幸せをつかむために   作:白天竺牡丹

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 捏造のご近所さんが出てきます。


第1話 応急処置

 家族5人と一匹が死んだ翌朝。

 病院で転弧と朝の挨拶を交わし、応急処置をしてくれた先生の声がカーテン越しに聞こえて、診察室で説明を受けていく。内容は、明後日改めて病院に来て、形成外科の先生が局所麻酔を使って縫うだけの手術をすると言う。

 

「……お金、持ってないです」

「夜だったから、計算してくれる人がいなかったんだ。別の日でいいよ。その時になったら、樹さんのスマホに電話しますね」

「はい。……ありがとうございます」

「それから、昨夜の話を聞く限り、精神的ショックが大きいので、精神科を受診して下さい」

「わかりました」

 

 腹が鳴り、渇いた喉を潤して空腹を紛らわせるために水を一杯ずつ飲んでから、昨夜は夕食前に“個性”事故が起こり、まだ朝食も食べていないことを思い出す。それは弟も同様で、売店で何か買おうにも所持金が無いことで途方に暮れた。

 

「……お腹すいた」

「そうだね。家に帰ったら、何か食べに行こうか」

「うん……」

 

 いくらか落ち着いた転弧の髪を撫でながら、学校や幼稚園を休む理由は忌引きで、インターネットでそれぞれの電話番号を調べてから、担任に家族を代表して報告する。会計が行われる場所の前でテレビのニュースを眺めていると、誰かが自分達に話しかけてきた。知らない人を前に二人で戸惑う中、警察手帳を見せて私服警官だと言って、昨日の状況を詳しく聞くために来たらしい。それに同意してパトカーに乗って向かった先は、警察署ではなく、崩壊して瓦礫と化した自宅だった。

 まだ血溜まりが残る庭を目撃し、亀裂が走ったままの玄関アプローチの上で膝をついて吐いてしまった弟の背を(さす)りながら、自分から見た状況説明と家族構成。家庭環境を全て話す。次に彼らは、転弧から状況説明を受けようとしたが、そう上手くはいかない。

 今の弟にとってそうする事は、家族を自分の手で。発現したばかりの“個性”で殺したという事実を突きつけるだけだが、やらなければならない。

 

「転弧。無理はしないで。嫌なら嫌って言っていいんだよ」

「……。いつき姉ちゃんは、覚えてる?」

「うん……。父さんだけは」

 

 しゃがんで目線を合わせ、親指をガーゼで覆われた小さな両手を優しく握り、しばらく彼に考えさせる時間を作る。

 やがて、弟が口を開いて言った。

 

「……ぼく、あんまり覚えてないけど、姉ちゃんと一緒なら、大丈夫かもしれない」

「……そっか。じゃあ、転弧の準備ができたら、一緒に行こう」

「うん」

 

 そこで片手を離して、向き合っていた状態から反転して隣で立ち上がり、これまでしてきたように転弧自身の意志をできるだけ尊重する。彼に合わせて一歩前に踏み出したが、どうするか解らないのか二歩目で立ち止まった。弟の中で混乱しているであろう記憶と感情を整理するため、推測を口にした。

 

「父さんに叩かれた後、庭にいた?」

「うん……」

「いつも座ってた隅っこだね」

 

 それから頭痛と吐き気に(さいな)まれる転弧のペースに合わせて、家族の名前を一人一人言いつつ、時間をかけて順を追う。

 

「モンちゃんと一緒にいてね、最初にバラバラになったの。……嘘をついて謝りに来た華ちゃんに、声が出なくて助けてって言って、服を掴んだらバラバラになった。それを見て吐ちゃって、顔を上げたら遠くにお母さんとおじいちゃんとおばあちゃんがいて、地面を触ったらバラバラになって、お母さんが駆け寄ってくれたの。……でも、抱き締める前にバラバラになった。たぶん、おじいちゃんとおばあちゃんは遠くにいたままだったと思う。……でね。お父さんが来た時に謝ろうとしたけど、また地面が崩れて、何か棒を持つのが見えた。いつき姉ちゃんが間に割りこんだら痛そうな声をあげて、またお父さんがいつき姉ちゃんを傷つけたってわかったから、今度は僕がいつき姉ちゃんを守るために、お父さんに触れて殺しちゃったんだよ」

 

 黙って弟の話を最後まで聞き、近づいて話しかけてきたのは病院に来た私服警官で、あたしと転弧に目線を合わせるためにしゃがみ、これまでの内容を書いた紙に署名をする。

 

「樹ちゃん。転弧君。辛いのに、話してくれてありがとう。それと、ご家族の遺体を引き取るまでにまだ時間がかかるので、先に葬儀社を決めて下さい」

「……葬儀社?」

「お葬式をしてくれる会社のことです」

「ああ……。わかりました。……モンちゃんもですか?」

「そうですね」

 

 彼によると、これから警察署に行って一時保護になるらしい。到着早々葬儀社の資料を渡されて、家族は警察署から一番近い葬儀社を。ペットの記載は無く、再度ネットで調べて双方に連絡を取り、一息つく。そして、一時保護を受け付ける係の人が来て、新しい服と靴。食事を与えて下さり、ひとまず空腹を満たせた。

 数十分後。連絡した葬儀社の方が警察署に来て、自分がウェブ上で選んだ一番安いプランを伝えた上、地方新聞に訃報を載せるようお願いし、見積りをお願いする。総額は、自分の貯金と香典を当てにしてなんとか払えるだろうと希望を持ち、詳細を話してから一旦別れた。

 

「誰か近所の人が来てくれないかな」

「なんで?」

「ここにいられるのは、長くて一日だって係の人が言ってたの。それ以上は、誰かが迎えに来ないといけない」

「誰か……?」

「転弧のためにも、知ってる人がいいでしょう?」

「うん」

 

 15時を回った頃に、正式な引き取り先が決まるまで、自宅の向かい側に住む家族に預けられることになった。自分の吐いた言葉が現実になった事態に驚き、自分を呼ぶ弟の声と裾を引っ張られる感覚に遮られる形で、強制的に現実に引き戻される。

 そして、いつか来る惨事のために近所付き合いをしてきた成果が表れたのだと、独り安堵した。

 

「……何? 転弧」

「車乗ろう」

「ああ……、そうだね。……ありがとうございます。光代さん。これからお世話になります」

「そんなに固くならないでいいよ、樹ちゃん。転弧君も何か欲しい物があったら、なんでも言ってね」

「うん」

「家の片付けがしたいです」

「でも、規制線が……。黄色いテープが張られたままだけど」

「警察の人が外した後で構いません。中に貴重品があるので、早めに片付けておきたいんです」

「……わかったわ。それまでに、近所の人達に声かけてみるから」

「ありがとうございます」

 

 家に着いてから手洗いとうがいを済ませ、アイスのピノを頂きつつ、自分と転弧の外科や精神科の治療や父達の葬儀。親戚や知人に引き取られた場合の引っ越しに伴う転校など、これからのことを話してから、心配顔で昨夜のことを尋ねられた。ここで言葉を濁せば面倒になると思い、簡潔に述べる。

 

「転弧の“個性”が現れた結果です」

「まァ。突然?」

「はい」

「そう……」

 

 自宅が崩壊し、玄関アプローチや隣家の庭。歩道まで亀裂が及ぶほどの強力な“個性”の跡を見れば、そんな反応になるだろう。弟が居心地の悪さを感じさせないように会話を切り上げ、話題を変えた。

 

「セロテープかマスキングテープを頂けませんか?」

「いいけど、どうして?」

「転弧の“個性”を制御できるものがあれば、生活できると思って」

「ああ、なるほど。……ちょっと待っててね」

「はい」

 

 黙ったまま席に座って、冷たい麦茶が入ったコップを手に取らない弟に貼る前に、まず自分で試す。

 セロテープは粘着力が強く、剥がす時に痛みが伴う。切る時の台もいるし、重くて持ち運びには不向きだ。マスキングテープは簡単に破れるが、粘着力が弱くて心(もと)ない。他に何かないか居間を見渡していく中で、救急箱が視界に入った。ガーゼとテープだとかさばり、覆うまでに時間がかかる。他に手軽で、数があるものは……。

 

「……あ。絆創膏。絆創膏、ふたつ下さい」

「ん? あ、はい。どうぞ」

 

 絆創膏を頂き、フィルムを剥がして人差し指に貼ってから、水に濡れたままで親指を覆っているガーゼを剥がし、さっき洗面所で使ったタオルで指先の水分を拭き取っていった。それから居間に戻って、コップを持つよう提案する。

 

「大丈夫。病院の紙コップ、壊れなかったでしょう?」

「……うん。……!」

 

 おそるおそる利き手でコップに五本指で触れた後、ガラスが壊れなかったことが信じられないと言いたげに、黒から赤に変色した瞳が、昨日の昼以来初めて輝き、喜色満面な表情で転弧が自分を見上げた。沈んだ表情から一転し、驚いてしばらく呆気に取られているのを気に止めず、両手でコップを持ち、ゴクゴクと音を立てて麦茶を勢い良く飲んでいく様子を眺めていると、また裾を引っ張られる感覚がする。

 

「……いつき姉ちゃん。大丈夫?」

「うん。大丈夫。ボーッとしてただけ」

「樹ちゃん。転弧君。客間空いてるから、好きに使ってね」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 

 改めて、帰宅した飯豊家の子供や大黒柱に対して挨拶し、治療費を後日遺産から支払うことを条件に立て替えて頂いた。

 

 

 翌朝の水曜日。

 あたし達のために高校を休んだ長男の喜明さんに言われて、昨夜受診した総合病院の形成外科を受診し、局所麻酔で縫合手術を受け、2週間後に抜糸すると医師に言われた。精神科に受診した結果、弟は心的外傷後ストレス障害──PTSDと、それに伴う記憶障害だと診断され、姉であるあたしも今は安定しているように見えてるが、『念のために』と気分安定剤を各自1ヵ月分下さった。さらに、売店で昼食を挟み、“個性”把握検査を受けて、弟の“個性”が発現している事を確認し、唯一の肉親になった自分の話から、発動型の『崩壊』と名付けられる。

 1日で3つの科を梯子して、会計の待ち時間に警察署から電話があり、午後から聞き取り捜査のために出向けるか問われ、それに承諾する。帰路につく途中で、葬儀に向けて大型店舗の服屋でなるべく黒い服や靴を選び、レシートを借りてノートに出費の内訳を書き出し、いつか現金としてお小遣いの中から返そうと計画を立てる最中、自宅前の規制テープが解除された。

 貸して下さった軍手をつけてすぐさま中に入り、瓦礫の中から、自分の机の引き出しの一つを解錠して、貴重品と充電器。転弧が大事にしているヒーロー関連の物が入ったスーツケースを、クローゼットから力任せに先に出す。引き返して、5人分の身分証明書や、母が管理していた自分達の診察券と健康保険証が入ったカードケース。皮膚科でもらった転弧の薬をなんとか見つけ出し、玄関アプローチの中間地点で待機している転弧の方向を見ると、口を開けて呆けている。そういえば、スーツケースを運び出した時も同じ表情をしていたが、頭の中がやるべき事で一杯で気づかなかった。

 

「……転弧。さっきからどうした?」

「……い、いつき姉ちゃんの“個性”って、他の物も浮かべられるの?」

「? ううん。自分だけだけど」

「じゃあ、別の“個性”?」

「え?」

 

 弟の言葉に疑問を懐き、彼が遠慮がちに指差す先には頭上に瓦礫が文字通り浮かんでいた。

 真っ先に頭に浮かんだ言葉は、念動力だった。

 

「いつき姉ちゃん!!」

「っ!?」

 

 強く腕を引っ張られた直後、ほぼ転ぶように駆け、背後で瓦礫が落ちる轟音が響いた。怪我は無いか心配して問いかける弟に対し、ただ『大丈夫だ』と答えながら、今は自分の事は頭の隅にやる。

 

「……助けてくれてありがとう。転弧は、あたしのヒーローだ」

「ヒーロー……?」

「うん。今、あたしの命を救ってくれた、立派なヒーローだよ」

 

 しばらく驚いて沈黙し、やがて、言葉の意味を理解した弟が、照れくさそうにはにかむ。

 その幸せそうに微笑む様子を初めて見たあたしは、彼がなりたかったのは、ヒーローだったと思い出した。

 そして、守りたい笑顔が目の前にある事を実感して、それまで張っていた糸が切れたように気が抜け、ぼろぼろと涙が溢れて数年ぶりに泣いてしまった。




 飯豊家 志村家の道向かいの家族

 明臣 45歳。飯豊家の大黒柱。
  200年続く会社の経営者。ホワイト企業
  異形型や不遇の人を積極的に雇用している。

 光代 43歳。夫の会社の経理担当。

 喜明 16歳。長男。高校1年生

 光音 13歳。長女。中学1年生

 茂臣 10歳。次男。小学4年生

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