買いだしてきた荷物を部屋に置いて、寮長室のヒシアマさんを訪ねる。
手には買い出しの時に成城岩井で買ってきた化粧箱に入ったちょっとお高いリンゴジュース。
姉御肌のヒシアマさんだ、一応こういう挨拶は筋を通す意味でも重要な気がするのだ。
「これからお世話になりますのでつまらないものですが。」
持って来た箱をヒシアマさんに差し出す。
「お~、悪いね~気ぃ使わせちゃってさ!」
受け取るとすぐに、目の前で包装紙をバリバリと剥ぎだす。
ちょっとそこらでは見かけないきれいな化粧箱が姿を現した。
「は~!気張ったねぇ!
長野県産の100%リンゴジュースかい。」
このジュース、目の玉が飛び出るほど高い、というわけではないけれど、一本の瓶入りのリンゴジュースとして考えるとちょっとこの金額を出すには躊躇する、と言った程度の値段はする。
日持ちする甘いものが欲しい、と言っていたヒシアマさんだけど、それだと乾きものばかり集まってきてしまう。
変化球で飲み物なんかどうだろう、と思って買ってきてみたのだけれど、喜んでもらえたようだ。
「礼儀をわきまえてるヤツは嫌いじゃないね!
だからと言って特別お目こぼしをしてやれるわけじゃないが、アンタが慣れないうちは気を付けておいてやるよ!
・・・ああ、そうだ、ちょっと待ってな。」
ヒシアマさんは部屋の奥に引っ込むと、見覚えのある布の巾着袋と、ドライヤーを持って出てきた。
「これが体操服とジャージをクリーニングに出すときの洗濯袋。
棟番号、階層、部屋番号を袋に書いて使いな。
大浴場の廊下に、棟ごとの回収用のかごがあるからそれに入れれば翌日の夕方に上がってくるからね。
自分の部屋の階の玄関寄りの階段に上がって来た袋が積んであるから自分のを探して持って帰るんだよ?
クリーニングに出すときは私服を入れるんじゃないよ?
あと、ドライヤーはあるかい?
大浴場のドレッサーは混むからね。
ドライヤーが使えるまで待ってたら時間がいくらあっても足りないよ。
これは卒業していった寮生の置き土産だけど使うかい?」
・・・引っ越しのご挨拶の効果は抜群のようだ。
中古だけれどなんかマイナスイオンが出るとかいうSF映画に出てきそうな宇宙船みたいな形をしたドライヤーを貰った。
なんかわらしべ長者みたいだなと思いながら、礼を言って受け取り部屋に戻る。
さて、本格的に引っ越し荷物の大片付けだ。
ベッド下の引き出しは、ベッド幅をフルに使ったものらしく、異様に奥行きがあった。
引っ張り出すとギリギリ隣のベッドに当たるか当たらないかくらいの奥行がある。
買ってきた真新しい雑巾を硬く絞って埃を全部ふき取る。
ふと見ると、この部屋の前の住人の痕跡が目に付いた。
一本の短い栗色の毛。
ショートカットの栗毛のウマ娘がこのベッドで寝ていたんだろうな。
引き出しはしばらく乾かすことにして、窓枠やら机の上やら、埃が積もっていそうなところは全部拭く。
拭くたびに、建材の匂いやら木材の匂いやらがふわっと香ってきて、漂っていた甘い香りをかき消していく。
布団は、最近敷かれたものらしく埃は積もっていなかった。
同居人がいないのになぜか反対側のベッドもベッドメイクされていたので、そっちは布団を畳んでシーツをかけておく。
洗面台にハンドソープを置いたり、トイレに消臭剤を置いたり、タオル掛けにタオルを掛けたり。
バイクのヘルメットは下駄箱の上に。
下駄箱の上に元からおかれていたドライフラワーはちょっと横に避けて貰った。
靴を下駄箱に収め、備え付けのハンガーにバイクウェアを着せて机の横に引っ掛け。
そろそろ乾いただろうベッド下の引き出しに、あまり着ない服を奥にするように詰めていく。
よく使うものは入り口側の引き出しに。
しばらく着そうにない冬服の類は窓側の引き出しに。
・・・さすがに皺になったらみっともない服はちゃんと畳んで納めていくけれど、体操服とかゴワッとした生地の部屋着にしていた短パンなんかは結構適当に詰めていく。
下着に至ってはどうせ誰に見せる訳でもないので、セットものをひとまとめにして丸めて詰め込んである。
誰に見せるわけでもなし、同居人ができるまでは気にしなくてもいいだろう。
たづなさんの所じゃ、最初は俺の服自体少なかったのもあって、寝室のクローゼットの一角に積み上げるようにして置いていたから適当に平たく積みあがるようにしてはいたけれど、そんなに気を使ってきれいに畳んでいた覚えはない。
あっちの世界で暮らしていた時は、そもそも洗濯物を畳んで収納するということをしたことがない。
・・・まあ要するに洗濯物を畳む習慣がないんだ、俺は。
ウマ娘世界に来てから、結構服とか買った気でいたけれど、ベッド下の引き出しに全部収めて見れば、ガラガラだ。
はっきり言って、今日買ってきたタオルの方が全ての服を合わせたより多いんじゃないだろうか。
タオルは、仮にも『トレーニングセンター』なんていうスポーツ系学校に入るのだからと、買い物かご二つ分くらい買ってきた。
これも、トレーニングの度に、学園生の目の前に晒す私物だから、ちょっと見栄えのするものを。
イタリアのピエールなんちゃらとか、日本のhanakoとか、なんか聞いたことのあるデザイナーの名前が入った、もこもこ度合いの高いタオルばかり、十数枚。
バスタオルはそれよりは少ないけれど、両方合わせると結構な大きさになって、持って帰る時後悔した。
あっちの世界じゃタオルなんか自分で買うものじゃなく、お中元の時期に取引先から貰った会社名入りのタオルとかを使っていた。
まさか俺が見栄の為に高級タオルを買う羽目になるとは思わなかったよ。
一応、タオルもバスタオルも1週間くらいのローテーションには耐えられる枚数があるはず。
服の類を引き出しに詰め込み終わったら、床も一通り拭き、枕元に買ってきたゴミ箱を置いて、買ってきた食料品をベッドと机の隙間に押し込む。
これでだいぶすっきりした。
あとは実際に暮らしてみて、足りないものを随時追加、かな。
とっちらかった茶封筒の残骸や段ボールを捨てるためにガムテープでぐるぐる巻きにしていると、バタンというドアの音と、くぐもった声が壁越しに聞こえてきた。
隣の寮生が帰って来たらしい。
時間を見ると、ヒシアマさんと約束をしたご飯の時間にほど近い。
急いで片付けを切り上げて部屋を出る。
昼間の静けさと打って変わって、寮内にはトレーニングを終えて帰って来た学園生がそこかしこに歩いていた。
寮長室をノックすると、出てきたヒシアマさんはすぐに寮長室の鍵を閉めた。
「ちょうどいい時間だね、行こうか。
その前に・・・」
歩き出してすぐに、廊下の壁を向いて立ち止まる。
ヒシアマさんの視線の先は、ずらりと並んだ在室票のかかる壁。
その一角の右下、なにもかかっていないフック。
ヒシアマさんが、指先につまんだ俺の名前の書かれた在室票を渡してくる。
「さ、ここにアンタの在室票を掛けな。」
5-3F-38、と書かれたフックに、俺の名前が見えるように青い面を向けて在室票をかける。
「これでアンタも美浦寮の一員だ。
ようこそ美浦寮へ。
歓迎するよ!」
今日この時をもって、晴れて俺はこの美浦寮に入寮した、ってわけだ。