・・・無意味な勉強をテストの為だけにやるのはちょっと嫌ですけど~
消灯の音楽は定番どころから~
寮や病院なんかでこういうピアノ曲の一節が流れて消灯ってのはよくありましたね~
知り合いの住んでいた寮は起床の音楽がロッキーのテーマだったそうです~
部屋に帰って、洗濯物をベッド下の引き出しに放り込んでから、編入初日である明日の用意をする。
今日の時点で、隣人の二人に出身を聞かれたのにはちょっと慌てたけれど、明日転入したクラスでも同じようなことは起こるだろう。
むしろ、失念しかけていたのをぎりぎりのところで思い出させて貰って幸運だったのかもしれない。
たづなさんがビールを飲み過ぎないうちに、俺の出自の件について、SNSで相談しておかないと。
ポチポチと文章を打って、送信する。
『寮の隣人と知り合ったはいいけど、出身やお父さんの話になって自己紹介に困りました。
ヘルプミー!』
送ってすぐに、SNSではなく電話がかかってきた。
すぐに通話ボタンをタッチする。
「もしもし?たづなさんですか?」
「はい、たづなですよ。
何のお話かと思えば、明日が編入の日なのにまだ何も考えていなかったんですか?」
「・・・返す言葉もございません。
今日隣の部屋の方と仲良くなりまして、その折に出身地やらお父さんやらの話題になりまして、ああ、まずいと気が付いた次第です・・・」
かしこまって平身低頭の体で頭を下げる。
電話で相手が目の前にいなくても、すがれるのは電話先のたづなさんだけだ。
ええ、なんぼでも頭を下げますとも。
「まぁ、ウマ娘がいない世界で育ったあなたにウマ娘の家庭を想像しろ、というのは確かに無理な話ですね。
ただ、その場を取り繕うために変なことを口走るとあとで困りますよ?」
「ええ、嘘だと忘れたときにボロが出るので、正直にあっちの世界の出身地の千葉、って答えたら、お隣さんの知り合いが同郷だったらしくて冷や汗が出ました。」
「千葉ですか。
それ以外は何か話しましたか?」
「いえ、幸いそのくらいで自己紹介は終わりました。」
数秒だが、沈黙が続いた。
たづなさんが何か考えているのだろう。
カチッ!プシュッ!
っという聞き慣れた音がスピーカーの向こうから聞こえた気もするけれど。
「・・・何とかなるかもしれません。
今手元に免許証はありますか?」
「はい、少々お待ちを。
・・・どうぞ。」
「免許証の裏書のウマ自の項目を読み上げてください。」
「ウマ自特別許可XXXXXX号、ですね。」
「ウマ自特別許可XXXXXX号、で間違いないですね?」
「はい。」
「時間も時間ですし、今すぐどうにかなる問題ではないので、明日、昼に理事長室に顔を出してください。
一緒にお昼ご飯を食べましょう。
その時までに、何とかいい経歴を考えてみます。
ん~、明日のホームルームでの自己紹介には間に合いませんから・・・
そうですね、もし、クラスメイトに何か聞かれたら、名前と出身地以外はできるだけはぐらかしてください。
その免許証でオートバイに乗るなら、ウマ自にいたことは隠しきれませんから、ウマ自にいたことまでは話してもいいでしょう。
ただ、公的に孤児扱いであること含めて、ウマ自のことは『ちょっと守秘義務があって』ですべて躱してください。
今のところ、三女神像の台座の大穴に関しては、うまい具合にゴールドシップさんが隠れ蓑になってくれています。
藪を突かなければ彼女のいつもの奇行としてほじくり返す者もいないと思います。
いいですか?
明日の午前中は、とにかく当たり障りのない自己紹介に終始して、逃げに徹してくださいね?」
「・・・逃げ切れるよう祈ってください・・・」
新しい環境、知らない学園生たちから突き刺さる視線、緊張のあまり変なことを口走らないか、自分でもちょっと不安だ。
とりあえず、たづなさんが俺の出自シナリオを練ってくれることになった。
ウマ自の許可番号なんかを聞き出してくるあたり、何かウマ自関連で使えそうなネタに心当たりがあるんだろう。
そのあとの通話では、ちょっと隣室の二人について聞かれたけれど、たづなさんは名前を伝えただけで、容姿をすぐに当ててきた。
たづなさん、もしかして学園生全員の名前と顔を覚えているんだろうか。
あまり長く電話してせっかくのほろ酔いタイムを邪魔してもアレなので、適当なところでよろしくお願いして通話を終了した。
ほんと、たづなさんにはお世話になりっぱなしだな。
最重要案件が何とかなりそうなので、明日の準備を続ける。
ボストンバッグの中に、体操服にジャージ、トレーニング用の蹄鉄靴、タオル。
教科書はわからないので全部。
ノートに筆記具。
アップルサンデーさんに貰った髪ゴムも、何かと必要になりそうなので入れておく。
そうそう、日焼け止めも汗で流れちゃうと大変らしいから持ち歩かないと。
あとは折り畳みの櫛くらいか。
そう言えば、昔あっちの世界では良家の転入生は、お近づきのしるしにと、クラス全員に粗品を配っていたこともあったけれど、俺はそこまでしなくていいだろう。
まあなにも用意していないけどね。
ウマホのアラームを朝の6時にセットして枕元のサイドチェストに転がしておく。
汗臭くなってしまった制服を朝にクリーニングに出すべく、机の引き出しにあるという依頼票を探してみるけど、見つからない。
対面の使っていない机を漁ってみたら、中に2冊入っていたので、一冊貰って、依頼票を書く。
といっても、部屋番号を書いて、制服の上下にチェックを入れるだけだ。
・・・トレーニング中も相当汗をかくだろうから制汗消臭剤は買っておいた方がよいのだろうか?
汗のにおいなどこの女の園のトレセン学園で誰が気にする、という話もあるけれど、男だった時も男の同僚なんかが汗臭いにおいさせてたりするとちょっと嫌だったもんな。
この類のものは、購買にあったような気がする。
依頼票を書き終えたあたりで、隣室のドアが開閉する音が聞こえた。
あ、洗濯していたタオル!
たづなさんとの電話ですっかり失念していたけれど、あの洗濯機は二槽式、洗濯、すすぎ、脱水全部手作業でやらなきゃいけない。
洗濯を始めてから結構時間が経ってしまっている。
全部隣人にやらせてしまったかもしれない。
急いで部屋を出て家事室に向かう。
廊下に出るとちょっと先をペタペタとスリッパの音を立てながらゲムパちゃんが歩いていた。
追いつく前に、彼女の姿が家事室に吸い込まれる。
家事室に入ると、ゲムパちゃんの他に二人、同じ階の寮生らしい娘がいた。
ちょうど挨拶を交わしていたらしい3人と目が合う。
俺よりも頭一つ大きいくらいの背の高いざくざくショートの鹿毛の男の子っぽい顔立ちの娘と、背丈は俺よりちょっと高いくらいのセミロングのお嬢様っぽい雰囲気の鹿毛の娘だ。
高等部の寮生だろうか、ちょっと大人びた雰囲気がする。
「こんばんわ。」
「こんばんわ、見かけない顔ね?」
「今日から寮に入ったベノシちゃん。
お隣さんになったんだ。」
「へ~、今時期に珍しい。」
話しながら、3人は洗濯機の中を漁る。
「はい、ベノシちゃんの分。
じゃーねー!
おやすみー!」
ゲムパちゃんが洗濯機から取り出して抱えた洗濯物の中から、ぽいと俺の洗濯ネットを放られて慌てて受け取る。
自己紹介をする間もなく、ゲムパちゃんに廊下に出るよう促されたので、とってつけたようにおやすみなさいとだけ言い残して廊下に出た。
渡された洗濯ネットの中身は、完全に洗濯が済んでいるようだ。
「ごめんね、洗濯、全部やらせちゃったみたいで。」
「いいよー。
そのうち寮生活に慣れたら、お願いすることもあるだろうし。」
「ところでさっきの人たち、自己紹介とかしなくてよかったのかな?」
「んー?あの人たち高等部だし、背の高い方は障害レースで接点も少ないし、顔合わすことが多かったらおいおい、でいいと思うよ?」
「そんなもんでいいの?」
「同じチームの先輩とかならともかく、同じ階に部屋があるってだけで、その階の寮生だけで集まって何かするわけでもないしね。
自分の部屋のご近所さんと、居たら、クラスメイトとかチームメイトくらいかな、特に親しくするのって。
まぁ暇なときは立ち話くらいはするけどね。
大浴場のランドリーでも知らない娘に声かけてたでしょ?
あれと同じだよ。
あ、ついた。
じゃ、おやすみー!」
「ありがとねー!
おやすみー!」
家事室から部屋の前まではそんなに長くない。
長い会話をする間もなくすぐにお互いの部屋の前にたどり着いて、おやすみを言ってゲムパちゃんと別れた。
ドアが閉じてゲムパちゃんの姿がその奥に消える。
俺も部屋に入って、タオルを干すべく、タオル干しを探す。
ベッドと壁の隙間に押し込むようにして、折り畳み式のタオルハンガーが隠れていたのを見つけて、広げてみる。
ちょっと埃っぽい。
ティッシュにちょっとだけ洗剤を付けてざっくりハンガーを拭いて、きれいに洗った雑巾で洗剤を拭きとる。
まあ、これで使えるだろう、と机の上に転がしておいた洗濯ネットからタオルを取り出して、スパンスパンと皺を伸ばしてからハンガーにかける。
夜中トイレに起きた時に蹴飛ばさないように、机に寄せてハンガーを置く。
明日着て行く制服やニーソなんかを引っ張り出して、対面のベッドに載せておく。
クリーニングに出す制服もその隣において、依頼票を載せておく。
バッグの中身、ヨシ!
着ていくもの、ヨシ!
クリーニングに出す準備、ヨシ!
アラームのセット、ヨシ!
今日やり残したことは、もうないはずだ。
ベッドに寝っ転がって、ウマホでニュースを見ていたら、廊下の方から微かにオルゴールのような曲が聞こえてきた。
有名なピアノ曲、乙女の祈りの一部だ。
10秒ほどのその曲が終わるや否や、パツンと天井の照明が消えた。
時間は22時ちょっと過ぎ、消灯時間だ。
ベッドサイドランプは電源を入れれば点いたけれど、すぐに消す。
なんだか、夜更かしをする気になれない。
ウマホを手放してサイドチェストの上に転がす。
しばらくして、煌々と光を放っていたウマホの画面も消える。
月明かりに照らされたカーテンのわずかな光でうっすらと見える家具の輪郭を眺めながら、眠気に身を任せる。
自己紹介をどうしよう、なんていう心配は頭の中からすっかり消えていた。
もう眠りかけていたのかもしれない。
本来の人生では決してあるはずのない『学生生活のやり直し』をちょっと楽しみにしている自分に驚きながら、俺は眠りに落ちていった。