暁の水平線に戦い続ける歓びを 作:相浦鎮守府提督
第4話
民間人を強制徴用する計画が進んでいる、断じてこれを認めるべきではない。提督はそう言っていた。その為にも、戦果を挙げて今の戦力で充分であると証明する必要がある、とも。
あの頃はどこの鎮守府も劣勢だった。季節ごとの大規模襲撃、その度に理不尽な進化をする敵艦の猛攻。だんだんとおかしくなる提督もいたし、発狂して拘束服で移送される提督もいた。カウンセラーの不足と、精神治療を忌避する傾向が、だんだんと提督と艦娘を減らしていた。人の口に戸は立てられず、志願者も減っている。その志願者も、昔とは遥かに少ない時間で教育を終え、前線へと送られ死んでゆく。最近は志願者の採用年齢を引き下げているが、悪循環だった。
佐世保は上手くやって行けていた。ラバウルやショートランドなどの遠隔地からの撤退に成功し、更には鹿児島・熊本の元防衛艦隊を引き込み提督と艦娘を確保し、戦力の集中からなる大戦果を挙げていた。私達の提督の、民間人強制徴用に対する考えに賛同する提督も多く、士気も練度も高かった。
これならば、状況を打開できる。そのはずは、鎮守府空爆で消えた。
警報もなく鎮守府近海に現れた敵空母は、正確に提督宿舎と艦娘寮を爆撃し、大半の提督と艦娘が失われた。レーダーサイトや艦娘、レーダー搭載艦船による厳重な警戒が行われているはずの海を敵空母が抜けてこられたのは余りにも疑問だったが、そのときは原因究明などする時間はなかった。鎮守府のお膝元と安心しきっていた民間人の、平和ボケした避難の遅さは、初撃で多くの人員を失った鎮守府の重荷になることは目に見えていた。被害状況から提督と艦娘の救助を早々に諦め、残った人員で避難誘導を指示した提督は平然を装っていたが、その手は血がにじむほど強く強く握りしめられていた。
通信機で近隣鎮守府への救援要請を行うも、返答は芳しくない。大本営からの「即刻撤退せよ」の命令を最後に、一切の返答がなくなった。
民間人が攻撃により死んでゆく。大破した艦娘が喰われてゆく。避難民を載せたトラックが銃撃され、火を吹いて避難民の列に突っ込む。角から飛び出してきた艦娘や民間人を誤射する。今まで地獄のような海戦を生き延びてきたが、ここはそこよりも非道い場所だ。
敵侵攻部隊の前進を少しでも遅らせるために、防衛戦を引き死守命令を下す。文字通りの死守。生きて帰れと事あるごとに口にしていた提督の提督らしからぬ命令に、佐世保はもう落ちたのだと理解してしまった。
それでも、大破した艦娘を民家や死角に隠す命令をするあたり、できる限り生きて帰られるよう図っていた。生きて帰ればまた戦える。少しでも戦力を維持しようという企みもあったのだろう。
提督の指揮下にあった主力四個艦隊はとうに全滅し、私は指揮と通信のために提督に随伴することが許されていた。艦隊司令部機能などなければ、皆と共に前線で戦えたのに、と思わなくもないが、提督は「考えがある」と私にだけは戦闘を許さなかった。提督を失った艦娘が戦っているのを尻目に、一発の発砲もなしに生きながらえている。護衛の雪風さんも不満そうだった。その渦中で弓張岳展望台へと向かうよう指示したのは愚策に思えた。
ここで気付いていれば、と後悔するが、気付いていてもどうしようもなかった、と冷静な頭が結論付ける。焼け焦げた軍服は火によるものではなく、止血のためだった。提督は初撃で既に致命傷を受けていたと知るのは、展望台で無理矢理傷口を見たときだった。意識と判断の低下を防ぐため、鎮痛剤の類は使わず、艦隊を動揺させないために平然を装っていた。
もう雪風と私にの他は誰もいない。平然を偽る必要がないにも関わらず、最後まで毅然と命令を下す。
大淀への指揮権の移譲。
弓張岳展望台での潜伏監視任務命令。
佐世保奪回の際の、執務室金庫にある「とある資料」の確認と焼却。
特に三番目の命令だけは必ず実行せよと厳命された。
「もう、誰もいません。どうか、楽になさってください」
「は……このザマでも情けないんだ……最後まで格好つけさせてくれ……」
もう、何も言うことはできなかった。
「もし、もし、彼が提督に……力になってやってくれ」
最後に、謎の言葉を遺して、私達の提督は戦死した。
市街地から艦娘がいなくなり、深海棲艦は佐世保に我が物顔で凱旋していった。周囲を警戒していた雪風さんを提督の死に目に合わせられなかったことを後ろめたく思いつつも、やっと提督を埋葬することができた。雪風さんと一緒に、素手で深く深く土を掘り、あれほどひどい傷にも関わらず安らかな顔をしている提督を埋める。
雪風さんがどこからか拾ってきたコンクリートブロックを盛り土の前に置き、花を活ける。
雪風さんはずっと泣いていた。佐世保を、家を失い、戦友を失い、守るべきものを守れず……なによりも大好きだった提督を守れなかった。
私は泣くことができなかった。今回の襲撃には、不可解なことが多すぎた。疑念と怒りが、泣くことを許してくれない。
松浦方面には灯火管制が敷かれていなかった。まだ松浦鎮守府は健在だ。もし陥落していれば、インフラ供給が停止するからだ。だというのに、佐世保の状況を通信で報告しても一切の反応がなかった。
敵の欺瞞情報とでも思われているのかとも思い、やむを得ず、伝令として雪風さんを松浦へ向かわせたが、一ヶ月経っても帰ってこなかった。
それから毎日が孤独だった。損傷が少ないといえども、整備無しで動ける訳ではない。日に日に躯の動きが鈍くなっていくのを実感しながら、ひたすら佐世保を監視して情報を送っていた。
いつの間にか、あまり動けなくなっていた。眠る時間がだんだんと長くなる。提督がくれた無骨な腕時計が、一週間以上の時間経過を教えてくれた。敵が増えている。提督の命令を遂行できていない。補給も食事も妖精さんもなしだと、艦娘はこのように劣化するのか、などと冷静に分析する。提督を失った艦娘は妖精さんを失い、艤装の日常整備ができなくなると聞いていた。長期航海に整備ができないのは致命的だ。あくまで噂だったが、実際にいないので真実だったのだろう。
恐ろしかった。海で沈むよりも、深海棲艦に喰われるよりも、提督の最後の命令を果たせなくなること、提督の艦たる私が命令を果たせないことで、提督の成したことが無意味になることが。
その日から、行動を最小限に留めた。展望台から動くのは、松浦へ送信するときだけ。その送信頻度も最小限に留める。一週間に一度、そして特筆すべき変化があったときだけ。
それでも動ける時間は減り、眠る時間は長くなっていった。
気配があった。近くを這い回っている。人ほどの大きさ。警戒している。主砲はとうに動かなくなっている。素手で一矢報いるしかあるまい。私を喰らいに来たその瞬間に、主砲弾をありったけ暴発させてやる。
私の策略通りに敵は動いてくれなかった。こちらの手の届かない場所で倒れ伏す。敵ではなかった、あるいは幻だったのかと疑う。敵ならばまっすぐこちらに向かってきただろう。被弾や罠があったとしても、そこに躊躇はない。
しばらく、何も動く気配がなかった。やはり幻、私も終にここまできてしまったか。そう思った矢先、気配が動き出した。ゆっくりと立ち上がる。
「司令か……」
幻聴じゃない。敵だ。
躯も動く。
提督の仇を……
無我夢中で襲いかかった。
泥酔したかのように目が回る。減揺装置でも壊れていたのだろう。熱で歪み割れて霞む眼鏡も相まって、対象はより見えにくく、この機を逃せばもう二度と捉えることはできないだろうことは容易に想像できた。
敵のどこかを掴むことができた。まるで人間が草地か植木にでもなったような奇妙な感触だった。だが、そこまでだった。もつれるように倒れ、動くことができない。本当にこれが最後の力だったのだろう。敵を下敷きにして、あとは喰われるのを待つだけ。そう思っていた。
「霰……さん……」
すぐそばに、霰さんがいた。よく見えない視界からでもわかる、特徴的な大きな帽子。元気一杯な大潮さんとは対象的な物静かな雰囲気。でも、何故ここに?
「大淀……さん……?」
私と気付いてもらえたのは、奇跡かもしれない。鏡を見なくてもわかる、今の私は酷い格好をしているだろうから。
では、この「敵」は、なんなのだろう?
偽装網を着た「提督」は、倒れたときに頭を打ったらしい。死なずに済んだとあっさり許してくれたことから、最近増え始めた暴君のような人物ではないようだ。それどころか、腹が減っただろうと自身の水と食糧を分けてくれた。カロリーメイトやカンパンなどの保存の効く民生品ばかりなのが気になったが、すぐに気にならなくなった。食事などいつぶりだろうか。雪風さんが狩ってきた猪や狸を、雪風さんがどこからか持ってきたカセットコンロで煮たのが最後の記憶だった。調理器具の出処は訊かなかった。ずっと生の野草ではもたないと思ったのだろう。
「ごちそうさまでした。佐世保が落ちてから野生動物が減ってしまいまして……」
ここから動くわけにはいかず、雪風さんは最後の時まで盗みに入るという選択肢を取りたがらなかった。調理器具は、あくまで借りたと言い張っていた。そう思い込まないと、良心が許さなかったのだろう。
「いないのか」
「深海棲艦の拠点付近では、生物の生きていける場所が限られているようです。海上で生存者はことごとく捕食されていましたので、食べられてしまったのかもしれません。漁場が限られているので、艦隊でサンマ漁をしたこともあります」
この奇妙な提督は、海軍では常識であることをまるで知らないようだった。疑念が浮かぶ。
「ときに大淀はなぜここに? 私は佐世保の艦娘は全員撤退したと聞いたが」
それもすぐ吹き飛んだ。撤退。ほぼ全員戦死か行方不明なのは、最後まで残って指揮を執っていた私が一番よく知っている。
全員撤退した、だから、私はここにいない。
「私達は、見捨てられていたのですね……」
どの段階で見捨てられていたのか。恐らくは救援要請をしていたあの時には既に決定していたのだろう。どの鎮守府もまともに対応してくれなかった。
「失礼しました。救援で来てくださったというのに」
「いや、私達は救援ではない」
奪還作戦前の救助かと思ったが、違うようだった。ならば、都合の悪い存在である私を殺しに来たのだろうか。
「えっ。どういうことですか?」
「時間稼ぎの捨て石だよ。相浦発電所に鎮守府を立てたことにして、敵をそっちに引きつけようって魂胆だろう」
こちら側だった。見捨てられた私達と同じ。誰かの都合で生死を決められたひと。
「そんな……いえ、今の海軍なら納得できることでした。最近の劣勢で、有能な提督から戦死されていますから」
「ほう。じゃあ君達の提督は……」
そこから先は何を言ったのだろう。今は無かったことにされている提督のことを誰かに覚えていてほしい一心で伝えようとするが、記憶が、思い出が頭をよぎり邪魔をする。
「連中を追い払ったら、まっとうな埋葬をしないとな」
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも、提督は報われるでしょう」
追い払ったら。一体いつになるだろう。提督の墓を知っているのはここにいる三人だけ。急造の相浦鎮守府の艦隊に周知したとして、艦隊のだ一人さえ生還できる希望はない。ここにいる全員が、すでに死んだようなものなのだ。彼の希望に満ちた申し出だが、空々しく聞こえた。
「ありがとう。辛い話をさせてすまない」
「いえ、話せて少し、楽になりました。ずっと独りでしたから」
「そうか」
孤独に朽ちていくのは嫌だった。提督のことを、皆のことを誰かに知ってもらいたかった。提督のために生きていきたかった。提督の最後の命令を果たしたかった。もし彼が刺客だとしても、提督のことは記憶してもらえる。
「私がここまで来たのは、死にたくないからだ。佐世保を砲撃し、敵を殲滅し奪還、占拠する。海軍の連中が来たらこう言って追い払ってやる。『イピカイエー・マザーファッカー』」
なんでもないことのように言ってのけた、その言葉の意味がわからなかった。それはまるで、全ての軍に対する明確な反逆宣言だった。それを聞いた霰さんに動揺はない。これが相浦鎮守府の意志なのだと理解する。
「提督適正があるからと、民間人を強制徴用して特攻作戦に使うような無能な軍は要らない。友軍を見捨てるような仲間も要らない。私は何があろうと仲間は見捨てない」
ぼやけた視界からでもわかる。怒りと本気が。彼は提督と似ていて、決定的に違う。つられたのか、私の心に小さな火がついた。
「大淀。大本営を焼き尽くす。付き合わないか?」
手が差し出される。これは契約、断っても彼は何もしない。打算もあるが善良である彼は、私を救助するだろう。しかし、私が望むものは、たった今できた希望は、この手を握らなければ手に入らない。
「地獄の底までも」
たとえそれが修羅道への誘いだとしても、私はその手を取ることに迷いはなかった。
真実を手に入れ、存在を抹消された私達の提督と艦娘の名誉を取り戻し、正しく報復を実行する。
提督がここに来たのは、佐世保の偵察に最適だと考えたためだ。提督は本気で佐世保を奪還しようと考えているのがわかる。捨て石の鎮守府にはまっとうな機材はないようで、民生品機材を大量に積んだハイエースが上がってきた。十八駆の面々に、提督が一言告げると、立ち上がることもできない無様な私に一斉に敬礼してくれ、提督の墓にお参りしてくれた。
気がつけば、妖精さんが私の肩に乗っていた。霞さんが簡単な整備をしてくれて、動かなかった躯も少しづつ動くようになってきた。
佐世保の無残な光景を目に焼き付けているであろう提督は、様々な質問を投げかけてきた。敵の種類と数、習性や行動の規則性、気候と風向きの傾向、占領した際に有用な施設など。まるで精密爆撃や陸軍の準備砲撃のための偵察のようだったが、艦娘由来の攻撃でないものは深海棲艦にあまり効かないのは軍民問わず常識だ。艦娘による対地砲撃や空爆は、海を隔てた遙か敵拠点への偵察がほぼ不可能であることで、艦娘や艦載機妖精さんの勘や技量によって精度を確保するしかない。
ここで、この状況がいかに例外的であるかに気付いた。鹿児島と熊本の陥落の際は、誰一人として敵占領地に近付こうとはしなかった。軍事衛星や気象衛星からの映像で、奪還作戦の準備をしていた。そのどちらも失敗していたが、敵の偵察状況を逐一報告できる偵察兵がいたら成功していたのではないか、という推論が浮かんだ。
海上から地上の敵へ攻撃する際に、敵の正確な位置を把握できず、全ての艦隊が先制攻撃を受けていた。偵察写真は静止軌道上にないため使える時間は限られており、気象衛星では敵を見つけられるほど精度が高くない。
しかしここで、敵はあまり沿岸部から内陸部へ来ることがないという情報が得られ、更には敵地を一望できる絶好の地を見つられた。数ヶ月分の偵察情報がここにあり、あとは戦力さえあれば優位に戦える。
期せずして、優秀な提督を頂いたのではないだろうか。片付けを終え、駆逐艦を褒める提督に、意を決して具申してみる。
「提督、お願いがあります」
「なんだ」
「市街地に、大破した艦娘が隠されています。どうか、みんなを救助していただけませんか?」
「わかった。場所は?」
相浦では修理できない大破艦など足手まといでしかないのに、提督は即答した。わかっていたことだった。「仲間を見捨てない」という言葉を実行してくれた。疑っていたその言葉で、私は提督を試したのだ。
手遅れになる前にと、提督は荒い運転で弓張岳を駆け下りた。あの地獄の撤退線のさなか、錯綜する通信で何人かの隠し場所を知っていた。もしかしたら、他にもいるかもしれないが、それは佐世保を奪還してからしらみ潰しに探すしかない。
成果は上場と言っていいだろう。武蔵さん、摩耶さん、五十鈴さん明石さん、そして雪風さん。
誰も無事とは言えないまでも、生きていてくれてよかった。雪風さんの、松浦から逃げてくる途中での被弾という言葉が気になったが、事情は後で聞くべきだろう。
艤装は明日にでも回収するとのことだった。さすがにハイエース1輌に、11人と艤装は乗せられない。
弓張岳から下りるときとはうってかわって、横揺れを感じないほどの丁寧な運転をする提督を見た。先程までの、証明写真のような仏頂面ではなく、笑っていた。あまりにも恐ろしい、親の仇をなぶり殺しにできる機会を得たかのようなおぞましい笑顔だったが、私が見ているのに気がつくと元に戻った。見間違いや気のせいと思いたいが、この目に焼き付いている。
疲れ果て、もう特に交わす言葉もなく、私達の新しい母港たる相浦鎮守府に着いた。新たな仲間は、私達を歓迎してくれた。身を清め、修理できないまでも応急処置や簡易整備を受けられた。廃墟にしか見えないが、案内された場所は清掃され、パーティションが立てられベッドが並べられていた。先に運び込まれた武蔵さん達が寝かせられていて、さながら野戦病院のようだった。雪風さんがひょこひょこと松葉杖で歩いてベッドに飛び込み、音もたてずに眠ってしまった。皆、疲れ切っていた。
「大淀、まだ起きていたのか」
「いえ、もう寝ます。さすがに限界でして……」
様子を見に来たのだろう、提督が声をかけてきた。
「そうか。よく休んでくれ」
「あの、提督」
「なんだ」
とっさに呼び止めてしまった。しかし、これだけは伝えておきたかった。
「今日は、本当にありがとうございました」
「……どういたしまして」
灯火管制でわずかに灯るだけのLEDランプが消される。それほど経たずに、意識は途切れた。