改稿
文体を40話前後の書き方に統一しました。
東京競馬場は、異様などよめきに包まれていた。
レース中、先頭争いをしていた馬が一頭突然つんのめるように転倒してそれに後続が突っ込み、大事故となった。
レースは中止となり、未だに再開のめどが立っていない。
一部の観客は帰りだし、場内は先ほどの事故の話と怒声に満ちていた。
事故のあった場所に救急車が到着し、倒れている騎手達が運び出される。
地面に転がったままもがき続けていた当のウマの周りに、ブルーシートが張り巡らされ、観客から隠された。
「あ~、予後不良確定か。」
「ラベノシルフィー、これからって時にな。」
周りから残念そうな声が聞こえる。
東京競馬場に来て観客席に紛れ込んでいる俺は、実は競馬を知らない。
このレースがなんていう名称なのか、転倒した馬がなんていう名前なのかも知らなかった。
昨年リリースされたスマホアプリゲームの通称ウマ娘、『ウマ娘プリティーダービー』にはまって、競馬というものにちょっと興味を持った。
たまたま住んでいる近くに競馬場があったので一度くらいは見ておこうと珍しくとれた休みにこうしてバイクでやって来ただけだ。
今の聞こえてきた話では、転倒した馬はラベノシルフィーというらしい。
白い毛色の小柄な馬で、ずっと先頭集団にくらいついて最後はじりじりと追い抜きをかけトップに立とうとしていた。
このままトップに立つか、という矢先の出来事だった。
予後不良、というのは知っている。
馬の怪我がひどくて回復の見込みがないということだ。
あのブルーシートの裏では安楽死処置がなされて運び出されるらしい。
救急搬送された騎手の人もピクリとも動いていなかったが大丈夫なのだろうか。
よりにもよって、生まれて初めての競馬観戦で最悪な大事故に立ち会ってしまった。
しかも、100円だけ買った単勝馬券は見ればその転倒したラベノシルフィーのものだ。
あまりの運と間の悪さにこれ以上観戦する気も失せて、俺は場外のコインパーキングに向かった。
駐車料金の精算を済ませ、バイクにまたがりエンジンをかける。
ここのところ仕事が忙しくて数か月単位で放置していた赤いカワサキ GPZ900R Ninja。
昔の映画、トップガンで主人公が乗っていて人気爆発したバイクだ。
当時の世界最速市販車も今となっては旧車扱いだが、大型二輪免許を取ってからこの方、自分で整備をしながらずっと乗っている。
こいつとは10年以上の付き合いだ。
エンジンは水温も上がり切っておらず、チョークを戻すとズォッ、ズォッと脈動がひどくなる。
しかし、市街地でこのうるさいエンジン音を響かせて長く暖気するのも気が引けるので、俺は早々に走り出した。
東京競馬場の周りを、幹線道路沿いにぐるりと走って風景を目に収めておこうと流して走る。
たぶん、競馬場に自ら来ることはもうない。
正門近くの交差点を通った時、交差点の片隅に交番よりも小さな、コンクリートの四角い建物が目に付いた。
警備員の詰め所か何かだろうか。
そう思った瞬間、周囲の風景が一段色褪せて動きを止める。
突然の静寂。
先ほどまでヘルメットの中に聞こえていた風を切る音も、バイクのエンジン音さえ聞こえない。
自分の呼吸音と耳元で心臓の拍動に合わせて血の巡るわずかな音のみの空間。
「馬霊塔だよ。」
突然、耳元でそんな声がした。
「ヒトの為に働いて死んでいった馬の為の慰霊塔さ。」
声のした方へ首を回したが、当然そんなところには誰もいない。
視線を戻すと、バイクのタンクにまたがるように、黒い人形のようなものが座っていた。
シルクハットを頭にのせ、古めかしいデザインの燕尾服をまとった、赤ちゃんをようやく脱したくらいの大きさの幼児。
その幼児は、くいくいと帽子の位置を直して言った。
「驚かせて済まないね。
はじめまして、ミスター志島。
短い付き合いになるだろうが、よろしく。」
志島?志島と言ったか?
なぜこの妙な幼児は俺の名を知っている?
いつの間にこのタンクの上に乗った?
バイクはなぜ動かない?
いや、なぜ世界が動いていない?!
アクセルをかけようがブレーキを握ろうが、バイクは何も反応してくれない。
それどころか走ってすらいない。
俺とこの妙な幼児を乗せたまま、バイク型の彫像が地面に固定されているように垂直に立ったままだった。
「ミスター志島?」
クリンと首を傾けて、黒い目をした幼児が俺の顔をのぞき込む。
人ではあり得ないその瞳孔。
横長の長方形のその瞳孔は、ヤギの、いや悪魔のそれを連想させた。
世界が止まる異常事態。
いるはずのない悪魔のような瞳をした幼児。
何かに全身を絡み取られたような感覚に陥った俺は、この状況から逃げ出す術はないかと辺りを必死で見まわした。
正面に赤信号。
右手には交差点の半ばにまで入り込んでる直進車。
止まった世界の中で確認できたのは、俺がすでに詰んでいる、ということだった。
どうやら俺は、妙な建物に目を奪われてよそ見をしているうちに、信号無視で交差点に突っ込んでしまっていたらしい。
「志島くーん。無視しないでくれよー。」
馴れ馴れしく幼児が俺を呼ぶ。
そうか、そうかよ。
俺は一人納得した。
これは、死ぬ間際の走馬灯。
俺は知らず知らずのうちに死を認識した脳みそが、生き残りをかけてフル回転している、知覚が異常に引き延ばされた瞬間にいるのだ、と。
その最後の瞬間に、過去を振り返ることもなく、妙な幼児の幻覚を見て焦るだけとは。
いや、この幼児は死神なのかもしれないな。
目玉なんか真っ黒くてヤギみたいな瞳孔してて悪魔っぽいし。
どっちみち終わってるのか、と納得してしまうと、諦観からか、冷静さというものが戻ってくる。
やけっぱち、というものかもしれないが。
「死神じゃないよ。
まー神様と言われはするけど。」
この幼児、心を読んだかのように返事をしやがった。
やはりこいつは俺の脳みそが作り出した幻なんだろう。
俺はなんとなく、その幻と会話をしてみる気になった。
「心を読むなよ。
今際のキワに出てくる神なんざ死神に決まってる。」
ケッ!と吐き捨てるように言うと、幻の幼児はニヤッと笑って、あれだ、西洋人がこれはこれはお嬢様、なんてシーンでよくやるボウ&スクレープとかいう礼をしやがった。
「やぁ、やっと話してくれる気になったんだね。
改めまして、ボクはゴド。
ちょっとこっちにスカウトに出張って来たんだけどね。
駄々こねられちゃって来てもらえなくなっちゃったんだ。
失意のまま帰る途中さ。」
お手上げなんだよね、と言った風で両手を開いておどけてみせるゴドを名乗る幼児。
「ご丁寧にどうも。
俺は志島弘、今まさに死のうとしてるしがないエンジニアだ。
小さな死神さんはあれか?
取り損ねた魂の代わりに俺を連れて行こうとしてるのか?」
「That's right!
キミを連れて行こうかなって言うのは正解だ。
察しが良くて助かるね!」
皮肉を言ったつもりだが肯定されてしまった。
「やっぱ死神じゃねえか・・・」
頭痛が痛いとはこのことか。
俺は頭を抱えた。
「ははは、さっきも言った通りボクは死神じゃないんだけどね。
単刀直入に言おうか。
ボクはキミの身も心も欲しい。
キミはもうこの世界で生きる時間がない。
ボクは連れて帰るべき魂をスカウトし損ねてしまった。
キミはまだ死にたくないと願い、ボクはキミを生かす術を知っている。
スカウトし損ねた魂の代わりにキミを生かすことができる。
どうだい?
少しは興味を持ってもらえたかい?」
「死神じゃなきゃやっぱ悪魔の類だろ。
しかも身も心もっておまえ・・・悪魔にしても強欲すぎねぇか?」
「失礼な!これでも三女神の一柱なんだが?」
「お前女神なのかよ・・・」
ちんちくりんな男装の自称女神がバイクのタンクの上でパタパタと足を振ってぷりぷり怒ってみせている姿は実にシュールだ。
「スカウトする予定だった子の身体の設計はもう終わっていたんだけどね。
肝心のその魂が輪廻に疲れ切って、消滅を選んでしまったんだ。
目の前でもう嫌だって泡となって消滅されちゃってね。
焦ったよ。」
ひょい、と自称女神はタンクから飛び上がって空中に留まり、俺に顔をずい、と突き出して言った。
「このまま時が動き出せば、キミのこの世界での存在は今ここで終わる。
けど、僕との取引に乗ってくれるなら、キミの心の奥底にある渇望を満たす人生を約束しようじゃないか!
キミの魂のありようは、ボクの設計した身体にぴったりなんだ!
ボクは設計した身体を無駄にせずに済むし、キミは素晴らしい新たな人生を得る!
ああ、なんて素晴らしい提案!
キミは世界一運がいい!」
一人陶酔して言葉を紡ぎ続けるこのゴドとか言う自称女神。
私の仲間になれば世界の半分をくれてやろう、というゲームの中の魔王と同じ匂いしかしねぇ。
うさん臭さMAXってやつだ。
「う~ん、まだ決断できない?
なら出血大サービス!
若く、健康な身体プラス、今君がここに手にしているものの持ち込みをできるだけ手配しよう!
世界が違うから、まるっきりそのままではないけどね。」
ほら、後付けで話が変わってきた。
生まれ変わりって話が、世界が違う、なんて話が追加された。
走馬灯だか夢だか知らないが、いいだろう、話に付き合ってやる。
「こいつもか。」
ポンポンとバイクのタンクを叩く。
10年以上乗ってる大事な相棒だ。
「もちろん。『それは大事なキミの渇望の代用品だろう?』」
『渇望の代用品』
それを聞いた瞬間、無意識を切り裂いて幼いころから抱え続けていたコンプレックスを掘り起こされる。
・・・そうだ。
俺がバイクに乗る理由。
生まれてからずっと入退院を繰り返した幼年期。
あまりの入院の多さにもう病室を一部屋借り切ってしまえとまで言われた脆弱な身体。
身体の基礎体力の根本を育てるべき時期に、全く身体を動かせなかったが故の超絶的な運動音痴。
運動能力の高さがそのままカーストになる小学校ではその最底辺。
中学生になっても逆上がり一つできない腕力。
気の強さだけでいじめられても反撃はしたものの、1度も勝てなかった少年期。
第二次成長期を迎え、急激に伸びた身長と腕力でようやく人並みには追いついたものの、どこか脚の遅さで誰にも勝てなかったというのはコンプレックスとしていつも心の奥底で燻っていた。
高校生の時、近所にバイク屋ができた。
しょっちゅう、うるさいエンジン音がして、親は嫌っていたが、アクセルひとひねりで加速し、乗っている人間の動きで車体を傾けてカーブを曲がっていくバイクの姿は俺を魅了した。
つい、免許もないのにバイク屋の扉を叩いてしまった。
バイク屋のおやじは、どこか頭のネジが飛んでいたのだろう。
無免許の俺にエンジンをかけたスクーターを持ってきて言った。
「乗ってみろよ。」
俺は、乗ってしまった。
バイクは魔性の乗り物だ。
一旦またがって、アクセルをひねってしまえば、取り憑かれる。
そこからだ、人生が狂ったのは。
免許取得費用とバイクを買うために高校生活のほとんどをバイトに明け暮れ、成績は落ち、かろうじて入った3流大学でも生活の中心はバイクバイクバイク。
そして大学の専攻とは全く関係ないバイクパーツの設計開発を請け負う会社に就職し、今の今まで、だらだらとバイクに関わる生活を続けた。
そのバイクにより、俺は今死のうとしている。
バイクに侵食された人生。
なぜ俺はバイクに乗ろうと思った?
いったい何に憧れ、何を求めてバイクに乗った?
息が詰まる。
言葉が出ない。
虚弱な身体の代用品。
速く走るための道具。
もし・・・もしも、生まれたときから健康で人並みに体力があって、自分の足で走れていたら?
「ねえミスター志島。
虚弱な身体に生まれなければ、
オートバイに狂うこともなく
こうして競馬場に来ることもなく
人生をここで終えることもなかった。
でもボクは、それをやり直させてあげることができる。
キミを新しい世界に送ってあげよう。」
彼女の顔が真正面から俺を見つめていた。
シルクハットに手をかけ、脱ぐ。
癖のある黒髪の上に、ひょこりと立つ馬の耳。
どこに隠していたのか、彼女の足よりも長い尻尾がふわりと揺れて垂れた。
「・・・三女神ってウマ娘のかよ・・・死ぬ前の妄想にしちゃ出来過ぎだ・・・」
「理解が早くて助かるよ。」
「俺は、その世界で何をさせられるんだ?魂の代わりってまさか・・・」
今日、競馬場で散っていった馬の姿が頭をよぎる。
「そうさ。
お・ま・え・が!
ウ・マ・娘・に!
な・る・ん・だ・よ!」
ぱかっと一瞬で足元に穴が開く。
ボッシュートで~す!
そんな某TV番組のシーンが脳裏に浮かぶ。
俺は、愛車と共に、暗い奈落の闇の中に落ちていった。