ゲームはゲームとして、夢は夢として楽しむのがいいってわかってはいるのだけれど。それが現実になってしまった以上は、リアルに考えるしかないだろう。
*
仮に、目の前に広がる世界が現実だとしよう。
科学技術が発展し、けれど自然への尊敬を忘れず、穏やかに、のびやかに、とても平和な日々を送っている。とても幸福に満ちた「現実」ではある。ただ、本当に現実なのかと疑ってしまうのは、目の前に在る、彼女のせいだ。
「ぶい?」
可愛らしく首を傾けてみせた彼女。ああ、撫でくりまわしぺろぺろよしよししてあげたい程度には可愛らしいとも。茶色と白のふわふわは毎日ブラッシングで整え、くりくりしたおめめは光の下できらきらと輝いている。控えめに言って天使だし、どんな賛美を並べても足りないほどに愛らしい。そんな彼女は、種族的にこう呼ばれている。
「あ~~~今日もイーブイたん可愛い~~~~~」
そう、イーブイだ。某ゲームのなかにだけ存在するはずの、可愛らしい存在。現実にいてくれたらどれだけ嬉しいかと何度も何度も思ったけれど、本当なら現実にいるはずのない存在。けれど、今俺はそのイーブイたんを恐れ多くも抱っこしているのだ。あああああふわふわでふかふかであったかいよ現実の生き物の手触りだよ最高かよここは天国。
俺がこの天国に気付いたのは、この世界に生まれて五回目の誕生日を迎えたころだ。優しい「パパ」と「ママ」が、大事にするんだよ、と言って俺の腕にこの天使を抱かせてくれた。その重みと温かさを感じたときに、俺はようやく理解したのだ。
ここ、ポケモンの世界じゃねーか。
*
そういえば外ではスズメの代わりにマメパトやココガラが飛んでいるし、タクシーはアーマーガアだし、牧場ではウールーがころころしていて、その辺のしげみをかき分ければホシガリスがきのみをかじっている。
そんな環境でなぜ気付かなかったのかは聞かないでほしい。だって俺はその日まで、それらに一切の疑問を抱かなかったのだ。これが当たり前で、これが現実だと信じていた。
そしてそれに気付いた俺としては、「前世」だの「転生」だの考えるよりも、「あっこれ夢だわ」の方が受け入れやすく。今俺は現実の世界で眠っていて、そのうちふっと目を覚まし、イーブイたんとの別れを悟って枕を濡らすのだと思っていた。しかし、あの日からすでに五年が経つ。邯鄲の夢ほどではないにしろ、俺ちょっと寝すぎじゃないだろうか。
「……なあイーブイ、これやっぱ夢じゃないのかな」
腕の中の天使は不思議そうに俺を見つめている。そしてぐいっと身を乗り出したと思ったら。
「……んがっ!?」
俺の顔面に向けて思い切りずつき。見事に鼻にクリーンヒットしたけれど触った感じ鼻血は出ていないからうまく手加減をしてくれたのだろう、いやめっちゃ痛いけど。涙出てるけど。
「ぶい!」
しかしほら痛かったでしょうと言わんばかりの笑顔が眩しい。マジで痛いけど許す。痛みを感じるから現実だと教えてくれてたんだよねさすが俺の天使賢い~けど俺の鼻変形してないかな大丈夫~? 変形したところでもともと大した顔じゃないとか言うなうるせえ。
とにかく、やはり俺の天使のずつきの威力を鑑みるにこれは現実なのである。わかっている、いい加減受け入れようじゃないか。
俺は、ポケットモンスターの世界を「現実」として生きなければならないのだ。
*
現実的にこの世界で生きて行くにあたり、まずは目の前に在るこの世界について整理しておきたい。俺の知っている「ゲームの外」との違いを明確にしておかなければ、俺のことだ、どこかで「常識外れ」をやりかねない。俺が奇異の目で見られるだけならともかく、俺の天使ことイーブイたんに生きづらさを感じさせるわけにはいかないのだ。
一番の違いは当然、「ポケットモンスター」と呼ばれる種族の存在。種族という表現が正しいのかはわからないが、とりあえずそう表現しておこう。子どもの足で歩ける範囲を歩き回り、いくつか本の類いも見てみたが、どうやらこの世界、「ヒト」と「ポケモン」以外の動物は存在していないらしい。「イヌ」という概念はあっても、「イヌ」と呼ばれる動物は存在しない。ワンパチをこいぬポケモンと表現していることを考えると妙な話だが、たとえば概念だけを残して「イヌ」は絶滅でもしたのだろうか。やだ怖い……考えるのやめよう……。
とにかくヒトとポケモンしか存在しないので、基本的にみんな草食だ。食物連鎖で言うと、微生物などの小さな生き物の上に植物があり、その上にヒトとポケモンが並んでいるイメージ。動物性タンパク質は「ヤドンのしっぽ」や「モーモーミルク」みたいな例外中の例外を除いて摂取する習慣がなく、ポケモンを狩って食べるという風習も存在しないようだ。これについては心の奥底から安堵した。イーブイたんはもちろんだが、それ以外のポケモンたちを狩って料理するなんて考えたくない。
動物性タンパク質を摂取しないかわりに、植物性タンパク質は豊富らしい。野菜の種類も「外」より多い気がするし、何よりきのみの存在は大きい。「外」では主にポケモンが食べているイメージであったが、人間もきのみをよく食べている。ものによってはそのままでも食べるし、それ以外のものも料理すればたいてい食べられるのだ。それぞれ非常に栄養も豊富で、もはやきのみをちゃんと食べれば生きていけるのではレベル。こんな素晴らしい食べ物がその辺に自生してたりするのだから、おそらくこの世界で餓死することはほとんどないだろう。あ、なるほどだから子どもたちでも気軽に旅に出られたし、だいたい食べ物とか金が原因で起こる戦争もこの世界にはないのかも。きのみが世界の平和を守ってた。
そうそう旅と言えば、ポケモントレーナーになった子どもたちが旅に出るあのシステムだが、ここガラル地方にもちゃんと存在するらしいが、俺の知っているものよりちょっと厳しい。厳しいというか、気軽にチャレンジできるはずと思っていたジムへの挑戦には有力者からの推薦が必要らしい。バトルも旅に出るのも自由だが、ジムチャレンジは選ばれた者しかできないとは、なるほど現実的。多分ほかの地方よりジムリーダーの権力と責任が重く、バトル以外の仕事もしなくてはならないからこその処置だろう。チャレンジャーが詰めかけてきて毎日バトルしてたら大変だもんね。
そしてジムリーダーの地位が高いのなら、その上位組織であるポケモンリーグ、そしてチャンピオンの地位が高いのも当然というわけで。ポケモンバトル自体は「外」で言うメジャースポーツや国技のような立ち位置だと思うのだが、ポケモンリーグはもはや政府かと言わんばかりに偉いようだ。多分リーグに勤めるひとって国家公務員的立場なんじゃないかな。わーおエリート、きっと高給取りだが社畜に違いない、絶対なりたくねえ。十歳児の俺には難しいことはよくわからないが(妙に調べあげて変な子どもだと思われるのも面倒だ)、まあざっくりこれくらい知っておけば日常生活では困らないだろう。第一、今ポケモンリーグは何とか言う委員長の手で改革が進んでいるらしい。よりガラルが発展するように、より万人に愛されるように、何やら画策しているようだ。もしかしたらこれから数年でリーグやバトルのあり方も変化していくかもしれない。
ふむ、「外」との大きな違いとして押さえておかなければいけないのはこのあたりだろうか。ほかにも何かあれば十歳児として目立たないレベルで調べるようにしよう。
とりあえず常識をおさえた上で考えなければならないのは、俺がこの先どのように生きていくかと言うことである。
「……イーブイたん」
「ぶい?」
「あっ可愛い……マジで可愛い……いや違った、イーブイたん、これは真面目な話なんだ」
「ぶい」
私は最初から真面目だと言わんばかりの冷たい目線が美しすぎて辛い。俺のイーブイたんは天使で女神で女王様ですイーブイたんサイコー!
「あのさ、イーブイはバトル好き?」
実はこれまでも何度かバトルはこなしてきた。バトルの中でもいくらか「外」にいたときは気づけなかった発見があったのだが、それはいったん置いておくとして。何せバトルに勝てば少額とはいえおこづかいが手に入る。お金を稼いでイーブイたんにおやつを買ってあげるのが、今の俺の一番の楽しみだ。子どもでも手っ取り早く金が稼げる手段であり、これ一本で生きていくことも不可能ではない。
けれど、それはゲームやアニメで見るほど簡単なことではなかった。堅実な生活を前提としてバトルで生きていくためには、大きな大会に出て賞金を稼いだり、ジムリーダーやチャンピオンのようにリーグに雇われるような腕利きのトレーナーになるしかない。つまり「外」で言うプロのアスリートになるようなもの。とはいえイーブイたんはバトルがわりと好きなようだし、天使が望むというのなら俺にだって覚悟はある。だがその場合、今すぐでも旅に出てポケモンバトルを重ねる必要があるだろう。
「……いぶ」
「ああそうだよな抽象的すぎて答えにくいよなごめんねイーブイたんんんでもその顔も可愛いよおおおお!」
「……」
「その蔑んだ瞳もサイコーですありがとうございます」
よし、ではイーブイたんが答えやすいように五段階評価でいこう。
「じゃあイーブイたん、この五つから選んでね。一、もうバトルはしたくない。二、たまーにならやってもいい。三、気分次第、相手次第。四、ときどきならやりたい。五、君は最強のイーブイになる。答えはまばたきで返してほしいな~?」
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。オッケー、バトルはしたいがガチではない。それにしてもまばたきするたびにくりくりおめめのハイライトが輝いて可愛いな~本当可愛いな~よしよしぺろぺろしたいけどイーブイたんが嫌がるからしないんだ俺は紳士いや奴隷です。
「そっか、じゃあ本気でトレーナーになる修行までは考えなくていい感じかな。バトルを趣味にしつつ、ほかの職業を考えよう」
となると、今すぐに旅に出る必要はないわけだ。旅自体には興味がなくもないが、とりあえずジムチャレンジのために推薦状を入手すべく画策することはしなくていい。
しかし、それ以外の職業か。ポケモントレーナーばかりが目立っているが、もちろんこの世界にも「外」と同じくさまざまな職業がある。イーブイたんのためになり、俺もそれなりに楽しめるような、そんな仕事をやりたいが、さて。
「……まあ、今すぐ旅に出る必要もないなら、ゆっくり考えるか」
手触り最高のイーブイたんの茶色い毛並みを指ですくと、天使は愛らしく目を細めた。
「せっかくだから、面白おかしく生きたいよな」
この世界だからできること。俺の天使をこの腕の中で最高に幸せにするためにできること。どうせなら、そういうことを考えて生きたい。
だって俺は、覚めない夢の世界へ来てしまったのだから。
***
俺の住むブラッシータウンは、自然が多い。豊かな土壌を利用してきのみ栽培が盛んに行われ、全国に質のいいきのみを出荷している。といってもそもそも自生している樹も多いので、俺のような地元民は籠を片手にその辺の森へきのみを採りにいくことの方が多かった。きのみは買うものじゃない、どっかその辺にあるものだ。
そして俺の天使イーブイたんもきのみが大好きなので、今日も今日とて俺は散歩ついでにきのみ拾いだ。あああイーブイたんが俺の頭に乗ってくれている何て幸せなんだ何万歩でも歩きたいし何万個でもきのみを拾いたい。
「そろそろモモンが熟すころかな。今日は向こうの林へ行ってみようか」
「ぶい!」
「んんん嬉し気な鳴き声も可愛いねえイーブイたん甘いの好きだもんな!」
収穫出来たらモモンでお菓子いっぱい作ろうな、と言うと可愛いらしい肉球でおでこをぷにぷにされた最高のご褒美です死ねる。
ポケモンにももちろんそれぞれ味の好みはあるようで、うちの天使は見た目通りというか甘いものが大好きだ。天使のご所望ならそりゃ甘いきのみは片っ端から拾ってくるし、さらに美味しく食べられるように調理を施すのは当然のことである。そんなわけで、齢十歳にして俺は簡単なスイーツの作り方をマスターしたうえ、よりイーブイたんの好みに合うようにレシピを改良するまでに成長していた。愛はひとを成長させるんだってマジ。もはやママも感心するほどの腕前である。
ちなみに今日もおやつとして昨日焼いたクッキーを持参している。収穫を一通り終えたら食べさせてあげよう。
「あ、なあ、イーブイを頭にのせてるそこの君!」
「……ん?」
旅人が多い世界とはいえ、この辺りは地元民しかほとんど来ることはない。だから誰かとすれ違うにしても基本顔見知りなのだが、その声には聞き覚えがなかった。
振り向いてみると、そこには何となく薄汚れた同じ年頃の少年。浅黒い肌に深い色の髪、好奇心でいっぱいの瞳は金色に輝いている。目が合うとにかっと人好きのする笑みを浮かべた彼は、俺たちに駆け寄ってきた。
「よかった、人に会えた! 駅に向かう途中だったんだけど、歩いてるうちに皆とはぐれてしまって困ってたんだ!」
「ブラッシータウン駅ならここをまっすぐ行けば着くよ」
「ありがとう! ついでにオレンジの髪の女の子やヒトカゲを見なかったか?」
「俺は見てないな」
それなら先に駅に着いてるのかな、とさして困った様子もなく彼は朗らかに笑う。迷子なのにこの呑気っぷりは、迷子慣れしてるのかもともとの性格なのか。これは同行者も大変だな、と心の中だけで呟いた。
そして彼は俺の頭の上の天使に目を向け、可愛いイーブイだな、と笑った。よろしい君は見る目がある。いや正しく目が機能しているやつなら当然の反応なのだけども。
「それに強そうだ。ヒトカゲがいたらバトルを申し込んだのに」
「……ん? はぐれたヒトカゲは君のポケモンなの?」
「そうだぜ! マグノリア博士にもらったばかりなんだ!」
「……もしかしてポケモン研究所から駅に向かうつもりだった?」
「? ああ!」
研究所なら有名だから俺だって知っている。あそこから駅なんて目と鼻の先で、こんなところを通るはずもない。そしてもらったばかりのヒトカゲとはぐれているという。
オーケー俺、冷静になれ。頭をクールにして考えてみよう。
「……方向音痴って言われない?」
「すごいな、何でわかったんだ?」
わかるわ! めちゃくちゃわかるわ!
そう叫びたいのをぐっと抑えて、そいつの手首を引っ掴んだ。
「駅まで連れてくから大人しく着いてこい」
「えっいいのか?」
「研究所から駅まで向かうのにこんなところまで迷い込むってとんでもないレベルの方向音痴だろお前! 何よりもらったばかりのポケモンとはぐれてんのにそんな呑気な顔してんじゃねえよ!」
イーブイたんごめんモモンは後な、と頭上に叫ぶと、当たり前だと言わんばかりのお返事が降ってきた。さすが俺の天使、可愛いだけじゃなく心まで美しい!
もらったばかりというなら確実にまだレベルの低いヒトカゲのはずだ。慣れた環境から離れたばかりの時期に、唯一の拠り所であるトレーナーと離れているなんて、きっと不安でいっぱいに違いない。
そうでなくとも何があるかわからないのが世の中だ。もし俺がイーブイたんとはぐれたりしたら発狂する自信があるってのにこいつは!
そういうわけでイーブイたんとのお散歩デートを楽しむはずだった俺は、ほとんど全力ダッシュで駅へとトンボ帰りする羽目になったのである。
*
「あっよかったダンデくん!」
ようやく駅まで辿り着くと、そこにはオレンジ色の髪の女の子と、不安そうな顔をしたヒトカゲが待っていた。こちらに気づいた女の子はぱっと顔を輝かせ、ヒトカゲは涙目になって俺の後ろの彼にしがみつく。そりゃ不安だったよな、可哀想に。それを見てようやく反省をしたのか、彼は申し訳なさそうな顔になってヒトカゲを撫でた。
「ごめんなヒトカゲ、不安にさせたよな」
「かげぇ……」
「うん、ごめん」
まったく、と息をついていると、女の子もこちらに歩み寄ってきた。あれ、この子は見たことある。そうだ、確かマグノリア博士の。
「ダンデくんを連れてきてくれてありがとう! 私はソニア、貴方はこの街のひと?」
「ああ、うん、俺はカエデ」
「カエデくんね! 迷惑かけてごめんね、ダンデくん本当に方向音痴で」
「そうみたいだね。研究所から駅行くのに迷子になったって聞いてさすがに驚いたよ」
研究所からほとんど見えてるのにな、と付け加えるとソニアは遠い目をしていた。どうやらいつものことらしい。
ヒトカゲと感動の再会を終えたらしいダンデは、また俺の方を向いて笑った。
「カエデっていうんだな、ここまで連れてきてくれてありがとう。改めて、俺はダンデ! チャンピオンになるために旅に出たばかりなんだ、よろしくな!」
「礼はいいけど、その方向音痴で旅とか正気か?」
「方向音痴が直るのを待ってたらいつまで経ってもジムチャレンジに行けないだろ!」
なるほど正気じゃないらしい。未だにダンデにしがみついているヒトカゲが気の毒で仕方がない。同じことを思ったのか、イーブイたんがするりと地面に降りてヒトカゲに近寄る。労わるように優しく鳴くと、ヒトカゲの瞳がまた少し潤んだ。優しいイーブイたんが可愛くて辛い。
ふとイーブイたんが振り向いてひと鳴きした。何を言いたいのかわかった俺は、鞄からクッキーを取り出す。たくさん持っているからひと袋くらいあげたところで構わないし、何よりイーブイたんがそうしろというなら喜んで従うとも。
「ヒトカゲ、甘いもの好き? よかったらこれ食べて、元気出せよ」
ぱちりと瞳を揺らしたヒトカゲは、ふんふんと匂いを嗅いで袋を受け取る。そしてぱっと顔を輝かせて、中のクッキーを頬張った。どうやらお気に召したらしい。まあ俺の天使のために作ったのだ、美味しくて当然。
「よかったなヒトカゲ! カエデ、ありがとう」
「いいよ、それくらいすぐ作れるし」
「えっそれカエデくんが作ったの? 売り物かと思った」
「イーブイが甘いもの好きだからよく作るんだよ。慣れた」
へえ、と目を輝かせるふたり。まあ悪い気分はしないので、ふたりにもクッキーの小袋を見せた。
「食べる? 人間も食べられるよ」
「いいのか!?」
「やったぁ、ありがとう!」
そしてふたりも美味しそうにクッキーを頬張る。今までイーブイたん以外にあげたことはほとんどなかったが、うん、こういうのも悪くない。また肩まで駆け上ってきた天使が、そのふわふわで俺の首元を擽った。ぶい、と小さな声が耳元で聞こえる。よかったね、と言っているように思えた。いや俺はイーブイたんが美味しそう食べてくれるのがいちばん嬉しいんだけどね。
「本当に美味しいなこのクッキー! ヒトカゲと一緒に食べられるのも嬉しいぜ!」
「うんうん。それにこれ……きのみも入ってるの?」
「ヒメリのシロップを生地に練りこんだんだ」
「それでほんのり甘いんだな!」
ぺろりとクッキーを食べきったダンデが、何気なく言う。
「カエデはお菓子を作る人になるのか?」
別に、と返そうとする口が止まった。俺の天使イーブイたんのために始めたお菓子作りだったが、わりと楽しいと思っている自分はいた。レシピを漁るのも、それにさらに手を加えるのも、いろんなきのみを食べ比べて合うお菓子を考えるのも、なんやかんやで楽しんでいた。
もちろんイーブイたんが喜んでくれるのは至福というほかないし、一緒のものが食べられるのも光栄でしかない。
ひととポケモンが一緒に楽しめるお菓子を追求してみるのも、実は結構面白いんじゃないだろうか。
俺の口は、勝手に動いていた。
「……そういうのも、楽しそうだな」
誰もが美味しく食べられるスイーツをつくるパティシエ。目指すものとしては、悪くない。
俺がそう言うと、ふたりとヒトカゲはぱっと目を輝かせた。
「じゃあまたカエデのお菓子が食べられるんだな! 応援してるぜ!」
「お店開いたら教えてね、私絶対買いに行くから!」
「かげかげ!」
気が早い、と思いつつも俺も笑ってみせた。よし、となるとお菓子作りと栄養学、それにきのみについても本格的に勉強しつつ、店を持つための資金を稼がなくては。バトルの賞金も、半分は貯金に回して備えるとしよう。
それでいいかな、という気持ちを込めて首元のイーブイたんを撫でると、ぺろりと頬を舐められた。卒倒しかけたがぐっと堪える。イーブイたんが肩にいるのに倒れるなど許されない。
「……これからも美味しいお菓子作るからな」
そう呟くと、天使の愛らしい鳴き声が優しく鼓膜を震わせた。ここで失神しなかった俺は褒められるべき。
*
それからまた少しふたりと話をして、その旅立ちを見送った。別れてようやく、気付いたことがある。
ポケモン博士の孫であるソニア。その彼女と幼馴染であり、同時に旅立ったダンデ。彼の相棒は御三家でも有名なヒトカゲだ。このシチュエーション、めちゃくちゃ覚えがあった。
あれだな、さては「主人公」だなオメー。
何だよつまりあの方向音痴が未来のチャンピオン? ガラルのチャンピオンといえばとんでもない有名人でとんでもない権力者と同義だ。その旅立ちを見送り、しかも連絡先を交換してしまうなんて俺すげーフラグを立ててしまったのでは? わりと面倒なやつと友達になってしまったのでは? 俺は平々凡々にこの現実を生きるつもりなんですが俺と天使の幸せライフを邪魔したらぶっ飛ばすぞダンデてめえ。
とはいえ、本当にそうなるかわからない未来の心配をしていてもどうにもならない。俺はひとつため息をついて天使の毛並みに手をやった。
「……気を取り直してモモンを採りにいこうか、イーブイ」
「いぶ!」
あああ他の全部がどうでも良くなるくらい俺の天使が今日も可愛いので幸せです!! 俺のイーブイたんマジ天使!!
ブイズは天使。異論は認めない。