長月。暦の上ではもう秋なのだが、まだまだ気温は高く熱帯夜が続いている。「この暑さなら冬には40℃を超えるだろう」という笑えない冗談もよく耳にするようになった。
遠道郷介は、久方振りに「たちばな」を訪れた。先月の一件以来、「たちばな」には顔を出していないし、関係者と連絡も取っていなかった。
「先生、この度は……」
「ああいや、大丈夫です」
看板娘の立花日菜佳が声をかけてきた。いつもの元気な口調ではないのが逆に辛かった。
「そっちはどんな感じです?」
日菜佳は少し考え込むと、「変わったと言っちゃ変わりましたね~」と答えた。
「どんな感じに?」
「ヒビキさん、あの一件以来ちょっとお喋りになったというか……。それ以外は普段通りなんですけど。普段通りにしようと振る舞っているのかな?」
ヒビキも思うところがあったようだ。
「あと、魔化魍の出現傾向が今まで以上におかしくなりました。人里に好んで出没する種類っていうのは昔からいたんですけど、ここ最近は夏の魔化魍が頻繁に市街地に……」
「それ、大丈夫なの?」
「鬼さんたちフル稼働ですよ~。でもほら、人の口に戸は立てられぬって言うじゃありませんか。最近はネットもありますし、やっぱりあちこちで噂になっているみたいなんです」
そのうち葛原がそういう記事の依頼を持ってきそうだなと郷介は思った。
猛士の方も噂を打ち消すべく、対抗神話をネットに流布したりしているようだが、思わしくないようだ。
「ウチだけじゃなくって全国的に何処も同じ感じみたいですしね~。先生も、ここしばらくはあんまり他県に移動しない方がよいかもしれませんよ~」
そう言うと日菜佳はようやくいつもの笑顔を見せた。
県を跨いだ移動は控えるよう日菜佳に言われたばかりだというのに、郷介は現在石川県にやって来ていた。仕事である。能登半島の先端に、文壇の超大物が邸宅を建てて隠棲していたのだが、つい先日急逝してしまったのだ。ニュースでも大々的に報じられている。
郷介は会ったこともない。郷介が受賞した新人賞の審査員だったというわけでもない。では何故石川くんだりまでやって来る羽目になったかと言うと、葛原礼華の荷物持ちである。
「あの、僕である必然性はあったのでしょうか?」
目的地へと向かう道すがら、郷介は葛原に聞いてみた。交通の便の悪い場所に建っているため、途中まではタクシーで移動し、そこから先は徒歩だった。
「逆に聞きます。断ることもできたのに何故承諾したのでしょう」
「それは、その……」
葛原と二人っきりの旅行というシチュエーションに魅力を感じたからである。
「遠道さんにとって利はある筈ですよ。ウチ以外にも様々な出版社や新聞社の関係者が来ますから、上手く売り込むことができればお望みの小説が書けるかもしれません」
「葛原さん、僕のことを想って……」
「まあ、営業職なんてやったことのない遠道さんが、そんな器用なことできるとは到底思えませんが」
相変わらず辛辣である。そして実に的を射ている。口振りから察するに、葛原は一切助け舟を出してくれないようだ。
「……ところで葛原さん、そろそろここへ来た理由を教えてくれませんか?」
その大作家の葬儀はとっくに親族だけで済ませてある。にも関わらず、何故わざわざ向かうのか。しかも話を聞く限り他の出版社の人間も来るそうではないか。
葛原は郷介の方を見もせず、こう言った。
「先生の遺稿を発見するためです」
どうも亡くなった作家というのは、死の直前まで原稿を書いていたようなのである。何処かの出版社と契約していたのではなく、完全に個人的な趣味で。生前、家族や一部の親しい編集者には打ち明けていたようだ。
その原稿は既に書きあがっていたらしいのだが、急逝したことで誰にも行方が分からないのだという。遺族は葬儀の際に原稿を発見した出版社に出版権を渡すと宣言したらしく、業界紙に大々的に記事が載っていたらしい。
つまりは家捜しの手伝いなのだ。荷物持ちだけかと思っていた郷介だったが、これには心底驚いた。
「なんか……故人の家捜しとかあまり気分のいいものではないように思うのですが」
「出版・印刷業界を甘く見ないことです。未だに武闘派も多いですし、倫理を気にしていたらこちらの負けです」
自分で言うのかよと郷介は胸中で呟いた。
郷介の眼前には、立派な門構えの大邸宅が建っていた。これが有名文学賞を総舐めにした大作家の邸宅かと郷介は驚嘆した。
「地価は安かったようですよ。立地条件が最悪なので」
そう言うと葛原は門を開いて中へと踏み込んだ。
「あ、勝手に入っちゃっていいんですか?」
「問題ありません。事前に許可は取っています」
玄関ホールのある家など、郷介は生まれてこの方初めて訪れた。見える範囲の部屋のドアは全て開け放たれ、ひっきりなしに誰かが出入りしている。
「完全に出遅れましたね。誰かさんが空港でもたついたばっかりに」
「……面目ないです」
葛原は、部屋から出てきたばかりの青年に声をかけた。情報収集するつもりのようだ。
「はい、何でしょう?」
中性的な顔立ちをした青年だった。いや、ひょっとしたら少年と呼んだ方がいいのかもしれない。ハンチング帽を被って、首からは一眼レフカメラを提げている。古い新聞記者のイメージをそのまま絵に描いたような身なりをしていた。
「原稿はまだ見つかっていないようですよ。それどころか、先生の仕事部屋すら見つかっていないようです」
「仕事部屋も? おかしいですね」
「地下一階から地上二階まで、隈なく探しているんですけど一向に」
地下もあるのかと郷介は驚いた。奥方は既に故人で、息子夫婦や孫夫婦とも別居しているし、こんな広い屋敷に一人で住んでいたのかと驚いてしまう。というか固定資産税とかどうなるのだろう。何もかも郷介の生活とはかけ離れ過ぎていて、作家として情けないことに想像が追いつかなかった。
と、そこへ騒がしい声が聞こえてきた。
「リン君、リンくーん!」
明るい色に染めた長髪の女性である。目の前の青年と同じハンチングを被っている。よく見ると衣装もお揃いだ。
「リン君、大変なことになったよ! あれ、そちらは?」
名刺を差し出して葛原が名乗ると、女性は名刺が切れていると謝りつつ名乗った。
「地元のローカル紙で記者をやっています、
「リンです、宜しくお願いします」
とりあえず郷介も名乗ると、栗生は目を丸くして驚いた。
「えっ! 『カボス』の遠道先生ですか!? うそ、私読んでましたよ!」
これには郷介も驚いた。新人賞を受賞して鳴り物入りでデビューした処女作のタイトルが「華麗なる没落のススメ」。「カボス」とは読者の間で使われていた略称である。それを知っているということは、彼女は本当にファンなのだろう。
「驚きました。先生のファンはこの世に三人もいれば上出来だと思っていたのですが、そのうちの一人と遭遇するとは……」
「葛原さん、ファンの方を悪く言うの止めてもらっていいですか?」
「でも良かったじゃないですか。栗生さん、この方は現在仕事がありません。そちらで何か仕事を恵んでやって頂けないでしょうか」
「葛原さん、言い方……」
「あー、それはその……。それよりリン君、大変なの! 来て!」
そう言うと栗生はリンの手を引っ張って駆けだした。他の人々も次々と同じ方向へ向かって行くのが見えた。ひょっとして遺稿が発見されたのだろうか。葛原と郷介もあとに続くのだった。
一行が向かっていたのは、地階へと続く階段だった。葛原と郷介もあとに続いて降りていく。
地下の通路を進んでいった先、袋小路となっている個所に人だかりができている。何かあったのか近くの人物に尋ねると人が死んでいるとの答えが返ってきた。
亡くなったのは辛口の女性評論家としてテレビに引っ張りだこだった
葛原は一緒に仕事をしたことがあったらしく、流石にショックを受けていた。
すぐに遺体は空き部屋まで運ばれ、警察に通報されたのだがここで一つ問題が起きた。なんと屋敷へ向かう唯一の道で土砂崩れが起きたらしく、撤去が完了する明日の朝まで警察は来られないのだという。
「もし到着があとちょっと遅かったら、我々も巻き込まれていたかもしれませんね」
郷介の方を見ながら葛原が言った。今、彼らがいるのは一階のサロンだ。葛原と郷介は並んで応接セットに腰かけている。向かいのソファには栗生とリンが座っていた。
「殺人事件なんでしょうか……」
「いやぁ、違うと思いますよ。根拠はないですけど」
郷介に向かって栗生が言った。
「小説ならば大盛先生が遺稿を発見して、それを知った誰かが殺害し横取りしたと、そういうプロットになるのでしょうが……残念ながらこれは現実です。そもそもそんなありきたりな内容の話、私ならボツです」
「じゃあ何で亡くなったんでしょう」
「大盛先生は以前、心臓が悪いと仰っていました。何か心臓に負担がかかるぐらいショックなことがあったのかもしれません」
それを聞いて栗生とリンが顔を見合わせる。
「まあ兎に角、ここは私、名探偵のクリちゃんにお任せあれ!」
そう言うと栗生は立ち上がってポーズを決めた。「ほら、リン君も」と促され、リンも渋々立ち上がってポーズを決める。
「新聞記者ではないのですか?」
「それはそれ! 今夜はちゃんと鍵をかけて部屋の外に出ないこと。特に現場となった地下には絶対に下りて行かないように。お願いしますね!」
今夜はこの屋敷に泊まることになっている。屋敷に来ている編集者や記者の中には、薄気味悪く思っている者もちらほらいるようだ。
栗生とリンは、他の人たちにも注意して回ると言って部屋を出て行った。
「遠道さん、まさか馬鹿正直に部屋に籠るつもりじゃありませんよね」
「あ、やっぱり……」
嫌な予感がしていたが、どうやらその通りになったようだ。
「父ちゃん、元気にやってるか?」
「お前は元気そうで何よりだよ」
その夜、郷介は電話で息子のみちろうと話をしていた。今はお隣の大月家に預けてある。連れてこなくて正解だったと心底思う。
「どうした父ちゃん?」
「分かるか。ちょっと面倒なことに巻き込まれて……。まあある意味いつものことなんだけどさ」
「よくわかんねーけどガンバレ! あとおみやげヨロシクな!」
こういう時、子どもの存在はありがたい。郷介は力を貰えたような気がした。
深夜になって、郷介と葛原はそれぞれ部屋から抜け出し玄関ホールで落ち合った。
「本当にやるんですか? 殺人鬼がいるかもしれないのに」
「殺人鬼が怖くて出版不況を乗り越えられるものですか」
「ですが、各部屋には人がいるし、まだ探し終えていないのは……」
地下である。大盛が亡くなったことで地下の探索はそのまま打ち切りとなっている。どうやら地下は、まだ全ての部屋を探し切れていないようだった。
地階へと降りた二人は、手分けして探索をすることとなった。危ないので一緒に行動した方がいいと提案する郷介を一瞥すると、葛原はさっさと一人で行ってしまった。
仕方なく郷介は一人で探索を開始した。小さな懐中電灯の明かりが非常に心もとない。
と、何か音が聞こえた気がした。葛原が進んでいったのとは逆の、まさに郷介が向かっている方向からである。
嫌な予感がした。そしてこういう時の予感というのは当たってしまうものである。
辿り着いたのは、大盛が倒れていた袋小路だった。周辺には誰もいない。
そもそも郷介は最初にここへ来た時からずっとおかしいと思っていた。袋小路である。路上ならまだしも、屋内でこんな意味のない行き止まりを造るものだろうか。設計ミスでないとしたら、意図的に造られたことになる。
行き止まりの壁面を調べてみる。すると、微かに動いたように感じた。力任せに押すと、壁はくるりと回転した。どんでん返しになっていたのだ。そういえばこの屋敷の亡き主は、忍者が出てくる時代小説も書いていたことを思い出す。
扉の先は広い空間になっていた。明かりは点いているし空調も動いているようだ。
郷介は息を呑んだ。そこには膨大な数の蔵書が本棚に収められていた。まるでちょっとした図書館だ。
奥の方から何やら音がする。見ると、いくつかの本棚が倒れ蔵書が散乱していた。そしてそこで。
鬼が魔化魍と戦っていた。
魔化魍は、巨大なシミのような姿をしていた。頭部に当たる部分から無数の細く長い触腕が生えており、まるで女性の髪のようにも見える。
相対する鬼は黄金色に輝く角を持ち、手には幾何学模様がペイントされたギター状の武器――音撃弦を構えていた。
伸びてくる触腕を斬り払いながら、鬼が魔化魍に向けて接近していく。
「ありゃ~、見られちゃいましたか」
驚いて声の聞こえた方を向くと、そこには栗生が立っていた。
「だから地下には来ないでって言ったのに」
「と言うことは、あの鬼はリン君!?」
「え、どうして鬼のことを?」
リンが変身した鬼、
魔化魍の身体に「降魔」を深く突き刺すと、燐鬼は装備帯から
「音撃斬・
魔化魍を中心に轟音、振動、衝撃が一遍に放たれた。耐え切れず郷介が耳を塞ぎうずくまる。見ると、栗生はいつの間にか自分だけ耳栓をしていた。
魔化魍がもがき苦しむことで、ドミノ倒しのように本棚が倒れていく。このまま天井が抜けて、真上の部屋が落ちてくるのではないかと、そう郷介は不安に思った。
演奏を終え、最後に燐鬼が左手の指でピチカートを鳴らすと、魔化魍の巨体は爆発四散した。爆風で蔵書が巻き上げられ、バラバラになって降り注ぐ。
「スーパー証拠隠滅ターイム!」
栗生の掛け声と共に、燐鬼の身体が黄色く発光した。
「まさか……まさか!」
カトキやヒビキが炎を出して戦っていたことを思い出す。
「何事ですか!」
葛原の声が聞こえる。音撃斬による轟音を聞いてやって来たようだ。ひょっとしたら階上の人間も起きてきているかもしれない。
扉の外に出た郷介は、葛原と鉢合わせした。その直後、室内から熱波が噴き出した。
隠し扉内の書庫は、滅茶苦茶な有様だった。火が出て、それに反応したスプリンクラーが作動して、蔵書や生原稿は全て目も当てられない状態になっていた。
翌日におっとり刀で駆けつけた警察によって捜査が行われたが、出火の原因は不明とされた。郷介と葛原は事情聴取を受けることとなったが、知らぬ存ぜぬで押し通した。栗生とリンはいつの間にか行方を眩ませていた。
遺稿は結局見つからなかった。あの書庫には文机もあったので、そこで書かれてそのまま保管されていた可能性が高いのだが、あの惨状ではどうしようもないだろう。
葛原によると、どうやら大盛はあの隠し書庫を最初から探していたようだ。大盛は以前、例の大作家の先生と対談しており、その時に物凄い数の蔵書があると聞いていたのだという。
「あのお屋敷にはそんなに大量の本は何処にもありませんでしたからね。大盛先生はそれでおかしいと思い、隠し部屋の存在を疑っていたのでしょう」
そこで大盛はあの魔化魍に遭遇し、命からがら部屋を出たところでショック死してしまったと見るべきだろう。不幸な事故だったのだ。
さて、そちらはそれでよいとして、魔化魍が屋内に出現したことが気になる。「たちばな」を訪れた郷介がそのことを立花勢地郎に話したところ、勢地郎はその場で北陸支部に連絡を入れて事情を尋ねてくれた。それによると、事の顛末はこうだ。
北陸支部は昭和の頃から表の家業として何でも屋を経営しているらしい。探偵まがいのことから示談交渉、ボランティアの応援まで幅広く手がけているという。実は当の大作家の先生から、屋内で怪しい気配がするから調査してほしいとの依頼を生前に受けていたらしいのだ。
調査を開始したところ屋敷周辺で童子と姫に遭遇しこれを撃破。魔化魍は屋敷内に潜んでいると判断し、身分を偽ってリンキとサポーターの栗生が遺稿探しのどさくさに紛れて潜入したのだという。
魔化魍が屋内に潜んでいると判断したのは、童子と姫の特徴から大量の書物に湧くフグルマであると断定されたからである。
フグルマ――
「だからって火をつけるのは如何なものかと……」
飛び散った魔化魍の体液を何とかしないといけないのは分かるが、やりすぎではないかと郷介は勢地郎に告げた。勢地郎は苦笑し、「あそこは昔から荒事が得意な鬼が多いからねえ」と言った。
と、郷介の携帯電話に着信があった。葛原からだ。電話に出ると葛原は、遺稿探しが中止になったから責任を取って次の仕事を受けるようにと言ってきた。
「そんな無茶苦茶な……」
「次は四国に行ってもらいます。締め切りは……」
それこそ無茶苦茶な納期を設定された。今から取材に出ないと間に合わないだろう。みちろうはまた大月家に預けるしかない。
「災難だね、先生も」
女性が関係する災難という意味ではそうなのかもしれないなと郷介は思うのだった。 了