京都大賞典が終わってから早いもので1週間が経った。ボーイのやつもこの前のオープンレースを無事に勝ったらしく、上機嫌な様子で報告してきた。ボクはそれに賛辞の言葉を贈りながら対応する。
カイザーはあの日以降、時折1人で練習をしているらしい。チームの方に戻る気は今のところないようだ。ただ、レースを諦める、という気持ちは少し薄くなってきているのかもしれない。喜ばしいことである。グラスも心なしか嬉しそうだった。
そして現在、放課後の練習をしているのだが……、1つ問題があった。ボクはトレーナーに質問する。
「……なぁトレーナー。1つええやろうか?」
「どうした?なんか問題でもあったか?テンポイント」
「なんや最近すっごい視線感じるんやけど……ボクの気のせいやろか?」
そう、京都大賞典が終わってからというもの、何者かの視線を感じるようになったのだ。ボクは基本遠巻きに見られることが多いので視線を向けられるのには慣れているのだが、どうにもこの視線が気になって仕方がない。というのも、ファンの子たちはちゃんと姿が確認できる位置にいるのだが、この視線の主はどこにいるのかが全く見当がつかない。その方向を向いても視線を向けた時にはすでに消えている。
これが1日や2日なら気のせいで済ませてもいいだろう。だが、京都大賞典からすでに1週間以上が経っている上にこの視線は毎日向けられている。カイザーと出かけた時にはさすがに感じなかったが、学園に帰ってきた時には視線を感じた。
トレーナーは難しい顔をしている。
「ふむ……ファンの子とか、偵察とかそういったものか?」
「いや、そういうんやないな。なんというか、ボクの様子をジーっと見てるだけ、っちゅうか……」
「なるほどな……」
そう言って、トレーナーは辺りを見渡す。しかし、誰もいないことを確認したのか嘆息をする。
「トレセン学園の警備は厳重だ。記者が紛れ込んでるとか、そういったものではないと思うんだが……。放ってはおけない問題だな」
「う~ん、一体誰なんやろうか……」
結局、その日はトレーナーの方でも後で調べてみるということで練習を再開する。練習を再開した後も、その視線をボクは感じ取っていた。
次の日の放課後、ボクは帰り支度を済ませているとまたあの視線を感じ取った。思わずその方向へと振り向く。しかし、姿は確認できなかった。
ボクが溜息をつくと、ボーイがボクに不思議そうに声を掛けてきた。
「どうしたんだよテンさん。なんかあったのか?」
「いや、最近誰かからの視線を感じるようになってな……」
ボクの言葉を聞いてグラスも声を掛けてくる。
「えぇ~?大丈夫~?それって何時からなの~?」
「京都大賞典が終わってからずっとや」
「1週間もですか?それは気が滅入りますね……」
カイザーがボクを心配するように声を掛ける。ボクはみんなを心配させないように告げる。
「まあ大丈夫や。遠巻きに見られるんは慣れとるし。やけど、ホンマに誰なんやろうか……?」
「う~ん……っ?なあ、アレ。エリモジョージ先輩じゃないか?」
「え?」
そう言ってボーイの言った方へと視線を向けると、色の深い茶色の髪で片目を隠し、長い髪を後ろで一つ結びにしているボクよりも小柄なウマ娘が立っていた。その姿にはボクも見覚えがある。本当にエリモジョージ先輩が立っていた。ジーっとボクを見ている。そしてその視線はボクがここ1週間感じているものと同様のものだった。つまり、視線の主はエリモジョージ先輩だったようである。
エリモジョージ先輩。トレセン学園でその名前を知らない者はいないだろう。カブラヤオー先輩とテスコガビー先輩の同期であり、クラシックの冠とは無縁だったが12番人気で迎えた春の天皇賞で逃げ切り勝ちを収め、一気に頭角を現した人である。
だが、エリモジョージ先輩が有名なのはそこではない。その強烈な個性である種恐れられているのだ。何をするのか予測がつかない、何をやってくるのか分からない、何を考えているのか分からない、トレーナーでさえも抑えることのできない気性。そのことから、エリモジョージ先輩は<気まぐれジョージ>と呼ばれ、トレセン学園ではある意味恐れられている。……ついでに、先輩は学年不詳でありどの学年に所属しているのか分からないので便宜上ボク達は先輩と呼んでいる。本当に謎が多い人なのだ。
そんな人がなぜボクを見ているのだろうか?そう疑問に思っていると先輩がこちらへと歩みを進めてくる。ボクの目の前で止まった。思わず身構える。
「ジーッ」
(口に出してジーッとかいう人初めて見たわ……)
心の中でツッコミを入れながらもボクは先輩に質問する。
「あの、ボクになんか用でしょうか?1週間ずっと見とりましたよね?」
「ん。用事 ある」
先輩は短くそう言った。やはりボクに用事があったらしい。ボクは先輩に質問する。
「やったら、何の用でしょうか?」
「んー……」
そう聞くと、先輩は自分の鞄を漁り始める。何かボクに渡したいものでもあるのだろうか?そう考えていると先輩はあるものを取り出した。麻袋である。
……麻袋?そんなもの、何に使うつもりだ?というか、なぜ鞄の中に麻袋なんか入れているのだ?そう考えていたら、
「てやー」
麻袋をボクの頭の上から思いっきり被せてきた。
「もがっ!?な、なんや!?」
突然の出来事にボクは狼狽する。なんとか麻袋を外そうとするが、誰かがボクの手をがっしりと掴んで後ろ手に縛った。完全に身動きが取れなくなったと思ったら誰かに担がれる。
「テン坊 かくほー」
先輩のそんな声が聞こえたと思ったら、ボクはどこかへと運ばれる。遠くから我に返ったようなボーイたちの声が聞こえたが、徐々にその声は聞こえなくなっていった。一体ボクはどこに運ばれるのだろうか?不安を抱えながら、ボクは担がれたままどこかへと連れて行かれた。
しばらくしたら目的地に着いたのか先輩の動きが止まったように感じた。麻袋を被せられているため詳しい状況は分からない。だが、扉を開けるような音が聞こえたのでどこかの部屋に入ったようである。
そして、先輩の声が聞こえた。
「やほー とれーなー」
おそらく彼女のトレーナーだろうか?男の呆れた声が聞こえる。相変わらずボクは担がれたままだ。
「……エリモジョージ。人に麻袋を被せて拉致するのは止めなさいといつも言っているでしょう。というか、今度は誰ですか?」
「今 解放する」
その先輩の声とともに、ボクは椅子に座らされ、縛られていた手を解放され麻袋を外される。
「プハッ!ど、どこやここ!?」
「……エリモジョージ。よりにもよって、なんて子を拉致してきたんですか!?」
麻袋から解放されて辺りを見渡すと、どうやらトレーナー室のようである。そして、男の声が聞こえた方へと視線を向けると、ビジネスマン風の出で立ちをした男がボクを驚いた表情で見ていた。おそらく、先輩のトレーナーだろう。
ボクは警戒を強めながら事の成り行きを見守る。先輩とトレーナーが口論をしていた。
「とれーなー。新規入部の子 つれてきたよ」
「何言ってるんですかあなたは!その子はもうトレーナーがついています!早く帰してきなさい!」
「えー?でも わたし テン坊と 一緒の ちーむで 走りたい」
「我儘を言ってないで、早く帰してきなさい!」
「ボクはペットかなんかですか?」
やり取りが拾ってきたペットに対する親と子の口論そのものである。思わずそうツッコんでしまった。
どうやら、先輩のトレーナーにとっても予想外のことだったらしい。かなり驚いている。思わず警戒を緩めていると、トレーナー室の扉が開いた。
「おーっす、時田トレーナー。……ってまーたジョージ先輩が誰か拉致してきたッスか?」
「おはようございます時田トレーナー、ジョージ。……ってまた誰か拉致してきたんですねジョージ……」
2人のウマ娘が入室してきた。ボクはそちらへと視線を向ける。すると、1人の方はとても見覚えがあった。向こうもこちらを指さして驚いたような表情を浮かべている。
そして、怒った口調でボクに話しかけてきた。
「あーッ!お前はテンポイント!テメェ、なんでここにいるんだ!」
「ホクトやんか。なんでも何も、さっき自分で言うとったやん。エリモジョージ先輩に拉致されたからや」
「そ、そういえばそうだった……!で、でも!忘れたとは言わせねぇぞ!この前の京都大賞典!」
「あ~そういや一緒に走っとったな」
最重要で警戒していたから覚えている。向こうは大きい声で宣戦布告してきた。
「あの時はちょーっと調子が悪かっただけだ!次は俺が勝ってやる!覚悟しとけよ!」
「そうか。次また走ることあったらよろしゅうな」
ボクは冷静に答える。ホクトは何か言いたげだったが、一応納得したらしくそれ以降は絡んでこなかった。そしてホクトは時田トレーナーと呼ばれた男に問いかけていた。
「それで、トレーナー!今日のメニューはなんだ!?こいつに勝てるようなメニューを組んでくれたんだよな!」
ボクを指さしながら時田トレーナーに詰め寄っていた。余程京都大賞典の負けが悔しかったのだろう。
しかし、それに答えたのはエリモジョージ先輩である。何を考えているのか分からない表情でホクトに告げる。
「ホクト わたしと一緒に おさかなさん 取りに行こう」
すごい。どういうことなのかさっぱり分からない。ホクトも驚いている。
「なんで!?魚はこの前取りに行ったばかりでしょう!?」
前も取りに行ったのか。しかし、エリモジョージ先輩は意に介していないようだった。
「なくなっちゃった。だから 補充」
「嘘でしょ!?というか、俺じゃなくてもいいでしょう!?トレーナー、先輩!助けて!」
ホクトは悲痛な叫びを上げながら自身のトレーナーと先輩に助けを求める。しかし、待っていたのは非情な言葉だった。
「諦めなさいホクトボーイ。エリモジョージがこういったらもう終わりです」
「ホクト、骨は拾ってあげるわ。一緒に海まで逝ってあげて」
「先輩絶対行っての漢字間違えてましたよね!?嫌だー!もう荒波に飲まれるのは嫌だー!」
ホクトは絶望したような表情を浮かべている。いくら何でも可哀想だと思ったボクはエリモジョージ先輩に物申す。
「あの、エリモジョージ先輩?こんなに嫌がっとるんやから、やめてあげたらどうです?」
しかし、ボクの言葉に時田トレーナーは鼻を鳴らして告げる。
「無駄ですよテンポイントさん。エリモジョージが一度言い出したら……」
「んー。テン坊が そう言うなら やめるー」
「「「……は?」」」
ボクとエリモジョージ先輩以外の3人は呆けていた。まるで信じられないものを見るような目でエリモジョージ先輩を見ている。
代表して時田トレーナーがエリモジョージ先輩に話しかけていた。
「エ、エリモジョージ!あなた、人の言うことを聞くことができたんですね!?」
滅茶苦茶失礼な物言いである。エリモジョージ先輩も心なしか怒っている……、ように見える。何しろ表情がほとんど変わらないのでボクの推測だ。
エリモジョージ先輩は時田トレーナーの言葉に返答することなくボクの方を向く。
「ジーッ」
「あ、あの。なんですか?」
「ジョージ」
「え?」
ボクはエリモジョージ先輩の言葉に戸惑う。いきなりどうしたのだろうか?そう考えているとエリモジョージ先輩はそのまま話を続ける。
「ジョージで いい。むしろ ジョージって 呼んで。敬語も いらない」
「は、はぁ。ジョージ?」
ボクは戸惑いながらもジョージの名前を呼んだ。すると、ボクの発言に満足したのか、
「ムフー」
と言いながらご満悦な表情を浮かべている。余程嬉しかったのだろう。表情はほとんど動いていないが。
すると我に返ったホクトがボクに詰め寄り、手を握りながら感謝の言葉を述べてきた。
「ありがとう!ほんっっっとにありがとう、テンポイント!おかげで船に乗らずに済んだ!」
「前は乗らされたんか……」
「当たり前だ!ジョージ先輩は一度言い出したら絶対に聞かねぇんだ!しかも本人は途中で飽きるから結局俺だけでやる羽目になるし!」
どうやらジョージの気まぐれで余程酷い目に合わせられてきたらしい。悲痛な叫びに聞こえた。
すると、時田トレーナーがジョージに疑問をぶつけた。
「……エリモジョージ。何故テンポイントさんをそこまで気に入っているのですか?」
「え?どういうことです?」
ボクは思わずそう聞き返した。間髪入れずに時田トレーナーは答える。
「人の話は聞かない、気まぐれで他人を振り回す、生徒会の手を焼かせた数は覚えていません。そんなエリモジョージがあなたの言うことは素直に聞きました。あなたより付き合いの長い私たちの言うことは聞かないというのに。ならば、それだけあなたを気に入っているということでしょう」
「はぁ……」
「なので、その理由を知りたいのです。こちらとしては……ね」
時田トレーナーはそう締めた。まあ確かに気になるだろう。ボクも気になる。ジョージはどうしてボクを気に入ったのだろうか?思わず前屈みになる。
すると、ジョージは時田トレーナーの質問に答える。
「京都大賞典」
「京都大賞典がどうかしたのですか?」
「テン坊 逃げで 走ってた。気になった。そこから 色々 調べた。そしたら 親近感 湧いた」
「なるほど……」
「わたし テン坊 気に入った。だから 拉致した」
「いや、なんでそうなるんですか?」
ボクは思わず突っ込んでしまった。気に入ったから拉致するのはどうかと思う。
そして話を聞いていくとどうやら1週間ボクのことを見ていたのは機会を窺っていたらしい。ボクと話す機会を。ただ、さすがに飽きて放課後、教室で拉致したと言っていた。
そして、全てを話し終わった後、時田トレーナーは告げる。
「あなたがテンポイントさんを拉致した理由は分かりました。ですが、彼女はもう他のトレーナーがついています。だから諦めなさい」
「えー」
ジョージは不満気だ。時田トレーナーがこちらをチラリと見る。言いたいことは分かるのでボクはジョージに話しかける。
「悪いんやけどジョージ、ボクのトレーナーはあの人しかおらんからジョージのチームには入れんわ。ごめんな?」
「……わかった」
不承不承ながらも納得した。しかし、次にジョージはとんでもないことを言い出す。
「じゃあ、わたし 神藤のとこ 入る。それで 万事 解決」
「いや、アカンやろ」
驚きながらもそうツッコんだ。というかボクのトレーナーのこと知っていたのか。
そこからボクは解放されてトレーナーの下へと帰る。トレーナーはボーイたちから詳細を聞いていたらしい。余程心配していたのか、
「だ、大丈夫かテンポイント!なんか変なことはされなかったか!?」
と、とても慌てていた。それが少しおかしくてボクは笑いながらも無事だということを告げた。トレーナーは安堵したようで、そこから少し遅めの練習へと入っていった。
練習も終わり、ボクは寮に帰宅する。すでに同室の子がいると思ったのでボクは帰宅の挨拶をしながら扉を開けた。
「ただいまー」
「ん。おかえり テン坊」
勢いよく扉を閉める。おかしい。何故かジョージの声が聞こえた。ボクは聞き間違いだと思いもう一度扉を開ける。
「おかえり テン坊」
聞き間違いではなかった。ボクの部屋になぜかジョージがいる。ボクは頭の中が混乱しながらもジョージに問いかける。
「……なんでジョージがここおるん?」
するとジョージは何でもないように答えた。
「テン坊 同室の子 変わってもらった。ちゃんと 寮長の 許可取った。合意の 上」
多分、言っても聞かないから諦められただけじゃないだろうか?そう思ったがもう遅い。ボクは諦めた。
「まあ、これからよろしゅうな。ジョージ」
「ん。よろしく テン坊」
これから仲良くしていきたい。そう思いながら挨拶を交わした。
テンポイントの同室の子がエリモジョージになりました。いまだにグランドライブ育成がよく分からんち。