そういえばあいつの部屋に行くの初めてだ、と呑気に言う主人にやれやれとため息をつく。廊下から見える砂漠は、もう闇の中に沈んでいた。
確かに何か用があれば従者の側が主人のもとへ赴くのが当然だから、カリム自身が誰かの部屋を訪れることは少ない。今回だってアイツの方を呼べばいいと言ったのに、どうせ自室に向かう途中だから寄って行こうと聞かなかったのはカリムだ。カリム自身に何か思うところがあるのか、それとも何も考えていないだけなのか、まあ十中八九後者だろう。少しは主人の威厳というものを考えてほしいが、カリムはカリムなので期待をしてはいけない。
「カリム、その左手の部屋だ」
「お、ここか! さすがにまだ寝てないよな。おーいタリク~!」
ノックと共に響くその声に驚いたのか、ごとりと中で何かが落ちる音が聞こえた。続いてばたばたとドアへ足音が近づく。
「ああびっくりした、どうしたんですかカリム先輩、ジャミル先輩も……用があるなら呼んでくれればよかったのに」
「俺はそうした方がいいと言ったんだがな」
「どうせ部屋に戻る通り道だろ~? いきなり悪いなタリク、入っていいか?」
はあ、と訝し気な顔をしたタリクは一歩引いて俺たちを招き入れる。いつもながらほとんどものがない彼の部屋は、いっそ不気味なほど生活感がない。唯一学習用に置かれているローデスクに広げられた勉強道具だけが、タリクの生活の全てを物語っていた。
タリクは手早くクローゼットからクッションをふたつ引っ張り出し、俺たちに勧める。本性を出すようになった今でも、こういうところの気遣いだけは習慣として忘れられないらしい。
「お茶淹れてきましょうか」
「気にしなくていいぞタリク、お前も座ってくれ」
「はあ……もしかして僕、お説教でもされる感じです?」
「事と次第によってはそうなるかもしれないな」
うげ、と俺の言葉に素直な反応を示した彼は、それでも大人しく俺たちの前に座る。そして緩く首を傾げ、その視線が宙に浮いた。その反応に、にこりと微笑んでみせる。
「タリク、今、これから何を怒られるんだろうじゃなく、どれがバレたんだろうって考えただろ」
「そんなまさか。まるで僕が悪さばかりしてるみたいじゃないですか」
同じ笑顔を返され、これは絶対に余罪があると確信する。その辺りは後で追及するとして、とりあえずは密告のあった件についての事実確認だろう。俺の目配せにカリムが頷いたのを確認して、ひとつ息を吐く。
「タリク、トレイ・クローバー先輩を知ってるな? ハーツラビュル寮の副寮長の」
「トレイ先輩ですか? はい、サイエンス部でお世話になってますから」
きょとんとした顔で返すタリク。それが何か、と言わんばかりの反応だが、トレイ先輩の名前を出しても思い当たることがないということは、本当に今日の件は彼にとってどうでもいいことだったということだ。あらゆる意味で頭が痛い。
『噂程度のことしか知らないが、彼のことはお前たちが面倒を見てるんだろう? だったら一応、耳に入れておいた方がいいかと思ってな』
片眉を下げて苦笑するトレイ先輩の顔が思い出される。
タリクの素性や熱砂の国一の盗賊団が捕まった話は、熱砂の国で一大ニュースになったこともあり、学園の中でもすでに話が流れていた。俺たちも聞かれれば嘘をつく必要はなかったし、タリク自身も上手く対応しているように見えた。もともと世渡り上手の後輩のこと、特に問題ないだろうと思っていたのだが甘かったらしい。
「そのトレイ先輩から話を聞いた。今日の昼休み、絡まれていたそうじゃないか」
「絡まれ……ああ、あー……」
ようやく得心がいったように、その話ですか、と頷いたタリク。しかしそれでもなお、また不思議そうに首をひねって、言った。
「……えっあれ僕怒られなきゃいけませんか?」
「タリク、さっきはお説教なんて言ったけど、オレたちは怒ってないしタリクを責めるつもりもないんだ。だから、何があったのかちゃんと話してくれないか?」
「はあ……」
弟か妹にでも言い聞かせるような調子でカリムに促され、何がというほどのこともなかったんですが、とタリクは話し始めた。
「僕、サイエンス部で野菜を育ててるんですけど、最近ちょっと調子が悪くて、今朝新しい肥料をあげたところだったんです。クルーウェル先生がかなり即効性の強い肥料だと思えてくださったので、経過が気になって昼休みに植物園に様子を見に行きました」
植物園は例外を除き、大半の生徒は用があるときしか近寄らない。ひとけのない場所にひとりで入っていったタリクを見て、どうやら日頃から彼をよく思っていなかった連中がこれ幸いと絡んできたらしい。
名前は存じませんがスカラビアの三年生の方々でしたよ、とけろっとした顔でタリクは言う。
「まあよくあるアレです。貧乏とか盗賊とか、アジーム家に取り入るなんて上手くやったなとか、そういう感じの絡み方だったと思います。すいません、ほぼ聞き流してたので詳細まではちょっと……」
「そこはいい。それで?」
「絡まれてそんなに経たないうちにトレイ先輩がたまたま来てくださって、そのひとたちはさっさと逃げていきました。去り際にリーダー格っぽいひとだけわざわざ僕にぶつかって行ったんですけど、どうやらそのときにそのひとマジカルペンを落としたみたいで」
トレイ先輩には申し訳なかったんですが、そのひとのクラスをご存知だというので持って行ってもらいました、とそれが何かと言わんばかりの口ぶり。それだけか、と念を押すと、はい、とタリクは頷く。
なるほど、どうやらこの後輩は全てを白状するつもりはないらしい。しっかりと板についているポーカーフェイスに、俺はにこりと微笑みかけた。
「トレイ先輩がそのマジカルペンを返しに行ったときに妙なことがあったらしいんだが、それについては?」
「知らないです」
「なら教えてやる。トレイ先輩曰く、ペンを返しに行ったとき、間違いなくそいつの胸ポケットにマジカルペンはあったらしい。だが、瞬きをひとつする間にそいつの胸ポケットにあったマジカルペンが火であぶったように融けたそうだ」
どろりと形が崩れ、黒や茶色、緑が混ざった色の泥に変わった、と先輩は言う。どこかで見たことのあるそれは何かが腐ったような異臭を放ち、そいつの制服をぐっしょりと汚していた、と。そしてそれは、熱心なサイエンス部の後輩が野菜にあげていた肥料にとてもよく似ていた気がする、と。
タリクは表情を変えない。口元に笑みを浮かべたまま、その瞳は欠片も揺らがなかった。
「しかもその次の授業が魔法史だったらしくてな、厳しいトレイン先生はその汚れた姿に激怒して、山のような課題を出したらしい。ついでに日頃の授業態度についても延々と説教を受けたという話だ」
「トレイン先生のお説教は怖そうですね。お気の毒に」
「お前の仕業だろう」
タリクの言葉を無視してそう続けると、彼はひとつ息をついて肩をすくめた。その顔には不服そうな色が見える。
「うっとおしかったからやり返しただけです。いけませんか」
「やり返すなとは言ってない。問題は手段の方だ」
「手段?
確かにタリクとしてはかなりの温情だっただろう。彼の性格を考えればよくそこまで穏便に済ませてやったものだと思わなくもない。
だが、やり方がよくなかった。今後、彼が陽の当たる場所で妹と生きていきたいと思うなら、タリクにはそれに気付いてもらわなくてはならない。
「タリク」
そこまで黙って話を聞いていたカリムが、改まって彼を呼ぶ、いつもと違う声色に、タリクの背筋が伸びた。はい、と素直に返事をする。
「ひとからものを盗ったらだめだ」
お前はもう、そんなことをしなくていいんだから、と俺たちの主人は続ける。
「ちゃんと返せばいいってものじゃない。盗ったらだめなんだ。お前は今まで生きるためにそれをしなくちゃいけなかったんだろうけど、それはしちゃいけないことなんだ」
どこの国でも、盗みを犯した者の再犯率はかなり高いと聞く。盗みは癖になり、身体がそれを覚えてしまってなかなか忘れることが出来ないのだと。
タリクに対して、道徳や倫理を説くなんて無駄なことをするつもりはなかったし、そんなものを身につけてほしいとも思っていない。けれど、ただでさえ彼には今後、盗賊の仲間だったという過去がついてまわる。そのせいで今回のような、徒党を組んで虚勢を張る馬鹿に絡まれることも幾度となくあるだろう。そういうやつらを黙らせるためにも、タリクはその技術だけは捨てなくてはならない。決して
カリムの言葉を聞いたタリクは、少しだけ目を見開いた。数秒、考え込む様子を見せる。
この後輩は、決して馬鹿ではない。これをカリムが言った意味、俺がそれを黙って聞いている意味を、頭の中で整理しているのだろう。
膝の上にある小さな手を、きゅっと握った。
「――はい。もうしません。申し訳ありませんでした」
そしてすっと、頭を下げる。わかればいいんだ、とカリムは笑った。常を考えれば目を疑ってしまいそうなほど素直なタリクに、俺も思わず少し笑う。
ひねくれようが、腹が黒かろうが、性悪だろうが、それでもこの後輩、自分が悪いと思えば謝ることはできる人間なのだ。
「よしよし、ちゃんとタリクは謝れて偉いな!」
「カリム先輩、撫でるのやめてください」
「何を言ってるんだ、タリクはもう弟みたいなもんだろ?」
「全然違います」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き撫でてくるカリムに、タリクは嫌そうな顔をしても振り払うことはしない。主人だと思っているから逆らわないだけなのか、もはや諦めているのか、どちらでも構わないが、カリムに振り回されているタリクを見るのはなかなか愉快だ。
「にしてもタリク、自分は盗賊行為の手伝いが仕事だったと言っていた割には、そういうこともできるんだな?」
「鍵を掠め取れないと合鍵が作れないでしょ。それくらいは出来ます」
「ああ、なるほど。もうするなよ」
「しません」
いまだ撫でくりまわされながら、タリクは迷いなく言いきる。やらないと言ったからにはもう盗みに手を染めることはないだろう。自分の言葉を違えるほど、プライドの低い人間ではない。
不機嫌そうな顔のまま、タリクは続けた。
「……一応確認しておきますけど、やられたままでいろって意味じゃないですよね?」
「当然だ。問題にならないよう細心の注意を払ってやり返せ」
「あ、コラ、ジャミル! タリク、そういうのはまずオレたちに相談するんだ! ひとりで無理したり抱え込んだりしたらだめだからな!」
「カリム先輩は羽虫がうっとおしいことを誰かに相談するんですか?」
「羽虫? 多分ジャミルには相談するぞ? あ、でもジャミルは虫が嫌いなんだよなぁ」
「マジですか良いこと聞いた」
「そこで俺を見るな黙れ笑顔を向けるんじゃない」
部屋に虫が出たら僕を呼んでいいですよ、と笑顔で言う生意気な後輩の頬を抓りあげながら、まだ伝えることがあるだろうとカリムを見る。ああそうだった、とカリムは懐から袋を取り出した。
「もうひとつ用があったんだよ。ほら、これ」
「? 何ですか」
「お前の妹からの手紙!」
今日届いた荷物の中に入ってたんだ、というカリムの声などまるで聞こえていない様子で、何の表情も浮かべないまま、カリムの手から手紙を抜き取る。何気ない手つきで手紙を開封していたが、それはどちらかというと、急く気持ちを押し殺し、手が震えてしまわないようにあらゆる感情を排除しているように見えた。
タリクの目が、ゆっくりと手紙の文面を辿る。
「……妹は良くしてもらってるみたいですね」
ありがたいことです、と呟くように言ったタリクの瞳には、隠しきれない安堵があった。
「字も上手くなってる。誰かが教えてくださってるんでしょうか」
「ああ、どうやらうちの妹が面倒を見てるらしくてな」
「ジャミル先輩の。それはそれは、よろしくお伝えください」
妹もまた生まれた時からアジーム家で働いているが、自分より年下の後輩ができたのが相当に嬉しかったらしい。珍しく向こうから連絡が来たと思ったら、ひたすらにタリクの妹の話を聞かされた。素直で仕事の覚えも早く、勉強を教えれば熱心に話を聞くその少女を随分と気に入ったようだった。あの子のお兄さんならタリクさんもきっといい人だね、と言われてとても複雑な気持ちになったことは言わないでおこう。
読み終わった手紙を丁寧にたたむタリクに、今度は俺が紙袋を差し出した。
「ほら、レターセットをやるから返事を書くといい。明日、アジーム家に荷物を送るときに一緒に送ってやる」
「……ありがとうございます……?」
「何をそんなに警戒してるんだ」
「対価に何を求められるのかと思って」
このところ抓り甲斐のある顔になったな、とここ最近でいくらか肉付きの良くなった頬を抓りあげる。いひゃいです、と棒読みで言うタリクは、それでもしっかりとレターセットを胸に抱いていた。まったく、素直に感謝をすればいいものを。
そんな俺たちを見て、カリムは仲が良いな、と笑った。どこが、と言う声が揃い、お互いに嫌な顔で目を見合わせる。
「ふたりとも照れるなよ~」
「照れてない」
「照れてません」
「あっはっは! じゃあタリク、明日の朝までに返事は書けるか?」
「十分です」
よし、とカリムは膝を打って立ち上がる。
「そろそろ部屋に戻るか、ジャミル! 俺も課題やらないとな~」
「課題は自分でやれよ。俺は教えないからな」
「わ、わかってる! じゃあタリク、また明日な!」
「はい、おやすみなさい。……ありがとうございました」
礼を告げる声はいつもよりいくらか低く、それが彼の本心からの言葉だという何よりの証明だった。
最初からそう言えばいいものを、と少々呆れるが、タリクの性格上ちゃんと礼を言っただけ大したものだと思うべきだろう。照れているのか、少し俯きがちの彼に背を向けて、部屋を出る。
両手を頭の後ろで組んだカリムが、廊下を歩きながら言った。
「嬉しそうだったな、タリク!」
「そうだな」
良かった、とうんうん頷くカリムは、それと全く変わらない調子で続ける。
「調べはついたか?」
声の調子は変わらない。けれど、一瞬で赤い瞳から何かの感情が抜け落ちた。多くを語られずとも、カリムが何を問うているのかはわかっていた。薄く笑って、片手を広げる。
「トレイ先輩から主犯の名前は聞いていたからな。本人の素性、実家、その取り巻き、全て調べた。ついでに、別件でタリクにちょっかいをかけたらしい人間についてもな」
「さすがジャミル! 仕事が早いな!」
「当然だ。で、どうする?」
「どうするも何も、もうタリクに構わないでくれって話しに行かないとだろ!」
何か誤解があるのかもしれないしな、と相変わらず呑気に言うカリムだが、今回ばかりは生温いと指摘するのをやめた。カリムの言葉に他意も悪意もなく、本当にやめてくれと言うだけなのだろうが、それでいい。
「じゃあ、明日順番に話をつけに行くか。俺もついていく」
「ああ、頼む!」
明日、カリムに呼び出されたやつらはただ震えあがることだろう。カリムの言葉に言葉以上の意味がなくとも、そこにアジーム家の跡取りという肩書があるだけで誰もが勝手に言葉の裏を読み始める。タリクに絡むのはやめてくれ、とそう言うだけで、聞いた者自身がその言葉を「絡んだらどうなるかわかってるな?」と解釈するのだ。いつもなら腹立たしいカリムの無自覚さも、こういうときだけは役に立つ。
そんな俺の胸の内など全く気付いていない、天真爛漫が服を着て歩いているような主人は、いつもの笑顔で言った。
「タリクはオレたちが護らないとな!」
その言葉に、思わず俺も笑みが漏れる。
嗚呼、確かに。せっかく捕まえた
珍しく一致した意見に、俺も頷いて答える。
「ああ、そうだな」
あの魔法のランプは俺たちのもの。誰にも手出しは、許さない。
***
ちょっと現金なところはあるが、素直で熱心な後輩だと思っていた。
砂漠育ちで植物を育てた経験がないという彼は、どうせなら食べれるものを育てたい、と比較的世話が楽な野菜をせっせと種から育てている。何をしても新鮮に感じるようで、芽が出たら笑顔を見せ、花が咲いたら喜び、実がなれば目を輝かせた。かなり真面目に世話をやっていたし、先生や俺たちのアドバイスにもきちんと耳を傾けてくれるとなれば、俺が彼を嫌う理由はない。たとえ、彼の素性が少々噂になっていたとしてもだ。
「タリク、今日も早いな」
「トレイ先輩。お疲れ様です」
頬についた泥を指摘してやれば、恥ずかしそうに袖で頬を拭うタリク。
汚れに気付きもせずに没頭する姿は、ルークに言わせると《美しい》らしい。一生懸命に作業するのは素晴らしいことだよ、とあの曲者も彼のことは気に入っているようだった。いや、ルークだけではない。誰が相手でもそつなく会話をこなし、決して誰も敵に回すことなく。それだけタリクは、
「……タリク、悪かったな」
「? 突然なんですか?」
「こないだ絡まれてたときのこと、カリムとジャミルに話したんだ。もしかしなくても、何か言われただろ?」
「ああ……お気になさらないでください。僕の方こそ、あの日はありがとうございました。先輩をつかってしまってすみません」
「それは構わないが……」
どこまでも人好きのする笑みを崩さないタリク。
さて、あの日マジカルペンを届けに行ったときのことを尋ねるべきか否か。詳細はわからないが、あれはどう考えてもタリクの仕業、おそらくはユニーク魔法だろう。取りたてて彼のやったことに興味があるわけでもなかったが、あの状況に居合わせた身として尋ねないのもおかしい気がする。
俺の躊躇いを見て取ったのか、タリクは笑顔に少し苦みを足して、先輩、と口を開いた。
「僕、あの程度のことは嫌がらせとすら思わないんですよ。程度が低すぎて」
「……ん?」
「直接的な被害さえないなら、せいぜい面倒だなぁとしか思わなくて。けど、やっぱり面倒は面倒なので、ちょっとくらいなら仕返ししてもいいかなぁって思うこともあるんです」
にっこりと笑っていることには変わりないのに、その真っ黒の瞳に散る銀の虹彩が酷薄に煌めいた。
おっとこれは、と思わずつられて俺も笑う。嗚呼やはり、彼もこの学園の生徒らしくそういう一面は持ち合わせているらしい。
「……なんて、どうでもいい話でしたね! それより見てくださいトレイ先輩、ほらこのトマト、大きくなったでしょう。色もすっかり綺麗な赤になって」
そしてけろっと表情を戻すあたり、これは相当の曲者。まあいい、どうやら彼は自分の身を護っているだけで、誰彼構わず騒動を巻き起こすタイプではない。ならば俺は、今までと変わらず「いい先輩」として接してやるだけだ。
タリクの手元を覗き込み、俺もその楽しそうな声に応える。
「お、さすがクルーウェル先生おすすめの肥料はよく効いたな。そろそろ収穫してもいいんじゃないか? 収穫したら糖度を計測して、記録を残しておくんだぞ」
「はい! 自分でつくった野菜を食べるの楽しみです」
これでジャミル先輩に何か作ってもらおう、とうきうきしながら言う彼は、どこまでもあどけない顔をしていた。