、軽い調子で挨拶してきた。
「よ、トレーナー。きたで」
「ようテンポイント。じゃあ早速だが京都大賞典の反省会といこうか」
「はいはーい」
彼女は鞄を置いて早速ソファに座る。俺も朝まとめた資料を持って仕事で使っている机から離れてテンポイントが座っているソファの対面の椅子に座る。
俺は反省会をする前にテンポイントに賛辞の言葉を贈る。
「反省会の前に……京都大賞典おめでとうテンポイント。今までとは違う作戦で走ったにもかかわらずあれだけの走り、痺れたぞ」
「フフン、それほどでもあるわ」
テンポイントは俺の誉め言葉に機嫌良さそうに答えた。しかし、すぐに顔を引き締める。
「やけど、これはあくまで前哨戦や。ボクらの大目標は年末の有マ記念。そこで負けるんやったら意味がない」
「そうだ。ちゃんと分かっているようだな。なら、俺からあえて言う必要はないか」
「やな。やったら、早いとこ反省会といこか」
「そうだな」
そうして、俺たちは京都大賞典の反省会へと移る。
「さて、今回から戦法を逃げに変えて走ってみたわけだが……。正直に答えて欲しい。お前はどう感じた?自分には合わないとか、前の方が合っていたとかは思わなかったか?」
俺の質問にテンポイントは首を横に振って答える。
「いや、むしろ今までのレースん中でも一番やと思うくらいには気持ちよく走れたわ。ボクにはこっちん方が性に合ってると思う」
「なるほどな……。なら、この先も逃げ戦法は継続だ。後は細かい作戦のすり合わせはレースの都度していこう。他に反省すべき点なんだが……、今回のレースはほぼ満点に近い仕上がりだった。前を一度も譲らず、ペースを控えて脚も残しておく。全てが噛み合った結果、あの圧勝に繋がった。前に出ることの大切さがわかったな」
「後はホクトが後方でもたついてたんか分からんけど、上がってこぉへんかったからな。後ろからの圧もそんなに感じんかったわ」
テンポイントは冷静にそう分析していた。確かに、あのレースで要注意していたホクトボーイは上がってこなかった。仕掛けどころでも誤ったのか、それとも……。ただ、この敗戦を機に次戦う時は今回以上に仕上げてくるだろう。用心しておかなかければならない。
反省すべき点もほとんどないので、俺は次のレースへと話題を移す。
「さて、次のレースなんだが……。有マの前にもう一つ走ろうかと思っている」
「何走るん?」
「候補としては東京レース場で行われるオープンレースを考えている。距離は1800m。まあ有マの前にもう1つレースを使って今の戦法をより強固なものにしたい……っていう目的だな」
「なるほどな。準備しておくにこしたことはない……ってことやんな?」
「そういうことだ」
テンポイントは深く頷いて俺の言葉に納得した。ただ、オープンレースを使うとは言ったが1つ問題があった。俺はそのことをテンポイントに話す。
「ただ、このオープンレースちょっと問題があってだな……」
「なんや?そん問題て」
テンポイントは興味ありげに身を乗り出した。俺は意を決してその問題をテンポイントに告げる。
「下手したら、人数が足りなくてレースが成立しない可能性がある」
「あぁ~……。それは、ボクらにはどうにもならん問題やな……」
テンポイントは何とも言えない表情でそう言った。気持ちは分かる。まさか予定しているレースが人数が足りなくて不成立になるかもしれないと言われたら、微妙な表情にもなるだろう。しかし、今のテンポイントの状況を考えたら、出走を回避をする子だって出てくるだろうし不成立になる可能性は十分にある。これは俺たちにはどうしようもない問題だ。
一応サブプランは考えてある。俺はそれをテンポイントに話始める。
「一応、次点の候補はある。ただ、会場が京都になるし距離もグッと短くなる。あまり好ましいとは言えないな」
「距離はなんぼなん?」
「1200m」
「……スプリントやんか。短すぎひん?」
「だから好ましくないんだ。最低でもマイルの距離は欲しいからな」
だが、他のレースとなると日程が詰まったり逆に空いたりする。それを踏まえた上で一番良かったのがこの東京レース場のオープンレースだ。だからこそ、レース成立人数に達することを祈るしかない。
この辺の事情に関してはもう祈るしかないので早めに話を切り上げる。
「さて、京都大賞典の反省会も終わったことだし今日はこの辺にしておこう」
レース明けということもあり、今日は練習は休みだ。だからテンポイントにも帰宅するように促す。
しかし、彼女はソファに座ったままだ。俺はテンポイントに話を続ける。
「どうした?練習は休みだから帰っても大丈夫だぞ?」
「ん~……。せっかくやからもうちょいおってもええか?」
テンポイントは少し悩むような素振りを見せた後、俺にそう言ってきた。まあいる分には構わないが、生憎と楽しめるようなものは置いていない。
「それは別に構わないが……。トレーナー室には資料や映像しかないから楽しめるものは何もないぞ」
「ええよ別に。テレビ見ながら宿題でもしとくわ」
それは別に寮の部屋でもできないだろうか?そう思ったが口には出さない。テンポイント本人がここがいいと思っているようだし、余計なことを言う必要はないと思ったからだ。なんか前もこんな展開があったような気がする。
だが、俺は気にしないことにして自分の仕事をすることにした。黙々と自分の仕事をこなしていく。テンポイントも時折テレビを眺めながら、課題を進めていた。たまに他愛もない世間話をしながら時間だけが過ぎていく。とても心地よい時間だった。
結局、テンポイントは日が沈むまでトレーナー室で課題を進めていた。その間、終始彼女の耳と尻尾は機嫌が良さそうに揺れていたのが印象的だった。
SSRチケ何に使おうかいまだに迷ってる民です。やはり賢さネイチャ完凸だろうか。