東方琉輝抄・暁   作:日立涼

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申し訳ございません、遅くなりました。
第六話です!


第六話『巡る因果・前編』

 

 

「自業自得だねえ。酔っ払って崖から落っこちたそうじゃないか」

「まだ若い男なんだろう? なにをしているんだか」

 

 道行く老婆たちがそんな話をしていたので、私もつい聞き耳を立ててしまった。

 働き盛りの若者たちが、やれ飯だ、昼寝だと言いながら午後の仕事に備える、昼間の人里での出来事だ。

 レオを探しに永遠亭を出立してから半日ほど、どうも五感を研ぎ澄ませすぎたせいか、些細な事にさえ目や耳を奪われてしまう。そんな自らのはしたなさに首を振っていると、もっとはしたない女神様が、嬉々とした表情で私の顔を覗き込んできた。

 

「鈴仙、聞いた? 酔っ払いが崖から落っこちたんですって!」

「うわっ、やめてよヴァルゴ。聞き耳立てるなんて行儀が悪い」

「えー、だって耳に入っちゃったんだもの。仕方ないでしょう?」

「あのねぇ。まあ、気にはなるけど。……って言うかヴァルゴ、まさかいつもこんな調子とか言わないよね?」

「なにが?」

「聞き耳立てるのが趣味なのかって話」

「ああ、なんだそんなこと」

 

 満面の笑みを浮かべるヴァルゴに、私は酷く嫌な予感を覚えた。

 

「そりゃもちろん。なにせ私は、恋愛を司る女神でもありますからねー」

「いやどういう理屈なのそれ?」

「恋バナには噂が欠かせないでしょう?」

「そういうもんなの?」

「そーゆーもんなの。なんなら、さっき鈴仙とジェミーが小声でなんか話してたのも聞いてたんだから」

「……マジで?」

「マジで。……ふふっ。ジェミーったら、疲れたの一言も言えないなんて、本当にかわいいんだから」

「……まったくもう」

 

 思わず、胸に手を当てた。小声での会話というものは、聞かれたくないから小声でするのだ。そんなものに聞き耳を立てて噂というカタチで流したりすれば、ソレは巡り巡って自分のもとへ返ってくるに違いない。

 私はヴァルゴの肩越しに、ジェミニに視線を送った。

 

「だってさ。バレちゃったし、もう休憩にしましょうか、ジェミニ」

「……ソーリー、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 張り詰めた様子だったジェミニが、参ったと言うように苦笑した。彼はつねに笑顔を絶やさない美青年だが、今だけはどうしても頬を下げているように見える。

 ここ数時間、レオを発見するために私たちが実施していた作戦。それは、アクエリアスが作成した《小型監視衛星》を、ジェミニたちの能力で複製し、彼らの魔力を持って幻想郷中へ飛ばすというものだった。

 発案者のヴァルゴ曰く、〝数撃ちゃ当たる作戦〟。シンプルな内容だが、監視衛星は目立たないように鳥の姿を模して創らせたし、広い範囲を一気に捜索できるということもあり、正直期待値は高かった。

 しかしだ。

 

「数撃ちゃ当たる作戦を実施してから、早くも半日が経過しましたか。ジェミニ様、なにか収穫はございましたか?」

「いや、なにも。ヴァン兄さんと戦った霧の湖を中心に探していたんだけど、痕跡ひとつないや」

「左様でございますか……」

 

 アクエリアスは不可解そうに眉を寄せ、ヴァルゴも腕を組んだ。

 

「意外と見つからないものね……。いい作戦を思いついたと思ったんだけど、レオよりも先にデメリットが顔を見せるなんて」

 

 そう、この作戦にはデメリットがある。

 それは、監視衛星を飛ばす者の魔力消費が激しいということだ。

 

「まさかジェミニ様に弱音を吐かせるとは。やはり、魔力の消費量は半端ではありませんでしたね」

「飛ばした数は十六個。そんな数を一気に操作すれば、流石のジェミーもねえ」

「アハハ……聞こえてたんだ?」

 

 こめかみを掻くジェミニを見て、ヴァルゴが満足げに頷いた。

 

「ジェミーが鈴仙に、小声で『疲れた』って言ったのが聞こえたのよ。最初、聞き間違いかな? って思ったんだけど、そのあと鈴仙が『人里に行こう』なんて言い出したから、ああ、間違いないなって」

「私の発言もセットで見抜いたってわけね」

 

 私は嘆息を漏らしたが、これはこれで都合が良かった。

 

「でも、それなら話が早いわね。ここらで休憩ってことで、異論はない?」

「さんせーい! 甘いもの食べに行きましょう! 疲れたときは甘いものが一番! そうだわ、また昨日のお店に──」

「それは却下」

 

 即答した。あの店に行かれるのだけは困る。

 

「えー、どうして?」

「んなもん説明しなくても分かるでしょ……」

 

 眉を顰めるヴァルゴには、本当に心当たりがないように見える。昨日あれだけ騒ぎを起こしておいてのこの図太さに、私は平手でおでこを覆った。

 

「……とにかく、今日は私の行きつけに行くから。昨日のとこはダメ。いい? 絶対にダメだからね? わかった?」

「えう、う、うん。わかった」

 

 肩をガッシリ掴んで説得したおかげか、案外簡単に折れてくれた。

 そうして私たちは、昨日の店とは真反対の方向にある甘味処へ足を運んだ。里医者の奥様が営んでいる、老舗ながらも小綺麗な印象のお店だ。

 向いには旦那様の経営する病院がある。彼の気さくな人柄もあって、平時からひとが集まりやすい場所だ。今日は件の男性が担ぎ込まれたためか、はた迷惑な野次馬たちが一段と賑わいを見せていた。

 

「噂話が好きなのは、ウサギに限った話じゃないわね」

「優曇華院様、またため息をついておられますよ」

「そんなについてないわよ」

「そんなことはございません。先ほど『里へ向かおう』と言い出した辺りから、間違いなくため息が増えております」

 

 一瞬、心臓がバクンと音を鳴らした。

 慌ててつばを飲み込むとともに、ちからづくでソイツを黙らせる。

 

「……ここまで成果なし。そりゃ、少しはメンタルにくるってもんでしょ」

「心中お察し致しますが、まだ半日です。焦る時間ではございませんよ」

「さっき、『早くも半日』って言ったのはアクエリアスでしょう?」

 

 言われたばかりなのに、またため息が出た。私にはその半日間、捜索をジェミニたちに頼り切っていたという情けない事実がある。ロップイヤーは地獄耳だが、それをどんなに澄ましても、探しびとの声は一向に聞こえてこなかった。

 

「レオ、きっと怪我してる」

「あのレオ様のことです。唾でもつけて眠れば全快することでしょう」

 

 アクエリアスの穏やかな瞳には緊張感がなくて、ヴァルゴもそうだが、少しはジェミニを見習ってほしいと思う。欲張りだろうか?

 

「いらっしゃいませ」

 

 そんなことを考えながら暖簾をくぐると、見たことのない若い店員に頭を下げられた。正直、ドキッとした。確かこの店の店主は、おまんじゅうのようにまん丸くて柔らかそうなほっぺたが特徴の、ふくよかな高齢の女性だったはずだ。

 それがどうだろう。目の前にいるこの女性は、二十代前半くらいに見える。肩甲骨の辺りまで伸びた灰色の髪と、幼さの中にも知的な印象を併せ持った顔立ち。容姿に大した拘りのない私でさえ、僅かに嫉妬心を擽られるほどの美女である。

 

「ど、どうも……?」

 

 自分の瞳が揺れているのが分かった。行きつけと言ってしまった手前、知らない店員がいるとあっては、ヴァルゴとアクエリアスにどんな言い訳をしたものか分からない。

 とりあえず、この女性とは当たり障りのないやり取りに留めておいて、下手なことを口走らないのが得策だろうか。そんなことを考えていると、

 

「永遠亭の、鈴仙・優曇華院・イナバさんですよね。本日は店主が留守でして、大変申し訳ありません」

 

 なんと女性の方から声をかけてきたので、私は面食らった。

 

「あ、いや、気にしないでください。……あの、アナタは?」

「今日だけの臨時のお手伝いです。リリィナと言います」

「あ、ああ! 臨時の! それで!」

 

 私は拳で手のひらを叩いた。今日だけの臨時ということなら、仮に私が常連客だったとしても、彼女を知らないことに疑問の余地はない。

 

「ビックリした。知らない店員さんがいたから」

「すみません。本日、店主は旦那様のお手伝いで向かいにある病院へ行ってしまいまして。ですが、お店を空にするのは気が引ける……と。そこで、私が」

「へえ……でも、なんで私のことを?」

「店主よりお話を伺っています。厄介な患者だろうと嫌がらずに引き受けてくれる、真面目で優秀なお医者様だと」

「……それはちょっと言い過ぎかな」

 

 不意打ちのように飛んできた褒め言葉に、私は頬を掻いた。師匠に代わって永遠亭の医師を勤めるようになり数年が経過したが、未だこういう言葉には耐性がない。

 彼女は微笑んで言葉を続ける。

 

「店主は、いつも厄介な患者ばかりをアナタに押し付けてしまって申し訳ない。感謝してもしきれないと、そう言っていましたよ」

「とんでもないです。うちの負担が少ないのは、里にお医者様がいるおかげですから」

「ご謙遜を。ですが、今日もひとり、優曇華院先生に診てもらわないといけない患者さんがいるみたいなんです」

「はあ」

 

 キョトンとした。もしかして、件の若者だろうか?

 訪ねてみればその通りで、どうも先生は「この若者の体はおかしい。あまりにも手の出しようがない」と嘆いているそうだ。

 

「私も医者ではないので、なにもお力になれず……。あ、それより優曇華院さん、なにか召し上がっていきますか?」

「あ、ああ。そうですね。それじゃあ……」

「お姉さん! 白玉あんみつと豆かんを二つずつ頂戴な! ジェミーも食べるでしょ?」

「うん。サンキュー、ヴァルゴ」

 

 隣を見れば、緊張感の欠片もない笑みを浮かべるヴァルゴと、そんな彼女を見て微笑むジェミニの姿があった。ここへ来たのは戦略的休憩という名目のはずだが、彼女らは単純にデートを楽しんでいるようにしか見えない。

 

「ありがとうございます。……おや? おふたりとも、外の世界のひとなんですね」

「お姉さん、わかるの?」

「まあ、変わった格好をしてますし、雰囲気で。あの患者さんもそんな感じでしたし、今流行ってるんですかね。外の世界のひとが幻想郷に遊びにくるのが」

「……?」

「ねえキミ、ひとつ、好奇心で聞いていいかい?」

 

 ヴァルゴが首を傾げているうちに、ジェミニが一歩前に出た。心なしか、彼の目つきは普段見るソレよりも鋭く光っているような気がする。

 

「もしよければ、その患者さんについて、詳しく聞かせてもらいたいんだけど」

「はぁ。プライバシーに関わらない範囲でなら構わないと思いますが」

「どうしたのジェミニ。なんでそんなことを聞きたがるわけ?」

「鈴仙」

 

 私の言葉を遮るように、彼は唇の前で人差し指を立てた。

 

「……件の患者さんがレオって可能性はないかな」

「──」

 

 また心臓が、バクンと音を鳴らす。

 そういうことかと、アタマで理解できた。

 

「外の世界の身なりってことなら、レオにも共通してるよね。兄さんとの戦いで傷を負った彼が、身を隠すために、崖から転落した若者を装って里に逃げ延びた……。そういう可能性も、なくはないんじゃないかな」

「……ある、かも」

「だろう? キミ、少し悪いんだけど……」

「いいえ、ジェミニ様」

 

 そう言って、訝しげな目で店の出入り口を見やったのは、アクエリアスだった。

 彼は、普段よりも一オクターブほど低い声で、言葉を続けた。

 

「どうやら、希望的観測に過ぎなかったようです」

「え?」

 

 ──古風な男がいた。

 痩せ型で長身の体に、エクソシストを思わせる黒い制服を纏った男だ。黄金色の頭髪と、角張った顎、とがった鼻が印象的であった。

 どこか怪しげな風貌の彼は、里でただひとりの医者に肩を支えられて、私たちに力なく微笑んでいた。

 

「……すみません。期待を、裏切らせて、しまい」

「ぶっ飛べ」

 

 そして吹き飛ばされていた。

 幸いにも(?)隣の医者は無傷で取り残されて、長身の男だけが、砂利を巻き上げて里の大通りに叩きつけられる。

 何事かと思い、視線を左右に振りまくった私は、長さ三十センチくらいの魔導杖を男に向けて突き出している、小柄な少女の姿を見た。

 それはヴァルゴだった。

 彼女が魔法で、言葉通り男をふっ飛ばしたのだ。

 

「な……なに、やってんの……⁉」

 

 無意識に一歩前に出たが、殺気すら感じさせる彼女の瞳に睨まれた瞬間、足の指先から脳ミソまで、全身が怖気づいて歩みを止めた。

 

「ご、ごめん……」

 

 反射的に出た声が震えていた。もちろん、体も。私だけじゃない。ヴァルゴの傍らに立つジェミニすら、見開いた目で彼女を凝視していた。

 誰もが呆然とヴァルゴを見つめる中、彼女はドシドシという音すら聞こえてきそうな足取りで、男に近づいていく。

 

「……ゔぁるご、ですか。すこし、はなし、を」

「うっさい!」

 

 そして、獣の唸るような声とともに、その土手っ腹を思いきり踏んづけた。

 

「ゔはぁ⁉」

「よくもヌケヌケと私たちの前に顔を出せたわね! この邪神モドキが!」

「ゔぁ、ヴァルゴ! ちょっと待って!」

 

 これ以上はダメだって! と私が叫んだ直後には、ヴァルゴはジェミニに組み付かれていた。間一髪、彼女が二発目の魔法を放とうと構えた瞬間であった。

 

「ストップだ! 落ち着いてヴァルゴ!」

「ジェミー放して! まだコイツ生きてる!」

「まって! 状況が飲み込めないよ! どうして彼を攻撃する⁉ 彼は──」

 

 次に彼が発した言葉に、私は耳を疑った。

 

「彼はカプリコーンだろ! なんで仲間を攻撃する必要がある⁉」

「違う!」

 

 即座にヴァルゴが否定する。

 

「コイツは魔侯よ! ジェミーは私たちと一緒にいなかったから知らないだろうけど、コイツはカプリコーンじゃないの! アイツに取り憑いてる邪神モドキなのよ!」

「は? 取り憑いてる……?」

「そうよ! どうやって器まで用意したのか知らないけど……アクエリアス⁉」

「ま、まさか! そのようなことは致しません!」

 

 頭を垂れたアクエリアスを睨みつける、その目すらも悍ましかった。今のヴァルゴには敵味方の区別なんてついていない。そんな風に見える。

 

「とにかく、コイツは今ここでぶっ殺さないと! 次の被害が出る前に……!」

「す、すとっぷ! ストップ!」

 

 ジェミニを振り払い、ヴァルゴは男の眉間に魔導杖を押し付ける。しかし、その腕もまたジェミニが握りしめた。ふたりにはかなり力の差があるらしく、ジェミニは抵抗すらさせないうちに、ヴァルゴの杖をあっさり取り上げた。

 

「なんでよ! 杖返して! コイツの脳ミソぶち抜いてやるんだから!」

「すぐに返すよ。ただし、ぼくにも説明はして欲しいかな」

 

 子供を諭すような穏やかな声で、ジェミニは続ける。

 

「それに、彼もあんな状態だ。いくら邪神モドキだとしても、今からなにか悪さを出来るとは思えないよ。彼が敵だと言うのなら、ここは一先ず拘束しておいて、なにか有益な情報を貰うってのが、賢い選択なんじゃないかな」

「……」

「この杖を返すのは、そのあとでもいいだろ?」

「……ふんっ」

 

 ヴァルゴがそっぽを向くや否や、ジェミニは微笑んでその白い髪を撫でた。どうやら肯定の意味らしく、私もひとまず、胸をなでおろすことが出来た。

 

「よしよし、いい子だね」

「……ジェミーの言うことは、いつも正しいから」

 

 目を伏せて発せられたその言葉は、どうもジェミニに向けられたものではないような気がした。

 そんな彼女を後目に、ジェミニは右手の指を鳴らす。すると空間に光の鎖が現れ、瞬く間に彼の腕を縛りつけてしまった。

 

「ソーリー。これでも慈悲深いと思って」

「いえ、ありがとう……。本当に、助かりましたよ、ジェミニ」

「ぼくはべつに。……ところでお医者様、しばらく彼を預かってもいいかい? そこにいるアクエリアスが、彼の主治医なんだ。お察しの通り、人間じゃないけどね」

「えお、お、おお……。かまわないけれど……」

 

 笑顔で人外を宣言してしまう辺り、ジェミニも意外と強かだと思う。

 そのあと、医者は力なく首を振り続けていた。目の前で繰り広げられた一連の出来事に理解が追いついていないのかもしれない。対して、臨時のお手伝いだという女性は「外の世界のひとってスゴイんですねえ」と呑気な感想を述べ、満面の笑みを浮かべていた。

 

 やがて集まってきた野次馬たちを避けるように、私たちは、男を連れて里の外へと向かうことにした。

 

 

 

 

 人間の里の裏通りで、黒い制服を身にまとった男が取り押さえられていた。相反するように輝く黄金色の頭髪に砂を被りながら、男は叫んだ。

 

「サジタリアス……! 話を、聞いては、いただけませんか……!」

「ダメだ。この邪神モドキめ、今さらカプリコーンのモノマネなぞしおって」

「ち、ちがっ……なんの、こと」

 

 邪神モドキ。そう呼ばれた男が弁明すればするほど、サジタリアスの腕に力が加わっていく。

 彫りの深い精悍な顔立ちに、清潔感漂う白の軍服をきっちり身につけた彼は、傍目にはどう見ても軍人として映る。幻想郷にそんな職業は存在しないが、この構図を見た通行人たちは、誰もがサジタリアスを〝怪しい男を取り押さえる若き正義漢〟と認識しているらしかった。

 

「生憎だが、ここに貴様の味方はいないようだぞ?」

「いづっ……なにが、起こって、いるのです……?」

「それはこちらのセリフだ。ひとまず、話を聞かせてもらおうか」

 

 サジタリアスはそう言って、男を仲間たちのもとへ連行していった。

 

 

 

 

「なるほど。ぼくがいない間に、そんなことがあったんだね」

 

 男を連れて、里の門を潜った私たち。

 真夏の太陽を遮る森の中。その場の空気は実にヒンヤリとしていて、私の両手は寒さに堪えるように小さく震えていた。

 

「つまり彼は、魔侯という名前……仮称に近いのかな。で、キミたちを散々騙して利用した挙げ句、仲間たちにまで怪我まで負わせた大罪人だと」

「そうなのジェミー。もうとんでもないクソ野郎なんだから。わかってくれた?」

「うん、話を聞くだけでも酷い男だってよくわかったよ。でもヴァルゴ、そんな汚い言葉を使うのは感心しないかな」

 

 腕を拘束され、正座させられ、項垂れている男を前に、ヴァルゴの説明にも熱が入る。

 魔侯の悪行三昧については私も把握していたので、説明を要求したのはジェミニただひとりだった。

 ヴァルゴの口から語られるのは、聞いているだけで腸が煮えくり返るような、魔侯の悪事の数々。幻想郷とグランロロ、両者を焚き付けて争いを起こし、ときには敵、ときには仲間を利用しながら、邪神たちが復活するよう立ち回り続けた。その過程で仲間が死にかけたとしても、ヤツには関係なかっただろう。

 

「むしろ、コイツにとっては死んでくれたほうが好都合だったでしょうね。ピスケスも、スコーピオンもアリエスも……!」

「ヴァルゴ。気持ちはわかるけど、落ち着いて」

「落ち着いてる……わよ。うん、落ち着いてる」

 

 小さな拳を握りしめるヴァルゴに、ジェミニは目を細めた。

 

「ならいいけど。さっき話した通り、今ここで彼を殺すってのは無しだよ」

「……」

「大丈夫。ことが済んだら、キミの望みどおりにしよう。話を聞いただけだけど、ぼくも脳ミソが沸騰しそうな気分だから。魔侯には、然るべき罰を与えるさ」

「ことが済んだら。って?」

 

 これは私。ふたりの会話に割り込む形だった。

 ジェミニのいう〝こと〟がなにを意味するのか分からず、というのは勿論だが、ソレ以上に、ヴァルゴがジェミニと目を合わせていないのが気がかりだった。

 奥歯を強く噛み締めている彼女は、今なにを思っているのだろう。想像すると背筋が冷えた。

 

「いくつか、気になることがあるよね」

「気になること? 例えば、その体のこととか?」

「イグザクトリー。よく分かっているね」

 

 ジェミニは指を弾くと、アクエリアスに目線を送った。

 

「彼の器……カプリコーンが使っていたものと全く同じだけど、誰が創ったのかな。まさかアクエリアスなわけないよね」

「有り得ません。たしかに、よく再現はされていますが……。失礼」

 

 アクエリアスは片膝をついて屈むと、男の手の甲を静かに指でなぞった。

 

「えっ」その光景に私が目を見開けば、

「……これって」ヴァルゴも声を震わせる。

 

 アクエリアスの触れた部分が削り取られ、砂山のようにザラザラと音を立てて崩れていく。彼の指先に残った僅かな粒を見て、ジェミニが唇をすぼめた。

 

「土、だね」

「ええ。ジェミニ様の仰る通り、土です。ですが……」

 

 立ち上がったアクエリアスの喉から、小さな唸り声が聞こえてくる。

 

「正直、驚きましたね。土だけでここまで精巧な器を再現できるものなのかと」

 

 なにを今さら驚くのだろう。私は眉を上げて尋ねた。

 

「アクエリアスも、土と水から皆の器を創ったんでしょう?」

「ええ。ですが、水があるのとないのとでは、まるで話が違ってきます」

「そうなの?」

「簡単に言えば、モノと生命体の違い……でしょうか。わたくしの創る器は、血管も内蔵も生殖器もある、魂が入っていないだけの完全なる〝生命体〟。一方こちらは、形以外は人体としての条件をなにも満たしていない、ただの〝土人形〟……つまりはモノなのです。水は生命の源ですから、それを使っていないと、こういう仕上がりになる」

「それじゃあ、彼は今、ただの土人形に魂を宿して動いてるってゆーこと?」

「そうなりますね」

「うわー、なんか心霊小説の設定みたいね……」

 

 私は両腕を抱きしめて、震えそうだった体を無理やり黙らせた。

 

「申し訳ございません。……ですが、わたくしとしては、土だけで創った人形が、神々の器として耐えられていることのほうが末恐ろしゅうございます」

「どうして?」

 

 小首を傾げる私に、アクエリアスは目を細めて言った。

 

「そのような土人形を創れるお方を、わたくしはマグナ様以外に存じ上げないので」

「……マグナぁ?」

 

 開いた口が塞がらなかった。彼はこの土塊をマグナが創ったと考えているのか。

 

「いや……ないない。だってアイツは、霊夢たちが監視しているのよ?」

「左様。……だからこそ、聞く必要がございます。ジェミニ様が仰ったのは、つまりはこういうことでしょう」

 

 アクエリアスは改めて片膝をつくと、さっきから黙り込んでいる男の顔を覗き込んだ。

 

「アナタにお伺いしたいのは、この器を何者から頂戴したのかということです」

「……ああ」

 

 男は力なく顔を上げた。

 よかった、と私が息をついたのは、彼がずっと項垂れていたせいで「もしかして意識ないんじゃね?」と密かに心配していたからだ。

 

「すみま、せん。わたしには、なにも」

「本当ですか?」

「ええ、ほんとう、です。ここしばらくのことを、なにも、覚えていない」

「では、記憶がないと? 一体どこから?」

「グランロロで、アルティメットと、戦争して、そこまでは……」

「やや具体性に欠ける回答では御座いませんか。どこから記憶がないのか、より細分化してお聞かせ頂けると嬉しいのですが」

「……」

 

 男が黙りこくると、ヴァルゴが大きく舌打ちした。

 

「自分が不利になる情報は吐けないってことでしょ。クソ野郎の脳ミソの中なんて知れてるもの。自分の身を守る、欲求を満たす。その程度のことしか考えられないんだから」

「……ヴァルゴ、そんな言い方あんまりなんじゃ」

「なによ鈴仙、コイツの肩を持つの?」

「いや、そういうつもりじゃないけど……」

「じゃあなによ?」

「ヴァルゴ、やめなって」

 

 私を庇うように、ジェミニが間に割って入る。

 

「彼を捕まえておくよう提案したのはぼくだ。不満があるならぼくに言いなよ」

「じゃあ言うわね、ジェミー。確かにアナタの意見には一理あると思ったわ。だけど状況が変わったの。この器は多分マグナ姉さまが創ったもの。ってことはコイツには姉さまの息がかかってると思った方がいい。私たちの前に現れたのも偶然じゃなく姉さまの指示だろうし、ボロボロに見えるのも全部演技。違う?」

「ボロボロのフリしてぼくらに近づいて、なにを狙うっていうんだい?」

「命に決まってるでしょ」

「なるほど、それは納得だ。だけど、そうなると最初に殺されるのはキミだろうね。感情的で隙だらけだもの」

「はあ⁉」

 

 ブチンッ! ……と、なにかが切れる音が聞こえた気がした。

 

「ジェミー、今なんて言った?」

「キミが感情的で隙だらけだと言ったんだよ」

「そう、隙だらけ。なるほど。だったらアナタも隙だらけじゃない? 無駄にお人好しで無意味に優しいものね。何億年経っても攻撃の瞬間に力を抜く癖が抜けない。そんなんだからキャンサーに序列三位の座を譲る羽目になったんでしょう?」

「七位のキミに言われたくないな。仮に魔侯が攻撃を仕掛けてきても、ぼくは即座に打ち返してやれる自信がある」

「私だってそのくらいわけないわよ! なんならジェミーの攻撃だって捌けるもん!」

「ワォ、すごいね。それじゃあここで見せてもらおうかな?」

「ちょっと、ふたりともやめてよ!」

 

 洒落にならない空気に、私たちはたまらず止めに入った。私がヴァルゴを抑え、アクエリアスは今にも剣を抜きそうなジェミニに組み付いていく。

 

「優曇華院様の仰る通りです! おふたりとも、どうか静粛に!」

「どいてくれないかなアクエリアス。ぼくのスピードを捌けるという彼女の技をどうしても見てみたいんだ」

「なんかヤバいわよこの状況! もしも敵がなにかを狙っているんだとしたら、まさにこの状況をつくりたかったんじゃないの⁉」

「鈴仙の言う通りよ! だからさっさとソイツ殺さないと!」

「キミは話が飛躍しすぎる!」

「ジェミーは生やさしすぎるのよ!」

「いい加減にしてよ!」

 

 しまった。と思ったのは、咄嗟に苛立ちを抑えきれなくて、つい、ヴァルゴを突き倒してしまったからだ。

 尻もちをつく形で地面にへたり込んだヴァルゴは、そのまま人形のように項垂れて動かなった。パンパンに膨れ上がった風船が、針ひとつで消えてなくなるように。真夏の太陽すらも恋しく思える冷え切った空気が、私たちを包んでいた。

 

「ご、ごめんなさい……」

「……いい。べつにきにしてない」

 

 俯いたまま発せられる抑揚のない声が、ひどく不気味だった。ほんの十秒前までの喧騒はどこへやら、ジェミニもアクエリアスも、今は呆気にとられたように黙り込んでいる。

 気まずくなって明後日の方向へ視線を逃がせば、夜のように黒い小鳥が一匹、私をじーっと見つめているのが見えた。今に「うわー、いっけないんだー、八意先生に言いつけてやろー」とでも言い出しそうな気がする。

 

「……ごめん」

「……」

 

 明らかに落ち込んでいるヴァルゴを見て、それ以上の言葉が出てこなかった。

 

 どうすんの、これ。

 

 どうすればいいの、これ。

 

 日光を遮る木々も、風に揺れる草葉の囀りすらもすらもうっとおしく感じる。

 

「やけに騒がしいと思えば……。なにをしているんです? 鈴仙」

 

 聞くだけで背筋が伸びるような、美しい声が聞こえてきたのは、そのときだった。

 見れば、桃色の長髪を黄色のリボンでポニーテールにまとめた女性が、なにやら訝しげな表情でこちらを見つめている。傍らには白い軍服の男と中華服の貴人がおり、ふたりも私たちに不可思議そうな目線を送っていた。

 

「依姫様……」

 

 綿月依姫。かつての私の飼い主であり、月の都の防衛組織《月の使者》のリーダーだ。

 呆ける私に、彼女は以前と比較にならない温かな笑みを浮かべた。

 

「偶然ですね。12宮たちの捜索は順調ですか?」

「は、はい。順調……っていうか、なんて言うんですかね……」

「どうしたのです?」

「いや……えっと」

 

 泳いだ目を誤魔化すべく、視線を逸らす。言うべきことは分かっているのだが、かつての上司を前にして、私の緊張は言語を絶していた。

 いや、普段ならここまで緊張しないんだけどさあ! 状況が状況だからさあ! と内心で地団駄を踏んでいると、やけに明るい道化師の声が耳に滑り込んできた。

 

「ワォ、サジタリアスじゃないか。それにピオーズも。久しぶりだね」

「ジェミニ! お前どこに行ってたんだ。心配したんだぞ」

「ソーリー、サジタリアス。ぼくなりに色々あってさ」

「色々だと? まったく、お前というやつは……」

「まあいいじゃないか、サジタリアス。無事でなによりだろう」

「サンキュー。キミも元気そうで安心したよ、ピオーズ」

「なんとかな。……おお、ヴァルゴとアクエリアスも一緒か! 相変わらず三にん仲がいいものだな」

「おふたりとも、ご無事でなによりで御座います」

 

 ジェミニたちが、仲間同士の再会を喜んでいる声だった。客観的に見ると、ヴァルゴが距離をとっているところに空気の層を感じるが、これを見て依姫様は、

 

「順調そうですね」

 

 と笑ったので、私は「見ての通りです」と返しておいた。

 よく考えたら依姫様はヴァルゴがどんな人物かなんて知らないし、違和感を感じなくてもおかしくはない。それに気がついた瞬間、背筋を伝う冷や汗が素早くひいていった。

 

「ただ、ひとつ気になることがあります」

 

 そんなことはなかった。

 

 

 

 

「……どういうことだ?」

 

 しばしの沈黙を、この場にいる殆どのメンバーが思っていそうなセリフで破ったのは、サジタリアスだった。

 私たちの目線の先にいるのは、地に正座をさせられたふたりの男性。

 ひとりは、エクソシストみたいな黒い制服に身を包んだ、金髪の男。後ろで組まされた両腕を黄色い光の鎖で縛られている。

 もうひとりは、エクソシストみたいな黒い制服に身を包んだ、金髪の……つまり、隣に座るもうひとりと全く同じ容貌をした男。こちらは、両腕をフェムトファイバーで拘束されている。

 全く同じガワを被った男が、ここにふたり存在していた。

 

「見ての通りですが……。鈴仙、彼はいったい何処で?」

 

 依姫様が首をひねったので、私は正直に答えた。

 

「里の病院です。正確には、その正面にある甘味処で。酔っ払って崖から落ちた若者という設定で、身を潜めていたらしいですよ」

「ああ、件の男性ですか。私たちも噂は耳にしましたよ」

「そうなんですか?」

「私たちも、さっきまで里にいましたから」

「えっ! じゃあ、そっちの魔侯も?」

「ああ。里でコソコソしていたので、とっ捕まえたんだ」

 

 話に入ってきたサジタリアスは、右腕を曲げてガッツポーズをする。

 

「ここまで散々苦戦させられた割には、少々呆気なかったがな。どういうわけか、すでに満身創痍の状態だったんだ」

「同じく、だね。ぼくらが捕まえた方も、最初からボロボロだったよ」

「かなり消耗している様子で、わたくしどもの質問にも中々答えていただけません」

 

 困ったものです。アクエリアスのその発言に、ピオーズが腕を組む。

 

「それも同様か。……だが、ここにふたり揃った以上、見分けるのは造作もないだろう」

「ん? なぜそう言える?」

「簡単なことだろう、サジタリアス。我々にはジェミニがいる」

 

 ピオーズがそう言うと、一同の視線がジェミニに集まった。

 

「ジェミニ、お前は虚構を司る神であり、芸能や演技の成功をもたらす神でもある。ふたりのうちどちらがカプリコーンのふりをしているのか、見分けが付くんじゃないのか?」

 

 なるほど。私は固唾を飲んだ。

 確かに、何者かの〝ふりをする〟という行為は、立派な演技にあたる。仲間の特性を理解しているピオーズらしい指摘だが、この鋭い質問にジェミニは、

 

「……ソーリー」

 

 なんとも呆気ない答えを差し出した。

 彼は首を横に振り、両手を肩の高さまで上げて「参った」のポーズ。これを見たピオーズは心底驚いた様子である。

 

「信じられん。お前ともあろうものが」

「今はまだ、と付け加えておくけどね。これはプライドの問題だ」

「それだけ、魔侯のスキルが高いってことですよね」

 

 私も会話に割って入る。

 

「相手は邪神ですし、12宮にすら推し量れないことの一つや二つ、あっても不思議ではないと思います」

「ぬぅ、それもそうだな」

「あの、すみません」

 

 控えめに挙手したのは、依姫様だった。

 

「依姫様? どうしたんですか?」

「今のピオーズさんの発言で、私もひとつ思いつきました。……鈴仙、アナタならもしかして、どちらが偽物か見破れるのでは?」

「わ、私ですか⁉」

「ええ。アナタには波長視の能力がありますよね? それを使うのはどうでしょう」

 

 んひい。喉から変な音が出た。そんなの責任重大じゃないか。しかも、

 

「なるほど。優曇華院様はイル兄様やヴァン兄様とも遭遇しておりますし、邪神特有の波長というものを見分けられるかもしれませんね」

 

 アクエリアスの後押しもあって、早々に逃げられない盤面を構築されてしまった。

 一同の視線が、今度は私に降りかかる。もしかして皆さん、私がプレッシャーに弱い生き物だということをご存知でない?

 

「えう……え……や、やってみます……けど……」

「お願いします」

 

 冷や汗は止まらないが、上手くやるしかないだろう。

 私は深く息を吸い込み、目を閉じた。慣れたもので、両の瞳にチカラを集中させるには一秒とかからなかった。酸素が全身を巡るにつれて心拍数が上昇し、吐き出す息も熱を帯びていく。それとともに、脈打つ鼓動が外に漏れてしまうような気がした。

 そうして、文字通り瞳を真っ赤に染めた私は、深呼吸するようなスピードで、左右のまぶたをゆっくり持ち上げた。

 視界に広がるのは、ノイズの混じった真っ赤な世界。

 あらゆるものの精神の波。それらをノイズとして視ることが出来る、私の能力。

 その力を持って、私はふたりの男性を見つめた。

 

 ……。

 

 これは……。

 

「……どう、ですか」

「……すみません、依姫様」

 

 私は再び目を閉じると、小さくかぶりを振った。

 

 瞬間。

 

「はあっ……!」

「優曇華院様!」

 

 突然カラダの制御がきかなくなり、私は膝から崩れ落ちた。幸いにもアクエリアスに抱えてもらえて、ギリギリ倒れずには済んだ。

 

「うあ……ご、ごめん……」

「いったいどうされたのですか。まさか、能力の負担が?」

「い、いや、違うの。皆の視線が集まったら、なんか緊張しちゃって……」

 

 私は引きつった笑みを浮かべた。情けないもので、頭頂から足の裏まで、ぐっしょり汗をかいているようだ。温和になったとは言え、かつては鬼教官と呼ばれた姫の御前。こんなことして緊張しないはずがなかった。

 恐る恐る、私は彼女を見上げた。すると、

 

「ありがとう鈴仙、無理を言ってすみませんでした」

 

 依姫様は膝をついて、私と目線を合わせてくれた。月のように緩やかな弧を描いた瞳が、彼女の優しさをよく表していると思った。

 本当はもう、彼女の前で緊張する理由なんてないはずなのだ。

 

「すこし休んでください。あとは我々でなんとかします」

「ありがとうございます……」

「よし! こうなれば詰問攻めだな」

 

 サジタリアスの物騒な言葉を背中で流しつつ、私は依姫様たちから距離をおいた。アクエリアスが肩を貸そうとしてくれたが、大丈夫だと断った。

 やらなきゃいけないことがある。アクエリアスに付いてこられると困るのだ。

 ふと空を見上げれば、相変わらず木々が日差しを遮っていた。ずっと邪魔だなと思っていたけれど、案外、丁度いいのかもしれない。

 

 

 

 

 皆から十メートルほど離れた位置で、彼女は倒木に腰をおろしていた。

 俯いた顔は白の長髪に遮られて見えず、その体は、生きていることを疑うレベルで微動だにしていない。完成された容姿も相まって──不謹慎だが──今の彼女を、私はお人形さんのようだなと思った。

 こうなる前、彼女は「疲れたから休む」なんて見え透いた嘘をついていた。あの段階で彼女についていかなかったことを、私は心から後悔した。

 変わり果てた様子の彼女を驚かさないように、そっと声をかける。

 

「ヴァルゴ」

 

 ローブをかけた肩が小さく震えたのを見て、私は安堵の息をついた。もちろん、彼女には聞こえないように。

 

「ここ、座っていい?」

「……いいよ」

 

 すぐ隣に腰をおろすと、ヴァルゴは静かに顔を上げた。

 どうしたの、と力なく微笑む様はじつに儚げで、普段の彼女からは想像もつかないほど痛々しくて。なにより、もっと迷惑そうな顔をするものと思っていただけに、私は少々面食らっていた。

 

「その……さっきはごめんなさい。突き飛ばしたりなんかして」

「ああ。そんなこと、気にしてないわ。私こそごめんなさい、感情的になってしまって。身内の喧嘩なんて、巻き込まれる方が一番大変だったでしょう?」

「いや、全然……。えと、なんて言うか、意外だったわ。ヴァルゴとジェミニって、喧嘩とかする印象なかったし」

 

 棘のある言い方をすれば、バカップルみたいなもんだと思っていた。失礼極まりない印象を抱いていた私に、ヴァルゴはか細い声で笑った。

 

「ね。私もビックリしてる」

「え?」

「実はね、あんまり喧嘩したことないのよ。もう一万年以上はしてなかったかも」

「そ、そんなに?」

「うん。だから、余計にショックだったのかも」

「……」

「今はね、反省してるの。落ち着いたらジェミーに謝るつもり」

 

 それに、アナタにも。ごめんなさい。と頭を下げるヴァルゴを前にして、私のなかで繋がるものがあった。

 彼女は里で、ジェミニを「いつも正しい」と評した。私はあれをジェミニに向けた言葉ではないように感じていたが、その考えに間違いはなかったのだろう。

 恐らくあれは、ヴァルゴが自分を納得させるために、自分自身に言い聞かせた言葉だったのだ。

 私は唇を結ぶ。感情的だとか、図太いだとか、彼女に抱いていた印象がすべて泡のように消えてしまい、眼前に座る臆病な少女に塗り替えられていった。

 彼女は今、あの喧嘩のすべてを自分のせいにすることで終わらせようとしている。ジェミニが正しいと信じたいから、自分を押し殺している。

 そうだとしたら、それは実に臆病で、本当に後ろ向きな選択ではないか。

 

「……私たちの方が悪いとか、思わないの?」

「どうして? アナタたちは悪くない。私が先に怒り始めたのよ」

 

 そうではないと思う。

 今なら分かるが、あれは「じゅうぜろ」で私とジェミニが悪い。しかし、そんなことすら口にできない自分が情けなくて、私は奥歯を噛み締めた。

 かと言って、黙って見過ごすわけにもいかない。なにか、他の言い方で彼女に示せないものかと逡巡すること、数秒。

 

「……ヴァルゴは、もっと他人を責めていいと思う」

「え?」

 

 絞り出せた言葉は、結局そんなもんだった。

 私は彼女の顔を覗き込むよう、前かがみになって話を続ける。

 

「なんか、全部自分のせいにしようとしてない? ジェミニとの喧嘩とか、私に突き飛ばされたことも」

「……してないわ。していたとしても、それは事実だから」

「そうかな? その考え方が、私には危険に見えるけど」

「なんで?」

「ヴァルゴは、表面上のことを信じすぎてる気がするの」

「は?」

「少なくとも、私にはそう視える」

 

 ジェミニのことも、そして私のことも。ヴァルゴは現状敵視している相手には凶暴としか言いようのない振る舞いを見せるが、仲間に対してはどうも甘くなりすぎる節がある。

 その純真さは彼女の魅力であり、最大の弱点なのではないだろうか。

 彼女は眉を寄せて言った。

 

「なにが言いたいの?」

「じゃあ、問題を出すわね。さっき、私はアナタを突き飛ばしたけど、なんで私がアナタを突き飛ばしたかわかる?」

「それは、私が感情的になってたから、止めようとして」

「そんなんじゃない。あのときは、私もカッとなってたのよ」

「……え?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔だった。

 

「私、アナタが思っているほど温和な妖怪じゃないよ。くだらないことで簡単に怒るし、焦ってるときは他人のことなんて考えられなくなる。さっきだって……」

 

 私の声が途切れたことを不審に思ったのか、ヴァルゴが眉を顰めた。

 

「……つまり、私たちのこと美化しすぎなのよ」

「……そんなつもりは」

「なくて七癖って言うでしょう。癖って、考え方にも表れるものなのよ」

「……」

 

 なんとか声を振り絞っていたら、ヴァルゴがまた俯いた。私も小さく息をつく。

 しばしの沈黙。数メートル向こうでは、サジタリアスたちが魔侯たちに詰問を浴びせている。かなりヒートアップしている様子だし、そろそろ片方がボロを出すだろう。

 私は思い切って、話の舵を切ることにした。

 

「ジェミニが、心配だったんでしょう?」

「えっ?」

 

 弾かれるように顔をあげたヴァルゴは、小さな口をポカンと開けていた。あっ、と右手で口を抑えるが、その挙動のすべてが私の言葉を肯定しているように見える。

 

「隠さなくていいわよ。ヴァルゴが意外と臆病な女の子だってことは、今日のことでよく分かったから。……普段は気丈に振る舞ってるくせにね」

「……たかが二日もないくらいの付き合いなのに、どうして分かるの?」

「これでも目には自信あるから」

 

 私は、赤く染まった己の瞳を指さして見せる。アクエリアスにそうしたように。

 心が読めるわけではないが、感情の波さえ視れば、あとは医者としての経験から大抵のことは判断がつくのだ。

 

「私に隠し事なんてやめることね。今日のこと、アナタはジェミニを心配していて、だからあんなに余裕がなかった。違う?」

「それは……」

 

 彼女はまたも俯いてしまった。覗き込んでみると、艶のある頬が赤く染まっているのが分かった。

 

「ま、そうよね。だってジェミニは魔侯のヤバさを体験してなくて、逆にアナタはそれを知っているんだもの」

「……」

「だから、ジェミニが判断を誤る前に──彼が魔侯の犠牲になる前に、ヤツを彼から遠ざけたかった。……それこそ、自分の手を汚してでもね」

 

 すべては臆病さの裏返しだったのではないか。私はそう考えたのだ。

 見つめられて流石に参ったのか、観念したかのように、彼女は深くため息をついた。

 

「……ジェミーは、私の気持ち、わかってくれてるのかな」

 

 私は無言のまま、話の続きを促した。

 

「わたし、ただ心配で。なのに、ジェミーはアイツのこと、庇ってて、もちろん、それはあの子の優しさで、私も、あの子のそういうところが好きで、だけど……」

「うん」

「……だけど、まさか、怒らせちゃうなんて」

「うん。……辛かったよね」

 

 ぽつり、ぽつりと不安を吐露する彼女は、神様とは思えぬほどに儚げで、か弱くて。

 私は彼女に寄り添って言った。

 

「大丈夫、ジェミニはわかってくれてるはずよ。それに、彼が珍しく怒った理由だって、すぐにわかると思う」

「どうしてそう言えるの?」

「私の見立てでは、って話よ。信用できない?」

「そうじゃないけど……」

 

 心配なのは、その事実を知ったとき、彼女はまた傷つくかもしれないということ。

 

 私はチラリとジェミニたちを見やった。

 詰問攻めは続いている。ひとりの男はたどたどしい口ぶりではあるが弁明を続け、もうひとりは、真相が暴かれる瞬間を静かに待っている様子だった。

 ジェミニは、そんなふたりを慎重に観察しているように見える。

 

「……鈴仙?」

「ねぇ、ヴァルゴ。あとでさ」

 

 私が彼女の耳元に唇を近づけた、直後だった。

 

「ち、ちがっ……誤解です!」

 

 金髪の男のひとりが、初めて声を張り上げた。

 

 

   

 

「どうしたの?」

 

 私とヴァルゴが駆け寄ると、サジタリアスが真っ先に振り返った。

 

「ああ。今しがた、片方がボロを出したところだ」

 

 そう言ってサジタリアスが指をさしたのは、黄色い鎖で腕を拘束された男──私たちが捕らえた方の魔侯だった。

 この場にいる全員の視線を浴びせられて、彼は酷く憔悴しきった顔で首を振った。

 

「誤解があります……! 言葉の綾なのです!」

「言葉の綾? アレをどうやって誤解したらいいのかなぁ」

 

 皮肉るように笑ったのはジェミニだ。ヴァルゴがなにか聞きたげにソワソワし始めたので、私がかわって前に出る。

 

「ジェミニ、ボロを出したって、彼はなにを言ったの?」

「実に単純なミスだよ。彼らはふたりとも、幻想郷に来てからの記憶を〝ない〟と証言していたんだけど、僕らが捕らえた方の魔侯がうっかり漏らしちゃったんだ」

「ああ、ジェミニが気づいてくれた。コイツ、依姫が我ら三龍神を従えていることを、どうしてか知っていたんだ」

 

 サジタリアスが拳を鳴らした。

 

「それをどう聞き間違えれば、言葉の綾ということに出来るんだ?」

「確かに私は彼女を〝三龍神に認められた〟と言いましたが、なにも三体すべてを指したつもりではありませんでした。サジタリアス、アナタと一緒にいたから、そう呼称したまでなのですよ」

「なぜがオレが三龍神としての力を取り戻していると断言できる? 幻想郷に来てからの記憶がなく、ソレ以前の記憶はあるのなら、オレが裏12宮のままでいる可能性も考慮できるだろう。第一オレは、お前を捕まえたあと、記憶が戻ったことを悟られるような発言は一言もしていない」

「念のため、しないようにしていましたからね」

 

 依姫様が口を添える。

 彼は諦めきれないと言った様子で、膝を擦りながら前に出た。

 

「制服のポケットに、私のデッキがございます。その中にある私のカードを見れば、私が本物であると分かっていただけるはずです」

「それが証拠になるのであれば、最初からそうしていますよ」

 

 アクエリアスが目を細めた。

 

「カードは所詮、我々の霊体を休める宿に過ぎません。増やそうと思えば何枚でも複製できてしまう」

「しかし、出入りできるのは本物の一枚だけ……」

「盗用はいくらでも出来ると思うよ」

 

 ジェミニが前のめりに割り込んだ。

 

「キミらふたりとも、目が覚めたら今の状態になってたって言ったじゃん。カプリコーン本人の意識がないうちに、本物の一枚を盗んで懐に入れておく。それくらいはいくらでも出来たんじゃないの」

「っ……」

 

 男の眉間にしわが寄る。なにか、しでかしそうな予感がした。

 

「でしたら……」

「あ、ちょっと待って」

 

 追い詰められた様子の男がなにか言おうとしたが、私が止めた。

 私は全員の背が見えるよう、ヴァルゴよりも後ろに下がった。安置についたことを確信してから、もうひとりに尋ねる。

 

「アナタは、どうして喋らないの?」

「……下手に口を開かぬのが、最善と判断しておりますので」

「それはどうして?」

「先程から、となりの彼が色々喋ってくれていますので……弁明など、みっともない」

「なるほどね」

 

 私はうなずいて、もう一歩、後ろに下がった。

 靴が砂利を擦って、ザラザラと音を鳴らす。その音に反応したのか、ヴァルゴがピクリと肩を揺らし、チラリとこちらを振り向いた。

 

「──鈴仙あぶない!!!」

「……へ?」

 

 悲鳴のような声をあげて駆け出す彼女。反対に、阿呆な声とともに後ろを向いた私は、上空から木々の草葉を吹き飛ばし、こちらに向かって一直線に飛んでくる黒い塊を見た。

 エネルギー弾。そうとしか言いようのない、どす黒い塊。内部で鋭い刃状のオーラが螺旋を描いていることから、恐らく〝撃つ〟ではなく〝抉る〟ことに特化したヤツ。

 食らったらまず命はないだろうな、と瞬時に分かった。

 魔侯の攻撃だ。それに気づいた直後、私は地面に仰向けで押し倒された。続けて、私の体を覆うようにヴァルゴが倒れ込む。

 鈍い唸りが、ふたつ響いた。ひとつは私、もうひとつはヴァルゴ。

 咄嗟とは言え、決死の行動だったのだろう。その表情は死を覚悟しているように見えた。固く閉じた目、額から吹き出す大粒の汗が、それを物語っていた。

 ただ、それは私も同じことで。

 死の間際って、周りの景色がスローに見えるって言うけど、ホントなんだなあ。あれを食らったらどれだけ痛いのかなあ。肉が抉れるときってどんな音がするのかなあ、なんてぼんやり考えながら、私は──。

 

「間に合ってよかったわ」

 

 直後、一筋の光が、私の視界を貫いた。

 

 

 真夜中を思わせる静寂が、あたりを包み込む。

 ヴァルゴは相変わらず目を閉じたまま、長い白髪を私の頬に垂らしていた。吐く息はいずれも震えを帯び、彼女の心臓の鼓動がこちらにまで伝わってくるようだった。

 

「……ヴァルゴ」

「っ……うう」

「ねえ、ヴァルゴ」

「うううううううううううう……っ」

「ヴァルゴってば!」

 

 今にも泣き出しそうな彼女の頬に触れると、彼女はバランスを崩した積み木のおもちゃみたいにガタンと崩れ落ち、私にのしかかってきた。急に乙女の全体重を受け止めることになった私は、「んふう⁉」という、少女にあるまじき低い悲鳴をあげる。

 

 ヴァルゴの名誉のためにこれだけは言っておくが、彼女はそんなに重くなかった。

 

「ごめん……っ、鈴仙……っ、私、一番近くにいたのに、気づけなくって……!」

 

 私にもたれかかったまま、相も変わらずうーうー唸り声をあげる彼女に、私は安堵と呆れの入り混じった息をもらした。

 どうやら、なにも見えていないらしい。私は彼女の髪を二・三回撫でると、子供をあやすような優しい声で言った。

 

「怪我してないよ、ふたりとも」

「ううううう……」

「もう大丈夫だから」

「ううううううううううう……」

「ヴァルゴ、目をあけて。生きてるから」

「ううううううううううううううううう……。……う?」

「ふたりとも生きてるよ」

「……え?」

 

 ヴァルゴはパチっと目を開くと、体を起こして辺りを見回した。

 

「なんで……?」

 

 彼女は自分の体や頬をペタペタと触る。どこにも異常はない。

 ようやく自由が得られた私も、仰向けのまま首を動かし、周囲の状況を確認する。

 咄嗟の出来事に、目を見開いて警戒する者。

 私たちを心配して駆け寄ってくる者もいる。

 そんな中、さして驚きもしない様子で、微笑みを浮かべて私を見つめる者がいた。

 

「……ジェミニ」

「ありがとう。おかげで上手くいったよ」

 

 彼は拍手とともに、私の視線を顎で誘導した。

 体を起こして視認する。眉間を貫かれ、仰向けで地に倒れている男の姿を。

 痩せ型で長身の体に、エクソシストを思わせる黒い制服。

 黄金色の頭髪と、角張った顎、とがった鼻。

 怪しげな風貌に違わず罪を犯したのか、両腕を後ろで組まされ、拘束されている。

 その腕に巻き付いているのは、依姫様が持ち込んだフェムトファイバーだった。

 

「どういうことだ……? 上手くいった、だと? ジェミニ、なにを言ってる?」

「全部、台本通りに進んだんだよ。サジタリアス」

 

 呆気にとられるサジタリアスたちを前に、ジェミニはもうひとりの魔侯に歩み寄った。必死に弁明を続けていた、もうひとりが言うところの「みっともない男」。

 明らかに、この場にいるほぼ全員が、警戒の目でジェミニを睨んでいる。だが、彼はどこ吹く風と言った様子で言葉を続けた。

 

「多少のイレギュラーはあったけどね。でも想定内のイレギュラーだった。彼女はぼくが希望した通りの役割を、見事に演じきってくれたよ」

「ジェミニ、サジタリアスの質問に答えてくれ。お前は……」

「ガハッ! ゲボッ! ゴホッ!」

 

 ピオーズの言葉を遮るように、誰かが激しく咳き込んだ。ジェミニを捉えていた全員の視線が、そちらに向き直る。

 

「はァーッ……ハァー……ゲホッ! ゲホッ! みょう、ですね……。なぜ、バレたのでしょうか……ケホッ、ケホッ。演技はァ……完璧、だった。はずなのですが……」

「っ……お前は……!」

 

 崩れ落ちた土人形の中に見える、その邪悪な龍の魂に、ピオーズをはじめ全員が警戒心を顕にした。

 ただひとりを除いて。

 

「完璧な演技って? それ、誰の前で言ってるのかな?」

「はァーッ……あはははァ……やはり、気づいていたのですね……ェハハハ……流石は、虚構を、司る、双子座の神! ジェミニ様だァ……」

「そーゆーこと。いいかいピオーズ、これが質問の答えだよ」

 

 ジェミニは残された男の前で膝をつくと、彼を拘束していた鎖を指で撫でた。瞬く間に鎖は光となって霧散し、男は晴れて自由の身となる。

 

「この、みっともなく弁明を続けていた男こそが、本物のカプリコーンだ。手を貸すよ」

「ありがとうございます」

 

 笑顔で差し出されたその手を、男は嬉しそうに受け取った。

 ジェミニは続ける。

 

「最初から、答えは知っていたんだ。知ったうえで役を演じていた。ぼくも、彼女も」

「彼女……?」

「この舞台における、ぼくのパートナーさ。紹介しよう」

 

 ジェミニに促されるように、全員の視線が、ひとりの人物に集中した。

 もうひとり、最初から答えを知っていて、役を演じていた人物。

 

「鈴仙……?」

 

 ヴァルゴの問いかけに、私は黙って頷いた。

 

 もうひとりは、わたしだ。

 

 全員の視線が私に集中している。疑念と警戒心の入り混じった視線。苦手だ。私は視線を避けるように、俯いたまま立ち上がった。

 ゆっくりと顔をあげ、真っ赤に染めた瞳で、改めて確認する。

 私の弾丸が捉えた相手を。

 眉間からひび割れた体で、哀れ地に倒れ伏した魔侯の姿を。

 

「ホント、間に合ってよかったわ」

「では……さっき、彼の脳天を貫いたのは」

「はい、私のものです。依姫様」

 

 彼の眉間を捉えた、あの一筋の光は、私の弾丸だった。エネルギー弾なので実体はすでに消失してしまったが、地面には焼け焦げたあとが残されている。

 対して、あの一撃で魔力の発生源を失った魔侯のエネルギー弾は、大地に掘削跡を残すこともなく、空中で霧散した。

 私は、木々に隠された青空を指さして続ける。

 

「あらかじめ、私のエネルギー弾を上空に何発か配置しておいたんです。誰かが攻撃されそうになったとき、すぐに発射できるようにと思って。もっとも、私がターゲットになるのは予想外でしたけど」

「へェーー……そォうですか、アナタが……ァハハハ……」

 

 愉快とも、屈辱を噛み締めているともとれる、狂気的な笑みだった。

 

「私もォ……予想外、でしたね……ェ。自分の身を、自分で守れる。それくらいの強さは持っていたわけだァ……アハハハ……」

「狙いは、わたくしどもの誰かに優曇華院様を庇わせることでしたか」

 

 アクエリアスが剣を強く握りしめる。

 なるほど、と息を呑んだ。事実、ヴァルゴは私を守るために駆け出したのだ。その場合12宮の誰かに狙いを絞ることは出来ないが、彼に言わせればランダムにひとり殺せればそれで良かったのだろう。

 

「ですが、さっぱり分かりません。ジェミニ様」

「なんだい?」

「最初から知っていたとは、一体どこからなのですか? それに、優曇華院様も……」

「最初からだよ」

 

 ジェミニは満面の笑みを浮かべて言った。

 

「疲れたって、言っただろう?」

 

 

  6

 

 

 今から二~三時間ほど前のことになる。

 レオを捜索するため、妖怪の山へ通じる畦道をジェミニたちと歩いていたとき、ふと、彼に肩をつつかれた。

 

『鈴仙、すこしいいかい?』

 

 不思議だったのは、彼は声を発していないらしいのに、その言葉が明確に読み取れたことだ。私に読唇術の心得はないが、彼の唇の動きは妙に鮮明で、彼が無言でなんと言っているのか、一語一句、逃さず聞き取ることが出来た。

 

『黙って聞いていてほしい。……ヴァルゴたちには内緒にしておきたいんだ。それにね、ヴァルゴは内緒話を盗み聞きする悪癖があるから、こうして唇だけで喋ってる。協力してほしいことがあるんだ』

 

 とりあえず、私は首を縦に振った。

 見たところ、ヴァルゴはアクエリアスとの会話に夢中になっているようで、私たちがなにか会話していることには気づいていないらしかった。

 ジェミニは声に出さぬまま、次のように語った。

 

『今ね、監視衛星を飛ばしてるだろ。あれのひとつが仲間を見つけたんだ。うん、ぼくの大切な親友のひとりさ。

 名前を、カプリコーンって言うんだけど。

 ……あはは、やっぱり苦い顔をするんだね。彼から聞いた通りだ。

 事情は本人から聞かされたよ。恐らくキミだけじゃなく、誰もが自分を信じてくれないだろうと言っていた。

 でも、安心してほしい。ぼくが見つけたカプリコーンは本物だ。ぼくは演技の神でもあるからさ、わかるんだよ。嘘ついてたり、ふりをしていてもすぐに看破できる。

 偽物に取り憑かれていたという彼が、どうして今は自由の身なのか。彼の器は誰が用意したんだろう? ……嫌な予感がするけど、その話はまたあとでするね。

 で、ここから先が本題なんだけど……。

 まず、結論から言うね。彼にお願いされてさ、協力してほしいんだ。

 鈴仙。キミには、ぼくが手掛ける舞台の演者になってほしい。

 ……あはは! その驚いた表情、かわいいね。レオが気に入ったのも頷けるや。

 最初から説明するから、安心して。

 まずこの作戦は、カプリコーンの偽物──魔侯と言ったかな? 彼を〝騙しきった上で倒す〟ために実施するものだ。

 魔侯は今、人間の里の裏通り潜伏しているらしい。あそこは人気もないから、丁度いいと思ったのかもしれないね。

 そして今、カプリコーンも里に向かっている。

 ぼくたちは妖怪の山を目指して歩いているけど、それを今から自然な形で里に向かうよう変更して、カプリコーンと合流したいんだ。

 ……大丈夫。レオとはぐれた霧の湖には、ぼくらの監視衛星を何機か向かわせたよ。なにか収穫があれば、すぐに報告する。

 そして、ここからがポイントだ。ぼくたちはカプリコーンと合流してからも、事実をなにも知らないように装わないといけない。

 敵を欺くにはまず味方から、だよ。

 ヴァルゴとアクエリアスには悪いけど、ふたりは嘘をつくのが上手じゃない。本当のことを知ったうえで嘘をつけば、言動が固くなる傾向にある。

 いいかい? 魔侯を騙すためには、ぼくらがヴァルゴたちの行動や感情を、上手にコントロールしないといけないんだよ』

 

 そこまで言われて、私は首を振りまくった。無理な相談だからだ。

 

『黙って聞いてれば好き放題言って! 第一わたし、演劇とかやったことないし!』

 

 口パクでそう訴える。

 カプリコーンのこと、魔侯を倒すための作戦に協力してほしいこと。言いたいことはわかっても、「はいそうですか」と受け入れられない。私は演劇ド素人なのだ。

 

『ものすっごく棒読みの大根演技になるわよ!』

『平気さ。ぼくはキミに演技をしてほしいわけじゃない。ただ適切なタイミングで、簡単な嘘をついてもらいたいだけなんだよ』

『う、うそを?』

『ああ、とっても簡単な嘘をね』

 

 ジェミニは指を立てながら、その『簡単な嘘』とやらを羅列した。

 

『例えば、人里に行く理由だとか、目的の場所に近づくための方便とか。カプリコーンは〝酔っ払って崖から落ちた若者〟を装って里に入り込むらしいから、間違いなく病院に担ぎ込まれるだろう。その病院に近づくための言い訳も欲しいかな』

『いや、これっぽっちも簡単じゃないんだけど?』

『そうかい?』

 

 真顔で首を傾げる彼にため息を付いてやりたくなったが、今は黙っていないといけないのでソレすら出来ない。

 確認のため、チラリとヴァルゴを見た。相変わらずアクエリアスとの他愛もない会話に花を咲かせている様子だ。こっちはソレどころじゃない雰囲気なのに。

 そう思ったら、ふと、意地悪でふたりの波長を覗いてやろうという気になった。ヴァルゴはともかく、アクエリアスの波が強くなっているのが視えたので、「もしかしてアクエリアスはヴァルゴに気があるのかな」なんて思ったりした。

 

『どうかした?』

『……んーん、なんでも』

 

 ライバルの存在も知らずに、呑気なものである。私はジェミニに向き直した。

 

『んで、なんだっけ?』

『嘘をつくのが難しいって話だね。……それじゃあ鈴仙、ぼくがひとつ手本を見せるよ。いいかい? 今から見せるのは、里に向かうためにつく〝嘘〟の一例だ』

 

 ジェミニは小さく微笑むと、コホンとひとつ咳払い。そして……。

 

「うーん、流石にちょっと〝疲れた〟のかもしれない」

 

 小声で、そんなことを言った。

 

 私は僅かに首をひねったが、違和感の正体はすぐに分かった。今のジェミニの言葉には、明確な音があったのだ。

 しかし、今のが嘘とはこれ如何に。

 

「えーっと……? それのどこがう」

『静かに!』

 

 うぎゅう。彼の人差し指が私の唇を押しつぶした。コイツ自分だけ喋っておいてひとには喋らせないとかどういう了見だコラ。

 

『……気づいたかい? 今、ぼくの言葉にヴァルゴが反応したよね』

『えっ、そう? 全然気づかなかったけど』

『したんだよ』

 

 彼はしめしめと言った様子で笑った。あとで聞いた話だと、このときヴァルゴが見せた反応とは、呼吸のリズムが変化したことだったらしい。……わかるかそんなもん!

 

『こうなればあとは簡単だ。鈴仙、今から一分経過したら、何食わぬ顔で里に行くことをふたりに提案してくれるかい。アクエリアスは首を傾げるかもしれないけど、ヴァルゴは喜んでオーケーしてくれるだろうから』

『う、うん? いいけど、そのあとは?』

『里に向かいながら説明するよ』

 

 そのあとは知っての通りで、私たちは〝自分は魔侯じゃないと主張する魔侯のフリをしたカプリコーン〟という、ややこしい演技をするカプリコーンと難なく合流できた。

 ヴァルゴの反応も、大方、ジェミニが予想した通りのものだった。悔しいけど、全ては彼の台本通りと言わんばかりにことが進んでいくのが分かった。

 依姫様たちと合流する直前に起きたふたりの喧嘩も、私には予想外の出来事で混乱させられたけど、今思えばアレすらも、ジェミニの台本に描かれたワンシーンに過ぎなかったのだろう。

 

 双子座の12宮が敵でなくて良かったと、私は心からそう思った。

 

 

 

 

「じゃあ……本当に、最初から、ずっと」

 

 震えを押し殺すような声色で、ヴァルゴが呟いた。ジェミニのもとを後退する足取りはフラフラとしておぼつかず、顔面も真っ青になっている。

 虚構を司る神とはいえ、ジェミニは彼女の恋人である。ここ数時間、信頼する想い人に嘘をつき続けられていた上、その行動や感情すらも、都合のいいようにコントロールされていたという事実は、純粋な乙女座の女神には酷だっただろう。

 

「ソーリー、必要なことだったんだ」

 

 そして、こんなときでも崩れないジェミニの微笑みは、そんな今のヴァルゴには毒でしかない。華奢な体が貧血を起こしたように大きく揺れるのを見て、私は駆け出した。

 

「ヴァルゴ!」

 

 背後から抱えた小さな体が、とても重たかった。意識を失う一歩手前だ。彼女が傷つくことは予想していたが、まさかここまでとは思わなかった。

 迂闊だった自分を呪う。この作戦にヴァルゴを利用するのは間違いだった。

 ジェミニも僅かに肩を震わせたのが見えた。だが、彼はひとつ息を吐くと、すぐに魔侯と対面し直した。一度始めたら、カーテンが降りるまで舞台は続くのだ。

 

「勝負はぼくらの勝ちだ、魔侯。キミはぼくの仲間たちを散々騙してきたから、こうして虚構の神に騙し返される羽目になった」

「因果応報。そう、言いたいわけですね……」

「それがカプリコーンの望みだ。こうして勝たないと、本当の意味でキミを打倒したとは言えないだろうからね」

「そォ……でしたか……」

 

 魔侯はフラフラと立ち上がった。

 彼が少し動くたびに、その体から土がパラパラと崩れ落ち、内側にある邪悪な龍としての姿が顕になっていく。顔の大部分は人間のものを維持しているが、崩れ落ちた右上部からはうねった金色の角や、黒く鋭い魔物の目、刺々しい紫の鱗が薄く見えていた。

 ジェミニは警告する。

 

「動かないで。それ以上動けば、ぼくは容赦なくキミを滅多刺しにする」

 

 両手に逆手持ちした剣を構え、その一振りを魔侯に突き出した。

 だが、これを見て彼は、まだ笑っていた。

 

 その直後──どこにそんな力が残っていたのだろう。

 

「……ッ⁉」

 

 驚愕させられた。彼の全身からどす黒い闇が放出され、瞬く間もなく辺りを包み込んでしまったのだ。

 この場にいる誰もが反応できない速度で、瞬く間に闇が広がっていく。

 

「まだ……抵抗。させて、頂きますよ。あの御方、の、名を、汚す、わけには……」

 

 最期の抵抗。暗闇に響く彼の声から、そんな強烈な意志を感じ取った。

 そして何故だろう。なにもかもが闇に覆われ、抱えたヴァルゴさえ見えなくなる一瞬。私は、魔侯の怒りに満ちた目が、紛れもなくこちらを捉えているのを、確かに見たのだった。

 

 

 続




最後まで閲覧いただきありがとうございます。
次回も楽しみにお待ちいただければ幸いです。
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