ウィンターホリデーが終わっても、取りたてて生活が変わったわけではない。
両親からは怒涛のような連絡がきたが、カリムが手を回したのかアジーム家からは何の音沙汰もなく、周囲の態度も思うほどに変化は出なかった。ひとつ大きく変わったのは、やはり俺の目を見る人間が明らかに減ったということくらいだろう。それは自衛を考えれば当然のことで、俺としても特に思うところがあるわけではなかった。
ただ、何故だかちょくちょくと話す機会のあった彼だけは、俺と目を合わせて話すことをやめなかった。あまりに態度に変化がないので、俺に操られるかもと怖くはないのか、と尋ねたことがある。すると彼は面白そうに笑って、だって必要ないでしょう、と妙に自信のある口ぶりで言った。僕普通にお手伝いくらいしますし、聞かれたことには答えますし、と、けろりと。確かにそうだ、と思わず俺も笑った。俺が猫の手も借りたくなったとき、彼はよくこまごまとした雑務を片付けてくれていた。操らなくても言葉ひとつで動いてくれるのだから、
まさか、その彼自身に、自分を操ってほしいと乞われるとは。
「……瞳に映るはお前の
まだ幼さが残る顔立ちに浮かぶ、漆黒の瞳。その虹彩には僅かに銀が散っていて、まるで星空のようだと思った。星空は揺らぐことなく、瞬きのひとつもしようとしない。
「尋ねれば答えよ、命じれば頭を垂れよ」
僕を操り、真実を言えと命令してください、と彼は言った。全てをお話しするつもりで来ましたが、その方が貴方がたも疑わずに済むでしょう、と。
俺の後ろで座るカリムも、少し申し訳なさそうにしながらも止めることはしない。そこまでして信じてもらいたいことがあるというのなら、とこのお人好しの主人もしぶしぶだが納得していた。まあ俺も、面倒ではあるがこれまでの働きに免じてそれくらいはしてやろうと思う。その腹の内に眠る《秘密》にも、確かに興味はあった。
「
聞かせてもらおう、お前の言う《真実》を。
***
彼を初めて認識したのは、俺が二年になってしばらく経った、ある満月の夜のことだった。
諸々の仕事を片づけてようやく寮の自室に戻ろうとしたとき、ふと外に人影を見つけた。とっくに日も暮れたとは言え、満月の日ならば灯りがなくともその様子は見える。そう大きくないその影は、長い棒のようなものを持って何やら砂漠の砂と戯れていた。意味不明な動きだったし、正直関わりたくなかったが、消灯時間も近い。副寮長という立場上、放っておくわけにもいかなかった。
仕方なく来た道を戻り、外に出る。夜の砂漠は静まり返っていて、俺の溜息すらも大きく聞こえた。
「そこの君、何をしている?」
相変わらず砂と戯れる小柄な影に近づき、声をかける。あ、と驚いたように振り向いた顔に、うっすらと見覚えがあった。確か、今年入学してきた生徒のなかに、こんな顔があったような気がする。
スカラビアに多い褐色の肌に、短く切った黒髪と黒目、その大きな瞳のせいか新入生にしても幼く見える。サイズが合わず裾を折って丈を合わせている体操着から覗く手足は、あまりに細い。
「す、すみません、ええと、副寮長の……」
「ジャミル・バイパーだ。一年生か?」
「はい、タリク・シラージュといいます」
「そうか。タリク、もう消灯時間も近い。自由時間のことをとやかく言うつもりはないが、そろそろ自室に戻った方がいい」
失礼しました、と慌てたように言うタリクは持っていた木の枝を放り捨てる。
よくよく見れば、彼の足元の砂には何かを書いていたような跡。そして近くの岩には、魔法史の教科書が開いてあった。
「……まさかとは思うが、こんなところで勉強を?」
「あ、……その、明日魔法史の小テストがあるので……」
「……砂に書き取りをして?」
「手を動かすのが一番覚えられるので……砂の上だと文字がすぐ消えてしまうので、かえって頭に入るというか……ずっとこうやって勉強していたので習慣づいていて……すみません」
「……いや、謝る必要はないんだが」
申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうに彼は言う。だんだんとか細くなっていく声に、さすがに申し訳なさを感じてきた。消灯時間が近いとはいえ、彼はただテスト勉強をしていただけだ。
こちらこそ邪魔をしてすまない、と言うと、タリクはまた慌てて首を振った。
「一年生のこの時期の小テストならそうひねった問題も出ない。教科書さえきちんと読んでおけば点は取れるはずだ。そう心配することもない」
「はい、……部屋に戻って教科書をちゃんと読んでおきます。お忙しいのにお手数をおかけして申し訳ありませんでした」
ぺこりと音がしそうなお辞儀をして、魔法史の教科書を大事そうに取る。ぱたぱたと砂を払って胸に抱え、こちらに駆け寄った。どうせ戻る道は同じなので、少し緊張した様子の彼と並んで寮の入口へと向かう。
「勉強熱心なんだな。いいことだ」
「そんな、ああしないと覚えられないだけです。最初のテストだから難易度もわからなくて、とにかく対策だけはしておこうと思って」
「初回に緊張する気持ちはわからないでもないな。……ずっと、とさっき言っていたが、いつも砂に書いて勉強を?」
「……ペンや紙にも不自由する場所で生きてきたので」
でも砂はどこにでもありますから、と軽く言うタリクの表情に悲観は見えなかった。そうか、と俺は毒にも薬にもならない相槌を打つ。
砂漠という過酷な環境のせいか、熱砂の国は貧富の差が激しい。おそらく彼は、その「貧」に近い方の出身なのだろう。大富豪アジーム家には遠く及ばないにしろ、それに仕えるバイパー家の俺も生活に困るようなことはなかった。だから、俺に彼の気持ちはわからない。しかし、誰とてそれぞれの境遇での苦労くらいはある。必要以上に同情する気はなかった。
タリク自身もそういう言葉は求めていなかったのか、俺の態度を気にすることもなく、躊躇いがちに口を開いた。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいですか?」
「何だ?」
「先ほど、この時期の小テストならそうひねった問題は出ない、と仰いましたよね。つまり今後はいじわるな問題も出る、という意味に捉えても……?」
先ほどより断然深刻な顔をしてそんなことを聞くものだから、思わず小さく吹き出した。どうやら彼は、自分の生い立ちに関わることより、試験の点の方が大切らしい。なるほど、華奢な見た目に似合わず、結構に強かな人間のようだ。
「トレイン先生は、教え方はわかりやすいが厳しいひとだからな。授業中に教科書にないことを話すようになったら注意した方がいい。レポートや記述問題ではその辺も踏まえて解答しないと、なかなか良い評価をもらえないようだ」
「なるほど……!」
覚えておきます、と素直に頷く様子はなかなか微笑ましかった。傲慢が過ぎる素直さには辟易していたが、彼のような謙虚な素直さは好ましい。何なら去年のテスト問題でも見せようか、と言ってみれば、彼は真っ黒の瞳を輝かせた。
「勉強も、一年の範囲くらいなら見てやれる。何かあったら言うといい」
「何から何まですみません……! お時間のあるときに是非お願いします」
と、そこで彼ははっと気付いたように言った。
「……お時間あるときってあるんですか……?」
お見掛けするときはいつも走り回っていらっしゃるような、と問われ、思わず遠くを見る。時間があるかと言われれば限りなくないと答えるしかないし、それをすでに知られていることにも切なさを覚えた。それもこれもすべてカリムのせい。仕事とはいえ頭が痛い。
そんな俺を見て、タリクは「余計なことを言ってしまった!」と言わんばかりにあわあわと言葉を続ける。
「い、一年の僕に出来ることなんて少ないでしょうけど! お手伝いできることがあれば何でもやりますので!」
「……いや、ああ、お気遣いありがとう」
そのときは頼む、と頷けば、やけに気負った様子で頷く彼に、小さく笑う。
常に刺客に気をつけなければならない立場である以上、彼を特に信頼するつもりはない。だが、気安く話せる存在を一年生に作っておくのも悪くはないだろう。いざというとき、真面目で素直な手足がいれば助かることもあるかもしれない。
そんな打算に満ちた思考をしまい込んで、いくらか人見知りが取れた様子の彼に笑顔を向けた。
「それじゃ、消灯時間は守るようにな」
「はい、お手数をおかけしました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
そしてまた頭を下げて、彼は自室の方へと戻っていく。その背中を見送って、俺も自分の部屋の方へ足を向けた。
今まで目上と接することの方が多かったせいか、誰かに敬語を使われるということさえ新鮮に感じる。後輩と接することこそあっても、いつもカリムの世話に追われていたせいで、きちんと話したことはほとんどなかった。
「……意外と悪くないな」
ぽつり、と口から言葉が落ちる。度を超えれば話は別だろうが、まあ、敬われて頼られるのも悪くはない。誰に言うでもなくひとつ頷いて、ほんの少しだけいい気分で足を進める。
すでに灯りの落とされた廊下も、満月の下では明るかった。
***
虚ろな眼には何者も映らない。
一言俺が問いかけると、彼はその唇とゆっくりと動かし始めた。
「……僕が貧しい暮らしをしていたことは御存じかと思います」
最低限の肉しかついていない痩せた体躯、成長しても買い替えずに済むようあえて大きなサイズの制服を身にまとい、ペンのインクやノートも出来るだけ使わず、哀れみをもって他から与えられるものは喜んで受け取る。しかし彼は決して己を卑下せず、必ず努力と才覚をもってその返礼を果たした。俺は彼のそういう打算的なくせに義理堅い――いや、ひとに借りを作るのを嫌うところが気に入っていた。
「僕は、熱砂の国の端、海に近いところで育ちました。海水と砂しかない、およそひとが生きるには向かないところです。特に僕のいた村はほかに行き場のない荒くれ者ばかりで、出稼ぎで生計を立てていました」
「……出稼ぎ?」
「はい。……以前から噂になっているそうですから、おふたりも聞いたことがあるかもしれません」
あの村は、よそから《盗賊村》と呼ばれていました。
未だ
「そこの住人は全員が盗賊で、――僕も、そのひとりです」
カリムが、息を呑む。俺は、ただタリクの次の言葉を待った。
***
満月の夜の出会い以降、タリクとは顔をあわせれば話をするようになった。
時には話の流れで勉強を見てやったり、食事をともにしたり。カリムとも楽しそうに話をしていたが、気のせいでなければタリクは俺の方によく懐いた。猫をかぶって世話を焼いてやっているとはいえ、取りたてて面白みがあるわけでもない俺に寄って来るのだから物好きな奴、とは思ったが、接するうちに彼は世話を焼いてやれば焼いてやるほど役に立ってくれる存在だということに気付いた。
使えるやつとわかれば俺とて遠慮する気はない。
「タリク、今暇だな」
「……課題の魔法薬を調合しているようには見えませんか?」
「カリムがまた勝手に宴を開くと決めた。一時間後には客が来るからイモの皮むき手伝ってくれ。課題は後で見てやる」
「それはそれは。……わかりました、お手伝いします」
ノックもせずにドアを開けたことを咎めるでもなく、苦笑してタリクは立ち上がった。魔法薬の材料を簡単に片付け、お客様は何名ですかと穏やかに聞く。
「十人だ。とにかく時間がない、手早く頼む」
「了解です」
そう伝えれば、本当に手早く仕事を済ませてくれるのが彼だった。いつの間にか籠には綺麗に皮をむかれたイモが山となり、どころか次に使おうと思っていたスパイスの瓶はいつの間にか手近なところに置かれていて、食事を出すのに使う銀食器には曇りのひとつもない。客をもてなす談話室には人数分の真新しいクッションが用意され、どこから持ってきたのか花すら飾られていた。
もともとは俺ひとりでやっていたことだし、もちろん時間がない状況でも完璧に間に合わせていた自信はある。だが、手がひとつ増えるだけでこんなにも楽に仕事が進むとは。
褒美代わりに作った料理の味見を許してやれば、タリクは目を輝かせてスパイスをまぶして焼いた羊肉の欠片をつまんだ。もぐもぐと美味そうに味わう様子は、本当に幼い子どものようだ。
「今回も助かったよタリク。少し遅い時間になるかもしれないが、課題は後で見てやるから」
「ジャミル先輩のご都合さえ良ければ明日でも大丈夫ですよ? お疲れでしょう」
「何、片付けもふたりでやればすぐに終わるさ」
そうだろう、と笑顔を作ってやると、決して鈍くない可愛い後輩はまた苦笑を漏らし、一瞬何かを考えるようにすっと目を閉じて、開ける。そして彼もにっこりと笑って、言った。
「ジャミル先輩、これはただの雑談なんですが、きっと僕、明日すごくカレーが食べたい気分になると思うんですよ」
意外と食い意地の張った後輩に、薄く笑って肩をすくめた。その程度のことで労働力が得られるなら安いもの。
「奇遇だな。俺も明日はカレーを作りたくなる気がするよ」
それは奇遇ですね、ああ奇遇だな、とお互いにわざとらしい言葉を繰り返し、また顔を合わせて笑った。
「では、頃合いを見て手伝いに来ますね」
「何だ戻るのか、君も宴に参加していっても構わないが?」
「それはどっちの意味で仰ってるんです?」
「もちろん給仕でなく客としてだよ」
うっかりカリムの給仕をさせるわけにはいかないからな、とは言わなかった。だが、言わなくてもわかったのだろう、彼はそれはそうだという顔で頷いて、でもいいです、と首を振った。
「身分不相応すぎてせっかくのご飯の味がわからなくなりそうですから」
「そんなにか細い神経はしていないだろう」
「先輩、さすがに僕のこと買い被りすぎです」
そのとき、談話室の方からいつもの能天気な声で名前を呼ばれる。はやく宴を始めたいのだろう、がやがやと煩い談話室のなかでもアイツの声はひときわ目立った。
「ほら、ご指名ですよ」
「やれやれ……じゃあタリク、また後で」
「はい、お疲れ様です」
談話室に行こうと背を向けると、彼が立ち去る気配がした。その気配を辿りつつ、タリクの行動を振り返る。
毒や薬を入れようとする気配はなかった。ごく普通に野菜の下ごしらえをしていて、匙や皿に何かを塗り込むような様子もなかったし、銀食器が何の反応も示していないのは確認した。俺の行動の先読みはして手を出しはしても、隙を窺うような視線も感じられず。適当に味見を勧めても、特に考える様子も見せず手近にあったものを手に取った。ここまで考えて、何かを仕込まれた可能性は限りなく低いと判断する。
一応毒味はするが、今日の料理はカリムに食べさせても問題あるまい。うん、とひとつ頷いて料理を乗せた大皿を手に取った。
「……まさか毒を入れてもスパイスで誤魔化しやすいカレーを強請ってくるとは」
そう、自分だけに聞こえるように呟く。
毒という発想をもつ人間は、それが仕込みやすい食べ物を避けたがる。自分の食べるものに異物が混入している可能性をついつい考えてしまうのだ。俺自身も、カレーは好きだが信用できない人間のつくったものは基本的に食べない。食べられない。仮にタリクが刺客だったとしても、毒で来る可能性は低いと考えてもいいかもしれない。今まで料理を手伝わせたときも、彼は不審な行動をとることは一切なかった。
「……ならもっとこき使えるな」
警戒を解くことはしない。が、毒を仕込んでくる可能性が低いならさらに他の作業を割り振ってもいいだろう。あの手際のよさがあれば、俺の負担もかなり楽になるはずだ。
全く便利で可愛い後輩をもったものだと内心でほくそ笑みながら、明るく照らされた宴の席に足を踏み入れた。
***
「盗賊村って……ジャミル、あれ、ただの噂じゃないのか?」
「そう噂されている村が存在するのは事実だ。だが、誰もその村の住人が盗賊だという決定的な証拠を見つけられていないという話だったはず」
盗賊たちが身にまとっていた黒装束、脅し殺すための武器、そして何よりも盗み取ったはずの金銀財宝が、村のどこを捜しても見つからないのだという。さすがに決定的な証拠もないのに彼らの罪を問うことはできず、その《盗賊村》はただの噂だけの存在になってしまっているというわけだ。
相変わらず感情を見せない彼は、言葉を続けた。
「あの村には四十人の男が住んでいますが、その全てが盗賊です。中でもそのリーダー、盗賊王なんて呼ばれている男が僕の父ということになっています」
「盗賊王!?」
「……待て、父ということになっている、とはどういう意味だ」
カリムが驚くのも無理はない。四十人の盗賊、その首魁の盗賊王と呼ばれる男。熱砂の国でももっとも恐れられている盗賊団の特徴と一致していた。
ここで初めて、タリクはゆっくりと一度、まばたきをした。
「僕と父は血が繋がっていません。盗んできた財宝の中に、赤ん坊だった僕が紛れていたそうです。子どもは子どもでいれば便利だから、と僕は村で育てられました」
「便利って……」
「……あまり良い扱いをされていたわけじゃなさそうだな」
「生きているだけ儲けものです。僕も、……妹も」
妹、とその言葉が彼の口から出たとき、泉から水が湧き出るように彼から魔力が溢れ出す。
俺の魔法が解けたわけじゃない。彼が魔法を使ったわけでもない。おそらくはタリク自身の、無意識のうちでの感情の高まり。強い感情を外に出すことはほとんどないタリクも、俺の支配のうちだと逆にリミッターが外れるのかもしれない。妹に対してそれだけ強い想いを抱いているということだろう。
「妹も、僕と同じように村にやってきました。当然、父とも僕とも血の繋がりはありませんが、僕は妹だと思っていますし、向こうも僕を兄と呼んでくれています。……前置きが長くなりました。僕が今日こうしてお時間を頂いたのは、この妹の話をするためです」
今も伝わってくる彼の魔力が、熱い。
「《盗賊村》の全てを差し上げます。村が隠している盗み取った財宝も、あのひとたち全員の命も、僕のことだって好きにしてくださって構いません」
どうか、と術中にあるタリクはいっそ不自然なほどに平坦な声で言った。
「妹を、助けてください」
***
カリムを操り、特訓という名目で寮生たちのホリデーの帰省を禁じた。
多くの生徒が反対の声をあげるが、それをカリムの命令で黙らせる。俺は寮生のフォローをするふりをしながら、丁寧にそれぞれの不満を煽っていった。全く、他愛のない。これなら計画も問題なく進みそうだと思っていたところ、ただひとり、タリクだけはいつも通りの顔をしている。不満が顔に出ていないだけかと話しかけてみれば、タリクはけろっとした顔で答えた。
「いえ、僕は別に。特訓で得られるものもあると思いますし、勉強も大事ですしね」
「……君の成績なら十分だろう」
そう、このタリク・シラージュ、ホリデー前の試験でスカラビアの一年生の中でトップの成績を叩き出している。確かに昨年のテスト問題を見せてやったし、俺も質問に答えたりはしてやったが、そもそもタリクは常から真面目に勉強をしている。日頃の成果が出たな、と褒めてやれば「ジャミル先輩に勉強を見て頂いたからですよ」と返すのだから全く世渡りが上手い。
俺の言葉に苦笑したタリクが、そうですかねえと少し考えて、言った。
「全教科満点だったわけでもないですし、そう余裕なわけでもないですよ」
「まだ上を目指すか。意識が高いな」
「せっかくこんな有名校に通えているんですから、もらえるものはもらっておかないと」
知識も、技術も、何もかも。
そう言った彼の声は、いつもより僅かに低い。嗚呼、これがタリクの本音を語る声か、と思ったとき、その黒い瞳も僅かに細められた。
「……帰省しなくてすむのは有難いですしね」
ぼそりと続けられた声に俺が返すより早く、タリクはいつもの顔でにっこりと微笑んだ。
「ジャミル先輩こそ、いつもよりお忙しくて大変でしょう? あまりご無理はなさらないでくださいね」
「……ああ。君も、何かあれば話くらいは聞くからな」
「ありがとうございます」
その笑顔に、踏み込むなと言われたような気がした。まあ、誰しも触れられたくない部分はあるし、彼も故郷や実家というものにはあまり良い感情を抱いていないのかもしれない。どちらにしろ、計画の妨げにさえならなければ俺には関係のない話だ。
タリクは聡いが、たとえ俺の計画に気付いても、彼自身の不利益にならなければ特に邪魔をしてくることはないだろう。……ああ、俺が寮長になったら彼に一年のまとめ役をやらせてもいいかもしれない。来年は副寮長を任せるのもいいだろう。対価さえ渡せば、彼は十分に俺の役に立ってくれる。
また、どこかから俺を呼ぶ声がした。口元に浮かびそうになる歪んだ笑みを押し込め、俺は人当たりのいい顔をつくって振り向いた。
*
計画は順調だった。オンボロ寮の監督生やグリムとかいうモンスターの手引きにより、オクタヴィネルの魚どもが寮に乗り込んでくるまでは。
オーバーブロットの後遺症で上手く動かない身体を引きずり、自室のベッドに横たわる。
「……最っ悪だ……」
何が最悪なのかもわからないくらい全てが最悪だ。計画は失敗、企みもユニーク魔法も全て世界に配信され、オーバーブロットのせいで身体はろくに動かない。カリムはこの期におよんで友達だ親友だなどとふざけたことを言うし、これからを思うと頭が痛いどころではない。
鬼のように鳴り響くスマホの電源を落とし、その辺に放り捨てた。今は、何も考えたくない。このまま眠ってしまおうと目を閉じたとき、ドアをノックされる音が部屋に響く。
「……誰だ」
「タリクです。入りますね」
俺の返事を聞くことなくドアが開く音がした。いつもなら必ず返事を待つタリクも、今日はいくらか態度が適当だ。疲れ故か、それとも俺への軽蔑故か、と重い身体を動かしてドアの方に顔を向けると、そこには何やら籠を抱えた後輩の姿。
「うわ、やっぱりひどい顔色。とりあえず魔力補給のための魔法薬と、滋養にいい薬草を煎じたハーブティです。飲み物ばかりで申し訳ないですが、どうせ今固形物は食べられないでしょう。飲んでください」
「……何のつもりだ?」
「オンボロ寮の監督生さんたちが言ってたんですよ。オーバーブロットの後遺症は早めに対処した方が軽く済む、と」
「そんなことを言ってるんじゃない」
俺の腹の中が全て明るみに出てしまったというのに、お前にも魔法をかけて操ったのに、何故。俺の意図を察したタリクは、呆れたように溜息をつく。
「ジャミル先輩が何を企もうが、僕にとってはどうでもいい話です。操られたといっても危害を加えられたわけでもないし、防衛魔法をもっと訓練しないと、と反省した程度のものですよ。……あ、精神系の魔法は閉心術の方が良いんでしたっけ」
「その両方は密接に関係しているから、どちらかに偏ることなく訓練しないと……いや、そうではなく」
「それだけ喋れるなら薬も飲めますね。お疑いなら毒味しますけど」
透明な小瓶に入った蜂蜜のようなそれは、確かによく見る回復薬のようだった。何とか腕を動かしてそれを受け取り、蓋を開けてすん、と香りをかぐ。甘いまろやかな香りは、疲れた心に染み入った。舌先で舐めて味を確認してから、それをゆっくりと嚥下する。
俺が薬を飲む間に、タリクはベッド近くのローテーブルでお茶の用意をしていた。
「ああ、薬は飲めましたね。お茶も置いておきますから、こちらもどうぞ」
「……タリク」
「ご心配なさらなくても、同情でも何でもないですよ。強いて言うなら、日頃勉強を教えてくれたりご飯をご馳走したりしてくれる有難い先輩に改めて恩を売ってるだけです」
元気になったら返してくださいね、とタリクはにっこりと微笑んで空になった小瓶を胸に抱える籠に入れる。
「ああ、先ほどカリム先輩が仰ってたんですが、ジャミル先輩が元気になって皆がホリデーの課題を終えたら、オアシスで宴を開くそうです」
「……あの馬鹿はまた……!」
「僕にお金持ちの考えることはわからないんですけど、ジャミル先輩はこのままあっさり無罪放免なんです?」
「……カリムがあの調子なら、そうかもな。バイパー家は何代にも渡って仕えてきた実績があるし、それを一度の裏切りで切り捨てるよりは、器の大きさを見せて貸しを作った方が得だと捉えるかもしれない。アジーム家は商家だ、損得で物事を考える」
なるほど、とタリクは感心したように頷き、一瞬視線をちらりと何かを考えるように視線を外した。しかしすぐにまた俺の方を見て、では、と笑う。
「ゆっくり休んでくださいね、先輩。何かあればご遠慮なくどうぞ」
「それも有償か?」
「オクタヴィネルの皆さんほどぼったくるつもりはないですよ?」
それともカリム先輩みたいに完全なる善意で動いてほしいですか、と可愛くないことを宣う打算的な後輩の顔めがけて枕を投げる。軽々とそれを受け止めたタリクは、何だもう元気そうですね、と表情を変えないまま。全く小憎らしい。
「明日の朝は胃に優しそうな食事を持ってきますよ。カリム先輩のお世話はオクタヴィネルの方々が責任をもってしてくれるそうです」
「……カリムが見舞いに来るとか言い出しても絶対に部屋に入れないでくれ」
「伝えておきます。はい、枕お返ししますね」
そしておやすみなさい、とタリクは俺に背を向ける。
彼の態度は、いつもと何ら変わらなかった。騙し、操った俺に対して恨み言を述べることもなく、俺の瞳を見ることも、無防備な背中を晒すことも厭わない。彼が馬鹿ではないからこそいつも通りなのだと、それがわかるだけにいっそ悔しかった。
ぎり、と小さく歯を鳴らして、その背に向けて言葉を投げる。
「……動けるようになったらカレー作ってやる」
「羊肉山盛り、激辛でお願いします。デザートも欲しいなぁ」
この後輩、本当に可愛くない。わざとらしくため息をつくと、彼の小さな笑い声が部屋に響いた。
*
そしてホリデーが終わり、タリクから時間を作ってほしいと言われたのが数日前のこと。
俺だけではなくカリムにも聞いてほしい、人払いをしてほしいと言う彼は、いつもと同じ笑顔のようでいて、どこか少し違っていた。
「お話しなければならないことがあるんです」
彼の瞳には、どこか諦めに似た感情が浮かんでいるような気がした。
***
「……タリクの妹は、今どうしてるんだ?」
少し声を改めたカリムが、問うた。カリムにもたくさんの弟妹がいる。妹の命乞いをするタリクに、我が身を重ねたのかもしれない。
それへのタリクの返答は、驚くべきものだった。
「カリム先輩のご実家にいます」
「……えっうち!?」
「アジーム家に!?」
思わず驚いた声をあげた俺たちに、タリクは感情を揺らさないままこくりと頷く。
「少し前から下働きとして住み込みで働いているはずです。……この学校に入学するまでは僕の役目だったのですが、あのひとたちは盗みに入る家に事前に仲間を忍ばせておき、下調べや盗みの手引きをさせるんです。屋敷内の地図を作らせたり、鍵をあけさせたり、合い鍵を作らせたり。入念に準備をするので実行の日はまだ先でしょうが、いずれアジーム家にも盗みに入るつもりなのでしょう」
「、ジャミル、家に知らせないと」
「ああ、」
「しかし、妹は何も知りません」
え、と俺たちは固まった。
本当です、とタリクは繰り返した。《盗賊村》のことも、家族と呼んでいるひとたちが盗賊であることも、自分が何のためにアジーム家で働いているのかということも、何も知らないのだと。そのように自分が仕組んだのだと、タリクは言った。
「何も知らせず無垢なまま育てた方が、どんな場所でも入り込みやすいし、たとえ疑われて尋問されても知らないことは話せない。そう父や他の人を言いくるめました。妹は、本当にただ働いているだけです。もしかしたら父に聞かれて屋敷の様子を話す程度のことはしているかもしれませんが、それでも分は弁えています。その辺りは僕が言い聞かせました」
「……家族が盗賊行為をしていることに、本当に気付かずいられるものなのか?」
「盗んだ財宝を村に持ち込むようなヘマはしませんから。それを誰かに見られでもしたら決定的な証拠になってしまいます」
タリクが言うには、村の傍に海岸に、干潮のときだけ現れる道があるのだという。その道を進むと切り立った岩に囲まれた小島がある。一見どこからの入り込めないただの岩山のように見えるが、そここそが財宝の隠し場所であるらしい。
「合言葉を知る者にだけ、島の入り口である洞窟の扉が開くんです。今まで盗んだ財宝は全てそこにあります」
その証拠を持ってきました、とタリクは懐を探った。取り出されたのは小さな麻の袋。それを逆さに振ると、しゃらり、と繊細な音をたてて金の鎖が零れ落ちる。その鎖の先には、大粒のエメラルドが繋がっていた。
「……あ、それ、昔見たことある!」
「はい。十年ほど前に、カリム先輩のお母さまが外出の際に身につけていたものを掠め取ったと聞いています。一点もののエメラルドで、同じものは二つとない逸品だそうですね。とは言ってもこれ、それのニセモノなんですけど」
「え、ニセモノ?」
「はい。これはその洞窟にあった本物を思い出して作ったガラクタです。僕、一度目にして手で触ったものは絶対に忘れないので」
細部までそっくりのはずですよ、と差し出されたそれを受け取り、カリムに渡す。はっきりと覚えているわけじゃないけど、確かにこれだ、とカリムは驚いた顔で言った。
「オレが付けちゃった傷まである! 懐かしいな、あんまり綺麗だからつい触ったら落としちゃって、傷がついちゃったんだよ。さすがのかーちゃんも、あんときはちょっと怒ってたな!」
「……それひとつで屋敷五つは買える価値があるんですけど……」
「そうなのか! でもこれ、本当にニセモノなのか? 確かにちょっと軽い気がするけど、本当にそっくりだぞ?」
するとタリクが、ひとつ指を鳴らす。途端、カリムの手にあったエメラルドの首飾りが砂になって零れ落ちる。どこからどう見てもただの砂で、美しいエメラルドの気配はもはや微塵もなかった。
「うわ!? 砂になった!」
「……ユニーク魔法か?」
「はい。――
そう呟くと同時に、床に広がっていた砂の粒がタリクの手の中で渦を巻く。くるくると旋風を巻き起こしながら先ほどと同じ細工を形作っていき、みるみるうちに大粒のエメラルドのペンダントが出来上がった。
その出来は先ほどと寸分違わない。なるほど、頭に描いたものを形作るユニーク魔法。これほどのレベルの模造品が作れるのなら、本物とすり替えて盗み取ることだってできるだろう。盗賊にはもってこいのユニーク魔法というわけだ。
「すっげー! すごいなタリク、こんな風に欲しいものを作り出せるなんて、本当に魔法のランプに宿る
「……妹もそう言いましたが、
そんなこと、と続けようとするカリムに構うことなく、タリクは続けた。話し疲れてきたのだろうか、その声が少し掠れてきたように思えた。
「その首飾りのことを詳細まで知っているのは、当時カリム先輩のお母さまの周囲にいた人間か、盗んだ盗賊の仲間だけです。これで僕が盗賊の仲間だという証明になるでしょう」
「この魔法は永続的に解けないのか?」
「砂は砂なので経年劣化はしますが、その形に固定しているので僕が魔法を解かない限りは大丈夫です」
「そうか、ならその首飾りはこちらでもらおう。アジーム家への説明に使う」
はい、と差し出された首飾りを受け取る。
今も、タリクは俺の術中にある。真実を話せと命じた以上は、嘘偽りのない言葉を告げているはずだ。自分の素性、故郷の正体、妹の助命嘆願という目的、ここまではわかった。しかし、まだ腑に落ちないことがある。
模造品の首飾りをポケットにしまい、改めて鏡のように凪いだ瞳をする後輩に目を向けた。
「まだいくつか聞かなければならないことがある。タリク」
「はい」
「君は、あえて妹に何も知らせないように仲間を言いくるめたと言ったな。それはつまり、妹に盗みの片棒を担がせる気はなかったということか?」
タリクが口を開くより先に、俺は問いを重ねた。
「君がこの学校のいる目的は何だ。闇の鏡に入学を認められたのは本当だろうが、それだけで盗賊が仲間を学校に行かせたりするものなのか?」
君は、ここにアジーム家の長男がいることを知っていて送り出されたんじゃないか、と言うと、俺の後ろにいるカリムの肩がぴくりと揺れた。
「それから、何故君は俺たちに真実を話す気になった? 俺は君が正義感や良心よりも打算で動く人間だということを知っている。このままアジーム家が盗賊に襲われたとしても痛む心をもっているとは思えないな」
「ジャミル!」
「事実だ。……どうした」
黙ったままのタリクに、
「
揺らぐはずのない彼の瞳に、少しだけ波紋が広がったような気がした。先ほどまでよりも小さな声で、囁くようにタリクは絞り出す。
「……何て、言えばいいんでしょう」
か細い声は、その童顔も相まって迷子の子どものように思える。真実を話そうとしているのに、自分の中の真実が見つけられないような、そんな気配。それでも何とか主人の命に応えようとするその様子は、いっそいじらしくさえ見えた。
「……僕は、盗みを手伝うことに罪悪感はありません。あまりにも盗みは当たり前で、それが悪いことだと知る頃には、とっくに身体に染みついてしまっていました。だから仰る通り、アジーム家に盗賊が入ろうが僕にとってはどうでもいいことです。……ただ、」
ただ、と小柄の少年は繰り返す。少しの沈黙のあとに、ぽつりぽつりと言葉が落とされる。
「……聞いた話では、世間一般的に兄は妹を護るものなんでしょう」
所詮僕らの《兄妹》という関係はただの
「ずっと、機会を待っていました。妹を、盗みとは縁のない日の当たる場所に連れ出してやる機会を。危険の大きい、真っ当ではない稼業ではなく、……もっと普通に、生きてほしくて。だから盗みのことは一切、あれの耳には入れませんでした」
いつもより低い、真摯な声。
ランプの灯りだけに照らされた静かな部屋では、それはあまりによく響く。
「お察しの通り、僕がこの学校に入学したのは、ここにカリム先輩がいらしたからです。カリム先輩に取り入ればアジーム家に招いていただく機会があるかもしれないし、そうでなくてもここ、宝物庫があるでしょう。いくつかニセモノとすり替えてホリデーに持ち帰るように、と指示を受けたりもしていました」
その言葉に、タリクがホリデーに帰省するのを嫌がっていたことを思い出す。帰れない理由があれば盗みをせずに済むから、という事情だったらしい。
「……好機が来たのかもしれないと思ったんです」
タリクが入学してすぐ、アジーム家に送り込まれた彼の妹。聞けば、下働きとはいえそれなりに良い待遇で働いており、周囲からも可愛がられているという。
そしてタリクも村を離れ、自由に動ける時間が増えた。アジーム家の後継ぎを観察し、その従者と話してみれば、どうやらカリム・アルアジームは気前が良くお人好しで、困っている人を見れば助けずにはいられない人間のようだ。
極めつけは、あのホリデーの一件に対するアジーム家の対応。
「ジャミル先輩は仰いましたよね、アジーム家は損得で動く、と。なら、今まで盗んだすべての財宝と、熱砂の国一の盗賊団の捕縛という対価を払えば、何も知らない妹の命まではとらないだろうと思ったんです」
それどころか、盗賊に利用されるところだった可哀想な少女を慈悲の心でもって助けてやったと喧伝すれば、寛大なアジーム家をアピールすることもできる。商家ならばそういうイメージ戦略も非常に重要だ。そのあたりもタリクはわかっているのだろう、確かにアジーム家にとって悪い話ではなかった。
「……妹のために、仲間も、自分の命すらも、捨てるのか?」
黙って聞いていたカリムが、小さな声でそう尋ねる。その声は、少し震えていた。タリクはその質問には躊躇うことなく、あっさりと答える。
「仲間を見捨てても心が痛まない人間に育てたのは向こうの方です。育ててもらったとはいえ、それについて恨まれる筋合いはありません。……僕については、」
緩く首を傾けたタリクは、それでも言い淀むことなく続けた。
「……本当は僕の命も助けてくれと言うつもりで、これからひとりで生きていくために、ここでの勉強も頑張ってきました。でも、直接的ではないとは言え、何度も盗みの手伝いをした事実は変わりませんし、……何というか」
妹さえ助かるのなら、僕は疲れたし、もう、いいかなと。
その言葉に、かっと熱いものが込み上げる。今は感情を映さないはずの彼の瞳の奥に見える諦め、達観、絶望、その全てが、ひどく癇に障った。
君は、と言葉を告げるより先に、俺の主人の声が飛ぶ。
「ジャミル」
「、何だ」
「
「え、」
「いいから、早く」
珍しく語気の強いカリムに少々驚きながら、タリクを蛇の呪縛から解放する。真っ黒の闇に生気が戻り、ぱちり、と大きく瞬きをした。そして自分の手足を確かめて、不思議そうな顔で言う。
「……あんまり覚えてないですけど全部話したんですよね? 何で僕、拘束もされてないんです? 正気に戻るころには牢の中にいるもんだとばかり、」
「タリク! 気付いてやれなくてごめんな!!」
タリクの言葉の全てを無視して、カリムが盛大にその少年に抱き着いた。全くそれを予期していなかった後輩はどうやらその衝撃で舌を噛んだらしい。その瞳にうすく涙の膜が張った。
そんなタリクの様子を気にも留めず、カリムな彼に抱き着いたまま大袈裟に嘆いてみせた。
「お前がそんなに苦しんでいたなんて……! 安心してくれ、すぐに
「……は?」
「本当によく話してくれた! お前のこれからのこともオレが責任をもって面倒を見るからな! お前は脅されて手伝わされていただけなんだから、罪に問われることなんてあるわけがない! こうして妹を救うために自らの罪を悔いて全てを正直に話してくれたんだ、誰がお前を責めるもんか!」
どこかわざとらしい、芝居がかったようなカリムの言葉。その真意を理解して、思わず俺も笑った。
カリムは純粋で、傲慢で、世間知らずのボンボン、そして馬鹿だ。そのカリムだからこそ、こんな無神経で自分勝手な決断も迷うことなく下すことができる。当のタリクは、完全にわけがわからないという表情をしていた。
「あ、あの……? いや僕、罪を悔いてとかそういうことは全く、」
「何を言っているんだタリク、ついさっき、確かに心から自分の罪を悔いて反省していたんだぞ? 涙ながらに自分の罪を悔いて、それでも妹だけはと懇願していたんだ。なあジャミル、そうだろう?」
「ああそうだな、俺も確かに見ていたよ。
そうにやりと笑ってやると、カリムの肩越しに見えたその顔が盛大に引きつった。ようやく彼も理解してくれたらしい。そう、君はもうカリムから逃げられない。
傲慢な我が主人は、弟や妹にやるように、タリクの短い髪を撫で繰り回しながら続ける。
「どーんと全部オレに任せろ! 数日のうちには全部片づけるから、タリクは何も気にせず一緒に学校生活を楽しもうぜ!」
「いや、だからカリム先輩、僕は!」
「タリク」
往生際の悪い可愛い後輩に、にっこりと笑いかける。
ひとりだけ楽になろうったってそうはいかない。俺だってこんなに使える雑用係を手放したくはないし、カリムに振り回される道連れのひとりくらいはいてもいい。
第一、カリムがそうと決めたなら、もう選択肢は存在しない。
「君の妹、名前は何て言うんだ?」
助けて、ほしいんだろう?
俺の言葉を聞いたタリクは完全に死んだ目をして、もう疲れたというように天を仰ぐ。カリムのなすがままに頭を撫でられ続けるタリクは、控えめに言ってもかなり面白かった。
***
「何っっっで僕があのボンボンの世話を手伝わなければいけないんですか!」
「タリク、気持ちはわかるが言葉が正直すぎるぞ。俺の前では多めに見るが、他では言わないように」
今後もカリムに仕えることになるんだからな?
そうにやりと笑ってやると、眉間にくっきりと皺を寄せたタリクは、苛立ちをすべてぶつけるように片っ端から肉をさばいていく。
俺はスープが焦げないように鍋をかき混ぜながら、その様子を楽しく見つめていた。
「どんだけあのひと自分勝手なんです? あのまま僕ごと捕まえて投獄すればよかったのに!」
「カリムに気に入られてしまったのが運の尽きだな。心から同情するよ」
「道連れができて喜んでるようにしか見えないんですけど」
「よくわかってるじゃないか。塩を取ってくれ」
はい、と勢いよく顔に向かって放り投げられた塩の瓶を軽くキャッチする。受け止めやがったと言わんばかりの舌打ちが隣から聞こえたが、もはや愉快でしかなかった。
あの後、すぐに盗賊たちは捕らえられ、隠されていた財宝のすべてが見つかったらしい。タリクの証言のおかげで長年追っていた盗賊をようやく捕まえることが出来た、と国の警邏からも礼状を賜り、もちろんその盗賊に脅されていた少年少女を庇護下に置いたということでアジーム家の評判も鰻登り。現当主は鼻高々で、後継ぎのカリムの評判も上々とのこと。
唯一哀れだったのは何も知らなかったというタリクの妹君だが、彼女は彼女で「兄が無事ならそれでいい」のひとこと。アジーム家に多大なる感謝を示し、今後も兄ともども尽くしていくと誓ったそうだ。やはり盗賊たちからの扱いはあまりよくなかったようで、そのおかげで彼女自身も盗賊団を家族とは思っていなかったらしい。今もアジーム家でくるくるとよく働き、周囲からも可愛がられているという。
そして俺の横で切り分けた肉にスパイスを塗り込んでいるタリクは、アジーム家の庇護のもとでこれから生活をしていくことになった。無論、卒業後はカリムのもとで働くという約定の上でだ。
「まあ良かったじゃないか、学生のうちは生活費を援助してもらえるし、卒業後の進路も悩まなくていい。とんでもない好待遇だぞ?」
「いりません。学費は卒業までの分を最初に納めてるし、節約してたので生活費は何とかなります。足りなければバイトすればいいし」
「……そういえば、何で君はあれほど生活を切り詰めていたんだ? 後から聞いたが、一応彼らから仕送りはきてたんだろう?」
盗賊団が生活費を送っていなかったのかと思えばそうではなく、彼らも必要経費はきちんと出す性格だったらしい。学費は事前に全て納められ、毎月ある程度節約すれば生きていける額を送金されていたようだ。しかしタリク自身がその金を使おうとはせず、学校に入学する前に自分でまっとうに稼いで貯めていた小金を切り崩して使っていた。
タリクは不機嫌な顔のままべしべしと肉を叩いてスパイスの風味を沁み込ませつつ、何でもないように答えた。
「別に汚い金だから使う気に慣れなかったわけじゃありませんよ、綺麗だろうが汚かろうが金は金ですからね。金がないと生きていけないのは実感として知ってますから、単純に切り詰められるだけ切り詰めてただけです。ここの生徒はちょろいやつが多いので、にこにこして可哀想なふりしてれば結構いろいろもらえますし」
「なるほど。君はラギーと気が合いそうだな」
「ラギーって、サバナクローのラギー・ブッチですか? やめてください、ジャミル先輩に怪我させたひとじゃないですか」
あまりに思いがけないセリフに、ぱちぱちと瞬きをする。そういえば確かにマジフト大会のときに彼のせいで指に怪我をさせられたが、まさかそれを持ち出してくるとは。彼の顔を見ると、いつもの顔でにっこりと微笑まれた。
「おかげでジャミル先輩の飯がしばらく食えませんでした」
「そんなことだろうと思った。君は食い意地が張りすぎだな」
「成長期の男子なんてそんなもんでしょう」
「……入学から一向に伸びている気配がないが?」
「うるっさいんですよ、今まで栄養が足りてなかった分成長が遅れてるんです!」
味付けを終えたらしい肉を並べ、オーブンに放り込む。火加減を見て焼き時間を確認し、手を洗ったタリクはすぐに次の作業に取り掛かった。指示をする必要さえないのは楽でいいな、と俺はスープをかき混ぜ続ける。
ほとんど身内認定されたタリクは、たとえカリムを疎ましく思おうとも、妹の生活をアジーム家に握られている以上はカリムを害する理由がない。おかげで毒だの薬だのの心配をする必要もなく、俺は安心してタリクをこき使えていた。カリムは相変わらず考えナシの傲慢馬鹿だし友達なんぞにはなってやる気はないが、あのときタリクを生かす決断をしたことだけは褒めてやってもいいと思う。
ちらりと時計を見ると、だいぶいい時間になっていた。
「タリク、俺はカリムを起こしてくるからあとは頼む。スープは完成した」
「はいはい、朝ごはんと弁当は用意しておきます」
すっかりその本性を隠さなくなった彼のため息交じりの言葉に少し笑って、魔法のひとことを付け加える。
「カリムを連れて戻るまでに全ての用意を終えていたら、今日の夕食はカレーにしよう」
「どうぞジャミル先輩、ごゆっくり支度してきてください」
一瞬で目に光が宿り、驚くべき早さでその手元が動き出す。彼の手にあった野菜はいつのまにか綺麗にカットされ、見るも美しいサラダに昇華していた。現金にも程がある。
「じゃあ、よろしくな」
「ゆっくりとは言え、スープが冷めないうちには戻ってくださいよ」
ああ、と笑ってキッチンを後にした。
いつも戦争のようだった朝がこんなにも優雅になるとは。ひとりがふたりになるだけであまりにも生活にゆとりができて、いっそ鼻歌でも歌ってしまいそうな自分が怖い。
頭の回転がはやく、何をさせても一度で覚え、手際も良くて小器用、しかも打算で動く上に扱いやすいという最高の後輩。アジーム家が彼を許し、身内に取り込んだのは本当に英断だった。学校生活を送る間だけでなく、これから先もずっとこき使っていい人間ができたと思うと、それはそれは気分がいい。
彼が何といおうと、それこそガラクタだろうが構わない。何でも願いを叶えてくれるわけではないけれど、ある程度の
カリムの部屋へ向かう足取りが、今までになく軽い。