鬼ストーリー外伝   作:れぼたろ

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一之巻

 遠道郷介(えんどう ごうすけ)は作家である。ただし売れている作家ではない。それでも有名な新人賞を受賞して華々しい文壇デビューを飾っている。要はその後が続かなかったのだ。いわゆる一発屋である。

 その日も、不精髭を蓄えて腫れぼったい目を擦りながら一心不乱にパソコンで文章を書いていた。デビュー時にお世話になった出版社へ持ち込むための企画書である。

 保存して一息ついたところで、勢いよく部屋のドアが開け放たれた。

「父ちゃぁぁぁん!」

 その声とともに郷介の背中にドロップキックが炸裂する。

「イエェェェイ!」

 不意をつけて嬉しかったのか、声の主――小学生の息子のみちろうはガッツポーズを取って飛び跳ねている。

「……みちろう、父ちゃんの仕事中は邪魔すんなって言っただろ」

「へへーん、もう終わったのは外からのぞいてたから分かってるもんねー!」

 亡き妻の忘れ形見として男手一つで、しかしながら相応に甘やかして育てたせいか明らかに同級生の子よりもやんちゃな性格をしている。

「父ちゃんはこれから出版社へ行ってくるから、留守番頼むぞ」

 時刻は午後4時少し前。時期を考えると日が暮れる前に帰るのは無理だろう。今は一月。都内でも日によっては雪が降るような季節だ。幼い息子を一人残すのは色々な意味で不安を感じてしまうが、かといって連れて行くわけにもいかない。

「またあのキレイなへんしゅーさん目当てか」

「馬鹿っ! 違うって!」

「そうやって強くヒテーするのがあやしいぞ」

「それに私は嬉しくもありませんよ。美人なのは知ってますから」

 みちろうの後ろから一人の女性が現れ、挨拶もなしに部屋の中へと入ってきた。

「葛原さん……!?」

 葛原礼華(くずはら れいか)は、デビュー直後の郷介を担当した編集者だ。愛想が無く口も悪いが、それを補って余りあるほどの美人だ。噂によると、作家の方から彼女を担当編集にしてほしいと希望が入ることもあるとか。

「来られるなら一報入れてくださいよ! 今飲み物を用意しますので。いや、その前に髭かな」

「お構いなく。遠道さん家の出涸らしは飲み飽きましたから。髭も剃らなくて結構」

 そういうと葛原は手にしていた封筒から書類を一枚取り出した。

「お仕事の依頼です。いつものように単発の埋め草です」

「あ、はい……」

 渡された書類を見る。「戦慄! 屋久島の怪奇伝説を追う!」という安っぽい見出しが真っ先に目に飛び込んだ。どうやらゴシップ系雑誌の穴埋め原稿の依頼らしい。

「ここ最近、屋久島で謎の巨大生物の目撃情報が相次いでいるとネットで噂になっています」

「それってどうせ2ちゃんでしょ? 鵜呑みにするのは危ないんじゃないかと」

「ジュラシックパークみたいでおもしれーじゃん! 行こうぜ父ちゃん」

「お前は黙ってろよ」

「私も同じ意見ですので、わざわざ現地に行かず想像で記事を書けばいいと編集部に進言したのですが、後でバレて捏造記事呼ばわりされるのは避けたいと弱気なことを言い出しやがりまして」

 そこで、時間だけは無駄にある郷介を取材に出すことに決めたのだという。

「あ、じゃあ葛原さんもご一緒に……?」

「みちろう君と親子水入らずで楽しんできてください。お土産は忘れずに」

 その場で鹿児島行きの飛行機のチケットと、屋久島行きのフェリーのチケットを渡された。取りつく島もない。

 渡されたチケットの日付を確認する。2005年1月30日と書かれてあった。

 

 屋久島に着いたのはお昼を過ぎた頃だった。天気は残念ながら曇り。ただ翌日は晴れるらしいから、取材で山を登るのに問題はないだろう。

 弾丸と表現するのに相応しい旅だった。便数が多く時間も早い高速船に乗るのが楽なのだが、渡されたのは一日一往復のフェリーのチケット。明らかに予算をケチっている。鹿児島~屋久島間の往復の運賃はフェリーだと高速船の半額なのだ。それに乗るため始発の飛行機に搭乗し、現地に着いたら即手配していたタクシーに乗って港へと向かった。乗り遅れたらアウトである。

「気分はどうだ?」

「ちょっとマシになった」

 初めての船旅ではしゃぎ過ぎたみちろうが船酔いでダウンし、ほぼほぼ付きっきりだったため海を眺めることができなかった。

 少し外が騒がしかったようなので船員に聞いてみたところ、子どもが一人海に転落しそうになったのだという。

 幸い子どもに怪我はなく、その子が両親に海へ転落しかかったところを乗客の一人に助けられたと話したことで騒ぎになったらしい。お礼を言おうと両親が件の乗客を探したそうなのだが、大人の男性ということ以外は分からず結局今も見つかっていないそうだ。

 ちなみにその子は、イルカを見ようとして身を乗り出してしまったらしい。子どもの背より高い手すりが設置されているので船員は不思議がっていたが、子どもというのは時に大人ならまずやらないようなことをしでかしてしまうものだ。郷介は経験からそれを知っている。帰りはみちろうから目を離してはいけないなと強く思ったのであった。

 港からは送迎の車に乗って宿へと向かう。その際に噂について尋ねたところ、島の人間が何度か目撃したらしい。

「お客さん、今日はこれからどちらへ?」

「疲れたんで今日は宿でゆっくりして明日から行動しようかと」

 そう答えると、なるべく山や森の奥までは行かないようにと言われた。ここ最近、山で遭難したまま行方不明になる旅行者が急増しているらしく、捜索のために近々本土からも応援が来るらしい。

「でっけーヘビがいるんだろ? オレ、知ってるぜ!」

「坊や詳しいね。お父さんから聞いたのかな?」

 屋久島には大蛇に纏わる伝承が残っている。そんな話を出発前にみちろうにしてやったのだが覚えていたようだ。

「実は噂だと本当に大蛇が出たらしくて……。いや、そんなものがこの島にいるわけないのは住人である我々が一番よく知っているのですが……。ただ奇怪な声を聞いたとか、怪しい風体の怪人を見たとかいう噂も出てまして……」

「怪しい風体、ですか?」

「ええ。山の中なのに着物姿だったとか、全身真っ黒い装束だったとか……どう考えても普通じゃない格好だったそうで」

「まるで妖怪みたいですね」

 そんな話をしているうちに宿へと到着した。家族で経営している民宿である。庭にはバナナの木が生えていた。収穫時期にはここで取れた果物を食卓に出すという。

 夕食は刺身だった。ひと口食べてみたところ、もっちりした歯ごたえがあり実に美味しい。これは何かと尋ねたところ、トビウオだと言われた。都内でも食べられる筈だが、実際に口にするのは初めてだった。本来の旬は夏だそうだが、問題なく頂くことができた。

 ひと足先に食べ終えたみちろうは、壁に貼られたハガキやポストカードを眺めている。日本各地の観光名所の写真が印刷されていた。今までの利用客が年賀状や暑中見舞いなどで送ってくるのだという。

 その夜、少しだけ雨が降った。疲れから爆睡するみちろうの布団を掛け直してやると、郷介はカーテンを開けて窓の外を眺めた。街灯一つない、雨のせいで星明り一つない真っ暗な世界が広がっていた。この闇の中に、本当に噂にあるような怪生物が潜んでいるのだろうか。なんだか、本当にいそうだと郷介は思った。屋根を打つ雨音がやけに大きく聞こえた。

 

 翌朝、郷介とみちろうは白谷雲水峡(しらたにうんすいきょう)へとやって来た。縄文杉と並び、屋久島定番の観光地だ。縄文杉が事前にばっちり準備を整えて夜明け前には出発しないと辿り着けないのに対し、こちらは比較的気軽に訪れることができる。

 受付で名簿に住所と氏名を記入する際、係の人にくれぐれも道を外れぬよう念を押された。昨日宿の人から聞いた通り、行方不明者が多発しているためだ。

「ほら、アニメの舞台になったから観光客が増えて……。人が増えるということはマナーを守らないような人も増えるわけでしょう?」

 この白谷雲水峡は、アニメ映画『もののけ姫』に登場する森のモチーフとして知られている。そのことを言っているのだろう。

 どうやら話好きな人だったらしく、郷介たち以外に客がいないこともあってか、聞いてもいないことを勝手に喋り始めた。

「実は昨日もね、女の子が一人倒れて……」

「何かあったんですか?」

「それがよく分かんないのよ。来た時は中学生ぐらいの男の子と一緒だったんだけど、奥の方で何かあったらしくって、男の人に担がれて出てきたんだから。休んでいきますかって言ったんだけど、家族が心配してるから帰るって。あんな状態で帰ったらもっと心配するわよね」

 郷介は怪しい噂について尋ねてみたが、やはり宿の人から聞いた以上の内容は得られなかった。

「そういうのに詳しいお爺さんがいるんだけどね。行方不明の人が出るようになってからは、バス停のところで観光客に声がけして注意喚起してるようなんだけど、逆に通報されないか心配だわ。お客さん、車?」

「レンタカー借りてます」

「そうよねえ。普通観光客の人はレンタカー使うわよねえ。そういえばその、女の子を担いできた男の人も観光客だったんだけど、バスと徒歩で移動してるらしいわよ。運転が苦手なんですって」

 お喋りおばさんに礼を述べると、二人は白谷雲水峡へと入っていった。ごつごつとした岩場が続いている。そこを流れている川を辿っていくのだ。

「たんけん開始だな!」

「こら、待ちなさい!」

 みちろうが元気よく走り出した。郷介も慌ててその後を追っていった。

 

 遠道親子が白谷雲水峡を訪れる前日の夜、島内のとある駐車場に停められた一台の自動車の中で、二人の男性が会話していた。いや、厳密に言うと喋っているのは運転席で地図を広げている眼鏡の青年で、助手席の青年はヘッドホンで音楽を聴きながらシートを倒して横になっている。

「……シュン君、聞いてる? 音楽じゃなくて僕の話」

「聞いてますよ。白谷雲水峡と尾之間(おのあいだ)、北と南の二ヶ所で魔化魍(まかもう)発生の恐れあり」

 シュンと呼ばれた青年は、ヘッドホンを外すことなくそう答えた。

「よく聞こえるよね。僕、そんなに大きな声で話してないのに」

「耳は良い方ですから」

「そんなレベルじゃないでしょ」

 僕も鬼になったら身体能力上がるのかな、と眼鏡の青年――夏目周一(なつめ しゅういち)は言った。

「耳が良すぎるのも案外不便なものなんですよ」

 そういうとシュンは身を起こし、飲みかけの缶コーヒーを口にした。そして目線で話を続けるよう促す。

「ウワバミでいいと思うんだけど、『歩』のお爺さんが集めた情報だと微妙に習性が違うというか……。そもそも一日のうちに南北を往復するなんて考えられないんだよなあ」

 彼らが所属する「猛士(たけし)」という組織では、役職を将棋の駒に例える慣習がある。「歩」というのは在野の協力者のことで、猛士の者が駆除すべき存在の情報収集を担当している。

「昼間のバス停のお爺さんですね」

「信頼できる人だし、情報が間違っているとは思えないんだけど……」

「だったら考えられることは一つ。魔化魍は二体いる」

「まさか。ここは気候の関係で蛇の魔化魍以外だと、あとはごく稀にカッパとテング、それから水棲魔化魍が沿岸部に出てくるぐらいだってのはシュン君も知ってるでしょ」

 だがそのまさかがあり得るということは、夏目も重々承知していた。先日、彼らが所属する猛士九州支部の支部長が総本部のある奈良県へ緊急招集されている。全国的に何か問題が起きているのは疑いようがなかった。

「仮に二体いたとして、シュン君一人で大丈夫かい?」

 シュンが「厳しいですね」と正直に告げたタイミングで、夏目の携帯電話にメールが入った。それに目を通した夏目が驚きの表情でシュンに伝える。

「今屋久島にもう一人鬼が来ているらしい」

「そんな話は聞いていませんが……」

「関東支部の人らしいよ。今しがた九州支部に連絡があって、現地にプライベートで来ている鬼が魔化魍と遭遇したので退治して帰るからって」

「名前は分かりますか?」

 書かれていた名前を告げると、シュンは「あの人か」と納得したように呟いた。

「シュン君は会ったことあるの?」

「ええ、年に一度吉野で開かれる大会議で。僕と同じタイプの人で、おそらく関東だけでなく全国の鬼の中でもトップクラスに位置する方かと」

 その人物は南の方を当たるらしいので、二人は翌日に北の白谷雲水峡周辺の調査をすることに決めた。

「場合によっては関東支部に借りができちゃうね」

「貸し借りの問題じゃないですよ。人の命を守るのに、縄張りだの対抗意識だのは不要です」

「そうだった。ごめん」

 降り出した雨がフロントガラスを叩いていく。明日は良い日になればいいなとシュンは心の中でそう思った。

 

 滝を越えて道なりに進んでいくと、生い茂る樹々と苔むした岩が郷介たちを出迎えた。

「ほら、みちろう。見てみろ」

 ペース配分そっちのけで走り回っていたみちろうは、今では郷介の背でへばっている。

「……帰る」

「いやいや、駄目だって。父ちゃんまだ仕事してないから」

 みちろうを無理矢理おろすと、郷介はカメラを構えた。誌面に掲載する写真は、全部郷介が現地で撮ってくる手筈になっていた。

 カメラのファインダーを覗きながら、あちこち向いては撮影していく。周囲には他に誰もいないし撮り放題だ。適当にシャッターを切ってもそれなりの絵が撮れる。本当にアニメのような精霊が出てきてもおかしくないなと郷介は思った。

 次は大自然を舞台にした小説を書いてみたいなと思っていたところ、不意に視界の隅で何かが動いたように思えた。

「みちろう、何かいたか?」

「いたって何が?」

 嫌な予感がする。ここへ来る途中、野生のシカやサルを随分と見かけたがそれとも違うように思えた。

 みちろうに帰ろうと声をかけようとした瞬間、巨大な何かが樹々の間をすり抜けながら飛び出してきた。

 ヘビだ。現地の伝承にて語られている巨大なヘビ。それが郷介たちの眼前に現れている。そしてその背には。

 異形としか形容しようのない人物が跨っていた。右手に太鼓のバチのような棒を握り、ロデオの要領で振り落とされないようにバランスを取っている。

 大蛇が勢いのままに大きく鎌首をもたげ、背中の異形が振り落とされた。しかし異形は宙で小さく回転して体勢を整えると、大口を開けて襲いかからんとする大蛇に向き直りそして。

「はああああっ!」

 気合いとともに前方の大蛇へ向かってバチを振り下ろす。一瞬、バチの先端に取り付けられていた石が眩い光を放った。

 刹那、大蛇は縦に真っ二つとなり轟音を立てて地面に倒れた。一体何が起きたというのか。郷介もみちろうも目の前で起きている出来事を脳が上手く処理できず、ずっと固まったままだった。

 生死を確認するためか、異形が用心深く近づいていく。郷介たちに対し何も反応しないのは、ただ気づいていないだけなのかそもそも眼中にないのか。

 異形が腰に締めた革ベルトのバックル部分に手を掛けた。太鼓のような形状をしている。と、その時二つに裂けた蛇の巨体が起き上がった。

「こいつは……」

 大蛇が体を大きく前後に揺らすと、バラバラに崩れた体が背後の森の中に火山弾のように降り注いだ。2、3秒も経たないうちにバラバラになった全身がその場から消えてなくなる。

「逃がさない」

 異形はそう小さく呟くと、腰に下げた複数枚の円盤を宙に放り投げた。円盤は変形して鳥や獣の姿になるとすぐに何処かへと行ってしまった。

「と、父ちゃん!」

 金縛りが解けたかのようにみちろうが叫ぶ。興奮して早口になっているし、目なんてキラキラ輝いている。

「ヘビ! ヘビ、出たな!」

「ああ、噂は本当だったんだな」

「父ちゃん写真は!? 写真はとったの!?」

「いや……」

 そんな余裕などあるわけがなかった。

「いや、もし撮ってたら大変でしたよ」

 異形が話しかけてきた。先程、大蛇を前にして日本語を呟いていたのは聞こえていた。だがそれでも実際に声をかけられると驚くものである。

「あ、その……」

「撮っちゃ駄目ですよ。そのデジカメ、壊さなきゃいけなくなる」

「それは困ります!」

「すげーカッコよかったぞ! この体もスゲェな!」

 いつの間にかみちろうが満面の笑みで異形の体をベタベタと触っていた。

「やめなさい!」

「あ、大丈夫です。体動かしたばっかだから熱くなってるかもだけど」

「ははは、あっちいな!」

 口調からしてこちらに敵意は持ってなさそうである。よく見ると背はそんなに高くない。170センチちょっとの郷介とそう変わらない背格好だ。筋骨隆々の褐色の肌に縹色の角が三本生えたその見た目は、鬼と呼称するのが相応しいかもしれない。よく見ると何故かヘッドホンを耳に当たる部分に着けている。伸びたコードはベルトのポケットまで続いており、そこに音楽プレーヤーが入っていた。

「音楽、お好きなんですか?」

 我ながら何を聞いているのだろうと郷介は思った。

「仕事の時はテンションの上がる曲をエンドレスで流しています。小さい頃に見ていたアニメや特撮の曲が多いかな」

 律儀に返してくるとは思わなかった。そこへ、赤い色をした鳥が飛んでくる。あの時異形が空へ放り投げた円盤のうちの一枚が変形したものだ。

「ごめんなさい。少し待っていてもらえますか。すぐ戻れると思うので」

 そう告げると異形は郷介たちの前から去っていった。

「何だったんだろう……?」

 郷介の呟きに対し、答えが返ってくることはなかった。

 

 ディスクアニマル・茜鷹(アカネタカ)に先導され、シュンが変身した異形の音撃戦士・迅鬼(シュンキ)は険しい山道を風のように駆け抜けていく。

 辿り着いたのは太鼓岩と呼ばれる景勝地だった。太鼓のように丸い岩盤が崖から突き出した天然の展望台で、天気の良い日には屋久島の雄大な自然を一望することができる。ただし柵の類は一切取り付けられておらず、雨の日には足元が滑るため最悪の事態を覚悟しなければならない。

 茜鷹が太鼓岩の上空で旋回する。どうやらこの近くに潜んでいるらしい。迅鬼は岩の中央に立つと、ヘッドホンを耳から外して周囲の気配を探り始めた。ごく僅かな物音も聞き逃さぬよう神経を研ぎ澄ませる。

 真下から大きな何かが近づいてくるのが分かった。もうすぐ傍まで来ている。迅鬼は装備帯から愛用の音撃棒(おんげきぼう)瞬刻(しゅんこく)を引き抜いた。

 刹那、崖下から大蛇の魔化魍が飛び出してきた。バラバラになっていた体は元通りにくっついている。迅鬼を丸呑みにせんと大顎が突っ込んでくるが、僅かに早く迅鬼の身体は宙に舞っていた。そして郷介たちと出会った時のように魔化魍の背に跨る。だが今回は、既に音撃鼓(おんげきこ)明滅(めいめつ)をもう片方の手に握っていた。

 大蛇の体に押し付けた「明滅」が、光を放ちながら大きく展開していく。素早くもう一本の「瞬刻」を引き抜くと、迅鬼は「明滅」を打ち鳴らした。

 波動が大蛇の全身に広がっていく。二度、三度と徐々に早くそしてリズミカルに「瞬刻」を叩き込んでいく。振動で太鼓岩が震えた。

 大蛇の全身がうねうねと波打ち始めた。また分裂してこの場から逃げようと考えているようだ。だが清めの波動は魔化魍の細胞を破壊し、逃走を許さない。

音撃打(おんげきだ)閃光闘志(せんこうとうし)! せやぁぁぁ!」

 二本の「瞬刻」を頭上に掲げて交差させる。そしてトドメと言わんばかりの乱打をお見舞いした。魔化魍の体は粉々に砕け散り、土塊となって周囲に降り注いだ。見計らったかのように吹いた旋風が岩の上に積もった土塊を一掃していく。

「ふう……」

 一息吐いた迅鬼は、ヘッドホンを耳に掛け直すと来た道を戻り始めた。あの親子はまだ残っているだろうか、もし立ち去った後だったら夏目さんに何と説明しよう――そんなことを考えながら。

 

「つまり今回の魔化魍はウワバミではなくトウビョウだったと?」

 報告を聞いた夏目は、手帳をめくる手を止めて考え込んでしまった。

 屋久島の気候的に発生するのは大蛇の魔化魍・ウワバミ(蟒蛇)であることが多い。平安時代の武将・源頼光(みなもとのらいこう)も退治したことがあると伝わる歴史の古い魔化魍である。

 一方、トウビョウ(藤憑)という魔化魍は同じくヘビの姿ではあるのだが――。

「本当にトウビョウだったの? ウワバミとの見分け方は尻尾の形状が狐の尾みたいに膨らんでるかどうかなんだけど……」

「そこまでは注意して見てませんでした。ですが、分裂したので確定かと」

「ああ、それは確定だね……」

「あの、何が確定なんでしょう?」

 夏目は後部座席に座る声の主――郷介の方を振り返った。今、四人がいるのは猛士九州支部の車両の中。白谷雲水峡の駐車場に停車した状態である。

 最初、戻ってきたシュンキが親子と一緒だったのを見て夏目は開いた口が塞がらなかった。どう考えても見られたから後処理のために連れてきたのだ。嫌な予感はしていた。本来ならば翌日に周辺一帯を立入禁止にしてから魔化魍の捜索、退治を行う予定だった。だが関東支部の鬼の行動に合わせてこちらも動かざるを得なかったのである。トレッキングコースまで魔化魍を追い立てたりはしないから大丈夫だとシュンキは言っていたのだが、どうやら駄目だったらしい。

「途中でヘビの体がバラバラになったのを覚えてます? あれはトウビョウと呼ばれる魔化魍の特徴なんです」

 トウビョウは体を75の小さなヘビに分裂するという能力を持っている。

「『スイミー』って絵本、読んだことあります?」

「オレ、すきだぞ。昔父ちゃんに読んでもらったことがある!」

「要はあれと同じです。小さなヘビの群れが集まって巨大な体に見せかけているんですよ。だから太鼓以外では退治が難しい」

 シュンキは相変わらずヘッドホンで音楽を聴きながら話している。

「よく逃げずに残ってましたね。たぶん僕が同じ立場なら、厄介事に巻き込まれる前にその場から逃げますよ」

 夏目が言った。と言うか半ば実体験のようなものである。初めて現場に赴き、鬼が魔化魍と戦う様子を見た夏目はサポーターの務めも果たせず逃げ出してしまったのだ。

「いやあ……しばらく体が動かなかったですし、逃げたらもっと大変なことになりそうで」

「なあなあ、メガネの兄ちゃんもヘンシンすんのか?」

「夏目さんは変身できませんよ。心身を鍛えたいと僕と一緒に修行して、それで翌日ひどい筋肉痛になってからはサポーターに徹してくれてますから。……あ、昨日の発言、ひょっとしてまだ未練があるんですか?」

「喋りすぎだよ! 兎に角、遠道さんでしたっけ? あなたには二つの選択肢があります。今日起きたことは悪い夢だったと忘れること。もしくは猛士の協力者として今後は情報提供や避難誘導といった形で協力すること。いずれにせよ他言は無用です」

 既に簡単な説明はシュンキから受けていた。文献に妖怪として記録される怪生物「魔化魍」。魔化魍を滅する技術を持つ「鬼」と呼ばれる異能者。彼らの戦いを支援する民間組織「猛士」。実際にあのヘビと変身したシュンキを見た以上、信じないわけにはいかないだろう。しかもシュンキは、安心させるためか戻ってきてすぐに顔の変身を解除してみせたのだ。

「協力させてください」

 迷う必要はなかった。彼らのような人物と行動を共にする機会が増えれば、小説のネタもどんどん増えていく筈だ。

「みちろう君、君も僕たちとの約束を守ってくれるかな?」

「おう! ところで兄ちゃんたちも東京の人か? 方言出ないぞ」

「君は物怖じしないなあ。組織の決まりでね、基本的に標準語で会話するようにしてるんだ。他支部の人たちと合同で戦ったり、人が足りない時は他所へ出向することもあるから。あ、出向って言葉の意味分かる? 他の地方の人のお手伝いに行くことだよ」

「それなんですけど、東京に帰った後はどうすれば……。僕は関東の支部の所属ってことになるんですか?」

「関東支部の方にはこちらから連絡を入れておきます。遠道さんの連絡先を教えてください。おそらく関東支部の誰かから連絡が来るでしょう」

 空はもう暗くなりかけている。冬だからというのもあるだろうが、またひと雨来そうだ。

「それじゃあ帰ります。宿の人たちも心配してるかもしれないし」

 後部座席から降りて自分たちのレンタカーに向かおうとする郷介とみちろうを、シュンキが呼び止めた。

「明日お帰りですか?」

「もう一日こっちに滞在する予定です」

「でしたら海中温泉がオススメです。実は繁忙期以外だと足湯として利用するのも黙認されているので、野外で全裸になるのが恥ずかしい人でも是非」

 そう言うとシュンキは敬礼に似たポーズを決めてみせた。

 

 昨日の夕方頃から降り出した雨は、翌朝になってもまだ降り続いていた。

 昭和26年に発表された『浮雲』という小説に、「屋久島は月のうち、三十五日は雨」という言い回しが登場する。それだけ降雨量が多いという意味だ。

 亜熱帯とはいえ、冬の雨はそれなりに冷たい。そんな雨の中を足早に進む男性が一人。

 と、背後で軽くクラクションが鳴らされた。振り返ると、一台の車が徐行しながら接近してくる。

 助手席の窓が開き、ヘッドホンを耳に掛けた青年が声をかけてきた。

「乗りますか?」

 その言葉に甘え、男性が後部座席に乗り込んでくる。

「悪い。シート濡らしちゃった」

「大丈夫です。それよりも昨日はありがとうございました」

 港へと向かう車中で、シュンキは後部座席の男性に向けて礼を述べた。

「本来なら我々がやらなければならない仕事だったのですが、離島故に出足が遅れてしまって……」

 九州支部は昭和50年代頃までは、離島への移動用にヘリを自前で保有していたとシュンキは聞いていた。その後魔化魍発生件数は減少の一途を辿り、維持費がかかるという理由から手放したのだそうだ。事前に魔化魍の発生を予測し、先手を打って現地に飛び発生確認と同時に殲滅できるから問題はなかったのだが……。

「イレギュラーだったし、仕方ないでしょ」

「それなのですが、ヒビキさんが戦ったのはツチグモだと聞きました」

 ツチグモ(土蜘蛛)とは、記紀神話の時代にもその名が確認できる古の魔化魍だ。かつて中世日本では怖いモノや危険なモノの代名詞でもあった。歴史の古い存在だけあって、亜種の目撃報告も各地で上がっている。

「ツチグモをたったお一人で退治するとは……流石ベテランですね」

 夏目に褒められたヒビキは照れ臭そうに鼻の頭を少し掻くと、「成体になった直後でしたから」と謙遜した。

「それに、鍛えてますから」

 ツチグモを退治したヒビキはその後関東支部に定時連絡を入れ、そこから九州支部にツチグモ撃退の報が届けられていた。例によって夏目にも支部からメールが転送されてきたのだが、やはり最初は我が目を疑ってしまった。気象条件からして、屋久島にツチグモが出る筈はないからである。

「外来種ですかねえ」

「いやいやシュン君、沖縄のマングースじゃないんだから」

「意外と的外れでもないと思いますよ。これ、ヒビキさんのお耳にも入れておいた方がいいと思うんですけど……」

 トウビョウが出ましたという言葉に、ほんの一瞬だがヒビキの表情が険しくなった。

「確かあれだろ、呪詛の……」

 トウビョウは猛士のデータベースにも詳細な情報は載っていない。何故なら自然下で発生する筈がない魔化魍だからだ。呪詛を刻んだ呪具によって生み出される、人の手が介在して発生する魔化魍なのである。

「絶対に出る筈のない魔化魍が一度に二匹……。おそらく九州支部は今後厳戒態勢を取ることになると思います」

 昨今の魔化魍発生件数の増大化と関係しているのではないか――三人全員が同じことを考えていた。

「それにしても、どうしてこの屋久島へ?」

 夏目が尋ねる。ヒビキが来ていなければどうなっていたか分からない。

 ヒビキは少し考えると、「ルーツなんです」と答えた。

 ヒビキの本名は日高仁志という。日高姓は主に二ヶ所に分布しており一つが北海道、もう一つがこの屋久島なのだ。ヒビキは自分の先祖が屋久島出身であることを突き止め、以来修行や霊木の調達などで定期的に訪れているのだという。

「へえ、実際に加護が得られているんですね」

 夏目は感心した。

 生まれ故郷の土というのは重要な意味を持つ。海外の吸血鬼も、自分のテリトリー外へ行く場合は棺桶に故郷の土を敷き詰めて行くと言われているぐらいだ。

「何だったら九州支部に来ませんか?」

「いやいや、関東支部の水が合ってるっていうか……。それに気になるご近所さんとも知り合ったし」

 話をしているうちに車はフェリー乗り場へと到着した。雨はまだしばらく止みそうになかった。

 

「まあこれで大丈夫でしょう」

 郷介の書き上げた原稿と写真を見て、葛原は言った。

「ただこの写真、これは頂けません。やらせ臭がひどいです。こういう記事は虚実の境目ぐらいを狙うのが丁度よいのです」

 ボツを喰らった写真は、シュンキが戻ってくるのを待っている間に撮影したものだ。地面にあのヘビの魔化魍が這った跡が残っていたのである。これぐらいなら咎められないだろうとシャッターを切ったのだが……。

「わざわざ跡をつけたんですか?」

「まさか」

 二人がいるのは郷介の自室だ。みちろうはまだ学校に行っていて戻っていない。

「それにこのお土産」

「タンカンっていう柑橘類です。屋久島と沖縄、あと奄美大島でしか栽培されてないそうで。フェリーを待っている最中にお土産屋さんで試食したんですけど非常に美味しかったから是非にと……」

「私が言いたいのは、これは都内でもアンテナショップで買えるということです。屋久島ならではのお土産を期待していたのですが」

 そう言いながら葛原は皮を剝いでタンカンを食べ始めた。結局食べるのかよと郷介は思ったが、心の中に仕舞い込んでおく。

「じゃあこれはどうです?」

 そう言って郷介は包装紙を葛原に手渡した。開けてもいいと言う前に、葛原は丁寧にテープを剥がして中身を取り出した。

 縄文杉のマスコットが付いた耳かきだった。

「屋久杉耳かきです」

「見れば分かります。まあセンスの欠片もない品ですが、ありがたく頂戴しておきます」

 相変わらず口が悪いが、突き返されないだけマシだと思うことにする。

「ところで遠道さん、こちらに戻って来てから少しばかりご機嫌ではないですか? そんなに出版社のお金で旅行するのが楽しかったですか?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど……」

 何かが変わるきっかけなんて、実は何処にでも転がっているものだ。ただ郷介は少しばかり刺激的だったに過ぎない。

 窓の外を見やる。少し雲が出ているが晴れ。春まであと僅か。きっとこれから刺激的で楽しい人生が待っていると、郷介は強く思うことにした。 了

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