YMO ー黄色い変身ヒロインの秘密を僕だけが知ってしまってー 作:豚煮真珠
彼が埼玉県に住み始めて一月が経ち、季節は雨がしとしとと降り注ぐ梅雨の時期を迎えた。
本日は曇天。雨が降りそうで降らないはっきりとしない天気。転校した彼は、杜田市立
彼は中学最後の一年となるスクールライフを静かに過ごしている。波風を立てず、人と必要以上に関わらず。
「きりーつ。れーい」
「ありがとうございましたー」
三年五組の生徒たちが、日直の号令によって一斉に頭を下げた。
終礼を終えた放課後。彼が帰宅するべくバッグを抱える。
「鈴鬼くん」
教室を出ようとする彼を、クラスメートの女の子が呼び止めた。
彼を呼んだ、前髪にヘアピンを付け、後ろ髪をバレッタでアップスタイルに留めた子の名は
箕宿慧は人気のある子であり、容姿は「可愛い」と主に男子から
お日様の下で
「箕宿さん。なに?」
「鈴鬼くんが転入して来てから、鈴鬼くんの歓迎会ってやってないよね?」
「……うん」
「だからね、鈴鬼くんの歓迎会ひらいて、お話したいなって思ってるんだけど、どうかな?」
慧がにっこりと白い歯を見せて彼を誘った。
彼が心の中で慧に感謝する。彼が転入した事情をクラスで知らぬ者はいない。したがってクラスメートは皆よそよそしい態度で彼に接しており、彼もそれが当然と承知している。
慧は腫れ物扱いの彼を隔てなかった。久々に感じた人の優しさが彼の心に染み入るが、
「……せっかくだけど」
彼は目を
箕宿慧は人気者であり、その前途は洋々としたものになるだろう。それが家族を亡くして
彼の事情はもちろん慧も知っている。
「……そっか」
「ごめん箕宿さん。それじゃ」
眉尻を下げた慧に、謝った彼が教室から去ろうとする。
「ねえ、鈴鬼くん」
しかし慧は、彼を再度呼んで引き止めた。
足を止めた彼が振り返ると、いつも笑顔を絶やさぬ慧の顔が曇っており、この物憂げな様相に彼の良心が痛む。
彼は自分のことを分かっている。話しかけるのも
「なに?」
それでも
「鈴鬼くんって、こっちに引っ越してきて、楽しい?」
「楽しいって?」
「だって、鈴鬼くんが笑ったところ、見たことないから」
言われて彼が気付く。彼は埼玉に引っ越してから一度も心から笑ったことがなかった。
しかし、彼は笑えない。笑っても心では寂しさと
今の彼は荒んでいる。笑うことを嫌がってしまう。
「箕宿さん。僕なんかのために気を遣ってくれなくてもいいよ。それじゃ」
彼が慧を振り切って教室を後にした。
廊下を足早に歩く彼が、人の好意を無下にした点で火藤愛加那を思い出す。
「ねえねえ、買い物付き合ってくれない?」
「これから? 制服で?」
「うん。駅前にアクセサリ屋ができたじゃん? あそこの店員の赤毛で関西弁話すお兄さんが、めっちゃカッコよくてね~」
「こらこら、教師の前でそういう話をするんじゃない」
「うえっ、先生。聞いてたんですか?」
「聞こえたんだ。君たちに何かあったら大変だ、近頃は爆弾騒ぎで何かと物騒だし。今日は家に帰りなさい」
「はーい」
二人の女子生徒をたしなめる教師の横を通り抜けた彼が、昇降口に着いて下駄箱を開ける。
そして、彼が下駄箱から靴を取り出すと、
「よう鈴鬼、首を長くして待ってたぜ」
腕を組む柔道着を着た男が、彼の前に立ちふさがった。
ぼさぼさ頭の柔道男に、――またか、と彼がため息を
「首を長くし過ぎてキリンになっちまうかと思ったぜ。鈴鬼、今日こそ柔道部に入ってもらうからな?」
柔道男が
彼に柔道部への入部を熱心に勧める男の名は
彼は樹之下に、断っているにも関わらず幾度となく誘われている。そんな柔道男が今日も懲りずに彼を誘う。
「おまえ前の学校で柔道してたんだろ? な、頼むよ~。今年は勝ちてえんだよ」
「何度も言ってるけどさ、僕は部活やる気ないから」
断る彼が靴を履くが、
「チッ。おい鈴鬼、おまえいい加減にしろよ」
樹之下が
いつもなら樹之下はしつこく食い下がり、それを彼が振り切るパターンだった。それが今日は「いい加減にしろ」と彼に憤った。
何が「いい加減にしろ」なのか。これだけ誘ってるのだから観念しろ、という意味なのだろうか。
「いい加減って」
非難される筋合いはないため、彼が不満を漏らすと、
「聞いてんだよ色々と。お前がふてくされてるのはすげー分かるけど、でも、お前それでいいのかよ?」
「…………」
「いつまでもそんなんじゃお前自身いけねえって分かってんだろ? 周りも気遣って疲れちまうしよ。協調性がないって内申にも響くし、俺このままじゃお前のためにならねえから言ってんだぜ?」
樹之下が痛いところを突いたために彼が閉口した。
彼が理解する、樹之下は樹之下なりに気遣っていることを。今年度は高校受験も控えている。それに、過ぎたことが戻るわけはなく、前に向かって歩かなければいけない。
樹之下を認める彼。もし彼が引っ越す前の地元で
「君の言うとおりだ。樹之下、ありがとう」
彼が自分のために骨を砕く樹之下に礼を述べる。
「へっ、ようやく分かってくれたか、俺の熱い思い。それじゃ」
「でも、それでもダメなんだ。僕のことなんかほっといて、大会頑張って」
「えっ。おい!」
樹之下を振り切った彼が昇降口を後にした。