「中等部2年を選びましたね。」
「・・・うむ。
さすがにあれは口にできなかった。」
ラベノシルフィーとヒシアマゾンが連れ立って理事長室を辞した後。
トレセン学園理事長秋川やよいとその秘書駿川たづなは、揃ってため息をついていた。
たづなしかいない理事長室では、空元気で声を張り上げる必要もなければその元気もない。
やよいが、口にできなかった、たづなの提案をそのまま肯定できなかった理由。
中等部1年時、入学から約半年間に発生する大量の退学者。
トレセン学園中央に、意気揚々と入学するも、全国レベルの壁の高さに心折れて退学していく者たち。
死に物狂いで練習しても、遊んでいるように見える同期に追い越されていく絶望的な才能の差。
運悪く選抜レースのたびに勝てない相手と組になり、実力は足りているのにトレーナーがつかない者。
地元では一番だったのに、トレセン中央では凡庸で埋もれてしまうことにやる気を失ってしまう者。
焦りが焦りを生み、無茶なトレーニングで怪我を負い、周囲に置いていかれる悪循環。
やがて、選抜レースの開催もなくなり、めぼしいトレーナーは担当探しをやめ、取り残されるトレーナーのいないウマ娘たち。
一人退学者が出ると、密かに心折れていた者たちが、雪崩を打つように辞めていく。
中等部1年の魔の半年。
やよいも、たづなも、何度この辞めていくウマ娘たちの怨嗟の声を聞いただろう。
三女神様の意思で、全ての過程をすっ飛ばし、特別待遇で『普通のウマ娘に追いつく』為に学園に入る彼女は、せっかくできた友人が次々と恨み言を吐きながら学園を去っていくのに耐えられるだろうか。
いや、耐えられないだろう。
場違い感に押し潰されて学園を去ることしか考えなくなる未来がありありと見える。
また、追い詰められた新入生の八つ当たりの矛先が『まともに走ることもできない』彼女に向く可能性も高い。
彼女を中等部1年に編入させるのであればこれからの半年間は最悪の時期と言える。
ゆえに、たづなの提案をそのまま受け入れる気にはならなかった。
「・・・中等部3年は3年で、肝が据わりすぎてある意味ドライですからね。
共に戦ってきた訳でもない、ましてライバルにもならない編入生だと歯牙にもかけられないかもしれません。
無視はされなくとも、学友と言える関係になれるかどうか。」
中等部1年の魔の半年を乗り越え、走り抜くことを決意して戦い続けてきたウマ娘は、中等部3年ともなればすでに目標からブレることはない。
戦友でもライバルでもない編入生、これからもライバルになりえない存在ともなれば、ほとんど相手にされない。
そのことを、たづなは自分の身をもって知っている。
レースに出られないウマ娘は、同級生からも路傍の石と同じ目で見られるのだと。
いつまでたっても、知り合いレベルから抜け出せない友達未満の同級生。
同じ場所で学んでいるのに、同じ苦しみや痛みを分かち合えない異質な存在ともなれば、その距離はさらに離れるだろう。
もし、中等部3年の中に溶け込もうとするならば、ラベノシルフィーは実力でもって彼女らのライバル足りえることを証明しなければならない。
それは現状の彼女に期待できるものではなかった。
そして、たづなはこうも考えていた。
彼女が中等部1年に編入してその最初の魔の半年で心が折れるなら、彼女の不得意な『走りの世界』に生きることを強要し続けなくてもよいのではないかと。
いっそ、その方が何の未練も残らず、かえって彼女のためになるかもしれない、とまで。
ウマ娘の生き方はレースだけではない。
むしろ、レースに関わらない人生の方が長い。
たづなの今の在り方そのものから導き出した、痛みは伴うが現実的な中等部1年編入の提案。
やよいは冗談めかせて中等部2年を提案はしたものの、どの学年を選んでも、彼女には苦難の道が待っている。
中等部2年という選択は、単に両極端ではない、というだけの話だ。
三女神様は、いったい彼女の終着点をこの学園生活のどこに定めているのだろうか。
「難しいですね・・・」
「ああ・・・全て笑顔で大団円、というわけにはなかなかいかんな。」
とりあえず、道は示した。
彼女は選んだ。
あとは彼女が自力で、この学園内での居場所を確保して貰わなければならない。
彼女が、三女神様の奇跡によって導かれるというのなら、その三女神様を呼び寄せた彼女の奇跡を信じよう。
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「でけぇ・・・」
延々と窓が連なるやたらと長い建物が櫛状に配置され、何棟も連なっている。
ヒシアマさんに連れられて、美浦寮に向かう途中、校舎が途切れた場所から見えてきたそれは、想像を絶する巨大な建物だった。
「トレセン生の半分、1000人近くがいるからねぇ。
そりゃでかいさ。」
「1000人・・・」
つまり二人部屋換算で500部屋。
それが、4階建てのこの建物に詰め込まれているってことだ。
見た限り、櫛の歯にあたる建物は4棟。
その奥に、ちょっと様式の違う建屋がさらに続いている。
呆れかえるほど巨大な寮だった。
中央の正面玄関らしい場所にたどり着くと、そこはどこか懐かしい印象を覚えた。
玄関の両脇に、コンクリート製の無骨なつくりの洗い場がある。
子供の頃通った公立の小中学校の昇降口の作りにそっくりだ。
蛇口はその洗い場の裏表に5つずつ。
蛇口にはネットに入れられたレモン石鹸がぶら下げられており、流し台の中にはたわしが転がっていた。
「トレーニングで、みんな靴を泥だらけにして帰ってくるからね。
そこで泥を落とすんだよ。
玄関に泥を持ち込まないでおくれよ?
掃除が大変だからね。」
玄関入り口に並んだ泥除けマットで軽く靴底を擦って土を落とす。
玄関の扉をくぐると、そこは公立の小中学校の昇降口とはまた違っていた。
下駄箱が並んでいない。
広い三和土と折れた傘が刺さりっぱなしの傘立て。
タケノコみたいに重ねられて隅っこに転がっている大量のスリッパ。
丁寧に伸ばされて『靴袋』と書かれた箱に詰め込まれているポリ袋。
どちらかというと、旅館の玄関、って感じだ。
ヒシアマさんが靴を脱いでポリ袋に入れ、自前のものらしい可愛いスリッパを引っ張り出してきて履き替える。
「今日はそこのスリッパを使っとくれ。
寮内は土足厳禁だからね、靴は袋に入れて部屋まで持っていくんだよ。」
タケノコみたいに重ねられたスリッパを一組借りて履き、袋に履いていた靴を入れてヒシアマさんについていく。
正面の壁際に雑多に積まれた荷物の山。
寮生への配達物だろう。
そのすぐ先に、『寮長室』と書かれたルームプレートの掲げられた扉があった。
ヒシアマさんが持っていた靴をドアを開けて放り込む。
「ここが寮長室、アタシの部屋さ。
アタシに用があったらここに来ればたいていいるよ。
そう言えばアンタ宛てのでっかい荷物が届いてるよ。
アンタの部屋に運び込んであるからね。
まだ部屋も決まってなかった頃だったから何かと思ったよ。」
ああ、通販で買ったバイクウエアだ。
話が通ってなかったのか、悪いことしたな。
寮長室の先の廊下の壁には、寮の棟、階層ごとに分けられた入寮者のプレートがフックに引っ掛かってずらっと並んでいた。
ウマホ番号が書かれた赤い面をこちらに向けて、壁一面を赤く彩っている。
「寮生の在室票さね。
外出するときは、そのプレートをひっくり返してウマホ番号の書かれた赤い面にする。
帰ってきたら青い名前の見える方に戻す。
忘れると行方不明だって大騒ぎになるから注意するんだよ?
アンタのプレートは入寮したらここにかかるからね。」
ヒシアマさんに指さされた先の番号は、5-3F-38。
フックだけでまだプレートはかかってない。
ヒシアマさんは在室票の並んだ廊下を進んですぐ先にある階段を上がっていく。
「ああ、これは暗黙の了解、ってやつなんだけどね。
1Fは名家のお嬢様方がいらっしゃる部屋が多いんだ。
1Fの廊下を大声でおしゃべりしながらとか、音を立ててバタバタ走り回るのはご法度だよ。
通っちゃいけないわけじゃないが、面倒ごとに巻き込まれたくなかったらさっさと階段を上がって避けて通った方が無難さね。」
1FはVIPフロア扱いか。
そう言えば、寮の外から見ても1Fは窓も大きくてデザインも他の階と違い凝っていた気がする。
1Fは火事になっても逃げだしやすいとかいうから、上流階級の方たちに優先して割り当てられるようになっているんだろう。
実力主義の学校とはいえ、そういう配慮からはやっぱり逃れられないものらしい。
その実力主義から外れている俺が言える話でもないけれど。
階段を3Fまで上がり、廊下を突き進む。
「アンタちょっと入る時期がずれたからね、3Fの一番奥の部屋だよ。
ちょっと玄関から離れているから、朝寝坊したら大変だけど我慢しな。
その代わり、新しい棟だから部屋にトイレもついてるし、今のところ同居人もいないから広く使えるよ。」
贅沢なことにしばらくは一人部屋を満喫できるらしい。
長い廊下を歩き、連絡通路を抜けてさらに先の一番奥の突き当り右手の部屋。
玄関から離れている距離は、ちょっとの領域を超えていると思う。
何の変哲もない安っぽいドアを開けた先に、これから住むことになる俺の部屋があった。
扉をくぐると、換気のされていないこもった空気の中に少し甘い香りがする。
たづなさんの部屋とはまた違った雰囲気の香りだ。
床はフローリング。
磨きこまれてはいるけれど、部屋の入り口付近はところどころ剥げて下地が出ている。
右手に下駄箱、左手にトイレがある。
トイレ前の壁際には鏡と小さな洗面台がついていた。
下駄箱の上には、前の住民が置いていったものだろうか、ちょっと埃っぽい花瓶にドライフラワーが飾られている。
「前の住人が残していったものも多いからね。
一人のうちは好きに変えな。」
部屋の真正面には普通のサッシ窓。
角部屋だからか、左手にも小さな窓がある。
窓は東向きなのか陰に入っていてこの時間帯はそんなに明るくない。
カーテンは白地に赤い花柄がぽつぽつと入ったシンプルな感じのもので、部屋の床に2枚敷かれたカーペットも片側は似たような柄だった。
その窓の下にはビジネスホテルにあるような小さな冷蔵庫とその両脇に小洒落たベッドサイドランプの乗ったサイドチェスト。
壁際にはシンプルで頑丈そうなスチールのシングルベッドが1台ずつ置かれていた。
そして部屋の真ん中には一抱えはありそうな俺が頼んだバイクウエアの段ボール箱。
壁は、白無地の合板で、画鋲の穴と黄色くなったセロテープやら両面テープの跡やらでそれなりに汚れている。
ベッド際の一部が新しい壁板になっているのは蹴っ飛ばして穴でも開けたんだろうか。
学習机や椅子も、頑丈そうなつくりとはいえ、使い込まれて年季が入っていた。
「寮の中のものを故意にぶっ壊したら実費弁償だから気を付けな。
あと、冷暖房は、冬は床暖房が入るけど、夏は扇風機くらい買った方がいいねぇ。
天井に換気扇はついてるし、ここは3Fだから4Fみたいに屋根の熱で焼かれることもないけどさ。」
「クーラーは?」
「クーラーはお勧めできないねぇ。
部屋のブレーカーが小さいんだ、クーラーを付けたらそれだけでほとんど何も使えなくなっちまうよ?
電気工事までして自費で付けられるのは1Fのお嬢様方だけさね。」
うーん、ウマ娘世界はあっちの世界よりも夏が涼しいんだろうか。
あっちは都内でクーラー無しの夏なんかとても越せそうにない。
もし同じくらいの暑さだったら、こんな鉄筋の建物で夏場扇風機だけって死ぬほどきつそうな気もする。
「まあ、引っ越しの日が決まったら連絡しとくれ。
今のうちに連絡先を交換しといてくれるとありがたいねぇ。」
ヒシアマさんに促されて、ウマホの連絡先を交換し合う。
たづなさんに続いて、ウマ娘世界二人目のウマホ登録だ。
「細かいことはまた正式に入寮した後で教えるけど、もう聞いてるだろ?
歓迎会。
アンタが正式に入寮したら、その週の土曜の夕方にやるからね!」
ヒシアマさんの歓迎会開催宣言に、いよいよここに引っ越してトレセン学園での生活が始まるのだと実感が湧いてきた。