「まず、ジョギングくらいで身体を温めましょうか。」
タスタスタスタス・・・とテンポよく芝に足音を刻んで前を走り出すたづなさん。
たづなさん、ジョギングくらい、って言ったよね・・・
俺が走り出す前にもう結構な距離離されてるんですけど!
慌てて地面を蹴り出したら、追いつくどころか走り出すことすらできずにその場でコケた。
一歩も進むこともなく、蹴りだした脚の形に、芝をえぐって。
いつまでたっても追いついてこない俺に気づいてたづなさんが戻ってくる。
「あらら、びっくり転倒ですか。
何の準備もせずに急に走り出そうとするとそうやって滑って転びますから、慌てずに、加速はゆっくり、ですよ。」
びっくり転倒、なんて名前がついてるってことは、普通のウマ娘でも驚くとやらかすのかなこれ。
ちょっとバイクでの失敗を思い出す。
リッターバイクに初めて乗った時、小排気量車のつもりで回転を上げてスパッとクラッチを繋いだら、大パワーに負けたタイヤがその場で空転して転倒しそうになった。
ウマ娘のパワーで、靴底と芝の摩擦力を超えれば、そりゃ滑る。
バイクとウマ娘の身体という違いこそあれ、同じ失敗を繰り返すとは。
えぐれた芝を見てたづなさんが言う。
「蹄鉄のエッヂを立てるってわかりますか?
ベタ脚だと滑りますから、つま先をちょっと立てる感じで、蹄鉄のエッヂを地面に食い込ませて『掻く』んです。
無理についてこないでも、ゆっくりでいいですからね、行きますよ?」
またもやあっという間にその場から走り去るたづなさんを追いかけて、俺もゆっくり走りだす。
つま先を立てて、地面に食い込ませて地面を『掻く』。
・・・力加減、したつもりなんだけどなあ。
走る、という意識が先走り過ぎているかもしれない。
一歩目で、滑ることなく、ぐん、と思わぬ加速で景色が流れる。
次の一歩を想定して前に出していた脚が、思わぬ速さで地面を掻き、空滑りした。
次に前に出すはずの脚がまだ前に出ていない。
・・・つまり、今俺の両脚が後ろにある。
完全に脚をもつれさせた俺は、べちゃりと、またものの見事に転倒した。
プロテクター君、大活躍だ。
ダメだ、脚の回転自体がヒトのそれと違い過ぎる。
いきなり『走ろう』としても無理だ。
またしても戻って来たたづなさんにお願いする。
「ちょっと、早歩きくらいから徐々にスピード上げていっていいですかね?
ヒトの感覚と違い過ぎてまともに走るの難しそうです。」
「じゃぁ、ちょっと後ろからついていきますから、無理のない範囲で試してみてください。」
俺と違って汚れていい服装じゃないたづなさんは、俺の脚の掻くであろう泥の飛んでこない斜め後ろについた。
スピードを上げるよりも、脚をちゃんと前後に動かすことだけを意識して、ゆっくりと歩き出す。
徐々に、脚を交差させるテンポを速めていく。
たったそれだけで、自分の記憶の中にある、最高速のダッシュくらいの速さに、息を切らすこともなくあっという間にたどり着いた。
ヒトのダッシュの速度が、ちょっとした早歩き程度の負荷にしか感じられない。
そのまま、安定した速度で走れる状態を維持する。
同じスピードで走り続ける分には、あまりつま先を立てなくても滑らない。
加速を意識して脚の回転速度を上げようとすると、途端に靴底が滑り始める。
コーナーなんか蹄鉄のエッヂを意識して立てないと、遠心力もあり滑ってかなり気を遣う。
この感覚はアイススケートのエッヂ使いに近いかもしれない。
行きたい方向と逆方向に蹄鉄のエッヂを立てて身体を押し出す。
走ってみた感じ、蹄鉄を含めた靴底の摩擦力はあてにできない。
この蹄鉄シューズというやつは、靴底全体に刻まれたパターンで地面に食い付いて摩擦力を高めて滑りを抑える、というあっちの世界のランニングシューズとは違った、全く異質な代物に思える。
なんか減り切って丸坊主のタイヤ履いたバイクみたいだな、と思いながら、直線に入って、できる限り脚の回転を上げる。
自分の脚で出したことの無いの速度域に入り始める。
ヒトであった頃の、自分の限界速度までがむしゃらに足を動かすだけの走りとは違う、頭の中でイチ、ニ、イチ、ニとテンポを合わせながらの走りでこの速さだ。
・・・が、あるところから、脚の回転が上げられなくなった。
上がらない、ではなく上げられない。
最初は、ただ躓きかけたのかと思った。
それが、脚の回転を速めようとするたびに起こるようになって違和感を感じた。
躓いたような感覚がある度に、両脚のタイミングが狂ってタタン、タタン、といった感じのギャロップ状態になってしまう。
ほとんど転ぶ一歩手前だ。
速度を落としてまたゆっくりと加速してみる、を繰り返して分かった。
脚の回転を上げると、ある速度から蹴りだした脚を前に戻すときに、脚が前に出きっていない。
何かが、間に合っていない。
しかし、その何かが今はわからない。
前に出きっていない脚で蹴り出そうとするから、タイミングが狂って走り全体を破綻させるのだ。
何度か転びそうになって、これ以上脚の回転を上げるのは諦めた。
さすがにヒトの出せる速度を超えたこの状態で足をもつれさせて転ぶのは避けたい。
脚の余力はまだあるようだったので、逆に発想を変えてみる。
歩幅を伸ばす方向で、速度を上げられないか、と。
ストライドだけを意識して、一歩一歩を強めに蹴りだす。
要するに三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプを連続でやるような走り方だ。
蹴り脚に今までにない力を込めて、つま先で強く地面を蹴る。
ちょっとベクトルが上を向きすぎたのか、少し身体が浮いてしまったが、さすがはウマ娘のパワーだ、その一歩が、滞空時間が、長い。
次の一歩の為に前に出した脚がなかなか着地しない。
脚の回転自体は落ちているので、前に出す脚が間に合わない、ということもない。
三段跳び、と言ったけれど、この走り方だと連続して脚を回すのではなく、どうしても脚を前に出したまま、後ろに蹴り切ったままの状態での『待ち』が入るのだけれど、さっきまでの走り方よりは速度が乗る。
何歩か加速したところで、さらに速い速度域に入り始める。
が、問題もある。
前に出した脚が着地の時にブレーキになってしまっているのか、着地した脚のつま先が痛いし、やたらと力むせいか体勢も崩れがちでバランスが悪い。
どっちもどっちだ。
ウマ娘本来の走り方とは程遠い。
これは、この場の思い付きですぐにどうこうできる話じゃなさそうだ。
ゆっくりと、転ばないようにスピードを落として止まる。
少し息は上がったものの、苦しくはない。
あっちの世界の身体じゃ、さっきの速度なんて夢のまた夢、出せる限界の速度で今と同じ距離を走ろうものなら、死にそうになっていたはずだ。
とんでもない身体だな、これ。
後ろについてきていたたづなさんは、立ち止まった俺を追い抜くと、振り返り様、タン、とワンステップして、前傾姿勢を強め一気に加速した。
レプリカの尻尾をなびかせて、これがウマ娘の走りです、とばかりに猛烈な速度でトラックを一周回ってきて目の前で止まる。
「・・・どうでしたか?初めてのウマ娘の走りは。」
あれだけの速度で走ってきたにもかかわらず、ほとんど息を切らしていない。
「ウマ娘の身体のパワーに振り回されっぱなしですよ。
全力なんてとんでもない。
転ばないようにするだけで精いっぱいです。」
「まあ、走り方がめちゃくちゃですからね・・・
本来のウマ娘の走り方になれば次元の違う速さを見られますよ?」
つまり、次元が違うほど遅いわけだ、今の俺は。
考えてみれば、普通ウマ娘が物心ついたときから何年もかけて学ぶはずの自分の身体の使い方を、俺は知らない。
ウマ娘の走り方を知らず、代わりにヒトの走り方を無理やり持ち込んで、ウマ娘の大パワーで無理やりヒト以上速度を出しているだけ。
宝の持ち腐れもいいところだ。
「今日はこのくらいで上がりましょう。
私もこれ以上走ったら汗臭くなっちゃいそうです。
借りたものを返したら、行きつけのおいしいカレー屋さんがあるのでそこに行きましょう。」
たづなさんに相槌を打ちながら歩くも、何かもやっとして心が晴れない。
初めて、自分の脚で、ヒトを超越するような速度で走れた。
うれしくないわけじゃないけれど、この身体はこんなものじゃない。
俺がこの身体を使いこなせていない為に、まだ普通のウマ娘にすら追いつけていない。
要するに、俺は『ヘタクソ』なんだ、この身体の使い方に関して。
・・・ただ、あっちの世界での俺の身体と違って、この身体はポンコツじゃない。
ポンコツはいくら習熟してもポンコツ性能のままだけれど、この身体は使い方がうまくなれば一級品のポテンシャルを秘めている、と思う。
積んでいるエンジンが、そもそも違う。
なら、俺が、経験を積んでうまくなればいいだけの話だ。
それに、駄女神はトレセン学園に入れ、と道を付けてくれたけれど、この身体でトレセン学園の、ウマ娘レースの世界で頂点に立て、と言われたわけじゃない。
明確に何かをしろと言われてるわけじゃないんだ。
まあ、勝っても負けてもレースには出ろよ、ってことではあるんだろうが。
ダメならダメで、普通のウマ娘として第二の人生を歩むだけだ。
そう思うと、ちょっと心が軽くなった。
幸い、トレセン学園には、ウマ娘の走りに精通したトレーナーがたくさんいる。
俺の走り方の矯正くらい、何とかなるだろう。
・・・なるよね?