2022/7/29
改稿
文体を40話前後の書き方に統一しました。
手に持つ扇子で口元を隠し、そわそわと歩き回りながら理事長は言う。
「半世紀も前の推薦状が今頃出てくるなどあり得ぬッ!
まして、今ここに現れたばかりのウマ娘の名が記されているなどッ!
しかしッ!」
「しかし・・・?」
「この推薦状の扱いに関する規定はあっても、廃止されたという話はないのだッ!
故に現在でも有効ッ!
貴女が望むのであれば、当学園は貴女を受け入れるッ!」
受諾!という文字を意気揚々と扇子に掲げる理事長。
ようやく復活したらしいたづなさんがむくりと身体を起こす。
「あなたの住所がトレセン学園の敷地になってるのが三女神様の意思だとすれば・・・そういうことなんでしょうね。」
「ちょ、ちょっと待ってください!
俺は正直運動神経ゼロですよ!
全国有数のアスリートが集うトレセン中央なんて到底無理です!」
とんでもない方向に話が転がりつつある。
生まれてこの方、運動という名のつくものすべてで最底辺を這いずり回ってきた俺だ。
二人とも三女神絡みの奇跡の大安売りで思考がかき乱されているにしても、無茶ぶりが過ぎる。
今の俺がトレセン学園に紛れ込んだとしても、オリンピック強化選手の合宿に、一般人が参加させられたような状況になるのが目に見えている。
「問おう!ラベノシルフィー、貴女はそのウマ娘の身体で走ったことはあるのか?」
「・・・ないですね。」
そういえばそうだ。
俺はまだこの身体で走ったことはない。
それどころか、こっちに来ていきなり石の中に埋められたせいでいきなり満身創痍状態。
脚に力が入らなくて走るどころか歩くのがやっとの状態だ。
「走らぬうちから走れぬと答えるには時期尚早ッ!
ならばその傷が癒えた時、今一度考えてみよ!」
「それにですね・・・」
たづなさんが居住まいを正して口を開く。
「あなたは先ほど箸を折っていましたが、あれは軽く考える問題ではありません。
あなたほど成長したウマ娘の力は、制御できませんでしたじゃ済みません。
うっかりで十分他人を殺めてしまう危険なものなんですよ?
三女神様が、私に託宣を下されたのもそのためでしょう。」
これまでになく、真剣な顔でそう言われては、返す言葉もなかった。
箸で、食材を挟んで千切る、たったそれだけの行動なのに、箸を食材に食い込ませる前に箸が折れる。
ヒトであったのなら、結構意識して力を籠めないとこんな芸当はできない。
それがちょっと箸でつまんだつもりで箸が折れる。
力加減が全くできていない。
力加減だけではない。
力を入れた際に、その力を掛けた手の、指の触覚が、まともなフィードバックをしていなかった。
力を入れ過ぎたことをまともに感じ取ることすらできていないのだ。
元の身体のつもりで何も考えずに身体を動かせば無意識にとんでもない力を入れてしまいかねない状態。
ウマ娘の力を持ちながら、力加減のできない歩く凶器。
それが今の俺だった。
たづなさんへの託宣があの自称女神の憐憫?
違う。
俺はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。
単純に、俺一人じゃ生きていけない状態に、俺はいる。
俺はまだウマ娘としてこの世界で生きていくための最低限のレベルに達していない。
そして、きっと、女神には女神の意図がある。
ヒトである俺をウマ娘に変えてまでここに入学させようという意図が。
この世界でたやすく奇跡を起こしてまわる三女神が、何の意味もなく異世界からヒトを引っ張り込むわけがないのだ。
「ラベノシルフィーさん、あなたは今日から私が面倒を見ます。
この学園に入学するかどうかは別として、しばらく私の家で同居しましょう。
理事長、とりあえずはこれでよろしいですか?」
「承諾ッ!」
「・・・お手数おかけします、たづなさん。
よろしくお願いします。」
俺はただただ、たづなさんの提案を受け入れることしかできなかった。
その言葉を待っていたかのように、かすかにチャイムの音が聞こえてくる。
「さて、昼休みは終わりだッ!」
「ラベノシルフィーさん、申し訳ありませんが、私たちもお仕事がありますので、退勤の時間まで時間を潰していてくれませんか?」
たづなさんが棚から首にかける来賓プレートと、校内の見取り図を出してきて渡される。
力を制御できないウマ娘の俺が勝手に出歩いていいものかとも思ったが、この学園内であれば、ウマ娘が使用することを前提とした設備が整っている。
壊そうと意図しない限りそうそう壊れるものはないらしい。
「日が暮れたころに、こちらに戻ってきていただければ結構です。
それまで自由に学園を見学してください。
ヒトの職員もいますので、行動は慎重に。
やたらと手足を振り回さないよう気を付けてくださいね。」
・・・俺の脳裏を既視感が襲う。
『他の人もいるんだからね、はしゃいでぶつかるんじゃないよ!』
子供の頃、出かける際に今は亡き母親からかけられた言葉。
言葉は違えど、俺はたづなさんから母が我が子にかけるような心配の雰囲気を感じた。
たづなさんが踵を返して理事長の横の席に着く。
これまで、俺がらみのドタバタに付き合わされて仕事が滞っていたのだろう、理事長もたづなさんもバリバリと書類仕事をこなし始めた。
理事長室を出た俺は、来賓プレートを首からぶら下げて、職員駐輪場へ向かった。
重苦しく痛む太腿には全く力が入らない。
疲れ切った登山者がようやく足を前に出して歩くような足取りで、歩みを進める。
目的は、俺と一緒にウマ娘世界に落ちてきたバイクだ。
この満身創痍の身体の状態ではバイクなど運転できないだろう。
まして、力加減ができない状態ではバイクに乗ろうものなら、ブレーキレバーを握りつぶしてブレーキロックから大転倒をかます恐れまであった。
しばらくバイクは封印だ。
俺のバイクはそれなりに古い機種の為、キャブレターを積んでいる。
長く乗らないのであれば、そのキャブレターにガソリンが落ちていかないよう燃料コックを閉じておかないと、次にエンジンをかけるときに不調で苦労する羽目になる。
次に乗る時の為にも、それだけはやっておきたかった。
のろのろと、学園生が集団で練習するトラックの脇を抜け、チームルームのプレハブや職員寮が立ち並ぶ区画に入る。
その一角の駐車場を囲むようにして、職員用の屋根のついた駐輪場があった。
このどこかに、俺のバイクが置いてあるはずだ。
見渡すと、見慣れた赤いバイクと、そのバイクを眺めてはしゃがんだり、反対側に回ってみたり、ちょっと離れてじっと見つめてみたりと忙しなく動いているジャージ姿のウマ娘を見つけた。