手紙に添えられた地図を頼りに、神奈川県横浜市にある一軒家に行くと、眼前に、立派な門構えの日本家屋が建っていた。
景観を守るためだろうか。
呼び鈴は無く、緊張しながら戸を叩くと、しばらくして一人の男性が応対に出てきた。
「どちら様ですか?」
「あ、分倍河原です。先週、志村樹ちゃんに手紙をもらいまして。転弧君ともお会いしました」
「ああ。あなたが…。雪之丞です。どうぞ上がって下さい。話は二人から聞いてます」
「え…。…えっと。…お邪魔します」
庭も日本庭園を象徴する松や楓があって、玄関を潜るとこちらも和で統一されており、呆気にとられつつ、玄関を上がって洋室に通される。その間に、子供達の声が聞こえてきて、団欒を邪魔したんじゃないかと思った。だが、特に気にされる様子はなく、革製の椅子に座るよう勧められ、一言断りを入れて座る。
「…それで、分倍河原さんは、これからどうしたいんですか?」
「できれば働きたいです」
「そうですか。…中卒じゃ厳しいけど、良ければ、ひとつ提案してもいいですか?」
「え…? はい」
「私が分倍河原さんの保護者になって、横浜に引っ越して、働きながら高校に通うという方法がありますが、いかがでしょう?」
「……は?」
誰が、俺の保護者になるって?
聞こえはした。意味も解った。
でも、驚きと突然の事ですぐに信じられなくて、思わず聞き返してしまった。それでも害する事はなく、もう一度言って下さる。
「私が保護者になりますよ」
「それは理解できますが、初対面の人にですか?」
「困った時は助け合うものでしょう? これも何かの縁ですからね」
「…ありがとうございます」
「どういたしまして」
樹ちゃんと転弧君が繋げてくれた縁で、俺は後ろ盾を得たらしい。二人には一生頭が上がらないな。
一段落した時、扉をコンコンと叩く音がして、彼が入室の許可を出し、女性が、茶菓子と緑茶が注がれた湯呑みを丸盆に載せてやって来た。
「ありがとう。琴音」
「どうぞごゆっくり」
女性が出て行ってから連絡先を交換し、名刺を頂いてから野宿している場所を地図に書き起こし、この家の住所を教えてもらい、恩人の二人の事について話していくと、どうやら隣接する離れに住んでいるらしい。
「樹ちゃんと転弧君に会っていきます?」
「え。いいんですか?」
「いいですよ。分倍河原さんの恩人ですから」
茶菓子を完食し、緑茶を完飲してから、応接間となる洋室を出て玄関で靴を履き、これまた立派な離れに足を向ける。雪之丞さんが玄関を叩くと、しばらくして樹ちゃんが応対に出て、俺の顔を見て笑顔になり、居間にいる転弧君を呼んだ。
「雪おじさん。10時半になったら、仁君連れて、お爺ちゃんとネットカフェに行ってきます」
「行ってらっしゃい。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「ありがとうございます。雪之丞さん」
一礼して彼と別れ、離れの居間へ幼い二人に招かれて上がり、居間で緑茶とおかきを振る舞われる。
そして、先月、大叔母に引き取られたとは思えないほど、二人共性格が明るく、こちらも肩の力が抜けた。しかし、樹ちゃんは行儀の良さが抜けず、まだ俺と敬語で話している。転弧君のようにタメ口で話すには時間がかかりそうだが、しばらくはこのままでいこう。
「どうでしたか? 雪おじさんは」
「良い人だよ。保護者になってもらえるみたいだから、これから引っ越しの準備をするよ」
「どこに引っ越すの?」
「横浜のどこかかな」
そう言いつつ、横浜に土地勘が無いから、まずは谷藤家が住む磯子区にしようと決め、そこからアパートと夜間学校に通うつもりでいる。
「仁兄ちゃんの“個性”ってある?」
「あるよ。2倍で、物とか人を増やせるんだ」
「僕も増やせる?」
「うーん。やった事ないけど、巻き尺があればたぶんできると思う」
転弧君が目を輝かせ、樹ちゃんが意気揚々と居間から出る直前に、ちゃんと注意点を話す。
「あ。俺の“個性”を解除するには、増やした“個性”に骨折くらいのダメージがなきゃいけないし、その後は泥になるから、家が汚れちまう」
「使わなきゃ衰えますよ。“個性”は、身体機能の延長ですから。…あ。これ、仁君にあげます。これから、何かと必要になってくるでしょう? ノートと、ボールペンと修正テープと、筆箱」
「何から何まで、本当にありがとうな」
プレゼントの袋を受け取って、“個性”の話で先週の事を思い出し、この流れで尋ねてみた。
「先週の樹ちゃんのあれ、“個性”だったの?」
「はい。
「施設?」
「彦根市の山沿いにある異能力支援施設の一つで、二人共強い“個性”だから、日常的に使って感覚を覚えなきゃいけないって、病院の先生に言われました。水曜日に見学に行きましたけど、研究所も兼ねてる大きな施設で良かったです」
良かったとは言っても、先月引っ越したばかりじゃないか。
そう言いたいが、二人はすでに納得して意気込みもあり、水を差すのも良くないと黙って茶を飲む。
「そこで訓練したら、最短でヒーローになる夢に近づける。それなら早いほうが良いって、転弧と話し合ったんです」
「僕達、二人でヒーローになるんだよ」
夢があって眩しいと思う反面、自分も恩返しするために働きながら。夜間学校に通いながら、見つけられるだろうかと考えこんで茶菓子を食べ終わる頃には、10時35分になっていた。
5分遅れで玄関に向かうと、すでにお爺さんが母屋の外で待っていた。謝罪する俺達に対し、笑って許して下さった。
「大丈夫。5分なんて誤差だよ。はじめまして。二人の大叔父の、雄之助です」
「分倍河原仁です。はじめまして。二人にはお世話になっております」
「そっか。役に立ったようで良かったです。じゃあ、行きましょうか」
「はい」
谷藤家から徒歩で快活クラブ磯子駅前店の2階に向かい、受付で入会し、3時間パックを選び、合算した料金を支払う。シニア割引の谷藤家と別れて部屋に移動し、荷物を置いてから、パソコンと向き合う椅子に座った。
樹ちゃんから贈られたばかりの袋を開け、必要な事を書き出す準備を整えた。
自分の貯蓄は、銀行や郵便局に預けてある以外で、財布の中にある手持ちの4000円強だけ。
ホームズで、磯子駅から徒歩20分。敷金と礼金が無いアパートを複数選ぶついでに入居可能な時期も調べる。他のサイトで、不動産を訪ねるのは平日が良いとあり、それは明日にして、仲介している不動産の名前と住所。行き方を検索する。
夜間学校は、磯子区の工業高校が定時制をやってて、そこで工業技術も学べるらしく、自分の“個性”の手助けになればと選択した。来年入学するとして、願書提出や入試まであと3ヵ月になっており、勉強も含めるともう時間が無い。帰りに参考書を買おうと決意する。
そして、雪之丞さんの会社は中卒を募集しているものの、俺は普通免許を持っておらず、彼が『働きながら夜間学校に通ったほうがいい』と言った意味を理解した。タウンワークでバイトを探して、複数の候補を書き連ねていき、神奈川県の地方銀行も探して、最も店舗数が多い横浜銀行の新規口座開設も考えておいた。
「こんなもんか…」
一段落ついてスマホの時刻を見ると、利用してから30分が経過し、腹がすいてきたのと、久しぶりに漫画でも読もうと思って部屋を出る。漫画を選んで読んでいるうちに12時を少し過ぎた事に気付き、ドリンクついでに昼食を選んだ。ポテトサラダが付いたヒレカツと焼売ランチを食べた後は、一人のんびり2時間過ごしていく。
「仁兄ちゃん。どうだった?」
「久しぶりにのんびりできたよ」
「良かったね」
「仁君。いつでも遊びに来て下さい」
「ああ」
「ここに来る前、雪之丞と話してたんだけどね。いつ分倍河原君を迎えに行こうか? 荷物あるでしょう?」
「え。大丈夫ですよ。引っ越すまで野宿してます」
「いや、そういうわけにもいかないよ。弱い立場の者を狙うチンピラや
「うーん……。じゃあ、10月31日にお願いします」
「わかった。息子に伝えておくよ。これ、僕の連絡先」
「ありがとうございます」
「いつ不動産に行くか決めた?」
「はい。明日行こうかと」
「そっか。説明の時に保護者がいるかな? 平日となると、雪の仕事帰りになるけど大丈夫?」
「大丈夫です。こちらは構いません」
「わかった。その帰りに、君を送るよ。夜道は危ないから」
念を押され、一理ある事もあってご厚意を受け入れ、雪之丞さんの仕事帰りに合わせて不動産に行く事に決めた。
厚意を受け入れてから1週間の間に、俺は荷物の整理と、引っ越しに必要な手続き。住居の確保に奔走し、無事に10月31日を迎える事ができた。
「おはよう。分倍河原君」
「おはようございます。雪之丞さん」
荷物を雪之丞さんの車に積み込み、助手席に乗り、一路横浜を目指す。
「1週間お世話になります」
「こちらこそ、よろしく。二人が喜ぶ」
来月中旬に引っ越しをするまで、俺は谷藤家の離れ。つまり、幼い二人と同じ屋根の下で暮らし、転弧君と合部屋で過ごす事になった。
内閣府特務機関異能力支援研究局
ある小さな組織が廃村を複数買い取り、後から国が支援した。
研究本部は、静岡県浜松市の奥地。
統括本部や作戦本部。情報本部や技術本部は、別の場所にある。