【古文】不死者物語   作:紫式部(仮)

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第一段

 

いづれの御時にか御覧ぜられたまへるらん。

 

あはれと思ふこともなしや、 この世は常の住み家にあらじ、 夢幻の如くなりてさめてゆけば、 憂きことのみ多かりける。

 

わが身一つはもとの身にして、 なほいくつかの身を持するごとく、 おもひがけなくに、 こよなきものなどはありけむ。

 

命すらも心にかけず、 ただ空に生きゆくほどにもがななむ。

 

かくても悲しう世を過ぐして行かんとす。……………………何事にも代え難き玉をば持ちたる人ぞ羨まし。

 

「おろかにもこの世のことわりには、たゞだつらく、 無常の風に身をまかせ」

 

「われ今よりのち、 いかなる業をなすべきぞ」

 

と、いぶかる声を聞きたまふ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんじは生身の人間ではない。しかし、死すべき肉体を持ちながら、 また同時に生きている。そのふしぎを考えてみよ」

 

と仰せられぬるによりて、

 

「いとかしこく、 たゞもう恐ろしく、 かかる身になり果てたるを、 いかにせん」

 

と、うち嘆きければ、

「さらば、我がために苦しむなかれ。汝は我とともにあるべし。我が子となりて、 この世に生を受けよ」

 

とのたまふ。

 

「御子を産みてはならぬ」

 

とは承りおきしかども、 親の心には勝たれざりけりと知る時、

 

「それならばせめて、 御子のおんそば近く侍らせ給へ」

 

と申されぬれば、

 

「それは許したまふ。我が君として生まれ出でませ」

 

と仰せられて、

 

「おのれの体躯のままにて、 この世に生まれ出でさせ給へ」

 

と念じられければ、

 

「われ、必ず、 この世の人にならめど、この世にありながら、 他の世界に住める者となるまじ」

 

と申し上げつつ、 わが身の中に入らしめたまひき。

 

この上なき嬉しさに、 涙ながらに、

 

「なんぢの子となりて生まれ来つるかな」

 

と言ひたりければ、

 

「まことに、我が子となれり」

 

と、大喜びに笑まれける。

 

これを見て、

 

「わが子にこそあれ」

 

と仰せられて、

 

「そなたが名は、 我と同じ名を負へ」

 

と仰せられければ、

 

「いかさまにも。同じ名の人は幾人もおりますけれども、 吾はその人の名なり」

 

と言いて、

 

「父なる人と同じき名前をつけさせ給へとは、 畏れ多くも尊くもあるかな」

 

と、喜ばれぬ。

 

さすがに、いと清げにて、 美しき姿なれば、

 

「わが妻とならむ」

 

とのたまひて、 姫君の御殿に入れさせられ給ふ。

 

御方様は、おほかたの人と変らぬほどの容貌にて、 物思はしげに、 心憂く、もの思いがちにおはします。

 

「何ぞ憂きことあるや」

 

と仰せられれば、

 

「いにしへのことよりも、 かくは苦しきことはあらじとは知りながら、 何とも心安からね」

 

と仰せられて、

 

「かほどまでにも苦しむることあれば、 何をも聞きたてまつるべきぞ」

 

と仰せられければ、

 

「この世に住む限りは、 聞くべきことあらば聞かざるべからず」

 

と仰せられて、

 

「なんじはいかなる人なりと問はるるに、『我は人ならず』と答えうるものなり。

『人ならず』は、『人にはあらじ』の意にて、 この世の人にはあらず、 別世界の人なり。

『人にはあらじ』は、『人にはあらじ』の義にて、 人でないなり」

 

と、仰せられぬるを、

 

「いとうれしう聞けることなり」

 

と仰せられて、

 

「なんじはいかなる人ぞ」

 

と仰せられば、

 

「われは人ならぬがゆえに、 人のことを語り得ず。しかして、わが身のことを語るべきかな」

 

と仰せられて、

 

「われは人ならぬがために、 人に語らるるを好まず。しかして、わが身のことは語るべし。わが身は人ならず。人ならざれば、わが身のこともまた人に知られじ」

 

と仰せられぬるを、

 

「あはれみ深きことなり」

 

と仰せられて、

 

「なんじの苦しみは何事によるぞ」

 

と仰せられれば、

 

「わが身の悩みをば、 なにごととも知らず、 なにごとの所以にて悩めるかも知られず」

 

と仰せられけり。

 

「なんじは人ならずといふに、 この世に生きあり。いかにしてぞ」

 

と仰せられければ、

 

「わが身のこと、われは知らぬ。いかにも知らでいる」

 

と仰せられて、

 

「この世に生を受けたればこそ、 我は苦みを知る。されど、もしもこの世に生を受けざりせば、 我が身は人と同じくて、 わが身にも我は知るはずなりしものを」

 

と、悲しく言ひたれども、

 

「この世に生まれたるより、 わが身は苦しめり。この世はわが身に苦しみ多かり。この世の空しさ、この世の無常を知りたり」

 

と、嘆きたまへば、

 

「この世に生まれ出でたるによりて、 この世の苦しみは生まれたるものなれば、 この世に生まれるは、 この世に苦しむに同じ。

されど、この世に生まれなければ、 わが身は生まれなんだものなるに、 わが身にも我が身をも知ることはできねば、 この世に生まれいでて、 この世を思うこと、わが身を苦しめたり」

 

と、言いたまへば、

 

「いと賢き言葉なり。この世に生まれて、 わが身にもわが身をも知りえたる者は、 この世にありて、 この世のことを知るに足れるのみ」

 

と、宣ひて、

 

「なんじは人ならずとも、 人に近く侍りて、人の苦しみを見る。さて、いかでか人の苦しみを取り除き給はん」

 

と、言ひたれば、

 

「わが身にもわが身をも知れぬものに取りて、 取り除けるものならば、 人の苦しめ奉らんものを」

と、答へて、泣きぬ。

 

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