YMO ー黄色い変身ヒロインの秘密を僕だけが知ってしまってー 作:豚煮真珠
五月二日金曜日。三時間目の授業を終えた後の休み時間に、彼・鈴鬼小四郎が、席に着きながら
彼は昨日、突然かかってきた庚渡紬実佳との通話を思い返している。スマートフォンから聞こえた彼女の声、スマホから聞こえた彼女のしゃべる言葉、スマホから聞こえた彼女の息づかいを、今日彼は朝起きてから幾度となく
いま彼の心はふにゃっとニヤけ、彼の頭上にはハートマークが浮かんでいる。――また話せるかな。連休は一緒に遊べないかな。彼がそんな淡くとも幸せな夢を思い浮かべていると、
「おい、コシロー」
彼の友人・茶籐師泰が声をかけた。
夢から現実に引き戻された彼が返事をする。
「え。なに、師泰」
「おまえ今日ぼーっとし過ぎじゃね? 何かあったか?」
朝から色ボケする彼を師泰が心配した。
師泰は異性に心奪われた彼の姿を今まで見たことはなく、異常と思える放心であるために心配している。
彼が席から立ち上がる。そして、教室内を見渡す。師泰の彼女・田名河於市が見ていないことを確認してから、
「師泰。ちょっとこっち来て」
彼が師泰を廊下に連れ出す。
廊下に出た彼と師泰。連れ出された師泰が彼に訳を尋ねる。
「こんな所でどうしたコシロー」
「師泰。この前の日曜さ」
「おう」
「パティスリー? で、丞の知り合いだった子に僕が声をかけたよね? 昨日その子から、電話がかかってきたんだよ」
「……は?」
「丞が僕の電話番号をあの子に教えてくれたみたいでさ。それで僕、昨日あの子と話したことがずっと忘れられなくて」
彼がいま最も気になる子から突然電話がかかってきた感動を友人にシェアした。
今、彼の胸は
ウキウキと目を輝かせる彼に、恋に関しては先輩な師泰が「心配して損をした」と目を閉じてから息を
「なんだそののろけは」
「なあ師泰。気にならないなら、電話をかけてこないよね? 庚渡さん」
「カノエドサン? ああ、あのちいせえ子のことか」
「そうそう。電話かけてくるってことは、まさか庚渡さんも僕の事……。なあ、どう思う師泰? 田名河さんと付き合ってるんだから、そういうの分からないか?」
「しらねえよ。コシロー、うかれてんなあ」
「え。そんなつもりないけど。……浮かれてるようにみえる?」
「めっちゃ浮かれてるわ。鏡見てこいっつーの」
彼が師泰にたしなめられ、己の軽率さを恥じ入った。
しかし、彼の心は、恥など気にならないくらい高揚している。胸いっぱいに膨らんだ庚渡紬実佳への想いが、彼を無敵にさせている。
庚渡紬実佳しか見えていない恋をした彼。そんな
「コシロー、あの子がよっぽど気に入ったんだな。まさかお前があんなにもグイグイ迫るなんて」
日曜の彼の突飛な情熱と勇気を顧みる。
「気に入った、というより初めて会った気がしなかったからなんだけどね。師泰、これが運命ってヤツなのかな?」
「知るか気持ち悪い。運命とか女みてえなことぬかしやがって」
彼の幸せな言い分に師泰が苦笑した。
庚渡紬実佳とどこかで会った気がしている彼だが、いつどこで出会ったのか思い出せず、それで彼が付き合いの長い師泰に尋ねると、師泰も「分からない」と答えた。
分からずにもどかしい彼だが、答えが出ない以上は折り合いを付けなければならない。それに、たとえ夢の中の少女を庚渡紬実佳と混同しているにしても、庚渡紬実佳が好きという気持ちは変わらない。彼はとりあえず分からない以上、思い出すことを一旦やめ、庚渡紬実佳との出会いは運命と思うことにした。
都合の良い彼の解釈。そんな彼の思考など知る由もない師泰が、諦めたように息を吐いてから彼にフォローを伝える。
「ま、好きになっちまったならしょうがねえよな。市には俺から言っとくわ」
「助かるよ。田名河さんからの視線があれから厳しくて……」
「市からすれば、日曜は火藤を」
「火藤さん?」
彼が
「おーい! 大変だ、今、東京で……」
彼と師泰はいま廊下の端から少し離れた場所におり、端には下の階とをつなぐ階段がある。
彼が二年のころクラスメートだった男子。顔見知り程度の仲だが、階段を駆け上ったその男子が廊下に着くや否や大声で叫んだ。
男子は肩で息をしていた。切羽詰まった様子で皆に「大変だ」と伝えた男子を、彼と師泰が気に懸ける。
「大変って、何が大変なんだよ?」
より廊下の端にいた男子二人が今も息を切らす男子に尋ねる。
眺める彼と師泰をよそに、息を切らす男子が訊いた二人に話す。すると、
「うええっ、マジかよ?」
「マジだよマジマジ。職員室行って見てこいって」
「こえー。日本も物騒になったなぁ」
聴いた二人が動揺を示したため、彼と師泰が顔を見合わせた。
男子二人が階段を駆け下りる。彼も気になったため、
「どうしたの?」
「鈴鬼。職員室行ってテレビ見て来いよ。今東京ですっげーことが起きてんだ、日本おわったかもしれねえ」
百聞は一見に
彼と師泰が一階に着いて職員室に入ると、職員室ではテレビを中心として人だかりができている。
何が映されているのか。背の低い彼が背伸びをしてテレビを
街の所々から黒い煙が上がっている。彼の妹と両親が、今日東京へ旅行に行っている。
「視聴者の皆さま! これは映画などではありません! いま東京で起きている現実です! あっ! いま銃声が聞こえました!」
ヘルメットをかぶった報道員がヘリコプターから実況している。
「デモは〝国家改造を要求する〟と主張しながら
テレビから、タンッ――と音が聞こえ、そして爆発音がした。
東京タワーに近い場所から火の手が上がる。だが彼は、この中継映像を見てもまだ何が起きているか理解できていなかった。
彼が背伸びをやめて周りを見回すと、所属する柔道部顧問の教師・
「先生。東京で何が起きてるんですか?」
「鈴鬼。今年の一月に徴兵制度が施行されたのを皮切りに、最近東京で大規模なデモが頻発しているニュースは聞いてるだろう?」
「はい」
「そのデモが暴走してしまったのだ。東京の街を破壊しながら行進している。一般人に暴行までしているらしい」
腕を組んで画面を見つめる八馬本の説明に、彼が急に不安に駆られ始めた。
八馬本が険しい表情を崩さずにつぶやく。
「警官が襲われて銃を奪われたと聞くし、いやはや、物騒な世の中になったものだ」
彼がテレビを見つめる八馬本と師泰に気付かれないよう職員室を後にした。
そして、彼が廊下を走り、人気のない場所に着いてからスマホを取り出す。まずは父親に電話する。走ったことで乱れた呼吸を落ち着かせながら、父親の名をタップして無音のスマホに耳をあてる。
「おかけになった番号は」
つながらなかったため、彼の心に焦りが表れた。
しかし、東京はパニック状態だ。父が契約している携帯電話の基地局で何かトラブルが起きたのかもしれない。そう彼が思うことにする。
次に母親の名をタップする。彼の父と母が所持する携帯電話は
「おかけになった番号は」
またもつながらなかったため、彼の心に大きな動揺が走った。
残るは妹。その名を彼が震える手で、祈る思いでタップする。
スマホに耳をあてると着信音が聞こえた。間もなくして通話がつながる音がしたため、彼がすかさず妹の名を叫ぶ。
「お、にい……」
しかし、ケータイから聞こえたかすれ声が、彼を
あまりの出来事に両膝を突く彼。東京へ旅行に行った妹と両親が、今テレビで報道されているデモに巻き込まれている――。恐れながらも「そんなわけはないだろう」と奥底に閉じ込めていた、最悪の事態が彼の頭を真っ白にする。
「じゅ、銃で撃たれ、た……。痛い。いたいよ……。助けて……」
我に返った彼が妹に呼びかけるが、今の悲痛な声を最後に妹からの返事はなかった。
うるさかった妹。彼が何か言えば反抗的だった妹。そんな妹の元気でやかましい声を彼が望むが、その声をもう二度と聞けない事実が彼に言葉を失わせた。