前前世社畜、前世鬼殺隊士、今世ウマ娘   作:サイレン

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※約33,000文字
 時系列がバラバラな短編集です。
 とあるウイニングライブに関して独自設定があります。




メチャメチャやさしい人達がふいに見せた

 

 

①理事長とたづなさん

 

 その日、日本に、世界に、激震が走った。

 

『「偽りの直線(フォルスストレート)」を抜けてパーガトリーが更に加速する! もはや独走! 一人旅! これがあの凱旋門の舞台だと私が信じられません!! 見よ世界! これが日本のウマ娘だ!!』

 

 生中継される映像に合わせて実況が興奮を露わにするが、彼女を窘められる者は日本には存在しないだろう。それほどまでに、映し出されている光景は胸を熱くさせるものだった。

 

 風に吹かれるのは裾を炎に模した白の羽織。

 装飾の一切を省いた無骨な黒の軍服。

 金の赤に彩られた髪を後ろに流して走る、日本が誇る最強のウマ娘が一人。

 

『今! ここに! 日本の歴史上初の凱旋門賞ウマ娘が! 誕生いたしましたっ!! パーガトリー!! 遠い異国の最も栄誉あるレースで、他を圧倒して見事1着を勝ち取りました!!』

 

 ここが住宅街であったなら、真夜中にも関わらず家という家から歓声が漏れていることだろう。

 中央トレセン学園においても、この日だけはと開放された寮の食堂でウマ娘たちが騒ぎまくり、トレーナーたちも学園の食堂に集まって飲めや歌えや踊れやと羽目を外しまくっていた。

 

 理事長室においても、それは変わらない。

 

「感激ッ! たづなよ、遂に日本のウマ娘が!!」

「えぇ! 流石パーガトリーさんです!」

 

 勝利ッ! の文字が輝く扇子を広げたトレセン学園理事長の秋川やよいと、その秘書である駿川たづなもまた、慎ましやかな宴会を開いていた。

 今後二度とこの部屋に持ち込まないであろう酒と肴を嗜みつつ、文字通り天を掴み取るパフォーマンスでファンに応えるウマ娘の雄姿を見届ける。

 

「驚嘆ッ……すでに息を整えている」

「タイムもレースレコードではありますが、全力ではなかったのでしょう。マルゼンスキーさんと平然と張り合っているため勘違いされていますが、パーガトリーさんはどちらかと言えばパワータイプ。洋芝で起伏が激しいレース場ですが、彼女であればものともしないでしょう。2400良バ場なら、パーガトリーさんであれば2分25秒台は妥当かと」

「傑物ッ! これほどの逸材だったとは……」

 

 パーガトリー。

 彼女がこれまでに打ち立てた偉業と歴史は、はたから聞けば創作の話だと決め付けられてしまうような非現実的なものばかりだ。

 

 正直に言うと、やよいもたづなも最初からパーガトリーに注目していたわけではなかった。

 なにせ彼女の世代には「怪物」と称される、正真正銘の最強が存在したから。

 この世代は良くも悪くもその怪物──マルゼンスキーが代名詞になるだろうと、ジュニア期時点では疑いもしていなかったのだ。

 

 ウマ娘のレースはブラッドスポーツ。

 こと「走る」という単純作業においては、生まれる以前の才能が、血筋が大きく関係する。現に日本のレース業界においても、栄光あるG1レースでは殆どが昔から存在する名門が勝ち続けていた。

 神バことシンザンも、怪物と称されるマルゼンスキーも、母親が実力あるウマ娘。マルゼンスキーの母親に至っては、ただでさえ日本より優秀とされるレース先進国出身のウマ娘であり、その国でクラシック三冠を達成するような埒外の実力を持っていたのだ。

 マルゼンスキーは同期どころか日本全体を見ても格が違う。もはや世界レベルと言っても過言ではなかった。

 

 その常識に待ったをかけ、ものの見事にぶち壊したのがパーガトリーだ。

 

「疑問ッ! たづなよ、君でも彼女の強さの秘訣が分からないのかッ?」

「……申し訳ありません。練習風景をたまに観察してはいたのですが、特段変わったことはありませんでした」

「うむむむむむっ……」

 

 思わず唸り声が漏れるやよいだが、たづなとしても気持ちはおおいに共感できた。

 

 パーガトリーは色々とおかしい。

 母親はウマ娘ではあるが公式レースに出走した経験はなく、パーガトリー自身も入学時点では言ってしまえば普通だったのだ。基準は満たしていたために合格となったが、芽が出るかは難しいだろうと当時の書類にはメモが残されていた。

 だが、蓋を開けてみればどういうことか。メイクデビュー、オープン戦と危なげなく勝利を重ね、ジュニア期最後のレースであるG1のホープフルステークスすら無敗のまま勝ってみせたのだ。

 

 この頃からやよいとたづなは、首を傾げつつもパーガトリーの素晴らしい活躍を応援していた。血筋という壁を乗り越えたパーガトリーには、新たな可能性を期待せずにはいられなかったから。

 年が明けてからは同期で孤立気味であったマルゼンスキーと親しくしている場面も目撃するようになり、個人的にマルゼンスキーと仲の良かったたづなとしてもパーガトリーに感謝することが多くなった。

 

 そんな微笑ましい事情が様変わりしたのは、言わずもがな皐月賞である。

 

「切替ッ! 今日はめでたき日! たづなよ、無礼講だ!」

「はい! ですが、飲み過ぎはダメですよ」

 

 拭えない疑問はあるが、今ばかりは嬉しさや感動が遥かに上回る。

 思い出に浸るのは良いが頭を悩ませるのは止めようと、やよいとたづなは静かに酒宴を楽しむことにした。

 

「パーガトリーさん、本当に凱旋門賞を取ってしまいましたね」

「天晴ッ! 皐月賞の会見での言葉を現実としてくれた! 第2コーナーを回った時点で、私は勝利を確信した!」

「奇遇ですね、私もです」

 

 恐らく、日本人の多くはパーガトリーがゴールする前のどこかの段階でこう思っただろう。あっ、勝ったな、と。

 くいっ、とワイングラスを傾けて追加を注ぐたづなは、やや頬を赤らめて若干遠い目をした。

 

「皐月賞。……あの時は本当に大変でした」

「……うむ、本当に大変であった」

 

 同意を示すやよいはしみじみと呟く。いつもの二字熟語が出ない程度には憔悴する記憶が脳裏を駆け巡るのでなるべく思い出さないようにしているのだが、アルコールが入った今は愚痴らずにはいられない。

 

「あと5年はかかるだろう改革を一気に押し進められたのは幸いでしたが、あの一ヶ月は生きた心地がしませんでしたよ」

「好機ッ! あの時勢を逃せば革命がさらに遠のいただろう。結果だけ見れば最高に近い形で終われたが、本当に疲れた……」

「パーガトリーさんがそれまでのレースで切り札を隠していたことも驚きでしたが、まさかあんな真似をするなんて。故意であったのなら無理な話とは分かっていますが、事前に相談してほしかったです」

「無力ッ! ……我々は、彼女の信頼を勝ち得てはいなかった」

 

 あの時、パーガトリーが壊そうとしたのは規則だ。それに縛られて動けないやよいやたづなに頼るという選択肢は、最初からなかったのだろう。

 二人は会見後も不甲斐ないと落ち込む暇さえなかった。日本ダービーまでの一日一日が激動の日々であったからだ。

 結局、パーガトリーと落ち着いて話せたのは、日本ダービーが終わった後であった。

 

 その後もしばらくはパーガトリーにまつわる思い出話に花が咲き、そうすると自然と話題になるウマ娘へと主題が移っていく。

 

「私、ジュニア期の頃は、マルゼンスキーさんが放っておけなかったんです」

「……推察。自分と重ねていたのだろう」

「そうですね。あの頃のマルゼンスキーさんは、私よりも救いのない状況でしたけど」

 

 強過ぎるというのは虚しいものだと、真に知っている者は多くない。

 他者からすれば贅沢どころか反感を買う物言いではあるが、こればかりは体験した者にしか理解できない感情だろう。

 マルゼンスキーは更に酷い状況下に置かれていた。競い合えるライバルはいない。それどころか周りからは畏怖すら抱かれて併走すら断られる始末。加えて、規則の所為でウマ娘の皆が憧れるレースにすら出走できない。

 あの環境で表面上だけでも明るく過ごせたのは、ひとえにマルゼンスキーの元来の明るさが大きな要因であっただろう。普通の子であれば、走ることを嫌いになっても何らおかしくなかった。

 

「でも、パーガトリーさんのお陰でマルゼンスキーさんは救われました。あの二人が同じ国で、しかも同期として出会えたのは奇跡と言ってもいいでしょう」

「感謝ッ! 三女神のお導きかもしれぬ」

「……私には、微笑んでくれなかったのに」

 

 仄暗い声音で呟かれたその言葉に、やよいはビクリと震えて冷や汗を流した。

 

(失態ッ!? 浮かれ過ぎていたかッ!)

 

 さりげなく一瞥すると、光を失った瞳でダバダバとグラスにワインを注いで口に流し込んでいるたづながいた。

 やっちまったぁー!! と、やよいは気軽に発言した過去の己を頭の中でぶん殴る。衝撃ッ!? と断末魔の叫びをあげて爆発四散する愚かな分身を荼毘に伏して、この場の空気を如何にして回復させるかに思考の全てを巡らせた。

 

(不覚ッ! 普段であればたづなも過ぎたことと流せたのであろうが、やはりアルコールが入るとダメであったか! あの二人が眩し過ぎるのも原因ではあるのだが……)

 

 世代で唯一最強と呼ばれるウマ娘にとって、パーガトリーとマルゼンスキーの関係性は魅惑の猛毒だ。

 大抵の場合、その最強にはライバルが存在しない。いれば呼称が変わっているだろう。文字通り、最も強いからこその最強だ。

 

 故に孤独。

 

 切磋琢磨して力を高め合う友がいない。

 魂から熱く燃えるようなレースに焦がれていても、隣を走るライバルがいない。

 走れば栄光と歓声が包んでくれるが、心に空いた穴が埋められることがない。

 

 時が経つと共に少しずつレースへの情熱を失っていき、まだ身体は動くというのに引退する。その運命を辿るウマ娘は少なからずいたのだ。

 そんなウマ娘から見て、至高の実力を持ちつつ、同期でライバルというパーガトリーとマルゼンスキーは羨望以外の何ものでもない。ウマ娘だって感情ある人間なのだ、羨ましくて妬ましくて仕方ないのだろう。

 やよいではその気持ちを心から理解できず、所詮は想像の範疇だ。下手な慰めは逆効果だと、己の本能が警鐘を鳴らしていた。

 

(無力ッ!! 私はなんと無力なのだっ!)

 

 やよいが己の不甲斐無さに一人打ちのめされていた時、テレビの映像が会見会場へと切り替わった。

 どうやらゴールからそれなりに時間が経っていたらしく、画面の中央には歴史的偉業を成し遂げたウマ娘──パーガトリーが立っていた。

 

『月刊トゥインクルの乙名史です。パーガトリーさん、おめでとうございます! 日本のウマ娘初の凱旋門賞勝利!! 今のお気持ちをお聞かせください』

 

 パーガトリーの勝利を信じて日本から現地に飛んだ記者がいの一番にそう質問する。どうやってその権利を勝ち取ったのかは定かではないが、レースレコードまで叩き出されたのであれば、いくらパーガトリーが現地から見て極東の島国出身のウマ娘であろうと丁重に扱わざるを得ないのだろう。

 やよいとたづなも自然と会見を注視していた。先程までの濁った空気も薄れており、やよいは内心安堵の気持ちに包まれていたのだ。

 

 次の瞬間までは。

 

『そうですね、拍子抜けしました。調整にもなりませんでした』

 

「「ぶっふ!?」」

 

 げっほごっほと咳き込んで、やよいとたづなは一時呼吸困難に陥った。

 

『なんと、やはりそうだったのですね! 洋芝やレース場に不慣れな所為かとも思っていましたが、パーガトリーさんにしては控えめなタイムだと感じていました!』

『理解を示していただき、とても嬉しいです』

 

 ──おいっ!!

 

 まさかの記者便乗に、やよいとたづなは声無き声で叫んだ。

 あの女性記者は記事のクオリティや記者としてのスタンスは手放しで誉められるのだが、自分に正直過ぎて暴走するのがたまに瑕だった。今回はそれが最悪な形で表に出たケースだろう。

 会場は騒然となっているのに、そんなことは知らんとばかりにパーガトリーは言葉を紡ぎ続けた。

 

『レース前、他の出走者に言われました。極東のウマ娘など、この凱旋門の舞台に相応しくない。とっとと田舎に帰れ、と』

『何か言い争っているのは分かりましたが、そのような内容だったのですね』

『はい。当然言い返しましたが、同時に期待もしていたのです』

『期待とは?』

『世界の中心を名乗るウマ娘の実力とは、いったいどれほどのものなのだろうと。ですがまぁ、蓋を開けてみればこの結果……』

 

 パーガトリーはわざとらしく手を顔に寄せて、口元を隠した。

 

『笑いを堪えるのが大変でしたよ』

 

 ──キレッキレ過ぎる!!

 

 祝杯を放り投げて、一気に酔いが醒めたやよいとたづなは頭を抱えた。

 

「悪癖ッ! ……否、一概に悪いわけではないのだが、彼女のあれは影響力があり過ぎるっ!!」

「相当頭にキテるのでしょう。これさえ無ければ、本当に優等生なのですが。ちょうど一年ほど前のあの会見も大変だったのに……」

 

 はぁあああ、と特大の溜息を吐き出して、二人はとある事件を振り返る。

 実はパーガトリーは皐月賞以外でも、勝利会見でやらかしたことがあった。実際にやらかしたのは記者の一人なのだが、パーガトリーの逆鱗に触れたらどうなるのかを関係者に知らしめた事件に発展した。

 パーガトリーはクラシック期において、菊花賞に挑む前にスプリンターズステークスに出走している。当然のように1着を取ったのだが、その勝利会見でバカな記者がこう質問したのだ。

 

 ──ドーピング疑惑が出ていますが、どうなのでしょうか?

 

 その場にいた者は一人残らずこう述懐している。身体の震えが止まらなかったと。

 第一として、パーガトリーはドーピングなどしていない。そもそも、皐月賞のいざこざでURAが大衆からの信用を失ったばかりなのだ。ドーピング検査をしていないわけがなく、後日客観的にも証明された。

 その記者が所属する会社は昔からゴシップ記事が多く、根も葉もない話を大袈裟に記載することで業界では有名だった。目の上のたんこぶ以外のなにものでもなく、腐敗していたURAの置き土産の代表格であっただろう。

 

 結論を言うと、その会社は半年を待たずに消えた。正確には社名を含めて内部が一新されたのだが、実質的には無くなったのと同義だった。

 

 パーガトリーは初手必殺の手を打った。

 

「カメラを持つ方、その記者を映しなさい」

 

 その命令に歯向かう者はいなかった。

 パーガトリーは淡々とした口調であったが、身の毛もよだつ怒気は映像越しでも伝わるほどだった。

 会社名と記者の名前をもう一度名乗らせ、疑惑についてははっきりと否定した上で、パーガトリーは死刑宣告を下す。

 

「先程の発言はレースに挑む私たちウマ娘と、レースに関わる全ての方々を侮辱したものです。──()()()()()()()、よく考えてから口を開いてください」

 

 その場にいた者で、言外に含まれたメッセージに気付けなかった者はいなかった。

 

 ──貴方たちに次などない。

 

 パーガトリーは日本ダービーを勝利した時点で、国民的スターにまで駆け上っている。

 そんな彼女を敵に回せばどうなるかなんて、火を見るよりも明らかであった。全国民が敵になったと言っても過言ではない。

 その会社はあらゆる方面から叩かれた。埃が出ない組織など存在しないとばかりに不正が暴かれ、真っ白な幹部を除いて上層部は全員が粛清された。元々がほぼ真っ黒だったことも合わさって、トカゲの尻尾切りなど許さない民衆の怒りがその会社を燃やし尽くしたのだ。

 不買運動などするまでもなく売り上げは下がり切り、もはや倒産する結末しか残されていないとなったが、そこに救いの手を差し伸べたのもパーガトリーだった。

 

 やよいとたづなは、舞台裏を知っている。

 

「パーガトリーさんはもう少し自身の影響力を考慮してから発言すべきです」

「美徳……。彼女の魅力的な点でもあるが、あの時は後処理が大変だったのも事実。件の会社の新社長と菊花賞の後に場をセッティングするのも一苦労だった」

「そのお陰で民間最大のウマ娘福祉事業が生まれたことは喜ばしいのですが……」

「僥倖ッ! まだ発足して一年だが、素晴らしい仕組みが生まれた! 苦労の甲斐はあったであろう!」

 

 会見という形で件の会社の新社長が、レース業界の代表として登壇したパーガトリーに謝罪。

 頭を下げるだけなら誰でも出来る、とパーガトリーが反論。

 誠意として、生活に困窮しているウマ娘がいる家庭に対しての福祉事業の展開を発表。

 パーガトリーが活動に期待して、クラシック三冠を達成して得た特別賞与である一億円を寄付。

 みんなもよろしくね! 的な感じでパーガトリーが締めた。

 

 これ全部、事前に台本を作って実行したのだ。

 やよいとたづなは橋渡し役兼脚本家として協力したが、ことの発端はパーガトリーに相談されたからである。

 

 意訳すると「やっちゃったぜ☆ ……どうしましょう?」であった。

 たづなは説教した。

 

「ウマ娘が生まれた家庭が抱える問題や、育児放棄の現状を伝えられたのが大きかったですね」

「力作ッ! あのプレゼン資料はURA全面協力! まさに渾身の出来ッ! 初の無敗の三冠ウマ娘が生まれた瞬間だったからこそ、関心も大きかった!」

 

 意外と知られていないが、一般家庭に生まれたウマ娘は厳しい環境で生活していることが多い。

 パーガトリーのように母親がウマ娘であればまだ普通に暮らせることもあるが、両親共にヒトである場合は中々に悲惨だ。

 ウマ娘とヒトでは身体のバ(りき)が違う。時速60kmで走れる脚があることから分かる通り、単純に力がヒトとは比較にならない。赤子であっても、ヒトの大人を容易く傷付ける身体能力を有している。

 また、家計的な面で見れば食費が異常に高くなる。子供であろうと食べようと思えば大人のヒトより何倍も食べられるし、燃費が悪いウマ娘は逆にそれくらい食べないと栄養失調に陥ってしまう。確かな収入が無い家庭において、これは致命的でもあった。

 

 結果、生活に困窮する。

 離婚して片親になる確率も割と高く、最悪な場合は育児放棄で孤児となるケースも少なくない。URAが運営する孤児院が各所に存在するのはこれが理由だ。

 

 トゥインクルシリーズという光の側面が強過ぎて、こういった影の現実は広く認知されていなかった。実際、パーガトリーもその時に初めて詳細な数字を知ったらしく、悲しげに表情を歪ませていた。

 

「会見前はどう転ぶか不安でしたが、パーガトリーさんが一億もの大金を寄付してくれたお陰で寄付金や企業の協賛も増えて、なんとか軌道に乗れました。こういった面でも、彼女の影響力は計り知れません」

「危惧ッ! いわばあれは権力ッ! 彼女があの出来事を経て歪まないか不安であったが、無用に振り翳すことはなかった!」

「そうですね。基本的には清廉潔白を体現した方なので。……このように、逆鱗に触れさえしなければですが」

 

 画面に視線を戻せば、海外勢のプライドをベコベコに叩き潰して心無しかすっきりしているパーガトリーが映っていた。

 

『ああ、最後に一つ』

 

 ──頼むから余計なこと言わないで!!

 

 やよいとたづなの願いは、届かない。

 

『もし日本のウマ娘と勝負したいのであれば、11月の終わりに日本で開催されるジャパンカップに出走して下さい。私は出ませんが、私の唯一のライバルがもてなしますよ』

 

「「…………」」

 

 来月末までの多忙が決定した瞬間である。

 きっとこの発言の影響は、トレセン学園やURAでは留まらない。航空会社や観光事業、下手をすれば政府などをも巻き込む日本全体の多忙を生み出しただろう。

 やよいとたづなは新たなワイングラスに酒を注ぎ、自棄になったように呷った。

 

「好機ッ!! 日本はまだレースにおいては後進国! このチャンスを逃す道理はないッ!! すでに賽は投げられたッ! たづなよ、頼りにしているぞッ!!」

「はいっ、頑張りましょう!!」

 

 二人は今どき、珍しいほどに善性の心を持っていた。

 即座に切り替えて、レース業界のために身を粉にする覚悟を決めていた。

 

 だがそれはそれとして、パーガトリーに説教することだけは確定事項となっていた。

 

 後日、トレセン学園理事長室で正座する世界最強のウマ娘がいたらしいが、それはまた別の話。

 

 

 

 

②シンボリルドルフ

 

 ──全てのウマ娘が幸せに暮らせる世界を。

 

 それが、シンボリルドルフが夢見る世界。

 

 だがそれは、シンボリルドルフがウマ娘の模範としての皇帝となってから抱いた夢である。

 

 幼少の頃は、シンボリルドルフは気性難として有名だった。

 シンボリ家という名家の中の名家に生まれ、両親から直接帝王学を学んで育ったシンボリルドルフは、獅子と呼ぶに相応しい傲慢さを宿していた。

 幼馴染であるシリウスシンボリを所構わず連れ回し、しかしレースになれば自分に並び立つ者を決して許さない。

 

 シンボリルドルフは生まれた瞬間から、自身が最強であると確信していた。

 

 頂点が自分で、それ以外は下。

 なまじ身体能力と知能が他とは隔絶した実力を秘めたシンボリ家の最高傑作であったことも、その認識を助長していただろう。

 

 トレセン学園に入学しても、その気持ちは変わらなかった。

 同期になるであろうウマ娘にも負ける気はせず、優秀な先達に対してもいずれは自分が超えるという未来を疑いすらしない。

 神バと称されるシンザンであろうと。

 怪物と称されるマルゼンスキーであろうと。

 シンボリルドルフは彼女たちを踏み台としてしか見ていなかった。

 

 その傲慢が揺らいだのは、デビューを一年後に控えた年の皐月賞を観た時だ。

 

 真の最強が、其処には君臨していた。

 

 パーガトリー。

 後にシンボリルドルフが理想と掲げる、世界最強のウマ娘。

 

 レースを観て、心から圧倒されたのは初めてだった。

 身が震えるほどの赫怒を見たのは初めてだった。

 

 想いには、世界を変える力があるのだと実感したのは初めてだった。

 

 マルゼンスキーが下らない規則の所為で、多くのレースに出走制限が掛かっていることは知っていた。

 実家の伝手もあったし、組織として半ば腐っていたURAへ隔意を抱いていたシンボリルドルフも、実は規則の改正のために行動していたのだ。決してマルゼンスキーの為という殊勝な心掛けではなく、いつか訪れる怪物退治の機会を得る為にというものではあったが。

 マルゼンスキーがクラシック期になるまでには間に合わなかったのだが、あと何年か後には変えられるだろう予定であった。

 

 そんなシンボリルドルフですら不可能だったことを、パーガトリーはいとも容易くやってのけたのだ。

 

 冷静になってシンボリルドルフの身を焦がしたのは、屈辱に塗れた怒りであった。

 

 自分が他人に圧倒され、あまつさえ一抹の恐怖を抱いたなど、許されることではない。

 シンボリルドルフは衝動に従ってパーガトリーに突撃しようとしたが、その後のレース業界は荒れに荒れて行動が縛られてしまった。実家が騒動の中心へといの一番に介入したからであり、URAの膿を取り除く絶好の機会であったためにシンボリルドルフも協力せざるを得なかったのだ。

 思えばこれが、シンボリルドルフが他人に振り回された初めての出来事だったであろう。その事実にも腹が立って仕方がなかったのだが。

 

 最強vs最強の日本ダービーが終わって、ようやく時間が取れたシンボリルドルフは真っ先に行動した。

 マルゼンスキーと共にレース場にいたパーガトリーは、想像よりも遥かに穏やかなウマ娘であった。

 

「あら、ルドルフちゃん」

「マルゼンスキー、この子は?」

「シンボリルドルフちゃん。来年デビュー予定のうちの後輩ちゃんよ!」

「ほう、この子があのシンボリ家の最高傑作ですか」

 

 初めて見る眼差しをしていた。

 ただの後輩を見る目。シンボリ家の最高傑作と知っているのにも関わらず、興味も関心も薄く、取るに足らないウマ娘を見るような紅の瞳。

 

「初めまして、パーガトリーさん。私はシンボリルドルフと申します。一つお願いがあるのですが、私とも併走をしていただけませんか?」

 

 その無関心は、シンボリルドルフの低い沸点を超えるのには充分だった。

 

「ルドルフちゃん、いきなりそんなこと言ったら」

「マルゼン、少し黙っていてくれないか」

「……はぁ、これはダメね」

 

 大きく溜め息を吐いたマルゼンスキーは、パーガトリーへと手を合わせた。

 

「パーガトリーちゃん!」

「私は別に構いませんよ」

「よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」

 

 微笑を浮かべて立ち上がったパーガトリーは、側においていた自身のバッグを漁り始める。

 

「あぁ、ありました」

「なんですか、それは?」

「特注の蹄鉄シューズです。持ってみますか? 重いので気を付けてくださいね」

 

 手渡された蹄鉄シューズを持った瞬間、シンボリルドルフの手が重力に負けた。

 

「っ!?」

「片方だけで20kgあります。本当はもっと重いものが欲しいのですが、今の技術ではこれが限界とのことで」

 

 まるで重さを感じさせずにシューズを持ち上げたパーガトリーは、黙々と履き替えて立ち上がる。

 その光景を見て顳顬に青筋が走ったのはシンボリルドルフだ。

 

「……何のつもりですか?」

「私と貴方が併走するのでしょう? ではハンデが必要です。あぁ、それと」

 

 やや幼さが残るシンボリルドルフの双眸が鋭利になる一方で、パーガトリーは余裕の態度を崩さない。

 

「敬語が苦手であれば、崩していただいて結構ですよ」

「……いえ、よろしくお願いします」

 

 バチバチに覇気を撒き散らすシンボリルドルフと、はたから見たら内心が一切見透かせないパーガトリー。

 そんな二人を見て、マルゼンスキーは薄く笑った。

 

「これでルドルフちゃんが少しは丸くなるかしら」

 

 スタートラインに並んだ二人。

 シンボリルドルフに対して、パーガトリーは一言だけ告げる。

 

「シンボリルドルフ、今回は分かりやすくしますので」

「……」

 

 無言のまま一瞥だけしたシンボリルドルフは、研ぎ澄ました集中力を発揮して前だけを見つめ直した。

 パーガトリーの言葉の意味は定かではないが、シンボリルドルフにとっては関係ない。衝動のままに勝負を仕掛けてしまったが、あそこまで虚仮にされて黙ってなどいられなかった。

 

(その余裕に満ちた表情を変えてやる!)

 

「位置について〜、よーいどんっ!」

 

 マルゼンスキーの声を合図に、シンボリルドルフは最高のスタートを切った。

 

 隣のパーガトリーは動かなかった。

 

(──巫山戯るなッ!!)

 

 重りを付けてなおハンデが必要だという判断にシンボリルドルフは気が狂いそうな怒りを抱き、激情に従って加速する。

 そして、シンボリルドルフが十歩先んじたその時だった。

 

「──領域展開」

 

 ダァンッ! という爆発音と共に聞こえた小さな呟き。

 次の瞬間、シンボリルドルフの視界が煉獄に覆い尽くされた。

 

「ッッッ!!?」

 

 肌を焼くような猛烈な熱さが背後から襲い掛かる。

 未知の現象に対し、シンボリルドルフの身体は震えが止まらなくなった。

 

(なんだこれはなんだこれはなんだこれはっ!?)

 

 ビリビリと突き刺さる埒外の威圧。

 湧き上がるのはどうしようもない強烈な恐怖と、いち早くこの場から離れたいという願望だけ。

 シンボリルドルフは己のペースなどを忘れて、スタート直後から全力疾走をする羽目になった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!!」

 

 走る、走る、恐怖に囚われて遮二無二に走る。

 瞬間速度なら今までで一番速い。未だに本格化を迎えてないウマ娘とは信じられない速度で直線を駆けている。

 なのに、背後から付いてくる気配は弱くなるどころか着実に強くなっていた。

 

 ──怖い

 ──怖いっ!

 ──私の後ろから離れてくれッ!!

 

「ああああああああああああああッッ!!?」

 

 永遠とも思える時間が過ぎて、シンボリルドルフは視界の先にゴールを見た。

 絶叫を上げながら最後の直線を走り抜けて、ゴールを越えた先でもその脚を止めず、背後の気配が完全になくなったタイミングでシンボリルドルフはようやく止まった。

 

「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」

 

 雨を浴びたかのように汗が噴き出て、肺がかつてないほどに暴れて荒い呼吸を繰り返す。

 膝に突いた手の震えが止まらず、シンボリルドルフはその場から一歩も動けない。

 

 少し遠くから、声が聞こえた。

 

「お疲れ様、パーガトリーちゃん」

「パーガトリーちゃん、ではありません。マルゼンスキー、これは本来貴方の役目ですよ」

「うぅ〜、ごめんなさーい……あたし、どうしてもこういうのは苦手なの」

「チームの後輩を指導、いえ、あの子の場合は躾に近いですか。それを行うのは先輩の責務です。しばらくは貴方との併走はなしです」

「そんなぁ〜っ!!」

 

 いやいやいやーっ! とひたすらに駄々を捏ねるマルゼンスキーと、片手で素気無く押し返すパーガトリー。

 

 シンボリルドルフは眼中にも入っていない。

 

 言葉にされずとも理解した生まれて初めての扱いに、ギリッ、と奥歯を噛み締めた。

 

(私は負けたのか……)

 

 これまで一度だって、心から敗北した経験などない。

 だが今は、全身が訴えている。

 あの人は、自分とは次元が違う領域に存在するのだと。

 

(……いや、そもそも勝ち負けじゃない。勝負にすらなっていないっ!)

 

 十分に手加減された上で、魂から屈服させられた。

 少し先の未来で過去を思い返した時、シンボリルドルフを構成していた精神性が罅割れ、楔が打ち込まれた瞬間はまさにこの時だっただろう。

 

 その事実に気付いたのは、もう少し経ってからだったが。

 

「……何をした」

 

 パーガトリーを睨み付けるシンボリルドルフは、もやは意地だけで動いていた。

 

「併走で、何をした?」

「今の貴方に知る資格はありません」

「……それは、私が弱いから、ですか……?」

「端的に言えばそうです」

 

 遠慮の無い宣告にシンボリルドルフは拳を握り締め、逃げるようにパーガトリーに背を向ける。

 零れそうになる涙をプライドだけで押し留め、その場を離れようと歩を進めた。

 

「シンボリルドルフ」

 

 名前を呼ばれても、振り返ることもできない。

 染み付いた最低限の礼儀として脚だけ止めたシンボリルドルフは、黙したまま次の言葉を待った。

 

「貴方は何の為に走るのですか?」

「……?」

 

 質問の意味が理解できない。

 ウマ娘が走るのに理由が必要なのか。

 シンボリルドルフの疑問を置いて、パーガトリーは最後に付け加えた。

 

「答えが見つかったら、また走りましょう」

 

 

 

 

 パーガトリーと併走した日から、マルゼンスキーから容赦が無くなり始めた。

 

「今日からちょびっと厳しくするから、お覚悟ね♪」

 

 パーガトリーとの併走を禁止されたことが余程堪えているのか、不機嫌ではないがシンボリルドルフへの対応がかなり雑になった気がする。

 今までのマルゼンスキーも強かったが、無意識のうちにブレーキを掛けていたのだろう。パーガトリーが息を吸うように行える意識の切り替えをマルゼンスキーなりに体得した結果、シンボリルドルフは日々の練習でも疲れ果てることが多くなった。

 

 シンボリルドルフは気付く。

 

(マルゼン、日本ダービー以降の実力が明らかにおかしい)

 

 元々が怪物と呼ばれる実力が、埒外の飛躍を遂げて最早化け物だ。

 本番のレースでは更に研ぎ澄まされるのだと思うと、肌が粟立って思わず両腕を摩ったほどである。

 

 そんなマルゼンスキーを、小細工無しの実力で真っ向から捻じ伏せたのがパーガトリーだ。

 

 強大な相手である。

 才能ではなく、努力だけで天才を超えた領域を走る求道者である。

 自身の同期にそんな存在がいたらどう思うのだろうか。シンボリルドルフにはまだ分からない。

 

 ──貴方は何の為に走るのですか?

 

 パーガトリーの質問と、マルゼンスキーに対して生まれた疑問。

 シンボリルドルフは生まれて初めて、他人に純粋な問いを投げ掛けた。

 

「マルゼン」

「……ん、何かしら?」

 

 最近練習後に消えるマルゼンスキーを追って辿り着いたのは、トレセン学園の中でも外れにある樹々が生い茂った一帯だった。

 その中心地、座り心地が悪そうな岩石の上で精神統一をしていたマルゼンスキーを見上げるシンボリルドルフは、とりあえず疑問を口にする。

 

「こんな場所で何をしているんだ?」

「ちょっとした実験みたいなものよん♪」

 

 軽々しく飛び降りて着地するマルゼンスキーは、理由を明け透けに話すつもりはないらしい。

 シンボリルドルフとしても興味はあるが、一先ずは些事と切り捨てた。

 パーガトリーと同じくマルゼンスキーもまた化け物。独自の鍛錬法があるのだろう。

 

「それでルドルフちゃん、わざわざあたしを追いかけてどうしたのかしら?」

「気付いていたのか?」

「モチのロンよ♪ ルドルフちゃんがストーカーだなんて、エッチスケッチワンタッチだわ!」

 

 何語? と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、シンボリルドルフは早速本題へと移る。

 

「聞きたいことがある」

「あら、いいわよ。なんでもござれ〜!」

 

 頭が痛い気がした。

 

「……マルゼンはパーガトリーさんのことを、どう思っているんだ?」

「唯一無二の親友だと思ってるわ」

「そういうことではなく、レースで競う相手としてだ。マルゼンは、その……不安などはないのか?」

「……歩きながら話しましょうか」

 

 そう言ってゆっくりと歩くマルゼンスキーの隣に並んで、シンボリルドルフは答えを促す。

 

「ルドルフちゃんの言う不安は、このままずっと勝てないんじゃないかっていう不安かしら?」

「……そうだと思う」

 

 シンボリルドルフは自分でもよく分かっていない。漠然と出た言葉が不安だった。

 一応の確認を終えたマルゼンスキーはくすりと微笑み、梢から覗く夕陽に目を細める。

 

「ルドルフちゃんは来年デビューよね?」

「ああ、その予定だ」

「同期だと思う子で、あなたより強い子、もしくは同等の子はいるかしら?」

 

 主題から逸れた質問に思えたが、シンボリルドルフは考える間もなく即答する。

 

「いない。少なくとも、マルゼンやパーガトリーさん程のウマ娘はいない」

「まぁ、そうでしょうね。ルドルフちゃんは今の時点でジュニア級の重賞に手が届き得る実力だもの」

「それがどうかしたのか?」

 

 シンボリルドルフにとって、それは当然のことだ。

 シンボリ家のウマ娘として。

 シンボリルドルフというウマ娘として。

 勝つことが当たり前なのである。

 

 マルゼンスキーはシンボリルドルフの顔を見詰めた。

 その瞳は寂しげで、哀れみすら含んでいるように見えた。

 

「これは経験談として聞いてほしいわ」

「……言ってくれ」

「あなたは間違いなく一人になるわ。気付いた時には、あなたの隣を走っているライバルは誰もいない。ジュニア期までのあたしと同じように」

 

 先輩の無情な宣告に、シンボリルドルフは怯まない。

 

「私はそれを望んでいる」

「……ふふっ。すごいわね、ルドルフちゃん。あたしはきっと、耐えられなかった」

 

 そう言うマルゼンスキーは、やっぱり寂しげに微笑んだ。

 

「レースに勝つことは当然嬉しいわ。あたしだって最初は嬉しい以外のことは感じなかった。地元のみんなに中央で走ってほしいって言われてここに来たし、重賞で勝った時もちゃんと嬉しかった」

 

 でもね、とマルゼンスキーは続けた。

 

「いつしか嬉しいと同時に虚しさを覚えたわ。あたしと一緒に走った子たちの顔を見て、戸惑いも抱いた」

 

 ──どうしてそんな顔をするの?

 ──どうしてそんな目で見るの?

 

 ──あたしはただ、楽しく走りたいだけなのに

 

「あたしにも悪い面はあったわ。相手を見ずに、一人で走っていたもの。それだけで楽しかった時もあったのね」

 

 自嘲するようにあっけらかんと言えるのは、パーガトリーという存在がいてこそだ。

 

「朝日杯が終わった後、ちょっと落ち込むことがあったのだけれど、そんな時にパーガトリーちゃんと出会ったわ」

 

 マルゼンスキーは本当に嬉しそうに笑った。

 

「初めて併走した時なんかはもうオドロキ桃の木! お互い本当の全力ではなかったけど、あたしよりも速い子は初めて見たもの!」

 

 それでね、と興奮収まらないという様子で、マルゼンスキーは捲し立てるようにパーガトリーとの思い出を話す。見ているだけで嬉しいことや楽しいことが伝わってくるような話振りであった。

 

 ふと、何故だか分からないが、シンボリルドルフは羨ましいと思った。

 

 そんな事を思った自分に、少しだけ驚いた。

 

「その後はルドルフちゃんも知ってるわよね? 皐月賞で世界レコードを叩き出して、その勝利会見でぶっちゃけて、色々あった結果、あたしは日本ダービーを走れた」

 

 生い茂る樹々を抜け、二人はそのまま寮への道へと歩く。

 マルゼンスキーは一人暮らしなので若干遠回りだが、話も途中なのでシンボリルドルフは何も言わずにそのまま進んだ。

 

「あの時初めて、絶対に勝つという確固たる気持ちで走ったわ。結果は負けちゃったけど、悔いはない。パーガトリーちゃんとはこれから何度も走るけれど、あれ以上に楽しいレースはきっともうないわね」

 

 それにね、とマルゼンスキーは加える。

 表情を見て、シンボリルドルフは瞠目した。

 マルゼンスキーが口元に刻んだのは、今まで見たことがない獰猛な笑み。

 彼女もまた、本能に従うウマ娘なのだと理解した瞬間だった。

 

「知らなかったの。あたしは結構負けず嫌いで、超えたいと思う壁があることに喜びを感じるなんてね」

 

 これが答え。

 

 マルゼンスキーはパーガトリーがいることに不安など砂粒も抱いていない。

 ただただ嬉しく、ただただ楽しい。

 好きなことを全力で頑張れるという気持ちが、これほどまでに幸せなものだなんて。

 

 マルゼンスキーの言葉で、シンボリルドルフは一つの答えを得た。

 あとはもう一つ、パーガトリーからの問いに対しての自分の答えだ。

 

「ちなみにだが、マルゼンスキーは何の為に走る?」

「そんなの今も昔も変わらないわ。楽しいから走るのよ。もちろん、あたしの走る姿が誰かの憧れになってくれたら嬉しいけどね」

 

 真っ直ぐで捻りのない、真理のような答え。

 ウマ娘なら当然の答えであるし、シンボリルドルフもそうだと思っていた。

 

 だが、パーガトリーにあんな質問を投げかけられて考えた時、疑問も覚えてしまった。

 

 ──本当に自分は、楽しくて走っているのか?

 ──走りたいから走っているのか?

 ──勝利が当たり前だと思っていることを、自分は本当に楽しんでいるのか?

 

 堂々巡りで思考が混迷しているのだろうシンボリルドルフを見て、マルゼンスキーは微笑を浮かべていた。

 

「別にパーガトリーちゃんはルドルフちゃんを否定したいとか、そんなことは考えてないわよ。ルドルフちゃんは賞金にも名声にも興味無さそうだし、あたしみたいな本能に忠実なウマ娘にも見えなかったから、ただ気になったんじゃないかしら」

「……そんなものだろうか」

 

 マルゼンスキーの助言を聞き終えて、寮へと辿り着いたシンボリルドルフは背後へと向き直る。

 

「ありがとう、マルゼン」

「これも先輩の役目だわ。おやすみなさい、ルドルフちゃん」

「ああ、おやすみ」

 

 

 

 それから、しばらくの時が経った。

 宝塚記念ではクラシック級のウマ娘で史上初の勝利をパーガトリーが飾り、世間でのレースに対する盛り上がりは衰える様子がない。ウマ娘のレースはこれまでも人気コンテンツではあったが、ここ最近の熱気は凄まじく、もはや日常生活の一部として浸透しているとまで言えた。

 例年通りなら夏は体調面も考慮してレースへの熱は下がるものなのだが、たとえパーガトリーがいなくとも各地で開催されているレースはほとんどが満員。かつてない好景気に、新生URAもここぞとばかり失った信用と真っ白なお金を稼いでいた。顔見知りの役員は良い意味でウハウハであった。

 

 全国的にお祭り騒ぎと言っても過言ではない情勢の中。

 対して、シンボリルドルフの表情は浮かれるとは真逆で懊悩の影が差していた。

 

「私は何の為に走る……」

 

 マルゼンスキーとの会話の後も大した進展も無いまま、気付けば夏も終わりを迎えていた。

 不幸中の幸いは、パーガトリーが色々と忙し過ぎてあれ以来会えていないことだろう。

 これほどの長期間があっても答えが出ていないのはシンボリルドルフ的には許容できないのだが、自分の中でしっくりと来る答えが出ないのもまた真実。

 

(レースに勝ちたい。これは私もそう思っている。だが何故? と問われると、私が勝つのが当たり前だからという回答が真っ先に浮かぶ)

 

 自分は上位者であるという生粋の傲慢と、己に対して嘘をつけない真面目さが同居して、明確な答えが導けない。

 

(賞金には興味が無い。名誉なら手に入れたいという想いもあるが、これはシンボリ家の名に恥じないようにという考えが強い)

 

 レースに勝って得たいもの、これが漠然として形を成していない。

 

「パーガトリーさんは何の為に走っているのだろうか……」

 

 今日は秋のG1レース第一弾であるスプリンターズステークスの日。

 クラシックディスタンスが本領と思われていたパーガトリーが出走を表明していた。

 最近の話題はもっぱらそれで、今朝からレース場が超満員であることをメディアが度々流している。

 シンボリルドルフも観戦の為にテレビの前で準備していた。

 

 思えば、ここからだったのだ。

 皇帝シンボリルドルフが、目指すべき姿を未来に見据えたのは。

 

 スプリンターズステークスでは案の定と言うべきか、パーガトリーが圧勝した。

 

 そして、パーガトリーは世間を揺るがす出来事を引き起こす。

 

 パーガトリーの対応は決して過激ではなかったのだが、穏便に済ませる気もなかったのだろう。結果的に、一つの企業が消滅して生まれ変わった。

 その間に前人未踏の記録を、神バことシンザンですら達成できなかった無敗のクラシック三冠を手に入れた。

 極め付けは11月の終わり。これまで一度も日本のウマ娘が勝てていなかったジャパンカップで、パーガトリーは外国からの刺客に影すら踏ませず大差勝ちしたのだ。

 

 シンボリルドルフは思う。

 この短い期間でパーガトリーが成し遂げた数々の偉業を。

 

 礼儀を弁えない悪徳記者を排除し、レースに挑むウマ娘の誇りを守った。

 生きることにすら苦しむ幼きウマ娘たちに、救いの手が差し伸べられる仕組みを創り上げた。

 失いかけていた日本のウマ娘の誇りを、世界を圧倒して取り戻してくれた。

 

 まさに英雄。

 かくあるべしという理想の姿。

 

 ──それに比べて、自分はなんだ?

 

「ッッ!!?」

 

 シンボリルドルフの胸の内に湧き上がった感情、それは羞恥であった。

 

 ただ名家に生まれただけの、何も成し遂げていない小娘。それが今のシンボリルドルフだ。

 だというのに、自身が頂点であるなどと幼少の頃から思い上がり、他者を踏み台としてしか見られない愚か者。

 

 恥ずかしい。

 恥ずかしくて仕方がない。

 

 シンボリルドルフというウマ娘は、こんなにもちっぽけで無様で恥ずかしい存在なのだと、魂から思い知らされた。

 

「……変わらなければ」

 

 醜く残るプライドを原動力に、シンボリルドルフは決意する。

 それすら出来ないのであれば、道化以下の唾棄すべき存在へと成り下がってしまうから。

 

 自分は一体、何を目指すべきなのか。

 その答えは探すまでもない。

 

「パーガトリーさんのように、私もならなければならない」

 

 その時、シンボリルドルフはあの時の問いの意味を、パーガトリーの言葉の真意を理解する。

 

 パーガトリーは、継いでくれる者を探していたのだ。

 

「パーガトリーさんは、ウマ娘の誇りを、幸せを守る為に走っているのか」

 

 ならば自分も、続いていかなければ。

 

 その瞬間、シンボリルドルフの視界が晴れ渡って透き通っていく。

 漠然としていた未来が光り輝き、新たな世界への道標が現れていた。

 

 ──これが、私が走る意味!

 

 答えは得た。

 叶えたい、否、叶えなければならない夢を得た。

 

 辛抱堪らず、シンボリルドルフは学園を駆ける。

 この気持ちを、この願いを、一番に伝えたい相手がいたから。

 

「パーガトリーさんっ!!」

「おや、貴方は……」

 

 目の前で泰然と佇む、自身が理想と掲げたウマ娘。

 彼女を前に、シンボリルドルフは堂々と宣言しなければならない。

 

「あの時の問いの答えが出ました」

「あの時の…………聞かせてもらえますか?」

 

 パーガトリーは思案げに瞬きを繰り返し、シンボリルドルフの表情を見て微笑を浮かべた。

 

 ──ああ、私は間違っていなかったんだ。

 

「私の走る理由は──」

 

 確信と共に、シンボリルドルフはその決意を口にするのであった。

 

 

 

 

③シンデレラグレイ

 

 ファン感謝祭で炎の呼吸の剣舞を披露したら、剣術指南役として剣客浪漫譚(人気漫画)の実写映画スタッフになった件について。

 

「パーガトリー様、本日はありがとうございました! 今後ともよろしくお願いいたします!」

「いえ、私も貴重な体験をさせていただきました。送っていただきありがとうございます」

 

 頼むから様付けはやめてくれ。トレセン学園の後輩でもない人に面と向かって言われ始めたらもう終わりなんよ。

 

 というお小言を胸に秘め、車を降りて運転手のウマ娘スタッフに礼を述べた。明らかに歳上なのだが、どうしてここまで畏まるのか。

 いやまぁね、私もやり過ぎた感はあるのよ? なんか出来そうだからって原作再現の九連撃をやる必要は無かった気もするよ? でもやってみたかったんだって。透き通る世界を体得してから、イメージさえ出来れば身体がそう動くようになったし。ただ、あれをやってから役者の方々とスタッフのみんなの態度がもう凄い。私は至高の御方ではないよ?

 まぁ、やっちまったもんは仕方がないか。主演俳優は一端の剣士に育て上げよう。大丈夫、マルゼンスキーにもやったことあるから。

 

 送迎車を駐車場を出るまで手を振って見送った後、背後の目的地──中京レース場へと向かう。

 何をしに来たかと言えば、地方(ローカルシリーズ)を盛り上げる為の活動といったところだ。

 

 私とマルゼンスキーは、名誉生徒会役員的な立場でシンボリルドルフの補佐をしている。

 理由は単純、……なんでシンボリルドルフしか役員いないの? 組織として欠陥じゃない? まぁ、あの子もあの子で在校生から畏れられているから、やむを得ない事態ではあるのだが。

 

 幅広い生徒会活動の一環として、中央以外のレースも活気付けようという取り組みが存在する。

 生徒会活動とは一体……? 学園モノ創作でよく見るタイプの、生徒会の権力強過ぎぃ! とはちょっと違う。勿論その側面もあるが、どちらかと言えば社畜ぅッ! である。

 働きたくないでござる、働きたくないでござるぅっ! と駄々を捏ねるのは簡単だが簡単じゃない。キャラ付けをミスっただけだ。

 

 初めは私も遠回しに断ったんだよ? そんな私のような庶民が生徒会活動なんて恐れ多いと。

 そしたらマルゼンスキーがまぁ駄々を捏ねた。いやいやいやいやいやーっ! と。多分、私のやりたくないという気持ちを察したのだろう。あの子、要所要所でめちゃめちゃ勘が良いからね。

 結局根負けしてこの始末よ。レースの賞金を得て働かないことを目標としてたのに、どうしてこうなった?

 

 中央(トゥインクルシリーズ)は私とマルゼンスキーの時代で不動の人気を獲得している。

 シンボリルドルフが一線を退いてからは少し落ち着いたかもしれないが、低迷することはないだろう。自分の推しという存在は必ずいるものだし、そろそろタマモクロスが完全開花する頃合いだ。あの子は次代の最強に相応しい。

 

 伴って地方にも注目は集まっているのだが、いかんせん設備や環境が整っていない。付随してウマ娘の成長が中途半端。これはトレーナー及びウマ娘のやる気の問題だろう。

 解決方法は「レースの花形は中央」という染み付いた意識の改革だが、問題は山積みだ。前途多難、一難去ってまた一難。ぶっちゃけありえない♪

 

 なんてニチアサ名曲を脳内再生してたら、関係者席へと辿り着いた。

 レースによってはコミケばりに混む観客席とは違い、ここはいわゆるVIP席なので楽と言えば楽だ。なお、居心地が良いとは言わない。

 

 何故なら……。

 

「遅れました」

「「「パーガトリー様、お疲れ様ですっ!!」」」

 

 軍隊かな? 同伴していた子たちが一斉に立ち上がり、一糸乱れぬ挨拶を受けて目が死にそうになる。

 

「お疲れ様です」

 

 もう無理だ、諦めよう。後輩の子たちは好きに呼んでくれ。

 

「パーガトリーちゃーん、お疲れー」

「パーガトリーさん、お疲れ様です」

 

 前の席で振り向いて手を振ってくるマルゼンスキーと、何故か中央の階段半ばで立っているシンボリルドルフ。

 そして、一番低い場所で呆然と立っている見知らぬ男性が一人。

 

「パッ、パーガトリーっ!??」

 

 ふむ、反応的に関係者、地方のトレーナーかな? 良い言い方がないのだが、一般人は私のことをさん付けか様付けで呼ぶ。家族以外で私を呼び捨てするのは、ウマ娘のトレーナーと先輩世代やラッキールーラといった数少ない同期ぐらいだ。

 

「ひぃっ!!??」

 

 はて、どういう状況だろうか? 疑問を口にする前に、推定トレーナーさんが露骨に怯え始めた。私、この現象よく知ってる。

 

「パーガトリー様を呼び捨てで呼ぶなど、何様のつもりですかっ!!」

 

 違うんよ、そんな反応は求めてないんよ。呼び捨てでもなんの問題もないんよ。

 敵意をダダ漏れにして、推定トレーナーさんを睨みつける十人以上のウマ娘。親の仇みたいな目で見ないであげて、可哀想でしょ。

 すっかり恐怖で縮こまっている推定トレーナーさんの助け船を出せるのは私だけである。

 

「皆さん、落ち着いてください。あと、席に座ってください」

 

 私の言葉に渋々だが従ってくれるみんな。うん、疲れる。

 

「それで、これはどういう状況ですか? そちらの方は?」

「はい。私からご説明いたします」

 

 代表してシンボリルドルフが説明してくれた。

 

 彼の名前は北原穣。カサマツトレセン学園に所属するトレーナーであり、彼が担当するウマ娘──オグリキャップの実力が国内最高水準と判明したため、中央へスカウトをしている。とのことらしい。

 ほぉん、そんな強い子がいたのか。此処に来た目的と正反対のことをしてる点に目を瞑っていいのかは分からないが、シンボリルドルフとマルゼンスキーが認めているならいいのだろう。

 

「話は分かりました」

 

 あまりない展開だがとりあえず受け入れて、まず思ったことを口に出す。

 

「それで、オグリキャップは何処にいるのですか?」

「彼女は今、ウイニングライブを行っているかと」

「うん? 何故本人がいない場でスカウトの話をしているのですか?」

 

 隠れて聞き耳を立てているウマ娘が一人いるためもしかしたらその子かとも思ったが、どうやらオグリキャップではないらしい。

 私が知らないだけでこれが正しいスカウト方法なのか? いや、流石に違うでしょ。当人への意思確認をしないでどうするというのか。

 首を傾げたところ、シンボリルドルフは若干バツの悪い顔で私から視線を外した。

 

「……時間もないため、北原トレーナーから伝えてもらおうかと」

「……シンボリルドルフ、例え話をします」

 

 最近はマシになってきたかと思っていたが、この皇帝様は相変わらずだわ。

 

 王は人の心が分からない!

 

「貴方は地方を走るウマ娘です。ライバルと切磋琢磨してレースを走っていたら、トレーナーがいきなり「中央に行け!」と言ってきました。……どう思いますか?」

「……中央に行けるのは嬉しいが、何故私の意見を聞かないのだと思います」

「貴方が今、オグリキャップにしていることは概ねそういうことです」

 

 これが弾丸論破というやつか、気持ちが良いわけでもないし何よりめんどくさい。シンボリルドルフがめんどくさい。ガチの貴族思考で、生まれ付いた傲慢が見え隠れしているこの子は時折マジでめんどくさい。

 黙り込んでしまった皇帝様。やべぇ、どうしよう。

 

「はぁい、ちゅうもーく!」

 

 こんな時はマルゼンスキーの出番だ。場を繋げる能力のレベルが私とは比較にならない。

 

「北原トレーナー、いきなりこんな話してごめんなさいね。後で連絡するから、後日オグリキャップちゃんと一緒にお時間貰えないかしら?」

「は、はい、分かりました」

「ルドルフちゃん、そういうことでいいわよね?」

「あ、あぁ、それで構わない」

「はい、決まりー! それじゃあ、北原トレーナーはオグリキャップちゃんのところに行ってあげてください。そっちにいる子と一緒にね?」

 

 ビクッ! と物陰からウマ耳が見えたと思ったら、瞬速で立ち上がっていた。

 

「すみませんすみません盗み聞きしててすみませんっ!!」

「ベルノ!? あぁっ、この子は俺が担当している子でして……」

「ベルノライトと申しますっ!!」

 

 赤べこも壊れるような超速のお辞儀連打。正直、見慣れている。私とマルゼンスキーに会ったウマ娘にとっての儀式みたいなものだと認識しているくらいには見慣れ過ぎている。

 あらあらまあまあと、軽やかに返して応対するマルゼンスキー。流石は自称みんなの先輩です。

 

 そんなこんなでその場は解散し、北原トレーナーと約束を取り付けて後日。

 

「私も来る必要があったのですか?」

「モチのロンよ♪ パーガトリーちゃんがいるといないとじゃ説得力が違うわ」

「あぁ、私もパーガトリーさんがいてくれると助かります」

 

 圧迫面接の間違いでは? 自分で言うのもあれだけど、日本の現役ウマ娘で五本の指に入るよ私たち。

 だけど、皇帝と天然に任せるのもそれはそれで怖い。というか、マルゼンスキーはこういう場では基本的に傍観を決め込むから、実質的にはシンボリルドルフのみだ。うん、やっぱり軋轢を生みそうで怖い。

 なぜ私が中間管理職みたいな葛藤をしなければならないのか? 映画撮影が終わったら海外にとんずらしてやる!

 

 前向きな決心を固めたところでカサマツトレセン学園に到着した。

 事前に話が通っていたのか理事長直々のお出迎えを受け、社交辞令を少々交わして本丸へ。

 

「こちらになります」

「ありがとうございます」

「では、私はこれで。何かあればご連絡ください」

 

 応接室へと案内された私たちは理事長と別れ、学園内では立派な扉の前に立つ。

 

「では、打ち合わせの通り、基本的には私が主導する」

「分かりました」

「がってん承知の助♪」

 

 マルゼンスキー絶対喋る気ないよね?

 

「失礼します」

 

 先行き不安のまま、シンボリルドルフは堂々と扉を開けて入室する。この子の辞書に遠慮という言葉は載っていない。

 中にいたのは四人。北原トレーナーとベルノライト、芦毛のウマ娘がオグリキャップだろう。

 もう一人の存在には若干驚いた。

 

六平(むさか)トレーナー?」

「おう、邪魔するぜ」

 

 六平トレーナーこと六平銀次郎さんは、中央トレセン学園において重鎮の中の重鎮、ベテランの中のベテラントレーナーだ。常に研鑽が求められる中央トレーナーという職を、60歳を超えて活躍してる時点で化け物である。私自身はあまり絡んだことがないのだが。

 そんな六平トレーナーが何故この場にいるのだろうか?

 

「パーガトリーさん。六平トレーナーと北原トレーナーは叔父と甥のご関係です」

 

 知ってるなら事前に教えといてくれよ。

 

「この場に同席することは知りませんでしたが……」

 

 いや知らなかったんかい。

 想定外の事態だったが、特に動揺はしない。むしろいてくれてありがたいくらいだ。これなら一方的な対話にはならないだろう。

 

「俺はあくまで立会人だ。基本的にはお前たちで話し合ってくれ」

「承知いたしました。では、早速本題に入りましょう」

 

 失礼します、と私たちも席に着いて三人と向かい合う。真ん中はシンボリルドルフとオグリキャップという形だ。六平トレーナーは誕生日席で見守っている。

 

「こうして対面するのは初めてだな。私はシンボリルドルフ。知っていると思うがこちらの二人は」

「パーガトリーと申します」

「マルゼンスキーよ」

「オグリキャップ、北原トレーナー、ベルノライト、今日は時間をとってくれてありがとう」

 

「いや、私は三人とも知らないが?」

 

「「えぇッ!!??」」

 

 おぉ、マジか。

 無難に自己紹介したが、オグリキャップの返答に北原トレーナーとベルノライトが素っ頓狂な声が上げた。というか声を出してないだけで、私含めて全員が驚いている。

 この年代のウマ娘、しかもレースに生きるウマ娘が、皇帝シンボリルドルフはおろか私やマルゼンスキーすら知らないとは。自意識過剰ではないが初めて見た。

 

 何となく初見でそんな気はしてたが、どんだけ世間に興味がないんだ。ちょっと不安になるレベルである。

 気付けばベルノライトがオグリキャップの両肩を鷲掴みにして、がっくんがっくんと前後に振り回していた。

 

「オ、オグリちゃんっ!? 本当に、本当に知らないの!? 【皇帝】シンボリルドルフさん、【スーパーカー】マルゼンスキーさん、【ワールドブレイカー】、【原点にして頂点】パーガトリー様だよ!!」

「う、うん、知らない」

 

 やめてくれ……その異名は私に効く。出来れば面と向かって言わないでほしい。それは様付けよりキツイんだ。

 無垢な発言で私のHPを削りつつ、ベルノライトはオグリキャップをぶん回す。

 

「現代日本のウマ娘でこの三人を知らないなんてオグリちゃんだけだよっ!! オグリちゃん本当に地球人っ!?」

 

 それは言い過ぎじゃない? この子意外と容赦無いな。

 当のオグリキャップは友達からの言葉の暴力にガチ凹みし、話し合い前から意気消沈していた。

 まぁまぁと北原トレーナーがベルノライトを何とか宥めて、やっと本題に入ることに。

 

「単刀直入に言おう。オグリキャップ、君を中央へスカウトしたい」

「中央とは何だ?」

「……語弊もあるだろうが、簡単に言うと、現状日本で一番強いウマ娘たちが集まるところだ」

 

 この子の説得大変そうだなー。

 北原トレーナーは何も言わなかったのだろうか? 同じことを思ったのだろうシンボリルドルフも流し目をしていたが、彼は頭を押さえていた。成程、オグリキャップの問題だな。

 だが意外なことに、オグリキャップは少しだけ目を輝かせた。

 

「強いウマ娘……楽しそうだ」

 

 おっ、これは脈アリかな?

 

「オグリキャップ、私たちは君の実力を高く評価している。中央に来て、最強を目指してみないか?」

 

 シンボリルドルフも同じ感想を抱いたのかそう攻めてみる。

 オグリキャップは少し固まって、北原トレーナーへと顔を向けた。

 

「キタハラも中央に行くのか?」

「いや、俺は……」

 

 オグリキャップの無邪気な眼差しに、北原トレーナーは口籠もって下を向く。

 

 ……そういうことね。

 

「俺は中央のトレーナーライセンスを持ってないんだ。だから俺は、中央には行けない。行くならオグリ一人だ」

「じゃあ私も行かない」

 

 オグリキャップの即答に、一番動揺したのは北原トレーナーだ。

 

「キタハラと一緒に東海ダービーで勝つ。それが私たちの夢だ」

 

 無垢な子供のような宣言に、北原トレーナーは顔に苦渋と喜びを滲ませた。……ふんふむ、一気に複雑になってきたな。

 シンボリルドルフは冷徹に状況の見極めに入っている。方向性を模索しているのだろう。

 正直、ここからひっくり返すのは難しいが、場合によってはいける可能性もある。

 まず必要なのは、オグリキャップというウマ娘がどういうウマ娘なのか探ることだ。

 

「それは残念だ。だが、私としてはもう少しだけ話をしたい。よいだろうか?」

「あぁ、構わない」

 

 ここで初手を間違えるとスカウトは失敗するだろうが、シンボリルドルフなら問題ない。

 

「東海ダービーについては私も知っている。名古屋レース場で開催されるダート2000の歴史あるレースだ。オグリキャップはずっと前から東海ダービーを走りたかったのか?」

「いや。キタハラやマーチが言っていたから、私も走りたいと思った」

 

 だろうね。私たちを知らないくらいだ。特定のレースに思い入れがあるとは思えなかった。

 マーチというのが誰かは分からないが、多分同級生のライバルだろう。

 

「子供の頃からの夢というわけではないのかな?」

「ああ、カサマツに入ってから知った」

「そうなのか。では、一つ聞きたいことがある」

 

 どうやらシンボリルドルフが思い描いた絵図は、私と違いは無いようだ。

 

「オグリキャップ、君はどうしてレースを走るのだろうか? 私が思うに、君には大望があるわけではなく、名誉や賞金にも興味が無さそうだ。だから少し、気になってね」

 

 ここで得られる答えによって、スカウトの行方が決まる。

 シンボリルドルフの問いに、オグリキャップは束の間の時間沈思して、答えを口にした。

 

「私は小さい頃、膝がすごく悪かった。歩くことも、立つことにも苦労した」

 

 大切な思い出を振り返るオグリキャップは、優しげな笑みを浮かべる。

 

「今こうして私が走れているのは、お母さんが毎日何時間もマッサージしてくれたお陰だ。私にとっては、走れるということが奇跡なんだ」

 

 かけがえのない宝物を見せるような、そんな笑顔でオグリキャップは締め括った。

 

「だから私は走るんだ」

「……そうなのか。話してくれてありがとう、オグリキャップ」

 

 この良い話の雰囲気で思うのは気分的に微妙だが、私はワンチャンあるなと思った。

 オグリキャップに中央で走りたいと思わせることさえ出来れば、可能性はあるはず。

 

 魂から揺さぶるような衝撃があれば……。

 

 そして、シンボリルドルフは──

 

「最後に私から言えるのはこれだけです。北原トレーナー、どうか、オグリキャップにとって『一番の選択』を考えてあげてください」

 

 皇帝としてそう告げた。

 

 ──は?

 

 

 

 

「「「「「ッ!!?」」」」」

 

 瞬間、室内の空気が一変する。

 パーガトリーが突如として荒々しい圧を放ったからだと、即座に理解できたのはマルゼンスキーだけであった。

 見なくとも分かる。虎の尾を踏んだのだと。

 

「シンボリルドルフ。貴方の言う「オグリキャップにとって一番の選択」とは、一体何を指し示しているのですか?」

「……え?」

 

 矛先が自身に向いていると思っていなかったためにシンボリルドルフは呆然と呟くが、返答を待つことなくパーガトリーは続けた。

 

「パーガトリーというウマ娘にとって一番の選択を。そんなことを言われても、私には何が正解かなど分かりません。私はこれまでの人生において、たくさんの失敗を経験しています。好き勝手に生きてきましたので、それはこれからも変わらないでしょう。人間とはそういうものだと思っています」

 

 静かに、ゆっくりと紡がれる言葉。

 口調や声音は冷静そのものだが、滲む気配は苛烈な炎を幻視されるほどの怒気だ。

 張り詰めた空間に耐性の無いベルノライトと北原は、パーガトリーが発する強烈な圧に震えが止まらなくなっていた。

 

「シンボリルドルフ、貴方は違うのですか? 貴方はこれまでの人生において一度の失敗も無く、常に一番の選択を選んで生きてきたのですか?」

「……いいえ、私も多くの失敗を経験しています」

「では、自分の一番の選択も選べていない貴方が、どうして会ったばかりの他人であるオグリキャップの一番の選択を、知っているかのような口振りで話したのですか?」

「…………」

「貴方が先ほど口にした一番の選択とは、誰が考えたもので、誰にとっての一番の選択なのですか?」

「…………」

「質問に答えなさい、シンボリルドルフ」

「……私が考えた、私にとっての一番の選択です」

 

 重苦しく吐き出された言葉を聞いて、パーガトリーは一息だけ漏らして怒気を散らす。

 平然としていたマルゼンスキーを除いて全身にのし掛かっていた重圧から解放された面々は、思い出したように息を吸って呼吸を整えた。

 立会人の立場で同席していた六平は冷や汗一つ流すだけだったが、内心では舌を巻くほかない。

 

(これがパーガトリー。世界最強のウマ娘の一角か……俺も長いことこの業界にいるが、これほどのウマ娘は初めて見た)

 

 歴戦の経験を持つ六平ですら気圧されかねないこの風格。近くであらあらまあまあと微笑むマルゼンスキーも同格だが、意識が切り替わった時に放たれる圧の酷烈さはパーガトリーに軍配が上がるだろう。

 とんでもない奴が生まれたものだと六平が感心する中で、パーガトリーは数秒だけ瞑目した後、シンボリルドルフへと向き直った。

 

「シンボリルドルフ。私は偉ぶって講釈を垂れるのはするのもされるのも嫌いです。ですが、貴方には必要だと思いました。あくまで私の個人的な意見ですが、聞くつもりはありますか?」

「お願いいたします」

 

 迷う素振りすら見せず、シンボリルドルフは頭を下げた。

 殊勝とも言えるその態度を見て、パーガトリーは前に座る三人に視線を合わせる。

 

「北原トレーナー、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「は、はい。それは構わないんですが……」

「オグリキャップとベルノライトも、構わないですか?」

「ああ、問題ない」

「はい、大丈夫です!」

「六平トレーナーもよろしいでしょうか?」

「構わん」

「ありがとうございます」

 

 先ほどまで怒気を纏っていた者と同一人物だとは思えない淑やかな微笑みにオグリキャップは面食らうも、目の前のウマ娘が只者ではないことだけはこの短い間で理解できた。

 あれあたしは? と首を傾げているマルゼンスキーを置いて、パーガトリーは顔を上げていたシンボリルドルフへと視線を戻す。

 

「シンボリルドルフ、貴方は以前言っていましたよね。なんでも気楽に相談してほしいけれど、皇帝という立場が皆を萎縮させてしまうと。それを変えるために努力していると。間違っていませんか?」

「はい。今でも変わっていません」

「率直に言って、その状況を変えるのは難しいでしょう」

「……何故でしょうか?」

「それは、貴方がシンボリルドルフだからです」

 

 禅問答のような回答にオグリキャップは小首を傾げるが、気にせずパーガトリーは続けた。

 

「日本が誇る名家であるシンボリ家の最高傑作。幼い頃から英才教育を施され、頂点に立つことを義務付けられたウマ娘。それがシンボリルドルフです。これが何を意味しているか、分かりますか?」

「……皆が私をそういう風に認識している、ということですか?」

「違います。原因は皆ではなく、貴方にあります」

 

 ここまで来てオブラートに包むような真似はしない。

 パーガトリーは目の前の少女が傷付くことを分かった上で、はっきりと告げる。

 

「貴方は、人の上に立つことしか出来ないのです。教え導くことは出来ても、寄り添い支えることは出来ない。そういう風に教育されて育ったのです」

「っ!」

「耳障りな言い方をすると、貴方は無意識に上から目線の発言や振る舞いをしています。それが当たり前だったのでしょう。また、周りも貴方の言動に対して、疑問に思うことはありません。何故なら貴方には、絶対的なカリスマが備わっているから」

「…………」

「そして、そのように長い年月を掛けて完成された性格や言動、カリスマなどは、余程のことが無い限り変わることはありません」

 

 シンボリルドルフは黙ったまま俯いている。

 心当たりがあって打ちひしがれているのか、そんなことはないと反論する為に過去を思い返しているのか。

 

 残念ながら、パーガトリーはここで手心を加えるほど甘くはない。

 

「今までは指摘するほどではなかったのですが、先ほどの北原トレーナーに対する発言は看過できませんでした。あたかもオグリキャップを慮った助言の(てい)をしていましたが、あれの本質は印象操作と思考誘導が混ざった脅迫に近いものです。皇帝シンボリルドルフという上位者の立場を利用した」

「──パーガトリーちゃん、そこまでにしてあげて」

 

 玲瓏な声が室内に響き渡り、その場にいた全員の動きが止まる。

 はっ、とパーガトリーは顔を上げて、シンボリルドルフを挟んで反対側にいたマルゼンスキーを見ると、眉尻を下げた表情で胸の前で指を重ねてばつ印を作っていた。

 

 パーガトリーが視線を下げれば、威厳ある姿とは程遠いシンボリルドルフが俯いたままでいる。

 後悔の念を滲ませつつも、パーガトリーは思考を切り替えて最後に伝えるべき言葉を整理し、穏やかな声音を心掛けて口を開いた。

 

「シンボリルドルフ。勘違いしてほしくはないのですが、私は貴方の生き様を否定しているわけではありません。むしろ、貴方のような存在は必要です。比類無いカリスマと善性の心を持った貴方のような存在がいなければ、組織は腐っていきます。旧URAのように」

 

 旧URAという言葉は大きく響いたのか、シンボリルドルフのウマ耳がぴくんとだけ跳ねた。

 パーガトリーはその様子を観察しながら、最終的に伝えたかった言葉を慎重に紡ぐ。

 

「そして、貴方の努力を否定するわけでもありません。ですが、貴方が歩もうと決意したその道は、貴方が思っている以上に困難が多い道であることを知っておいてほしかったのです。でなければいつか、貴方自身と、貴方の周りを不幸にすると思いました。私からは以上です」

「……はい。ありがとうございました」

 

 絞り出すようにして溢れた謝意を受けて、パーガトリーは穏やかに微笑んで手を動かす。

 優しく、手のかかる妹を慰めるように、初めてシンボリルドルフの頭を撫でた。

 

「頑張りましょう、シンボリルドルフ」

 

 さらさらと流れる髪に合わせて数度だけ撫でてパーガトリーは手を離し、マルゼンスキーにアイコンタクトを送る。

 微笑みで応えたマルゼンスキーは、小さく手を打って注目を一身に集めた。

 

「さて! 急にごめんなさいね。オグリキャップちゃん、最後にパーガトリーちゃんからお話があるから、今日はそれでお終い。あたしとルドルフちゃんは先に席を外しちゃうわ。北原トレーナー、それで大丈夫かしら?」

「え、えぇ。分かりました」

 

 終始押されっぱなしの北原はなんとかそう答え、オグリキャップも別に構わないと態度で示して同意する。

 二人の返答を受けてマルゼンスキーは立ち上がり、シンボリルドルフの肩へと手を置いた。

 

「ルドルフちゃん、行きましょう」

「……あぁ、分かった」

 

 よろよろ、とまではいかないが、普段を知っている者なら体調不良を疑う足取りでシンボリルドルフは立ち上がり、マルゼンスキーに連れられてドアまで歩いていく。

 ベルノライトはここまでずっと固まっていたが、視線だけはちゃんと動いていた。気まず過ぎてそれ以外にやることが無かったとも言える。

 だからこそ、シンボリルドルフの様子に気付いたのかもしれない。

 

(……あれ? シンボリルドルフさん、顔がちょっと紅い……?)

 

 もしかしたら本当に体調不良だったのかも、と自分は何もしていないのにベルノライトは申し訳なさで一杯になる中、シンボリルドルフは一度だけ振り返った。

 

「先程の失言、大変申し訳ありませんでした」

 

 最後に頭を下げながらそう言い残して、シンボリルドルフとマルゼンスキーは退室した。

 

 

 

 

「「「「「……………」」」」」

 

 沈黙、圧倒的沈黙……っ!! ざわざわ、ざわざわという音が聞こえてこないのに頭の中で響き渡っているようだ。

 

 うん、余裕あるわ。私の心は多分、反省してない。

 

 とはいえあーあ、またやっちゃったよまた。いっつもこう、我慢できずに言っちゃうんだよぁ。見敵必殺というか、目には目を歯には歯をというか、そういうのが心根まで染み付いて取れないのだ。……もしかして私ってヤバい奴?

 いや、そんなことはない。極めて常識的な感性を持っているはずだ。マルゼンスキーと比較しよう。……うん。問題児と問題児を比べても良いことなんてないわ。

 

 冷静になってきた。

 とりあえずこの場をどうにかしよう。

 

「みなさん、申し訳ありません。空気を悪くしてしまいました」

「衝動で動くお前さんの悪い癖だな」

「六平トレーナーにもご迷惑をお掛けしました」

 

 えっ? 私ってそんなふうに思われてたの? 小気味良く返してくれた六平トレーナーはありがたいのだが、衝撃の事実にメンタルダイレクトアタックなんですけど。

 ……この風評被害、きっとたづなさんの所為だ! 私は悪くないのにいっつもたづなさんが説教ばかりするからだ、そうに違いない!

 どこまでも追ってくる緑の悪魔と同じ性質を持ったある意味で学園最高権力者に責任転嫁して、私はかろうじて平静を取り戻した。

 

「まあ、お前さんの言葉には概ね同意できる。お前さんが言わなければ、俺が東条の小娘に小言を言っていただろう」

 

 それ絶対小言じゃ済まないやつ。この人なら東条トレーナーに「お前、担当ウマ娘にどんな教育してるんだ、ああ?」くらい普通に言いそう。てか多分、この後本人に言うと思う。南無……。

 過ぎたことは置いといて。六平トレーナーも同意見だと判明し、それでも俺は、間違えてなどいなかった! とメンタルが完全回復したので本題を終わらせよう。

 

 何の為に此処に来たのか。

 オグリキャップのスカウトである。

 

「オグリキャップ、最後に私からよろしいでしょうか?」

「答えは変わらないと思うが」

「これはあくまでお願いです。私は貴方の選択を尊重しますが、私個人としても、オグリキャップが中央で走っている姿を観たくなりました」

 

 ()()感じ、才能は申し分ないのだ。できれば強者と切磋琢磨してほしい。

 

「お願いは三つです。一つ目は、よく相談して決めてほしいこと。北原トレーナーやベルノライト、お母様とも改めて話してみてください」

「分かった。あとの二つは?」

「オグリキャップは日本ダービーというレースを知っていますか?」

「知らない。東海ダービーの親戚か?」

 

 そうだと思った。

 自分で言うのもなんだが、私たちの日本ダービーは伝説扱いだからね。私たちを知らないなら、日本ダービーも知らないだろう。

 ベルノライトがまた異星人を見る目でオグリキャップを凝視しているが、ちょっと無視させてもらおう。

 

「名前の通りです。その世代における日本一のウマ娘を決めるレースですよ」

「日本一……」

「ちなみに私は、その日本ダービーで勝っています」

「つまり君は日本一なのか?」

「ふふっ、それはどうでしょう」

 

 やっぱり食い付いてきた。

 オグリキャップは典型的なウマ娘だ。走りたいという本能が誰よりも強い。

 

 故にこの子は、友情や仁義よりも、最終的には強者を求める。

 そんな気がする。

 

「二つ目のお願いは日本ダービーを観てほしいこと。あと、東海ダービーのレースも観てほしいです。レース映像なら、学園にあるでしょう」

「分かった。最後の一つは?」

 

 最後は駄目押し、魔法の言葉。

 

「一つ目のお願いと矛盾するかもしれませんが……」

 

 一呼吸だけ溜めて、オグリキャップの瞳を真っ直ぐに見詰める。

 

「オグリキャップ。心のままに決めてください。自分が走りたいと思ったレースを走ってください」

「──分かった」

 

 この子はとても素直で助かる。どこかの皇帝とは大違いだ。

 シンボリルドルフももちろん良い子だし、粉骨砕身滅私奉公の精神としか思えない働きでレース業界に尽くしていることは重々承知している。

 

 ただ、あの子は色々と面倒くさいのだ。

 

 今回みたいに庶民の気持ちは理解できないところとか、私に変な理想像を押し付けている気がするところとか、親しまれたいからダジャレを極める()という頓珍漢な方向に努力し始めるところとか。……シンボリルドルフのダジャレを聞いた後輩の子たちに、体調が悪いのではないかと相談されたことは両手の指の数では収まらない。

 手のかかる妹分的な気持ちで見守れないのはあれだな、第一印象が悪過ぎたからだろう。傲慢着飾った貴族のクソガキというイメージがどうしても離れない。このご時世でまだこんな子がしかも日本に存在しているのかと初対面の時には思ったものだ。

 なお、マルゼンスキーにその所感を伝えたところ、絶対に本人には言わないであげてねと苦笑しながら釘を刺されたので黙っている。

 

 長居し過ぎた。そろそろお暇しよう。

 だが、ここまで迷惑をかけておいて即退散は少々心苦しい。

 

「私からは以上です。何か質問はありますか? お詫びも兼ねて、なんでもお答えしますよ」

 

 オグリキャップは絶対興味無いだろうが、これでも私とマルゼンスキーは生きる伝説と呼ばれるスターウマ娘だ。誰か一人くらいは釣れるだろう。

 

「私は特に無いが」

「パーガトリー様に質問なんて、畏れ多いです」

「俺も遠慮しようかなー……」

「なら、俺から聞きたいことがある」

 

 六平トレーナーが釣れるんかいっ。

 まあいい、私に二言は無い。

 

「何でしょうか?」

「お前、なんでドリームシリーズに出ないんだ?」

 

 …………それかぁ、それを聞いちゃうかぁ。

 これまで明確な理由を濁し続けてきたそれを。

 

「キタハラ、ドリームシリーズとはなんだ?」

「簡単に説明するなら、中央でも特に優秀な成績を残したウマ娘だけが出られる、ファンにとっては文字通り夢のようなレースだな。パーガトリーなら絶対に出られるし、なんなら出てほしいと思っているファンは山のようにいるだろう」

「その話題になるとのらりくらりと逃げているから、理由が気になってな」

 

 成程、ただの興味本位か。もし出ろと説得されようものなら、全力で拒否していたところだ。

 心無しかベルノライトの瞳が輝いている。……やめてくれ、そんな目で見ないでくれ。私にとっては断固拒否に値するが、ごく普通のウマ娘からしたら、「え、そんな理由で?」と言われかねないくらいには自分勝手な理由なのだ。

 

「……オフレコで頼みますよ?」

「任せろ」

「皆さんもよいですか?」

「誰にも言わなければいいのだな? よく分からないが分かった」

「はいっ!!」

「俺も約束する」

 

 これはマルゼンスキーとトレーナーしか知らないから、全集中の呼吸に並ぶトップシークレットなのだが、出血大サービスで本音を明かそうじゃないか。

 ポケットからウマホ(スマホでよくない? と何度でも思う)を取り出して、とある動画を検索。どうせならオグリキャップでも知っている子がいいだろうと、シンボリルドルフのそれを探してみる。

 

「オグリキャップ、ウイニングライブはご存知ですよね?」

「ああ、私も踊ったことがある」

 

 ちょっと胸を張るオグリキャップ。

 え、こんな子でもウイニングライブって肯定派なの? 否定派のウマ娘と出会ったことがないんだけど。

 

「ノルンが教えてくれたから、私もちゃんと踊れるぞ」

「オグリちゃん、最初は盆踊りだったもんね」

 

 なんだ、ただの友達自慢か。オグリキャップのような世間に全く興味が無いウマ娘ですらウイニングライブ大好きだったら、私に心から共感してくれるウマ娘は存在しないだろう。

 

 おっ、動画見っけ。

 

「ドリームシリーズでも、当然のようにウイニングライブがあります。ご覧ください」

 

 ウマホをオグリキャップの正面に置いて、私は全力でウマ耳を畳む。

 地獄だ、ここからは地獄である(※個人の見解です)。

 

『位置について〜、よーい……どんっ♪』

 

 やたらと耳に残るキャッチーなメロディの後、手を繋いだウマ娘三人がステージから駆け下りた。

 センターにいたシンボリルドルフは、お前本当にシンボリルドルフ? と思わんばかりの溌剌とした笑みを浮かべ、自前のウマ耳があるのに頭上へと両手を運んでそして……

 

『うーーー、うまぴょい、うまぴょい♪』

 

 ──耳と脳と精神が破壊されるっ!!

 

 もはや画面すら見たくなくなったので、私は窓から覗く青空へと視線を集中させた。

 誰だよこんな電波ソング作った奴っ!! 一体どれほどのワインを空にすれば、これほどの曲をっ!? ……いや、この曲自体に罪は無い。許せんのは過去のURA上層部だ。お前らも絶対酒飲みながら選曲会議してただろ! なにを歌わせようとしとるんじゃい。赤チン知ってる現代っ子なんてマルゼンスキーしかいないだろーがッ!! 改革派もそのままにしてるんじゃないっ!

 

 狂気の数分間を罵詈雑言で乗り切った私は、そそくさとウマホを回収した。

 

「オグリキャップ、どう思いました?」

「なんだそれは?」

 

 眉間に皺を寄せて、困惑と羞恥が入り混ざった顔のオグリキャップ。

 

 ……どうやら俺達は親友のようだな。

 

「これがドリームシリーズのウイニングライブに採用されている曲、『うまぴょい伝説』です」

「うまぴょい伝説……」

「私はこの曲を歌って踊りたくないから、ドリームシリーズへの参戦を断固拒否しています」

「それが理由だったのか……」

 

 ドリームシリーズのウイニングライブに立ちたいと憧れているちっちゃなウマ娘たちには大変申し訳ないのだが、うまぴょい伝説は人の尊厳を削る大変危険な代物である(※しつこいようだが個人の見解です)。優勝賞金は1億円と中々だが、私はたとえ10億出されてもあれは歌って踊らないと心に決めていた。マルゼンスキーも一度だけ駄々を捏ねたが、私のガチ具合にすぐ諦めたほどである。

 ベルノライト的には衝撃の事実だったのか目を丸くしているが、北原トレーナーは苦笑いしか浮かんでいない。そうだろうそうだろう。ウマ娘ではないまともな感性なら、あれは罰ゲーム以外のなにものでもないだろう。

 その点シンボリルドルフはすげーよ、完璧な振り付けと歌声でやりきるんだもん。……やっぱり皇帝のキャラ付け崩壊してない?

 

「オグリキャップ。走るレースの決め方はこのように単純で良いと思います。自分が走りたいか、それだけです」

 

 日本に戻ると晒されるストレスの原因を吐き出せて少しスッキリした。

 最後の最後で思いっきり空気が弛緩したが、せっかくなので良い話ふうに持っていこう。

 

「では、私はこれで。オグリキャップ、悔いの無い選択をしてください」

「ああ、分かった。今日はありがとう」

 

 見送りは不要と言って立ち上がり、私は一礼して退室する。

 

 さーて、帰ろう。

 

 

 

 

「マルゼン、一ついいだろうか?」

「何かしら?」

「マルゼンは私の振る舞いや言動で、無意識なうちの上から目線を感じたことはあるだろうか? できれば遠慮はしてほしくないんだ」

「んー、……あるかないかで言えば、あるわ」

「例えばどんなものだろうか?」

「そうね。印象的なのは……ルドルフちゃんって「相手の視座に立って考える」ってよく言うじゃない? これって自分が上だと思ってないと絶対に出ない言葉だから、その、ね……」

「……そうか」

 

 カサマツトレセン学園の校門近くで、シンボリルドルフは覇気の薄れた表情で軽く俯いた。

 

「滑稽だな。そんなことにも気付いていなかったなんて」

 

 明らかに落ち込んでいるシンボリルドルフの顔を、マルゼンスキーは眉尻を下げて覗き込む。

 

「ルドルフちゃん」

「……なんだろうか?」

「パーガトリーちゃんに頭撫でられて、恥ずかしかったけど嬉しかったんでしょ?」

「なっ!? なんだ突然っ!?」

「うふふー、図星かしら〜」

「マルゼンッ!!」

 

 くすくすと笑うマルゼンスキーに、シンボリルドルフはそれ以上強く出られない。

 眼差しが特殊なのだ。マルゼンスキーは後輩に対して、常に慈愛をもって接している。彼女の瞳に慈愛以外の感情が宿るのは、パーガトリーとレースで対峙する時だけだ。

 皇帝シンボリルドルフとしてはそのあからさまな後輩扱いは悩みの種ではあるのだが、ただのシンボリルドルフとしてはくすぐったい感情が湧き上がって、気分としては悪くはなかった。

 だからといっても、今回のからかいは普通に恥ずかしい。本心を見破られた挙句、そんな慈しみに満ちた眼差しを向けられては堪らない。

 

「落ち込んでばかりなんてノンノンよ。これを糧にして、ルドルフちゃんは成長できる子だもの」

「……全く、敵わないな」

 

 気付けば、心の靄は無くなっていた。

 パーガトリーも言っていたではないか。多くの失敗を経験してこその人生だと。

 シンボリルドルフが目指す理想の為にも、この経験を糧に前へと進むのみだ。

 

「心機一転。ここからまた始めよう」

「ふふっ、バッチグーよ」

 

 シンボリルドルフは決意を新たにして蒼穹を見上げる。

 晴れ渡る空はまるで祝福のように透き通って眩しく輝いていた。

 

「パーガトリーちゃんも終わったみたいね」

「そのようだな」

 

 校舎から出てきたパーガトリーを出迎える為に、シンボリルドルフとマルゼンスキーは歩を進める。

 その足取りは先程までとは異なって、皇帝に相応しい威風堂々とした歩みであった。

 

 

 

 






たづなさん
 凱旋門賞の後に呼び出したパーガトリーに弁明を求めたところ、「足元で子犬がキャンキャン吠えてたら最初はあらまあと思いますが、それが十数匹に増えて延々とキャンキャンキャンキャン鳴いてたら蹴飛ばしたくなりませんか? 私はなりました」という最低な言い訳を受けて割とガチでキレた。

理事長
 パーガトリーには色々と感謝してるし、功績の大きさは類を見ないものなので苦言を呈す程度に抑えている。
 たづなさんが率先して説教するので出る間もない面もある。

シンボリルドルフ
 媒体によってキャラがブレまくる皇帝様。今回はシリアス風味が強い漫画版を採用。
 幼少の頃から自身が頂点だと思っていたが、パーガトリーの所為で鼻っ柱を盛大に叩っ斬られた。
 そして、英雄然としたパーガトリーの後継者となるべく皇帝として歩み始めることに。……どうしてそうなった?
 漫画では「人の心とかないんか?」と思わずにはいられない言葉のナイフを振り翳しまくる。
 なお、パーガトリーからめんどくさい子認定されていることは知らない。

オグリキャップ
 漫画シンデレラグレイの主人公。
 かなりちっちゃな頃はレースを観ていたようだが、走れるようになってからは観ていないためパーガトリーも知らない。
 オグリキャップがクラシック級となる何年か前にURAの規則が改正されているため、クラシックレースに出走は可能である。果たして……。
 なお、家庭としてはパーガトリーが発端で生まれた福祉事業の支援を受けており、母親にパーガトリーに会ったと言ったら事の経緯を説明させられ、失礼な真似をしちゃダメと割と真剣に注意された。

ベルノライト
 割と容赦無い面がたまに見受けられる子。この度、オグリキャップを非地球人扱いにした。

北原トレーナー
 漫画ではよく心折れずにトレーナーを続けられたなと思う。メンタルクソ強トレーナー。

六平トレーナー
 60歳台でG1ウマ娘を育成できる第一線トレーナー。普通に化け物だと思う。

タマモクロス
 名前だけ出演。パーガトリーと面識あり。
 こちらも支援を受けており、手続きの際に偶然パーガトリーと遭遇した。
 あまりの興奮におっちゃんの元へと招待し、その時にパーガトリーがおっちゃんの身体の中身を視ている。

マルゼンスキー
 シンボリルドルフが関わることでストッパー役を担うことが多くなった。パーガトリーとシンボリルドルフの関係性に一番気を遣っている。
 ファン感謝祭でパーガトリーを剣舞を観て、あたしもやりたーい! とパーガトリーに突撃した。
 水、花、炎、雷、風、霞、日のどれがいいですか? とパーガトリーに提案された時、直感で選べと言われて「全部!」と答えた。パーガトリーを遠い目にさせた。
 結局、上記以外も含めてパーガトリーが見様見真似で再現できた型で、気に入ったものを取り入れた【森羅万象の呼吸】を修得した。

 ──全集中・森羅万象の呼吸
 ──【月の型 常夜孤月・無間】

 が特にお気に入り。
 なお、斬撃は飛ばない。

パーガトリー
 基本的には大人びているが、振り切れる時は一瞬で振り切れるタイプ。
 スプリンターズステークスの会見の時は、【撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ】の至言のもと、コイツはマジで一回潰すと思ってしまった。まさか会社ごと逝くとは思いもしていなかったので、理事長とたづなさんに泣き付いた。たづなさんに説教された。
 凱旋門賞ではスタート前からストレスが募りまくり、勝利を確信した最後はあえて流すことで鬱憤を晴らそうと決めた。海外勢のプライドをベコベコに叩き潰してスッキリしたが、帰国後たづなさんにガチギレされた。
 初めて剣舞を披露した数年後のファン感謝祭でマルゼンスキーとの殺陣を披露したが、「また観たいけど怖い」「本気で斬り合っているようにしか見えない迫力が凄い」「心臓に悪い。でも観たい」と大反響過ぎた。マルゼンスキーと一緒にたづなさんに説教された。
 なお、上記3つのうち、反省したのはスプリンターズステークスのみである。

 たづなさんと理事長を透き通る世界で視た。二度見した。

 シンボリルドルフへの問いに関しては何も考えていなかった。マルゼンスキーが正解。領域は展開してみたかった。
 ジャンプカップの後にやって来たシンボリルドルフから、「あの時の問い」と言われた際は、「え、何の話?」と内心思っていた。ぶっちゃけ忙し過ぎて何も覚えていなかった。
 その後、答えを聞いた際には「この子やべー子だ!」と認識が確定。以降、シンボリルドルフに対してはめんどくさいが一番に付いて回ることになった。

黒沼トレーナー
 胃薬とズッ友になった。




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