東方琉輝抄・暁   作:日立涼

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第七話『巡る因果・後編』

 

 

 気がつけば戦場に立たされていた。

 夜のような黒い空間に、満天の星が広がる壮大な景色。ここが戦場であることを忘れてしまうほどの静寂。

 しかし、私と、私の抱えていたヴァルゴは、紛れもなく戦場にいた。

 

「鈴仙……? これは……」

 

 ヴァルゴが意識を振り絞るようにして、私の腕から離れていく。現状を理解しようと試みているのか、彼女はしきりに首を振り回していた。

 荒廃した大地。埃っぽい風。私がここへ来たのは、これで二回目である。

 彼女はこわばった表情で私に向き直った。

 

「……ここって」

「戦場に来ちゃったみたいね、私たち」

 

 私は顎でヴァルゴの目線を誘導する。剥き出しの岩肌が円を描いてつくられた広場の向こう側に、傷だらけの男がひとり立っていた。

 殺気立った目で私を睨むその男は、息も絶え絶えに両腕に力を込める。すると、あろうことかフェムトファイバーが輪ゴムのようにブチブチと千切れ、呆気なく男の自由を赦してしまった。月の都が誇る最強強度の組み紐だが、邪神の力の前には無力だったらしい。

 うっわ。顔を引きつらせた私の隣で、ヴァルゴが小さく呟いた。

 

「魔侯……」

「ごめん。アイツは多分、私をバトルフィールドに引きずり込むだけのつもりだったんだろうけど……」

「……そっか。私、鈴仙に抱えて貰っていたから、一緒にフィールドへ入ったのね」

 

 ヴァルゴは、私たちの目の前にあるテーブル──これからカードを並べることになるものだ──に手を添えると、大粒の唾をひとつ飲み込んだ。

 

「戦うの?」

「選べないわよ。やるしかない」

「どうして……」

 

 まだなにか言いたそうだったが、ヴァルゴの言葉はそこで途切れた。彼女は一瞬、外野に弾き出されたジェミニとカプリコーンを睨んだ気がした。

 ああ。と私は声を漏らす。

 

「別にいいのよ。事故みたいなものって言うか、この状況がジェミニの台本にないことくらい、私にも分かるもん」

「だから納得がいかないのよ」

「どうして?」

「だって、ジェミーの不手際のせいで、鈴仙が危険な目に遭っているのよ?」

「不手際って」

 

 私はクスリと笑った。

 

「むしろ嬉しいわ。全部ジェミニの台本通りってのも、癪だったし」

「そういうものなの?」

「そーゆーもんなの。ずっと燻っていたんだから」

「……」

 

 笑顔を浮かべていたのが、逆にヴァルゴを心配にさせたかもしれない。彼女はそっぽを向くと、あの、自分に言い聞かせるような声色で呟いた。

 

「……鈴仙は、優しいのね」

「そんなことない」

 

 即答した。私は真剣な表情のまま続ける。

 

「わたしは、優しくなんかないよ」

「ジェミーを庇っておいて、よくそんなこと言えるわね」

「庇ってなんかいない。全部本当のことなの」

「……」

「信じて。ヴァルゴ」

「……信じていい?」

「信じてほしい」

 

 覗き込むような瞳で、ヴァルゴは私を見つめた。「もう騙されたくない」という切なる願いが、透き通った水晶の奥に視えた気がした。

 一分。本当は十秒くらいだったかもしれないけど、不意にヴァルゴが微笑んだ。

 

「約束、守ってくれるよね」

「もちろん」

 

 女に二言はない。ヴァルゴが静かに差し出した手を、私は強く握りしめた。

 

「でも、まずは目の前の敵を倒そう。ヴァルゴ」

「わかってる」

 

 深く頷いた彼女は、そう言って《戦神乙女》のカードへと戻っていった。彼女のカードをデッキに加えた私は、魔侯を睨むようにして、フィールドの向こう側を見た。

 

「いちおう聞いておくけど、どーして私なのかしら」

 

 待ちわびていたかのように、彼は顔を上げる。

 

「たかが、野うさぎの、分際で、神の使いに、傷を負わせた、罪は、重いのですよ……」

 

 そんなもんだろうとは思っていた。小さくため息をついた私に、彼はひび割れた顔面で口角を限界まで吊り上げ、不気味な笑みを浮かべた。

 

「粛清。させて、頂きます」

「やれるもんならね。……今日の私は優しくないわよ」

 

 哀れなものを見ている。そんな気分だった。仲間たちを散々傷つけられ、私自身も命を狙われたというのに、どうして私は、こんなにも力ない表情しか出来ないのだろう。

 テーブルに設置したデッキから、カードを四枚手に取る。いい手札だ。負ける気はしないが、だからと言って気分が高揚することもなかった。

 

「「ゲートオープン、界放」」

 

 開戦の狼煙は、鈴音のように静かに響き渡るのだった。

 

 

 

 

「ネクサス、《氷結都市リースグラード》を配置」

 

 正直言って、完璧な出だしだった。

 第一ターンから必要なネクサスを配置し、荒廃した大地を凍りついた街に変貌させることに成功した私は、次のターンには、キースピリットである《月光龍ストライク・ジークヴルム(Rv)》を召喚。機械仕掛けの白龍が睨みを利かせ、魔侯を激しく威嚇した。

 対する魔侯も、展開そのものは早かったように思う。第二ターンから《魔界の聖杯》でトラッシュに魔界七将を送り込み、第四ターンには《ベルゼビートX》の召喚時効果でそれらを蘇生。早くもフィールドに《ベルゼビートX》、《デストロード(Rv)》、《パンデミウム(Rv)》と三体の魔界七将を並べてみせた。

 ただ、紫属性である彼らの効果は、いずれも【契約装甲】を持つ《ストライク・ジークヴルム》には効き目がなく、その殆どが不発に終わっていた。勇んで仕掛けた攻撃も、月光龍がことごとく受け止める。私が信頼をおく《ストライク》シリーズには、相手が疲労したりアタックしてきたタイミングで回復する効果を持つものが多く、魔侯のデッキにはその効果が十分に刺さっているようだった。

 相性不利という他ない展開に、魔侯はその澄ました顔を何度も歪ませ、ときとしてテーブルを乱暴に叩いたりした。そして、その度に「……失礼しました」とかぶりを振った。

 正直ザマアミロとも思ったが、私の口角が上がることは一度だってなかった。

 

 第五ターン。バトルフィールドは私にさらなる追い風を吹かせる。

 

「契約煌臨! 《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム(Rv)》!」

 

 高く掲げたカードから光が放たれ、白銀に染まる海から、高貴なる龍がそのおもてを上げる。《ストライク・ジークヴルム》に煌臨し地上へと舞い降りた機械龍は、その美しい咆哮で、魔界七将たちを揃って怯ませた。

 

「煌臨時効果で、《魔界七将デストロード》をデッキの下に戻す!」

「っ……! なんと情けない! 《デストロード》よ!」

「《メカニポリス》のミラージュをセットして、アタックステップ! 《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》でアタック!」

 

 機械龍は攻撃の構えに転じると同時に、身につけた装甲の色彩を変化させた。あっという間に周囲の景色と同化した彼は、カメレオンのように見えなくなる。

 

「き、消えた……⁉」

「オーバーカウントの効果で、このスピリットはブロックされない!」

 

 慌ただしく首を動かす魔侯。次の瞬間、音もなく目の前に現れたソイツに、彼は目を見開いた。

 

「ライフで、受けます! ……ッ!」

「オーバーカウントの効果はこれで終わりじゃないわよ。バトル終了時、ターンに一回、《ルナテック・ストライクヴルム》は回復出来る!」

「ほぉ……ッ!」

 

 オーバーカウントは、自分の〝カウント〟が一定以上溜まっているときにのみ発動できる効果だ。カウントはカードの効果によって増やせる他、スピリットやネクサスが転醒することでも少しずつ増加していく。カウントが貯まるまでは力を出しきれない分、一度条件を整えてしまえば、強力無比な効果の数々で使用者を勝利に導いてくれるだろう。

 

「《ルナテック・ストライクヴルム》で、もう一度アタック!」

 

 魔侯の目の前で雄叫びを上げた機械龍は、その鋭い鉤爪を天高く振り上げる。先のターンに減らしておいた分と合わせて、私は魔侯を、残りライフ二つにまで追い込めた。

 

「ターンエンド」

 

 攻撃を終え、自陣に帰還した《ストライクヴルム》の背中越しに、私はフィールドを見つめ直す。

 

 こちらにはレベル1の《ルナテック・ストライクヴルム》と《WG―7》、《氷結都市リースグラード》、そして《メカニポリス》のミラージュがある。カウントは既に九まで到達しており、これ以上は無理に増やす必要もないだろう。

 対する魔侯のフィールドには、《魔界の聖杯》とレベル1の《ベルゼビートX》が存在するのみ。

 ライフ差は、私が五つすべて残っているのに対して、魔侯が残り二つだ。

 

「圧倒的だな」

 

 バトルの様子を外から眺めていたサジタリアスが、そんなことを呟いた。

 

「流石、依姫の元部下と言ったところか。戦いの中でも息を切らしていないし、瞳が揺れることもない。……優秀だ。お前の育て方が良かったのかな」

「いえ、鈴仙は元々優秀な子でした。ですが……」

 

 依姫様をチラリと見ると、彼女は困惑したように眉を寄せていた。

 

「ここまでというのは、正直初めて見ました。あれほど積極的に攻撃をしかける子ではなかったと思いますし、デッキも以前使っていたものとは違います。……それに、目つきが全然違う」

「目つきが違う?」

「なんて言うか……よくわからないんですけど……」

 

 眉間を揉む依姫様に、アクエリアスが言った。

 

「恐らくですが、〝遠くを見ているから〟ではないかと」

「……はい?」

「流石によく見ているね。アクエリアス」

 

 依姫様は眉をひそめ、ジェミニは彼の言葉を首肯する。

 

「鈴仙は今と同時に、もっと遠くを見てる。……遠くにいる彼を見つめてる。だから強くいられるんだと思う」

「はい。……これほどまでに美しいものなのですね。遠くを見つめる乙女の瞳は」

 

 ……次のターンも、魔侯はかなり積極的に仕掛けてきた。

 

《魔界七将ベリオット(Rv)》の効果で《デスペラード(Rv)》を召喚し、その効果で互いのスピリットを消滅させたり、手札とコアを増やして、次のターンに備えてみせたり。

 とくに大きかったのは、《ベルゼビートX》を転醒し、《魔界七将アスモディオスX》を出現させたことだ。彼が転醒時に放った波動は《ルナテック・ストライクヴルム》には呆気なく跳ね返されてしまったものの、私の手札を二枚も奪っていった。白属性のデッキは手札を増やす手段に乏しいため、これはかなりの痛手と言える。

 

「あれが【転醒】ですか。噂には聞いていましたが、実際に見るのは初めてですね」

 

 依姫様が前のめりに言うと、ピオ―ズがコクリと頷いた。

 

「強力な効果を持っている反面、扱うには少々難易度が高いからな。鈴仙のカウントを増やす戦術や【ミラージュ】もそうだが、手練れのバトラーが好んで使用する傾向にある」

「……リスキーな戦い方は、あの子が一番嫌っていたもののはずなのに」

 

 依姫様の、食い入るような視線を感じる。

 しかし魔侯が動いたことで、私の意識はすぐにバトルフィールドに戻された。

 

「《アスモディオスX》で、アタック! レベル3の、アタック時、効果で、相手のスピリットから、コア二個を、ボイドに置く!」

「【契約装甲】の効果で、《ルナテック・ストライクヴルム》はその効果を受けない!」

 

 最強の魔将が放った斬撃を、機械龍は難なく片手で受け止めてみせた。

 

「さらに、契約煌臨元の《ストライク・ジークヴルム》の効果で《ルナテック・ストライクヴルム》は回復し、自分のカウントを三つ増やす!」

「だから、なんだと、言うのです! 我が、《アスモディオスX》のBPは、あなたを守護するドラゴンと、同じ、なのですよ!」

「だからなんだと言うの?」

「は……?」

「《ルナテック・ストライクヴルム》でブロック!」

 

 機械龍が、轟く咆哮とともに駆け出した。

 

「ブロック時効果発揮! 自分のカウントをひとつ増やして、ターンに一回、相手のスピリット一体をデッキの下に戻せる!」

「ッ⁉」

 

《ルナテック・ストライクヴルム》の口から放たれた青白い光線に焼かれ、《アスモディオスX》は戦うことなく戦場から姿を消してしまう。煌臨時、アタック時と効果を発揮してきたので、流石にブロック時には何もないと踏んだのだろうが、私の月光神龍に死角なんて存在しないのだ。

 

「ターン……ッ、エンド……」

 

 魔侯の息切れが、激しくなってきている。

 話に聞いていた、嘲笑うかのような余裕あるプレイングも見られない。感情も人並みに読み取れるし、傍観するジェミニから警告が入る気配もない。

 体力的に余裕がないのは明白だった。

 ただの土人形に、魂を無理やり宿して動いている彼。体中を震わせるあの姿は、おそらく演技ではなく本物なのだろう。

 最初から苦しんでいたはずだ。そこに、私の弾丸がダメ押しのごとく突き刺さった。

 

「やめるつもりはない?」

 

 考えるより早く、私は口を開いていた。

 

「はァ……?」

「この戦いを、やめるつもりはないかと聞いているの」

「……ははァ……ァははは。なにを、言い出すのかと、思えばァ」

 

 その嫌味っぽく浮かべる笑みすらも、今の私には痛々しく見えた。

 

「もう、戦える体じゃないでしょう? アナタだって分かっているはず」

「戦える、とか、戦えない、とか。そういう、問題では、ないのですよォ……くゥふふふふふふ……」

「それって、どういう……」

「やめておけ鈴仙、ソイツになにを言ったところで無駄だ」

 

 サジタリアスが野次を飛ばしてきた。邪魔をしないでほしいと思いつつ彼を見やると、サジタリアスは眉間にシワを寄せて言葉を続けた。

 

「お前だって分かっているだろう? ソイツにひとの心なんてものはない。あるのはただの防衛意識と、自分の欲求を満たしたいという本能だけだ」

「その欲求ってなんですか?」

「なに?」

「彼の欲求って、なんなんですか」

 

 私はサジタリアスの警告を無視する形で魔侯に向き直り、問いかけた。

 

「アナタはなんで戦ってるの? 邪神が復活した今、アナタが戦う理由ってなによ」

「理由がァ……必要、ですかァ」

「意味もなく戦うひとなんていない。アナタは、なんの……誰のために戦っているの?」

「……」

 

 一瞬、魔侯の顔から表情が消えたが、彼はすぐさま、あの怒りのつぼを押してくるような、心の底からイラッとくる笑みを浮かべ直した。

 

「言うと、思いますかァ?」

「……あっそ。じゃあいいわ」

 

 怒りを我慢すれば我慢するほど、私の顔からも表情が消えていくのが分かる。サジタリアスの言う通り、なにを言っても無駄なのだろう。

 だけれど、感情的になることだけは避けなければいけない。

 諦めることだけは、投げ出すことだけは。

 もう、二度としたくない。

 

「──《突機竜アーケランサー》を召喚!」

 

 戦場に、巨大な槍を携えた機械の竜が出現する。召喚と同時に《魔界の聖杯》を爆撃した彼は、次の指示を理解しているかのように、月光神龍の周囲を飛び回った。

 

「赤のブレイヴだと……?」

「ええ。……そして、見せてあげるわ。《突機竜アーケランサー》を、《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》に合体!」

 

 白き龍と赤き竜が上空へ飛び立つ。《アーケランサー》はその身を《ルナテック・ストライクヴルム》の翼とし、巨大な槍を得た月光神龍は、大地を裂かんほどの勢いで力強く地上へと降り立った。

 月光神龍の青白い装甲が、瞬く間に赤と金色に染まっていく。私の心の色をそのまま映し出した、真っ赤なドラゴンへと姿を変える。

 

「ブレイヴアタック! オーバーカウントの効果でブロックされず、バトル終了時、ターンに一回、このスピリットは回復する!」

「ライフで、受けましょう!」

 

 巨大な槍を振り下ろし、月光神龍は荒ぶる咆哮とともに再び天空へ舞い上がった。

 

「もう一度、ブレイヴアタック!」

「フラッシュ、タイミング! マジック、《オーバーチャリオット》!」

 

 傷だらけの魔侯を守るように、白の防壁が築かれる。

 

「このターン、私のライフは、コスト4以上のスピリットの、アタックでは、0にはなりません」

 

 月光神龍が防壁を崩しにかかるも、しばしの攻防の後に、彼は跳ね返されてしまった。

 

「ターンエンド」

「酷い、御方ですねェ……。私を、心配するようなこと、言っておいて……ェはは。まるで容赦がない、のですから……」

「助けてほしかったら、サレンダーすりゃいいのよ」

「できかね、ますねェ……」

 

 益々ボロボロになっていく体で、彼はゲームを進める。

 痛々しい。正直見ていられないのに、目をそらすことすら出来ない。カードを握る私の右手が、ひどく力んだ。

 

「誰が、アナタをそこまで突き動かすの」

「……《魔界軍師イノゲラトゥ》をォ……レベル2で、召喚……」

「アナタの後ろには、一体だれがいると言うの?」

「誰がァ……ァはははっ。私にとって、誰よりも恐ろしい、御方ですよ……」

 

 彼が嗤うとともに、フィールドが闇に包まれた。

 

「《イノゲラトゥ》の召喚時効果、発揮……! 私のデッキを、上から、《魔界神デスフェルミオン》が出るまで、オープン! そして、そのスピリットを、一コスト支払って、召喚でき、ます!」

「……なにか来る!」

 

 バラバラと崩れ落ちていくデッキの中に、一枚、ひときわ黒い輝きを放つものがいた。魔侯はソレを手に取ると、狂気としか言いようのない奇声をあげた。

 

「誰も、あの御方には勝てない! あの御方に逆らうことはァ! できない! ならば何故ェ! 最初からすべて、すべて! 捧げてしまわぬのか! 私も! この魔界神でさえもそうしたとォ言うのに! ェあははははは!」

「あなた……」

「我らが創造主の恩義に報いよ! 召喚! 《魔界神デスフェルミオン》!」

 

 魔侯がソレを天高く掲げると、フィールドを包んでいた闇が集約し、巨大な魔神の姿となって現れる。

 魔界七将たちを歪に縫い合わせ、繋ぎ止めたかのような、異形の神。

 

「《魔界神デスフェルミオン》……」

「なんですか⁉ あのスピリット!」

 

 依姫様が叫んだ。私だけでなく、《ルナテック・ストライクヴルム》すらも天を仰ぐほどの巨体だ。だれが驚いたって不思議に思わない。

 12宮たちすらも青白い顔をする中で、魔侯は続ける。

 

「魔界神の召喚時効果ァははははは! このスピリットを、無色として扱い、相手のスピリット一体の、レベルコストを、三つ増やす!」

「っ!」

 

 無色化。

 という効果がバトスピにはあり、これをされると、私のスピリットたちの装甲は途端に脆くなってしまう。なにせ、装甲は特定の〝色〟から受ける効果を遮断するという効果なので、相手に色がなければ効果を防ぐことは出来ないのだ。

 そして、私の《ルナテック・ストライクヴルム》にはコアが三個しか乗っていない。

 つまりは。

 

「ようやく消えて貰えますねェ! 目障りな月光神龍にィえははははは!」

 

 魔界神の手から放たれた極太の破壊光線が、《ルナテック・ストライクヴルム》を貫き消滅させる。

 

「ここまでありがとう。……煌臨元の《ストライク・ジークヴルム》は、魂状態でフィールドに置かれるわ。さらに《アーケランサー》はコア四個を置いてフィールドに残す」

「今さらァ! コアを多く置いたところで、どうにも、なりませんよォ!」

 

 魔侯は盤面のカードに手をかざす。

 

「《イノゲラトゥ》でアタック! アタック時効果で、手札にある《魔界神デスフェルミオン》を好きなだけ、一コストずつ支払って召喚できる! 現れよ!」

「おい、嘘だろ……⁉」

 

 サジタリアスの声につられて、私も空を見上げる。正直、身震いした。暗雲立ち込める天空からふたつの闇が渦巻き、大蛇のようにうねりながら地上へと降臨してくるのだ。

 

「まさか……」

「二体の! 《魔界神デスフェルミオン》を、召喚!」

 

 異形の神が、新たに二体降臨した。

 

「それぞれの召喚時効果が《突機竜アーケランサー》を蝕み、消滅させる!」

「……ありがとう《アーケランサー》。よく頑張ってくれたわね」

「ィはははは! 感傷に浸っている暇がありますか⁉ 《イノゲラトゥ》のアタックは継続中なのですよ! しかも……!」

「っ……マズい! 優曇華院様!」

 

 私は、アクエリアスが見つめる先を見やった。暗闇の中、並び立つ三体の《デスフェルミオン》。その傍らに、彼らの所有するシンボルがギラギラと輝いていた。

 その総数、九つ。

 

「ブレイヴなしでトリプルシンボルだと⁉ オーバーキルにも程があるぞ!」

 

 手札を見る。私が思っていたことはサジタリアスが代弁してくれたので、勝つための戦略を練ることに専念できた。

 

「フラッシュタイミング! 《メカニポリス》のミラージュ効果発揮! 手札から、コスト六以上の白の契約スピリットカード一枚を、コストを支払わずに召喚できる!」

「コスト六以上の契約スピリット……そうか、アイツが!」

 

 ピオ―ズが拳を握りしめる。私は声高に口上を述べた。

 

「蒼白なる月よ、闇を照らす牙となれ! 《月光龍ストライク・ジークヴルム》召喚!」

 

 暗闇の中、ひときわ輝く白いドラゴンが、再び降臨する。

 

「《メカニポリス》のさらなるミラージュ効果! このターンの間、私のライフはコスト四以上の相手の攻撃では減少しない!」

「我が《デスフェルミオン》の攻撃を、防ぐつもりですか……!」

「《イノゲラトゥ》もよ! 守って! 《ストライク・ジークヴルム》!」

 

 月光龍が翼のロケットブースターから大量の熱を放出し、音を置き去りにするほどの速度で《イノゲラトゥ》の横を通過する。戦場が静まり返った刹那、魔界の軍師はその姿を表舞台から消した。

 

「くそがァ……! 二体の《デスフェルミオン》でアタック! 効果で、月光龍のレベルコストを合計プラス六! 消滅して頂きましょうかァ!」

「ありがとう《ジークヴルム》。……アタックはライフで受けるわ」

 

 ドス黒い破壊光線が月光龍を消滅させ、そのまま私に飛んでくる。だが、私のライフが減少することはなかった。魂だけの姿になっても、《ストライク・ジークヴルム》がその翼で私を守ってくれていたのだ。

 

「──ターン、エンド」

「防ぎきった!」

 

 驚愕したように目を見開くサジタリアスの隣で、依姫様が首肯した。

 

「かなり余裕を持って捌き切りましたね」

「ええ。ですが、ここからが正念場でございます」

「すべてレベル1とは言え、三体の《デスフェルミオン》は全員健在だからね。あの二枚の手札と、次のドローで処理しきれるかどうか、かな。それと……」

 

 アクエリアスの意見を肯定しつつ、ジェミニは目を細めた。

 

「ヴァルゴは何をしているんだろう」

「……」

 

 手札を見る。

 そこにはすでに、《戦神乙女ヴィエルジェ(Rv)》のカードがあった。実は最初から来てくれていたのだが、私はこの切り札を使うタイミングを、ずっと見計らっていたのだ。

 カードにそっと触れると、彼女の声が聞こえた。

 

『鈴仙』

 

 今ではすっかり聞き馴染んだ声が、私の精神を真っ白な世界へと誘う。

 目の前には、長い白髪の少女としての彼女。不服そうに頬を膨らませるその姿を見て、私は小首を傾げた。

 

「なんか、怒ってない?」

「そーよ、怒ってるわよ。また嘘をつかれたんだもん」

「へっ、嘘って? もしかして、私に?」

 

 間抜けっぽく自分を指させば、ヴァルゴは腕組みして目を細めてくる。威圧的な態度をとりたいのだろうか。それにしたって可愛いので、あまり恐怖心はそそられなかった。

 彼女は口をすぼめて言う。

 

「鈴仙、バトル前に自分が言ったこと、もう忘れちゃったの?」

「え、ええ? なにか言ったっけ?」

 

 全く心当たりがない。困惑する私に、ヴァルゴは頬をもっとぷくーっと膨らませる。

 

「自分は優しくないって言ったのに。……けっきょく優しいじゃん」

「あ……ああ、それ?」

 

 思わずこめかみを掻いた。嘘をついたと言うのは誤解だ。彼女はバツの悪そうな顔をして続ける。

 

「鈴仙は、アイツのこと……、魔侯のこと、助けてやりたいの?」

「できれば。……そう思ってるかな」

「どうして? あんなヤツ助けてなんになるの」

「わかんない」

「わ、わかんないって……」

 

 愕然とした表情で、ヴァルゴは私の肩を掴む。

 

「鈴仙、それは流石にお人好しが過ぎるわよ。理由のない優しさほど美しいものはないかもしれないけれど、それって危険なことでもあるのよ」

「それは、わかってる」

「わかってない!」

 

 彼女の声は不安の色に染まり、また震えていた。私を心配しているらしい。なんだ、意外と母性的なところもあるじゃないか。と私は妙に感心してしまった。

 

「……ありがとう、ヴァルゴ。でも、私にはどうしても、諦めきれないから」

「どうして……」

 

 これ以上は堂々巡りになってしまう気がして、私は首を振った。

 

「私の仕事は、ひとを傷つけることじゃないから」

「……」

 

 悟ったように、ヴァルゴは呆然として言葉を失った。やがて、彼女がようやく絞り出した言葉は、「でも、そこまでなんて……」だった。

 困惑するヴァルゴと反対に、私は微笑んだ。

 

「あの話、よく覚えていてくれたね」

「ここまで来ると病気よ。アナタこそ、医者に診てもらった方がいい」

「かもね。……でも、これが私だから」

 

 笑みを崩さない私を、ヴァルゴはしばらく睨みつけていた。だが、やがて根負けしたかのようにため息をつくと、彼女は肩をスンと落とした。

 

「……アナタに付いてきて良かったわ。放っておいたら、どんどん危険な道に入っていくんだもの」

「そのときは、止めてくれるの?」

「止まってくれるならね。……でも、鈴仙って言い出したら聞かないでしょう?」

 

 その碧色の双眸は、これまでにない輝きを帯びていて。

 彼女は微笑んだ。

 

「だから、どこまでも付いていくの。鈴仙が危ない道を行ったら、私もその道を行くわ」

「……ありがとう」

 

 最後に一つ、私はヴァルゴにお願いをしてから、その意識をバトルフィールドに戻していった。ヴァルゴの理解が得られなければ出来ない、とても大切なお願いだ。

 

「メインステップ。《ギュウキ》をレベル1で召喚」

 

 フィールドに、白と黄の架け橋となる、小さな蜘蛛が出現する。

 

「黄色のスピリット……まさか!」

 

 ピオ―ズが歓喜の声を上げる。私は一枚のカードを手に取り、掲げた。

 

「光導13星座より、乙女座の光をここに! 《戦神乙女ヴィエルジェ》を、レベル2で召喚!」

 

 カードから放たれた光が、天空に乙女座の紋章を描き出す。門から大地に降り注ぐ光の中で、天使の羽を持つ乙女が目を開いた。

 

「来たね、ヴァルゴ!」

 

 土壇場での恋人の登場に、ジェミニも拳を握りしめた。

 神の姿をとって戦場に降臨した彼女に、私は厚かましくも指示を繰り出す。

 

「《ヴィエルジェ》の召喚時効果! 私のライフが5以下のとき、ボイドからコア一個を自分のライフに置き、相手のスピリット一体を手札に戻す!」

 

 魔侯のフィールドには、三体の《デスフェルミオン》以外にスピリットがいない。その中から、私は唯一回復状態で存在していた魔界神にターゲットを絞った。

 

「バーストをセットして、アタックステップ!」

「手札を使い切った!」依姫様が眉を上げれば、

「このターンで決めるつもりらしいな!」サジタリアスが両の拳を握りしめる。

「《戦神乙女ヴィエルジェ》でアタック!」

 

 乙女座の女神が空に羽ばたき、天高く杖を振り上げる。

 光が収束していく。魔侯の最後のライフを破壊する、その攻撃の準備だ。

 

「ブロッカーがいない今、アナタを守れるのは、その三枚の手札だけ!」

「甘く見て、もらってァ! 困りますねェ! フラッシュタイミング! 煌臨発揮ィ! 《魔界幻龍ジークフリード・ネクロ》を、《魔界神デスフェルミオン》にィ!」

 

 禍々しい書物を携えた龍が、魔界神を依り代に煌臨する。手札に戻した《デスフェルミオン》がソウルコアを持っていた辺り、除去されることも想定内だったのかもしれない。

 だが、疲労状態の《デスフェルミオン》に煌臨したことで、紫の《ジークフリード》も同様に疲労状態となっている。となると、狙いは……。

 

「煌臨時、効果で! トラッシュから、甦れ! 《魔界七将ベリオット》よ! 召喚時、効果で、デッキから、六枚オープンさせて、頂きます! その中の《魔界七将》を、一コスト支払って、召喚できる!」

 

 流れるような効果の連続発揮で、紫の魔神が魔侯のデッキをめくっていく。

 その中には、最後の魔将である《魔界七将ベルドゴール(Rv)》の姿があった。

 

「よくぞ、来てくれ、ましたねェ! いでよ、《魔界七将ベルドゴール》! 不足コストとして、《魔界幻龍ジークフリード・ネクロ》と、《魔界神デスフェルミオン》、二体のコアを、使わせて頂き、消滅させます!」

 

 魔界神のコアを食らい、その内側から、獣の腕をもつ黒き鬼が姿を見せる。

 

「魔界神を自ら消滅させ、ブロッカーを手配しましたか」

「《デスフェルミオン》の召喚に燃料を割きすぎて、使えるコアを僅かにしか残していなかったからね。作戦と言うよりは、〝そうせざるを得ない〟ってところじゃないかな」

「それだけ、優曇華院様が彼を追い詰めているということでございますね」

 

 アクエリアスとジェミニが真剣な目で語り合うなか、魔侯は続けた。

 

「《ベリオット》のォ、さらなる、効果で、《魔界騎士パンデガイズ》も、手札に加えさせて、頂きます。そして! 《魔界七将ベルドゴール》の召喚時効果!」

 

 最後の魔将が黒煙を撒き散らすと、私の《ギュウキ》が苦しみの声をあげて消滅した。

 

「コスト4以下の、スピリットから、コアを除去! いかがですかァ、これで、あなたの攻撃をふせげ……」

「相手のスピリットの召喚時効果発揮により、バースト発動!」

「ッ⁉」

 

 私のセットしたカードが、飛んだ。

 

「《リューマン・ポラリス》のバースト効果で、デッキから2枚ドロー! この効果を発揮した後、このスピリットをノーコストで召喚する!」

「赤のスピリット! 手札補強のために入れていたんですね!」

 

 と依姫様。

 だが、今このカードの真の価値は、『このスピリットの召喚時』効果にある。私は手をかざしてソレを読み上げた。

 

「《ポラリス》の召喚時効果で、BP12000以下の相手のスピリット一体と、シンボルひとつの相手のスピリット一体を破壊! 二体の《魔界七将》を破壊するわ!」

「魔界を、支配する、お前たちが、情けない……! ですが……!」

 

 魔侯が手札の一枚を乱暴に投げつけると、黒いモヤを纏った死神が墓穴から這い出るように出現した。

 

「《魔界騎士パンデガイズ》は、私の〝魔界〟スピリットが、破壊されたとき、一コスト支払って、召喚できます! そして、召喚時効果で、アナタは、自分のスピリット一体を選択し、破壊、しなければならない!」

「《リューマン・ポラリス》を破壊するわ」

 

 出たばかりで申し訳ないと思いつつ、私は赤の竜人を選んでトラッシュに置いた。攻撃中のヴァルゴに触れられることは、絶対に許してはならないのだ。

 あと、一歩なのだから。

 

「これでェ! アナタのスピリットは攻撃中の12宮のみ! そのアタックを《パンデガイズ》でブロックすれば、私は──」

「フラッシュタイミング」

「……ェ?」

 

 私の背後から、魂状態の《ストライク・ジークヴルム》が天高く飛び立った。

 

「闇を照らす銀輪、夜を統べる高貴なる龍! 契約煌臨よ! 《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》!」

 

 月の水面から、美しくも勇ましい機械龍が姿を現し、月光龍の魂と自らを重ねる。あの二枚ドローで、私は彼を引き当てていたのだ。

 

「煌臨時効果で、《魔界騎士パンデガイズ》をデッキの下に戻す!」

 

 高出力レーザーを全身に浴び、最後の砦たる魔界騎士もが、戦場から姿を消した。

 

 使えるコア一個。

 手札、二枚。うち一枚は《魔界神デスフェルミオン》。

 フィールドにはなにもなく、バーストもミラージュもセットされていない。

 

「…………」

 

 棒立ちのまま、彼はただ、呆然と天を仰いでいた。彼の視線の先にあるのは、その杖に十分な光を蓄えた、乙女座の女神の姿。

 

「私たちの、勝ちよ」

 

 私の言葉とともに、ヴァルゴが杖を振り下ろした。

 

 

 

 

 私たちがバトルフィールドから戻ってくると、木にもたれかかってだらんとしているマコーの姿があった。どうやら、フィールドから吹き飛ばされた弾みで打ち付けられたらしい。

 息を殺して近寄ると、微かに呼吸をしているのが見てわかった。敵ではあるが、目の前で命が失われることは避けられたようだ。安堵した私は、ホッと息をついた。

 

「鈴仙、お疲れさま」

 

 ヴァルゴの声がして振り向くと、みんなが私を見つめていた。一安心とでも言うように私を見ているものもいれば、誇らしい目で見つめてくるものもいる。

 そんななかで、一番近くにいるヴァルゴはと言えば、心配と警戒の入り混じった表情を浮かべて、項垂れる魔侯を睨みつけていた。

 

「生きてる?」

「生きてるよ。苦しそうだけど、呼吸もちゃんとしてる」

「そう」

 

 それ以上は、なにも言わなかった。

 彼女はすこしの間、目を閉じたり、そっぽを向いたりしていた。言葉はなく、風のざわめく音だけが耳をかすめる。やはり、色々思うところはあるだろう。

 

「……しかし、鈴仙。お前の戦いは見事なものだったな」

 

 沈黙に耐えかねたのか、サジタリアスが私に歩み寄ってきた。

 

「圧倒的だった。久しぶりに闘志を擽られたよ」

「ありがと。でも、私なんてまだまだ」

 

 第一回チャンピオンシップで、私はベスト8としては最下位だった。数日前に開催された第二回では予選落ち。私よりも強いひとは大勢いるのだ。

 

「そう謙遜するな。サジタリアスが手放しで褒めるヤツなどそうは居ない」

「ピオ―ズ様の仰る通りでございます。明日も雨がふるやもしれませんね」

「あはは、そうかもね」

 

 ピオ―ズが、アクエリアスが、ジェミニが、口々に私をべた褒める。照れくさくなった私は、ヴァルゴみたいにそっぽを向いた。褒められることには本当に耐性がない。

 そんなとき、ふと、ジェミニが、

 

「ヴァルゴ、キミもいいタイミングで召喚されたね。図っていたのかい?」

 

 なんでもないように、気さくにヴァルゴに近づいた、その瞬間だった。

 

「──ひゅい」

 

 彼は、鳴らし損ねた口笛みたいな音を喉元から発して、顔を引きつらせた。

 同時に、パリン。となにかが割れる音が聞こえた気がする。

 

「どうしたの? ジェミニ」

「……あ、あー、えと、あはは」

「……?」

 

 青い。ジェミニの顔が真っ青になっている。基本的に戦闘中以外は微笑みを崩さずにいた彼が、うだつの上がらない男の子のような、情けない笑みを浮かべていた。

 どうしたのかとジェミニの視線を追った私は、ソレですべてを理解した。

 

「ヴァルゴ……? なんか、怒ってる?」

 

 とジェミニ。

 ゴキブリを殺す瞬間のような冷たい目で、ヴァルゴが彼を睨んでいた。あの、敵に向ける殺意剥き出しの目のほうが遥かにマシと思えるような、凍りつく眼差しだった。

 

「あの……うそついてたことなら、謝るからさ……」

「……」

「傷つけるつもりはなかったんだ。本当だよ?」

「お言葉ですがジェミニ様、言い訳はお見苦しゅうございます。もっと誠意を込めて謝罪なさったほうが宜しいかと」

「あ、アクエリアス、言い訳なんてそんなつもりは……」

「承知の上ですが、引き際というものがあるでしょう」

「う、うぐぅ……」

 

 おお、ジェミニがたじろいでいる。彼も皆のためにしていたことなので、正直この仕打ちは可哀想とも思えるが、私には手出し出来ない理由があった。

 

「ご、ごめん! この通りだ! 本当にごめん!」

 

 両手を合わせ、必死に頭を下げるジェミニ。それでも満足出来ないのか、ヴァルゴの瞳は変わらず冷たいままだった。

 しかし、あのジェミニにここまで情けない姿を晒させるなんて。ヴァルゴの目にはそこまでの効果があると言うのか。

 

「……弱点なのですよ」

 

 ふたりの様子を傍観していると、アクエリアスが小声でそんなことを言った。

 

「おふたりは愛し合うがゆえに、お互いが弱点になっているのです。ヴァルゴ様はジェミニ様を過大評価して自分を押し殺してしまうときがあるし、ジェミニ様はヴァルゴ様に〝ああいう顔〟をされると、瞬く間にピエロとしての仮面が割れてしまう」

「ふーん」

「仲裁には入られないのですか?」

「うん」

 

 私がしれーっと言ってのけると、アクエリアスは小さく眉を上げた。

 

「おや、意外でしたね。アナタ様はああいうのを好まれないかと思ったのですが」

「そうなんだけど、今回はそういう約束になってるから」

「約束?」

「そ、約束したの」

 

 身内にいる意地悪兎みたいに、くすくす笑ってみた。

 

「ヴァルゴがジェミニに仕返しするときは、なにも口出ししないってね」

「はあ。いつの間にそんな約束を?」

「ふたりきりになる時間ならいくらでもあったもん」

「なるほど。ジェミニ様に負けず劣らず、アナタも油断ならない御方だ」

「そういうアクエリアスこそ、止めてやらないの?」

「とんでもない。ああいうのは、遠目から眺めてやるのが一番楽しいのですよ」

「へえー、アナタもそういうところあるのね」

「お褒めに預かり、恐悦至極でございます」

「褒めてないよねェ?」

 

 とは言え彼も、どこまで本気で言っているのか分からないところのあるヤツだ。適当なタイミングで止めに入ってくれるだろう。

 

「……じゃあ、もう二度と、私には嘘をつかないって約束できる?」

 

 相変わらず平謝りを続けるジェミニに、ヴァルゴは冷たく言い放った。途端にジェミニの顔がぱあっと明るくなり、「もちろん」を連呼し始める。

 

「ふーん……じゃあいいわ。このことは許してあげる」

「ほ、ほんとかい⁉」

「ホントよ。私もごめんなさい。ちょっとやりすぎたわね」

 

 ようやく、その曇天が晴れ渡るような笑顔を、ヴァルゴが見せてくれた。

 

「……だけどねジェミー」

 

 と思った次の瞬間には、ヴァルゴの目はあの凍りつく眼差しに戻っていた。不意打ちを食らった私の背筋も一緒に凍りつく。あと多分ジェミニは全身凍りついたと思う。なんだこの女神、表情の変化が激しいぞ。

 

「もうひとつ、謝ることがあるわよね?」

「も、もも、もうひとつ……?」

 

 ジェミニは手を震わせながら目を見開いた。私もキョトンとした。嘘ついてヴァルゴを利用した以外に、そんなに怒ることがあっただろうか?

 だが、そんなジェミニに、アクエリアスは慌てた様子で駆け寄った。

 

「ジェミニ様、まさか『心当たりがない』とはおっしゃいませんよね?」

「え……あの、えと……?」

 

 挙動不審のジェミニに、アクエリアスは「嘘だろお前」みたいな顔をしたあと、人差し指と親指で眉間を揉みしばいた。私にはなんのことか見当がつかないので、一先ず黙っておくことにした。

 

「〝アレ〟を無自覚に仰ったのなら、相当なものですよ。あのですね、ジェミニ様……」

「アクエリアス?」

 

 答えを言いかけたアクエリアスに、ヴァルゴが接近する。その笑顔の冷たさと言ったら筆舌に尽くしがたく、アクエリアスも額に汗して頭を垂れるのみだった。

 どうやらヴァルゴは、ジェミニ本人に気付かせたいらしい。

 

「ジェミー? アナタは私という女がありながら、言ってはいけない一言を口にしているのだけれど……」

「え? えぇ? な、なんだろう……あは、あはははは……」

「ヴァルゴという女がありながら……? ああ! なるほど!」

 

 しばらく顎に手を当てていたサジタリアスが、拳で平手を打った。

 

「回想シーンのアレだな!」

「「回想シーン⁉」」

 

 これはジェミニと私。ジェミニが種明かしをして、私がことの成り行きを語って聞かせたときのことを言っているのだろうか?

 ヴァルゴが首を縦に振ったのを見て、サジタリアスは続ける。

 

「ジェミニ、あれはオレにも分かったぞ。男として如何なものかとな」

「ええ⁉」

「ピオ―ズさん、皆さんはなんの話をしているのでしょう?」

「いや、オレにはさっぱりわからん……」

 

 依姫様とピオ―ズもよく分かっていないらしいので、私も安心して首を縦に振った。

 

「意外と、鈍感な方が多いようですね……」

 

 自分に肩を貸してくれているピオ―ズを見やりながら、カプリコーンが久しぶりに口を開く。恐らく体力面を考慮して大人しくしていたのだろうけれど、引きつった笑みを浮かべられる程度には回復してきたらしい。

 ……っていうかコイツにも理解出来てるのか! なんの話なんだ本当に。

 

「鈴仙! ボケーっと見てるけど! アナタにも関係ある話なんだからね⁉」

「えっ⁉」

「アナタも被害者なんだからね!」

「ええええ⁉」

 

 急にヴァルゴが私を指さしてきた。私も被害者ってなんだそれ。マジで心当たりがないぞどうしよう。

 

「ヴァルゴという女がいながら……回想シーン……男として……鈍感……鈴仙……」

 

 ジェミニは口に手をあてて、それぞれの言葉をパズルのように繋ぎ合わせていく。目は大きく見開いていて、頬には大粒の汗が伝っていた。必死だ。時限爆弾の解除作業を任された作業員ってこんな感じなんだろうな、と私は思った。

 実際、はやく爆弾を解除しないと、いつ爆発してもおかしくはないわけで……。

 

「ああ!」

 

 答えを閃いたらしいジェミニが、ガバッ! と顔を上げる。

 

「鈴仙を〝パートナー〟って言ったことか!」

 

 嬉々としてヴァルゴを指さした瞬間、彼は大きく後ろに吹き飛んだ。私のすぐ横を猛スピードで通過し、木々を数本巻き込んでへし折ったあと、そこそこ太めの大木に勢いよく叩きつけられて静止した。彼の散り際の一言は「きゅう……」だった。

 

「大正解! 私というパートナーがいながら、アナタって本当にィ……!」

「ち、ちがっ、まってヴァルゴ!」

 

 あ、生きてた。

 ズンズン接近してくる狂乱の乙女に、ジェミニは両手をバタつかせる。

 

「誤解だって! アレはあくまで舞台をする上での話で! 本気で愛してるのはキミだけなんだから!」

「本当に?」

「本当に! 鈴仙に乗り換えたとか、そんな意味じゃないから!」

「乗り換えるとは、失礼な物言いをするやつだな」

 

 おーっとサジタリアス選手がここで横槍を突きつける。

 

「あの、私は気にしてないですよ」

「甘いな、鈴仙。だが、純真な乙女の心を弄んだことは重罪だぞ、ジェミニ」

「うう……わかってるよ」

「あとお前、オレの昼げ返せ」

「んあぇ⁉」

「……どーゆーこと?」

 

 サジタリアスが妙なことを言い出したので、私は首を傾げた。

 

「妙だと思ってたんだが、ここまで話が進めば、流石にすべてを理解出来たな。あの黄色い鳥め……オレが昼飯に買った握り飯を持ち去るわ、生意気にもオレの矢を避けるわで、本当に頭にキタものだったが」

「あ、あは。そうなんだ、大変だったね……」

「黄色い鳥って、あのアクエリアスに創ってもらった監視衛星のこと?」

「れいせん!」

 

 私の名を呼ぶジェミニの声が、面白いくらいに裏返っていた。

 

「まあ、あの鳥が逃げたさきに魔侯がいたんで、そんなことすぐに忘れてしまったがな。……誘導していたんだろう? ジェミニよ」

「……ぅう」

「となると、あの喧嘩の声も、私たちを自然な形で呼び寄せるためのフェイク……?」

 

 眉を寄せて問いかける依姫様。どうやら、皆の中で話が繋がってきたらしい。

 魔侯を貶める計画を実行する前から、ジェミニは魔侯とカプリコーンが里にいることを知っていた。私たちはふたりのうちカプリコーンと接触。残る魔侯はどうするのだろうと思っていた矢先、依姫様たちが魔侯を連れて現れた。

 最初、私はこれを偶然の幸運だと思いこんでいた。たまたま里にいた依姫様たちが魔侯を運よく捕らえていて、ジェミニはソレを利用したのだと。

 だが、考えてみればジェミニは「監視衛星のコントロール権」という圧倒的な情報アドバンテージを持っている。里に依姫様たちがいることも事前に把握していて、彼女らが魔侯を捕まえて自分のもとに連れてくるよう操作するのは造作もなかった筈だ。

 

「一緒に居なかったメンバーの動きすら、コントロールしていたのね……」

 

 私は驚嘆の息も漏らした。あらゆる演者の動きをコントロールする、まさに芸能の神の御業である。

 ジェミニは依姫様たちを見て、申し訳無さそうに眉を寄せた。

 

「……キミたちの中じゃ、サジタリアスが一番喧嘩っ早いと思ったんだ。握り飯を一個でも盗んでやれば、小鳥相手でも容赦なく追いかけてくるって分かっていた。だから」

「実際、その通りだったわけだしな」

 

 ピオ―ズがクスリと笑った。

 

「サジタリアス、あのときのお前の顔、傑作だったぞ?」

「侮るなよピオ―ズ。食べ物の恨みは、ワンショットキルより恐ろしいんだぞ」

「それは私も同感です。食べ物の恨みは恐ろしいです」

 

 何故かしたり顔の依姫様が仰る。このひとも結構な大食いなのだ。

 

「……本当に悪かったよ」

 

 ジェミニはしんみりした顔で、地面におでこがつくほど深々と頭を下げた。

 

「今回のことは、やりすぎだったと思ってる。本当にごめん」

「……あの、ジェミニにこれを依頼したのは私です。これ以上のことは、どうか私に」

 

 ピオ―ズの腕を離れ、カプリコーンがジェミニの隣に並んで頭を下げる。

 うっかり忘れていたが、今回の一件はカプリコーンからの依頼があって始まったのだ。きっかけを作ったカプリコーンと、作戦を立案・実行したジェミニ。そして協力者の私。

 

「……あの、私も、ごめんなさい」

 

 自分だけが逃れるのは絶対におかしいと思い、私も、ふたりに並んで頭を下げた。

 

「ヴァルゴ、どうする?」とサジタリアス。

「……うーん」

 

 しばらく考え込むように唸ったあと、ヴァルゴは言った。

 

「もう良いわよ。ほんの少しだけ、ジェミニに仕返しがしたかったってだけだもん」

「……本当に?」

「本当に。……ただし」

 

 顔をあげたジェミニに、ヴァルゴは満面の笑みを浮かべてみせた。

 その顔は晴れ晴れとして、天女と言うに相応しい光を湛えていた。美しさと色気の中に幼い無邪気さが見え隠れする、極上の笑顔だった。

 

「ジェミーは、この戦いが終わったら私とデートすること。いいわね?」

「……お、おうとも! もちろんだよ!」

 

 ヴァルゴらしい、甘い条件だ。

 ようやく許しが貰えて肩の力が抜けたジェミニと、彼とのデートを想像して顔を綻ばせるヴァルゴ。改めて、ふたりがそういう関係であることを、このとき私は理解した。

 

「デート、楽しみにしてるね。ジェミー」

「うん!」

 

 このふたり、やっぱりバカップルなんじゃないか?

 そう思いはしたが、楽しそうに笑いあう彼女たちを見ていると、呆れる思いもどこか遠くへ吹き飛んでいくような気がした。

 こっちの問題は解決した。とりあえずそう認識して良いだろう。

 私はそっと後ろを振り向く。

 泥まみれのソイツが、静かに目を開いていた。

 

 

 

 

「さて、あとはコイツをどうするかだな」

 

 サジタリアスの言葉で、全員が一斉にソイツを見る。大木にもたれて息を切らし、文字通りボロボロの体で、それでも嫌味っぽい笑みを崩さないアイツ。

 

「今度こそお前の負けだな? 魔侯よ」

「ェハハハ……そのようですね……まァ、最初から、勝つとか、負ける、とか。どうでもいいんですけどね……ゥははは……」

「どこまでも気に障るヤツだ。天才とすら思うよ。お前にはひとを怒らせる才能みたいなものがある」

 

 サジタリアスはその手に弓矢を出現させると、寸分狂わぬ動作でソレを引き分ける。

 

「さて。オレはコイツをこの場で始末すべきと思うが、皆の意見はどうだ」

 

 返事をするものはいない。複雑な表情をするものは数名見られたが、皆が魔侯の悪行を知っているせいで、誰もその行為を止めようとしないのだろう。

 それに加えて、サジタリアスの瞳から伝わってくる烈火の如き怒りが、なによりも皆を圧倒しているようだった。

 

「無言は肯定と見なすが、よいかな」

 

 ヴァルゴが、訴えるような目で私を見た。慌てているのだろう。しかし、私もこの場の空気に気圧されてしまい、中々一歩を踏み出せなかった。

 

「ということだ、魔侯。残念だがやはり、この場所にお前を庇うものはいないらしい」

「でしょうねェ……ははは」

「……この場に邪神がいないんでって、余裕ぶってるらしいが、この矢はマグナの魔力で固めた土から出来ている。お前の生をここで絶つことは十分に可能だ」

「余裕……? 違いますよ……余裕なんて、とんでもない」

 

 魔侯は皮肉るような笑みを浮かべて、吐き捨てるように言った。

 

「余裕なんて、この世に生み出された直後から、一度たりとも感じたことがない」

「……!」

 

 その言葉を聞いて、私の体は自然に動き出していた。

 

「おい鈴仙、なにをしている?」

「……すみません。聞いてほしいことがあって」

 

 気がつけば、私はサジタリアスの前に立ち塞がるようにして立っていた。真っ直ぐ彼を見つめると、その鋭い目が、かつての依姫様に似ていることに気がついた。

 私は固唾を飲み込む。

 

「彼にとどめを刺すのは、なしにしませんか」

「……は?」

 

 ざわめきが、巻き起こった。

 

「鈴仙、お前いま、なんて言った?」

「聞き逃しましたか? 彼を殺すのはやめてほしいと言ったんです」

「……なにを言っているのか、意味がよく分からないのだが」

「彼を。マコーを殺さないでくれと言っています」

「……」

 

 サジタリアスは弓を構えたまま。その射るような鋭い視線は、この瞬間をもって魔侯でなく私に向けられることとなった。

 

「聞いてほしいことと言うのはソレか。だが、どうして? コイツはオレたちにとってもお前たちにとっても憎むべき相手。生かしておけば次の被害が出るかもしれない。ここで始末するのが、もっとも賢い判断とは思わないか?」

「憎むべき相手だとは、私も思います。でも……」

 

 私はマコーを見やった。咲夜を傷つけ、依姫様の相棒の命を奪い、ピスケスを利用して邪神の封印を解き、アリエスやスコーピオンをも絶望の淵に追いやった仇敵の顔。

 憎むべき相手である。顔を見るだけで腹が立つし、殴ってやりたいと今でも思う。

 でも。

 

「──サジタリアスさん。私は、医者なんです」

 

 サジタリアスの目が、一層鋭くなる。

 狩人の目だ。悪さをする動物を狩るべく、山に登った狩人の目。となると、獲物は私か。それを理解すると益々冷や汗が止まらないが、私は続けた。

 

「医者は、ひとの命を救うことを生業としています。働き盛りの若者が、未来に希望を抱いて頑張れるように。所帯を持つ男性が、守るべき家族を養えるように。母親の静かな優しさが、この世から失われないために。そして……」

 

 私は拳を握りしめた。

 

「たとえソイツが、救いようのない悪人だとしても、やり直す機会を与えるために」

 

 魔侯は、呆気にとられたような目で、私を見つめていた。自分に救いの手を差し伸べるバカがいるとは、彼にも予想できなかったのかもしれない。

 反対に、サジタリアスの鋭い視線は、相変わらず私を射抜いている。怖い。このままだと心臓が破裂して死んでしまいそうな気がする。

 視界がグルグルする。頭の中で鉄を引っ掻くような音が聞こえて、脳みそがトンカチで叩かれているような錯覚に襲われた。

 でも、逃げるわけには。

 

「ご意見よろしいでしょうか。サジタリアス様」

 

 そんなとき、アクエリアスの声が聞こえた。彼はゆっくりこちらに歩み寄りながら、言葉を続ける。

 

「わたくしは、行方不明になられたレオ様を探しに行きたいという、優曇華院様の優しき御心に感銘を受け、彼女に同行致しました。その気持ちに変わりはございませんし、戦いが終わるまでの間、わたくしの命は優曇華院様に捧げる覚悟でございます」

 

 アクエリアスは私を庇うように、サジタリアスの前に立ち塞がった。

 

「それは、この状況でも違いありません。優曇華院様が彼を救いたいと願うのであれば、わたくしは彼女を信じて、尽くします。ですので、どうか一度だけ、猶予を与えては頂けませんか」

「アクエリアス……」

 

 彼は、私を振り向いて穏やかに微笑んだ。思わず涙がにじみ出そうになる。

 

「ま、そのために私も、最後の攻撃を手加減したわけだし……」

 

 いつの間にか、ヴァルゴが私の腕に抱きついていた。彼女は上目遣いに私を見ると、意地悪っぽい笑みを浮かべて見せた。

 

「ラストアタックを手加減してほしい、なんて。やっぱり優しいのね。この嘘つき」

「ヴァルゴ……」

「でも、アナタのそーゆーとこ、私は好きよ。……なんかね、分かったの。私って、優しい嘘をつけるひとが好きなんだなって」

「ありがと。でも、これは優しさとかじゃないから」

「はいはい。仕事だって言いたいのよね。だって鈴仙は、厄介な患者でも文句ひとつ言わずに引き受けてくれる、真面目で優秀なお医者様だもんね」

「……アレは言い過ぎだから」

 

 臨時の店員が言っていた言葉だ。やはりヴァルゴは覚えていた。

 

「ジェミーはどうするの? サジタリアス派? それとも鈴仙?」

「生憎だけど、ぼく個人としては、魔侯への恨みとか全然ないんだよね」

 

 ジェミニは肩をすくめて笑った。いつものピエロスマイルだ。どうやら、ヴァルゴにかち割られた仮面は無事に付け直せたらしい。

 

「じゃあ、ジェミーもこっちね」

「そーゆーことだね。……サジタリアス、ぼくらは本気だよ」

 

 私たちの傍らに歩み寄って、ジェミニはサジタリアスを見据えた。

 

「もう十分痛めつけただろう。心も、体も。これ以上、なにをするって言うんだい?」

「……」

 

 サジタリアスは弓を納めた。複雑な表情で奥歯を噛み締め、射るようだった視線は、今や木々の隙間に生えた雑草たちに向けられている。

 

「……オレとしては、ソイツを殺してやりたいほどに怒り狂っている」

「わかるわよ。私もそうだったもん」

 

 ヴァルゴの声は切実だった。

 サジタリアスは続ける。

 

「ソイツは依姫の仲間たちを傷つけ、オレたちを傷つけ、あざ笑い、挙げ句の果てには依姫の相棒の命を奪った。……赦せない。だから、ソイツがジェミニに騙されていたのだと知ったときには、正直、興奮した。オレの心の中で、オレの知らないオレが、どす黒い愉悦の笑みを浮かべているのが分かった。ざまあみろ、因果応報だ。あらゆる因果が巡り巡って、今、お前を殺しに還ってきたのだ。……そう思った」

 

 サジタリアスは拳を震わせていた。ただでさえ仲間意識の強い12宮だ。彼の中にいたという〝どす黒い何者か〟は、ここにいる皆に巣食っているに違いない。

 やがて、彼は拳の力を抜き、依姫様を見やった。

 

「……依姫。お前は、大切な相棒をコイツに奪われている。正直、オレはお前に決定権があると思う。……お前はどうしたいんだ」

「私が決めていいんですか?」

 

 どこか覚悟を帯びたようなその目を見て、依姫様は愉快そうに笑った。

 

「私は、『鈴仙が優しい女の子に育ってよかったなー』と思っていますけど」

「……やはりな」

 

 彼は脱力した様子で苦笑すると、私に向き直った。

 

「オレとは違い、憎むべき相手にすら手を差し伸べようとする。……お前のような存在が、この戦いに奇跡をもたらすのかもしれないな」

「……じゃあ」

「ああ。魔侯のことは、お前に任せる。ピオ―ズもカプリコーンも、それでいいかな」

「構わぬよ。お前が譲るほど、珍しいこともあるまい」

「右に同じですね。怒りなど、後に引きずるものではありませんし」

 

 私は頷いて、魔侯の正面に立った。土で創られた体はボロボロで、今にも崩壊を始めそうだ。彼はひび割れた額に手をあてて、嫌味っぽく笑った。

 

「お人好しも、ここまでくると愚かですねェ」

「かもね。だけど、アナタよりは愚かじゃない自信があるわ」

「ェははは……ァー。残念ですが、私は、アナタの言いなりになるつもりは、ございませんよ……。協力など、もってのほかだ……」

 

 その目が鈍く光ったのを見て、私はため息をついた。今日で何度目だろうか。

 

「裏切るのが怖いなら、素直に言いなさいな」

「……はァ?」

 

 珍しく、彼が眉を上げた。その様がおかしくって、私は頬を吊り上げる。

 

「あの御方とやらを裏切るのが怖いんでしょ。アナタにとって最も恐れ多い存在で、アナタからあらゆる余裕を奪った、あの御方が」

「……なにを、言い出すかと思えば」

「ほら、そうやって皮肉っぽく笑うの、やめなさいよね。……ホント、私の周りには強がりしかいないから困るわ」

「ぷっ!」

 

 アクエリアスが吹き出し、ヴァルゴは頬を染めてそっぽを向いた。ジェミニも照れくさそうに苦笑している。どうやら自覚はあるようなので、そこだけは安心できた。

 

「まあ、優曇華院様も大概だとは思いますが……」

「なんか言った? アクエリアス」

「いえ、なんでもございません」

 

 すました顔で首を振るアクエリアスを後目に、私は続けた。

 

「……今のところ、アナタを信じてくれるひとは、ここにはいない。私も含めて、全員がアナタに対して思うところがある。一緒に戦ったところで、連携はとれないと思う」

「また、ですか。助けるようなふりして、酷い御方だ」

「事実を言っただけよ。……でもね」

 

 この権利だけは、あらゆる生命にあるべきだ。

 

「私は、アナタにだって、生きる権利があると思ってる」

「……」

「その権利だけは、誰からも奪うべきではないと思うから。だから、アナタを殺さないでくれって、私はそう言ったのよ」

 

 マコーが、黙りこくった。その表情に、あの皮肉っぽい笑みは欠片もない。

 

「もう一度言うけど、ここに、アナタを信じてくれるひとはいない。依姫様の相棒から、生きる権利を奪ったアナタを、誰も赦してはくれないと思った方がいい」

「…………」

「だけど、償ってほしい。生きて、私たちと一緒に戦って。アナタが恐れるあの御方に、私たちと共に立ち向かって。誰も信じてくれないとしても、せめて、私だけは、アナタのこと守ってあげるから」

「………………」

「そうして、あの御方とやらを、私たちと一緒に倒せたのなら」

 

 私は、皆を順番に見つめ直した。

 情に厚い者がいる。仲間を信じてくれる者がいる。仲間の成長を喜べるものがいる。

 ここには、いいヤツしかいないから。

 

「……誰かひとりくらいなら、アナタのこと信じてくれるかもね」

 

 マコーは、長くながく沈黙した。探るような目で、私をじっと見つめていた。

 疑り深いとも、臆病ともとれる顔だった。ジェミニも、ヴァルゴも、そしてマコーも。今の私だって、それぞれの顔に仮面を貼り付けて、強がっていたに過ぎない。

 その気持ちを、私なら、理解してあげられるはずだ。

 因果は既に巡った。ジェミニが言ったように、これ以上、彼を傷つける理由はない。

 

「立てる? 手、貸すよ」

 

 私は小さく屈むと、彼を怯えさせないように、そっと手を差し伸べた。マコーの視線は私の目から外れ、差し出された小さな手に向けられた。

 

「……なんて、愚かな御方だ」

「同じこと言わないの。さ、手をとる? とらない? ここでも強がっちゃうのは、愚かなヤツのすることだと思うけどなぁ」

「ふんっ……。御免だ。アナタと同類にだけは、絶対になりたくない」

 

 マコーは意地悪く笑うと、力なく地べたに垂らした手を、ゆっくりと持ち上げた。

 その手は静かに、そっと、私のほうへ運ばれていく。傷だらけの手だ。これから時間をかけて向き合い、穏やかな時間の中で、少しずつ癒やしていかねばならないだろう。

 私はその手に、そっと触れ──

 

「ですが、その手をとることは叶いません」

 

 

 

 

 木に叩きつけられた衝撃で、目が覚めた。どうやら吹き飛ばされたときに、一瞬だけ気を失ってしまったらしい。

 激しく咳き込みながら、フラフラと立ち上がる。正面から受けた、あの衝撃波。疑いたくはないが、マコー以外にありえなかった。

 私は多少声を荒らげて言った。

 

「ッ……アンタ、この期に及んで……!」

 

 ……え?

 

「……え?」

 

 頭の中でそう思い、声に出して、また、そう思った。

 目の前に広がる光景を、脳が理解出来ずにいたらしく、私は呆然と立ち尽くした。

 奥歯を噛み締めて、理解しがたいこの状況を、順番に理解することに努めた。

 木々がへし折られ、閑散とした広場。森の一角であったはずのこの場所から、緑が失われているのが理解できた。

 依姫様も12宮たちも、それぞれ吹き飛ばされて散り散りになっている。唯一安心出来たのは、皆うなり声をあげており、苦しみながらも意識を保っているということだった。

 怪我は浅いように見える。出血もそんなにしていないし、多分、吹き飛ばされた衝撃で体を打ちつけ、痛がっているだけだろう。

 次に、私のいた場所は大地が酷く抉れている。あのままあの場所にいたら、きっと死んでいただろう。想像ではなく、現状を見て確信させられた。それだけ、大地は深く抉れていたのだ。

 唯一、マコーがいた場所には、そのまま彼がいた。違うのは、私が居たはずの場所に、私ではない誰かがいて、ソイツがマコーを見下ろしていたということ。

 そして、マコーの体には、大地を抉った犯人であろう巨大な槍が、深々と突き刺さって──貫通していたということ。

 

「ッ──⁉」

 

 悲鳴は出なかった。本能だった。悲鳴をあげれば、ソイツがこちらを振り向くことが、容易に想像出来てしまったから。

 ソイツは、レースの服についた泥を払いながら、妙に明るい声色で言った。

 

「意外だったなあ。キミは、こーゆーことをするヤツとは思わなかったんだけど」

 

 ケラケラと笑う彼女に、まだ意識のあったマコーは、力ない笑みを浮かべて言った。

 

「……さいごに、いいゆめを、みせて、いただきました、ので」

 

 その言葉を最後に、彼はだらりと崩れ落ちる。

 直後、空気を振動させるほどの怒号が、森に響き渡った。

 

「マアアアアグナアアアアアアアアアアアアああああああああああああああッ!!!」

 

 サジタリアスが、巨大な剣を両手に握りしめ、ソイツに──レミリア・スカーレットに憑依した四魔卿・マグナに突撃していく。天まで届く怒号は、彼の悲鳴だった。

 大剣の一撃を、マグナは大地から出現させた盾で防ぐ。怒り狂う射手座の神と対峙する大地の女神は、心底嬉しそうに、たまらなく愉快そうに、笑っていた。

 

「よぉサジタリアス! 相変わらず元気そうだね!」

「貴様ああああああッ! よくもッ! よくも貴様あああああああああッ!」

「おいおい、どうしたんだい? いつになくキレてるじゃないか!」

「どの口が言うつもりだあああああああああああああああああああああああッ!」

 

 サジタリアスが怒り任せに大剣を振るうと、マグナの創った盾が岩のように砕け散り、本体である彼女を襲った。だが、その一撃が彼女の胴体を分かつことはなく、鈍い金属音とともに、ただマグナを吹き飛ばすに留まった。

 

「うおっ! すごいパワーじゃん!」

「笑うなあああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 

 受け身をとり、すぐに体勢を立て直すマグナ。だが、サジタリアスの怒涛の剣撃は止むことを知らず、反撃の隙を与えない。マグナはその都度盾を創り出しては攻撃を防ぐが、いずれも使い捨てに終わり、防戦一方という状況だった。

 ガキンッ! ゴキンッ! 金属で岩を叩くような音が、延々と鳴り響く。攻撃の手を止めぬまま、サジタリアスは問いかけた。

 

「貴様ァァァ! なぜアイツを殺した⁉」

「アイツって、龍魔侯のことかい? 逆に聞きたいんだけど、あんなヤツ生かしといてなにか得があるのかい?」

「オレには分からん! だが、あんなヤツにも『生きてほしい』と願った者がいたことは、疑いようのない事実だった! オレは彼女を信じたいと思った! なのに!」

「ふーん。じゃ、次はオレの番ね」

 

 マグナが大地を踏み込むと、地盤が隆起するように、巨大な槍がサジタリアスに向けて飛び出した。間一髪、これを躱したサジタリアスは、大剣を構えたまま距離をとる。

 マグナは言った。

 

「アイツはさ、〝黒〟だったんだよ。どす黒い思想に心を染められて、グランロロ崩壊を手助けした黒の存在だ」

「黒だと……?」

「ああ、そうさ。オレたち紫属性は闇の存在だが、黒じゃない。カプリコーンなら分かるよね? 『紫は闇にあって黒にあらず』だよ。自分たちが闇の存在だとしても、その心は黒に染まらず、つねに高潔にあらねばならない。アイツは、紫属性の面汚しなんだよ」

「……だから、殺したのか。鈴仙が、生きていてほしいと願った、アイツを」

「そーだよ? ついでにその子も殺しちゃえって思ったけど、まさか魔侯のヤツがひとを庇うなんて思わなかったなあ」

 

 戦慄した。あの一撃はマコーだけでなく、私の命もついでに奪うために放たれたのだ。

 

「……お前こそが」

 

 笑いながら自分の思想を語るマグナを、サジタリアスは血走る眼で睨みつけた。

 そして、再び駆ける。

 

「お前こそが黒だろうがああああああああああああああああああああああああッ!!!」

「嬉しいよ! 本気でキミと殺り合える日が来るなんて、思わなかったからね!」

 

 剣と盾のぶつけ合いから、剣と槍のぶつけ合いに。火花を散らすふたりを漠然と見つめる私に、ジェミニとヴァルゴが駆け寄ってきた。

 

「鈴仙、アクエリアスと一緒に、マコーを診てやってくれるかい」

「アイツまだ生きてるわよ! 急いで!」

 

 ヴァルゴのその言葉に、意識がハッとなる。目を凝らして見れば、項垂れた体で浅い呼吸を繰り返しているマコーの姿があった。

 まだ、生きてる。

 

「でも、アナタたちは……⁉」

「キミたちがマコーを診てる間、邪魔されないように時間を稼ぐさ!」

「それに、いくらサジタリアスが強いって言っても、ひとりじゃ心配だもんね」

 

 ふたりは顔を合わせて頷くと、サジタリアスの戦場に身を投じていった。ふたりの背中は、私の目に本当に頼もしく映った。

 サジタリアスは大剣、弓、重火器、鈍器とあらゆる武器を出現させては使い分け、正面から堂々とマグナの守りを粉砕していく。ジェミニは、曲芸のような素早い身のこなしでマグナの防御網をすり抜け、双剣による波状攻撃を仕掛けた。

 そこに、ヴァルゴが遠距離から放つ光弾が援護射撃として加わり、ふたりの攻撃の極僅かな隙間を縫う。正に一糸乱れぬ連携。マグナは余裕ぶって笑っているが、まるで反撃してくる気配がない。単体で敵を圧倒する邪神に対して、仲間との協力を前提に生み出されたという12宮の真価を、私はここに見た。

 

「アクエリアス! 私たちも!」

「承っております!」

 

 マコーのもとへ駆け寄ろうとした瞬間、それを予見していたかのように、マグナの槍が私たち目掛けて飛んできた。間一髪、駆けつけてくれた依姫様によって攻撃は跳ね返され、私もアクエリアスも無傷で済んだ。

 

「大丈夫ですか、鈴仙」

「あ、ありがとうございます。依姫様!」

 

 彼女に感謝する傍ら、恐ろしい考えが脳裏を過った。マグナは、ジェミニたちの波状攻撃の極々僅かな隙をついて、あれだけ正確に槍を投擲してきたというのか?

 戦慄する私には見向きもせず、マグナは依姫様に微笑みかけた。

 

「いいね。キミのことは前から気になってたんだ。12宮じゃないくせに、すげー強そうな雰囲気が全身からみなぎっててさ」

「……ひとつ、聞きたいことがあります」

「んー?」

 

 惚けたように首を傾げるマグナに、依姫様は静かな口調で尋ねた。只ならぬ雰囲気に、サジタリアスたちも一時的に手を止める。

 

「今朝まで、私たちは一緒に行動していましたよね。中々マコーが見つからず、効率を考えて二手に分かれましたが……」

「そうだね」

 

 そうだったのか。と私は眉を上げた。昨日、私とレオは他のチームよりも早くに永遠亭を出ていたので、他のチームの動向を詳しく知らなかったのだ。

 依姫様は続ける。

 

「でもそのとき、アナタには霊夢たちが付いていたはずです。霊夢と、魔理沙さんと、咲夜さんと、リブラさん」

「うんうん。そうだね、確かにそうだった。それで?」

「……聞きたいことというのは」

 

 依姫様は、刀を強く握りしめて言った。

 

「霊夢たちは、どうしたのかということです」

「……どーしたと、思う?」

 

 嘲笑うような笑顔だった。そのあまりにも挑発的な表情を前にしたとき、依姫様の足元から爆炎と雷が巻き上がる。

 八百万の神々をその身に宿せる、依姫様の能力だ。恐らく、数多いる神々の中から、炎や雷に関連のある、選りすぐりの神を降臨させたに違いない。

 

「うはは……! スゴイすごい! これは最高に張り合いがあるね!」

 

 相対するマグナは、その光景に狂喜していた。

 

「今日は本当に嬉しいことばかりだ! 本気のサジタリアスたちと戦えるし、見たことのない能力とも殺り合える!」

 

 違う。依姫様はきっと、マグナと殺り合うつもりはない。ただ、友人に手を出されたことに対して、ご自身の断固とした意思を示そうとしているだけのはずだ。

 依姫様はなにも言わずに大地を蹴った。それを戦闘再開の合図に、サジタリアスたちも各々の武器をマグナに振るう。

 私がマコーの前にたどり着くまでには、戦いはもう、誰も手出しが出来ないほどに激しさを増してしまっていた。

 射手座の神と大地の女神の能力により、無尽蔵に現れては破壊される武器具の数々。飛び交う光弾、鳴り止まない金属音、爆熱と雷による激しい閃光。不殺を誓ったばかりなのに、私はもう、自分にはこれを止められないと全身で理解していた。

 

「優曇華院様、お気を確かに。今は彼を優先するべきです」

 

 私の考えを表情で察したのか、アクエリアスが肩を叩いてきた。こんなときでも冷静さを失わない彼の存在は、今の私にはなによりも大きく、頼もしいものだった。

 私はコクリと頷き、マコーの手首に触れる。

 

「マコー、わかる?」

 

 彼は薄く目を開いた。なんてか弱い瞳だろう。

 呼吸があることは確認済みだったが、これで意識消失がないことも判断できた。だが、怪我の程度は計り知れない。

 損傷が激しすぎるのだ。頭の怪我は私が付けたものとして、問題は胴体。マグナに貫かれた胸部を中心に激しい亀裂が走り、左腕は無惨にもぎ取れている。首筋は文字通り皮一枚で繋がっている状態で、両足はそれぞれ、あらぬ角度に捻じ曲がっていた。

 人間や妖怪であれば、まず間違いなく死んでいるだろう。文句なしに、私が診てきた患者の中で一番の重傷。きっと師匠でさえ……。

 そう考えるが早く、私は他力本願な結論を出した。

 

「アクエリアス、お願い。彼に、新しい器を創ってあげてほしいの」

「……」

 

 返事はなかった。黙り込んでマコーを見つめる彼に、只ならぬ違和感を覚える。

 

「アクエリアス……?」

「……失礼。すこし、確認させてください」

 

 そう言って彼は屈むと、魔侯の胸部に手を伸ばした。ボロ布と化した衣服に隠れている部分が曝け出されたとき、私は「ヒッ」と短く悲鳴をあげた。

 

「なに、これ……?」

 

 ぽっかり空いた胸の奥に、赤と銀に輝く宝石──バトスピで使うソウルコアのようなものが見える。ただし、恐らく原形は留めていない。バキバキに割れた水晶体の多くは崩壊し、とっくに失われているのだから。

 

「申し訳ございません。……すでに、手遅れです」

「え……?」

 

 苦虫を噛み潰したようなアクエリアスの言葉に、思わず目を見開く。どういう意味かと問いただす前に、後ろからピオ―ズの補足が入った。

 

「魂の核をやられている」

「……狙って撃ったに違いないと思います」

 

 カプリコーンも一緒だ。ピオ―ズに肩を抱えてもらって、彼は言葉を続ける。

 

「魂の核は、噛み砕いて言えば魂の心臓部です。そこをやられたとなると、もはやアクエリアスでは……最強の治癒能力を持つアリエスにさえ、修復は出来ません」

「むしろ、輪廻転生すら怪しいと言える」

 

 私は絶句した。魂という概念に詳しいであろう紫属性のふたりが、揃って苦い表情をしていることが、その推測を正しいものとして認識させてくる。

 

 助けられない?

 

 この一瞬だけでなく、未来永劫、彼を救うことはできないと言うのか?

 

「でも……なにか、他に方法が……。ほ、ほら、ピオ―ズは昔、死者を蘇らせたことがあるって、レオから聞いているわ」

「……そうだな。昔のオレになら、可能だったかもしれない」

「じゃあ……!」

「無理だ。はるか昔、封印を受けたときに、あの能力は剥奪されてしまった。……本当にすまない」

「か、カプリコーンはどんな能力を……」

「私はただのまじない師です。ご期待に添えず、なんと言えば良いのか……」

「でも、でも……!」

「優曇華院様」

 

 アクエリアスに肩を掴まれて、我に返る。

 どうして私は、ふたりに謝らせているのだろう。

 死者を蘇らせたために封印されていたピオーズに、その能力をここで使ってほしいだなんて、もう一度封印されろと言っているようなものではないのか。

 支えがないと立ち上がれないほど疲弊しているカプリコーンに、その原因をつくった彼を助けてほしいなんて、自分勝手が過ぎるのではないか。

 

「……なんて、無様な、顔だァ」

 

 考えがまとまらずに俯いていると、そんな嫌味な声が聞こえてきた。

 

「……マコー」

「アハッ……ァああ~、いいです、ねェ……。その、情けない顔が、見られたなら、アナタを庇った甲斐が、ある。……という、ものです」

「……ふざけないで」

 

 悲しみを超えて憤る私に、彼はニヤけた顔のまま続ける。

 

「最初から、こうなることは、決まっていたんですよ……。なにせ、駒として用意された存在ですからね……。わかり、ます? チェスでも、将棋でも、不要になった駒は、捨てます。そんな私を……助けよう、だなんて、愚かなひとだァ……本当に」

「ふざけ、ないで……笑わないで……」

 

 なにか言いたいことはあるのに、言葉にならなかった。ただ俯いて、同じ言葉を連呼することしか、私には出来ない。

 

「……教えてくれないか。お前の言う〝あの御方〟のことを」

 

 なにも言えない私に代わって、ピオーズが口を開く。その問いかけに、マコーは僅かに表情を歪ませた。

 

「お前は以前、自分が邪神に生み出されたと言った。だが、あれはどうせ、オレたちと邪神の対立を煽りつつ、自分の真の主を隠すための嘘だったんだろう」

「……やはり、聡明な御方ですねェ」

 

 魔侯は口角を吊り上げたが、すぐに真剣な表情を見せた。その表情には、どこか主への忠誠心のようなものが垣間見えた気がした。

 

「残念ですが、言えません……。あの御方は、確かに、恐ろしい御方ですが……。我が創造主であることに、違いはない。恩義が、あります」

「……そうか」

「ですが」

 

 ピオーズの言葉に被せるようにして、彼は言った。

 

「我が世界の……〝創界神〟であることくらいなら……教えてしまっても、いい」

「……!」

 

 ピオ―ズが、カプリコーンが、アクエリアスが。揃って目を見開いた。

 創界神。その名は以前、ヴァルゴの口からも聞いたことがある。

 彼女の推測が、事実に変わった。それが恐るべき事態であることを証明するように、グランロロの12宮たちは揃って、険しい表情で口をつぐんでしまった。

 マコーも暫く黙っていたが、やがて、ときが来たとでも言いたげに嗤った。彼は魂の核がある胸部に静かに手をあてると、振り絞るように、指に力を込めた。

 その目は真っ直ぐ、私に向けられている。

 

「そのアホ面……できれば、もうすこし、見ていたかった……ですねェ」

「っ……なに、してんの……。ダメ。動いたらダメ……!」

「あァ~……いい顔だァ……。その顔ですよ……その、涙をグッと堪えてる感じの、その顔がねェ……。たまらなくソソるんです……」

 

 意味の分からない台詞を吐き出しながら、彼はその指で、壊れかけの核を、ほんの一欠片へし折った。その行為に私が眉をひそめると、マコーはまた、愉悦の笑みを浮かべた。

 

「私を、助けたかったと、言うのなら……。これ、受け取ってくださいますよねェ……。ほんの小さな、欠片ではありますが……これも、我が魂の一部なのですから……」

 

 震える手で差し出されたソレを、私もまた、震える手で受け取った。

 

「これ……」

 

 私は問いかける。カードのような形のソレと、マコーを交互に見やりながら。

 

「それは……呪い、です。この世に、未練なんか、ないはずだったのに……。アナタのせいで、ソレが出来てしまった……。だから、アナタを、呪います」

「呪い……」

「ソレを見るたび、思い出してください……。アナタのせいで、未練がましく消える羽目になった、邪神がいたこと……。そして、我が名の通り、蝕まれてしまえばいい……」

「アナタの、名前……」

「ヴェルム。……〝蝕むもの〟という、意味です」

 

 私は頷き、その名前を心に深く刻み込んだ。

 それが、魔侯という仮称ではない、彼の本当の名前。

 

 蝕むもの。

 

「とは言え……。甘い幻想に、蝕まれたのは……、私も、同じか……」

 

 その言葉を最期に、彼は本当に動かなくなった。だらんと垂れ下がった手が徐々に崩壊していき、やがて全身が崩れ、風に乗ってどこかへ飛んでいく。

 消えてなくなる直前、彼が最後に見せた笑みだけは、どこか穏やかなものだった。

 

 

 

 

 マコーを見送った直後、激しい衝撃音が大地を震わせた。同時にヴァルゴの悲鳴が聞こえたかと思うと、声の主が凄まじい勢いでこちらに吹き飛んできた。

 

「ヴァルゴ⁉」

 

 私はすぐさま駆け寄った。地面に叩きつけられ、鮮血を垂れ流しながら苦しそうに唸り声をあげる彼女は、すでに瀕死の重傷を負っているように見える。人間なら生きているのも奇跡という他ない量の血が傷口から溢れ、抱きかかえると、私の手も同じように真っ赤に染まっていった。

 

「うんうん、すごく綺麗だね。ヴァルゴは素材がいいからかな? 真っ赤に染めて表情を歪めてやると、本当によく映えるね」

 

 ゾクリとして顔を上げる。

 目の前に、マグナがいた。血塗れの大槍を片手に私たちを見下ろすその顔は、悪意を微塵も感じさせないほどの笑顔に満ちていた。

 一瞬絶望しかけたのは、そんな彼女の向こう側に、傷だらけで倒れ伏したジェミニたちの姿を見てしまったからだ。

 四対一でもダメだったと言うのか? 四魔卿の実力とは、それほどのものなのか?

 恐怖以上の感情が湧き上がってくる。だが、逃げるわけにはいかなかった。

 

「けど、映える姿になったってことは、もう戦えないってことかあ。それは嬉しくないことだよね。だって、喜ぶべき時間が終わってしまったということだもの」

「なに……言ってるの……!」

 

 どうしても声は震えていたが、怒りに満ちた視線だけ逸らさなかった。依姫様がしてみせたように、私も、断固とした意思だけは示さなければならない。

 

「だ……め。れいせん、にげて……」

「ヴァルゴ様の仰る通りでございます。優曇華院様、ここはお下がりください」

 

 自分が最後の砦だと言わんばかりに、アクエリアスが前に立ちふさがる。マグナは、そんな彼をあからさまに嘲笑した。

 

「キミと戦えるってなら嬉しいけど……。勝てるの? これ以上ガッカリさせないでほしいんだけどさ」

 

 アクエリアスが剣を強く握りしめる。マグナはこれを鼻で嗤った。

 

「ガッカリといえば……、カプリコーン、キミもそうだ。せっかく魔侯を殺すチャンスを用意してやったのに、キミはあと一歩のところで彼を赦してしまった」

「……どういうことです?」

「キミから魔侯を切り離してやったのはオレなんだよ?」

 

 マグナはコロコロと笑い出した。

 

「最初は嬉しかったんだ。目を覚ましたキミが、ジェミニたちまで巻き込んで魔侯への仕返しを始めたもんだからさ。ああ、オレの手紙を読んでくれたんだって。あの手紙を信じてくれたんだって。だから、あとは全部任せようと思っていたのに」

 

 マグナは深くため息をついた。

 

「本当に残念だよ。……キミがこんなに甘い男だとは思わなかった」

「……取り憑かれたことは、私の落ち度に他なりません。彼はただ、主上の名に従い動いていた、駒のひとつに過ぎなかった」

「だからって赦す理由にはならないだろ?」

「赦したいと思った理由なら、あります」

「……」

 

 マグナは顎に指を添えると、何か考え事をするかのように明後日の方を見たが、やがて思い至ったように、口角を吊り上げた。

 

「なるほど、サジタリアスも言っていたね。『彼女を信じてみたい』とかなんとか」

 

 マグナの殺意に満ちた視線が、私に突き刺さる。貼り付けたような笑顔が、その邪悪に満ちた瞳を、より一層ギラギラと輝かせていた。

 

「理解した。もう〝ついで〟じゃないな……。今、明確に。キミを殺したくなったよ!」

「させません!」

 

 マグナとアクエリアスが同時に大地を蹴る。しかし、槍と剣がぶつかり合う、あの耳を痛めるような金属音が響くことはなかった。

 代わりに数回、シュンッ、シュンッとなにかが空を切る音が聞こえた。マグナは飛んできたソレを腕で弾き飛ばすと、素早く後ろへ退いていった。

 

「これは、ナイフ……」

 

 このとき初めて、マグナの顔に苦悶の色が滲んだ。突然の攻撃にダメージを受けたのではない。ただそこに現れた人物に、彼女は困惑しているようだった。

 

「……十六夜、咲夜」

 

 槍を下ろしたマグナの見つめる先に、そのメイドはいた。私もよく知るその人は、怒りを蓄えた静かな瞳で、マグナを見据えていた。

 十六夜咲夜──マグナが憑依しているレミリア・スカーレットの、従者である。

 

「やっと見つけたわよ。よくもヌケヌケと逃げ出してくれたわね」

 

 マグナは明らかに混乱していた。言葉を失い、棒立ちになっている。ふと、霊夢や魔理沙が傷だらけの依姫様たちを介抱しに向かう声が聞こえたとき、マグナはハッとした表情になって周囲を見回した。

 

「……っ」

 

 マグナが息を呑んだ。私も、状況が変わったこの空間を見回す。

 静かだったはずなのに、突然として戦場に変えられ、荒れ果てた森。傷だらけの依姫様たちと、彼女らを介抱しに向かう霊夢たちの姿。見知らぬ黒髪の男もいたが、魔理沙が彼を「リブラ」と呼ぶ声が聞こえて、すぐに理解が及んだ。

 みんな無事だ。私も依姫様も、マグナにすっかり騙されていたらしい。

 

「さて……。逃げ出した以上、もうアナタを生かしておく理由はないのだけれど」

「……やめよう、十六夜咲夜。キミではオレに勝てないんだ」

 

 言葉を交わしながら歩を進める咲夜に対して、マグナは逆に退いていた。なにか様子がおかしい。あの好戦的で、無邪気と錯覚するほどの邪悪さが鳴りを潜めている。今のマグナに、余裕らしい表情は見られなかった。

 

「もう……冷めてしまった。キミと戦ってもダメだ。オレの喜びは、満たされない」

「まちなさい!」

 

 マグナは槍を土に還すと、逃げるようにその身を翻して飛び立った。誰がなにかを言う隙も与えぬまま、咲夜もそのあとを追う。

 私は、ふたりが消えていった空を、ただ呆然と眺めていることしか出来なかった。

 

 

  続

 




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
次回も楽しみにお待ち下されば幸いです。
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