SPIDER-MAN Quintessential Quintuplets   作:まゆはちブラック

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試練なくして人生なし


by スタン・リー




Ⅰ Birth of the SPIDER-MAN!
#1 すべてのはじまり


みんな!“スーパーヒーロー”って言われたら、何を想像するかな?

表向きは大企業のリッチな社長や医者、弁護士といった人生の成功者で、裏ではスーパーパワーを駆使して罪なき人々の為に戦う人?

その素顔はマッチョでハンサムな男前で、富も名誉も思いのまま?

 

でも、この物語に出てくるスーパーヒーローはちょっと違うんだ。

凄く人気でもなければ、裕福でもない、どこにでもいる10代の少年だ。ちょっと気になるだろう?

 

じゃあ、この波乱万丈に満ちた少年の物語を覗いてみよう────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本、I県T市旭町。海に面するこの地域は古来から多くの漁港や工業が盛んである。

また、世界的科学研究機関兼企業の『オズコープ』の本社があることから、近辺の地域の中では都市機能が著しく発展している。

 

そんな活発な地域にある住宅街の一戸建ての家。窓から差しこむ朝日を受け、少年は眠たげながらも目を覚ます。

 

 

「ふあぁぁぁ~~~……」

 

 

けだるそうに背筋を伸ばしながら大きくあくびをする。

まだまだ眠たりない気持ちを抑えて、机に置いてある眼鏡をかけて、近くのデジタル時計を見る。時計は『7時7分』を差しており、まだ動くには5分くらい余裕がある。

────もう少し寝ようか。そう思って再びベットで横になったとき──

 

 

(まなぶ)ーーー。起きなさい。また寝坊するわよーー」

 

「──ッ、はぁ……」

 

 

下の階から老婆の声が聞こえ、少年────天海(あまかい) (まなぶ)の意識はハッキリとなる。

嫌そうにため息をつくと、(まなぶ)は寝間着から旭高校の制服に着替える。

姿見の前でぴょんぴょんとはねている寝ぐせと身だしなみを整えると、階段を下りてリビングへ向かう。

リビングでは朝食の支度を終えた老婆と椅子に腰かける老人が新聞に目を通しながら朝食を摂っていた。

 

 

「おはよう、(みこと)叔母さん」

 

「おはよう、(まなぶ)。ご飯できてるわよ」

 

「ありがとう」

 

 

穏やかな印象を受ける老婆────天海(あまかい) (みこと)に微笑みながら挨拶を交わすと、(まなぶ)は老人の向かい側の席に座る。

それに合わせて老人は新聞を畳むと、(まなぶ)へ視線を変える。

 

 

「おはよう、寝坊助さん」

 

「おはよう、(つとむ)叔父さん…………寝坊助?僕、今日はいつもより早く起きれたよ?」

 

「そんなこと言って、ギリギリまで寝ようと考えたんだろ?まだ時間まで余裕があるからとか……」

 

「まさか……まいったな。叔父さんには敵わないや」

 

 

全てお見通しと言わんばかりに笑みを浮かべる天海(あまかい) (つとむ)に自身の思考を的中された(まなぶ)は苦笑する。これも長年の付き合いからわかる勘だろう。

幼い頃に両親を失った(まなぶ)は親戚である(つとむ)(みこと)夫婦に引き取られ、実の子供のように愛情を注いで育てた。そんな彼らに(まなぶ)も親同然の愛情と尊敬を抱いている。

 

 

「はいはい、いじわるするのはその辺にして。早く食べちゃわないと冷めるわよ」

 

「「はーい」」

 

 

他愛のない会話をしていると、(つとむ)の隣に座った(みこと)が穏やかな声音で諫める。

2人はそう返事すると、(みこと)を加え、3人で食事を摂った。

 

 

「気を付けるのよ」

 

「わかってるよ。行ってきまーーす」

 

 

歯を磨き、準備を万全にした(まなぶ)(みこと)にそう返すと、家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから30分後。旭高校に登校した (まなぶ)はいつものように教室に向かっていた。

階段を上がり、『2年1組』と書かれた室名札の教室に足を入れた瞬間、入口付近に隠れていた男子生徒に足を引っかけられる。

 

 

「うわっ!?」

 

 

予想もしなかったことなので当然、(まなぶ)はズトンと前のめりに倒れる。

その拍子で眼鏡が前へ飛び、ぼやけた視界の中、眼鏡を探していると、足を引っかけた男子生徒──(まこと) 昂輝(こうき)はニヤニヤとしながら眼鏡を拾い上げる。

 

 

「おっと、悪い悪い天海(あまかい)。不審者かと思って、つい足が出ちまったよ。ま、そんなマヌケ面じゃ疑われても仕方ねぇよな。ハハハッ!」

 

「……」

 

 

全く反省するどころか煽る昂輝にムッとなる(まなぶ)だが、周りのクスクス笑う声にこっ恥ずかしくなると、差し出された眼鏡を奪うように取り上げてかけると、そそくさと自分の席に座った。

だが、彼の悩みのタネは人間関係だけでなかった。

 

 

「ぜぇ…ぜぇ…」

 

 

2限目の体育は大の苦手だった。元から運動音痴の彼にとって体育は拷問、運動会に至っては地獄そのものだった。

今日は持久走でグラウンドのレーンの外を10周するのだが、(まなぶ)は既に1周目でダウンしており、レーンの中で倒れこんでいた。

 

 

「おーい、天海(あまかい)!情けねぇなー!小学生以下の体力じゃねぇのか?」

 

「本の虫は虫らしく、図書室でこもってろよー」

 

『ハハハーーーッ!!』

 

「……ッ」

 

 

息をきらしている(まなぶ)をレーンの外で走りながらからかう昂輝と取り巻き。今すぐに仕返しをしてやりたいと思うが喧嘩は苦手で、体格もこちらより倍ある昂輝は(まなぶ)では敵う相手ではなかった。

このように内気な彼はいつもいじっめ子の昂輝にいじめられ、他のクラスメイトからも馬鹿にされ、友達も片指で数えられるほどだった。

 

だが、彼には才能があった。

それは3限目の理科の時間、教師が黒板に図や文章を書きながら説明をしていた時だった。

 

 

「──と、このように火成岩を構成する酸化物にはSiO2とSiO4がある。では、その2つの違いがわかる人────よし、天海(あまかい)

 

 

質問を出された瞬間に(まなぶ)含めて素早く手を挙げる。2人の男子のうち、選ばれた(まなぶ)は椅子から立ち上がって回答する。

 

 

「SiO2はSiの周りに4個の酸素が取り囲んだものがSiO4四面体……つまり、SiO2の中にあるSiの1つ1つがSiO4ということです」

 

「よし、正解だ!平常点にプラスしておこう」

 

「はい!ありがとうございます」

 

 

満足気な教師に正解と伝えられた(まなぶ)は微笑む。このように、(まなぶ)は冴えないながらも学業においては優秀であり、旭高校のテストの成績は(もう1人いるが)1位、全国の高校生の中でもトップクラスの頭脳を持っている。当然、旭高校の教師陣も品行方正な彼に一目置いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みが終わり、4限目。いつもなら授業が行われるのを待つために座っているのだが、今回は違っていた。

 

 

「ねぇ、午後から転入生が来るらしいよ」

 

「らしいねー」

 

「あー中野さんだっけ?」

 

 

夏休み明けの9月。このタイミングで転入してくる生徒がいるというのだ。

噂によれば前の学校で色々あったらしく、家から比較的近いこの旭高校へ転入する運びとなったそうだ。

教室中、新しいクラスメイトの話題で盛り上がっていた。

 

 

「どんな人だろー?」

 

「女子がいいなー」

 

「(……転入生か。気になるけど、きっと友達にはなれないだろうし……僕には関係ないな)」

 

 

話題で飛び交うクラスメイトの声を耳に入れながら、(まなぶ)は尊敬する科学博士の論文を読んでいた。

正直に言うと興味はあるが、こんなオタクで男らしくない自分と友達、ましてや相手が女子だったらまともに話せる自信がない。

自分には遠い世界────そう言い聞かせていたが、その転入生を見て彼の世界は変わった。

 

 

「中野 五月(いつき)です。どうぞよろしくお願いします」

 

「あ……」

 

 

ピシっと整った姿勢で自己紹介する彼女──中野 五月(いつき)を見て、(まなぶ)は目を奪われた。

目鼻立ちが整った顔、ウェーブのかかったロングヘアー。前髪の両端には小さな星の髪飾りがつけられており、頭頂部にはチャームポイントというようにアホ毛が一本生えていた。

町、学校、旅行先──今まで色んな女性を見てきたが、彼女の美貌の前ではその比にもならない。先程まで夢中で読んでいた論文の内容も一瞬忘れるほどだ。

 

 

「女子だ」

 

「普通に可愛い……」

 

「あの制服って黒薔薇女子じゃない?」

 

「マジかよ。超金持ちじゃん」

 

「おいおい、何者だよ」

 

「(あの子、天使……?)」

 

 

周りの男女から興味津々な声が聞こえてくるが、(まなぶ)の耳には入らなかった。

どんな内容で、どんな声量なのかもわからないくらい聞こえなかった。

それに、(まなぶ)には彼女が天使かと見間違えた。

 

教師からいくらか簡単な説明を受けた後、五月(いつき)は案内された席へ座った。

道中、話しかけてきたアホ毛が双葉のように生えている目つきが悪い男子生徒を不機嫌そうに無視することがあったが、それを除けば周りに愛想よく振る舞っていた。もうクラスに馴染んだようだ。

 

 

「(中野 五月(いつき)……。何て可愛らしい名前なんだ……)」

 

 

夢想気味に(まなぶ)は心の中で呟く。

胸が高鳴り、自然と頬が緩む────(まなぶ)少年は17年生きてきた人生の中で初めて恋をした。

頭の中は彼女のことでいっぱいであり、その後の授業の内容は全く耳に入ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、全ての授業が終わり、放課後。ある生徒は部活動に、ある生徒は帰宅へと足が動いていた。

運動もコミュニケーションも得意でない(まなぶ)は後者の方であり、帰宅部に混じって1人歩いていた。

下駄箱を抜け、校門を通り過ぎようとしたとき──

 

 

「よ、(まなぶ)!」

 

「やあ、涼介(りょうすけ)

 

「ひっどいなー。親友の俺を置いて帰るなんて」

 

「あーごめん、ごめん。先に帰ったかと思って」

 

 

と堀が深い顔立ちをした少年──涼介が後ろから駆けてきた。冗談交じりに不満を告げる涼介に(まなぶ)は明るい表情で返す。

彼の名前は緑川(みどりかわ) 涼介。(まなぶ)とは親友で、幼い頃からの付き合いもあって兄弟同然のような存在である。

また、オズコープの創始者である社長は彼の父親である。

 

 

「はぁ……いいよ。去年みたいに同じクラスだったら良かったのにな」

 

「全くだ。昂輝も去年より元気が良くて参ってるよ」

 

「それ、大丈夫なのか?」

 

「平気。もう慣れっこだよ」

 

 

心配する涼介に(まなぶ)は微笑んで返す。涼介は人一倍正義感が強いことは親友である(まなぶ)は誰よりも知っており、去年も(まなぶ)にちょっかいをかけた昂輝と喧嘩寸前になるまで揉めたことがある。気持ちは嬉しいが、親友に暴力沙汰は起こして欲しくはないので、いじめの話は彼にはあまり話さない。

ひとまず置いて帰ろうとしたことを許してもらえたところで、(まなぶ)は適当な話題を振る。

 

 

「……涼介。今日、僕のクラスに転入生が来たんだよ」

 

「ああ、中野さんだろ?()()()()()()()()()

 

「え?そっちのところにも来たって……」

 

「五つ子の姉妹なんだよ。一卵性の五つ子ってやつ。全員は見てないけど、見た目はそっくりなんだとさ」

 

「五つ子……」

 

 

涼介から聞いた言葉に(まなぶ)は目を丸くする。

一卵性の多胎児は聞いたことはある。縁が遠いものばかりと思っていたが、まさかこんな身近に来るとは思わなかった。

あんなに可愛い五月(いつき)と似た顔が他に4人もいる───どんな()なんだろうと想像を膨らます。

妄想中の(まなぶ)に涼介は尋ねる。

 

 

「ちなみに俺のクラスには長女の方が来たな。お前は?」

 

「……ん?あ、あぁ!僕のところは五月(いつき)って人」

 

五月(いつき)……長女の方は一花(いちか)だから、名前から考えるとしたら…………五女か。一花(いちか)さんも可愛かったから、その()も普通に可愛いだろうな」

 

「普通なんてレベルじゃないよ……凄く、凄く可愛かった。笑顔も、不機嫌な顔も、全部が別次元に可愛い………」

 

 

五月(いつき)のことを思い出した(まなぶ)は夢想に浸りながら熱く語る。あんな可愛い()の隣にいれたらいいのに……。

そんなことを思いながら話す(まなぶ)を見て、涼介は──

 

 

「惚れたのか?」

 

「ッ!」

 

 

と言うと、(まなぶ)は顔を真っ赤にする。耳の先までもだ。

ニヤニヤする涼介に(まなぶ)は狼狽えながらも反論する。

 

 

「いやいや、そういう意味じゃない!惚れたとか惚れていないとかじゃなくて、あーー……客観的に見てだよ?あ、あんな綺麗な女の子は中々いない!スーパーモデルみたいだ!僕が言いたいのは……そう、あれだ。とても端麗だってこと!」

 

「ははっ!そういうことにしてやるよ」

 

 

(まなぶ)の必死な言い分に涼介はニヤニヤと頷く。

過剰なまでの反応から恋心を抱いているのは一目瞭然だが、これ以上いじったらかわいそうなので一応納得しておく涼介。

(まなぶ)をひとしきりからかった涼介は本題に入る。

 

 

「そういや、オズコープ(うち)の特別展示会に来るんだろ?」

 

「ああ、もちろんだよ。科学技術、しかも世界的大手のオズコープの最先端の技術力を見られるんだ。断るなんて出来ないよ」

 

「ははっ、相変わらず科学バカだな。よし、この先にリムジンを呼んである。乗せていってやるよ」

 

「本当?ありがとう、持つべきものは親友だな」

 

「お安い御用さ、兄弟」

 

 

笑顔で感謝を告げる(まなぶ)と涼介はガッツリ肩を組む。生まれた環境は違えど、彼らの友を思う気持ちは同じなのだ。

そうして、2人は道路脇で既に待機していたリムジンでオズコープへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつ見ても凄いなぁ」

 

「おいおい、いつ見ても変わらないだろ?」

 

 

リムジンに揺られて10分後。港近くで天へと高くそびえ立つビル──オズコープ本社を見て、(まなぶ)は感激の声を上げる。反対にいつも見慣れている涼介はそう言いながら鼻で笑う。

 

────『オズコープ』。創立者であり現社長である科学者、緑川 難一(なんいち)によって創立された科学機関兼企業である。

機械、電気、ITなどの科学テクノロジーやバイオ医療、化学技術などあらゆる分野に精通しており、そのどれもが最先端の技術シェアを築いている。

高さ526m、108階立ての本社ビルは『オズコープタワー』と呼ばれ、旭町の象徴として人々から認識されている。

 

 

「やぁ、涼介。それに(まなぶ)も」

 

「あ、父さん!」

 

 

中に入る前からすでにテンションが上がっている(まなぶ)に涼介は「まだ興奮するのは早いだろ?」と宥めてオズコープへ入ろうとしたときだった。

近くに停まったリムジンから出てきた人相の悪い男に声をかけられ、2人は振り向くと、その男はオズコープの現社長であり、涼介の父────緑川 難一(なんいち)だった。

(まなぶ)難一(なんいち)は右手で快く握手を交わす。

 

 

「こんにちは、緑川さん。最近お会いできていないのでどうかと……」

 

「ははっ、相変わらず大変だがこの通り、元気だ。ところで学業の方はどうかね?涼介から抜群の成績を収めていると聞いているが」

 

「ええ、おかげさまです。話が変わりますが、あなたの科学の論文は全部読ませて頂きました。凄いと思います」

 

「……ほう?あれがわかったのかね?」

 

「はい。特にナノマシンを用いた体内医療に関する研究はとても感銘を受けました。レポートにも書きました」

 

「素晴らしい……。天国にいる御両親もきっと喜んでくれるだろう」

 

「はい」

 

 

(まなぶ)の優秀さに感心する難一(なんいち)難一(なんいち)(まなぶ)の両親は中学時代からの親友であり、お互いのことをよく知っている。

反面、(まなぶ)自身は幼かったこともあって両親のことはよく覚えていない。しかし、親代わりの叔父と叔母から家族の愛情は受けており、緑川家との付き合いもあって両親がいないことに苦しむことはなかった。

 

そうこう会話をしていると、難一(なんいち)は腕時計の時間を見て眉を上げる。

 

 

「おっと、すまない。そろそろ行かなくては。涼介、ガイドは任せたぞ」

 

「もちろんだよ、父さん」

 

「それでは……」

 

「ああ、また会おう」

 

 

難一(なんいち)は笑顔で涼介、(まなぶ)にそう言うと、難一(なんいち)は乗ってきたリムジンに乗って、走り去っていった。

難一(なんいち)が去った後、(まなぶ)と涼介は入口に向かって歩きながら話す。

 

 

「相変わらずいいお父さんだね」

 

「お前が秀才だから……養子にしたいのかもよ?」

 

「えへへ……まさかぁ」

 

 

涼介の自嘲を含んだ冗談に(まなぶ)も冗談っぽく笑いながら返す。実の息子を差し置いて(まなぶ)を引き取ろうとするほど、難一(なんいち)は強引な男ではない。

しかしながら、涼介が劣等感を抱いているのは事実であろう。涼介の成績は良くもなければ悪くもない、平均的には問題ないといったところだ。

だが、大企業の子息となれば話は別。父親は優秀な科学者でオズコープを立ち上げたあの緑川 難一(なんいち)なのだ。皆、口にはしないものの父親といつも比べられている気がしている。

そんな現状に涼介は辟易しているのだ。

(まなぶ)はそんなことを考えながら、オズコープの特別展示会へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わあぁ……驚いたよ!卓上の電子顕微鏡だ!それにカロリー計測器だって!?これに乗せるだけで栄養成分やカロリー調節も自動でやってくれるんだって!」

 

「わかった、わかった。そう興奮するなよ……」

 

 

数々の展示物に目を爛々と光らせている(まなぶ)。普段大人しい(まなぶ)も世界最先端の技術を目の当たりにして興奮を抑えることはできなかった。

反対に涼介はうんざりしていた。科学が大好きな(まなぶ)にとっては娯楽施設なのだが、そこまで科学に興味がない涼介にとっては退屈な場所でしかなかった。

 

(まなぶ)の科学話に涼介は渋々付き合いながら通路を進んでいくと、やたら人が集まっているエリアへとついた。

そこは生物研究に関する展示コーナーで、今回は遺伝子を組み換えた蜘蛛が展示していた。

2人は人混みの隙間から顔を除かせ、女性ガイドの説明に耳を傾ける。

 

 

「蜘蛛には様々な能力があります。例えば、この『ネットウェブスパイダー』は網目状の巣を張り巡らすことができ、その糸の強度は橋をかけるときの建築用ワイヤーに匹敵します。この『クサグモ』は反射神経が非常に発達しており、刺激に対する反応があまりにも速いので、一種の予知能力──いわゆる”第六感”だと唱える学者もいます……。このように蜘蛛の能力が人々の暮らしを豊かにできると考えた私達は5年もの月日をかけ、研究所にいる蜘蛛の遺伝子構造を組み換えることによってあらゆる蜘蛛の特性を兼ね備えた15匹の『スーパースパイダー』を作り出すことに成功しました」

 

「凄いな……」

 

 

ガイドの説明に(まなぶ)は感嘆の声をもらす。蜘蛛の能力にはついてある程度は知っていたが、ここまで人々の暮らしに役立てるという発想は思い浮かばなかった。

それを実現するオズコープの技術力に感動するのと同時に、まだまだ勉強不足だと実感した。

 

 

「?」

 

 

是非写真に収めようと(まなぶ)が熱心にスマホで撮影している中、隣にいる涼介は蜘蛛が入っている15個のディスプレイケースを見て、違和感に気付いた。

 

 

1()4()()……。真ん中のところ、1匹いないぞ」

 

「え?」

 

 

涼介の呟きにガイドはディスプレイケースに目をやる。涼介の言うように、丁度真ん中のケースには入っているはずの蜘蛛の姿はどこにもなかった。

つられるように見た他の来場者たちも「トラブルか?」とざわつき始める。

全部いると聞いていたガイドは想定外のことに首を傾げるも、すぐに1つの検討を導き出す。

 

 

「……ああ、他の研究員が実験のために持ち出したんでしょう」

 

 

展示会とはいっても研究員が実験のために展示物を持ち出す場面はたびたび見られた。

その返答に一同は事件解決と納得し、ガイドに連れられて別の展示物へ移っていった。

 

 

「俺たちも行こう」

 

「ごめん、あともうちょっとだけ……」

 

 

他の来場者についていこうと提案する涼介だが、未だ(まなぶ)はスーパースパイダーの撮影に熱中していた。

動かそうにも熱中するあまり、地面と足が一体化したかのように動かない。こうなってしまった(まなぶ)は気がすむまで動かない。

 

 

「オーケー。先に行ってるぞー」

 

「わかったー」

 

 

一緒に待ってても退屈だと判断した涼介はそう言うと、早歩きでガイドの後を追っていった。

対する(まなぶ)は平返事で返すと、再び撮影にとりかかる。

本日行われている特別展示会は3日間限定でしか開催されない。しかもオズコープは研究の内容を一般公開することは滅多にない。

この絶好の機会を(まなぶ)が逃すはずなく、ぜひ形あるもので保存しようと写真を撮っているのだ。

 

高さ、角度を変えながらスーパースパイダーの姿を鮮明に残していく。

──いつか自分もこんな研究ができるといいな。そんなことを夢見ながら撮影をしていると、頭上から1匹の蜘蛛が糸を垂らしながらゆっくりと降りてくる。青い体色に赤い模様が入った自然界にはまずいない品種だ。

それもそうだろう。これこそ、脱走した15匹目の『スーパースパイダー』である。

 

しかし、当の(まなぶ)は撮影に熱が入っていて、まったく気付いていない。

パシャパシャとシャッターを切る中、スーパースパイダーは(まなぶ)の右肩に乗り、右腕を這って、スマホを持つ右手へ向かっていく。

そして、右手の甲にたどり着いた瞬間、ガブリと鋭い2本の牙で嚙みついた!

 

 

「痛ッ!?」

 

 

突然の鋭い痛みに熱中していた(まなぶ)は苦痛の声をあげる。その痛みは思わずスマホを床へ落としてしまうほどだ。

何なんだと困惑しながら痛みを感じる手を振ると、スーパースパイダーは手の甲から離れ、逃げるように床を走っていった。

その光景を目にした(まなぶ)は右手の甲を見ると、2本の牙で噛まれた痕がくっきり残っており、その周りはぷっくりと腫れていた。

 

 

「(蜘蛛に嚙まれたのか。ツイてないな……)」

 

 

(まなぶ)はそう心で愚痴りながらスマホを拾い上げると、急ぎ足で先にいる涼介の後を追っていった。

 

だが、このとき彼は知らなかった。

この事故が自分の”運命”を大きく変える出来事だということに…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別展示会を回り終え、すっかり外は夕方。涼介と別れた(まなぶ)は家路についていた。

帰りも涼介がリムジンで送ろうとしたが、(まなぶ)は丁寧に断り、歩いて帰っていた。

普段の彼ならバスや電車を使うだろうが、今日は少しでも体力をつけるためにあえて歩くことを選んだ。

その理由は単純で、一目惚れした少女──中野 五月(いつき)に似合う男になろうとするためだ。

 

 

「(どうしたんだ?気分が悪い……。頭が痛くなることがあっても、熱っぽくなるなんて……。あの蜘蛛のせいか?)」

 

 

しかし、どうしたことか(まなぶ)はだんだんと体調が悪くなっていた。

涼介と別れた後、身体中が熱く、視界も眼鏡をつけているのにも関わらずぼやけ、脂汗が止まらない。この現象はただの運動不足によるものではなく、スーパースパイダーに嚙まれた影響であることはわかった。

何故なら、右手の甲の嚙まれ痕は先程よりも酷く、黄色く腫れあがっていたからだ。よくよく考えれば、あの蜘蛛の派手な体色からして逃げ出したスーパースパイダーであることは一目瞭然だった。

 

道中、路上で倒れそうになりながらも重い体を必死に動かし、何とか叔父と叔母が待つ家へと辿り着いた。

玄関を開け、リビングに行くと、(みこと)(つとむ)が出迎える。

 

 

「ただいまー……」

 

「お帰り。丁度夕飯できたところ…………あら?顔色悪そうね」

 

「うん。具合が悪いから、ちょっと横になるよ」

 

「病院行くか?」

 

「平気。寝て悪かったら、明日お願い」

 

 

心配する(みこと)(つとむ)に軽く返すと、手洗いした(まなぶ)は階段を上がっていく。

 

 

「ご飯食べれそう?一口だけでも」

 

「いいよ。もう、一口かじられた。おやすみ」

 

 

(みこと)の問いにジョークを交えた返答をすると、(まなぶ)は自室へと入っていった。

バタンと扉が閉まる音がした後、(みこと)(つとむ)は心配そうに顔を見合わせる。

 

 

「あの子、大丈夫かしら……?」

 

「まあ、あいつがそう言うんだし、今夜は様子を見よう」

 

「そうね~」

 

 

不安げに呟く(みこと)(つとむ)がそう言うと、彼女は不安を残しつつも見守ることにした。

 

 

「熱い……」

 

 

一方、(まなぶ)は部屋に戻った途端、上着を脱ぎだす。ずっと我慢してきたが、高まり続ける体温に耐えきれなかった。

瘦せすぎともいえる細い上半身を露わにすると、糸が切れた人形のようにベッドに倒れこむ。

遠くなる意識の中、容体が悪化しないようにゴロリとかけ布団を体に巻き付け、そのまま眠りについた。

 

その夜。眠りについた(まなぶ)の体内では異変が起きていた。

噛まれた際に流れたスーパースパイダーの遺伝子が彼の体内のあらゆる細胞、血液を小さな蜘蛛が這うように刺激し始めていた。

そして、彼の遺伝子は蜘蛛の情報を持った遺伝子が融合し、人間と蜘蛛、両方の情報を持った全く新しい遺伝子へと生まれ変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅん……」

 

 

そして、次の日。(まなぶ)はパチリと目を開け、意識を覚醒させる。

外はすっかり朝になっており、窓から朝日が差していた。

 

 

「(治った……!)」

 

 

けだるそうにかけ布団を取って上体を起こすと、すぐに体調が元に戻っていることに気付いた。

寝汗をびっしょりかいたおかげか、あれだけ熱かった体温は下がっており、視界もはっきりし、腫れていた右手の甲の嚙まれ痕もすっかり小さくなっていた。

 

──わざわざ病院に行かなくて良かった、と思いながらベッドから起き上がると、デジタル時計を見るため、机に置いてある眼鏡をかける。

 

 

「?」

 

 

だが、眼鏡をかけているのにも関わらず、視界がぼやけていた。まるで目がいい人がレンズの度が強い眼鏡をかけたときくらいぼやけていた。

レンズの度はちゃんと(まなぶ)の視力に合わせて作ってもらったにも関わらずにだ。

この違和感に(まなぶ)は眼鏡を取ると、裸眼であるにも関わらず、デジタル時計の現在時刻『7時10分』を読みとることができた。

また眼鏡をかけると、ぼやけた視界へと変わった。

 

眼鏡を取りながら(まなぶ)は、視力が回復したことを実感した。奇妙に思いつつも、何十年ぶりの裸眼で見る景色に思わず頬を緩ませる。

しかし、変化はこれだけでなかった。

 

 

「……えぇ?」

 

 

近くにある姿見に映る自分を見て、思わず声をもらす。

その視線の先にある自分の体は昨日までの瘦せ型だった体型とは正反対に、元のシルエットを崩さない程度に筋骨隆々の体格へと変貌していた。

6つに割れた腹筋、大木のように太い腕、厚く盛り上がった胸板────男性の理想ともいえる肉体美に見惚れた(まなぶ)は、ボディビルダーのように姿見の前で色々なポーズをとる。

──これは現実か?半信半疑で自分の腕をペタペタと触ると、確かな触感があることから現実だとわかる。

 

 

コンコンコン……

 

(まなぶ)ーー!」

 

「ッ!」

 

 

しばらく自分の肉体を鑑賞していると、ドアのノックとともに(みこと)の声が聞こえてきた。

その声にハッとなった(まなぶ)は妄想に浸っていた意識を現実に戻す。

 

 

(まなぶ)ーー!大丈夫?」

 

「ん?あぁ、大丈夫だよ……?」

 

「一晩寝たら良くなった?変わった?」

 

「変わったか?そーだね、凄く変わった」

 

「じゃあ、急ぎなさい。遅刻するわよー」

 

「わかったー」

 

 

容体を聞いて安心した(みこと)(まなぶ)は返事すると、急いで制服に着替え、寝ぐせを治す。

扉を開けて勢いよく階段を下りて朝食真っ最中のリビングに向かった。身体の底から湧いてくる元気のあまり、手すりにつかまりながら突き当りの壁を蹴って、着地するほどだ。

 

 

「おはよう!叔父さん、叔母さん!」

 

「おはよう。随分元気ね~」

 

(まなぶ)………具合はどうした?」

 

「良くなったよ」

 

「ははっ、そいつは良かった!」

 

「ふふっ、行ってきまーす!」

 

 

体調が回復し、元気そうに笑う(まなぶ)の姿を見て、(みこと)(つとむ)も自然と笑みがこぼれる。

気分爽快の(まなぶ)はリュックを手に取ると、玄関の方へ歩き出す。

朝食を摂る気配のない(まなぶ)に疑問に思った(みこと)は尋ねる。

 

 

「朝ご飯はいいの?お昼のお金持った?」

 

「持ってるー!」

 

「今日、学校が終わったら、台所のペンキ塗りするのを忘れるな?」

 

「わかってるよ、(つとむ)叔父さん。帰ってくるの待ってて」

 

「逃げるなよ?」

 

 

そう言う(つとむ)(まなぶ)は了承の意味を込めた笑顔で返すと、玄関の扉を開いて出ていった。

 

 

「青春か……。俺も若い頃はああだった……」

 

 

若さ溢れる(まなぶ)の姿を若い頃の自分と重ねた(つとむ)は懐かしそうに呟くと、朝食の味噌汁をすすった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつものように旭高校に登校した(まなぶ)

下駄箱で上履きに履き替えていたときだった。

 

 

≈「ッ!」≈

 

 

突然、(まなぶ)の脳に不思議な感覚が襲った。

周りの話し声、環境音、小ハエの羽音が鮮明に聞こえ、スローモーションのようにゆっくりと動いていた。まるで自分だけが別次元の世界に取り残されたかのように。

そして、頭は危険を知らせるかのようにムズムズしていた。後ろから身の危険が迫っていると。

 

 

ダァンッ!

 

「か~~!?いってーーーッ!」

 

 

避けた方がいいと判断した(まなぶ)はその感覚に従い、ひょいとその場でしゃがむと、男子生徒の張り手が勢いよくロッカーに衝突した。

手を抱えて悲鳴を上げる声に顔を上げると、その男子生徒はいじめっ子の昂輝だった。その様子から、背中に挨拶代わりの張り手をくらわせようとしていたことは何度か経験した(まなぶ)にはすぐわかった。

 

 

「???」

 

 

周りがスローモーションになる、後ろから昂輝が張り手をくらわせようとするのを察知した奇妙な体験に(まなぶ)は困惑しながら、そそくさと教室へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

そして、時は進み、昼休み。訪れた昼食の時間に食堂は多くの生徒で賑わっていた。

(まなぶ)も利用する生徒の1人であり、4人席で1人座っていた。というのも、購入に向かっている涼介ともう1人の友人の席取りをしていたからだ。

 

 

「(まだかな~)」

 

 

そう心に思いながら、(まなぶ)はコンビニで買ったおにぎりを1口かじる。

食堂は昼休みという時間帯もあって混雑している。しかも、生徒だけでなく一部の教師も利用しているので尚更だ。

更に今日は清掃の時間が遅れたこともあって、床がまだ乾ききっていない状態だった。わざわざ『清掃中で床がたいへん滑りやすくなっています!』という注意喚起の立て看板があちこちに設置しているぐらいだ。

 

そうこうして待ち焦がれていると、遠くからこちらの方向へ歩いてくる女子生徒に視線が向く。

その女の子は(まなぶ)の想い人────五月(いつき)であった。特徴的な頭頂部のアホ毛を揺らしながら、トレイに乗った食事を手に歩いていた。

制服は昨日のうちに用意できたのか、旭高校指定のものへとなっていた。

 

 

「(相変わらず可愛いな……)」

 

 

五月(いつき)はよっぽど昼食を待ち望んでいたのか、ウキウキしているように見える。

そんな彼女を見て、(まなぶ)は頬を緩める。彼女に向かって「一緒に食事しないか?」と声をかけたいが、かける勇気はなかった。

もし断られたら、それで微妙な空気になってしまったらどうしようかと不安が過り、自信が持てない。

 

──遠くから見れるだけでもいい。(まなぶ)はそう言い聞かせて水を含む。わざわざ危険を侵す必要はないのだ。

その間にも五月(いつき)との距離は近付いてくる。

そして、彼女が近くを通り過ぎようとしたときだった。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

乾きっていない床に足を滑らしてしまった。食事を乗せたトレイは宙に飛び上がり、彼女は仰向けに体勢が崩れる。

このままだと尻餅をついてしまう。

 

 

「(──危ないッ!)」

 

 

彼女の危機に(まなぶ)は素早く五月(いつき)の背中を左腕で支えると、右手で先に落ちてきたトレイを駆使して、落ちてくる食事と水を一滴もこぼさずにキャッチした。

 

五月(いつき)は突然の出来事にしばらくポカーンとしていたが、周りの(まなぶ)に対する驚きと賞賛の視線に気が付き、慌てて離れる。

(まなぶ)はすぐに食事を乗せたトレイを返すと、彼女はペコリと軽く頭を下げて受け取る。

 

 

「……あ、ありがとうございます」

 

「あ、ははっ。いや……いいんだよ」

 

 

五月(いつき)にお礼を言われて照れくさそうに微笑む(まなぶ)。好きな女の子に感謝されるのがこんなに心地良いものだとは知らなかった。

 

 

幸福に浸っている中、ふとどんなものを食べているのが気になった。先程はキャッチするのに夢中でよく見ていなかった。

──体格からきっと自分と同じ小食だろう。そう思いながら、五月(いつき)のトレイに乗っているメニューを見ると、(まなぶ)はギョッとする。

 

 

「(え!?)」

 

 

そこに乗っているのはかつ丼大盛、唐揚げ10個、きんぴらごぼう、豚汁。デザートにはプリンと、明らかに年頃の女子が食べる量とは考えられないほどボリューミーな内容だった。

彼女の体格からこれらがどうやって胃袋に入るか考えられない。合計金額も1000円は軽く超えており、流石お嬢様と言ったところだろうか。

絶句する(まなぶ)の視線が食事に向いていることに気付いた五月(いつき)はムッと顔をしかめる。

 

 

「何ですか?こんなに食べては悪いと……太るって言いたいんですか?」

 

「…あ、あぁ!違うよ!僕、小食だから……こんなによく食べれてうらやましいなって。それに、女の子は少しくらいふっくらしても大丈夫だよ。まだ成長期だし……」

 

「そ、そうですか……。すみません、つい昨日、不親切な男子に『太るぞ』なんて言われたもので……。助けてもらった人を疑うなんて、私が間違っていました」

 

「いいよ……」

 

 

ひとまず納得して怒気を静めてくれる五月(いつき)にほっとする(まなぶ)

好きな人に嫌われるのはとても避けたいものだ。それが異性であるほどに。

しかし、女の子に『太るぞ』なんてデリカシーのかけらもない言葉をかけた男はどういう神経しているんだと疑った。これだと、まだわかりやすい昂輝の方が数倍マシだろう。

それに該当するひねくれた人物は心当たりあるが、嫌悪感があって深くは考えたくない。

 

 

「じゃ……」

 

「あ、待ってください!あなた、同じクラスですよね?」

 

 

これ以上突っ立っていると席を誰かに取られるため、立ち去ろうとすると、五月(いつき)に呼び止められる。

そう言われた(まなぶ)は足を止める。彼女が自分のことを覚えてくれていることに、思わず胸が高鳴る。

高鳴る鼓動を抑えながら、(まなぶ)は問いに答える。

 

 

「そうだよ?」

 

「そうでしたか。すみません、転入したばかりで顔とお名前が一致していなくて………。私は中野 五月(いつき)。お名前を伺っても?」

 

「あー……僕は、天海(あまかい) (まなぶ)。天の海に、学習の”学”」

 

天海(あまかい)……この辺りだと珍しい苗字ですね」

 

「はは……よく言われる。じゃあ、そろそろ戻るよ」

 

「はい、お止めしてすみません。それでは天海(あまかい)君、失礼します」

 

 

五月(いつき)はそう言って、お辞儀をすると、その場を立ち去っていった。

彼女と話せた、しかも中々好印象を与えたと実感した(まなぶ)は心の中でガッツポーズをとる。

 

ウキウキの気分のまま席に座る。テーブルにふと腕を乗せると、丁度右手首の下に置いていたおにぎりの包み紙との間に何かがくっつくような感触がした。

 

 

「……??」

 

 

不思議に思った(まなぶ)は右腕を上げると、包み紙が手首にひっついていた。(まなぶ)は落とそうと腕を振るうも、接着剤で接着しているのか全く落ちない。

(まなぶ)は手で取ろうと包み紙を掴んで引っ張ると、包み紙と手首の間に蜘蛛糸のようなものがかかっていた。しかも、よく見るとその蜘蛛糸は手首から出ていた。

──これは何だ、と首を傾げる(まなぶ)が左手で蜘蛛糸は引きちぎりながら、無意識に右手の中指と薬指を曲げた瞬間──

 

 

ピシュッ!

 

「ッ!?」

 

 

右手首から勢いよく蜘蛛糸が発射され、前の席の生徒が使っている水が入ったコップに引っ付いた。

(まなぶ)は目を丸くしながら自分の手首と蜘蛛糸に引っ付いたコップを交互に見る。蜘蛛糸を出せるなんてラノベや漫画といった創作物みたいな出来事に現実かと疑った。

──ならば、引っ張ってみよう。幸いにも前の席に座る生徒や周りにいる人は会話に夢中になって気付いていない。

(まなぶ)はグイっと腕を手前に引くと、引っ張られた水の入ったコップは素早い勢いで(まなぶ)の右手に収まった。

 

 

「あれ?俺の水知らね?入れてきたはずだけど……」

 

「知らねー」

 

 

前の席からそんな声が聞こえ、盗んだ罪悪感で居心地が悪くなった(まなぶ)は取ったコップをテーブルの端に置くと、ゴミを片付けてそそくさと席を立つ。

早歩きで食堂の出口へ向かおうとすると、偶然、食事をトレイに乗せた涼介ともう1人の友人と鉢合わせる。

 

 

(まなぶ)?どうした?」

 

「トイレに行きたくなって。席ならここ。僕はもう食べたから先に教室に戻ってるよ。それじゃあ!」

 

「あ、おい!」

 

 

矢継ぎ早にそう告げると、涼介の呼び止める声を無視して、(まなぶ)は食堂を立ち去っていった。

残された2人は(まなぶ)の去っていた方角を見ながら、呆然と立ち尽くしていた。

 

 

「なんか変。天海(あまかい)君、どうしたんだろ?」

 

「さぁ?」

 

 

眼鏡をかけた友人の尋ねに涼介もわからないと首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。(まなぶ)は逃げるように学校を出た。

涼介と一緒に帰らず、とにかく人目がつかない場所に行きたかった。

 

 

「(今朝からおかしいぞ!頭のムズムズ、反射神経、おまけに蜘蛛糸!僕の体、どうなっちゃったんだ?)」

 

 

体調が良くなったと思ったら、常人離れした能力を手に入れてしまったことにすっかり混乱していた。しかも1回や2回じゃない。

色々と考えるあまり、憧れの五月(いつき)と話せた喜びはすぐに吹っ飛んだ。

 

 

「(落ち着け。こうなった原因をよく考えるんだ……)」

 

 

歩きながら(まなぶ)は混乱する思考を一旦リセットして、冷静に原因を分析する。

昨日、体調が悪くなった。その原因は蜘蛛に噛まれたから。その蜘蛛は遺伝子操作された──

 

 

「(スーパースパイダー!)」

 

 

1つの結論を導き出す。どういう原理かはわからないが、遺伝子操作されたスーパースパイダーに噛まれたことによって複数の蜘蛛の遺伝子を投与され、蜘蛛の能力を手にいれたのだと。

そうだとするなら、今までの現象は全て説明がつく。

 

そうに違いないと確信した(まなぶ)は駆け込むように路地裏に入ると、壁を這う蜘蛛に目が付く。蜘蛛は優れた平衡感覚で縦横無尽に這いまわっている。

それを見て、今度は自身の指を見ると、とても極小ながらも細かい繊毛がビッシリと生えていた。まるで蜘蛛の足のように。

次に壁の頂上を見上げる。頂上は20メートルぐらいあり、まず生身で登ることは不可能。壁面は引っ掛ける場所はなく、道具でも使わないと到底頂上には届かない。

 

 

「(もし蜘蛛の能力があるなら、こんな壁も登れるはずだ)」

 

 

(まなぶ)はその仮定のもと、右手の五指を壁につける。それぞれの指は繊毛によって壁に吸着し、全く落ちない。

続けて左手の五指を壁につける。こちらも変わらず壁に引っ付いている。特に力も入れていない。

右、左、右、左…と足も壁に吸着させながらスイスイと壁面を登っていく。

ある程度で止まると、地上を見下ろす。(まなぶ)はすでに10メートル近くまで登っており、一般人ではまず辿り着けない位置に到達していた。

 

 

「フォォォォォーーーーーーーッ!!!!」

 

 

運動音痴で勉強だけが取り柄だと思っていた自分がやっている。しかも常識を外れた能力を。

その実感に打ち震えた(まなぶ)は歓喜の声を上げる。

 

数十秒もしないうちにスイスイと壁を登りきると、換気用のパイプに手をかける。

すると──

 

 

グシャッ!

 

 

と握りつぶした。鋼鉄製のパイプを素手でだ。

底知れぬ握力にますます笑みが止まらない。

 

 

「いやっほーーーうッ!!」

 

 

開放感溢れる(まなぶ)は走り出すと、軽やかにビル群を次から次へと飛び移る。

重力が軽くなった気がするほど爽快で、まるで空を飛んでいる錯覚を覚えた。

 

笑顔でピョンピョンと飛び移った(まなぶ)は先にある建物と今いるビルとの距離が遠いことに気付き、足を止めた。

見下ろした先は車が行き交いしている道路だった。

 

 

「(向こう側に飛び乗る自信はない………なら、蜘蛛糸を飛ばしてみるか!)」

 

 

自身の手首を見ながら考えた(まなぶ)は向こう側のビルに隣接しているクレーンを見る。

あそこに蜘蛛糸を出せば綱渡りができるし、届かなくてもどこまで飛ばせるか実験もできる。

クレーンに狙いを定めた(まなぶ)はひっかき手を作りながら手首を構え──

 

 

「──蜘蛛の巣!…………?」

 

 

と叫ぶ。しかし、いくら待っても蜘蛛糸は出ない。

掛け声や構え方が違うのかと考えた(まなぶ)は再び試す。

 

 

「飛び出せ~~。……蜘蛛の糸、空へ伸びろ!……シャザ~ム!……スパイダーストリングス!……Go!Go!蜘蛛の巣GoGo!」

 

 

思いつく限りの掛け声、指のポージングを色々と出すが、蜘蛛糸は一切出ない。

──どうやって出したかな、と首を傾げながら食堂での記憶を辿り、中指と薬指を曲げた瞬間──

 

 

ピシュッ!

 

「ッ!」

 

 

前に向かって手首から勢いよく飛び出した。中指と薬指を曲げることで発射できることがわかった(まなぶ)は狙いを定め、同じ構えで蜘蛛糸を発射すると、うまい具合にクレーンに引っ付いた。

伸ばした蜘蛛糸を両手で持ちながら、屋上の絶壁に歩を進める。

真下は道路で落ちたら大怪我は間違いない。スースーと下から吹く風が恐怖心を煽る。

 

 

「すぅ~…………行ってみよう……」

 

 

深呼吸で強張る肉体と表情を柔らかくすると、(まなぶ)は飛び立った!

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ~~~~!!」

 

 

ターザンのように勇ましく、とまでいかない悲鳴に似た叫び声をあげながら空を渡っていく。

クレーンを支点とした振り子運動に従って、(まなぶ)は向こう側のビルへと飛び移ったが、前方には広告看板が。

 

 

「あっ!?あ、あぁ!あぁぁぁ────!?」

 

ドンッ!

 

 

急いで足でブレーキをかけようとするが、振り子運動の原理によって体が再び浮かびあがり、そのまま看板に激突。

その衝撃で蜘蛛糸を離した(まなぶ)はズルズルと屋上の床に落ちていった。

 

ウェブスイングは失敗はしたものの、超人的な能力に(まなぶ)はすっかり有頂天になっていた。

まだまだ知りたいという探求心に従った(まなぶ)は、日が暮れるまで自分の能力で遊び惚けた。

叔父の(つとむ)と約束した家の手伝いを忘れるくらいに……。

 

その後、家に帰り着いた(まなぶ)。時刻は22時になっており、叔父・叔母共にすでに就寝していた。

(みこと)が作り置きしてくれていたミートローフを食べ、入浴を終えると、ベッドで横になっていた。

横になりながらスマホをいじっていると、とある宣伝サイトに目が留まる。それはアマチュアがプロに挑戦できるプロレス大会のものだった。

 

 

「(プロレスラー相手に3分間リングに立っていられたら、賞金30万円?開催は3日後……。事前予約必須か………よし!)」

 

 

3分間逃げ切れば30万円がもらえるという破格の条件に(まなぶ)は口角をあげる。

今までの自分であれば絶対に無理な話だが、今は違う。蜘蛛のスーパーパワーを手に入れた自分なら、プロの格闘家であろうと余裕で勝てるだろう。

出場すると決めた(まなぶ)は迷うことなくサイトの予約ボタンを押した。

 

 

「(次はコスチュームが必要だな)」

 

 

(まなぶ)はこうしちゃいられないとベッドから起きると、スケッチブックにコスチュームデザインを描いていく。

──どうせならかっこいいものにしたい。そう思いながら蜘蛛をモチーフとしたコスチュームを次々と編み出していく。

最初にベルト、マント、マフラーをつけるか迷ったが、動きやすさを重視してつけない方針にした。

色、素材、覗き穴、シンボルマーク……次々と思い浮かぶアイデアを採用、またはボツにしていき、ゴミ箱には大量のスケッチブックの残骸が積み立てられていく。

 

 

「よし!できた!」

 

 

作業開始から約5時間後。(まなぶ)は完成したデザイン画を見て、にっこりと笑う。

スケッチブックに描かれているのは、赤と青を基調とし、全身を蜘蛛の巣が張り巡らしているアメコミ風ヒーローみたいなコスチュームだった。

鋭い目つきに、背中と胸元には蜘蛛のシンボルがつけられており、『蜘蛛人間』と言うべきヒロイックなものに仕上がった。

 

コスチュームデザインが決まったその日から、(まなぶ)は学校から帰ってきてはすぐに自室にこもって蜘蛛糸────ウェブを正確に当てる練習をし始めた。

空き缶やスタンドライト、写真立てに引っ付け、それをキャッチするというシンプルなものだ。

優れた反射神経によって次々とクリアしていく。

 

しかし、簡単にいかないときもある。

 

 

ガシャンッ!

 

(まなぶ)?今の何の音?』

 

「何でもないよー。ちょっとした運動しているだけなんだ」

 

『そーう?ならいいけど……』

 

 

花瓶のキャッチをミスして、壁に衝突。粉々に崩れる。

下階から聞こえる(みこと)の怪訝な声に(まなぶ)は誤魔化すと、部屋を見渡す。練習のせいで部屋中蜘蛛の巣だらけで、自分以外部屋に入れられる状態ではなかった。

 

 

(つとむ)。あの子、最近変じゃない?」

 

 

一方、リビングでは(みこと)が編み物をしながら、(つとむ)(まなぶ)について相談していた。

ここ最近の彼の異変には(みこと)も気付いていた。学校が帰って何かにとりつかれたように部屋にこもってばかり。いつも率先してやっていた家の手伝いもやらなくなるぐらいだ。

(みこと)の悩みにテレビの配線を修理していた(つとむ)は作業の手を止めると、口を開く。

 

 

(まなぶ)はきっと悩みを打ち明けられないんだろ……。こっちから訊こうにも訊きずらいだろう……。どうしたらいいのかわからない。あの年頃になると必ず衝突する。俺たちにできることは、あの子を見守ってあげることだ………」

 

 

(つとむ)が導き出した答えに納得した(みこと)はうんうんと頷く。

けれど、(つとむ)は知らなかった。(まなぶ)の抱える秘密は(つとむ)が言うほどの問題ではないということに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、迎えた3日後。今日はいつも通り昼間は学校だが、夜には待ちに待ったプロレスの大会がある。

プロとはいえど相手は常人レベル。超人的な能力を持つ自分にとっては賞金30万円を手にすることは容易い。

そんなことを思いながら(まなぶ)が通う旭高校では6限目の体育の時間で、今日は体育館でバスケットボールをやっていた。

 

 

「マークついて!」

 

「パス、パース!」

 

「(早く終わらないかな……)」

 

 

試合に入り、生徒たちがボールを必死に取り合って動き回る中、(まなぶ)はコートの端で退屈そうに傍観していた。

というのも元々スポーツが苦手な(まなぶ)にとっては暇で仕方ない無意味な時間であり、参加しようにも周りから邪魔者扱いされる。かと言ってまともに参加しなかったら役立たず呼ばわりされる。

理不尽な環境というマイナスイメージを持っている(まなぶ)は、スーパーパワーを手にしても積極的に取り組もうとは思わなかった。退屈な体育よりも、今日の夜20時に開催されるプロレスについて考えていた。

 

 

「────天海(あまかい)!」

 

「……え?あッ!」

 

 

ボーっとしていると、遠くからパスが飛んでくる。

当然他のことに気を取られていた(まなぶ)はキャッチできず、ボールは場外へと転がっていった。

やってしまったと(まなぶ)は自責の念に駆られていると、腹を立てている昂輝とその取り巻きが詰め寄る。

 

 

天海(あまかい)、お前何やってんだよ!今の絶対取れただろ!?真剣にやれよ!!」

 

「あ……ご、ごめ──ッ」

 

 

ミスを責められた(まなぶ)は謝罪しようとするが、ふとある考えが頭をよぎり、言葉を止める。

──昂輝の『絶対取れる』というのは体育会系の意見で、スポーツが得意でない人間にかける言葉じゃない。そもそも、いつも自分をいじめる奴に謝る必要はどこにある、と。

それに今の自分は誰よりも強いという自信がある。考えを改めた(まなぶ)はふっと鼻で笑った後、昂輝を睨みつける。

 

 

「何だよ、天海(あまかい)………文句あんのか?」

 

「あぁ、大アリだよ昂輝。いつも僕をいじめる奴の言葉なんて、全く説得力がないって言いたいんだ。脳筋野郎」

 

 

挑発交じりに反発すると、頭にきた昂輝は(まなぶ)の胸ぐらを掴む。

鋭い剣幕で、今にも嚙みつきそうなくらいだ。

 

 

「おい、今の何だ……?ふざけるのも大概にしろよ………」

 

「その手を離せ……」

 

「俺に命令するんじゃねぇッ!文句を言える立場か?さっきのこと、取り消せ──がぁぁッ!!?」

 

 

昂輝に忠告するものの、手を離す気配のないと判断した(まなぶ)は胸ぐらを掴む手を片手で強引に捻りながら離す。

自分が知っている(まなぶ)とは思えないほどの握力に昂輝は驚きを感じつつも苦痛から逃れるため素早く振りほどくと、ボクサーのようなファイティングポーズを構える。

 

 

「よくもやってくれたな、オタク野郎!」

 

 

──もう黙っちゃいられない。鉄拳制裁を加えてやると決めた昂輝は突き刺すような拳を繰り出す。

だが、反射神経が常人より卓越している(まなぶ)にとっては遅く感じ、簡単に避けられてしまう。

その後も次々と拳に加え、蹴りを放つが、まるで紙相手に戦っているかのように軽々と避けられてしまう。

 

 

「ぬぉおおおッ!!」

 

「おっと」

 

 

中々当たらないことにしびれをきらした昂輝は体当たりを仕掛ける。

興奮した猛牛の如く迫ってくるが、(まなぶ)は床を蹴ってジャンプ。空中できりもみ回転しながら昂輝の真上を通り、後ろへ着地する。

対象を失った昂輝は野次馬に衝突する。

 

 

「早くやれよ」

 

「わかってるッ!!うおおーーー!!!」

 

 

はやし立てる取り巻きを突き飛ばすと、昂輝は全力を込めた拳を繰り出す。昂輝にとってはこれが最大出力だ。

しかし、それも(まなぶ)には通用しない。拳を手のひらで楽々と受け止めると──

 

 

「ふんッ!」

 

「のわぁぁぁぁーーーーーッ!!?」

 

 

反対の拳で昂輝の胸元を殴りつける。その拳の威力は昂輝の体を容易く浮かし、体育館の壁まで吹き飛ばしていった。

有り得ない光景に絶句する野次馬に対し、(まなぶ)は自然と笑みがこぼれる。

──あのいじめっ子の昂輝を倒したんだ。いつも溜まっていた鬱憤を晴らせて、気分は爽快だった。

 

 

天海(あまかい)……お前、化物かよ…………」

 

「……ッ」

 

 

だが、周りの反応は違かった。(まなぶ)が昂輝を倒したということよりも、(まなぶ)が見せた超人的な力に恐怖していた。

向けられる畏怖の目に(まなぶ)は複雑な気持ちを抱いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。帰宅した(まなぶ)(つとむ)(みこと)と一緒に夕食を摂っていた。

ちなみに昂輝は丈夫な体が幸いしたのか、青あざですむケガで済んだ。けれど、この騒動は学校側にはバレ、連絡を受けた(みこと)(まなぶ)の代わりに昂輝の両親に謝りに行った。

治療費を払う覚悟で行ったが、昂輝の両親は息子のやんちゃぶりはわかっているのか特に見返りを求めず、お金を払わずに済んだ。

 

 

「ごちそうさまー。行ってくるよ」

 

「まぁ、待て(まなぶ)。話がある……」

 

 

夕食を一足先に食べ終えた(まなぶ)は席を立ち、荷物を持って外出しようとすると、(つとむ)に止められる。

ちなみにプロレス大会のことは1日限定の缶詰め工場のアルバイトと言って誤魔化している。プロレス大会なんて知れば、ケガをするから絶対止められるとわかっているからだ。

 

 

「あとで話そうよ。バイトに遅れちゃう……」

 

「今、話したい。なに……10分もかからない。嫌なのか?」

 

 

いつになく真剣な表情の(つとむ)に気圧された(まなぶ)は椅子に座り直す。夫の様子から2人きりにしてほしいと察した(みこと)は2階へ上っていく。

(みこと)がいなくなったのを見計らった(つとむ)(まなぶ)を見据えて語りだす。

 

 

「……ここのところ、ずっと話をしていないから叔母さんも俺もお前がよくわからなくなってきた。家の手伝いもせずに部屋にこもって奇妙な実験ばかりしてるし、学校で喧嘩をしたというし───」

 

「あれは僕が始めた喧嘩じゃない!あっちが悪い!」

 

「相手を殴り倒したんだろ?」

 

「じゃあ、逃げれば良かったの!?」

 

「いや、逃げろとは言ってないが相手をケガさせたんだ。青あざだけで良かったものの、一生寝たきりになんてなればどう償いを取るつもりなんだ?」

 

「……ッ」

 

「叔母さんがお前の代わりに下げる必要のない頭を下げたんだ………お前はいいかもしれないが、周りに及ぶ影響のこともよく考えろ………」

 

 

思わず声を荒げる(まなぶ)だが、(つとむ)の言葉に口を閉ざす。

だが、それは反省したのではなく、反論する言葉が思い浮かばなかっただけであった。賞金30万円を手に入れることだけで頭いっぱいで、こんな説教染みたことで足止めをくらってる場合じゃない。

イライラと焦燥感に駆られる(まなぶ)に対し、(つとむ)は話を続ける。

 

 

「………(まなぶ)。俺もお前ぐらいの歳には同じような経験をした────」

 

「いや、同じじゃない」

 

(まなぶ)………。お前の年頃でどう変わるかによって一生をどんな人間として生きていくかが決まるんだ。どう変わるか慎重に考えろ………」

 

「………」

 

 

そう指摘された(まなぶ)は少し俯かせて考える。

──確かに叔母には迷惑をかけたと思う。自分のせいで下げたくもない頭を下げたのだから。けれど、昂輝という男はいつも自分のいじめている奴だ。報いを与えて当然だと。

自分の行いを反省しつつも正当化しようとしている(まなぶ)(つとむ)は言う。

 

 

「その(まこと) 昂輝という生徒は殴られて当然かもしれないが、お前の方が強いからって殴る権利があるわけじゃない……………。忘れるな?大いなる力には、大いなる責任が伴う

 

 

──大いなる力には、大いなる責任が伴う。古くから伝わる格言を用いて、人生の生き方について説いた。

強い力を持っているからといって、自分本位で好き勝手していい訳ではない。そういう意味で伝えたのだが………

 

 

「僕が犯罪者になるとでも思ってるの、叔父さん?」

 

 

(まなぶ)にはその真意が伝わっていなかった。反省するどころか、自分だけが悪いと説教されているようで機嫌が損ねてしまっていた。

違った受け取り方をして興奮している(まなぶ)(つとむ)は宥めようとする。

 

 

「いや、そうじゃ──」

 

「僕のことは心配しないで。自分のことは自分で考える!お説教はやめてよ!」

 

「お前に説教しようなんてつもりはない………。俺は父親じゃない──」

 

「じゃあ父親の真似しないで!──ッ!?」

 

 

高ぶる感情のあまり最悪の言葉をぶつけてしまった。ハッと口を抑える(まなぶ)だが、もう遅い。

放たれたその一言は(つとむ)の心を傷つけるには十分な凶器であり、ショックを受けた(つとむ)の表情は、太陽が地平線へ消えるようにみるみると沈んでいった。

 

 

「………ッ」

 

バタンッ!

 

 

降りかかる自責の念から居心地が悪くなった(まなぶ)は荷物を持つと、逃げるように家を出た。

(まなぶ)が出ていった後、一部始終を2階で聞いていた(みこと)は下りてくると、心配そうな面持ちで(つとむ)を気にかける。

 

 

「大丈夫……?」

 

「……あぁ、俺は平気だ。それよりも、(まなぶ)が本当に缶詰め工場のバイトに行っているのか気になる。勘だが、どうも隠している気がする」

 

「あの子が嘘を?」

 

「決めつける気はないが、こう、何だか胸騒ぎがするんだ。危険なことに首を突っ込んでいるような…………。ちょっと後をつけてくる」

 

「えぇ、気をつけて」

 

 

心配ながら見届ける(みこと)(つとむ)は指でOKサインを送ると、ジャンパーを着て、(まなぶ)の後を追っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家を出た(つとむ)は気付かぬよう、(まなぶ)の後をこっそりついていった。というもの、今の(まなぶ)は気付かれたりしたら絶対に逃げられると思っているからだ。

物陰に隠れ、近付きすぎずかつ離れすぎずの距離を保ちながら尾行していく。場所は住宅街から町へと変わっていった。

 

 

「ん?」

 

 

尾行を開始してから30分近く経った頃。(まなぶ)は入ると思われたビルの表口に入らず、角を曲がって路地裏に入る。

角から覗くと、(まなぶ)は少し古ぼけたビルの前にいる警備員2人に何かを見せると、裏口らしき扉の奥へ入っていった。

(つとむ)も中へ入ろうとするが、警備員らに止められる。

 

 

「すみません。出場者証明書を拝見します」

 

「出場者……?ここはどういった施設なんです?」

 

「…?プロレスの大会ですよ。今夜限りで行われる特別な。プロレスラー相手に3分間耐えられたら賞金30万円」

 

 

警備員の話を聞き、ここが缶詰め工場でないこと、やはり(まなぶ)は噓をついていることがわかった。

隠していたのは自分たちが反対すると思ったことだろうが、気になるのはどうしてプロレスの大会に出たかだ。

(まなぶ)が運動が苦手だということは、育ての親である(つとむ)がよくわかっている。最近の変な行動に関係しているのかと考えるが、今は本人に会うことが優先だ。

 

 

「お願いします。証明書は持っていないが、今入っていった子は俺の甥なんです。中に入れてください」

 

「誠に申し訳ございません。保護者の方でも、出場者と関係者スタッフ以外は入れることはできないんです……。一般のオンラインチケットはお買い求めで?」

 

「あーーいや、買ってないです。失礼しました」

 

「いえいえ。お力になれず、申し訳ございません……」

 

 

ペコリと頭を下げて謝る警備員らに(つとむ)はお辞儀し返すと、表通りへ歩いていく。

────(まなぶ)はどうなってしまったんだ?

訊きたいことは山ほどあるが、ひとまず、(まなぶ)が出てくるまでビルの表口で待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(凄い熱気だ……)」

 

 

一方、叔父が外で待っていることも知らない(まなぶ)はプロレス会場へと足を運んでいた。

裏側の通路からでも聞こえる観客の声に、(まなぶ)は驚いていた。

少しだけ気になるので扉を覗ける範囲まで開けて表舞台の様子を伺う。

リングでは今まさに、プロレスラーがアマチュアのチャレンジャーをブレーンバスターでKOしていた。盛り上がる観客の声と共にKOのゴングが鳴り響く。

 

 

カンカンカンカーーーンッ!

 

「ヌオォォーーーーッ!!誰でもかかってこーい!!すぐにリングに沈めてやるゥ!!」

 

 

筋骨隆々に山賊のような頭髪と長いひげを生やしたプロレスラー────ボーン・ソー・マッグローは叫ぶ。

連戦に連戦を重ねた影響で過剰にアドレナリンが分泌されており、飢えた野獣のように闘争心をメラメラと燃え上がらせていた。

あまりもの迫力に(まなぶ)は圧巻されていると、医者スタッフらしき数名の人が負傷した参加者を担架で運んでいた。

 

 

「あああぁ………!あ、足が……!助けてくれ……!」

 

「……」

 

 

苦痛に泣き叫ぶ他の参加者の痛々しい姿にすっかり顔は青冷めた。

ここに来て(まなぶ)は不安が押し寄せるが、予約までしてまで来たのだから、とりあえず控室で着替えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーン・ソーはチャレンジャーを軽々と持ち上げると、リングの外へ放り出した。

設置してあった長机は力強く投げつけられたチャレンジャーの体重によって粉砕され、そのままKO。またもや勝利のゴングが鳴り響く。

 

 

カンカンカーーーンッ!!!

 

「Winner!ボーン・ソー・マッグロー!」

 

《強い!強いぞ、ボーン・ソー!モスキートマンを下しました!!大会が始まってから26人ものチャレンジャーを葬っていますが、未だダウンする様子を見せませんッ!!こいつを止められる勇気ある者は現れるのかーーーー!!?》

 

 

持ち前のトークで会場にいる人間を盛り上げたリングアナは出場者名簿に目を通す。

 

 

「えーと、次の選手は………『蜘蛛人間』!?だっさい名前……」

 

 

リングネームのセンスのなさに苦虫を嚙み潰したような表情で呟く。

『蜘蛛人間』とは(まなぶ)のことであり、蜘蛛の能力を授かったことに由来して付けた名前だ。

直球すぎるネーミングセンスにリングアナは嘆息をついて気持ちを切り替えると、再びマイクを手に取る。

 

 

《それでは、次の生贄にリングの上に登場してもらいましょう!はたして、彼は3分間リングの上でボーン・ソーの攻撃を耐え続け、30万円の賞金を手にすることが出来るのか?》

 

 

そのアナウンスが聞こえた(まなぶ)は深呼吸をすると、扉の前へ一歩出た。

これから起こるのは学生同士での喧嘩ではない。その比にもならない、下手すれば大怪我する試合だ。

気を引き締めた彼は、赤いマスクを頭に装着した。

 

 

《賞金30万円を狙って登場する次のレスラーは!恐るべき殺人マシーン!!地獄からの使者、スパイダーマ!!!》

 

 

リングアナの登場コールと共に勢いよく入場扉が開かれ、観客の目にコスチュームを着た(まなぶ)の姿が晒される。

しかし、身に纏っているコスチュームは目出し帽に、スプレーで塗った蜘蛛のマークがデザインされている古びた赤いパーカー、青い布製のズボンに薄汚れたスニーカーと、低予算丸出しのコスチュームだった。スケッチブックに描かれていたものとは似ても似つかない、ひと言で言うなら”ダサい”。

こうなったのもきちんと理由があり、本来はスケッチブック通りのコスチュームを作ろうとしたがお金が足らず、結果、使わなくなった古着などで作らざるを得なかったのだ。

 

 

「……『スパイダーマン』?蜘蛛人間だってちゃんと送ったのに!」

 

「いいから行けって」

 

「名前が間違っている!もう一度───」

 

「早く出ろ!」

 

 

勝手にリングネームを変えられて納得できない(まなぶ)は仕切り直すように後ろにいるスタッフに抗議するが聞き入れるはずもなく、押し出されるように会場へ出された。

渋々従うことにした(まなぶ)は入場通路を歩いていく。周りの観客からはブーイングの嵐で、「早くやられろ!」やら「ちびる前に帰ってほうがいいんじゃないか」などといった罵声も聞こえてくる。

これを聞いた(まなぶ)は察した。観客が求めるのは誰かが勝つ姿でなく、どちらでもいいから無様に敗北する姿を見たいのだと。

そんなことを思いながらロープを潜り、リングの上に立つ。

 

 

ウィィン……

 

「!?」

 

 

するとその瞬間、天井から鉄の檻がゆっくりと降りてきた。

鉄の檻は(まなぶ)が驚く間もなく一瞬にしてリングを囲った。さながら動物園のライオンのように。

困惑する(まなぶ)を尻目に、リングアナは警備員に指示をかける。

 

 

《警備員諸君?猛獣が逃げないようにしっかりと鍵をかけてもらえるかな?》

 

「ねぇ、ちょっと?ねぇってば!待ってくれ!これは何かの間違いだ!檻に入るなんて聞いてない!鍵を外せ!」

 

 

スーパーパワーを持っていても閉じ込めては気味が悪い。(まなぶ)は警備員たちに抗議するが、聞く耳も持たず、黙々とチェーンをかけていった。

理不尽だろと悲観していると、ボーン・ソーは──

 

 

「おい、蜘蛛男!どこにも逃げ道はない!俺が3分相手してやる!」

 

「……ッ!」

 

「3分楽しく遊ぼうぜ~~!」

 

カーンッ!

 

 

子気味悪い笑みを浮かべながらそう言うと、ゴングが鳴ったと同時に突っ込んでくる。

(まなぶ)は当たる寸前にジャンプして避けると、ボーン・ソーは思いっきり檻にぶつかった。

その衝撃ですっ転ぶがすぐに立ち上がって見上げると、(まなぶ)は檻に引っ付いてボーン・ソーを見下ろしていた。

 

 

「…………そんなところで何をしているッ!?」

 

「あんたから逃げているんだ。可愛い衣装だね、旦那さんからのプレゼント?」

 

「ウゥゥグアァーーーーーーーッ!!」

 

 

(まなぶ)は挑発に乗っかって飛びかかってきたボーン・ソーの手から逃れてジャンプすると、蜘蛛のような姿勢でボーン・ソーの後ろの床に着地する。

 

 

「ふんッ!」

 

「のわッ!?」

 

 

そして、すぐさま前転して腕を伸ばして飛び上がり、両足のキックをボーン・ソーの後頭部にぶつける。

ボーン・ソーはまたもや鉄の檻に衝突する。

 

 

「いいぞ!スパイダーマンッ!」

 

「凄いぞーー!」

 

「ッ!」

 

 

(まなぶ)は警戒して身構えていると、観客からの思わぬ声援に目出し帽の下で頬を緩める。

(まなぶ)の予想外の健闘にボーン・ソーだけを応援していた観客も、(まなぶ)へと関心を向けていた。

 

 

≈「ッ!」≈

 

「ヌオォォーーーーッ!」

 

ガンッ!

 

「うあッ!?」

 

 

おだてられてすっかり気を取られていた(まなぶ)は隙だらけだった。

スパイダーセンスが反応していたにも関わらず反応が遅れてしまい、後ろからボーン・ソーのパイプ椅子を使った凶器攻撃を頭にもろにくらってしまった。

倒れた(まなぶ)に対して、無慈悲にもボーン・ソーはパイプ椅子がひしゃげるくらい何発も叩き込んだ。ガンガンと叩き込まれる激痛に目出し帽の下で顔を歪める。

ボーン・ソーが壊れたパイプ椅子をリングの外に放り出して、セコンドから新しいパイプ椅子を貰おうとした隙を狙って(まなぶ)は起き上がると、距離を取る。

 

 

「凶器がアリなら、蜘蛛糸もアリだよなッ!」

 

ピシュッ!ピシュッ!

 

「ヌオッ!?」

 

「ンン~~~──」

 

 

そう叫んで(まなぶ)は両手の中指と薬指を曲げて、発射させたウェブをボーン・ソーの背中にくっつける。

(まなぶ)は背負うようにして思いっ切り引っ張ると、ボーン・ソーの体は宙に浮き──

 

 

「────ヌアァッ!!!」

 

「のあぁッ!」

 

ドォォンッ!!

 

 

一本背負いして反対のリングに叩きつける。

(まなぶ)は間髪入れずウェブをボーン・ソーの後ろの檻に引っ付けると、手前にグイッと引っ張って飛び出す。

両足キックの体勢のまま飛び出した一撃は、起き上がったばかりのボーン・ソーの胸元に直撃。後ろに吹っ飛び、ロープにバウンドして再びリングに沈む。

ここまでやられれば参るものだが、さすがボーン・ソー。闘志を消さずに、むしろやってやるという気持ちでフラフラとしながらも立ち上がる。

 

 

「……こ、このぉ、ガキ────!!」

 

「ふんッ!」

 

バキッ!

 

「ガッ!?」

 

「ヌアッ!」

 

バキッ!

 

「ごおッ!?」

 

 

めまいがしながらも拳を振ろうとするがそれが届く前に(まなぶ)の右、左の拳が両頬に炸裂。

この連続攻撃はただでさえダメージが響いているボーン・ソーには効果抜群で、目の焦点が正常に定まらなくなった。

(まなぶ)はとどめの一撃とばかりに右腕を軽く回して力を込めると、千鳥足のようにフラフラと足があっちこっち動いているボーン・ソーに目掛け──

 

 

ゴッ!!

 

「ごぶッ!!!………ぬぅおぉぉ………」

 

バタンッ!

 

 

鼻っ面に思いっ切り殴りつけた。

ボーン・ソーは鼻から血を出すと、焦点が上を向きながらその場に倒れた。

レフェリーがカウントにかかろうとするが、ボーン・ソーの容体を見て気絶しているとわかり、勝者である(まなぶ)の腕を上げる。

それと同時に勝利のゴングと観客の歓声が鳴り響く。

 

 

カンカンカーーーーンッ!

 

《みなさん!新チャンピオンの誕生でぇーーーすッ!その名はスパイダーマンッ!!!》

 

『スパイダーマンッ!スパイダーマンッ!スパイダーマンッ!』

 

 

リングアナが新しい王者を称えると、観客は一斉にスパイダーマンコールをする。

自分の名前をコールする観客の歓声に今まで体験したことがない喜びに(まなぶ)は目出し帽の下で顔をにやけさせた。

この出来事は彼にとって、一生忘れられない日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、賞金」

 

「え?」

 

 

試合が終わり、(まなぶ)は事務所で賞金を受け取りに行った。だが、差し出された賞金は30万円の半分にも満たない5万円だった。

勝ったはずなのにこれだけしか貰えないことに疑問を抱いた(まなぶ)は尋ねる。

 

 

「あのーー……30万円の間違いじゃないですか?たったこれだけって……」

 

「宣伝をよく読んだのか?3()()()()()()()()()30万円……お前は2()()()()()()()。それにK()O()()()()()()()()()()()()()

 

 

主催者の男に指摘された(まなぶ)はスマホを取り出し、ウェブページの宣伝に目を通す。

確かに3分間持ちこたらとしか書かれておらず、相手を倒せとは一言も書かれていなかった。(まなぶ)の解釈違いのせいだとは一目瞭然だった。

それでも納得がいかない(まなぶ)は不満をぶつける。

 

 

「じゃあ、『KOしてはいけません』って書いてくれよ!?これは詐欺だ!もっとくれたっていいじゃない!?」

 

「それが俺とどういう関係なんだよ?5万円貰えただけでも儲かりもんだろ?さっさと帰りな」

 

 

そう言ってシッシッと手払いする主催者に上手く言い返せない(まなぶ)は諦めて、事務所を後にした。

着替えた(まなぶ)はこのビルで唯一下へ降りられる手段であるエレベーターがやってくるのを待っていた。

 

 

「(何なんだ、あの男。態度といい、口調といい………。もう少し甘くしてくれっていいだろ………!)」

 

 

エレベーターが到着するのを待っている(まなぶ)の内心は苛立っていた。その原因はもちろん、主催者にされた理不尽な対応にだ。

──解釈を間違えたのは認めるが、せめて半分くらいは貰う権利があるだろう。そう思いはするが、体を動かして疲れたのもあって抗議する気力はなかった。

 

 

バンッ!

 

「?」

 

 

そして、エレベーターが到着して乗り込もうとしたとき、後ろから大きな物音がする。

振り返ると、無精ひげを生やしたいかにも悪そうな男がリュックを片手に、こちらに向かって全力疾走していた。

走る無精ひげの男の後ろからは中年の警備員が追いかけていた。

 

 

「強盗だーー!売上を取り上げられた!捕まえてくれッ!!」

 

「ッ!」

 

 

遠くからあの主催者の男の声が聞こえ、(まなぶ)は取り押さえようとするが、ある考えが頭を過る。

──盗まれたのは警備が杜撰だった主催者(あの男)の責任であって、僕には関係ない。

そう考えた(まなぶ)は向かってくる強盗を見逃すと、強盗はエレベーターに乗り、したり顔を浮かべながら下へと降りていった。

 

後からやってきた中年の警備員は悔しそうにエレベーターのドアをバンバンと叩いた後、見逃した張本人である(まなぶ)に問い詰める。

 

 

「どういうつもりだ!?君なら足を引っかけるなりして簡単に捕まえられただろ!?」

 

「悪いけど、それはあなたの仕事でしょ?」

 

「チッ!」

 

 

一方的に責められているような気がした(まなぶ)はそう言い返すと、中年の警備員は舌打ちしながら電話で警察に連絡し始める。

それをよそに遅れてやってきた主催者の男も同様に(まなぶ)に問い詰める。

 

 

「何故、何もしなかった!?俺の金を盗んだ強盗なんだぞッ!」

 

「それが僕とどういう関係があるんだよ?」

 

「~~ッ」

 

 

(まなぶ)は事務所で言われたことをそっくりそのままお返しすると、主催者は恨めしそうな表情を浮かべながら、事務所の方へ戻っていった。

腹いせができた(まなぶ)は不敵な笑みを浮かべると、次にやってきたエレベーターに乗って、下へと降りていった。

 

 

ウーウウーーーー………!

 

「?」

 

 

裏口から出た(まなぶ)は近くから聞こえるサイレン音に足を止める。

顔を向けるとそこは表通りの方で、そこには何かを囲う野次馬の影とパトカーと救急車の赤く灯ったランプの光が見えた。

この様子から只事ではないことが起きたことがわかるが──

 

 

「(何かあったんだろうけど、僕には関係ない……)」

 

 

(まなぶ)は特別関心を持たず、逆の通りへ繋がる道を歩き始める。

気になりはするが、所詮は他人のこと。言い聞かせた(まなぶ)は暗い夜道を1人歩いていく。

 

しかし、彼は知らなかった。

これが他人ごとではないということに………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「警察?」

 

 

家に帰りついた(まなぶ)だが、家の前にパトカーが停まっていることに疑問を抱く。

何事だろうと思った(まなぶ)は家の中に入ると、リビングでは警察官2人と机に伏せて泣いている(みこと)の姿があった。

 

 

「うっぅぅ………!神様、仏様あんまりですぅぅ!うっうぅぅ………」

 

「叔母さん!どうしたの!?何かあったの!?叔父さんは!?」

 

(まなぶ)ぅぅうっうぅぅ………!あ、あの人が……あの人がぁぁ………!」

 

 

事情を尋ねようとするも(みこと)はわんわんと泣くばかりでまともに聞き出せる状態じゃない。

そんな状態を見かねた警察官は(まなぶ)に尋ねる。

 

 

「この家のご家族の方ですね?」

 

「えぇ、そうですが………」

 

 

(まなぶ)がそう答えると、警察官は(みこと)に代わって言う。

 

 

「お気の毒ですが……30分ほど前、あなたの叔父──天海(あまかい) (つとむ)さんが銃で撃たれて亡くなりました」

 

「………………え」

 

 

(まなぶ)は警察官の口から飛び出た言葉に衝撃を打たれる。

──そんな馬鹿な、ありえない。ついさっきまでピンピンしてたのに。胸にぽっかりと穴が開くような喪失感に襲われる。

信じられない様子で(まなぶ)が動揺していると、警察官は詳しい状況を聞かせる。

 

 

「6番地区の表通りで(つとむ)さんは逃げてきた強盗を取り押さえようとしましたが、抵抗する犯人に撃たれ………。即死でした………」

 

「………」

 

 

申し訳なさそうに表情を曇らせる警察官たち。彼らを責める気は(まなぶ)には全くなく、怒りと悲しみは殺人犯へと向けていた。

(つとむ)がどうしてその場にいたのか(まなぶ)にはわからなかったが、彼のような善人を平気で殺す犯人に殺意が湧いていた。

──叔父さんと同じ目に合わせてやる!(まなぶ)の頭の中ではその言葉でいっぱいだった。

 

 

《───全警官に告ぐ。老人を殺したと思われる男は7番地区のウィレム倉庫に籠城。繰り返す、犯人は7番地区のウィレム倉庫に籠城──》

 

 

犯人を殺してやりたいと思っていた矢先、幸運とばかりに警察官の無線機から犯人の情報が流れてくる。しかも正確な位置のオマケつきだ。

そうとわかるや否や(まなぶ)は急いで2階の自室に駆けこむと、プロレスで使ったコスチュームに着替え、窓を開ける。

遠くの電柱に向かってウェブを放つと、そのまま夜の街の上空をスイングしていった。

 

 

「(警察なんかに任せておけるか!叔父さんを殺した犯人は僕がこの手で捕まえてやる!どんな手段を使ってでも………!!!)」

 

 

復讐心に燃える(まなぶ)はそう心に誓うと、犯人が立てこもる廃倉庫へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、犯人はというと、盗んだ車で逃走し、廃墟となっている倉庫の3階で籠城していた。

外ではパトカーと警察官の大群が倉庫を包囲しており、まさに袋のねずみだ。

 

 

《ここは我々が完全に包囲したーー!武器を捨て、大人しく投降しろ!》

 

「ちいッ!サツの奴、手が早いぜ……」

 

 

外から拡声器を使った警察の呼びかけに悪態をつく犯人。一旦隠れて様子を見計らって逃げようと思っていたが、予想外にも警察の手は早く、あっという間に外は完全に包囲されてしまった。

逃げようにも逃げられない最悪な状況だが、それは警察官も同じだった。

突入しようにも広くて暗い倉庫内ではどこに犯人が潜んでいるかわからず、近寄ろうとするなら発砲されてしまう危険性が考慮されているからだ。

双方は膠着状態となっていた。

 

 

ガタンッ!

 

「…ッ!誰だ!?」

 

 

犯人は拳銃のリロードをしていると、上階から何かが侵入した音が聞こえて飛び跳ねると、銃を上へ向ける。

工場内は警察が外から照らすサーチライトでしか状況を知る手段はない。

拳銃を上へ向けながらあっちこっち警戒し、後ろを振り向いた瞬間──

 

 

「フンッ!」

 

バキッ!

 

「ごあッ!?」

 

 

いつの間にか現れた(まなぶ)に頬を殴られる。怒りが込められた拳は犯人を十分に怯ませた。

続けて(まなぶ)は犯人の頭髪を乱暴に掴むと、近くの壁に顔面をぶつけた。

 

 

「が、あぁぁ……!」

 

ガンッ!

 

「こあぁ……!」

 

 

顔面を固い壁にぶつけられた犯人は苦痛に顔を歪める。そんなこともお構いなしに(まなぶ)は手を離すと同時にもう一発壁に顔面をぶつけた。

膝をつく犯人の鼻と額からは血が垂れており、苦痛に歪む顔を赤く染める。

 

 

「くっそ!」

 

ダァンッ!ダァンッ!ダァンッ!

 

 

犯人はよろめきながら立ち上がると、銃を3発発砲する。

銃弾は(まなぶ)に向かって素早くかつ真っ直ぐ進んでいくが、優れた動体視力を持つ(まなぶ)にとってはスローモーションにしか見えず、銃弾を全て左手だけで簡単に掴んだ。

(まなぶ)は手を離すと、掴んで握りつぶした銃弾がバラバラと落ちていく。

 

 

「なっ!?」

 

 

目の前で起きた光景に犯人は目を見開く。

銃弾を避けるまではわかるも、()()()()()()()()()()()なんて絶対にありえないからだ。

 

気味悪く思いながら犯人は発砲しようとするが、(まなぶ)がウェブを放って銃を取り上げると、そのまま遠くへ投げ捨てる。

飛び道具を取り上げられた犯人は懐からナイフを取り出すと、刃を立てて(まなぶ)を襲う。

 

 

「うおぉぉぉーーー!!」

 

 

冷静さを失っている犯人は無茶苦茶な軌道でナイフを振り回す。

そんな狙いが定まっていない振り方では反射神経が優れている(まなぶ)相手には全くかすりもせず、ヒュンヒュンと風切り音が鳴るばかり。

(まなぶ)はナイフを振り下ろす手の手首を掴む。

 

 

ボキッ!

 

「ぐあぁぁぁーーー!!」

 

「フンッ!」

 

 

力を込めて捻ると、鈍い音が鳴り、犯人の手からナイフが落ちる。

手首の激痛に悲鳴をあげる犯人に休む間も与えずジャンプして天井のパイプに掴まると、両足で胸元を蹴りつける。

犯人は窓際の壁に大きく後ずさる。詰め寄った(まなぶ)は犯人の胸ぐらを左手で掴むと、もう片方の手で殴り始める。

 

 

「この人殺しめ!僕の!怒りを!!思い知れ!!!」

 

 

(まなぶ)は心の奥底から叫びながら、拳を一発……また一発と怒りをぶつけていく。

幼い頃から自分を育ててくれた大切な叔父への想いが、殺した犯人への恨みを突き動かしていく。

荒々しい猛攻撃を受け、唇を切った口から血が出て、鼻血もどんどん流れ、顔じゅうにあざができていく。それと同時に犯人の精神力は(まなぶ)への恐怖で擦り減っていった。

 

 

「ま、待ってくれ……!助けてくれ……!情けをかけてくれェェーーー!」

 

 

数分間殴り続け、(まなぶ)が次の拳を振り下ろそうとした瞬間、犯人は怯えた声で待ったをかける。

その声を聞いて拳を止める(まなぶ)

しかし、情けをかけてくれという単語に頭にきた(まなぶ)は胸ぐらを掴んだまま、力強く壁に押し当てる。

苦悶する犯人の顔を目によく刻んでやろうと目出し帽を脱ぐ。

 

 

「お前は僕の叔父さんに情けをかけたのか!?どうなんだ!?答えろッ!!────ッ!?」

 

 

眉間にしわを寄せて叫ぶ(まなぶ)だったが、外から照らされるサーチライトで犯人の顔が露わになった瞬間、驚愕する。

無精ひげに悪そうな顔……。殴ったことで血やあざができているものの、犯人の男はプロレス大会の帰りで自分が見逃したあの強盗だった。

あのときに起きた出来事が走馬灯のように駆け巡る。

 

金を奪った強盗した犯人が全力疾走し、それを追いかける警備員と主催者。

腹いせをしてやろうと易々と見逃す自分。

エレベーターで逃走する犯人。

警備員と主催者に責められる自分。そして──

 

 

『それはあなたの仕事でしょ?』

 

『それが僕とどういう関係があるんだよ?』

 

「あ、あああ…………」

 

 

自分が言った無責任な発言。こうして逃げた犯人を捕まえようと(つとむ)が動いたのは想像するには容易かった。

(つとむ)は正義感が強いので多少無理はしても捕まえようとするのは当然だった。

だが、無慈悲にも射殺された。彼が殺された責任は誰でもない、(まなぶ)自身にあった。

それを自覚した(まなぶ)はショックを受け、犯人を掴む手はみるみると緩んでいく。

 

 

「……あっ、ああっ、あ………うわぁーーーーーーッ!!」

 

「ッ!」

 

ガッシャーーーンッ!

 

 

自責の念に駆られて固まっている(まなぶ)は犯人の叫ぶ声でハッと意識を戻す。

解放された犯人は与えられた恐怖によって錯乱し、逃れようと窓から外へ飛び出していた。

しかし、ここは3階。40mの高さは人の体では耐えられるはずもなく、勢いよく落下し、地面に頭をぶつけた。

 

 

「……」

 

 

(まなぶ)は割れた窓から真下にいる犯人を見る。頭からは血を流し、サーチライトで伺える表情からは生気が抜けていた。

落下死────。犯人のあっけない幕切れに(まなぶ)は困惑するが、警察官が集まる音が聞こえ、すぐさまその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(僕のせいだ……!僕のせいで叔父さんは………!)」

 

 

現場から立ち去った(まなぶ)は町外れにある標高137メートルの小さな山の頂上で1人ぐすぐすと泣いていた。

叔父を喪った悲しみ──。有頂天になっていた自分への恥──。そして、叔父の死を招いた自分を許せない気持ちが混雑しており、何をすればいいかわからず、ただ涙を流すしかなかった。

──大いなる力には、大いなる責任が伴う。その意味を彼はやっと理解した。

その晩、(まなぶ)は涙が枯れるまで泣き続けた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一晩中泣き続けた(まなぶ)は自宅に帰ってきていた。外はすっかり明るくなっていたが、彼の気持ちは深く沈んだままだった。

罪悪感に駆られた(まなぶ)に待っていたのは喪失感だった。悲しみも怒りも湧かない。もう何もする気力はなく、ただボーっとベッドから部屋を眺めているばかりだ。

 

 

ヒューーー………

 

「?」

 

 

──このまま消えてしまいたい、それで叔父が帰ってくるのなら。と絶望していると、窓から風が吹き、床に置いていたスケッチブックがパラパラとめくられ、あるページで止まる。

絶望している最中、目に留まった(まなぶ)はスケッチブックを拾い上げる。そこに描かれているのは、以前完成させたヒロイックな蜘蛛のコスチュームのデザイン画だった。

 

 

『大いなる力には、大いなる責任が伴う。覚えておけ、(まなぶ)。忘れるな?』

 

「………」

 

 

デザイン画に向き合いながら叔父の遺した言葉を思い返す(まなぶ)

あの晩で自分がいかに愚かであったことを十分に思い知った。力は自分のためではなく、誰かのために使うべきということを教訓として学んだ。

この能力を授かった今、自分が何をするべきなのか?決意した(まなぶ)は賞金の5万円を使い、デザイン画通りのコスチューム作成へと取り掛かった。

 

こうして、新たな伝説が生まれ、新しいヒーローが誕生しようとしていた!

 




◆イースター・エッグ◆
①「まいったな。叔父さんには敵わないや」
 スパイダーマンがデビューした『アメイジング・ファンタジー』#15(最終刊)で、寝たふりをしようとしていたピーターが起こすベンおじさんに向けて発したセリフ。

②「(あの子、天使……?)」
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、メイ叔母さんが見舞いにきたピーターに話す昔話から出たセリフ。幼い頃のピーターは隣に引っ越してきたMJに一目惚れにし、この言葉でメイ叔母さんに尋ねた。

③滑った五月を支えつつ、トレイのものを全てキャッチ
 元ネタはサム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、床にこぼれたジュースで滑ったMJが宙に飛ばしたトレイをピーターがキャッチするシーンのオマージュ。
このシーンはCGでなく、ピーター役のトビー・マグワイアの手とトレイに接着剤をつけて実際にキャッチしている。
このシーンだけで156回、約16時間もかけて撮影された。

④「スパイダーストリングス!」
 元ネタは『EARTH-51778』のスパイダーマンこと、東映版「スパイダーマン」(1978)のセリフ。この掛け声とともに右手首に装着しているスパイダーブレスレットから蜘蛛糸が発射される。

⑤体育館でもめる
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン」(2012)にて、スーパーパワーを手に入れたピーターがバスケットボールをしていたフラッシュとひと悶着起こした状況のオマージュ。

⑥モスキートマン
 スパイダーマンの初期構想における名前から。原作者の1人であるスタン・リーは壁に張り付くハエを見て、新しいヒーローのアイディアが浮かんだ。だが、ハエのヒーローだと締まりが悪いので、蜘蛛に変更したという。

⑦地獄からの使者
 東映版「スパイダーマン」(1978)において、主人公スパイダーマンの名乗り口上の1つ。色んな意味で愛されている。

スパイダーマンを増やす?

  • YES!(ヒロインなし)
  • YES!(オリジナルヒロイン)
  • YES!(五つ子の中からヒロイン)
  • NO
  • It's Morbin time
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