初めてのステージでの歌い始めは、ある意味やけっぱちだった。
完全に頭がテンパって、身体を動かすのも忘れて、ただ歌詞を紡ぐことしかできなかった。
だけど、途中まで、歌って気づいた。
声が・・・出る?
男性特有の声変わり。
中学生くらいを境に、ものすごく狭くなってしまっていた声域。
カラオケに行っても、ほとんどの曲で高音についていけなくなる喉。
小学生の頃歌えていたアニメの曲も懐かしくは思っても歌いきれなくなっていた喉。
ウマ娘アプリで、新キャラを手にするたびに最初に見ていたライブ映像。
小さく、かすれた声で口ずさむことはできても、狭い声域の男の喉では決して歌いきることのかなわなかった女声の歌。
それが、普通に歌える。
歌いきることができる。
知らず知らずのうちに、腹に力が入った。
細かった声に、急激に張りと艶が乗る。
その声が、自分の喉から出ていることが、出せることがうれしい。
ここ数十年、歌になんて興味がなかった。
なのに突然湧いてきたこの歓喜はなんだ?!
最初から走れなかった脚と違い、歌えていたのを失ってまた取り戻せた。
忘れていた自分のものを取り戻した感覚は、思った以上に俺の心の根っこを揺さぶったらしい。
歌える!
楽しい!
こんなに声が出る!
頭がテンパっていたのが逆に良かったのだろうか。
人前で歌う、恥ずかしいなんて言う感情はすべて吹っ飛んで、歌える喜びだけが、全身を支配していた。
ウマ娘世界にこの身体で送り込まれてからずっと、この身体に振り回されてきた。
俺が、初めてこの身体に、ウマ娘の身体になって良かったと思った瞬間だった。
「・・・化けましたね。」
ステージの上の彼女が変わったのはすぐにわかった。
最初はおずおずと、BGMにかろうじてかき消されないくらいで歌っていた彼女の声が、途中から劇的に変化した。
スタジオホール全体に、生声が響き渡る。
それほどまでに声量が増し、何より、彼女が楽しそうに歌っていた。
尻込みしてばかりの情けない彼女はそこにはいなかった。
見ている人間が、一緒に歌いだしたくなる、そんな生気にあふれた歌声が、彼女から発せられていた。
「ああ、さっきまでの様子はいったい何だったんだってくらい化けたな。」
まるで別人だ。
長く歌の練習を重ねてきたとしても、ここまで歌えるウマ娘がどれだけいるか。
素直に、賞賛に値する。
・・・ダンスを忘れていなければ。
「こらー!ダンス忘れんなー!」
指導教官から叱咤の声が飛ぶ。
彼女は一瞬、あっという顔をしたが、すぐに腕でバッテンを作って歌い続けた。
「・・・振り付け憶えていないみたいですね。」
「しょうがねぇなあ・・・」
指導教官が、ステージ下でラベノシルフィーの前に立ち、踊り始める。
ラベノシルフィーもワンテンポ遅れて、とっ散らかりながらもその動きをトレースし始める。
二人して決めポーズを決め、曲が終わる。
「ワンモアセッ!」
指導教官の声とともに、すぐにまたイントロがスピーカーから流れ始めた。
・・・自分が、こんなに歌うのが好きだとは知らなかった。
僅かな曲間の休みに、考える。
声変わりして、好きだった曲を歌いきれなくなったのは、知らず知らずのうちに俺の心の奥底に鬱屈した何かとして溜まっていたらしい。
バイクが俺の唯一の趣味だと思い込んで三十余年も生きてきたが、俺は変声期で声が出なくなって、歌が歌いきれなくなったことを仕方がないことだと諦めきっていたんだろう。
そして、すっかり忘れていた。
ウマ娘にならなければ、自分が変声期で歌えなくなったことが実はこんなにも大きなことだったなんて知ることすらできなかった。
指導教官にお願いして、ステージ上で覚えてないダンスパートを続けてリードしてもらう。
俺も指導教官も、動きっぱなしで着ているジャージに汗染みが浮いてしまっているがそんなのお構いなしだ。
まだちょっと迷いはあるものの、通して踊れるようになったころに、ぽつぽつと、レッスン生が顔を見せ始めた。
レッスン生が来るまで、という約束の体験レッスンだ。
まだこの場所にいたい。
無意識に、ステージに上がる前だったら絶対に考えなかったことを考える。
しかし、曲は終盤もあとわずか。
楽器の余韻を残して、曲は終了してしまった。
ちょっと物足りなさを感じながらステージを降りようと足を踏み出す俺に、指導教官からの声がかかる。
「ワンモア!」
・・・まだ続けてもいいらしい。
同時に、ステージ下で待っていた4人ほどのレッスン生が、ステージに上がってきた。
「私たち、サブやるからよろしくね。」
見知らぬウマ娘たちが左右につく。
「私らはバックね~」
パチッとかわいくウィンクして、彼女らは後方へと小走りにかけていく。
サブあり、バックダンサーありの、ステージ練習が始まった。
サブと呼吸を合わせての演出は一人でステージ上を動き回っていたのとはまた違う。
お互いの位置関係、伸ばした手が当たらない間合いの取り方、動き始めのタイミング。
何度も手や体がぶつかりそうになり、移動のタイミングがずれてステージがストールする。
何度も練習を繰り返すうち、レッスン生が一人増え二人増え、気づいたときにはフルバックダンサーで踊っていた。
「ラスト!」
指導教官の指示が飛ぶ。
これが最後だ。
ジャージだったり、自前のダンス服だったり、服装はバラバラだけど、ずらりと並んだウマ娘たちが、俺の練習に付き合ってくれている。
今年入学したわけじゃない上級生は、もうこの曲を踊ることはほぼないだろうに。
中等部も、高等部も入り混じって、このステージに立ってくれていた。
自然と気合が入る。
数分後、ステージ下の観客の拍手を受けて、この楽しい練習は終わった。
正味3時間。
休むことなく歌って踊り続けた俺は、もう体力が残っていなかったらしい。
へにゃりと座り込んだら、もう足が言うことを聞かなかった。
ステージ下に陣取っていた髪に青いメッシュが入ったどこかで見たことのあるウマ娘が、こっちにニパっと笑いかけて立ち去った。
その晩、たづなさんは上機嫌だった。
「あなたが、あんなに楽しそうにしているのをはじめて見ました。」
・・・自分でも、今日まで歌を歌いきれるのがこんなに楽しいことだと理解していなかったんだ。
「こんな動画が出ていましたよ?」
と、ウマホを見せてくれる。
15秒程度の短いものだったけれど、とあるウマ娘のウマッターに『ヤバみバみの新人みっけ!』と、ステージの上の俺が媚び媚びなポーズで人差し指を立てて笑いかける瞬間の動画が投稿されていた。
ジージャダサカワイイ!ステージ衣装はよ!何年生?中等部?またゴルシか!などのコメントがずらずらと並んでいる。
イイネが4桁、リプライがもうすぐ4桁、リウマートが200を超えているのを見て、羞恥のあまり俺は悶絶した。
パリピ語は正直これで正しいのかわからないので、もっとふさわしいのがあったらよければ教えてください~