「くそ、負けた~」
ムッター氏に言いくるめられて、トレーナー報酬にウマ吸いに加えて『たかいたか~い!』を彼の望んだ時に提供する羽目になった。
これだから芸能界の荒波を平気で泳いでるような奴は怖いんだ・・・
「これは対価足りえない。
ウマ吸いに加齢臭が混じる可能性など論外!
断固対価の変更を要求する!」
唾を飛ばさんばかりに熱弁するのは、俺が元三十路のおっさんだと知って憤慨するムッター氏。
「加齢臭出るほど歳食ってねーよ!
俺の髪からはROLAのトリートメントのいい香りしかしねーだろうが!」
俺は俺で完全に余所行きの口調が吹っ飛んで地が出ていた。
「お前は毒が混じっている可能性のある食品を口にできるか?
俺にはできない!
ならば報酬兼トレーナーとしての職務として俺に一週間に一度脚の爪のケアを任せることを要求する!」
「馬鹿野郎!
俺はくすぐったいのが苦手なんだ!
他人になんか脚のつま先任せられるか!
絶・対・に・嫌だ!」
「くすぐったがりか・・・
ならばトレーニング後の入念なマッサージも・・・」
「絶対に断るっ!」
「ふ~。
仕方ない、ならばこうしよう。
俺がお前の体形に変化があった、と思ったときは、その都度俺に体重を測らせろ。
トレーナーの職務を遂行しつつ追加報酬となるものに、これ以上の譲歩はできん!
仕事には正当な対価が必要だ。
いい歳の大人だったのならわかるだろう?」
もういったい何を話しているのか自分でもわからなくなってきていたが、仕事に正当な対価とは・・・痛いところをついてきた。
社会人経験者としてはタダ働きは忌避すべきことだ。
相手にも、自分にも。
その対価が変態的なものであったとしても、だ。
ウマ娘の体重を把握したいだとか、この男の趣味は理解しがたいが、どうせトレーニングで体重は随時記録される。
頭をフル回転させてみるが、思い当たるリスクは一つしかない。
のんきに我関せずという顔で茶をすすっているたづなさんが『それでいいんですか?』という目でちらりとこちらを見た気がするが・・・たぶん問題ない。
「・・・いいだろう。
ただし、全裸で、とかは無しだからな?」
ボフゥ!と理事長が茶を噴いた。
たづなさんは見事に初動で避けてみせた。
「・・・お前は俺を何だと思っているんだ・・・」
変態的な要求をされないよう釘を刺してきた俺に、心外だという不満たらたらで文句を言われるが、ぜひ自分を客観視していただきたい。
「・・・ウマ娘好きをこじらせた変態トレーナーかもしれないと思い始めてる。」
「・・・」
「考え込むなよ!否定しろ!」
「まぁいい。
お前の想像しているようなことは誓ってしない。
証明してみせよう。
こっちへ来い。
腰に両手を当ててここに立て。」
・・・何かまた妙なことをやらかしてくれそうな予感がプンプンするのだけれど、とりあえず理事長とたづなさんがいる目の前でとんでもない事態にはならないだろう。
自分よりも頭一つ高い彼の前で、腰に手を当ててヒーロー立ちして彼を見上げる。
「これでいいかっ・・・・」
言い終わる前に、ふわりと身体が宙に舞う。
彼を見下ろす高さまで上がると、急降下。
そしてまた上がる。
俺の脇の下を手で支えての、俗に言う『たかいたか~い!』だ。
二、三度上下させると、彼は俺を下ろした。
「・・・ふむ、6Xキロ、ってとこか。
体幹トレーニングに使ってる砂袋といい勝負だな。」
彼の口にした体重はおおよそ当たっている。
60キロくらいの砂袋相手にどんなトレーニングしてるんだか。
「あんた、体重測定の度にこれやる気か?」
「そうだが?」
なんでそんな当たり前のことを聞く?みたいに不思議そうな顔でこっちを見るなよ。
「ウマ娘がトレーナーにこうやって抱え上げられるなんて普通に見られる光景じゃねぇか。
俺はただそこに体重測定という仕事の一環と報酬を兼ねさせて貰っただけだ。」
もう、口から出てくる言葉が当たり前のような口調過ぎてこっちまで正論を言われている気分にさせられる。
彼が振り返って理事長とたづなさんの方を向くと、
「・・・まあいるな。」
「ええ、ハルウララさんとか、マヤノトップガンさんとか、ニシノフラワーさんとか、よくトレーナーさんに抱え上げられてますね・・・」
・・・まさかのフレンドリーファイヤが二人から返って来た。
いつの間にか味方がいねえ?!
「何が不満だ?
俺は日頃のストレスを解消できて、学園は経費を掛けずにトレーナーを雇うことができ、お前はウマ娘の走りを手に入れられる。
三方丸く収まるWin-Win-Winな関係じゃねぇか。」
彼は報酬は金は要らねぇ、と言い切って、理事長はトレーナーに支払う賃金は懐に痛い様子、俺は代わりに差し出せるものも思い当たらない。
・・・はっきり言って状況は詰みだ。
「じゃ、大方これで決まりだな。
これで失礼する。
詳細な契約はあとでうちのマネージャーと詰めてくれ。
これからよろしく頼むぜ!
俺を継ぐ未来のウマ娘ちゃんよ!」」
これ以上の問答は無いと見たか、ムッター氏は鼻歌交じりで帰っていった。
「完全に彼のペースに巻き込まれていましたね。」
「無茶言わないでください・・・口もうまくて人付き合いもうまけりゃ元の世界でエンジニアなんてやってませんって。」
人付き合いの経験を得るための時間を、全て自分の知識欲に向けてしまったのが理系の研究者や開発者と言った分野の人間だ。
人付き合いもできて、他の能力も高いなんて言う人間もいるにはいるが、極まれで、実は別の目立たない部分が大きく欠けているパターンがほとんどだ。
100という時間をすべてに均等に割り振れば平凡な人間ができ、人付き合いに振れば営業向きに、手先の器用さに振ればモノづくりに、頭脳に振れば学者や研究者、開発者に。
能力のどこか突出すればどこかが必ず凹む。
俺は運動ができないから早々に身体を動かすのは諦めてその時間を読書と工作に費やした。
人付き合いは人並みを自負しているけれど、それ以上じゃない。
だから、海千山千のムッター氏のような人付き合いのプロを相手にすると口車のテクニックでは、勝てない。
「安堵。元男と男同士のじゃれ合い、と思って放置していたが見ていて若干ヒヤヒヤしたぞ。」
・・・まあ、あからさまに唯一決まりかけたトレーナー候補を変態扱いしてたもんな俺。
交渉決裂してもおかしくなかった。
・・・それ以上に彼の欲求の方が勝っていたようだけれど。
ため息を吐きながら、たづなさんが眉を八の字に寄せて言う。
「ラベノシルフィーさん、気づいていますか?
あなた、あのウマ吸いに追加報酬という条件を呑んだんですよ?」
「・・・え?」
元三十路男のウマ吸いが気に入らなくて報酬の変更を要求してきた、という話だったはず。
たづなさんが、どこに持っていたのやらスティック型のボイスレコーダーを取り出して何やら操作し始めた。
「・・・ここですね。
しっかり『追加報酬』と彼は口にしていますし、あなたはそれを否定していません。
私の目くばせには気づいていなかったんですか?」
「・・・やられたっ!」
ボイスレコーダーを再生してみると、彼の追加報酬要求に俺は承認を与えてしまっていた。
口約束でも約束は約束、たづなさんがボイスレコーダーを用意していたように、彼もたぶん交渉事は録音しているだろう。
子供相手に大人げない、と言える状態だったらまだごねられる余地があったけれど、こっちが元社会人だと互いに認識した状態じゃ言質とられた時点で負けだ。
感情的な口論から入って、こちらが飲めない要求だとわかるや否やハードルを下げ、更にこっそり話をすり替える。
最初にヒートアップしてしまって仕掛けられた罠にまんまとかかった。
理事長とたづなさんを蚊帳の外にしていたのも俺の落ち度か。
助けに入ろうとしてくれたたづなさんの目くばせの意図も理解できていなかった。
なんとなく見えてきた全貌は、元三十路男のウマ吸いに一瞬脊髄反射的に拒否反応を起こしたものの、『これはこれでアリか?』と判断するや否や変更を追加に切り替えてさっさと俺を嵌めに来たのだろう。
動機はアレだけれど、その臨機応変な判断力には舌を巻くしかない。
・・・はぁ~。
ムッター氏に差し出す事になった報酬は致命的なものじゃないが、なんていうか・・・会うとやたらと構いたがってべたべたスキンシップを試みてくる親戚のおじさんに似てるんだよな~。
まさかとは思うけど、可愛がっていた姪っ子のウマ娘を構い過ぎて嫌われて、その反動が全部こっちに向いているとかじゃないよな?
スキンシップ方向に全振りしていたとしても、伸び掛けた髭面を顔にこすりつけられて『お鬚じょりじょりする~』とか言うの期待されても困るぞ?
これ以上にないほど俺にマッチしたトレーナーだってのはわかっているんだ。
きっと、あの悪癖は、彼がウマ娘の走り方に没頭するあまり失ってしまった何かの部分に当たるに違いない。
常識とか、性癖とかその類の。
願わくば、これ以上差し出す報酬が増えませんように。