カフェのお友達に遊ばれた後始末をしようとしたら、さっき揚げドーナツをくれた男性が、もうコックコートも脱いで帰るところだろうに、お客さんにそんなことはさせられないと片付け仕事を奪われてしまった。
なんていい人なんだ・・・
ごめん、お任せするよ。
ちょっと早いが、たづなさんのいる理事長室に向かうことにする。
ノックして入ると、理事長はもう帰宅されて理事長室にいなかった。
管理職の者が残っていると下の者が帰れなくなるから、特に残業の必要がない時はさっさと帰るそうだ。
管理職の鏡だね。
最近は若い人たちは、お給料上がらないならサビ残とかなくしてプライベート時間増やして!って言う人多いから、理解ある理事長って評価上がるんじゃないかな。
たづなさんは、理事長の帰った後の理事長の机をゆっくり拭いてる。
こういう一枚板を贅沢に使った重厚な執務机は艶が命だ。
埃が積もってたり蜘蛛の巣が張ってたりすると見た人に舐められる。
まして理事長はあのなりだから、その辺かなり苦労しているだろう。
と、昼にご飯を食べたテーブルの上に見慣れた俺のバイクの鍵と、どこか歪なドアのノブが載ってる・・・バレテーラ。
「・・・緊急事態だったみたいなので深くは追及しませんが次からは気を付けてくださいね。」
こっちを見ずに、拭き掃除を続けたまま後ろ姿で放たれるたづなさんの言葉の威圧感、効果は抜群だ!
ハイ・・・とバイクの鍵をポケットにしまう。
一通り終わったのか、たづなさんがバケツと雑巾を片して、ハンガーからポーチとケープを外して羽織った。
帰るらしい。
「ちょっと早く終わりました。タクシー呼びますね。」
ポチポチとスマホを操作する。
電気を消して扉の鍵をかけ、俺たちは外に出た。
基本管理職だからか、たづなさんにタイムカードとかはないらしい。
その分管理職は必要とあらばサビ残なんて生温い無限お仕事地獄が待っていることがあるのだが。
会社の仕事内容によっては、管理職=過労死確定みたいなところもあるので、トレセン学園は理事長筆頭にホワイト企業であろうとしているようだ。
そのまま職員通用口から出ると、ロータリーにはもうタクシーが待っていた。
でっぷりと太った首と顎の境目のないタクシーの運ちゃんが、上半身ベストの制服姿でロータリーの石柱に寄りかかって電子タバコをふかしている。
太ってはいるが、クマ男のようにあご全体を覆う髭はきれいに切りそろえられ不潔感はない。
「早いですね、また近くを流していたんですか?」
「おう、嬢ちゃんがそろそろ乗るころだと思ってよ。」
たづなさんの顔見知りの運ちゃんらしい。
既に開いているドアに、たづなさんが滑り込む。
「珍しいな、連れがいるのかい。」
「ええ、ちょっと預かることになりまして。」
「ふ~ん、嬢ちゃんもまあ乗りな。」
俺が乗り込むと、意外にも丁寧に手でドアが閉められ、運ちゃんが乗り込む。
あれだけ体重が重そうな身体なのに、乗り込んだ時もタクシーが揺れない。
思った以上にプロだぞこの運ちゃん。
ピピっと、タクシーメーターが起動してタクシーが走り出す。
たづなさんは行先も何も指定しない。
加速も減速も、乗っている俺たちの頭が揺すられない様すごく丁寧な運転だ。
タクシーは学園を出ると、すぐに坂を上り始めた。
10分ほど走っただろうか。
ちょっと大きめのホテルのような建物の屋根付きのロータリーでタクシーは止まった。
先にタクシーを降りる。
枯れた植物が一本も見当たらない園芸植物に、地面に埋められた発光パネル。
車の他に歩行者の動線が安全優先で確保されたバリアフリーの歩行者通路。
見上げると、夜空に溶け込んで最上階が見えないマンション本棟。
・・・・・
・・・
・
億ションだこれ。
目の前には一面表面を水が流れるアクアウォールに囲まれたロビーを持つ、高層高級マンションが聳え立っていた。
最近の屋外インテリアで、噴水やアクアウォールなどの水系のものを持つビルは本当に少ない。
維持管理にものすごく金がかかるからだ。
夏場などちょっと放置すればコケであっという間に汚くなるし、水をケチって循環させるとろ過が甘ければすぐに水が腐る。
バブルの頃に建てられた建築物で、今もこういった屋外インテリアが稼働し続けているのはまれだ。
そして、ライトアップに使われているライト。
全てが電球色で統一され、点滅したり紫や青などに光っているものが全く見当たらない。
ほとんどが間接照明で直接光源が目に入らないように配慮されている。
ロビーへの入り口のところのみ、両脇にヨーロッパのガスランプを模した電灯がついているのだが、その中に見える電球は電球型蛍光灯でもLEDでもなく、まぎれもない透明なガラスの白熱電球だ。
以前会社の社長に言われたことがある。
LEDで青だ、白だと派手で最新のもの追っかけている奴は田舎者だ、明るくも暗くもなく、オレンジの光を使うために、本物の電球を使ってる連中は、マジもんのセレブなことが多いからイキると大恥かくぞ、と。
まさにこれじゃねえか!
精算を終わらせて、たづなさんがタクシーから降りてロビーに向かったので慌てて追いかける。
ロビーの中もこれがマンション?と驚くものだった。
つやつやに磨かれたクリームの大理石の床に、アクセントに御影石を配置した柱や壁。
足音を聞くに、プラスチックの人工大理石じゃない、本物だ。
どこの体育館だよと言いたくなるほど高い天井の吹き抜け。
そんな広い空間が、何に使われるでもなく、ただ観葉植物や数脚のソファーを置くためだけに使われている。
奥の方には、見たことのないブランドのコンビニらしきものと銀行ATMコーナー、クリーニングの受付け。
少し離れたところにある地階へのエスカレーターには、スーパーマーケットと喫茶店、スイーツ店舗なんかの案内が出ている。
2Fには、ヘアサロンとネイル、歯医者なんかがテナントとして入っているらしい。
ロビーを入って真正面には、ちょっとしたカウンターがあって、コンシェルジュが常駐している。
その脇にある自動ドアが、たぶんこのマンションの居住階への入り口だろう。
自動ドアの上下をぐるっと囲むように枠がついているから、たぶんかなり強固なセキュリティがついている。
人の目と機械による侵入者排除。
これだけでも相当なコストだろうに。
「ちょっとご飯買っていきましょうか。」
たづなさんがコンビニに向かうのでついていく。
入ったコンビニも、普通じゃない。
どこの成城岩井だよ!ってレベルの品物しか置いてない。
ご飯、というのでお弁当コーナーに行ったら、デパ地下の有名デリかここは!って言うようなお高いパッケージしか置いてなかった。
おにぎり一個500円、サンドイッチで1000円。いかにもお弁当って形のプレートセットみたいなので軽く2000円超え。
ウマ娘用のやたらと量が多そうな箱入りのランチパックは4000円近くする。
そんなのを値段を気にすることもなく、ポンポンとかごに放り込んでいくたづなさん。
「・・・ちょっとATMに寄ってきますね。」
急激に財布の中身が心配になった俺はコンビニの中のATMに駆け寄った。
使えてくれよ~
祈るような気持ちで、ラベノシルフィー名義の変な銀行名に変わったキャッシュカードを突っ込み、残高照会をかける。
ちょっと焦っていて、タッチパネルに触れる際、力加減を意識するのを忘れていた。
タッチパネルを割りましたとかシャレにならない。
こういうの、交換に平気で50万とかかかるからな。
あぶないあぶない。
暗証番号は・・・通った。
四井・・・・・700万
四菱・・・・・900万
ゆうちょ・・・1000万
ほぼ記憶にある残高と一緒だ。
独り身で安アパート住まいでろくな趣味もなく、休日も少なければ仕事まみれ、そんな生活をしていれば貯金はこんなもんだ。
同じ職場でも、彼女がいる奴は・・・いつもピーピーだったけどな。
見栄には金がかかる。
貯金がウマ娘世界にそのまま持ち込めたことに少し安堵して、一つの口座から限界額の20万円を下ろす。
手数料が200円引かれた。ガッデム!
何故そんな額を下ろしたかと言えば、主に服。
着替えが、ヒシアマさんに渡されたこの学園ジャージしかないので何か早急に買わなければ。
って、下着!
今日着替える下着がない!
見回すと、日用雑貨コーナーのあたりに下着らしきものが陳列されているのでそちらに向かう。
ランニングと、トランクスを手に取ってハタと気付いた。
今俺女だった・・・
そっと隣の女性ものに目をやると、黒のカットが際どいアダルティなやつと、ベージュのお腹まで覆える婆ショーツ。
ウマ娘用の尻尾穴、ダイヤカット付きのがあるのはいいけれど、サイズがわからない。
え~あ~う~と悩んでいると、
「とりあえず、スポーツブラとショーツのMでいいと思いますよ?」
といつの間にか横に来ていたたづなさんがもうポイポイと黒の下着をかごに放り込んでいった。
傷パッチや包帯なんかも在庫がなくなる勢いで。
食料品や衣類で山盛りになったかごを、レジで精算する時に、たづなさんが出していた黒いクレジットカード・・・
いや、久しぶりに見たよ、あれ持ってる人。
トレセン学園理事長秘書の経済力を垣間見た気がした。
ここでも書きましたが、日本が不景気になって、ホント噴水の類がまともに稼働してるのほとんど見なくなりましたね~
近所の市営公園の噴水が稼働してるの見たのって最期が10年くらい前かな~