鬼ストーリー外伝   作:れぼたろ

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五之巻

 葉月。相も変わらず暑い日が続いている。

 フォーマルスーツを着た遠道郷介は、天に向かってゆらゆらと伸びる煙を虚ろな目で見つめていた。

 遺族の方の御厚意で火葬場にも同行することができたが、いたたまれなくなって外に出てきてしまった。

 普段は滅多に吸わない煙草を口にすると、郷介は火を着けた。深く吸い込んで煙を吐き出すが味は感じられなかった。

 ほんの数ヶ月前に京極に言われたことを思い出す。今回の件は、間違いなく自分が呼び寄せてしまったのだ――あの日からそう自分を責め続けていた。興味本位でこの世界に足を突っ込んだことを後悔もした。刺激的な日々を期待したかつての自分を殴りたいとも思った。だがもうどうしようもないことだ。

 話はひと月前に遡る。

 

「郷介さん、お出かけっスか?」

 そう声をかけてきたのは近所に住む高校生の大月賢司だった。いつものように背中にギターを背負っている。きっと何処かで練習をしてきた帰りなのだろう。

「期末考査どうだった?」

「挨拶もそこそこにその話っスか!? ……ご想像の通りっスよ」

 本屋に行くところだと告げると、賢司もつきあうと言ってきた。

「新しいコードブックが出るらしいんでチェックしておこうかと思って」

「その熱心さ、学校の勉強にも活かせたらいいんだけどね」

「上手くいかないもんスよねぇ」

 二人して談笑を続けながら歩いていくと、向かいから一人の女性が歩いてくるのが見えた。白基調のコーデで身を包んだ女性だ。長い黒髪を後頭部で纏めてお団子にしている。

「凄い美人! 芸能人っスかね?」

 興奮しながら賢司が小声で話しかけてくる。ぱっちりした目に、白磁を思わせる美しい肌。間違いなく美人の範疇に入る人物だ。

 女性は郷介に気づくと笑顔で会釈をしてきた。郷介も頭を下げる。

「お仕事帰りですか?」

「はい。遠道さんはお散歩ですか?」

「ええ。散歩がてら近くの本屋まで」

 二人のやり取りを見て、賢司が声を上げた。

「ちょ、知り合いっスか!?」

「そちらの方は?」

「隣人の大月賢司君。この近くの高校に通ってるんです」

「まあ。初めまして、姫路舞(ひめじ まい)です。みちろう君の学校で先生をしています」

「初めまして! みちろう君の担任の先生っスか?」

「姫路先生は美術の先生なんだ」

 舞は、郷介の息子のみちろうが通う小学校の美術教師である。ただし好んで描くのはパステル調のイラストに近い絵だ。そういったタッチを好む理由として、世界をそのまま捉えるのではなくちょっとだけ優しくしたいからだと学校から配られたプリントに書かれてあった。それを読んで興味を持ち、授業参観の日に郷介の方からコンタクトを取ったのだ。

 どちらも形は違えど表現者という点で意気投合し、しかも互いに住んでいる場所もそう遠くないということも判明して、今では家族ぐるみのつきあいをしている。

 それにしても――普段は「みちろう」と呼び捨てなのに「みちろう君」とか何カッコつけてんだコイツはと郷介は内心思った。

「惚れたか?」

 今度は郷介が賢司の耳元で囁いてやった。分かり易く顔が赤くなった。

 舞と別れたあと、賢司は郷介に向かってまくし立てた。

「ひどいっスよ郷介さん、あんな美人とおつきあいしてるなんて! 俺にも紹介してくださいよ!」

「あくまでも児童の保護者と先生の関係だよ」

「じゃあ俺にもチャンスあるってことっスよね!? それとも恋人がいるんスか」

「君、年上もタイプなんだ」

「あのザ・清楚って感じが好みなんス! 好みであれば年齢なんて……」

「分かったから落ち着けって」

 本屋に着いてからもずっとこの調子だった。

 

 終業式当日、郷介は気まぐれから小学校まで行ってみることにした。みちろうの性格からして、すぐに家に帰らず遊び呆けた挙句に通信簿を落としてくることも充分にあり得たからだ。

 その途中、またしても賢司に遭遇した。近所だから頻繁に顔を合わせても不思議ではないのだが、今日に限っては郷介は面倒だなと思った。

「学校に行くんスか!? 俺も連れてってくださいよ!」

 予想通りの発言が飛び出した。あの日、舞と会って以来賢司はずっとこうなのだ。顔を合わせる度に彼女の話題を出し、会う機会を作ってほしいと頼んでくる。

「これから練習なんじゃないの?」

 賢司はいつものようにギターケースを背負っていた。

「それはそれ、これはこれっスよ」

 仕方なく郷介は賢司を連れていくことにした。行ったところで舞に会えるとは限らないし、完全な部外者である賢司が校内に入ることはできないからだ。

 しかし予想は外れ、舞は校門の近くに立って人と話をしていた。相手は男性である。

「こ、恋人っスか? やっぱり?」

「誰かの保護者かもしれないだろ」

 児童たちが舞に元気よくさようならと言って駆けていく。中には賢司のように恋人だと判断し、茶化していく子もいた。

 しかしあの男性、何処かで見た記憶があるなと郷介は思った。男性は舞との話を終えると、敬礼のようなポーズを決めて傍に停めてあったバイクに跨った。大排気量のバイクだ。確か北欧神話における死を司る乙女の名を冠した輸入車である。

「姫路先生!」

 郷介が声をかけると、舞は笑顔で会釈した。

「こんにちは。みちろう君はまだ出てきていませんよ。校庭で遊んでいるんじゃないかしら」

「あいつめ……。ところでさっきの人は?」

「あの人は……六月に筑波山(つくばさん)へ写生に行った時に知り合いになったんです」

「恋人っスか!?」

「そんなんじゃないですよ」

 そう言うと舞は笑った。

 結局、あの人物が何者なのかこの時点の郷介には分からなかった。

 

 数日後、久々に郷介は柴又の「たちばな」へと足を運んだ。もちろん目的があってのことだ。終業式の日に学校で見かけた男性、彼のことをずっと何処かで見かけたように思っていたのだが、どうもそれが「たちばな」だったように思えてならないのだ。

 ここへは呼び出しを受けた時以外にもプライベートで何回か顔を出している。その時に見かけたような気がしてならない。このもやもやを晴らす必要があると思ったのだ。

 郷介の予想は確信へと変わった。店の傍にあの時に見たバイクが停めてあったのだ。おそらく中にいるのだろう。

 中に入ると、店主の立花勢地郎が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。相手が郷介だと分かると「お久しぶりです、先生」と挨拶をしてきた。

「こちらこそご無沙汰しています」

「聞きましたよ。ダムに沈んだ村の話。お連れさんが大変だったそうで」

「何事もなくてよかったです」

「その人は?」

 他に客もいない店内で、一人あんみつを食べていた男性が言った。間違いない、あの時の男性である。

「ああ、ヒビキ君にはちゃんと紹介していなかったね。こちら、『歩』の遠道郷介さん」

「ヒビキです。よろしく」

 そう名乗るとヒビキはあの時と同じ敬礼に似たポーズを取ってみせた。

「ヒビキ君が屋久島へ行っていた時、遠道さんもお子さんと一緒に屋久島に行っていたんだよ」

「えっ、あの時? ひょっとして同じ船だったりするのかな。俺はあの時フェリーを利用して屋久島に行きました」

「僕もです。ということは同じ船だった可能性もありますよね」

 郷介はヒビキの向かいの席に座った。注文を済ませ、改めてヒビキと話を始める。会話をしているうちに、どうやら色々と達観しているところがあるようだとの印象を抱いた。鬼としてはベテランの部類に入るらしいし、そういうものなのかもしれない。

「実は僕、あなたにお尋ねしたいことがあって……」

「俺に?」

 郷介はヒビキに、舞のことについて尋ねた。郷介が舞と親しい間柄であると知るや、ヒビキの表情が僅かに変わった。

 そしてヒビキは、ぽつりぽつりと話し始めた。

 六月のことだ。ヒビキは魔化魍発生の報を受けて、筑波山へと急行した。立花日菜佳の立てた予測では、オオガマの可能性が高いという。

 オオガマ(大蝦蟇)――その名の通り巨大なガマガエルの魔化魍である。瘴気を撒き散らして獲物を弱らせ、手当たり次第に食らいつく習性を持つ。伝承では民家の床下に潜み、家人を病気にして死に至らしめるとされている。兎に角危険な魔化魍で一刻の猶予もないため、特別遊撃班であるヒビキの出番となったのだ。

 童子と姫は倒した。肝心のオオガマもまだ幼体で――それでも牛ぐらいの大きさはあったそうなのだが、比較的楽に退治できたと言う。成長すると全身から油状の毒を噴き出すようになるため、戦い難い相手なのだそうだ。

 だがここで問題が起きた。

 登山客が一人、現場に迷い込んでしまっていたのだ。オオガマがばら撒いた瘴気をまともに浴びて倒れていたのだという。それが舞だった。

 ヒビキが来るのがあと少し遅かったら、舞は捕食されていただろう。魔化魍を退治したあと、すぐにヒビキは彼女を連れて下山し病院へと向かったのだが、処置の甲斐もなく舞の全身は毒に蝕まれたままなのだという。

 その話を聞いて、郷介はショックで二の句が継げなかった。どうにか心を落ち着かせ、ヒビキに尋ねる。その声は自分でも驚くぐらい動揺していた。

「……血清とかは無かったんですか?」

「吉野に腕の立つお医者さんがいて、その人なら作れたかもって話だったんだけど、材料としてその魔化魍の持つ毒素が必要だそうなんだ。魔化魍は発生する場所によって個体に差異が出るから、筑波山のオオガマじゃないと駄目みたいで……」

 ヒビキに代わり、隣で話を聞いていた勢地郎が答えた。申し訳なさそうな表情をしている。

 それ以来、舞の様子を見るためにヒビキとその時現場に同行していた立花香須実(たちばな かすみ)が定期的に彼女の元を訪れているのだという。

「じゃあ姫路先生は……」

「仕事を続けるのもやっと……なんだろうね」

 勢地郎が言った。ヒビキは無言のまま目を伏せている。

 重い空気が店内に流れた。

 

 夏休み期間になり、毎日のようにみちろうは外で遊んでいる。今時の子どもなんだからもう少しインドア派でもよいだろうにと郷介は思う。

 朝のラジオ体操につきあうため、ここ最近は夜遅くまで原稿を書いたり資料を纏めることがほぼなくなった。それでも眠いものは眠い。その日も、郷介は眠い目を擦りつつ近所の公園でラジオ体操を終え、帰路に就いていた。

「朝ごはんはコンビニでいいか?」

「しょーがないなあ」

「だってトースト焼くのすらめんどいんだもん……」

「おはよっス、郷介さん」

 見るとそこにはギターケースを担いだ賢司の姿があった。

「おはよう。今日は早いね。何かあったの?」

「実は合宿の帰りなんスよ、軽音楽部の。顧問の先生の田舎に皆で行ってきたんス」

「だからってこんな早朝に?」

「夜行バスで帰ってきたんス。全員」

 と、そこへ「おはようございます」と声が聞こえてきた。振り向いた先に立っていたのは舞だった。

「ひめじせんせー! おはようございます!」

「みちろう君は今日も元気ね」

「おはようございまス! 俺も元気っス!」

「確か、大月君だったかしら」

「そうっス! 覚えていてくれて感謝カンゲキ雨嵐っス!」

 ロック以外も聴くのかと郷介は思った。ただの言い間違いの可能性もあるが。

「おはようございます。姫路先生、早いですね」

「なんとなく時間が勿体ないと思っちゃって、最近はいつもこうして町のあちこちを散歩しているんです」

 その言葉を聞いて、郷介は彼女の身体のことを思った。舞は現在アパートで独り暮らしだと聞いている。独りで家にいるのは心細いのだろう。だから朝を待ち、すぐに外へ出てくるのではないかと郷介は思った。

「そうだ遠道さん、明日皆でピクニックに行きませんか?」

 突然の提案に郷介は驚いた。

「とてもいい場所を知っているんです。以前たまたま見つけた場所なんですけど、その時はちゃんとした画材が手元になくて……。だから描きに行きたいなって思ってたんです」

 デートのお誘い……というわけではないのだろう。一人では行動できないぐらい身体が弱っていると見るべきだ。安静にするべきだと言うのが正しいことなのかもしれない。しかし毒に侵されてからひと月以上も普段通りの生活を続けている彼女が、果たして自分の意見を素直に聞き入れるのだろうかとも思った。

「皆の分のお弁当は私が用意しますから」

「父ちゃん行こうぜ!」

「お、俺も参加しちゃって大丈夫っスか!?」

「もちろん。大月君、楽器をやっているのよね? 私、色々とお話を聞いてみたいな」

「俺も、表現者の端くれとして姫路先生とは色々お話ししてみたいっス!」

 下心が見え見えである。

 結局ピクニックに行くことは確定したのだが、念のため「たちばな」に報告しておくことにした。ちょうど明日はヒビキのスケジュールが空いているらしいので、用心のためにこっそりついてきてくれることとなった。

 電話口で丁寧に礼を述べ、通話を終える。明日のピクニック、何事も起こらなければよいのにと郷介は心底願った。点けっ放しのテレビから聞こえてくる天気予報が、明日は全国的に晴れだと告げていた。

 

 翌日の空は、天気予報の通りに晴れ渡っていた。雨の心配はないようだが、今朝のニュースだと午後には少し曇ってくるらしい。

 レンタカーを借りてきて待っていると、まず最初に賢司がやって来た。挨拶もそこそこに、姫路先生は来るのかと尋ねてきた。

「だって昨日の朝お会いした時、顔色悪かったじゃないっスか」

 そう。元々色白だが、昨日の彼女は病的なまでに白かった。流石に賢司も気づいていたようである。

 賢司には本当のことを告げるべきか悩んでいたところへ、荷物を持った舞がやって来た。今日はタイトなパンツを履いたラフな格好である。

「おはようございます」

「おはようございまス! 今日もお綺麗っスね!」

 賢司の視線は、明らかに舞のヒップラインに向けられていた。軽く小突いてやると、賢司は照れ隠しに笑った。

 舞の案内を受け、目的地へと向かう。助手席には舞が、後部座席にはみちろうと賢司が座っている。賢司は舞と一緒に座りたかったらしく、少々ご機嫌斜めだ。

「父ちゃん、せんせーが作ったおべんとう、もう食ってもいいか?」

「まだ現地にも着いてないだろ。もうちょっと我慢しろ」

「みちろう君、お家でも元気いっぱいですね。学校でもムードメーカーなんですよ」

「ははは……」

「こういう温かくて明るい家庭、憧れちゃうな……」

「「ふえっ?」」

 郷介と賢司が、ほぼ同時に声を上げた。舞はニコニコと笑っているだけだった。

 

 目的地は、小高い丘の上にあった。世間一般ではお盆休みに突入し、実際にここへ来るまでの道中は渋滞に巻き込まれもしたが、この場所には郷介たち以外に誰もいなかった。いや、厳密に言うともう一人、ヒビキがこっそりとついてきている筈である。

 丘の上に辿り着いた時、郷介は思わず感嘆の声を上げていた。

 そこには大きな一本の木が立っていた。囲むためには成人男性が複数人必要なぐらい太く巨大な幹は、天高く真っ直ぐに伸びている。そこから無数に張り出した枝には、青々とした葉が生い茂っていた。

「でっか……」

 賢司も巨木を見上げながら、その威容に気圧されつつそうひと言口にした。他に表現のしようがなかった。

「あとで分かったんだけど、地元の人たちからは『天空の樹』って呼ばれているらしいの」

 舞がみちろうにそう説明する。天空の樹――まさにこれ以上ないぐらい相応しい表現だ。太陽に向かって真っすぐに伸びるその姿は、さながら天に向けてかかる梯子と言えるだろう。

 一行は樹の傍にシートを敷いて、お弁当を食べ始めた。舞が持ってきたランチボックスにはサンドイッチやおにぎり等が大量に入っていた。

「多すぎるかなと思ったけど、男の人ばかりだし大丈夫かなって」

「大丈夫っス! 問題ないっス! 何なら俺が一人で完食するっスよ!」

「せんせーの作ったサンドイッチ、うめえ!」

「もっと行儀よく食べろよ、まったく」

 郷介は亡くなった妻のことを思い出していた。彼女も料理が得意で、つきあい始めた頃はこんな感じで二人でピクニックに行ったことがあった。大学生の時の話だ。

 疑似とはいえ、ほんの束の間家族を味わうことができた。それが何より郷介には嬉しかった。

 ただ、舞は料理にあまり手をつけなかった。水筒に入れて持ってきた紅茶やコーヒーもそんなに口にはしなかった。

 食事を終えて、舞は絵を描く準備を始めた。荷物の中から画材を取り出していく。別にイーゼルやキャンバスのような大掛かりな物を持ってきているわけではない。スケッチブックと、愛用の絵具だ。準備が完了すると、早速天空の樹のラフスケッチを描き始める。

「スゲェ……あっという間に描き上げてる」

 覗き込んでいた賢司が感心する。描き慣れているのだろう、舞のスケッチの動きに無駄は一切なかった。あっという間にラフを終えて、今度は着色の準備に取りかかった。

 と、何処からか太鼓を打ち鳴らす音が聞こえてきた。絵の方に集中しているのか、舞は気にも留めていないようだ。

「郷介さん、これって……」

 ヒビキが戦っているのか――。

「なあ、みちろうは何処行った?」

「あれ、さっきまでその辺で遊んでた筈なんスけど……」

「あいつ、また勝手に!」

 郷介はみちろうを探しに駆けだした。

 

 その少し前、郷介たちのあとを追っていたヒビキは丘に向かう道の途中で異様な気配を感じ、ディスクアニマルを放って周囲を警戒していた。

 ヒビキの前にディスクアニマルに追い立てられる形で現れたのは、一匹のテングだった。

 テング――俗に「夏の魔化魍」と呼ばれる等身大の魔化魍である。魔化魍の中でもかなり特異な存在であることが知られており、夏の魔化魍特有の分裂・増殖を行わない代わりに鬼に匹敵する戦闘力を兼ね備えている。童子と姫を介さずに発生する事例もあるらしいが、これもその個体だろうか。

 しかもこのテングはオオテングと呼称される個体だった。テングには鳥のような嘴を持ったカラステング(烏天狗)と、高い鼻を持つオオテング(大天狗)の二種類が存在し、オオテングの方が発生確率は低い分非常に厄介な力を秘めているとされる。

「これが出てくるってことは……本物なのかな」

 勢地郎から郷介の特異性については聞いていた。半信半疑だったが、オオテングに遭遇した以上信じざるを得ないだろう。

 ヒビキが変身音叉・音角(おんかく)を手の甲に当てて鳴らした。オオテングは少しずつこちらへにじり寄ってきている。

 全身を炎に包まれたヒビキは、気合と共に炎を弾き飛ばした。青紫に照り輝く肉体を持った鬼、響鬼(ヒビキ)が現れる。

 けたたましい泣き声と共に茜鷹と浅葱鷲(アサギワシ)がオオテングに飛びかかっていく。その隙を突いて響鬼は急接近すると、オオテングの顔面を殴り飛ばした。

「どうした? 出鼻を挫かれたって感じか?」

 オオテングが体勢を崩した隙に、響鬼は精神集中を始めた。炎が吹き上げ、周囲を熱が満たしていく。

「はあああっ!」

 火花を散らし、響鬼紅(ヒビキクレナイ)がその姿を現した。鮮やかな紅色の体躯を持つ、対夏の魔化魍用の強化形態だ。

「その鼻をへし折ってやる」

 両の音撃棒を構え、響鬼紅が向かって行く。だがオオテングはいつの間にか羽団扇を片手に持ち、臨戦態勢を取っていた。

 葉団扇をひと振りすると突風が巻き起こり、土や小石が響鬼紅に向かって飛んでいく。だがその程度で歩みを止めることはできない。

 オオテングの肩甲骨部分に小さく収納されていた羽が展開された。飛んで逃げるつもりだ。だが飛び上がったオオテングの片脚を響鬼紅は掴み、力任せに地面へ叩きつけた。そこへすかさず鬼幻術・鬼火(おにび)を用いて片翼を焼き払う。

 改めて音撃棒・烈火(れっか)を両手に構えると、響鬼紅はオオテングに向けて打ち込んだ。音撃鼓を介することなく魔化魍を焼き清める音撃打・灼熱真紅(しゃくねつしんく)の型だ。

 だが。

 オオテングが葉団扇を振るうと、円状に空気の障壁が発生し、「烈火」の一撃を受け止めた。しかもオオテングの両手には、いつの間にか音撃棒によく似た撥状の武器が握られている。

「まずい!」

 オオテングが他の魔化魍と一線を画す理由。それは鬼の操る技と似たような攻撃ができる点にある。最大で樹々を薙ぎ倒す程の突風を巻き起こす「天狗倒(てんぐだお)し」、石礫を雨霰のように発射する「天狗礫(てんぐつぶて)」、水に強い陰火を操る「天狗火(てんぐび)」、そして疑似的に音撃打を再現する「天狗太鼓(てんぐだいこ)」。鬼の肉体に魔化魍の邪悪な波動を流し込まれたらどうなるか――これを用心して短期決戦を仕掛けたのだが間に合わなかったようだ。

 響鬼紅がオオテングの生み出した疑似音撃鼓に打撃を加えた。炎が展開し紋章を形成する。灼熱真紅の型で押し切るつもりだ。だがオオテングも反対側から打撃を打ち込んできた。

「うおおおお!」

 乱打の応酬により、凄まじい音が周囲に響き渡る。

 そこへオオテングが口から石礫を吐いて攻撃してきた。天狗礫だ。弾丸のように放たれる無数の石礫が響鬼紅の顔面に容赦なく浴びせられる。勢いを削がれ、響鬼紅が押し切られる。

 響鬼紅は右手の「烈火」で装備帯から音撃鼓・爆裂火炎鼓(ばくれつかえんづつみ)を上空に向け弾き飛ばした。それを空中で浅葱鷲が弾き、障壁の前面へと貼り付ける。炎の上に覆い被さる形で「爆裂火炎鼓」が大きく展開した。

爆裂強打(ばくれつきょうだ)の型ぁぁぁ!」

 乱打と共に強烈な波動が発生し、みるみるうちにオオテングを押し返していく。清めの音は障壁越しにでも確実に効果を発揮しているらしく、徐々にオオテングの勢いは弱まっていった。

「はあっ!」

 大爆発が起きた。炎の中から響鬼紅が姿を現す。オオテングは……。

 ボロボロになりながらも丘の上に向かって逃げ出していた。どうやら天狗火を使って爆発時の炎を相殺したらしい。

「元気な奴だよ、まったく」

 追撃しようとする響鬼紅だったが、よろけて片膝を地につけてしまう。彼の方も疲労困憊だった。全力以上のものを出さなければ間違いなく押し切られていたからだ。爆発の余波に巻き込まれてディスクアニマルは全て壊れ、地面に転がっていた。このまま見失うわけにはいかない。響鬼紅は立ち上がるとあとを追って行った。

 

「勝手にいなくなるんじゃないぞ」

 ようやく見つけたみちろうに、郷介は注意した。

「それより父ちゃん、あの音……」

 さっきまで周囲に鳴り響いていた太鼓の音は、もう聞こえなくなっていた。

 嫌な予感がした。みちろうを促し、郷介は丘の上まで急いで戻って行った。そこで郷介は、あまりにもショックな状況を目の当たりにした。

 そこでは、舞が地面に倒れ伏していた。賢司は彼女の身体に縋り付き、今にも泣きそうな顔をしている。そして天空の樹の近くでは、鬼とも違う姿をした等身大の異形――オオテングが片翼だけで空に飛び上がろうとしていた。

 オオテングの周囲を旋風が渦巻く。風の力を利用して飛び上がるつもりだ。

 だがそこへ、全力疾走の響鬼紅が現れた。

「うおおおおおおおお!」

 相手はオオテング。確実に仕留めなければならない。体力の都合上、普通に音撃打を放つのでは仕留めきれない可能性がある。だから響鬼紅は、あの大きな樹を見て一つの方法を思いつき実行に移すことにした。

 オオテングではなく、天空の樹に向かって突撃する。勢いに任せてほぼほぼ垂直に近い幹を駆け上がり、そして。

 頂上からオオテングの頭上に向けて飛び降りた。響鬼紅の身体は、さながら紅い弾丸のようだ。

「灼熱真紅の型ぁぁ!」

 高空からの落下速度を加えた強烈な一撃が、オオテングの頭部に叩き込まれた。全身を炎に包まれたオオテングは、断末魔の叫びを上げる暇もなく爆発四散した。

 その一連の様子を眺めていた郷介は、賢司の悲痛な叫びで我に返った。

「先生! 姫路先生!」

 どれだけ呼びかけても舞は応えない。

「せんせー、どうなっちゃたんだ?」

 みちろうが不安そうに尋ねてくる。だが郷介には答えることができない。戦いを終えた響鬼紅も、無言で立ち尽くしていた。

 

 火葬場から帰宅すると、郷介はジャケットを脱ぎネクタイを緩めた。居間で腰かけるが何もする気が起きない。

 テーブルの上に、一冊のスケッチブックが置かれてある。あの時、どさくさに紛れて持って帰ってしまった舞の私物だ。今日の葬儀で遺族に返却するつもりだったが、すっかり忘れていた。

 中は見ていなかった。そんな気になれなかったのだ。だが一区切りがついた今なら見ることもできるだろう。郷介はスケッチブックを手に取った。

 パラパラと捲っていく。美しい色合いの絵がたくさん描かれてあった。

 最後の頁を見る。あの時、舞が描いていた天空の樹だ。彩色の途中で力尽きてしまったため、未完である。

 と、現場にはなかったものが描き加えられていることに気づいた。天空の樹の枝の一本に、真っ白い鳥が三羽止まっている。小鳥を挟むように大きな鳥が二羽、両脇を固めていた。

 三羽は、まるで親子のように仲睦まじく寄り添っていた。 了

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