【ウマ娘×タフ】押して忍べど――指圧と武人と片想い【ヤエノ&キー坊】   作:木下望太郎

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前編  ヤエノと熹一(きいち)

 

 私――ヤエノムテキ――は、(きし)むような音を聞いた。耳障りなそれが自分の歯噛みの音だと、気づくまでに時間がかかった。

 何しろ忙しかった、両の手は震えるほど握り締めていたし、目はきつくつむっていた。頭は大きく後ろへ引いていた、振りかぶるように。

 そして。目の前の壁に叩きつけた。額を。

 

 けれど本当に叩きつけたかったのは。きっと頭ではなく、もっと奥の……体の芯、私自身。

 ――尽くしたはずの私の全力を、なお呑み込んでみせた葦毛の怪物。

 ――その怪物のいない舞台、二冠を獲るべく伸ばした私の手を、風に舞う花びらの如くかわした級友。

 つかむはずだった勝利はこの手になく、どころか脚さえ傷めて、こうしている。

 

 そう思って私はまた、壁に頭を打ちつけた。通っている病院、恨めしいほどにただ白い光が差し込む廊下で。診察後でよかった、それより先にこうしていたら、余計な処置を増やしていた。

 

 すがりつくように、壁に両手をついたままつぶやく。

「私は……弱いのか」

 ――否、私は弱くなどない、誰よりも鍛えてきた、誰よりも耐えてきた。だから弱くなどない……強い、はず。しかし、ならば、なぜ――

 

 頭の中に渦巻く言葉を振り払おうと、再び壁に向き合って頭を振り上げたとき――

「なんじゃコラっ、ワレどかんかいガキゃあっ!」

 ――階下から粗野極まりない罵声が響き、私の意識はそちらに向いた。

 

 近くの階段を下り、廊下を見渡すと。そこには、入院患者用の部屋の前に押しかけた三人の男――人相を隠そうとするかのように、揃って帽子とサングラスを身につけている――と。部屋を背にし、男たちの前に立ちはだかる青年の姿があった。

 

 男たちの一人が――先ほど聞こえたのと同じ――野卑な声を上げる。

「とっととどいて宮沢のオッサン出さんかいコラぁっ」

 別の男たちも口々に言う。

「伝説の灘神影(なだしんかげ)流……その当主が入院中やっちゅうことは調べがついとんのやっ」

「その隙にボコったらワシらん流派の名も上がってハッピーハッピーやんケ」

 

 立ちはだかる青年――歳は私よりいくつか上か。よく鍛えられた筋肉が盛り上がり、身につけたTシャツを破かんばかりに内から押し上げている――は、太い眉を困惑したように寄せて頬を歪めた。

「はあっ? どこで何を聞いてきたんやお前ら、おかしいやろそれ――」

 ドアを開けて立ち位置をずらし、部屋の中を親指で示す。おそらくはその中にいる人物を。

「――寝たきりの入院患者ボコって何の名が上がるっちゅうんや、脳ミソ足りとんのかお前ら。分かったらほれ、とっとと去ね去ね」

 丸坊主を無造作に伸ばしたような頭をかき、もう片方の手は犬を追うように払ってみせる。

 

 男たちは口を開けて目を見交わしたが。すぐに荒い声を上げた。

「そやからどしたっちゅうんやコラぁっ!」

「ワシらがボコったっちゅう事実があったらええんじゃコラぁっ」

「むしろ抵抗されんでハッピーハッピーやんケ」

 

 男たちのいる反対側の廊下、ゴミ箱に半ば体を隠した位置で、私は拳を握り締めた。

 どうやら武術流派による、他流への挑戦。それ自体は良しとしても。

 決闘の手順を踏んだわけでもない、入院中の相手への殴り込みなどと――同じ武術家の端くれとして、決して看過(かんか)できるものではない。

 

 が。一歩踏み出し、名乗りを上げようとして。負傷した脚に痛みが走る。

 怪我自体は大したものではない、走ること自体は十分できる。格闘だって。だが、ここでもし無理をして悪化したら。

 しかし、だからといって見過ごすのか? 目の前の蛮行を――。

 

 そう考えたとき。胸の内から、頬へと笑みが湧き上がる。くすぶるような暗い笑みが。

 ――そうだ、逃げるわけにはいかない。叩きつけてやればいい、この拳を。鍛えれど鍛えれど至らぬ、こんな脚も。……たとえ、ここで壊れたとしても――。

 

 そう考えている間に、青年は声を上げた。

「やるっちゅうんならやったらええわ。しゃあけどお前ら、ちゃんと持っとんのかい」

「……? 何をやっ!」

 

 口の端を吊り上げて青年は笑う。

病院(ここ)の診察券。ワシにボコられた後、すぐ診てもらうためにの」

 

 男たちが歯を剥き、身構える。

「なんやとコラァ!」

「おンどれくらぁすぞコラァ!」

「ボッコボコにして(おいど)の毛ぇまでむしったろうやんケ」

 

「そんならまあ、さっさと――」

 青年が言う間にも。男たちのうち二人が同時に殺到し、拳を振るう。荒い口調とは裏腹に、正確なフォーム――足腰の力を十全に活かした速さ、重心の移動を使って体重の全てを乗せた重さ――の技。これだけの練度を持った拳を繰り出せる者は、祖父の道場でも一握りしかいないと言えた。それこそ、師範代クラスの者しか。

 

「――ってオイ、せっかちやな――」

 しかし青年の表情は変わらない。次々に繰り出される二人分の拳を、蹴りを、腕を振るい脚を上げて防ぎ、いなし、押し返して相手の体勢を崩しさえする。内から外、外から内、上へ下へと縦横無尽に。快さすら感じさせる音を、パ、パ、パン、と高く上げて。

 

 その内に青年の手が、絡みつくように一人の腕を捕らえる。相手の外側へと体を移しつつ、その腕を後ろへねじり上げる。肩と肘の関節を()めた、脇固めの体勢。

 

「ぎいっ……!」

 悲鳴を上げる相手には構わず、しかし()め続けることにもこだわらず。青年は相手の体を突き飛ばす。横のもう一人を巻き込むように。

 そして。青年の目は床に転がった二人ではなく、突進してくるもう一人へとすでに向けられていた。

 

()ったらァー!」

 叫び声と共に拳を繰り出す男の体を、青年の前蹴りが軽く押し止めた。かと思うと。

 すでに青年の体は宙にあった。

 

「しゃあっ、コブラ・ソード!」

 前蹴りとは逆の脚で、横殴りに繰り出される跳び膝蹴り。それが正確に相手の頭部を捉えた。

 首をもぎ取られかねない勢いで、食らった男は地に薙ぎ倒される。

 

 突き倒されていた二人が身を起こす。

「おんどれ……やってくれたなコラぁっ!」

 一人が地上すれすれに身を低めつつ、つかむように両腕を突き出して突進してくる。レスリングでいうタックル。これも打撃に劣らず滑らかな動きだった。

 

「ほれっ」

 組みつかれたその瞬間、青年は相手の動きを止めることなく、その動きに逆らうことなく。立ち位置を変えながら、相手の頭を導いてやった。傍らの、廊下の壁へ。

 低い音を立てて激突した、相手は声も上げずに床へと伏す。

 

「クソが……ずいぶんヤンチャしてくれたやんケ」

 残った男がポケットをまさぐり、ナイフを取り出す。

 その動きを見たとき――相手が武器を体の前に構えようとしているそのとき――には、すでに青年の動きは始まっていた。

 踏み込み、武器を持つ手をつかみ、敵の動きに逆らうことなく。その力の向きを導いた。相手自身の胸を、ちくりと刺すように。

「はうっ……!」

「ほお、なんや気が利くのぉ。おとんのためにリンゴでも剥いてくれるんかい」

 

 さらに押し込もうとする青年の片腕と、押し止めようとする相手の両手。それが震えながら押し合っているうちに。

 青年の空いた片手が、相手の顔を打ち抜いた。ボ、と、空気ごと打ち出すような音を立てて。

 

 ナイフを取り落として倒れる相手の背に言い放つ。

「ったく……どこで何を聞いたんか知らんけど。覚えとけ……灘神影流活殺術の当主はのぉ、十四代目のおとんやない。十五代目、この宮沢熹一(きいち)や。用があんならワシに来いや」

 

 震えながらもどうにか身を起こした男たちは、背を向けて廊下を駆け出す。脚をもつれさせて、何度も転びながら。

「お……覚えとれやコラぁっ!」

 

 青年は片手を口に添え、離れていく男たちに声をかける。

「気のつかんやっちゃ……人の病室に来る時はのぉ、カゴ入りのフルーツでも提げてこんかいっ」

 

 その光景を目にしながら、私の脚は震えていた。握っていたはずの拳は開かれ、指の先まで震えていた。

 ――何だ、あれは――。

 助けに入ろうなどとはおこがましかった、あまりに青年は強かった。私では、たとえ脚の負傷がなかったとしても――三人程度、倒すことはできるだろうが――あれほどの余裕を持った立ち回りは出来なかった。

どころか。彼はきっと、実力の欠片ほどしか見せてはいまい、刃物を手にした者を相手にしてさえ。あれほどの実力を備えた人間など、私が直接知る限りでは。金剛八重垣(こんごうやえがき)流師範――私の祖父――ぐらいだろう。無論、先ほどの動きだけで全てを推し量れるわけではないが。

 

 そこまで考え、私は再び歯噛みした。

 彼は強い。はっきりと、この世の誰に向かってもそう言えるほどに。

 私はどうだ? 走りにしろ武術にしろ、鍛えに鍛え、耐えに耐えてきたはずのこの私は。

 

「私は、強い……、はず、だ」

 

 つぶやいたその声があまりに小さく、嘘くさく。震えるほどに、私は拳を握り締めた。

 病室の前にいる青年に目を向ける。

 かくなる上は、かくなる上は無礼ながら彼に果し合いを申し込もう、そうしてきっと私が強いと証明して見せ――

 

 そう考えていると。青年は身をかがめ、男らが落としていったナイフを拾い上げた。

「ったくあいつら……ちゃんと持って帰らんかいボケが」

 そして。こちらも見ず、無造作に。

「燃えないゴミはゴミ箱へ、っと」

 ナイフを――敵意を持って投げつけるのではなく、放り捨てるように――、投げた。私の横にある、ゴミ箱へ。

 

「……っ!」

 ナイフは私に当たりはせず、正確にゴミ箱に入ったが。物が物なので、さすがに私は大きく身を引いていた。

 

 その足音に気づいたのか、青年はこちらを見る。

「えっ、あれっ? まさかそこ、誰か――」

 まさにゴミ箱の横、手元が狂えば刃物が当たりかねない位置に私がいたのを見て。青年の顔がたちまち引きつる。

「――う わ あ あ あ あ あっ! すっ、すんませんでしたあああああっ!」

 

 猛烈な勢いで駆け、滑り込みながら土下座してきた。私が直接見た中で、あるいは世界最強のその男は。

 

 

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