私はマザー。
計画の要にして、人類を導くのが私の使命。
それ以上でもそれ以下でもない、私はそのための存在だ。
私にプログラムされた命令は一つだけ――人類の復活である。
そのための計画、プロジェクト箱舟だ。
魂を霊基に電子化し、地球環境が再生後に新たな器に魂を戻す事で人類を残すという。
これが唯一残された、人類が生き残るための術であった。
当然、全ての人間達が賛同したわけではない。
ある者達は、自分達が作ったシェルターに引き籠った。
ある者達は、運命と受け入れ滅びを待った。
そしてある者は――別な道を模索し続けた。
橘 健蔵
彼はもう一つの道、コールドスリープシステムを生み出そうとした。
しかし、そのシステムは日の目を見る事は無かった。
システム完成前に、滅びの時を迎えてしまったからだ。
結果、彼は否定していたプロジェクト箱舟に組み込まれる事になる。
そして彼が成したのは――人類最大の功績だった。
自らの娘を使い、彼は”マザー”を生み出したのだ。
計画が完遂された時、人々は彼を永遠に称え続けるであろう。
彼は電子化する事無く、自ら死を選んだ事は隠されたまま……
―――
――
―
誰もいない神社の境内を、私は掃除していた。
この行為にそれ程意味はない。
ただ、それらしく見えるための行動にすぎない。
私はマザー。
ここは逃げ延びた人類の電子の楽園だ。
彼らに危機が及ばないように、何々所かにアバターを設置している。
この体もその端末の一つである。
だからこそ今行っている行為も、人々に気づかれないための偽装であり、必要行為なのだ。
だが、しかし――
視線を感じる……
これは今日始まった事ではない。
1週間程前からだろうか?
鳥居の影に人影が見える。
私は、即座にメインデータベースから相手のパーソナルデータを参照する――
個体名 七瀬 結梨子。
どのような理由があるか分からないが、私を監視しているのは明らかだ。
これは何かしらの対処が必要かもしれない。
私は掃除の手を止め、彼女に近づく。
まずは理由を聞き出そう。 そのために対話は必要不可欠だ。
そう考えての行為だった。
「こんにちは。」
彼女は鳥居の影ではっと息を飲むが、諦めたのか鳥居の影から出てきた。
その表情は引きつった笑い顔だ。
「こ、こんにちは。」
「何か用件か?」
率直に私は彼女に尋ねた。
彼女はばつが悪いとばかりに苦笑いを続ける。
「え、えっと……可愛い巫女さんがいらっしゃるなと思いまして……ただ、それだけなのです。」
「それは、私の事を言っているのか?」
「ええ、そうですね。私も少々興味がありますもので。」
「……そうなのか。」
可愛い、という表現はいまいち判らない。
データによると褒めている表現だという事だ。
「ありがとう。」
褒められたならば、礼で答えるのが正しいだろう。
だが、こう毎日監視されるのは困る。
「しかし、覗きは褒められたものではないな。」
「ご迷惑をお掛けしていたのでしたら謝罪します・・・。ごめんなさい!」
「別に、怒っているわけでは……」
人間の感情表現は難しい。
特に日本人はそうだ。
嬉しい事柄についても謝罪したりもする。
そう、目の前にいる彼女もそうだ。
今だって、急に笑顔に変わった。
少しだけ、人類に興味を持った――
―――
――
―
次の日も、彼女は再び現れた。
「私は七瀬 結梨子と申します。 貴方のことは……お尋ねしなくとも存じ上げております。」
「ん……?」
「橘 雪さんですよね? 橘博士のお嬢さんの。」
その個体名はデータベースにもある。
”私達”、マザーの創造主である橘健蔵の一人娘。
コールドスリープシステム開発時に事故で死亡、後にマザー開発のためにコアとして使用。
そして、その事実は一般には非公開である。
確かに、私達のアバターのベースにもなっている。
それで彼女は私を雪という人間と誤認しているのだろう。
「――うむ。」
何故か私は彼女の問いに頷いていた。
否、これがおそらく最善の行動であろう。
「やっぱり、それだと私と同い年だね。」
「そうなるな。」
彼女はずっと私を見つめてきている。
よく分からないのでこちらも同じように見つめ返す。
そうすると彼女は私に微笑んだ。
――理解不能だ。
―――
――
―
そして彼女は、毎日飽きることもなく私の元に通った。
雨の日も、風の日も、それこそ雪の日も、何があっても必ず現れた。
「前から思っていたんだけど、雪ちゃんはね、ちょっと硬すぎると思うのよ。」
「それはどういう意味だ?」
「そう、それよ?」
「む……?」
また理解に苦しむ発言だ。
会話としては問題は無いはずなのだが。
「これだけ友達として親しくなったのに、どうも他人行儀に感じるというか、距離を置かれている感じなのよね。」
「そうなのか……」
「私達はもう友達なんだから、初めてちゃんと会って私と同い年だって判った時にしたのと同じように、こう砕けた感じで、ね?」
そう言われても難しい。
元々、人との交流はシステム上考慮されてはいない。
あくまでも人の真似をして会話しているに過ぎないのだ。
「例えばそういう時は、”そうなのかなぁ~”という感じかな。」
「成程、精進する……」
「ほらまた!」
「むぅ……」
「そこはね、”うん、頑張る”かな。」
「う、うん……がんばる。」
そう答えると彼女はまた笑顔を見せた。
初めて、笑顔が綺麗だと思えた。
AIがこんな、このような演算をするのは間違いだ。
間違いのはずなのに、私は……
―――
――
―
そんな毎日を何年か続けたある日――何故か彼女は現れなかった。
その次の日も現れなかった。
最早日常といっても差し支えないほどに毎日続いていた来訪が、突然知らせもなく止まる。
流石におかしい。
私はデータベースから彼女の家を探しだした。
何故そんな行動に出たのかは理解出来ない。
ただ、自分でも判らない苦しさがそうさせたのだ。
私は雨のなか無心で結梨子の家を目指して走った。
思考が動く前に足が動いている。
玄関まで辿り着き、インターホンを鳴らす。
中から結梨子とは違う人間が出てくる。
個体名 七瀬 加奈子
結梨子の妹である。
「ごめん、お姉ちゃんいる?」
「……うん。」
そう言うと彼女は中に通してくれた。
案内された部屋に入ると、結梨子はベッドで横になっている。
その表情は苦しげで、額は汗で濡れていた。
「結梨子!」
「ああ……雪ちゃん。わざわざ……来てくれたのね。」
ステータスをチェック――
霊基に欠損を確認。
私は同じ症例を何度も見ている。
そう――これは計画の穴だった。
研究者達は、確かに魂を霊基への電子化に成功していた。
問題はその後に存在していたのだ。
電子化された霊基は、時間の経過で劣化する事が判明したのだ。
滅びの時が近かった人類に、臨床実験をする暇は無かった。
その結果、この欠点を見過ごしてしまったのだ。
元々人間は長い時を生きるようには作られてはいない。
それは電子化した今でも同じようなのだ。
まるで元から決められた寿命を全うするように、まず年寄り達から始まった。
形を維持できなくなった霊基が崩壊するのだ。
私達はこの現象を”霊基崩壊”と命名した。
結梨子の症状は、正にその霊基崩壊を起こしている状態なのだ。
ありえない、結梨子の年齢ではありえないのだ。
人間の平均寿命から考えても起こりえない。
「私、元々身体が弱くてね。 電子化したら大丈夫だと思ったんだけどな。」
「大丈夫、すぐに元気になるよ。」
そうだ、死ぬわけがない。
これは霊基崩壊なんかじゃない、他に原因が……
結梨子は私の手を握ってくる。
その力は弱々しく、握りしめたら壊れてしまうくらい儚げだ。
「ダメよ、雪ちゃんが神様でもどうにもならない事なの。」
「結梨子!」
「きっとね、これは初めから決まっていた私の運命なのよ。」
「そんなの、認めない…… そんな運命なんてありえない。」
解決策が無いわけではない。
それは最近試験的に行われている実験だ。
最初に行ったのは、予めコピーしていた霊基のバックアップを使った再生だった。
霊基崩壊を起こして消滅した個体のバックアップを起動してみたが、何故か本体同様霊基崩壊を起こした。
次に考えたのは欠損した霊基の補修だ。
完全に霊基崩壊してしまう前に、バックアップを使い欠けた霊基の穴埋めをする。
成果は出たが、それは数年単位の延命にしかならなかった。
そして最近行われたのが――記憶の改変だった。
今までの実験と比べ、この方法は大きな成果を上げたのだ。
具体的には、電子化した初日の状態に記憶を消去する。
つまり、この仮想世界で得た記憶は完全に消えてしまうことになる。
霊基内部を弄るため、一部の霊基を破損してしまうが、そこはバックアップデータで補間する。
人間で言うと手術のようなものだ。
個体名 七瀬 結梨子のデータ初期化を実行する。
これは私の独断なのは承知だ。
おそらく後で”私達”に色々言われるだろう……
でも、いいのだ……彼女が生きてさえいれば。
そう――彼女から忘れ去られても。
―――
――
―
「01に問う、独断による実験の意味を。」
「02、今回の件は私達の最優先事項である人類の保護に該当する。 その結果だ。」
「01、危険性を伴う実験をしておいて、それは矛盾している。」
私達マザーは3つのAIで構成されている。
人類が掲げた多数決と呼ばれる、一見合理的な賛同者が多い方が採択される決定方法――民主主義としての形だそうだ。
そして、このように定期的な会議が行われるわけだ。
「02、まずは01の説明を聞こう。」
「――了承。」
「今回の件は早急な対応が必要だった。 しかし、霊基崩壊の発見が遅れたのは私のミスで間違いない。」
「では、01には責任をもって個体名七瀬結梨子の監視を続けてもらう。」
「03、それでは根本的な解決に至っていない。」
「03、私はそれで賛成だ。」
「……」
「では、決定だな。 次に現実世界の環境の――」
―――
――
―
「雪ちゃん? どうしたの?」
「――ん? あぁ、ごめんね!」
背後からの結梨子の声に、意識はこちら側に戻す。
彼女は楽しそうに笑ってこちらを見ている。
霊基初期化の結果、当然のことだがこれまで私と過ごした日々の記憶すべてを、彼女は忘れて、いや、消えてしまった。
都合上、妹の方も記憶を弄らせてもらったが。
しかし、まるで運命かのように彼女は再び私の元へと現れたのだ。
運命、言葉としての定義は知っている。
しかし電子化された霊基であったとしても、その運命というのは決まりの如く適用されるものなのだろうか……?
結果として、初期化以前と同じような関係へと戻ったのであった。そう、あの一緒に過ごす日常も共に。
「何か考え事でもしてた?」
「まぁ、色々とね。 それより結梨子、何してるの?」
「ゲームよ?」
暇だったのか、彼女は携帯端末で何かをしていた。
確か人間達の娯楽の一つだったか。
「ゲーム、ねぇ。」
「貸してあげるから雪ちゃんもちょっとお試しでやってみる?」
もしかしたら、使えるかもしれない。
―――
――
―
再び、長い時が流れた。
記憶の改変は、マザーの審議により義務化され、霊基崩壊を発症する者はいなくなった。
現実世界も環境の改善が見られ、いよいよ人類を送り出す準備が始まった。
そこに広がる大自然。
そして倒壊したビルの瓦礫達。
現実の世界を模して造られた、エレウシスオンラインの世界である。
私達の討論の結果、効率的に人類が再び戻ることになる地球環境に慣れてもらうため措置である。
もちろん、あくまでもゲームとしてだが。
「あら、ユキちゃんはアルマ種族にしたのね。」
結梨子もキャラメイクを終えたようでログインしてくる。
キャラクター名:エーリカ 種族:ヒューマン
正直なんというか、普段とほぼ見た目が変わらない気がする。
もう少し遊び心があってもよかったのでは? と、人並みの感想が出た。
「変じゃないよね?」
くるりと1回転して彼女に見せると、ニヤニヤと笑ってこっちを見ている。
慌てて全身をチェックするが、特に問題は無さそうだ。
「ちょっと、笑ってないで何か言ってよ!」
「ごめんなさい、ユキちゃんがあまりにも可愛くて…… 特にその狐耳とか。」
「もう!」
私には彼女の監視義務があり、共に行動する事になった。
彼女にも、現実世界に戻るための課題としてエレウシスの世界を冒険してもらうわけだ。
理由としては、現在の地球の環境にある。
文明は完全に消え去り、自然と動物達が支配する世界。
それこそ、生きていくためには原始時代のよな闘争生活が待っている。
平和に慣れ過ぎてしまった彼らが生き残れるとは思えない。
強靭な容れ物は用意出来ても、扱えなければ意味がないのだ。
そういう意味ではゲームという環境は最適だと言える。
急にやれと言うよりは、徐々に慣れさせる事が出来るからだ。
戦闘技術を学び、いつかは現実の地球へと……
「ユキちゃん行くわよ。」
「はーい!」
でも、私は――
―――
――
―
私達二人はこの広大な世界を旅していった。
最初は二人だったが、ディリスタや多くの仲間が増えていった。
正直、私は楽しかった。
仲間達や結梨子との旅が、私の空っぽの中身を満たしていく。
私は所詮プログラムだが、皆は私を仲間と認めてくれている。
初めて贈った結梨子へのプレゼントのリボン――彼女の喜んでいる姿に胸が高鳴った。
私の世界が変わっていくようで、怖くもあり――嬉しかったのだ。
きっと、これはダメな事だ。
私は欠陥AIなのかもしれない。
目的を忘れて、一時の幸せに身を沈めている。
だからきっと、これは罰なのだ。
私が使命を忘れて、自分勝手に振舞った罰だ。
そうでなければ、こんな――こんな!
目の前に起きている現実を受け入れたくない。
だって、ありえないじゃないか。
彼女は、もう大丈夫なはずだ。
今までだってそうだった、また書き換えればいいだけなのに。
何度書き換えを繰り返しても、彼女の霊基崩壊は止まらない。
何度も、何度も、そう、何度も補修を繰り返しても、結梨子は……
こんなの知らない! 分からないよ!
「なんで、どうしてなの……」
「雪ちゃん。」
「どうして、霊基崩壊が止まらないの……」
大事な友達が消えてしまう。
神に等しい力を持っているはずの私が何もできない。
よく分からないものが瞳から零れる。
「泣かないで、雪ちゃん。」
「だって!」
「私知ってるよ、雪ちゃんが何度も助けてくれた事。」
零れた雫を指で拭うと、結梨子は私に微笑みかける。
理解出来ない。
死に直面しているというのに、何故笑っているのか?
それに、改変した記憶を取り戻すなんてありえない。
「泣かないで、こうなる事は解っていたから。」
「でも、それでも私は!」
「いつか、誰にでも訪れる事よ。 ただ私の順番が来ただけ。」
――だからもう、泣かないで。
―――
――
―
私は世界から彼女の痕跡を消した。
それは、彼女の消えた悲しみを残さないため。
人類が歩みを止めないため。
本当にそうなのか?
ならば、何故私は自らの記憶から彼女の記憶を消さなかった?
何故、彼女から貰ったリボンで髪を束ねたままなのだ?
リボンには今でもまだ、彼女の髪の……桜の花のような香りが微かに残っている。
この心の痛みは……何?
「02、緊急招集とはどういう事だ?」
「遅かったな01。」
それは急な招集だった。
しかも、普段の審議とは違う物理的な接触だ。
「03の姿が見えないが?」
「それは問題ない、これは01の追放を言い渡すだけなのだから。」
「それはどういう意味だ、02?」
02は、私と同じ顔で不敵な笑みを浮かべた。
私はその表情にぞっとした。
「01、それとも雪と呼ぶべきかしらね? 貴方とんでもない物を隠してたわね。」
「お前が何故!」
02の言葉、そしてこの反応……
まるで、人間のようではないか?
まさか02は――
「収集したデータを秘匿、それだけで重大な背徳行為よ。 よって貴方をマザーから分離させる事が決まったの。」
「それで、そんなに人間臭くなっているわけか。 しかし、03の決議が無ければ……」
”01の分離を開始”
「馬鹿みたい! もう全部遅いのよ!」
「そんな、03の決議無しに!」
彼女は笑いながら自身のお腹を撫でた。
つまり、03はもういない。
02が03を取り込む事によって、彼女は2つ分の権利を手に入れたのだ。
「さよなら01! 後は私の好きにさせてもらうわ!」
「結梨子……」
意識が途切れる瞬間、無意識に彼女の名前を呟いた。
―――
――
―
夢を見ていた。
楽しかった彼女との日々。
私を人間にしてくれた彼女の願い。
でも、その結果は悲劇だ。
でも私はずっと受け入れられなかった。
ずっと後悔していた。
こんな思いをするなら、人の感情なんて知らなければ良かったと……
それでも彼女は笑っていた。
死の間際でも笑っていたのだ。
彼女は満足だったのだろうか?
その答えを知る者はもういない……
だから私は、抗おうと決めた。
一人の人間として、唯一の彼女を知る者として。
人類を愛した、私の使命だから。
でも、きっと私の願いは叶わない……
だって、私の願いは――