鬼ストーリー外伝   作:れぼたろ

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四之巻

 文月。梅雨が明け、からっとした天気の日が続くようになった。セミの声が都会でもそこかしこで聞こえてくるようになった。

 大月賢司(おおつき けんじ)は部活を終えて、夕方の道をてくてくと歩いていた。夕方といっても季節は夏、午後六時ならまだまだ明るい。

 家の近所の公園を通りかかった時、誰かが賢司の方に向かって駆けてきた。

「どうりゃああああ!」

「おろろろろっ!」

  勢いよくドロップキックをかましてきた相手を、変な掛け声とともにジャンプして避ける。

「よけたな!」

「避けるわ! ギターが壊れたらどうする!」

 背中に背負ったギターを愛おしそうに触ると、賢司はいきなり攻撃を仕掛けてきた相手――お隣に住む小学生の遠道みちろうを睨めつけた。

「言うようになったな。さすがはししょー」

「いや、お前の師匠になった覚えはないし。つーか何の師匠だよ」

「おわらい」

「せめてギターって言えよ。ところで郷介さんは?」

 保護者の姿は公園内にはなかった。

「さっきまで友だちと遊んでた。これから帰るとこ。なあ、送ってってよ」

「りょーかい」

 賢司の家は、遠道親子が住んでいる一戸建て賃貸住宅の隣にある。最初越してきた時は奥さんがまだ存命で、親子三人で挨拶に来たのを賢司はよく覚えていた。それ以来のつきあいである。

 玄関では遠道郷介が待っていた。荷物を持っているので、たまたま帰宅のタイミングが一緒になっただけのようだ。

「父ちゃん、ただいま!」

「お帰り。賢司君に送ってもらったのか。いつもありがとう」

「いやいや、これぐらい問題ないっス。ところで郷介さん、時間いいっスか?」

 相談したいことがあると賢司は告げた。

 

 出された冷たい麦茶を飲み干すと、賢司は早速話を切り出した。

 場所は遠道家の居間。男暮らし特有の、微妙に片づいているようで片づいていない空間になっている。本人はきちんと掃除して整理整頓もしているつもりなのだろうが。

「文化祭に向けて曲の練習を始めたいんスけど、いい練習場所がないんスよ」

 賢司は高校の軽音楽部に所属している。十年ほど前に流行したビジュアル系バンドをやってみたいらしく、仲間たちとメイクや衣装といった見せ方の研究に余念がないらしいが、そんな方針のためか新入部員も少なく同好会への格下げ寸前だと郷介は聞いていた。同好会への格下げは部費が出なくなるため、死活問題である。だから学園祭で大成功を収めたいのだ。

「九月じゃなかったっけ?」

「俺、他のメンバーよりも楽器下手だから今から練習したいんスよ。でも学生に貸しスタジオは無理っス」

「そんなこと言われてもなあ……。学校は駄目なの?」

 もう間もなく夏休みである。話をつければ学校の敷地内の何処かを使わせてもらえるのではないか。

「今度の休みに業者の人が来て改装するらしくって。だから次の土日だけでいいんス。どっか広々としてて人に迷惑がかかんないようなとこ、知らないっスか?」

 少し考えた郷介は、屋外はどうだと尋ねた。

「外っスか? まあアンプも小さいのがあるし、場所が何処かにもよりますけど……」

「関東圏内のとある場所にダムで堰き止めて作られた人造湖があるんだけど、ここ最近の降雨量の減少と夏の暑さですっかり干上がっちゃって、沈んでいた村が出てきたそうなんだ。今度の土日に取材に行くから一緒にどうだい?」

「小説のネタっスか」

「いや、穴埋め原稿……」

 いつものように葛原からの依頼だ。しかも屋久島の時と同じ、怪しい都市伝説を取り上げた雑誌に載せるためである。なんでも周辺で幽霊の目撃譚が頻繁にあったらしく、沈んだ村に何か原因があるのではないかと噂になっているらしい。

「人骨でも見つかったら大スクープですね」と葛原は興味なさそうに郷介に言ったのだった。

 それに、もし本当に何かが起こっても記事には書けないだろう。二ヶ月前に「たちばな」で言われたことが事実なら、何かを呼び寄せてしまう可能性が極めて高いということになる。だから本来なら賢司を誘うのも止めた方がよいのだろうが……。

「そっちは魔化魍発生の予報は出てないから行っても大丈夫ですよ~」

 念のため「たちばな」に電話して事情を話したところ、立花日菜佳からいつものように明るい口調でそう告げられたため大丈夫と判断したのだ。

「今度の土日ですか? あの辺りって風光明媚で素晴らしいって聞いたことありますよ~。特に星が綺麗だそうで。いいなぁ、私も行ってみたいな~。そういやウチの鬼さんも一人そっちへ行くとか……ああ大丈夫です大丈夫です、プライベートで行くわけですから。……さあ、何か調査とか言ってたような。もし会ったら宜しく言っておいてくださいね~」

 こんなことを言っていたので全く不安がないわけではないが。

 この提案に賢司も快諾し、次の土曜日には三人で群馬へ行くこととなったのであった。

 

 土曜日、近所でレンタカーを借りてきた郷介は一度自宅へ戻ると荷物を積み、賢司がやって来るのを待った。

「おはようございまっス。今日は宜しくっス」

 ギターとアンプ、その他諸々の必需品を持って賢司がやって来た。「これ、おふくろからっス」と包みを差し出す。中には人数分のお弁当が入っていた。

「それにしてもまさか、キャンプするとは思わなかったっス。一泊って言うからてっきり何処かに宿を取っているのかと」

「近くに宿が無かったし、だったらキャンプした方が早いかなと思ってさ」

 間違ったことは言っていない。ただ、それ以上に宿泊費が勿体ないからというのが一番の理由だった。今回はレンタカー代と高速代以外は自腹だと言われているのだ。

 パーキングエリアで休憩を挟みつつ、近くの町までは三時間弱で到着することができた。順調である。天気は快晴。煌めく太陽が絶え間なく地上を照らし続けている。

「うわっ、35℃あるっスよ」

 車内に取り付けられてある外気温計を見て賢司が声を上げた。

「そりゃダムが干上がるぐらいの酷暑だからねえ」

「父ちゃん、夜暑くてねれないのはイヤだぞ」

「夜には多少マシになってると思う。たぶん」

 軽自動車同士が擦れ違うのがやっとのような狭い林道を進んでいく。ある程度進むと左側が開けてきた。ガードレールの真下に、何やらコンクリートの建物がぽつんと建っているのが見える。

「ひょっとしてここっスか?」

「そう。四十年近く水底に沈んでいた村だよ」

 底の方へ降りれそうな場所を見つけると、三人は車を路上に止めて向かっていった。

 

「もっとドロドロかと思ったんスけど……。普通にスニーカーでもよかったみたいっスね」

 念のためにと長靴を履いて来ていた三人だったが、地面は予想以上に干からびてあちこちにヒビが入っている。

 乾いたダム底に入るのは別に禁止行為ではない。ただ、何か問題が起きた場合は自己責任となる。携帯電話の電波をチェックすると、一本のアンテナが弱々しく点いたり消えたりを繰り返している。

「それじゃあ僕は取材を……おい、みちろう!」

 早速みちろうが駆けだした。「俺が行きます!」と賢司もそのあとを追う。

「さてと……」

 郷介は愛用のデジカメを手に、周囲を見回した。在りし日には人々が行き交い、挨拶をして、日常を送っていたのだろう。諸行無常とはよく言ったものだと郷介は思った。

 木造家屋は既に残っていないが、コンクリート製の建物が一棟残っている。役場か何かだったのだろう。村の近代化の象徴だったのかもしれない。

 遠くに小さな橋が見えた。まずはあの橋の上から写真を撮ろうと、郷介は向かって行った。

 一方、賢司はみちろうに追いつくと、一緒になってダム底を探索していた。

「だだっ広いなあ」

「それに何もないな。郷介さん、こんなんで取材になるのかな?」

 と、遠くに何かが建っているのが見えた。形状からしてどうも鳥居のようだ。二人は行ってみることにした。

 途中、石地蔵が立っているのが目の端に映った。かろうじて地蔵なのだろうということが分かる程度には原型が残っている。

 近づいてみると、それは紛れもなく鳥居だった。大きな石造りの鳥居だ。当然ながら社殿はもう無い。村の鎮守ってやつだったのかなと賢司は思った。

「暑っちいなあ……」

 汗を拭いながらみちろうがぼやいた。快晴に加え、日差しを遮るようなものが周囲には何一つ無いのだ。よく見ると遠くの方は陽炎が揺らめいている。

 その揺らめきの中に、賢司は人影が見えたような気がした。ギターケースを背負っているように見える。見間違いとは思えなかったが、他にこんな所に来る物好きがいるのだろうか。

 と、ギターで思い出した。そう、賢司は他に人がいないここへギターの練習に来たのだ。

「俺、車に戻るわ」

「オレも。のどかわいた……」

 二人は車へと引き返していった。

 

 郷介たちがやって来る少し前、一人の青年がダム底の神社跡を調査していた。付箋が大量に貼られたメモ帳と鳥居を交互に眺めながら、時折右の耳たぶを触っている。暑さで多少イラついている証拠だ。

 彼が東京から公共交通機関を乗り継いでこのような所までやって来たのは、ダム底の調査のためだった。限界集落とインフラに関するレポートを書くための参考になるかと思ったのだ。

 青年の名はバンキと言う。関東支部に籍を置く弦の鬼であり、都内の城南大学に通う三年生だ。魔化魍の異常発生によってシフトが大きく変わったため、最近はキャンパスに顔を出せていないが。

 大学に提出するレポートとは別に、この地にかつてあったとされる神社についても個人的に興味があり調べていた。自分と同じ大学生であり、民俗学を専攻している日菜佳の影響は否定できない。

 事前に得た情報によると、ここの神社は村が水没する前に火事で焼失していたという。その際、当時の神官が御神体を火から守るため穴に埋めたと言われている。ただ掘り返したという記録は残っておらず、そのため今も埋まったままなのではないかと当時の村人は証言しているらしい。

 何処までが本当かは分からないが、ちょっとした宝探しみたいで面白いなとバンキは思っている。

 ただ茹るほど暑いが。

 持ってきている温度計を見ると、39℃を突破していた。冗談だろとバンキは思った。朝の天気予報だと、今日のこの地域の最高気温は35℃だった筈である。4℃も誤差が出るものだろうか。

 バンキは鳥居から離れると、一度林の方のベースキャンプへ戻るべく歩き出した。日帰りは厳しそうだったので、最初から現地で一泊するつもりで準備してきていたのだ。小さめのクーラーボックスにはキンキンに冷えた飲み物が入っている。予想以上の暑さだ。水分を補給しなければ鬼といえども体調を崩すだろう。

 と、陽炎の向こうで人影が見えた。異様な風体だった。この炎天下の中で全身真っ黒なのだ。黒い帽子に黒い外套、手には計器のくっついた金色の杖を手にしている。

 昨今の魔化魍異常発生を鑑みて音撃弦を持ってきておいて正解だった。黒尽くめの男――クグツに視線を合わせたまま、バンキがギターケースから愛用の音撃弦を取り出す。周囲を見る限り、童子と姫、そして魔化魍はいないようだ。

 クグツが駆けだした。バンキもあとを追って走り出す。彼の手首に嵌められた変身鬼弦(へんしんきげん)が掻き鳴らされた。

 

 車を停めてある場所まで戻った賢司とみちろうは、喉の渇きを癒すと二人して後部座席から機材を引っ張り出し、演奏の準備を始めた。

 愛用のギターを手に、賢司がチューニングを始める。この気温である。しっかり調整をしておかなければならない。音叉を使って音程のズレを確認していく。その間みちろうは日陰に座ってヒマそうに賢司の方を見ていた。

「時間かかるのな」

「そりゃ当然。しっかりやっとかないと」

「と言うか何でケンジ兄ちゃんはこんなとこでギターひいてんだ?」

「いや、そのために来たわけだから」

 たっぷり時間をかけてチューニングを終え、試しに軽く鳴らしてみる。良い感じの音が鳴った。アンプの調子も良好だ。

「よっしゃ、これから弾くから聴いててくれよ」

「オレがか?」

「お前以外にいないじゃん。何か気がついたことがあったら教えてくれよ。音がおかしい箇所があったとか、速くて聴き取り難かったとか……」

 忌憚のない意見を口にするという意味では、みちろうは最高のオーディエンスだった。問題はみちろうの集中力がどこまで続くかという点だが。

「それじゃ行くぞ。ワン、ツー……」

 カウント開始とともに遠くから何やら騒がしい音が聞こえてきた。藪を搔き分け、樹々を揺らしながらかなりの速さでこちらへと向かってくる。嫌な予感がして賢司は演奏の手を止めた。そして……。

 二つの影がもつれ合いながら飛び出してきた。そのまま道路の方へと向かって行く。片方は大きな猿のような見た目をしており、もう片方は。

 鬼――と形容するしかないような異形だった。角と両腕が黄色く、片方の角はもう片方に比べて僅かに長い。だが賢司が最も目を惹かれたのは、その鬼が手にしている物だった。

 ギターである。ブリッジの真下に鬼の顔を模した装飾が付けられ、ボディの下部が刃状になった小ぶりなギター。そのネック部分を鬼は握っている。

 道路へと飛び出した両者は、そのままガードレールを越えて村の跡地へと降りて行ってしまった。しばしの沈黙の後、賢司が口を開く。

「何だったんだ、あれ……?」

 同意を求めようとみちろうの方を見るが、みちろうは目をキラキラさせてはいるものの取り乱す様子もなく比較的落ち着いていた。

「冷静じゃん」

「半年ぶりだからな」

「見たことあんの!?」

「でもあんなのは持ってなかったぞ! 追えー!」

 そう言うや否やみちろうは駆けだして行った。賢司もあの鬼に興味が湧いたのであとを追うのであった。

 

 怪童子とともに半ば転落する形でダム底まで戻ってきた蛮鬼(バンキ)は、相手から一度距離を取ると音撃弦(おんげきげん)刀弦響 吽(とうげんきょう うん)を片手から両手に持ち替えて構えた。

 変身してから追いかけて正解だった。クグツを追って林の中へ分け入った途端、怪童子と妖姫が襲いかかってきたのだ。最初から待ち伏せていたようである。

 既に妖姫は倒した。残るは眼前の怪童子だけだ。猿を彷彿とさせる姿は一見ヤマビコの童子と姫を彷彿とさせるが、全体的に赤褐色の身体をしている。人為的に生み出された変異体なのかもしれない。先日、ヒビキたちが倒したという乱れ童子や合成魔化魍の話を思い出す。

 謎の怪童子が牙を剝いて跳び掛かってきた。斬撃を警戒してか、低い位置からのタックルだ。それに対し蛮鬼は、上空や横には避けず身体を仰向けに倒して対応した。

 地面に背を付けた蛮鬼の身体スレスレの位置を怪童子が跳んでいく。蛮鬼は刹那のタイミングで「刀弦響」の刃を怪童子の腹に突き立てた。

 返り血が蛮鬼の顔を白く染めた。

 体勢を崩した怪童子が地面に倒れ込む。慌てて飛び起きるも、既に蛮鬼の追撃は始まっていた。「刀弦響」の刃が振り向いた怪童子の顔面に容赦なく突き立てられる。

 しばらくの間痙攣していた怪童子の肉体は、爆発とともに土塊と化し大地へと帰っていった。

 ひと息吐く蛮鬼だったが、のんびりせずすぐにその場から立ち去らなければならない。途中、林道の傍に人がいるのが見えた。と言うか戦闘中にもギターの音色が聞こえていた。自分と同じ物好きが来ていたのである。

 それにクグツ、あるいは存在しているかもしれない魔化魍の捜索もしなければならないだろう。出現したのが黒クグツということは、生まれているのは大型魔化魍ということになる。万が一に備えて愛用の音撃弦を持ってきていて本当に正解だった。ただ本来の「刀弦響」はダブルネックギターである。「阿」と「吽」をパージして二刀流として使えるため、取り回し易い小型の「吽」の方を持ってきていた。それでどうにかやるしかない。

「オニだー!」

 子どもの声がした。どうやら立ち去るタイミングを逃してしまったらしい。小学生の男の子と、もう一人は高校生ぐらいの男の子だ。おそらく近くに保護者もいるだろう。

「なあなあ、兄ちゃんもタケシのオニか?」

「君、猛士を知ってるのか?」

「え、タケシって何……?」

 少なくとも小学生の方は猛士の関係者の可能性が高い。蛮鬼はディスクアニマルを起動して周囲に放つと、ひとまず顔の変身を解除して様子を見ることにした。

「え!? ど、どういうトリックを使ったんスか?」

 高校生の方は何も知らないらしい。とりあえずバンキは彼らと話をしてみることに決めた。

 小学生の男の子――みちろうが約半年前に屋久島で九州支部の鬼と遭遇していたこと、それがきっかけで父親が関東支部の「歩」になっていること、今日ここへ来たのは偶々だったことを知りバンキは驚いた。偶然にしては出来すぎていると思えたからだ。

 一方、高校生の男の子――賢司の方は二人の会話を理解できていないようだった。当然の反応である。ただ、彼がバンキの手にした「刀弦響」にちらちらと視線をやっているのは気づいていた。そちらが気になって会話が頭に入ってこないというのもあるのかもしれない。

「これが気になるのかい?」

「あの、見せてもらってもいいっスか?」

 特に問題はないだろうと判断し、「刀弦響」を手渡す。

「重っ! 何スかこの重量!?」

「それでも軽い方だよ」

「六弦ギターっスね。あ、アンプ内蔵なのか。でもこの重さはそれだけじゃないっスね。材質のせいなんだろうけど……と言うか楽器と言うより武器っぽく見えるっス」

「君の見立ては正しい。それよりこの場所は危険だ。悪いことは言わない。すぐ帰りなさい」

 バンキはしゃがんでみちろうと同じ目線になると、「すぐに戻ってお父さんに知らせるんだ。いいね?」と語りかけた。

 

 バンキと別れてダム底の村を歩いていると、向こうから郷介がやって来た。どうやら一通り村を巡ってきたようだ。

「父ちゃーん!」

 みちろうが駆けていく。どうせそのまま体当たりなりドロップキックなりを仕掛けるつもりだろう。

 と、気配のようなものを感じて賢司は周囲を見回した。

 とある大きな石の陰に、その人物は立っていた。

 少女だ。賢司と同じぐらいか少し下の女の子。おかっぱに切り揃えた黒髪に、着用しているのは真っ黒いセーラー服。古風という言葉がよく似合う外見をしていた。その表情は、こちらへ何かを訴えたいかのように見えた。

「郷介さん! 人が!」

 郷介の方に向かって声をかける。だが、その間にいつの間にか女の子の姿は見えなくなっていた。少女が立っていた石の傍も確認してみたが誰も隠れてはいなかった。遮蔽物も何もない場所で、一体何処へ消えたというのだろう。

「本当に人が立っていたの?」

 当然の疑問を郷介が口にするも、陽炎の中に立っていた少女が本当に実像だったのか賢司は断言することができなかった。

「オニの兄ちゃんのなかまかな?」

「鬼?」

 賢司とみちろうから説明を受け、郷介は日菜佳が言っていた人物のことだろうと思った。

「たぶん違うと思う。電話だと一人でって言ってたような気がするし……。そもそもここ、一番近い町だって徒歩だと結構かかるよ? しかもこの炎天下の中を……」

 やはり賢司が見た幻だったのだろうか。だが、本当に人だった場合は色々な意味で危険である。それに人でなかったとしても、郷介にとってはここにやって来た目的が果たせることになる。

「幽霊……っスか」

「目撃情報が出てるらしい。怪談好きの若者が適当なことネットに書き込んでるだけだと思ってたんだけど……」

「つーか郷介さん、それが本来の取材目的だったんスね」

「別に隠してたわけじゃないよ!? わざわざ言う必要もないと思っただけだし」

 とりあえず三人は車まで戻ると、ペットボトルの飲み物を持って少女の探索を開始した。林の方はバンキが魔化魍探索に向かっている筈なので、ダム底の村を中心に探してみる。廃屋と化した建物内も含めて徹底的に探してみたが、何処にも少女の姿は無かった。

 日が暮れかけた頃、賢司は最初に少女を目撃した場所まで戻ってみた。少女が立っていた石の傍までやって来る。日中は気づかなかったが、その石には文字が彫られてあった。

 どうやら賢司が今いる場所には、かつて学校が建っていたらしい。その石には高校の名前が刻まれていた。

 

 結局、三人はバンキの言いつけを破って予定通り現地で一泊することにした。大事には至らないだろうと甘く見ていたことは否めない。

「このTAKESHIってメーカー、有名なんスか?」

 郷介が持ってきたキャンプ用品全てに記されたロゴを見て、賢司が尋ねる。

「さあ……貰い物だから。例の鬼さんたちからの」

「TAKESHI……猛士……あっ」

 猛士は表向きはオリエンテーリングの運営をしていて、キャンプ用品の製造・販売もしているとの説明を郷介は受けていた。その際役に立つだろうからと立花勢地郎からいくつかの品を譲られていた。鬼が調査に使っている物と同じ品らしい。キャンプ用品は実は家庭内でも使える物が多いため、結構郷介は重宝していた。

 夕食を終え、みちろうを寝かしつけた後、郷介と賢司は二人で飲んでいた。

「……苦いっスね。コーヒーとはまた違った苦味っス」

「賢司君にはまだ早かったかな」

 見上げた夜空には満天の星が輝いていた。人工の灯りは卓上のランタンぐらいしかない。都会ではまず見られない空だ。

「綺麗っスね」

「そういや星が綺麗だって聞いてたな」

「もっと広い所で見てきていいっスか?」

「ヤバいと感じたらすぐ逃げてくること」

 賢司はダム底へと降りて行った。頭上を遮る物も、視界に入り込む邪魔な物も何一つない。夜空には天の川が敷かれ、色取り取りの星々が光を放っている。プラネタリウム以外でこんなに広い星空を見たのは生まれて初めてだった。

 ライトを手にそこら辺をぶらぶらしているうちに、最初に郷介が取材をしていた橋の近くまでやって来た。そこで賢司は、驚きのあまり息を吞んだ。

 橋の欄干に手をかけ、昼間の少女が星を眺めていたのだ。

 賢司は声に出して驚かなかった自分を心から褒めたいと思った。声を出したらその瞬間に消えてしまいそうだったから。

 やはり幽霊なのだろうか。

 意を決して近づいてみることにした。足音を立てぬようゆっくりと橋までやって来る。少女は夜空を見上げたままだ。賢司のことに気づいていないのか、それとも気づかぬふりをしているのか……。

 手を伸ばせば届く距離にまで近づいた。やはりどう見ても幽霊だとは思えない。実体を持った人間である。

 ライトを向けて彼女の身体を照らす。ここでようやく少女は賢司の方に振り向いた。眩しそうに手を翳している。昼間と変わらぬセーラー服姿だ。白い光に照らされた黒い制服。胸元の赤いスカーフが実に映えて見えた。

「あ、ごめん」

 慌ててライトを下げるも、少女は何を言うでもなく再び空を見上げ始めた。

「隣、いいかな」

「どうぞ」

 ようやく言葉を交わしてくれた。賢司は少女の隣に並ぶと、一緒になって星を見上げた。夜空に一際明るく輝く三つの星がある。夏の大三角形だ。ということは今見ているのは東の空になる。

「あっちの方角、ほら、さそり座が」

 少女を促し一緒になって顔の向きを変えると、そこには真っ赤な恒星が輝いていた。さそり座の中心に位置するアンタレスだ。

「で、その先にあるのがてんびん座。さそり座を目印にしないと見つけにくいんだけどね。明るいさそり座とおとめ座に挟まれて目立たないところが逆に俺は好きかな」

「詳しいんだね」

「いやぁ、オリジナル曲で詞を書くために調べたこともあって」

「詞? 音楽をやっているの?」

 賢司の所属する軽音楽部は基本的にコピーバンドだが、試しにオリジナル曲をみんなで作って披露してみようという話になった。それが今練習している曲である。作詞も賢司に任されているのだが、こちらの方は何をテーマにすればよいのか分からず、色々なジャンルを調べている最中だった。

「それより俺、セーラー服初めて見たよ。うちの学校はブレザーだから……」

 と、ここで賢司は彼女が着ているのが冬服だと気づいた。この真夏にわざわざ冬服を着ているなんて、やはり彼女は人ではないのかと思った。触れれば幽霊や幻覚の類かどうか確かめられるのだろうが、それを切り出すだけの勇気が賢司にはなかった。

「今日はもう遅いわ」

「え?」

「明日の夜明けに、あの鳥居の所まで来て。お願い」

 そう言うと少女はその場から駆け出していった。

「待って!」

 声をかけるも、既に少女の姿は暗闇の中に消え去ったあとだった。

「名前、聞けなかったな……」

 賢司は来た道を引き返して行った。

 

 早朝、まだ眠っている郷介たちを起こさぬようにテントを抜け出した賢司は、単身鳥居へと向かって行った。

 まだ日が昇ったばかりである。昨日の日中に比べると遥かに過ごし易い。林に棲む鳥たちも動き出したらしく、あちこちから声が聞こえる。

 眠い目を擦りながら鳥居までやって来た。夜明けとしか聞いていなかったが彼女はいるのだろうか。

 ――いた。鳥居にもたれかかるようにして立っている。賢司が駆け寄ってくるのに気づき、少女が視線を向ける。

「来てくれてありがとう」

「全く問題ないよ。それより……」

「こっち」

 少女は鳥居に向かって一礼すると、そのまま真っ直ぐに進んでいった。賢司も彼女を真似て一礼し、そのあとを追っていった。

 1分にも満たない距離を歩くと、少女は地面に向けて指をさし「ここよ」と短く告げた。

「ここに何があるの?」

 賢司の問いかけに少女は答えない。ただじっと彼を見つめている。

 と、遠くから地鳴りが聞こえてきた。ズシンズシンと大きくて重い何かが乾いた大地を踏みしめている。その音は、明らかにこちらへと近づいてきていた。

 少女の表情が変わった。振り返った先には、鳥居に向かって全力疾走する巨大な獣の姿があった。上半身は類人猿のような見た目をしている。一方、下半身には太く逞しい脚が一本のみで、その脚を器用に伸縮させて跳びはねていた。

 思った以上に速いスピードで突っ込んでくる。暴走トラックなんて生易しいものじゃない。例えるなら暴走新幹線だ。接触すれば確実に轢死体となるだろう。

 獣が石の鳥居を吹っ飛ばした。もうあと一、二回跳びはねるだけで賢司の命は天に還るだろう。

 賢司が死を覚悟するよりも早く、黄色い影が彼を抱きかかえて横へと跳び、獣の突進を躱した。

 昨日出会ったあの鬼――蛮鬼だった。

「大丈夫か?」

「あ、ありがとうございまス……」

 そう言えば彼女はどうなったのだろう――慌てて周囲を見渡すと、いつのまにか少女は賢司の少し後ろの方に立っていた。ショックからか表情は蒼ざめている。

 蛮鬼は賢司、次いで少女の方を見ると賢司に向けてこう言った。

「僕が君を護る。だから君は彼女を護ってやれ」

「刀弦響」を構えて魔化魍に向き直ると、蛮鬼は跳びかかっていった。魔化魍の方はその巨体故に急な方向転換ができず、ようやく蛮鬼の方に向き直ったところだった。

 蛮鬼に取りつかれまいと魔化魍がその場で大きく跳びはねる。立っているのもやっとの凄まじい振動だ。周囲に建物が密集しているような場所なら大惨事だったことだろう。

 だが蛮鬼は、魔化魍が着地するタイミングに合わせて跳びはね、衝撃を受けないようにしていた。そのまますぐ足元まで接近し、斬撃を加えていく。手で払いのけようとする魔化魍だったが、蛮鬼は上手いこと死角に回り込んで回避していく。

 その攻防の中で隙を突き、魔化魍の脚の腱に当たる部分に「刀弦響」を突き刺すと、その弦を掻き鳴らした。

 清めの音の旋律が鳴り響く中、腱を斬られて動きを封じられた魔化魍の巨体が大地へと倒れこむ。凄まじい衝撃が周囲を揺らしたが、蛮鬼は刺さった「刀弦響」にしがみつくような形で演奏を続けていた。

 音撃斬(おんげきざん)冥府魔道(めいふまどう)――その名の通り魔化魍をあの世へと送り込む鎮魂歌は、「刀弦響」が不完全な状態だったためか数分もの長きに渡ってダム底の村に鳴り響いた。その間魔化魍は全身から熱波を放ち抵抗したが、蛮鬼の指が止まることはなかった。魔化魍が爆散した時、蛮鬼の胸部装甲は熱で溶け、肌もところどころに痛々しい火傷ができていた。尤も、鬼の再生能力を鑑みれば大した負傷ではないのだが。

「……ひどい有様だな」

 周囲を見渡して蛮鬼が呟く。魔化魍が何度も跳びはねたせいであちこちの地面が砕け、隆起していた。無人の地で良かったと心から思う。

 蛮鬼は顔の変身を解除すると、地面に座り込んでいる賢司の方へと向かっていった。

「無事で何より。ところで後ろにいたあの子は?」

「え?」

 振り向くと少女の姿はそこにはなかった。ついさっきまで背後にいたはずである。バンキに声をかけられるまでは確かに気配を感じていたのだから。

 このだだっ広い場所に身を隠せるような物は何もない。そもそもあの激しい戦闘の最中にこの場を立ち去ることができただろうか。

「嘘だろ……」

 呆然とする賢司だったが、ふと地面を見ると何かが陽光を受けて輝いているのが見えた。少女が指し示していた場所だ。

 近寄ってみると、それは一枚の鏡だった。どうやら地下に埋められていた物が、魔化魍の起こした衝撃で地上に出てきたらしい。

 覗き込んでみると、そこにあの少女の姿が映った。驚いた賢司が取り落としそうになった鏡をバンキが受け止める。

「これはこの神社の御神体だな」

 バンキが言った。現地に来る前の調査で、ここにあった神社の御神体が鏡だということは判明していた。土中に埋まっていたのも記録と一致する。

 ありがとうと少女は言った。その声は賢司にもバンキにもはっきりと聞こえた。

「不思議な鏡だ。魔化魍の出現とも関係があるのかもしれないな……。僕はこの鏡を持ち帰って調べてみようと思う。構わないかい?」

「いや、構わないも何も俺のじゃないっスから……」

 少女の姿が鏡面から消えた。その後、いくら呼びかけても鏡に少女の姿が映ることはなかった。

 遠くから賢司の名を呼ぶ声がする。郷介とみちろうがこちらへ向かって駆けてくるのが見えた。あの轟音だ。林の方まで聞こえて叩き起こされたのだろう。

 賢司は一旦バンキから鏡を受け取ると、鏡面に向かって問いかけた。

「俺の名前は大月賢司。君の名前は?」

 鏡には悲しそうな表情をした男子高校生の姿が映るのみだった。

 

 一行がそれぞれ帰路に就き東京へ戻ったあと、現地では今までの分だと言わんばかりに大雨が降った。

 記録的な暑さの次は記録的な豪雨だとニュースでも報じられた。このままの勢いで降り続ければ、ダムの水も回復するだろうとのことだ。

 こうして村は再び水底へと帰っていった。

 

「それはバツね」

 猛士関東支部所属の「銀」、滝澤(たきざわ)みどりはそう言った。場所は「たちばな」地下にある彼女の研究室。相対しているのはバンキだ。ダムでの戦いの報告書を読んだみどりが、バンキを招いたのである。

「バツ……ですか。僕はイッポンダタラかと思ったのですが」

 バツ(魃)とは大陸の伝承に登場する魔化魍である。この魔化魍が出現すると旱魃が発生すると言われており、日本では「ヒデリガミ(ひでり神)」の名前で伝わっている。

「まあどっちも一つ目、片足で火に関係のある魔化魍だけど、たぶんバツの方で決まりでしょ」

 そう言うとみどりは、バンキが偵察のために放っていたディスクアニマル・緑大猿(リョクオオザル)が記録した粗い画像を指し示した。

「イッポンダタラの方はイノシシに近い形状だそうだから」

「なるほど、勉強になります」

 バンキがメモ帳に書き込み終えるのを待つと、みどりは次の話題を切り出した。

「バンキ君が回収してきた鏡なんだけど、吉野からの調査報告書が届いたわ」

「流石、早いですね」

「結論から言うと、予想通りあれは呪具だったみたい」

 あの鏡には呪術の類が施されていたらしい。

照魔鏡(しょうまきょう)の一種だろうというのが吉野の見解。昔、北海道支部で照魔鏡が発見されたらしくって吉野の方に記録が残っていたの。で、開発局長の小暮さんがそう結論づけたそうよ」

 照魔鏡とは破邪の力を持つ鏡のことだ。魔性のモノの隠された姿を暴き出す力があるとされているが、邪気に触れ続けることで逆にウンガイキョウ(雲外鏡)と呼ばれる魔化魍へ変異してしまうリスクもあるという。

「あの少女が何だったのか気になるのですが、そこまでは分かりませんよね」

「ふっふっふ、そこも抜かりはないのよ。じゃーん」

 みどりが一枚のコピー用紙を取り出した。古い写真がプリントアウトされている。どうやら学校の卒業写真らしく、写っている生徒たちは皆笑顔で卒業証書を手にしていた。

 そこには例のおかっぱの少女が映っていた。

「村が沈む前に撮られた最後の卒業写真。当時の関係者をどうにか探し当てて手に入れたの」

「では彼女は幽霊……なわけないですよね」

「照魔鏡が記憶していたこの子の姿をアバターにして活動していたってところかしら」

「彼女が誰なのか分かったんですか?」

「神社の神官さんの一人娘だったそうよ。家のお手伝いもよくしていたそうだし、御神体を磨いていたのもこの子だったんじゃないかな」

 そう解釈するのが一番筋が通っているだろう。

「問題なのは……『奴ら』が呪具を狙って魔化魍を送り込んできた可能性が高いってこと。ヤバそうな物は猛士の管理下にあるけれど、それでも国内にはまだたくさんの呪具が散逸しているからね」

「『奴ら』は次の実験のために呪具を欲していると?」

「吉野の方も各支部に連絡して調査を依頼しているみたい。異常発生の開始から今日までの間に魔化魍が現れた場所を徹底的に洗い直してもらうって」

 そう言うとみどりは、ガムシロップをたっぷり入れたアイスコーヒーを飲んだ。

 

 その日の放課後、賢司は学校に一人残ってギターの練習を続けていた。

 つい先日、郷介経由であの少女の名前を教えてもらっていた。名前は檜原秋子(ひばら あきこ)。神社の一人娘で、現在の消息は不明だそうだ。

 やはり幽霊だったのだろうかと思ってしまう。郷介にもそのことを尋ねたが、彼が記事にしようとしていた噂の幽霊とは違うらしい。

「何でもかんでも答えが出ると思ったら大間違いってことかな」

 そう郷介は結論づけたが、それで賢司が納得できるはずもなくもやもやがずっと続いていた。

 前向きに考えようと、賢司はそのもやもやを歌に昇華することに決めた。文化祭で披露するオリジナル曲の歌詞に思いの丈をぶつけることにしたのだ。

 星と一夜の出会いをテーマに書くことにした。

 歌詞は一気呵成に書き上げた。あとは演奏だ。ここでミスをしたら台無しである。

 ちなみに鬼と魔化魍を目撃した件だが、特に問題にはならず普通に日常生活を続けられると郷介から伝えられていた。どうも関東支部には他にもそういった立場の少年がいるらしい。

 薄暗くなってきた校庭から、ヒグラシの甲高い鳴き声が聞こえてきた。光陰矢の如し。あっという間に八月が来れば、文化祭まで残りひと月だ。

 物悲しい気分を吹き飛ばすかのように、賢司はアンプのボリュームを上げると爆音を奏で始めた。 了

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