ヒシアマさんに案内されて寮長室の前から食堂へと向かう。
うるさくするとまずい、と言われたVIPのいるはずの1Fも、帰ってきた学園生が往来していて、さほど暗黙の了解とやらを気にしている様子もない。
ちょっと前を歩くヒシアマさんも、普通に1Fの廊下を歩いている。
「この辺、お嬢様方がいるからうるさくするな、とかいう話はどうなってるんです?」
「ん?ああ、さすがに廊下を通るな、とまでは向こうも言わないさ。
ただ、寮に寮生が帰ってきている時間は、気にはしておいた方がいいね。
お嬢様方は実家じゃお嬢様らしく振舞うことを強制されて、息の詰まるような生活をしてたってのはわかるだろう?
それが監視の目もなく、自由に過ごせる部屋を手に入れたらどうなると思うね?」
「・・・タガが外れてはっちゃける、ってことですか?」
「そういうこったね。
とはいえ、お嬢様方はそのタガを外してはっちゃけてる姿を他人に知られるわけにもいかないからね。
声や物音がする度に気にしてたらストレスも溜まろうってもんさ。
ま、ここらで起こったことは、見ない、聞かない、噂をしない。
恥ずかしい姿を知られた!って目を付けられたら厄介なことになるからね?」
確かに、口封じに何をされるかわからないな。
ただ、お嬢様方の、行動が、その、なんだ・・・
部屋の外から聞こえてくる親の脚音におびえながらHな本を見る思春期の子供みたいだな・・・と思ったよ。
一棟を踏破して連絡通路を渡り、右に曲がると、今まで通って来た廊下と雰囲気が変わる。
廊下の左手に、かなり広い框があり、脱いだスリッパを収める棚が並んでいる。
その中央に、『大浴場』のルームプレートがかかった木製の両開きの引き戸が鎮座していた。
「左手の扉の奥が大浴場さね。
まっすぐ行ったら食堂だよ。」
そこを通り過ぎると、突き当りにアルミの観音開きのドアが開けっ放しにされており、その先は屋外だ。
ドアの先は3メートル幅くらいのコンクリート打ちっぱなしの床に、波板の屋根がついた通路が建物沿いにずっと続く。
大浴場の棟沿いには、各棟番号の書かれたプレートの下に、寮の階段のそばに置かれていたのと同じコロ付きの布コンテナが並んでいた。
「そこに棟ごとに並んだ布の回収ボックスがあるだろう?
体操服の洗濯物は洗濯袋に入れてそこに入れるんだよ。
この屋根の下をずっと先に行くと、ゴミ集積所があるから部屋のゴミはそこに分別して捨てておくれ。」
寮の食堂は、この通路を挟んで大浴場の棟の隣に建てられた巨大なプレハブだ。
大食堂の外観をゆっくり観察する間もなく、ヒシアマさんはさっさと食堂に入っていってしまった。
食堂の入り口を通り抜けると、そこは簡素な長テーブルとパイプフレームの椅子が簾のように並んだ空間だ。
ざっと見た感じ、400人ほどは入れるだろうか。
奥の方には、突き当りに食器やトレイが積まれたテーブルと、料理を受け取るステンレス製の長いカウンターが見える。
カウンターの奥は厨房だ。
ガチャガチャと忙しなく作業をしている音が聞こえてくる。
食堂の中は、さすがにまだ時間が早いのか、ぽつぽつとしか席についている寮生はいない。
ただ、その寮生の目の前に置かれたトレイと食器は、今までウマ娘用として出てきた料理屋のどれよりも大きい。
普通の2倍くらいありそうなトレイに、どんぶりのような茶碗によそられたご飯に汁物。
そして刺身の大皿かと思うようなワンプレート皿に山盛りにされた数々のおかずたち。
ウマ娘になってから、俺も随分食べるようになったとは思っていたけど、そこで食事をしている寮生は俺が今まで食べてきた量よりもさらに多い盛り付けを平然と食べている。
ヒシアマさんを見ると、壁際に積み上げられたメラミンのどんぶりみたいな茶碗やワンプレート皿をトレイに乗せて俺を待っていた。
茶碗やワンプレート皿は大中小と3種類あって、食べる量に合わせて選ぶことができるらしい。
俺もトレイを取って、食器は中くらいでいいかと茶碗に手を伸ばすと、ヒシアマさんが横から大、大、大と勝手に食器を載せてしまった。
「最初から日和るのは良くないねぇ。
美浦寮の食事、しっかり堪能しな!」
ヒシアマさんのトレイにも、大の食器が並んでいる。
まぁこれも新入りの洗礼かと諦めて、トレイをカウンターに出すと、すぐにきれいに盛り付けられた食事が出てきた。
人参の千切りとシイタケや鶏肉なんかを炊き込んだ混ぜご飯に、豚汁。
メインのおかずはイワシのフライが山盛り。
カットレモンが添えられて、それにこれまた山盛りのポテトサラダとキャベツの千切り、トマト、切り干し大根と人参の和え物に、大豆とひじきの煮つけがつく。
混ぜご飯だけで、普通の茶碗何杯分あるんだろうこれ。
調味料や箸やスプーンが並んだテーブルには、ふりかけや海苔なんかが入った容器もあり、お好みでご自由に、ってことらしい。
俺はフライにマヨネーズとソースと胡椒をたっぷりかけて、ヒシアマさんの対面に座る。
「じゃ、いただこうか。」
「いただきます。」
豚汁で箸を湿らせて混ぜご飯からいただく。
シイタケの出汁と甘みの効いた濃いめの味付けでうまい。
豚汁は白味噌仕立てで豚の脂がたっぷりと浮いて具だくさん。
これもしょっぱさよりも甘みが際立つ感じに味付けられている。
何だろう、ウマ娘になってからというものの、甘いものが異常にうまい。
甘い=うまいレベルでうまい。
以前の好みは好みで残っているんだけど、そこに甘みが加わるとさらにおいしく感じる。
イワシのフライは身が厚くてジューシー、サクサクと齧っては混ぜご飯を口に押し込み、豚汁を啜って流し込む。
頬っぺたをリスのように膨らませて夢中で頬張っていると、これまた結構な勢いで料理を片付けていたヒシアマさんと目が合った。
言葉は交わさずとも、その目が語っている。
『タイマンだね?』
『いえ違います。』
視線と意図が交差する。
交わらずにすれ違ったけど。
でも、二人の掻きこむペースは上がった。
ウマ娘になって顔も口も小さくはなったけれど、それ以上にものを食べようとすると顎の肉がゴムでできてるんじゃないかってくらい口は大きく開くし、一度に咀嚼できる量も男だった時並に多い。
ヒシアマさんと結構いい勝負をしていたと思う。
途中熱くなりすぎて箸をへし折らなければ、引き分けには持ち込めたんじゃないだろうか。
二人して真ん丸に膨らませたお腹を撫でながら、食後のお茶を飲んで一息入れる。
「寮の食堂は、月曜から土曜まで、朝は6時から7時半、夜は6時からから8時。
日曜日は出かける寮生も多いから食堂はやっていないよ。
その代わり、申請を出せば日曜だけは火気厳禁の寮内でもここのキッチンを借りて料理ができるからね。
アタシも時々お世話になってるよ。
まあ日曜でも一応、あそこにあるシリアルは自由に食べられるんだけどねぇ・・・全く人気がないね。」
と、指さされた先にあったのは、壁際の床に雑に積まれた業務用シリアル20キログラム入りの紙袋。
なんていうか、エサ、って感じがして、あの袋の中のものはとても食べる気にならない。
どうしようもない時の非常食、って思っておいた方がいいんだろうな。
「歓迎会をやる中庭って言うのはあっちだよ。
中庭の向こうに見えるのが栗東寮。
栗東寮からも生徒会関係者なんかは来るからね。」
ヒシアマさんの視線の先の中庭は、入って来た入り口と反対側に広がる原っぱだ。
食堂の中庭側の壁には、いくつかの引き戸がついていて中庭に出られるようになっている。
当日はそこを開け放って会場にするんだろう。
そしてその中庭の先には、美浦寮と同じようにように栗東寮の食堂と寮の建屋が建っている。
だんだんと陽が暮れるにつれオレンジ色に染まっていく中庭の先で、栗東寮の食堂で夕食をとるウマ娘たちの影が電灯に照らし出されていた。