鬼ストーリー外伝   作:れぼたろ

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八之巻 急

 目の前で微笑み続ける女性に、郷介は絶句した。どうにか声を振り絞る。

「これは夢か幻か……」

「違いますよ。これは現実です」

「ああ……じゃあ化かされているのか」

 その女性は、亡くなった郷介の妻に瓜二つだった。

「料理の味付け、全く同じだ。これは何だ? 昔話と同じなら馬糞か何かか?」

「やだなあ、それは本物の料理ですよ。私、張り切っちゃいました」

 ここで郷介は、目の前の女性が本物の妻ではないことに気づいた。喋り方だ。妻はこんな口調ではなかった。しかもこの口調には聞き覚えがあった。

 郷介の心中を察してか、女性が名乗る。

「昨日お会いしましたよね。私、鈴木綾子です。猛士東北支部の」

「えっ!?」

 そんな筈はない。綾子は舞と瓜二つの姿をしていた。亡き妻と舞は似ても似つかない。今いる部屋は光量が弱いが、だからと言って見間違えるとは思えなかった。

「そんな馬鹿な。だって昨日は別の……」

「ああ、この顔ですか?」

 綾子は自分の顔を撫でた。

「私の見た目って、その人の中で強く印象に残っている女性とそっくりに見えるんです。ただ、同じ人物を知っている人が複数その場にいる場合は、そちらが優先されちゃうんですね」

 賢司は郷介の妻とそんなに会ってはいない。みちろうが母を亡くしたのは小さかった頃だ。どちらも強く印象に残っているとは言い難いだろう。そうなると郷介、みちろう、賢司の三人に共通する女性の姿として舞が選ばれるのは理に適っている。今は郷介一人なので亡き妻の姿に見えるのだろう。

「ちょっと待って。見た目が違って見えるって……やっぱり君は人間じゃないのか!?」

 警戒して郷介がその場から後ずさる。ただ、封鎖された屋内で逃げ続けるのは不可能だろう。

「やだなあ、危害は加えませんよ。そのつもりだったら最初っから襲ってますって」

「いや、そうなんだろうけど……」

 その時、廊下を進んでくる足音が聞こえた。郷介の血の気が引く。

「ただいま帰りました」

「お帰りなさーい! ご飯の準備はできてますよー! あ、それとも先にお風呂にします?」

 部屋の中に入って来たのは、シュンキと夏目だった。シュンキは郷介の姿を見ても表情を崩さなかったが、夏目は驚きの声を上げた。

「遠道さん!? どうしてここに……」

 郷介は続石の傍で童子と姫に襲われたこと、誰かに腕を引かれて斜面を転げ落ちたこと、気がついたら一人で森の中に倒れていたことを順を追って話した。

「はいはーい! 腕を引いたのは私でーす!」

 綾子が元気よく手を挙げて答えた。

 確かに、言われてみればあの時聞こえた声は綾子の――あの時点ではまだ舞の声だった。郷介が礼を述べる。

「でもどうしてあんなにタイミングよく……?」

「ずっと見てましたから!」

「え?」

 ずっとと言うことは、やはり五百羅漢で目撃したのは彼女だったのだろう。

「遠道さん、ここが何処だか分かりますか?」

 シュンキの問いに郷介は「予想だけど、ひょっとしてマヨイガ?」と答えた。それに対しシュンキが首を縦に振る。やはりここは異界だったのだ。

「僕も最初は驚きました。山中異界の概念は知っていたけれど、まさか実在するなんて……」

 夏目がそう口にするが、こればかりは仕方のないことだった。猛士のデータベースには、かつて関西支部で起きた隠れ里に関する事件の記録も残されているが、こちらは「王」以上の権限を持つ人物でなければ閲覧できないようになっている。許可さえ得られれば誰でも閲覧は可能なのだが、わざわざそこまでして稀有な事例を調べることなど今までなかったのだ。

 と、いきなり携帯電話の着信音が鳴り響いた。綾子がポケットから携帯電話を取り出して通話を始める。

「いや待って。ケータイ繋がるの?」

「もしもーし。あっ、タテワキさん!」

「ちょうどよかった。代わってください」

 シュンキは綾子から携帯電話を受け取ると、ヘッドホンを外して通話を始めた。

「シュンキか。お疲れちゃん。実はさ、猛士の関係者が一人行方不明になっちまって。そっちに行ってると思うんだけど、会えてないか?」

「いますよ、ここに。既にマヨイガで保護されています」

「おっ、そいつは重畳。だったら伝言を頼む」

 シュンキは郷介に、連れの者は東北支部に身を寄せていると伝えた。それを聞いて安堵した途端、郷介の腹が再び大きく鳴る。綾子がくすりと笑った。

「でな、そいつを探しに中部支部のソウキって二人組が向かったんだが、お前たちみたいに引き込むよう綾子に言っておいてくれ」

「分かりました。つまり、そろそろ決行ということですね?」

「こっちは大体の目星がつきそうだ。そっちはソウキのディスクアニマルが役に立つだろう。2~3日以内にケリを着けるぞ」

 通話を終えたシュンキに、郷介が事情を説明するよう求めた。シュンキはまずは食事にしようと提案し、座布団に座った。夏目もシュンキの隣に座る。郷介も空腹には勝てそうになかったので、改めて座って食べ始めた。

「……妻の手料理と全く同じ味の理由は?」

「彼女の姿が人によって異なって見えるのと同じです。僕が今食べているのは、実家の母の手料理の味ですから」

「おかわりたくさんありますからねー!」

 いつの間にか綾子の傍には鍋や米櫃が置かれてあった。

「これは全て東北支部のタテワキさんの計画です」

 シュンキが言った。

「封印されていた古代の魔化魍が蘇りました。東北支部が総力を挙げて行方を追ったところ、タテワキさんがそれと思しき魔化魍に遭遇し交戦状態に入ったのですが、仕留められなかったそうです」

「逃げられたということですか?」

「そもそも音撃が効かなかったそうです」

 昨年関東支部が、謎の男女によって呪具を合成され音撃を無効化する魔化魍と戦っている。最初はその類かと思われたがどうも違う。調査の結果、魔化魍は半身を異界へと隠し、そこから力を得ている可能性が高いと判断された。

「呪術に長けた鬼の多い東北支部だからこそ出せた結論です。魔化魍は此岸と彼岸の両方に存在し、片方が無事な限りもう片方も滅びることはありません」

 それが魔化魍自身の能力なのか、誰かの介入によるものなのかは不明だという。だが、魔化魍は境界から人間を引きずり込み、食らうことで徐々に力を取り戻しつつあるようだった。

「いくら呪術に長けた鬼でも、異界と自由に行き来なんてできません。そこでタテワキさんは彼女に協力を仰ぎ、第一段階として僕たちをこっちへ引きずり込んだんです」

「最初は凄く驚きましたよ。僕もシュン君も初耳でしたから」

「意図的に情報は伏せていたそうです。東方支部が独断で立てた作戦ですからね。吉野の耳に入ったら何を言われるか分からない」

「どうしてです?」

 郷介の問いに、シュンキは簡単なことですと答えた。

「魔化魍の力を借りることになるからです」

 郷介は綾子の顔を見た。やはり彼女は人ではなかったのだ。

「彼女はイズナだそうです。タテワキさんが秋田に行った時、知り合ったそうです」

 イズナ(飯綱)――その名は郷介にも聞き覚えがあった。東北地方において呪術師の家系が使役するキツネのことだ。家に憑いて財をもたらすが、憑き物筋と呼ばれるその家系はムラ社会において忌み嫌われるという。

「では彼女はイズナが化けていると?」

「化けるというよりは呪術でそう見せかけていると言った方が正しいかもしれませんね」

 どうやら猛士においても前例はあるらしく、昭和50年代に関東支部の鬼が化け狸を一時期飼っていたことがあるらしい。当時は日本中がゴタゴタしていたこともあり、吉野の方では不問になったのだそうだ。当事者の鬼が吉野の関係者と仲が良かったためお目溢しになったという風説もあるようだが、真相は闇の中である。

「私、昔郷介さんに会ったことがあるんですよ」

 ふいに綾子が郷介に向かって言った。

「え?」

「覚えてません?」

 どういうことだろう。郷介は自身の記憶を探ってみた。

 と、建物の外を巨大な何かが這う音がした。シュンキが立ち上がり、縁側へと出て行く。郷介もあとを追った。

 郷介は息を呑んだ。縁側のガラス戸の向こうを、真っ黒い巨大なヘビが這っていたのだ。

「2~3日も必要なかったかもしれませんね」

 シュンキが言う。

「向こうは気づいてないんですか?」

「マヨイガは結界で護られていますから。魔化魍は認識できませんし、こちらに近寄ることもできません」

 大蛇は悠然と地を這い、そのまま視界から消えていった。

「思い出しますね。屋久島で出会った時のことを」

 シュンキに言われ、郷介もそうだと思った。二人が初めて出会った時、シュンキはヘビの姿をした魔化魍トウビョウと戦っていたのだ。

 シュンキは綾子から携帯電話を借りると、何処かへと掛けた。どうやら綾子が持っている携帯電話のみが外界と連絡を取れるようだった。

「もしもしタテワキさん? ……はい、マヨイガの近くに出ました。今から追跡すればねぐらを突き止められるかと。……はい、分かりました。ソウキの二人を待ちます」

 どうやら単独行動しないよう釘を刺されたらしい。郷介は、あの魔化魍は何なのかと夏目に尋ねた。

「遠道さんなら聞いたことはあるかもしれませんね。あの魔化魍は」

 アラハバキだと夏目は答えた。

 

 アラハバキ――漢字表記だと「荒脛巾」、または「荒羽々気」。東北地方で信仰されていた謎の神である。記紀神話に登場する反逆の神ナガスネヒコや、大和朝廷に敗北した出雲の神オオナムチと同一視されることから、邪悪なる存在と認識されることも多い。

 ハバキがヘビを指す古語であることから蛇体の神とされており、同じく蛇体とされるオオナムチと同一の存在であるという説を補強している。

 そのオオナムチは国造りの神オオクニヌシの別名であり、しかもオオクニヌシはヒンドゥー教の破壊神シヴァとも関係があるため、実在するなら非常にヤバい存在ということになる。

「ちょっとちょっと! そんなの昔の人はどうやって封印したのよ!?」

「そんなの俺が知るかよ」

 栗生に対しタテワキが投げやりに答える。

「今回は封印じゃねえ。音撃を叩き込んで祓い清めるんだ。心配すんなって、伝説には尾ひれがつくものさ。魔化魍である以上、斃せない筈がない。そうだろ」

 タテワキの言葉にカトキが同意ですと答えた。

「兎に角……皆には今まで黙っていて悪かった。この通りだ。どうか引き続き協力してほしい」

 そう言うとタテワキは深々と頭を下げた。

「確かに、魔化魍には違いないんだし意外とどうにかなるかも」

「ちょっとリン君まで」

「あたしも同意するわ。アラハバキだか花吹雪だか知らないけど、このあたしの手で退治してみせるッ!」

 気合十分のミユキだったが、タテワキにはどうも空回りしているように見えた。どうやら谷垣も同じだったらしく、気負い過ぎるのはよくないとミユキを諫めた。

「シュンキがあちら側の居場所の目星をつけた。ソウキが合流すれば確実だろう。決行はその時だ」

「しつもーん! こっち側のアラハバキは見つかってるんですか?」

 栗生のもっともな質問に、谷垣が答える。

「吉野の開発局長が、自分が手助けに行けない代わりにと発明品を送ってきてくれました。これです」

 そう言うと谷垣は、テーブルの下に置いてあった包みを持ち上げた。重量があるらしく、そこそこガタイの良い谷垣ですら足元が少しふらついている。

 包みを開けると、そこには様々な計器類が雑多に並んだ金属の箱が入っていた。

「通常空間と異空間との位相の差異を計測するレーダーだそうです。名前は『アシモフくん28号』」

 同封されていた取扱説明書に目を通しながら谷垣が言った。

「凄いネーミングセンス。造形も無骨だし、開発者の顔が見てみたいわ」

「悪口は言わない方がいいと思うよ。道徳的な面もそうだけど、あの開発局長の場合、発明品に盗聴器をつけていてもおかしくないから……」

 リンキが栗生を諫めた。それに同意するかのようにタテワキが頷く。一度でも開発局長に出会ったことがある鬼ならば、きっと皆同じ思いを抱くだろう。

「説明を続けますね。魔化魍はあちらとこちらの両方に同時に存在しているわけですが、その結果こちらの魔化魍が動くと位相のズレが断続的に発生するようなのです。それを辿ることで探し出せるのではないかと、そういうことですね」

 異界に引きこもっている半身よりは探し易いということなのだろう。

「早速起動してみましょう。えっと、ここをこうするのかな?」

 谷垣が説明書と睨めっこしながら、スイッチやレバーを操作していく。「アシモフくん28号」が激しく振動し、ランプの点灯や計器の作動が始まった。

「ここのモニターに波形が映るんですね。えっと、これがこうだから……」

「ちょっと、もう少し早くできないの?」

「機械は苦手なんです!」

 どうにか完全に起動することに成功した途端、ビープ音が店内に鳴り響いた。何事かと問うタテワキに、谷垣は精度が高すぎて遠野市全域が対象になっているようだと告げた。

「具体的な場所を絞り込めるか?」

「やってみます!」

 タテワキは携帯電話を取り出して綾子に連絡を入れた。確認すると、今朝にはソウキと合流しアラハバキの追跡に入っているという。

「決行は今日だ。そう伝えてくれ」

「出ました! 土淵町の辺りです!」

「土淵? 偶然にしては出来すぎてる気がするが、まあ世の中そんなもんか」

 土淵町が土淵村と呼ばれていた頃、地元の豪農が殺したヘビの祟りを受けて一日のうちに滅亡したと『遠野物語』には記されている。あの辺りはカッパ淵を始め観光名所が多いため、犠牲者が多く出る危険があった。

 場所を聞くやミユキが飛び出していった。その手には車のキーが握られている。タテワキと谷垣が使っている猛士の車両の物だ。

「待て! 乗っていかれたら俺たちが出撃できないだろ!」

 タテワキが慌ててあとを追いかけた。

 

 その少し前、異界の方ではソウキと合流した一行が、マヨイガを出てアラハバキの捜索を開始していた。昨晩目撃した以上、そう遠くへは行っていない筈である。

 翡翠熊が地面に鼻をつけてあちこち探りながら進んでいく。そのあとを、郷介たち六人は追跡していた。

「君たち、いくつ?」

 郷介は好奇心からソウキの二人に年齢を尋ねてみた。小柄なのはシュンキもおなじだが、加えて童顔なのでどう見ても中学生ぐらいにしか見えない。

「僕たちこう見えて」

「19歳よ」

「まだお酒は飲めないけど」

「「ねー」」

 どうにも慣れない喋り方をする二人である。ただ、太鼓の鬼は魔化魍に接近して戦うため、余程の使い手でなければ務まらないと聞いていた。音叉を持っていたということはソウキも太鼓の鬼なのだろう。実力は折り紙付きということだ。

「郷介さん、大丈夫ですか?」

 険しい山道を進む郷介を気遣って、綾子が声をかけてきた。三人の鬼は言うまでもなく、夏目もサポーターだけあってこういった場所を歩き慣れているようだった。結果的に郷介一人が少し遅れる形で彼らのあとに続いていた。

 あの後、翌日に備えて早々に眠ってしまったため、綾子の話の続きを聞くことはできなかった。今聞けばいいのかもしれないが、彼女は自分が忘れてしまった何かを知っている――その事実が郷介の決意を鈍らせていた。

 と、翡翠熊がガチャガチャと大きな音を立てて駆け出した。どうやら目標に近づいたらしい。郷介たちに少し離れるよう指示すると、シュンキと二人のソウキはそれぞれ変身音叉を取り出し、打ち鳴らした。

 甲高い音が周囲に響く。三人の体はそれぞれ眩い光と吹き荒れる風に包まれ、迅鬼と双鬼へと変身を終えた。

 次いで三人はそれぞれのディスクアニマルを展開した。迅鬼が茜鷹と浅葱鷲を、双鬼が黄粱蟹(キハダガニ)を周囲へと放つ。

「来るよ」

「でも話に聞いてたのと違う」

「風が言ってる。これはヘビじゃない」

「これは……」

 奥から現れたのは、古墳時代の甲冑を纏った土人形の群れだった。

 

 谷垣が運転する車内で、タテワキは後部座席にふてくされて座るミユキに向けて話しかけた。

「お嬢、そこまで手柄を立てたい理由って何だ?」

 だがミユキは無視してそっぽを向いたままだ。

「悪かった。これから背中を預ける相手なんだから隠し事とかなしにしようぜ、ミユキ」

「……あんたが言うか」

「今回の計画を黙ってた件の詫びが足らないってんなら、あとでいくらでも土下座するさ」

「あんたのことだから、支部に手を回してあたしの経歴ぐらい既に調べ上げてるんじゃあないの?」

 実際にはその通りだったのだが、タテワキはあえて黙っていた。彼女自身の口から語らせなければ駄目だと思ったからだ。

 ミユキはぽつぽつと語り始めた。

「……あたしの親父も北海道支部の鬼だったんだ。名前はジョウキ。ひい爺さんも鬼だった。二人とも現役時代は優秀な鬼だったらしい」

 バックミラーに映るミユキと目が合った。

「度々話に出てくる昭和50年代の事件の際に戦っていたのが親父よ。あのジョウキの娘ということで期待されて、でもあたしはそこまで凄くなくて……。本来継承するはずだったジョウキの名前も拒否して、フブキさんから貰ったミユキって名前で通してるけどやっぱり親父の影はチラついてて……」

「ヤバい魔化魍を退治することで親父さんを越えたいんだな」

「超えるというよりも無関係であると証明したいのよ。あたしはあたし、親父は親父」

「……分かった。俺が見届けてやる。やってみろ」

 彼らの車両のすぐ後ろには、同じく東北支部の車がついてきている。栗生が運転しているのだ。助手席にはリンキが乗っている。カトキはある物を受領してから遅れて合流する手筈になっている。火力が必要になると判断したタテワキが、支部長に掛け合って用意してもらったものだ。

「そろそろ目的地です」

 カーナビとタテワキの膝の上に置かれた「アシモフくん28号」のモニターを見比べながら、谷垣が言った。

 着いた先は、土淵バイパスから宮古市方面へと進んだところにある土坂峠(つちさかとうげ)と呼ばれる場所だった。冬季は積雪により利用者が少なくなるこの峠は、残雪の影響で今も交通量が少ないままだった。不幸中の幸いだと言えよう。

 車を乗り捨て、ディスクアニマルに先導させながら林の奥へと進んでいく。連絡要員として栗生が車に残り、谷垣は同行することとなった。

「全員、気をつけろ」

 上空で急旋回を始めた茜鷹を見て、タテワキが言う。谷垣も護身用にナタを抜いて身構えた。

 林の奥から、樹々の間を抜けて何かが迫ってくる。姿を現したそれは、大量の土人形だった。甲冑を纏い、手には長槍を携えている。

「何ですか、こいつら!?」

「アラハバキの眷属だろうな。土から生み出したんだ」

 驚くリンキに、タテワキが告げる。

「こんな連中、相手にしていたらキリがないわ!」

 ミユキが音撃管(おんげきかん)春風(しゅんぷう)を発砲した。圧縮空気弾が命中し、先頭を進む土人形の顔面が砕けた。

「同感だ」

 タテワキもギターケースから愛用の音撃弦・大威徳(だいいとく)を抜き出すと、振るいながら土人形の群れに突撃した。リンキもまた「降魔」を手に続いていく。

「こいつら動きが鈍いぞ! 突破しろ! 遅れるなよ谷垣!」

 ひと振りで二、三体の土人形を粉砕しながらタテワキが叫ぶ。次々と土人形の砕け散る音が林にこだました。

 

 蹴りや音撃棒による打撃で、みるみるうちに土人形の群れは土塊へと還っていった。しかし続々と増援が現れ、迅鬼と双鬼を取り囲む。

「このままじゃ逃げられるのでは……」

 遠くから様子を窺っていた郷介が呟く。どう考えてもこの数の兵隊は足止めとしか思えない。

「予想以上に数が多い」

 槍を払いのけつつ打撃を加えながら迅鬼が言った。今のところダメージは負っていないし体力も充分残っている。土人形どもは弱い。しかし厄介だった。

「こうなったら」

「あれを使うしかないね」

「僕たちの俊足で」

「道を切り開く」

 そう言うと双鬼は、それぞれ音撃鼓・金星(きんぼし)と音撃鼓・銀星(ぎんぼし)を装備帯から取り外した。金色の「金星」が姉、銀色の「銀星」が弟の装備だ。

 それぞれの音撃鼓の上部がスライドし、取っ手が現れた。二人の双鬼は左手に音撃鼓を提げ、右手に音撃棒を握る。その姿を見て郷介は、『忠臣蔵』で大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が陣太鼓を打ち鳴らす場面を連想した。そして。

 両者の音撃鼓が打ち鳴らされ、それを合図にしたかのように二人が同時に駆け出した。

 太鼓を絶えず等間隔で叩きながら、林立する樹々の間を超高速で縦横に走り抜けていく。大量の土埃が舞い、郷介たちのいる場所からは状況が分からなくなってしまった。

 次いで固い何かが降り注いできた。拾ってみるとそれは土人形の欠片だった。魔化魍相手だと直に叩き込まなければ効果の低い音撃だが、土人形程度ならば空気中を伝播する衝撃波で充分粉砕可能だった。

「「これぞ音撃打・陰陽宮(おんみょうきゅう)の陣!」」

 太鼓の音が止み、双鬼の声が聞こえた。土埃が晴れると、全ての土人形が崩れて地面に散らばっている光景が飛び込んできた。

「凄いですね、お二人とも……って、大丈夫ですか!?」

 姉弟揃って地面にへたり込む様子を見て、迅鬼が声をかけた。

「この技、凄い疲れる……」

「ごめん、ちょっと休憩させて……」

「「すぐ追いかけるから……」」

 やむを得ず二人をその場に残し、迅鬼たちは先へと進んでいく。夏目も念のため二人の傍に残ることになった。

 迅鬼の放った茜鷹が戻ってきた。どうやらアラハバキは、姿を隠すでもなくまだ近くにいるようだ。

「先行します」

 迅鬼が駆けていく。しばらく進むと、彼の目の前に巨大な大蛇が現れた。昨年屋久島で戦ったトウビョウの比ではない巨体。その胴体からは、ムカデを思わせる無数の肢が生えていた。大蛇の顔には目がなく、舌をちろちろと出して周囲を探っている。そして頭頂部からは――。

 遮光器土偶を彷彿とさせる人型の上半身が生えていた。

 

 土人形の動きは緩慢だったが、それでも数が多い。最初は突破できるかと考えたが、徐々に増えていく土人形にタテワキたちの足が止まった。

「くそっ、夏の魔化魍だってここまで増えないぞ!」

 対アラハバキのために余力を残しておきたかったがそうもいかないようだ。タテワキは手首の変身鬼弦を掲げた。その様子を見てリンキも変身鬼弦を掲げる。

 弦を弾く乾いた音が周囲に響いた。タテワキの周囲に水竜巻が起こり、近づいてきた数体の土人形を凄まじい水圧で吹き飛ばした。

 竜巻が収まり霧雨が降る中、黒を基調にした肉体に紅白の隈取、そして水牛を思わせる太い二本角を持った鬼――帯刀鬼が姿を現した。

「いよっ!」

 掛け声と共に帯刀鬼が「大威徳」を横に薙いだ。剣圧で複数体の土人形がばらばらに砕け散る。同じく変身を終えた燐鬼も、突き出された槍の穂先を右手で掴むと、左手に高く掲げた「降魔」を一気に振り下ろして土人形を粉々にした。

「このっ!」

 ミユキは向かってくる土人形目がけて地面に残った雪を蹴り上げたが、相手は生き物ではないため怯まない。

 複数の土人形が並び立ち、槍衾を作って攻撃してくる。ミユキは「春風」を掃射しつつ距離を取った。そして地面を蹴って跳び上がると、頭上の枝を掴み反動で体を回転させてその上に乗った。間髪いれず変身鬼笛(へんしんおにぶえ)を取り出し吹き鳴らす。彼女の全身を氷雪が包んだ。

「おらあッ!」

 山吹色の角と縹色の隈取を持った鬼――深雪鬼が、掛け声とともに木の下に集まってきた土人形に跳び蹴りを叩き込んだ。

 変身した三人だったが、次々と土人形は湧いてくるため一向に数が減らない。むしろ出現ペースが増しているように思える。

「キリがないですよ、これ……」

 帯刀鬼と背中合わせの状態で燐鬼がボヤく。

「弱音を吐くんじゃない。お前の師匠も同じことを言う筈だぜ」

「あー、言葉より先に蹴りが来そうですが……」

 と、「春風」を乱射しながら深雪鬼が駆けだした。単身先行するつもりのようだ。

「待て! 出すぎだ!」

 複数体の土人形が、手にした槍を投げつけてきた。手にくっついているものとばかり思っていた深雪鬼の反応が僅かに遅れる。真っ直ぐに、あるいは放物線を描いて飛んでくる槍を体術を駆使して回避していくが、そのうちの一本が足を掠めた。

「くっ!」

 動きが鈍った深雪鬼に向けて、一斉に槍が投げつけられる。「春風」で撃ち落としていくが、数が多く全てを落としきれない。

「深雪鬼っ!」

 帯刀鬼が彼女の前に割って入り、「大威徳」を振るって槍を払う。しかし立て続けに投げつけられる槍を捌ききれず、左肩と右太腿に槍が刺さった。

「うおお!」

 雄たけびと共に帯刀鬼が飛び出し、密集していた土人形を「大威徳」の一振りで粉砕した。しかしいつの間にか左右に展開していた土人形が次々と槍を投げてくる。何本かが帯刀鬼の背中に突き刺さった。

「これはちょっとマズいかも……」

 燐鬼が呟く。だんだん敵のペースに巻き込まれつつある。このままだと撤退もやむを得ないかもしれない。

 ――あたしのせいだ。

 自分が突出しなければ帯刀鬼は負傷せずに済んだかもしれない。深雪鬼は己を責めた。そして、この状況を打破することで借りを返すと決めた。

 やるしかない――そう自分に言い聞かせ、精神を集中させる。自分の中にある全てを出し切るつもりだった。彼女の中に強い闘気が渦巻く。

 深雪鬼を中心に地面が凍り始めた。地面だけではない。石も、草も、樹々も、全てが氷に覆われていく。氷は帯刀鬼ら仲間たちだけは器用に迂回し、半径数百メートルを凍り付かせた。

 両足を凍らされた土人形は槍を投げて攻撃しようとするが、投げる動作よりも早く氷が体表を覆い尽くしていく。

 鬼幻術・枯山水(かれさんすい)――全てが真っ白な海に沈むのに時間はかからなかった。

 その隙に帯刀鬼は刺さった槍を引き抜き、気合と共に傷口を締めていく。

「この威力、この範囲……。体力を喰うヤツだな。解除しろ! 持たないぞ」

「駄目よ。あんたたちなら樹上を飛び移りながら先へ進めるでしょ。足止めはあたしに任せて早く!」

「行きましょう帯刀鬼さん!」

 既に燐鬼は近くの樹に跳び移っていた。

「……分かった。持ち堪えていてくれよ」

「帯刀鬼さん、俺もここで待機します。あとは頼みます!」

 谷垣が叫びながら携帯電話を投げた。鬼ではない谷垣が、樹上を移動するのは困難だろう。土人形を生み出しているアラハバキを何とかしなければ、深雪鬼の体力が尽きると同時に土人形が動き出し、二人ともお陀仏だ。

 帯刀鬼は飛んできた携帯電話を受け止めると、小さく頷き跳躍した。

 燐鬼と帯刀鬼が、樹上を伝って進んでいく。その先には頭部から人型を生やした大蛇――アラハバキが待ち受けていた。

 

 郷介と綾子が駆けつけた時、既に迅鬼はアラハバキと交戦中だった。

 鎌首をもたげて襲いかかってくるアラハバキを素早く躱していく迅鬼だったが、なかなか背中を取ることができない。「瞬刻」による打撃も効いていないようだった。

 事前に放っていた茜鷹と浅葱鷲が連携して攻撃を仕掛けるが、アラハバキの頭部の人型はいつの間にか剣を手にしており、近づいてきたディスクアニマルを次々と叩き落していく。

 と、急にアラハバキの動きが鈍り出した。見ると双鬼の放っていた黄粱蟹の群れがアラハバキの肢に纏わりつき、鋏で攻撃を加えていた。その隙を突いて迅鬼が背中に飛び乗ろうとするが、アラハバキは無数の肢を動かして郷介たちの方へと向かって行った。

 自然と郷介の身体は綾子の前に出ていた。たとえ別人でも、亡き妻と同じ姿の相手を危険に晒すことなどできない。この身に代えても護りたかった。

 迅鬼が両の「瞬刻」から、鬼棒術・蓑火(みのび)を放った。無数の光弾がアラハバキの全身に付着し、強く発光する。その強烈な光に人型部分は両手で目を覆い、大蛇の部分もその場で激しくのたうちまわった。

「危ない!」

 郷介はアラハバキが暴れることで飛んできた石礫から綾子を庇った。背中に鈍い衝撃が走る。苦痛に顔を歪める郷介を心配して、綾子が声をかけた。

「郷介さん……」

「大丈夫?」

「は、はいっ!」

 迅鬼がアラハバキの背を駆け上がり、人型部分に肉薄する。人型部分は体を半回転させて手にした剣で斬りかかってきたが、迅鬼は「瞬刻」で受け止めると剣を弾き飛ばした。

「二人とも下がって!」

 迅鬼が叫ぶ。郷介と綾子は後方へと下がった。それを確認すると迅鬼は「明滅」を人型部分に押し付けた。

 綾子が携帯電話を操作する。こちらで音撃が始まったことを外界のタテワキたちに知らせるためだった。

 

 谷垣から預かった携帯電話に綾子から着信が入った。異界の方で音撃が開始されたのだろう。

「もしもし、悪いがこっちはまだ準備ができてねえ」

 アラハバキの全身を覆う鱗は帯刀鬼が予想していたよりも遥かに固く、音撃弦で幾度攻撃しても一枚も剥がれなかった。このままでは音撃弦を刺して清めの音を流し込むことができない。

 と、背後の方で爆発音が響いた。

「来たか!」

「何です、今の音は!?」

「3分、いや2分後にこちらも仕掛ける! シュンキたちにそう伝えてくれ!」

 そう告げると帯刀鬼は通話を切り上げ、携帯電話を雪上に放り投げた。そして空に向かって叫ぶ。

「火斗鬼! 一発でかいの撃ち込んでやれ!」

 空には、赤く塗装された一台のバイクが浮かんでいた。車体後部に大型のブースターが取りつけられ、そこから生み出される推進力で無理矢理に車体を飛ばしている。そしてバイクの両脇には、余剰エネルギーを利用して榴弾を放つ二門の大砲が備えつけられていた。

 このマシンの名は「陸震(りくしん)」。昭和50年代に活躍した東北出身の名家の鬼が乗っていた専用機だ。その鬼が引退した後、東北支部が厳重に管理していたが、今回の任務に当たって使用許可を取りつけたのである。

 バイクを運転しているのは火斗鬼で、その後ろには深雪鬼が乗っている。さっきの爆発音は土人形の群れを吹き飛ばしたものだろう。

「これより砲撃を開始します! 射線上より退避を!」

「僕、聞いてないんですけどぉ!?」

 慌てて燐鬼がその場から離れる。その直後、砲撃が行われ爆発が起こった。

「目標への着弾を確認。これより次弾の装填を開始します」

 二度目の砲撃が行われた。爆発と共に剥がれた鱗が降り注ぐ。

「今だ! 行けえ!」

 帯刀鬼の号令と共に、燐鬼が駆けだした。鱗が剥げた部分に「降魔」を突き刺す。少し遅れて帯刀鬼も「大威徳」をアラハバキの胴に刺した。

「自動航行モード、作動。姿勢制御確認。これより直接攻撃に移行する」

 ブースターの位置を調整し宙に浮いた状態の「陸震」から火斗鬼が飛び降りた。アラハバキの頭部へと降り立ち、人型に「不退転」を貼り付ける。火斗鬼を振り払おうと大きく鎌首をもたげるが、火斗鬼は人型部分にしがみつきながら「葉隠」を抜き取った。

 宙に浮いたままの「陸震」から、深雪鬼が鬼石の弾丸を撃ち込む。アラハバキの大きく開いた口腔内に鬼石は全弾命中した。

「全員、行くぞぉぉっ!」

 帯刀鬼の音撃震・波羅蜜(はらみつ)が「大威徳」に挿し込まれる。燐鬼も「降魔」に「白刃」を挿し込んだ。刃が飛び出し、返り血が二人の鬼を染める。深雪鬼も「春風」に音撃鳴(おんげきめい)翠雨(すいう)を装着し、音撃射(おんげきしゃ)の体勢に入る。

 開始の合図は、火斗鬼によって打ち鳴らされた。左手で人型にしがみつきながら、右手に持った「葉隠 吽」で大きく展開した「不退転」を叩く。アラハバキの巨体が大きく震えた。

 次いで胴体の左右から帯刀鬼と燐鬼が音撃斬を放つ。上空の深雪鬼も音撃射を奏で始めた。

 各支部の鬼たちによる即興の四重奏が始まった。

 

「2分後に開始だそうです!」

 通話を終えた綾子が叫ぶ。

 迅鬼は「瞬刻」先端の鬼石に光を集中させると、鬼棒術・裂光剣(れっこうけん)を放った。渾身の一撃が人型部分の左腕を切断し、吹き飛ばす。更に右腕も斬り落として抵抗できないよう力を削いでいく。あとは双鬼が開始までに追いつけるのを祈るだけだ。

「二人が来たぞ!」

 郷介の指差す方から、双鬼が駆けてくる。土人形の群れを粉砕した時と比べると速度は落ちているが、開始には充分間に合う速さだった。

「お待たせ!」

「もう大丈夫!」

「「さあ、魔化魍退治だ!」」

 双鬼はそれぞれアラハバキの左右に回り込むと、胴体を挟んで全く同じ場所に寸分の狂いもなく「金星」と「銀星」を貼りつけた。そして弟が柄も鬼石も全て真っ白な音撃棒・觜宿(ししゅく)を、姉が全て真っ赤な音撃棒・井宿(せいしゅく)を装備帯から抜き取り構える。

「「そいやぁぁぁ!」」

 それぞれの音撃鼓が打ち鳴らされた。両者の打ち鳴らすリズムは微妙に異なっている。全く同じ演奏を向かい合ってすると、肝心の音撃が相殺されてしまうからだ。双子ならではの息の合ったコンビネーションと言えるだろう。しかも相手の打撃による振動を上手く殺しながら演奏を続けている。彼らが揃って自分たちは強いと口にしていたのは本当のことだったのだ。

 頭頂部の迅鬼も音撃打を開始した。先に始動した双鬼に合わせて叩くリズムを調整していく。

 音の波が嵐のように周囲に吹き荒れた。綾子が耳を押さえて蹲る。魔化魍である以上、直ではないにしても少なからず影響があるのだろう。郷介は彼女を庇うようにその肩を抱いた。

 

 3分が経過した。アラハバキが弱っているのは目に見えて分かったが、一向に爆発する気配がない。演奏を続けながら帯刀鬼はおかしいと思った。ベテランと呼べるのは自分だけ。それ以外は、技術はあっても戦闘経験の乏しい若い鬼ばかりだ。だがそれでもあまりにも時間がかかり過ぎている。

 林の向こうから谷垣が走って来るのが見えた。帯刀鬼が叫ぶ。

「谷垣ぃ! 落ちてるケータイを拾って綾子に掛けろ! 状況確認だ!」

 谷垣は言われた通り落ちていた携帯電話を拾い上げると、綾子に電話した。電話に出たのは郷介だった。音撃の影響で綾子は動けないという。

「こっちも演奏は続いてます! 魔化魍が爆発する様子はありません!」

 郷介が言ったことをそのまま帯刀鬼に伝える。

 ――まさか、人数が足りないのか?

 こちらは鬼が四人がかりなのに対し、異界の方は三人。放たれる音撃の力に差があって、それでアラハバキを清めきれないのではないか――そう帯刀鬼は思った。

「そっちの三人にもっと力を振り絞れと伝えろ!」

 根性論でどうにかなるとは思えなかったが、他に指示のしようがなかった。

 谷垣から帯刀鬼の指示を聞いた郷介は、音撃打を続ける三人を見た。どう見ても全力である。迅鬼と双鬼、どちらも相手を意識してか演奏に異常なまでに力が入っているのが素人目からでも分かった。これ以上何をどうしろと言うのか。

 郷介は考えた。このような指示が来たということは、こちら側に最後の一押しが足りないということだろう。

「遠道さーん!」

 ようやく夏目が追いついてきた。郷介が通話しているのを見ると、「帯刀鬼さんは何と?」と尋ねてきた。

 その時、郷介は夏目が背負っているバックパックに目を留めた。直感を信じ、中に何が入っているのかと尋ねる。

「救急セット、非常食、替えの衣服、ラジオに愛用のキャンプ用品、それから予備の音撃鼓と音撃棒……」

「それって普段から常備してるんですか?」

「何があるか分かりませんから。ただ練習用の簡素なものだから強度も低いし、余程のことがない限り使うことはないですけど」

「助かりました。今がその時です!」

 そう言うと郷介は夏目から強引にバックパックを奪うと、中に入っていた一組の音撃棒と音撃鼓を取り出した。練習用というだけあって装飾は一切施されていない簡素な物だった。

「ちょっと何を……遠道さん!?」

 かつて「たちばな」で会話した内容を思い出す。

 ――君は術者の血を引いている可能性が極めて高い

 ――君の中に流れる術者の血が覚醒して災いを引き寄せていることだ

 それだけの力ならば足しになる筈――そう郷介は考えていた。アラハバキに駆け寄る郷介に気づき、弟の方の双鬼が思わず音撃打の手を緩めてしまった。その瞬間、アラハバキが激しく暴れまわる。郷介の身体が跳ねた尾に当たって弾き飛ばされた。

「遠道さん!」

 郷介は起き上がった。口の中を切ったらしく、口腔内に血の味が広がった。身体も強く打ったためあちこちに痛みが走る。骨折している可能性もあった。

「わああああああああ!!!」

 半ば悲鳴のような雄叫びと共に、郷介は全力疾走してアラハバキの身体に練習用音撃鼓を貼りつけた。他の鬼たちがそうしていたようにスイッチを操作し、音撃鼓を大きく展開させる。

「このお! 俺は! 作家で! 父親で! 護りたいものがあるんだ! 消えてなくなれえ!」

 郷介のそれは、演奏と呼べる代物ではなかった。ただ滅茶苦茶に叩いているだけにすぎない。しかし弱々しいながらも確実に音撃は放たれていた。

 郷介の魂の叫びに触発されて、三人の音撃打にもキレが戻ってくる。このまま腕が砕けても悔いはないと誰もが思った。

 外界の方の四人も、最後の力を振り絞って音撃を続ける。

 そして。

 凄まじい威力の爆発が起こり、樹々を薙ぎ、その場にいた人々を吹き飛ばした。

 

 その日の晩、地元のローカルニュースでは土坂峠にて原因不明の大爆発が起こり、調査も難航していると報じられた。東北支部出張所のテレビでそれを見ていた夏目は、あの爆発でよく全員無事だったなと思った。特に鬼でも何でもない郷介が、爆心地にいたにも関わらず軽傷で済んだのは奇跡だと思った。離れた所にいた夏目でさえ、頭部に包帯が巻かれた痛々しい姿になっている。愛用の眼鏡も割れてしまった。

「痛っ! もっと優しくしてよ」

 栗生に打撲箇所の手当てを受けていたリンキが叫ぶ。

「これぐらい何よ、男の子でしょ?」

「もう男の子って年じゃないんだけど……」

「私なんて気持ちはいつまでも女子高生よ! 永遠の17歳。でもお酒を飲む時だけは魔性の女に早変わりするの」

「意味が分からないよ」

 戦いに出た鬼たちは揃って負傷が激しいので、しばらく東北支部に残って療養することとなった。明日には遠野を出て、支部が置かれてある福島へ移動することになっている。

「もう駄目……」

「明日は筋肉痛確定……」

 ソウキの二人は音撃打で体力を使い果たしたらしく、夜までずっと眠りこけていた。起きて食事を済ませてからはずっと寝転がっている。

「バイク壊しちゃったの、ごめん」

 ミユキがカトキに詫びた。爆発に巻き込まれて「陸震」は大破してしまった。証拠隠滅のために残骸は全て運び出したので、おそらく警察やマスコミの追及を受けることはないだろうが、カトキが始末書を書かなければならないのは明白だった。

「不可抗力です。気にしておりません」

「……そう言ってもらえて助かる。ねえ、ところでタテワキは何処?」

 タテワキはいつの間にかいなくなっていた。サポーターの谷垣も一緒だ。

「あたしさ、あの人に話を聞いてもらえて、それでちょっと吹っ切れたっていうか……。ちょっと前のあたしなら独断専行をやめなかっただろうし、それで……」

「礼を述べたいのですね」

「そうよ。あんた、居場所知らない?」

「……タテワキ先輩は先にいかれました。感謝の言葉は自分の方から伝えておきます。ですのでどうかご容赦ください」

「何よ、先に帰っちゃったわけ? 水臭い……」

 その少し前、支部の外ではタテワキと谷垣が並んで星空を眺めていた。

「煙草一本くれるか?」

 谷垣はタテワキに紙煙草を一本渡し火をつけてやると、自分も同じようにして吸った。

「初めて二人で組んで出撃した夜もこんな感じだったなあ。春先の、まだまだ肌寒い夜だった」

「はい。こんな感じでよく澄んだ空でした。星空が綺麗で、何で自分の隣にいるのがあなたなんだろうと恨めしく思いました」

「初めて聞いたぞ、それ」

「最後ですから……」

 沈黙したまま二人で空を見上げ続ける。紫煙が立ち昇る先には、オリオン座が輝いている。剛力を誇る英雄だったが、その最期はあっけないものだったようだ。

「……そろそろ行くわ」

 大きく煙を吐き出すと、タテワキは言った。谷垣も視線を空に向けたまま言う。

「他の方に何か伝言は?」

「支部長にはもう伝えてあるし……ああ、ミユキに一つ頼むわ」

「何でしょう」

「お前は俺が保証する……こんなとこかな。あばよ」

 その言葉と共に、タテワキの気配はその場から消え失せた。

 タテワキは、最初にアラハバキと遭遇し単身戦いを挑んだ際、瀕死の重傷を負っていた。アラハバキの復活という情報を持ち帰るため、何よりアラハバキを退治しなければという責任感からタテワキは、禁術を用いて自分の魂を無理矢理現世に繋ぎとめていたのだ。

『遠野物語』には、死者が死霊と化して現世に舞い戻ってくる話が採録されている。一読した限りでは、生者をあの世へ引きずり込みに来たかのように思えるが、残した家族への未練がそうさせたのではないかと谷垣は思う。未練――言い返せば愛だ。

「お疲れ様でした……」

 谷垣は空に向かって敬礼した。地面では、タテワキが咥えていた煙草が燻っていた。

 一方、支部の裏手にある森でも、別れの場が設けられていた。

「それじゃあ私、行きますね」

 綾子が笑顔で告げた。一緒に暮らそうと口にするのは容易だ。だがそれは許されないことだと郷介自身も理解していた。

「郷介さん、軽症で良かったですね」

「ああ。俺自身が一番驚いてるよ」

「ふふ、実は私が守護してたんですよ。郷介さんが音撃を使えたのもそう」

「え?」

「久しぶりにお話しできて嬉しかったです。縁があったらまた会いましょうね。あと実家にもなるべく顔を出すこと。ご両親、口では何だかんだ言っても寂しそうですよ」

「待って、どうしてそんな……」

 一陣の風が吹いた。砂が目に入らないよう手で顔を覆う。風が収まり、改めて目の前を見るとそこには一匹のキツネがいた。よく見るホンドギツネとは体色の異なる、ギンギツネと呼ばれる黒変種だった。

 額に、星のように見える特徴的な模様があった。それを見て郷介は幼い頃の記憶をはっきりと思い出した。

 あれは、実家で暮らしていた頃によく庭に遊びに来ていたキツネだ。何故か両親が嫌がるため、こっそり餌をあげたりして遊んでいたあのキツネに間違いなかった。

「お前、あの時の……」

 ギンギツネはひと声鳴くと、森の奥へ駆けて行ってしまった。

 静寂が場を包んだ。

「終わりましたか?」

 葛原がやって来た。郷介は静かに頷いた。

「冷えますよ。早く戻りましょう。あと背中に何か貼ってあります」

「え?」

 慌てて背中をまさぐってみると、葛原の言う通り何かの紙片が貼られてあった。

「これ、いつから……?」

「こちらへ戻ってきた時には既に貼られてましたよ」

「だったら教えてくれてもいいのに」

 紙片には何やら文字のようなものが書かれてあった。どうやら護符のようだった。綾子が言っていた守護とはこのことだったのだろうか。

 森の奥に向かって郷介は、力いっぱいありがとうと叫んだ。

 

 東京に戻ったあと、郷介は自分のルーツについて調べてみた。その結果、遠道家は昔飯綱使いの家系だったことが判明した。亡き祖父が子どもの頃にはとっくに廃業していたそうなのだが、一族は今まで使役してきたイズナの祟りや報復を今でも恐れ、怯えているらしい。両親がギンギツネを快く思わなかったのもそのせいだ。

 そしてあの綾子と名乗ったギンギツネは、先祖が使役していたイズナそのものである可能性が濃厚になってきた。一族の蔵に眠っていた古い覚書をどうにかして手に入れ読んでみたところ、使役しているイズナの特徴があのギンギツネと同じだったのだ。

 一族が恐れを抱き続ける中、当の彼女は今でも術者の子孫を見守り続けていたということになる。

 郷介は今、葛原に勧められて小説を書いている。今回の一連の事件を、脚色を加えて小説として世に出してみてはどうかと言われたのだ。願ってもないことだった。久々の小説執筆に腕が鳴った。連日のように郷介は部屋に籠ってパソコンのキーボードを打ち続けた。

 執筆しつつ郷介は、これのお蔭かなと机の上に置いてある漆塗りのお椀を眺めた。マヨイガから持ち出してきた物だ。マヨイガからの脱出方法、それは室内の品物を何か一つ持っていくことだった。そして品物を持ち帰った人には幸福が訪れるという。伝承ではお椀の場合、中に入れた米が尽きなくなるそうだが、流石にそのような効果はなかった。ただ、念のため鑑定してもらったところ、百万円は下らないとの鑑定額がつけられている。まあ郷介は手放すつもりは毛頭なかったが。

「父ちゃん、はらへったー!」

 ドアを開けたみちろうが飛びついてくる。

「こら離れろ! あ、待って、まだ保存してない!」

 飛びつかれた勢いでうっかり画面を閉じてしまった。運の悪いことに途中までしか保存できていない。

 意気消沈する郷介に、みちろうが晩御飯はひっつみが食べたいと叫ぶ。ひっつみは東北地方の郷土料理だ。遠野に行った時に食べて、お気に召したらしい。

「あれかぁ……。材料がいるな」

「買いに行こうぜ!」

「そうだな、行くか」

 立ち上がって外出の準備を始める郷介に、みちろうが言った。

「遠野、また行こうぜ」

「ああ、夏休み辺りに行ってみるか」

 雪が積もっていない遠野の姿に、郷介は興味があった。それに卯子酉様にももう一度お詣りに行って、感謝を述べたかった。

 卯子酉神社の境内で、赤い布が風にたなびいている。その中には郷介が書いた物もあった。

 そこには「亡き妻にもう一度会えますように」と書かれてあった。 了




これでようやく完結となります。
ただし前述の通り当時と設定や展開が色々と異なっているため、100%スレの続きになっているわけではありません。「こういう展開になる予定だった」と思って頂ければ幸いです。
このあとがきを書いている最中に思い出したのですが、当時最終回として予定していたのは別のお話でした。
スレで他の作者様が響鬼本編の最終回後の話を書かれていて、その物語の裏側で遠道親子の最後の話が進んでいるという構成にする予定だったかと思います。
未完に終わったお話の完結を最優先しましたので、真の最終回はお蔵入りということでご容赦ください。そもそもその作者様が書かれたお話の内容はほんの少ししか覚えていないため、手のつけようがないという事情もあります。

この後、完全新作を一本投下して一つの区切りとさせて頂きます。蛇足のような話なので、興味のない方は読まずにここで終わりにしてください。
ありがとうございました。
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