まだ読んでくれている方がいて嬉しい限りですし、これから読んでいただけている方がいるのも嬉しいです。ありがとうございます。
レモン味のミンティアが好きです。
「フィ」
「よしよし、ここか?」
「フィルゥー」
「ここだな、ここなんだなエーフィ??」
「フィィィィン……」
光の差し込まない薄暗い室内で、カイルは一心不乱にピンクの毛玉をあちらこちらからモフりまくり、ツンと尖った口元から顎下までを指でカリカリと掻くように撫でる。そうして長年の付き合いで会得した絶技に酔いしれる毛玉ことエーフィは、心地よさそうにしなやかな体をくねらせると、ゴロリとお腹を見せて寝転んだ。
「カイルくん」
実にあざとい、そして愛くるしい仕草である。
彼女は自分の魅力とその愛嬌を、的確にカイルの琴線へとそれを振りまいてくる。こちらも負けじとあぐらの姿勢を崩してその場に倒れこみ、伸ばされた両の前足を掴んで肉球を堪能しようとーー
「あの、カイル君」
したところで、にゅっとカイルたちの間に割り込むハサミ。
なにこれやめてくれせっかく楽しんでたのに、と考えるところへ更に割り込むようにして、ハサミの持ち主がカイルを抱きかかえるようにして飛びついてきた。
「グラーー!」
「なっおま、若干痛い、いたいいたいやめろ、話なら聞くから!?」
若干かまってちゃんな性格らしいグライオンは、見るからに人懐こそうな笑顔を浮かべてカイルの頬に顔を擦りつけてきた。訳すならば「こっちにも構ってー」とか、そんなところだろうか。
そこだけを切り取れば、非常に微笑ましいものである。しかし硬い表皮と無駄に力強い所為で、カイルの肌が削られそうになっているのは如何なものか。
「グライオン。遊び相手が増えて嬉しいのはわかりますが、もう少し優しく」
「の、ノボリさん! もっとしっかり止めて! 俺の顔がゴリゴリ削られてますから、いやこれはこれで悪くないけど!」
「どっちですか」
苦笑い、
「くチー!?」
そうこうしている内に、すぐそばで惰眠を貪っていたクチートもこの喧騒で目が覚めたらしく、うらやまけしからんとでも言いたげな様子で飛び込んできた。
ああもうめんどくさい。
▽
住みやすいが、面白くはない。
それが"恐らく"数日感過ごしたこの世界の印象だった。
何故恐らくなのかは後々整理するとして。ともかくこのやぶれた世界では、現実世界で生存に必要となる要素の大部分が不自然に省かれているからである。
「飲みますか、カイル君」
「貰います」
差し出されたカップの中身を啜り、一息。
「淹れ方なのかな。ほんと、美味しいですよ」
「褒めても珈琲しか出ませんよ」
「ぜひぜひ。なんせ3日ぶりなもんで」
「食事も満足に用意できないので、せめて珈琲くらいいつでも出せたらと思うんですがね......」
手際よく自分用の珈琲を用意するノボリは、そう心惜しそうに呟いている。
彼の言う通り食事や珈琲などの飲食物――水はあちらこちらに湧いているため不便はしていない――は、ここでは数日に1度程の頻度でしか振る舞われない。
「仕方ないですよ。そもそもがこっちに流れてこないわけなんだから」
「そう言って貰えると助かります」
事実、まともな飲食物がそれだけ手に入らない。
大気中に存在する瘴気が原因で、人体に無害な植物は存在せず。加えてギラティナ以外の生物は存在しないため、飲食物の取得経路が現実世界からの流れものしかないからだ。
衛生面も考えれば、なるだけ密封されたもの。特に缶詰などがあれば万々歳であったりする。
「......」
カップをテーブルに置き、カイルは大きく伸び。
それから、拭いきれない違和感そのままに腹に手を当てる。
「まだ、慣れませんか」
「食べ物も飲み物も必要ないっていうのが、なんというか。こういっちゃあれですが人間らしい生活じゃあないなって思いまして」
「ええ、通常通りとはいきませんね」
端的に言ってしまえば、この世界で生活する上で飲食は不要である。
必須ではない以上、しても問題はないし、逆にしなくとも問題ではないのだ。ノボリが言うには、この世界では時間の概念が存在しない――時が止まっているのに近しい状態であるため、身体機能にもそれが不自然に影響を及ぼしているのだろう、と。
それがノボリの見解だった。本人は受け売りだと笑っていたが、随分としっくりくる仮説だとカイルは思う。
飲まず食わずでの生活自体は貧乏暮らしの中で慣れたものだ。
加えて腹も減らず栄養失調にもならないというのであれば、寧ろいいことなのかもしれない。ただそれが短期間でなく長期間となれば、話は別だ。
「まあ、また何か見つかれば用意しますよ」
首をすくめるノボリはそう語り、珈琲のおかわりを注いでいる。
立ち上る豊かな香りが鼻孔をくすぐる。感覚は、生きている。ただ身体はそれを必要としていないため、そのズレが違和感となって脳内に燻っている。
短期間ならさして気にはならないだろう。しかしここでの生活が長期間に及んだ際に、その違和感がどこまで思考を侵食するのか。そう考えればこそ、カイルはゾッとする心地になる。
およそ人間的な感覚ではない。
肉体的には問題なかろうと、長期間の滞在は精神に間違いなく悪影響を及ぼすだろう。
――であれば。慣れた様子で暮らしているノボリは、一体どれだけここで。
「おかわり、用意できましたよ」
思考を遮るようなノボリの言葉が、嫌に響いて。
「そっそれで、なんのお話でしたっけ!?」
「おとと......どうしました急に」
無理に話題を変えようとした所為で、思っていたより大きな声が出てしまった。
動揺を気取られないよう、なるべく笑顔の仮面を張り付けて珈琲をもう一口。感じる風味と苦みが僅かながらカイルに冷静さを取り戻させてくれる。
一方ノボリはと言えば、零しそうになったティーカップを慎重にテーブルへと置き直し、肩をすくめるカイルへと向かい直って座りこんだ。
「そうでしたね。君を呼びつけたのは、珈琲の話をするためじゃない」
「フィル」
重苦しい雰囲気と不安を感じ取ったらしいエーフィが、カイルの膝の上にちょこんと収まる。
その様子に互いに微笑を浮かべ、ノボリは小さく咳払い。次いで、こう零した。
「この世界から脱出する方法について、話す必要があると思いまして」
「ッ、脱出!」
「待った待った。傷がまだ癒えていないのですから、落ち着いてください」
今すぐできるものでもないですしね、と。そう付け加えられてしまった。
というのも、カイルもノボリも、ここ数日間は拠点から動いてはいなかったわけで。当然カイルと手持ちの療養も兼ねてのものではあるだろうが、彼の言葉を考えれば他にできることがなかったともとれる。
例えば、タイミングや、兼ね合いだったりもきっとあるのだろう。
「この世界の出入り口は二つ。『おくりのどうくつ』とギラティナの作り出す『ゲート』です」
ノボリは語りつつ人差し指と中指を立て。
「そして、私たちが脱出に使うのは後者。ギラティナが開くゲートを通り抜け、このやぶれたせかいから抜け出します」
一瞬、正気を疑った。
「でもそれってやつと、」
「ええ。彼が開くものに飛び込むわけですから、必然的にかなり近づくことになります。正直危険ですね」
危険、程度の言葉で済ませてしまって良いのかはさておき。
可能か不可能かでは、不可能の方へ圧倒的に天秤の比重が振れているのが正直なところだ。実際カイルは対面して比べるまでもない力の差を痛感しているし、ノボリだって当然同じものを感じているはずだ。
その上で手段として挙げているのであれば、それはすなわち。
「なるほど。それしかないってわけだ」
「そういうことです。理解が早くて助かりますね」
目に見えた危険が存在する『ゲート』よりも、『おくりのどうくつ』とやらが圧倒的に脱出策として適していないのだと。そう暗に示されているわけである。
中指を下ろし、残る人差し指。その向こう側に覗くノボリの瞳には、静かに燃ゆる覚悟の色があった。
「現世に繋がる場所ではあるので、使わないのももどかしいのですが。とりあえずそんな認識で大丈夫です。どういう場所かは後々話しますが、ひとまずは『ゲート』を潜るための話をするとしましょうか」
「はい、よろしくお願いします!」
それからしばし、ギラティナの行動範囲や原理。
加えてメインで使ってくる技やこちらへの意識が薄くなる瞬間についてなど、有用な情報について手取り足取り教えてもらう時間となった。
――ちなみに。
必要な条件が全て揃った機会を落ちてきたカイルが台無しにしたことについて、マッギョ顔負けの平謝りを決めたのはまた別の話である。
ノボリは乾いた笑みを浮かべていた。
▽
これまた恐らく数日が経ち、蓄積していた疲労や怪我はそれなりに良くなっていた。
経過は良好であり、飛んだり跳ねたりバトルしたりも問題なさそうである。正直勘弁願うが、いざとなれば多少の無茶もきくだろう。
ひとまずは安心。次いで胸を打つのは焦燥感だった。
カイルがこの世界にやってきてから、恐らくは1週間程が経過している。こちらでは時間が止まっているが、現実世界ではその分だけ時間が流れているのだ。その間でのギンガ団の計画の進行度、加えてマーズの処遇を考えればこそ気が気ではなかった。
まともに動けない時にはある程度割り切れたが、行動に制限がかからない今は違う。
「ノボリさん、散策行ってきます」
「ええ。ギラティナにはお気をつけて」
もはやお決まりとなっているやり取りを済ませて拠点を飛び出し、しばらく歩き詰めてから折りたたまれた紙を広げる。
拠点周辺の地形情報が記載された地図である。日によって浮島の配置などは変わるため万能ではないものの、今のカイルに必要な情報は書いてあるため問題はない。
いくつかの大地をチャーレムの手を借りて踏破し。
逆向きに流れる川をエーフィの超能力で渡り。
近づくと道を塞ぐようにグングンと伸びる草木を、クチートに噛み切って貰って進んだ先。
「ゴホッ、ここがおくりのどうくつか」
一見何の変哲もない洞穴のようなそれを目の前に、カイルはそうひとりごちる。
入道雲さながらに膨らんだ瘴気に包まれた、上下が逆向きになっている浮島。そこに広がる湖ーー地図によれば戻りの泉と呼ぶらしいーーの中心におくりのどうくつは存在した。シンジ湖とどことなく似通った景観だが、決定的に違うのは湖の周囲や浅瀬に覗く『残骸』だろう。
頭蓋に胴体、はてには魚の小骨のようなものまで、大小様々な骨が浅瀬からは覗いていて。周辺の大地はといえば嫌な感触と赤黒いのが特徴である。なんというか、腐った肉を踏んでいるのに近いかもしれない。
微かに朱の混じる湖からは時折ポコポコと気泡が浮かんでいるのが、若干不気味であり。
改めて、シンジ湖とは似て非なるそれであると。そんなことがよく感じられる。
「景色って結構大事なんだなぁ」
「エフィ?」
「ああ、何でもない。先を急ごう」
洞窟に踏み入れば、最初は瘴気も漂っていたがしばらく歩くうちそれも無くなった。
代わりに、背筋をひやりと撫でるような冷たい霧が辺りには広がっていた。
「だいぶ視界が悪いな。エーフィ、何か感知できたら知らせてくれ」
「フィ」
短い応答と共に、エーフィは額の宝玉を薄く輝かせて。
それからほどなくして、彼女を中心としてぼんやりと青いオーラが広がっていく。原理としては結界と呼ぶのが適しているだろうか。
薄い念力を周囲一帯に張り巡らせることで、生物の動きや攻撃などがその範囲に入った際にそれをいち早く感知することができるという優れものだ。
「今のところ大丈夫そうだな」
「フィルフィル」
「よしよし、ありがとうエーフィ。しばらく使ったらチャーレムと交代してもらうけど、疲れたら教えてくれていいからな?」
「エゥー?」
気を使って提案をしたものの、彼女的には気に食わなかったらしい。
なんのこと? とばかりにそっぽを向かれてしまった。
そんな会話の折、更に奥を目指し歩き詰める。霧も段々と濃くなっていく。
その間エーフィは休まず結界を維持しつつ歩き詰めていたわけなのだけど、彼女が何かしらの反応を示すことはなかった。それ自体は安心することだけれど、一切の反応がないというのは、それはそれで不気味だったりもする。
この世界にギラティナ以外の『生物』は存在していない。
ノボリ自身からこの世界について軽く説明を受けた際、言われたことだった。
平地はギラティナがいるため、恐れていればこそ日常的に出歩いていないのも頷ける。しかしこんな洞窟の奥地にまでその威光が届いているとも思えない。
一般的には生息地域がそちらに偏るというのが普通だろう。一匹も生物が存在しないなんてことは通常ありえないし何より、それでは外で見た『残骸』の説明が付かない。
完璧にではないが、辻褄が合っていない様に思える。
ノボリは何かを隠しているのだと思った。
そう考えればこそ、カイルがこの『送りの洞窟』を目指したかいもあるというものだ。
結局ノボリからは、接的な説明はなかった。それはつまり、現世に繋がっているような場所を何故使わないのか、納得のできる説明ができないということだろう。
「エフィ」
それだけの理由があればこそ、多少の危険を冒す必要性だって出て来る、と。
考えを整理しながら歩いている内に、そこそこの距離を進んでいたらしい。気が付けばカイルたちは細道を抜け、開けた部屋のような場所へと出てきており、
衝撃。
「いったぁ!?」
「フィッ!」
目の前に壁があったことにも気が付かずに直進するカイルは、そのまま壁へとぶつかった。
「いたた......なんでこんなところに壁なんか、って。これ、」
鼻づらを抑えて立ち上がるカイルの目の前に広がるそれは、不自然に整えられていた。
部屋の壁がゴツゴツしている中、まるで黒板のようにカイルに向いた面は綺麗に削られ整えられ、中心部分には文字とちょっとした絵柄なんかが刻まれていたりする。
要するに、壁画である。人なんか存在しないはずの場所で、明らかに人の手によって創られた何かが目の前には存在している。
「壁画なんだろうが、随分とひどい状態だな。ここなんかもう読めないし、えーっと?」
その壁画は、随分と昔からあることだけはよく理解できた。
保存状態が良くなかったらしく、あちらこちらにヒビが入ってしまっているし、なんだったら重要な本文そのものが欠けてしまっている箇所が大半だった。とはいえ全てが失われているわけではないため、その大筋くらいは読み取ることができるだろう。
もしかしたらこの洞窟の本質について何か記されているかもしれない、と。そう結論付けたカイルが全体を見るために数歩後ろに下がったタイミングで、
パチリ、と頭に電気のような刺激が走った。
カイル自身、それ自体に驚きはなかった。今回が初めてのものではなかったから。
というか、今まで何度も、何十回も、感じたものだった。
故にその発信源だって正確にわかる。傍らでピンと耳と尻尾が立ち上がったエーフィである。
周囲へと警戒を始め、次の指示を待ちながら、じっとそのアメジストのような瞳でもって見上げて来る彼女が、何よりも早くカイルへと現在の状況を伝えるために行うための行動だった。
要するに攻撃か生体反応の検知なのだけど、攻撃であれば、既に何かしらの形で防いでいる。つまるところ、彼女が今しがた結界にて検知をしたのは後者である。
「エーフィ、いるんだな」
「......」
この世界にギラティナ以外の生物は存在しないのだと、ノボリは言った。
揚げ足を取るつもりはないけれど、主語が世界であるからに地上は当然、このおくりのどうくつ内でも同様であるはずだった。
視界は最悪であり、検知したのが何者なのか、またその数と目的も不明。
しかしながら言えること。
少なくともこの場においての結論を挙げるとするならば、こう結ぶのが正解だろう。
――いないはずの生物の存在が、検知された、と。そういうわけだった。
エスパータイプって便利(すぎるん)だよなぁ、なんて思ったりします。
大体一週間ほどで更新予定です。引き続きお付き合いくださいませ。