中山レース場の選手控室。その場所で、俺は今テンポイントと最後の打ち合わせをしている。
「……以上が今回の作戦だ。気になるところはあるか?」
俺の言葉にテンポイントは笑みを浮かべながら返す。
「大丈夫や。それで問題ないで」
その言葉に、俺も笑みを浮かべた。今回の作戦は対トウショウボーイに向けたものが多い。それだけトウショウボーイというウマ娘を警戒している。それも当然だろう。彼女との戦績は1勝4敗で大きく負け越しているのだから。だからこそ、この有マ記念では絶対に負けられない。俺はそう思っているし、おそらくテンポイントも同じ気持ちだろう。
作戦の打ち合わせは済んだが、まだ少し時間がある。そう思っているとテンポイントがこちらに話しかけてきた。
「……いよいよやな、トレーナー」
「あぁ」
「ボーイはこのレース限りでトゥインクルシリーズを引退。やから、世間の目ぇ覚まさせるチャンスは今日が最後っちゅうことやな?」
「そうだ。お前がトウショウボーイより下という評価を覆すには、今日ここでトウショウボーイに勝つしかない。じゃなければ、お前は一生トウショウボーイの下という評価を受けたままだ」
ドリームトロフィーリーグでも対戦する機会はあるだろう。だが、今日ここで勝たなければテンポイントはトウショウボーイの下という評価が覆ることはない。俺はそう感じていた。テンポイントもそう思っているのか、気合十分といった様子だ。
そして、テンポイントは不敵な笑みを浮かべて告げる。
「夏合宿の練習、京都大賞典、こん前のオープンレース。今までの努力、そして練りに練った作戦があれば大丈夫や。それに……」
「どうした?テンポイント」
「ボクはキミが信じる最強のウマ娘……やろ?」
「……あぁ!」
「やったら、なんも心配ないわ!観客席でしっかり見とき?ボクが1着で駆け抜けるとこ!」
そう言って、テンポイントはこちらに拳を突き出してきた。その拳はあの時のように震えてはいない。確固たる自信をもってこちらに突き出しているように感じた。
俺も拳を突き出して、彼女の拳に軽く合わせる。そして、お互いに笑った。
まだ時間はあったが、今日は観客の数も多いだろうと思い俺は早めに退出する。最後にテンポイントに激励の言葉を贈って俺は控室を出た。向かう先はパドック、ではなく、中山レース場の観客席だ。
中山レース場の観客席。いつものように最前列のゴール前の席に陣取る。途中、いつもは京都レース場や阪神レース場で実況をしている人がマイクスタンド片手に観客席にいるのを見かけたような気がしたが、気のせいだと思うことにした。
そうしてしばらく待っていると、パドックを見に行っていたであろうキングスたちと合流する。向こうは不思議そうな表情でこちらに問いかけてきた。
「ねぇ、パドックでお姉や出走する先輩たちの様子を見ておかなくてよかったし?」
キングスのその言葉に俺は自信を持って答える。
「テンポイントの体調が万全なのは選手控室で確認したから大丈夫だ。それに、今日のテンポイントなら誰にも負けねぇ。それだけの自信がある」
「随分な自信だね?神藤さん」
キングスの質問にそう答えると、聞き覚えのある声がした。間違いない、ハイセイコーだろう。俺は声がした方に向いて姿を確認する。やはりハイセイコーだった。
「よぉ、ハイセイコー。当然だ、今のアイツが負けるヴィジョンが見えねぇからな。それよりいいのか?リギルの方にいかなくて?」
「大丈夫さ、東条トレーナー達も直にここに来るからね」
「マジかよ、曲がりなりにも敵同士だから気まずいんだけど」
「じゃあ、他のとこで見るか?誠司」
また聞き覚えのある声がする。そちらに振り向くと沖野さんが立っていた。沖野さんの近くにはスピカのメンバーらしきウマ娘の子たちが数人とクライムカイザーがいる。つまり、沖野さんもここで見るということだろう。
「まさかの見るとこ被りましたか」
「そりゃ、ここが見やすいからな」
別に俺達の席というわけでもないのでそれ以上は何も言わない。
しばらく待っていると、おハナさんたちがハイセイコーと合流した。出走を取り消したマルゼンスキーにテスコガビー、リギルではないがシービークインもいる。後もう1人は見慣れないウマ娘だった。
そう思っていると、見慣れないウマ娘の子が俺に丁寧に挨拶をしてきた。
「初めまして、私はシンボリルドルフ。チーム・リギルのメンバーの1人です。以後、お見知りおきを。神藤トレーナー」
「あ、あぁ。こちらこそよろしく、シンボリルドルフ。俺の名前を知ってるんだな?」
「当然至極。学園に在籍している者の顔は憶えていますので」
シンボリルドルフと名乗ったその少女はこともなげにそう答える。トレセン学園に在籍している人数はかなり多いのに、それを全て憶えているとは、凄まじい記憶力だ。俺は思わず戦慄する。
そこからは、入場が始まるまでしばらく会話に華を咲かせていた。ハイセイコーがシンボリルドルフに質問をする。
「さて、ルドルフ。君は誰が勝つと思うかい?」
ハイセイコーの質問に、シンボリルドルフは少し考えた後答えた。
「……トウショウボーイさん、でしょう」
「ほう?その理由は?」
「まず、この有マ記念で有力とされているのはトウショウボーイさんとテンポイントさんの2名です。しかしトウショウボーイさんはテンポイントさんに4勝1敗と勝ち越しています。それに、調子も良好です。ならば、トウショウボーイさんが勝つのは自明之理……と、いったところでしょうか?」
「なるほどねぇ。神藤さん、こう言われているけど?」
「なぜ俺に振る?別に何にも言わねぇよ。言ってることは事実だしな」
俺の答えにハイセイコーは面白くなさそうにしていた。そんなハイセイコーにシンボリルドルフが聞き返す。
「ハイセイコー会長は、誰が勝つと思っていますか?」
「私かい?そうだねぇ……」
少し考えて、ハイセイコーは答える。
「テンポイント、かな?」
「……それはなぜです?」
「単純な理由はルドルフがトウショウボーイに賭けるなら、私はテンポイントに賭けるってだけさ。それに彼女は個人的に気に入っていてね。それも大きい。後はそうだねぇ……」
一拍おいて、ハイセイコーはシンボリルドルフにウインクをしながら答えた。
「彼女の諦めの悪さをよく知っている……からかな?」
「はぁ……」
シンボリルドルフは要領を得ないといった表情を浮かべている。まあ彼女はテンポイントのことをよく知らないからこの反応も仕方ないだろう。
そうして話していると、ターフの上に続々と出走するウマ娘たちが入場してきた。実況・解説の人が紹介していく。
《さぁ年末のグランプリレース有マ記念!出走するウマ娘たちが今続々と入場してきています!そしてレースには特に関係ありませんが、先程解説担当が体調不良を訴えたため、偶然会場に来ていた京都レース場や阪神レース場でお馴染みのアナウンサーを特別ゲストとしてお呼びしました!今日はよろしくお願いします!》
《いやー!テンポイントのレースを見るために実況マイク片手に訪れたらまさかこんな機会に恵まれるとは!こちらの方こそよろしくお願いします!》
《余程テンポイントが好きな様子、それは普段の実況を聞いている人からすれば分かっていることかもしれませんね!》
どうやら、先程見た気がしたのは気のせいではなかったらしい。まさか実況マイク片手に関西から中山まで訪れるとは、かなりのテンポイントファンのようである。俺は内心嬉しくなって、今度どこかで会ってみたくなった。
《それでは本レースに出走する8人のウマ娘の紹介に入りましょう!まず入場してきたのは8枠8番のメグロモガミ!》
そのまま紹介が進んでいく。そして、4人目に入場してきたウマ娘は……。
《……そして次に入場してきたのは6枠6番グリーングラス!TT世代の菊花賞ウマ娘、本年度は2つのレースでレコードタイムを記録するなど実力は十分!TTに次ぐ3番人気です!》
《テンポイントとトウショウボーイばかりが話題に上がりますがこのウマ娘もまた強い!重賞未勝利で菊花賞を制したあのレースでファンになった方も多いのではないでしょうか?もしTTが敗れるとしたらこのウマ娘のみ、そんな声も上がっています!果たして緑の刺客がTTの2人を差し切るのか!?》
パドックで見ていなかったので俺はグリーングラスを観察する。
……どうやら、調子は悪くなさそうだ。秋の天皇賞で調子落ちしたかと思ったがそんなことはないらしい。絶対に勝つという気迫が感じられる。沖野さんの方に目を向けると、満足そうにしていた。
そして、沖野さんが俺達に挑発するように言った。
「悪いな誠司、おハナさん。今日の有マ記念を勝つのはグリーングラスだ」
俺はその言葉に不敵な笑みを浮かべて返す。
「何言ってるんですか。勝つのはテンポイントですよ」
「いいや、グラスだね」
「いいや、テンポイントです」
「いい大人が何やってるのよ……」
俺と沖野さんのやり取りをおハナさんは呆れた目で見ていた。
グリーングラスの後にプレストウコウが入場する。そして、次に入場してきたウマ娘の姿を見た瞬間、中山レース場に今までで一番の歓声と拍手が鳴り響いた。
《さぁそして!プレストウコウの次に入場してきたのはこのウマ娘!1枠1番最内枠のトウショウボーイだ!パドックでも調子よさそうにしていました!好走に期待できます!この評価は少し不満か?2番人気です!》
《TTの1人、今まで勝利してきたレースはそのどれもが印象深いものでした!秋の天皇賞での大敗が響いての2番人気ですが、このウマ娘に人気は関係ないでしょう!今回のバ場は絶好の良バ場!不安要素はなしといったところ!果たして今日はどのような走りを我々に見せてくれるのか!》
トウショウボーイだ。実況の人たちが言っているように、調子は好調、不安要素はなさそうだ。俺はおハナさんに話しかける。
「おハナさん。調子よさそうですね、トウショウボーイ」
「えぇ。天皇賞では負けたけど、彼女の引退となるこのレースは何が何でも勝たせたい。だから一切の妥協をせずに調整をしたわ」
「なるほど……」
ということは、トウショウボーイは万全な状態だということは間違いないのだろう。だが、俺はテンポイントなら勝てるという確固たる自信を持っていた。
(アイツは俺のやってきたことは間違いじゃないと言ってくれた。それを証明するために必ず勝つと。アイツは俺を信じてくれている。だからこそ、俺もテンポイントの勝利を、強さを信じる!)
そう考えていると、残りのウマ娘たちが入場してくる。そして、最後に入場してきたのはテンポイントだった。トウショウボーイの時と負けず劣らずの拍手と歓声が鳴り響く。
《……そしてそして!トウショウボーイが2番人気ならば!1番人気はこのウマ娘を置いて他にいない!3枠3番テンポイント!今回の有マ記念、1番人気のウマ娘がターフへと姿を現しました!今年の戦績は6戦5勝2着1回とクラシック級での無念を晴らすかのような好成績です!》
《私イチ押しのウマ娘!宝塚記念での敗戦を経て一皮剝けたのか、対峙したら思わずたじろいでしまいそうな風格を漂わせていますテンポイント!ライバルであるトウショウボーイとの戦績は1勝4敗、トゥインクルシリーズを引退することが決定しているトウショウボーイに勝つ最後のチャンスだと、だからこそ必ず勝つとインタビューで答えていました!頑張れテンポイント!》
テンポイントの姿を見てキングスたちが歓声を上げる。そしてその中にはいつの間に合流したのかエリモジョージの姿もあった。ターフの上ではテンポイントとトウショウボーイが対峙している。何を話しているのか分からない。
そんな様子を見ていると、沖野さんが俺に話しかけてくる。
「テンポイントの方も、調子は絶好調……ってところか?誠司」
「えぇ。今のアイツには、誰も勝てませんよ」
その言葉に、珍しくおハナさんが反応する。
「言うじゃない。余程自信があるようね?」
「当然ですよ。これで負けたらトレーナーを辞める、そのくらいの覚悟を持ってこの有マ記念に挑んでますから」
俺は笑ってそう答える。すると、俺の覚悟が伝わったのか沖野さんとおハナさんは満足げな表情を浮かべていた。
おハナさんは続ける。
「……ライセンスを取る前のあなたが今のあなたを見たら、どう思うかしらね?」
「さぁ、案外喜ぶんじゃないですか?信じられねぇ!とは思われそうですけど」
「ハハッ、違いねぇ」
沖野さんがそう言うと、ウマ娘たちが続々とゲートに入っていった。そして、最後に4枠4番のシンストームがゲートに入る。
《最後に4枠4番のシンストームがゲートに入りました。年末の大一番グランプリレース有マ記念。距離は2500m、絶好の良バ場と発表されています》
《あなたの夢、そして私の夢は叶うのか?人気と実力を兼ね備えた8人のウマ娘たちが発走の瞬間を今か今かと待っています。トウショウボーイが天を駆ける走りでスピードシンボリ以来となる連覇を飾るか?〈貴公子〉テンポイントが日本一の座について海を渡るか?はたまた〈緑の刺客〉グリーングラスがTTの1角を崩して日本一の座につくのか?》
会場は静まり返っている。ここにいる全員が同じ気持ちなのだろう。発走の瞬間を待ちわびている。
会場に訪れる静寂。そして、
《グランプリレース有マ記念が今……スタートです!》
ゲートが開いて、テンポイントたちが一斉に飛び出す。
有マ記念が、始まった。
有マ記念、開幕