東方琉輝抄・暁   作:日立涼

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 閲覧ありがとうございます。読者の皆様にひとつ、お願いが御座います。
 本作品中、登場人物のひとりが2023年5月より禁止カードに指定されたカードを使用します。
 理由としましては、新しい禁止制限が発表された時点で、すでにそのシーンを執筆してしまっていたということが挙げられます。
 対戦棋譜を書き直すことも考えたのですが、これはこれで面白い偶然かな……(錯乱)とも思い、棋譜を変更せず投稿させて頂くこととしました。
 皆様のご理解とご協力をお願いします。


第八話『譲れないもの』

 

 

 もう随分と大昔の話である。

 

「それはつまり、ジェミニ様の勇気を称えてほしいということでございますか?」

 

 従者がそんなことを言い出したので、僕は「はあ?」と顔をあげた。

 

「告白にはさぞ膨大な勇気が必要でしたでしょう。ジェミニ様はよく頑張りました」

「キミさ……、もしかして、僕のことバカにしてる?」

「とんでもない。私はただ、ジェミニ様のことを称賛したまででございます」

 

 彼が微笑んで差し出してきた紅茶を、僕は自棄気味に口内へ流し込んだ。爽やかな香りが鼻腔をくすぐる、彼お得意のハーブティーだった。

 

「……美味い」

 

 適温だった。心地よい舌触りから、かなりいい水を使っていることも分かる。

 もっと香りを楽しんでから飲むべきだったと後悔し、顔を伏せる。僕の心を見透かしたように笑った彼は、「おかわりも御座いますよ」とカップに二杯目を注いでくれた。

 

「少しは冷静になられたようですね」

「そうだね。キミの淹れてくれるお茶が一番落ち着く」

 

 それに、環境も整っている。僕が座っている椅子や、カップを置くテーブルも含めて、彼の部屋はアンティークな雰囲気の家具でまとめられている。いわゆるクラシックインテリアと呼ばれるスタイルで、彼が趣味で集めたというハーブの香りもまた、この部屋の上品で優雅な空気感を演出するのに一役買っていた。

 彼は向かいの席に座ると、興味深そうに僕の瞳を覗き込んで言った。

 

「それで、ヴァルゴ様のお返事は?」

 

 手元に置かれたカップからは、もくもくと湯気が立ち上っている。

 

「保留中。急なことだったから、彼女も混乱しているみたい」

「では、現在は〝待ち〟の期間ということで御座いますね」

 

 その言葉を聞いたとき、僕の喉から唸り声が響いた。完全に無意識だったので、思わず眉をあげた。

 

「……欲張りなことに、僕はなにかしら行動を起こしたがっているらしいんだ」

「なるほど。それでわたくしの元へ、どうすれば良いか相談に来たと」

「そういうことになるのかな」

 

 僕はテーブルに顔を突っ伏すと、特大のため息をひとつ吐いた。

 

「自分の気持ちが分からないよ」

「神様とて生き物ですから、そんなものでございましょう」

 

 彼はそう言うと、ハーブティーの奥ゆかしい香りをじっくりと楽しみ、柔らかな笑みを浮かべて見せた。爪の先まで洗練された優雅な立ち振る舞いに、一瞬、僕の視界から彼以外のあらゆるものが消失したような錯覚を覚える。

 

「……キミならどうする? キミだって、ヴァルゴを好いていた頃があっただろう」

「なんとも大昔のお話をされますね」

「僕らにとっては、ついこの前の話なんだよ」

 

 言ってから、その発言の残酷さに気づき、僕は「あっ」と声を上げた。

 

「ごめん。心無い発言だと言われても、言い逃れできない」

「どうかお気になさらず。──ですが、切ない思い出では御座いました」

「僕の知らないことなんだ。あのときキミは、どんな選択をしたんだい?」

「ご存じなかったのですね。そう言えばあのあと、しばらくアナタ様とは御顔を合わせずにいましたが……」

「ダメだったらしい。って噂だけ聞いたもんだから、なんて言葉を掛ければいいのか分からなかったんだよ」

「あはは。やはり噂とは、当初とは形を変えて伝わるものなのですね」

「つまり、本当のところは違うってことかい?」

 

 僕が眉を寄せた頃、彼はハーブティーを静かに飲み終え、空になったカップを、優しくテーブルに添えた。

 親が子を諭すときのような、本当に穏やかな表情をしているな、と思った。

 

「なにせ、わたくしは従者で御座いますから。──譲らせて頂きました」

 

 

 

 

「咲夜! ちょっと待って!」

 

 私が彼女に追いついたときには、もう人里まで逆戻りしていた。

 里の人間たちはすでにお昼の休憩を終え、慌ただしく動き回っている。大通りは人混みで溢れかえっていたが、そこから一歩、裏通りに足を踏み入れれば、どこか浮き世離れした静けさが私を出迎えた。

 

「咲夜! ねえ咲夜!」

 

 返事はない。銀糸の髪を荒っぽく揺らし、薄暗い通りを突き進んでいく彼女の肩を、私は慌てて掴んだ。

 

「待って!」

「しつこい! さっきからなんなのよ、鈴仙!」

 

 乱暴に腕を払い除けつつ、彼女は振り向いた。目玉が飛び出しそうなほど見開かれた目は獣のように生々しい輝きを放っていて、普段の彼女が纏う、完璧で瀟洒な雰囲気はどこにも感じられなかった。

 小さくかぶりを振った私は、真っ直ぐに彼女を見つめ直す。

 

「……ひとりじゃ危ないよ。誰かと一緒に行動しないと」

「必要ないわ。マグナは私がやる」

「でも」

「いいから邪魔しないで!」

 

 咲夜は声を荒らげると、細く白い人差し指を私に突きつけた。

 

「第一、ひとりが危ないと言うのなら、今のアナタはどうなの? 一緒にいた連中はどこに行ったのよ」

「そ、それは……」

 

 思わず声がどもる。説明すれば長くなるが、どうしたものか。なんて目を泳がせているうちに、咲夜はたちまち姿を消してしまった。

 

「……はあ」

 

 膝からガックリ崩れ落ちて、特大のため息をついた。どうやら時間停止の能力を使ったらしい。卑怯だぞ、と内心で悪態をついていると、誰かに後ろから声をかけられた。

 

「逃げられてしまったようですね」

「……アクエリアス。早かったわね」

 

 いつの間にか追いついていた、私の従者──何故かそうなっている──に、私は眉を上げた。

 

「ヴァルゴたちは?」

「修理は無事、完了致しました。すでにこの通り……」

「鈴仙!」

 

 アクエリアスの背から白い人影が飛び出してきて、私に強く抱きついた。かなりの勢いがあったものの、軽くて華奢な体を受け止めるのには大した力を必要としなかった。

 

「ひとりで先に行ったって聞いて、心配したんだから……」

 

 それはヴァルゴだった。血にまみれていない彼女の、安定した心拍が耳底を刺激する。よかった、と私も心から安堵し、彼女を強く抱きしめた。

 

「ごめん、ヴァルゴ。急ぎの用事があったの」

「分かってるけど、あまり心配させないで。心臓がいくつあっても足りないわ」

「誰かを追いかけていたみたいだけど……」

 

 ジェミニが、アクエリアスの影から顔を覗かせた。肩に乗せた黄色い小鳥は、レオを捜索するために用意した監視衛星だ。どうやら、今回は私を探すために使ったらしい。

 私は首肯して言葉を返す。

 

「うん、私の友達。マグナを追いかけてひとりで行っちゃったから、危ないと思って」

「鈴仙はひとのこと言えないわよ」

「ごめんって」

「笑って誤魔化さないの!」

 

 ヴァルゴの指摘が耳に痛い。

 話を変えたくなった私は、助けを求めるようにアクエリアスを見やった。

 

「アクエリアス、他の皆は?」

「綿月依姫様率いる『対魔侯チーム』は、一旦永遠亭に引き返すことになりました。依姫様もサジタリアス様も重傷ですので、アリエス様に治癒を依頼するとのことです。カプリコーン様も、護衛として皆様にご同行なされました」

 

 私は頷いた。補足として、カプリコーンには正規の器を渡したこと、サジタリアスの怪我はアクエリアスにも修理可能だったが、魔力を温存しておくようにと、サジタリアス自身に止められたことも教えてもらった。

 アクエリアスは続ける。

 

「博麗霊夢様のチームは、優曇華院様同様、咲夜様とマグナ様を探しておられます」

「そっか。ありがとう、アクエリアス」

「勿体ないお言葉でございます」

 

 微笑みかけただけなのに、アクエリアスは胸に手を添えて頭を垂れた。従者というものを持ったことのない身としては、なんだかむず痒くなる光景である。

 

「とにかく、咲夜を探さないと。霊夢たちも探してるって言うなら、また見つかるのは時間の問題かもしれないけど……。ここは皆も協力してくれない?」

「もちろん。監視衛星を使ったほうが効率もいいからね」

 

 ジェミニはそう言って、監視衛星を空に羽ばたかせた。アレの優秀さはマコーの一件で証明されているので、咲夜を見つけるのに時間はかからないだろう。

 問題は、見つけたあとのこと。私が眉間を揉むと、

 

「どうかなさいましたか?」とアクエリアスは眉を上げた。

「咲夜、かなり焦ってるみたいで。私の話を全然聞いてくれなかったの」

「ふむ……? 思えば、マグナ様も十六夜咲夜様に対しては態度が違うようでした。優曇華院様、おふたりはどのような関係なのですか?」

「うーん、なんだろ。あのふたりって言うか、マグナが憑依してるレミリアは、咲夜の御主人様なんだけど……」

 

 なので、咲夜が焦っている理由は明確だ。そのことをアクエリアスに伝えると、彼はいつになく真剣な面持ちで頷いた。

 

「十六夜咲夜様にとっては、主を取り戻すための戦いなのですね」

「うん。だからこそ焦ってるんだと思う」

「心中お察しいたします。……ですが、優曇華院様の警告が耳に入らぬ程となると、かなり危険な状態と言わざるを得ませんね」

「警告を聞かないってゆーのは鈴仙も一緒だけど。まあ、鈴仙には私たちがいるし」

「だから悪かったってば」

 

 乙女座の女神様がご立腹そうに頬をふくらませる。赤の他人である私にすらこれなのだから、彼女が年頃の娘なんか持った日には、その苦労は想像に難くない。

 

「とにかく! 問題は、咲夜をどう説得するかってことなわけよ」

「そうみたいだね。……だけど、説得して、そのあとはどうするの?」

「え?」

 

 ジェミニの思わぬ指摘に、私は眉を上げた。

 

「主を取り戻そうとする十六夜咲夜を説得して、独断での行動を控えさせて……。そのあとはどうするの?」

「……えっと」

 

 言葉に詰まった。咲夜をひとりにしないことに必死で、そこから先のヴィジョンがまるで無かったことを、私はここに自覚する。

 ジェミニは続けた。

 

「今のままだと、マグナ姉さんと戦うのは十六夜咲夜だ。キミが彼女を説得し、独断での行動を控えさせたところで、最終的に行き着く先は変わらないんじゃないかな」

「……確かに、そうなんだけど」

 

 俯いているうちに、色々な考えが頭の中を渦巻いた。

 焦っている今の彼女では、マグナとの戦いでも判断を誤る危険がある。しかし無意味に説得を試みて、彼女を余計に苛つかせるのも良くないか。ならばいっそ、私が黙ってマグナと戦ったほうが安全なのではないか。しかしそうなると、問題はそのあとだ。戦いのあとで咲夜との関係に亀裂を走らせるのは避けたい。彼女は私の友人で、従者としての憧れも微かに抱いていて、神様が許してくれる限りは付き合いを続けていきたい人物だ。

 

「でも。それじゃあ、どうしたらいいのよ」

 

 平手でオデコを覆った。出来ることなら全員が納得できる選択をしたいが、その「全員」のなかに自分を含めてしまうのは、私の弱さだろう。

 

「考えるって、決めるって。……本当に難しいことだわ」

 

 だから、避けてきた。他人に委ねてきた。

 裏通りの闇が濃くなっていく。軒の隙間に見える空を見上げれば、真夏の太陽が雲で覆い隠されていた。

 なんだか薄暗いな、と私が眉をひそめていたとき。

 

「そんなお困りのア・ナ・タに♪」

「……へ?」

 

 気配もなく音もなく、誰かが私の肩に触れて、耳元で囁いていた。

 

「うわあああああああああああああっ!」

 

 理解してからは本当に早かった。私は勢いよく地面を蹴って飛び跳ねると、アクエリアスに背中からもたれ掛かる形で大きく後退していた。

 囁き声の正体は、すぐに視界に飛び込んできた。灰色の長髪と黒いローブを夏風になびかせ、意地悪っぽく笑う美女が、そこにいたのだ。

 

「り、リリィナ、さん?」

「はい、リリィナです! 覚えていてくれたんですね」

 

 マコーとの一件で出会った、若い女性だった。甘味処で臨時のお手伝いとして働いていたときの給餌服とは打って変わって、今は怪しい占い師みたいな格好をしている。

 

「な、なんでこんなところに……。っていうか、いつの間に……?」

 

 アクエリアスたちに目配せしたが、皆一様に、警戒した様子でかぶりを振った。敵襲に備えて私なりに気を張っていたつもりが、彼女の接近にはまるで気づけなかった。

 第一、アクエリアスたちは私を正面して立っていたのだから、私の背後が見えていたはずだ。いくら彼女が小柄とは言え、気がつかないものだろうか?

 警戒心を露わにする私たちに、リリィナはくすくす笑ってみせる。

 

「ごめんなさい。こんな界隈で生活していると、気配を消して歩くのが癖になってしまいまして」

「こ、こんな界隈って?」

「あらあら、裏通りは魔境ですよ。か弱い女性がひとりでいては、いつ殿方に連れ込まれてしまうか分かったものではありません」

「裏通り……。その、リリィナさんって、普段はなにを?」

 

 距離を取りつつ問いかける私に、リリィナは懐からカードの束を取り出して見せた。

 

「見ての通り、怪しくて妖しい占い師です。タロットカード占いと占星術が得意なんですけど、最近は水晶占いの練習もしてますね」

「怪しいって自分で言う?」

「そのほうが占い師って分かりやすいと思いません?」

 

 したり顔のリリィナは続ける。

 

「ところで、この辺は私の縄張りなんですよ。私に言わせれば、優曇華院さんたちがいることにビックリしているんですけど」

「それは……」

「それに、なんだかお困りのご様子ですし。……そこで、宜しければ、私が占って差し上げようかと思いまして。だから声をかけたんですよ」

 

 言うが早く、リリィナは手にしたカードの束を、滑らかにシャッフルし始めた。

 私はジェミニを見やる。彼女が嘘をついているようなら教えて欲しかったが、彼は小さく首を振ると、「それらしい様子はないよ」と小声で言った。

 私はリリィナに視線を戻す。

 

「あの、べつにいいです。急いでるので」

「そんなに時間はかかりませんよ。ほんの一分もあれば大丈夫。私はいま、カードの束をかき混ぜていますよね? 適当なところでストップと言ってください。そのとき一番上にあったカードが、アナタの悩みを解決するヒントを与えてくれるんです」

「……うーん」

 

 もし時間が食われそうだったり、金銭を要求されることがあれば、逃げてしまえばいいか。私は逡巡ののち、それだけならと頷いた。

 リリィナがカードの束をかき混ぜ始め、私はそれを見つめる。裏面のデザインは上下左右ともに対称に描かれていて、どうやらカードの向きが逆転しても分からないようになっているらしい。マットな質感の黒色は、バトルスピリッツのカードに酷似しているように思えた。

 

「ストップ」

「出ました」

 

 寸分の狂いなく手を止めたリリィナは、一番上のカードを素早く捲った。

 姿を見せたのは、エジプト神話のスフィンクスのような顔をした、女性姿の亜人だ。

 

「わあ……! 《運命の車輪(ホイール・オブ・フォーチュン)》! それも正位置ですね!」

 

 リリィナが、頬を綻ばせて近寄ってくる。私は引き気味に返した。

 

「ほ、ほいーる・おぶ・ふぉーちゅん……?」

「はい! 運命の車輪は、一時的な幸運・分岐点・運命の出会いと言った、現状の好転を暗示するカードなんです。そう悩まずとも、素敵な出会いがアナタを助けてくれますよ!」

「そ、そうなんですね」

 

 引きつった笑みを浮かべる私に、リリィナは捲し立てるような早口で言葉を続ける。カード一枚でそんなことが分かるものかと思いもしたが、明らかに興奮状態のリリィナに、私は完全に気圧されていた。

 語りに語り尽くしたあと、私の気持ちを表情で察したのか、リリィナはハッと口を押さえて頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい! このカードは私のお気に入りなので、つい興奮して……」

「いえ、私こそすみません。……お気に入り、なんですか?」

「はい。だって嬉しいじゃないですか。前向きで、希望があることを伝えられる」

 

 リリィナは優しく微笑んだが、すぐに真剣な表情を見せた。

 

「ただし、注意も必要です。運命の車輪がもたらす幸運は、あくまで偶発的なもの。アナタの実力ではないのです。そこを勘違いしたひとの多くが、この出会いをモノにできず、元いた混迷の世界に逆戻りしています」

「綺麗事ばかりじゃない。ってことですか」

「はい。占いは未来を予測し、それに備える時間を与えるためのものですから」

 

 リリィナは、どこか惜しそうな顔で空を見上げる。

 

「星が出ていれば、より正確な助言をして差し上げられるんですけどね」

「そこまでしてくれなくても大丈夫です」

 

 私は短く手を振った。近くチャンスが訪れるなら、それを逃していけない。それを知れただけでも十分だろう。

 不思議と満足感を得ていた私に、リリィナは警告するような顔で言った。

 

「優曇華院さん。私はどんな物語も、ハッピーエンドが好きです。だって、最終的に皆が報われて終わるなら、その過程にどんな苦しみがあっても、許してしまえるから」

「リリィナさん? 急になにを……」

「分岐点が、来ます。あとはアナタたち次第ですよ」

 

 今まで以上に深刻な面持ちだった。そんな彼女に私が眉をひそめたとき、後ろからソイツが現れた。

 軒下に伸びた木柱を握りしめて、苦しそうに息を切らしながら、おぼつかない足取りで近づいてくる小柄な影。

 

「やっと……ァあ。見つけたよ……」

 

 ソイツのうめき声が聞こえたとき、私の背筋はゾクリと冷えた。

 

「マグナ……!」

 

 レミリア・スカーレットに取り憑く四魔卿。マグナ・マイザーそのひとが、私たちの数メートル先に立っていた。

 

「優曇華院様、お下がりください」

 

 アクエリアスが前にでる。私は彼に首肯を返しつつ、リリィナに声をかけた。

 

「リリィナさん! はやく逃げ──……あれ?」

 

 いなかった。

 

 数秒前までそこにいた女性はすでにおらず、砂埃だけが静かに舞っている。

 

「り、リリィナさん……?」

「鈴仙、今は目の前の敵に集中して!」

「……う、うん」

 

 ヴァルゴに言われるがまま、視線を前に戻す。気を取られている場合ではない。ジェミニたちを四対一の状況でも圧倒してみせた邪神が、ほんの数メートル先にいるのだ。

 だが、なにか様子がおかしい。

 大粒の汗を流しながら、浮浪者のように力ない足取りで近づいてくる彼女は、明らかに本調子ではないように見えた。

 

「……随分と苦しそうだね、姉さん」

 

 剣で威嚇しつつ、ジェミニが言った。

 

「あはは……わかる? そうだね。オレは、疲れているんだ」

「なにがあったんだい?」

「……説明する、時間が惜しいよ。それより、鈴仙、だったかな? キミに頼みたいことがある。あの龍魔侯を圧倒したキミにしか、頼めないことなんだ」

「……なに?」

 

 マグナが一歩近づき、私たちは一歩退く。また一歩、もう一歩。

 彼女の手足は酷く震えていて、今にもほつれて転んでしまいそうなほどだった。それでも警戒心を解けなかったのは、あの圧倒的な戦闘能力を見せつけられた後だからか。

 やがて絞り出すような声で、マグナは言った。

 

「……してくれ」

「……え?」

「オレと、バトルしてくれ。あの邪神域で、命を賭けた戦いを……!」

 

 私は困惑した。マグナは膝をつくと、息も絶え絶えに言葉を続ける。

 

「このままだと、咲夜と殺りあうことになるんだ……。わかる。咲夜は本気でオレを殺すつもりで、本気でレミリアを取り戻そうとしてる……。当たり前だよね、レミリアは咲夜の大切な主人なんだもの……。だけど、ダメなんだ。初めて出会ったあの夜に、レミリアと約束してしまったから……」

「約束って……?」

「……咲夜とは、もう絶対に戦わない。体を貸してくれたお礼に、そう約束したんだ」

 

 私は目を見開いた。これまで見てきた邪神たちの態度からは、とても想像がつかない言葉だったから。

 マグナは、すがるように私を見上げる。

 

「頼む! もう限界が近いんだ! オレには、イルやヴァンのように、暴走を長時間抑え込むほどの精神力はない。次に咲夜と出会ったら、オレは、このレミリアの手で、彼女を殺してしまうかもしれない! レミリアとの約束が、譲れない、騎士の、誓いが、守れなくなる……! その前に……!」

 

 か細い声で懇願する彼女の瞳には、鈍い光が蓄えられていた。けれど、すぐにマグナは目を見開いて、怯えるように周囲を見回し始めた。

 

「どうしたの?」

「いる……! 近くに咲夜がいる……!」

 

 マグナは震える足で無理やり立ち上がると、私たちの脇をフラフラ通り過ぎていく。

 

「お願いだ……! オレがここにいたことは、どうか黙って……! そして、次に会うときまでに、覚悟を決めておいてくれ……!」

 

 振り向きざまにそう言った彼女を、私は呆然と見つめることしか出来なかった。

 ただひとつ、私の中にあった疑惑を、確信に変えて。

 

 

 

 

「まさか本当に黙ってるなんて」

 

 直感かなにかで突然戻ってきた咲夜を誤魔化したあと、ヴァルゴが言った。やはりと言うべきか、咲夜は私の説得に応じることなく、マグナを探して再び姿を消してしまった。

 

「マグナの言ってること、どこまで本気にするつもりなの?」

「……わかんない」

「ほら出た。無条件の優しさは危険だって、さっき言ったばかりなのに」

「わかってる」

「わかってません。……まあ、どーせ警告しても意味ないから、これ以上言わないけど」

 

 ヴァルゴは目をつむった。珍しく敬語を使ったあたり、怒っているのだろう。

 悪いと思いつつも、私は俯いて考える。べつに落ち込んでいるのではない。こうしていると、邪魔な情報を遮断できて、思考が整理されるのだ。

 

「マグナの願いを聞き入れれば、咲夜を裏切ることになる。だけど、咲夜をマグナと戦わせるのは正直危険だし、マグナと……それに、レミリアの想いを無視することになるのよね」

「……ねえジェミー、マグナが嘘をついてる可能性はないの?」

「ないね。姉さんは本気で咲夜と戦いたくないんだ。虚構の神であるぼくが保証するよ」

「完全に板挟みじゃないの……」

 

 ガックリ肩を落としたヴァルゴは、ため息交じりに私を見る。

 

「鈴仙は、正直どっち派なの?」

「それは……」

 

 私はしばらく黙っていたけれど、やがてポケットに手を突っ込み、仕舞っていた二枚のカードを取り出した。イルから託された《ストライクヴルム・レオ》の記憶と、マコーから託された彼の、真っ黒な魂のカケラだ。

 

「優曇華院様の中には、すでに答えがお有りなのですね」

 

 カードを見て、アクエリアスが言う。

 

「ですが、その答えが正しいものなのかと、判断しかねている」

「うん。……イルもマコーも、最期に見せてくれた表情は、穏やかだったから」

 

 だからこそ、救えなかったものかと考えてしまう。

 無意識のうちに奥歯を噛みしめる。カードを握る手にも、力がこもった。

 

「アクエリアスの言うとおり、私の中で答えは出てるの。……でも、その答えが正しいのかが分からない」

「優しい御心ゆえの葛藤ですね」

「違う、臆病なだけだわ。咲夜を裏切るのが怖いの。それに……」

 

 私は顔をあげると、アクエリアスたちと順番に目を合わせた。

 

「昔のマグナは、どんなひとだったの?」

「っ……」

 

 一番に反応したヴァルゴが、ごくりとつばを飲み込む。

 

「知るわけ、ないわよ。なんで邪神のことなんか」

「今さら隠さなくていいよ。兄さんとか姉さんとか、アレが隠語じゃないことくらいわかるもん」

「鈴仙、なにを言って……」

「優しいひとだったよ」

 

 一歩前に出かけたヴァルゴを、ジェミニが静止させた。

 

「ジェミー、なに言ってるの!」

「優しいひとだった。四魔卿の騎士と呼ばれていて、ぼくらもよく、稽古をつけてもらっていたんだ」

 

 遠い昔を懐かしむような、儚げな笑みだった。彼は、まだなにか言いたげなヴァルゴにかぶりを振ってから、話を続けた。

 

「ごめん。隠しているつもりは無かったんだ。ただ、余計な情報を与えると、キミたちが邪神と戦いづらくなるんじゃないかって」

「……本当に、兄弟なの?」

「血は繋がっていないけど、同じ創造主に創られたんだ。それに、何億年もずっと一緒にいたから、みんなお互いを兄弟みたいなものだと思ってる」

「事実、我々は血よりも濃い絆で結ばれておりました」

 

 補足したアクエリアスが、私を見つめる。

 

「それに気づいてしまったからこそ、優曇華院様は苦しんでおられるのですね」

 

 私は頷き、目を伏せた。

 邪神は被害者だ。グランロロを狙う何者か──恐らく、マコーの創造主である創界神だろう──に無理やり暴走させられ、苦しみながら私たちと戦っている。

 

「〝あの邪神域で、オレとバトルしてくれ〟……。マグナはそう言ったわ」

「ええ。……殺してくれと、彼女はそう言っているのです」

 

 私はかたく目を閉じた。なんて残酷な願いだろう。宿主との誓いを守るため、仲間たちをこれ以上傷つけないため、彼女は自らの死を望んでいる。

 

「暴走を解く方法は、ないの?」

「現状、殺すしかありません。だからこそ当時の我々は、半身を犠牲に、マグナ様たちを封印するという選択肢をとったのです」

 

 アクエリアスが小さく拳を握ると、ジェミニが首を縦に振った。

 

「未来に希望を託そうとしたんだ。原因が突き止められれば、いつか暴走を解けるはずだって。……だけど、姉さんたちは最悪な形で復活してしまった」

「……もうこれ以上、幻想郷に迷惑はかけられないわ」

 

 ヴァルゴの目は一見すると沈んでいたが、反対に、恐ろしく強烈な覚悟を宿しているようにも見えた。ジェミニと、それにアクエリアスの目にも、ギラギラと輝く決意のようなものが漲って見える。

 

 黙って立ちすくんでいるのは、私だけだった。

 

 軒を見上げて考えるのは、咲夜を裏切ってまで、アクエリアスたちの義姉を殺す意味はあるのかということ。いや違う。こうして立ち尽くしている間にも、マグナはまた暴走を始めて誰かに襲いかかるかもしれない。それは私たちだけでなく、マグナ自身も望まないことである。

 ふと、軒の隙間から見える空が、鉛色に染まっているのが分かった。今にも落ちてきそうな重厚な雲からは、もうすぐ雨が降り出すだろう。

 

「……少し、昔の話でもしましょうか」

 

 突然、アクエリアスがそんなことを言い出したので、私は眉を上げた。

 

「どうしたの? アクエリアス」

「いえ、ふと思い出したことが御座いまして」

 

 アクエリアスは穏やかな微笑みを浮かべると、後ろに立つジェミニを振り向いた。

 

「もう何億年も昔のお話ですが、わたくしとジェミニ様には、周囲が呆れかえるほど仲が悪い時期が御座いました」

「「……へ?」」

 

 その言葉に、私だけでなく、ヴァルゴも目を丸くした。突然なにを言い出すのかと呆ける私たちと対照的に、ジェミニは妙に納得した様子で「ああ」と口を開いた。

 

「あったね。あのときのキミは本当に嫌なヤツだった」

「その言葉、そのままお返し致しますよ。わたくしもあのときばかりは、アナタ様のことを本気で嫌っておりました」

「だろうね」

「そう、なの? わたし、知らないんだけど……」

 

 クスクスと笑うジェミニに、ヴァルゴは眉をひそめていた。私はなにがなんだか分からなかったので、とりあえず、黙って話を聞くことにした。

 

「ヴァルゴ様はご存知ないでしょうが、あのときの我々は、目を合わせれば睨み合い、言葉を交わせば、そこに皮肉を交えずにはいられないほど険悪な仲でした」

「本気で殴り合ったこともあるよ。あとで悔やんだけどね、キミ固いから」

「わたくしも後悔いたしました。最高傑作と自負していたアナタ様の器を、自ら傷つけてしまったことをね」

「待って。ちょっと待って」

 

 話についていけない様子のヴァルゴが、ふたりに平手を突き出した。

 

「なんでそんなことになってたの?」

「原因は至極シンプルで、しかし、男にとって譲れないものでございます」

「譲れないもの……?」

「ええ。……ひとりの女性を取り合ったのです」

 

 私は「あ」と声をあげた。なるほど、確かにシンプルな理由である。

 思い出すのは、里に向かう途中で視た、アクエリアスの波長だ。彼とジェミニが喧嘩してまで奪い合う女性なんてひとりしかいないが、肝心のそのひとは、どうやら言葉の真意に気づけていないらしく、黙って小首を傾げていた。

 アクエリアスは大げさな身振りを交えて話を続ける。

 

「どうしても、その女性を我がものにしたい。男たちの譲れない想いが激しい火花を散らし、やがて燃え盛ったのです」

「それだけ、ぼくらはそのひとのことが好きだったんだよね」

「ええ。……ですがある日、その戦いは唐突に終わりを迎えます」

「どうして?」

 

 と私。合いの手くらいのつもりで、首も傾げておいた。

 

「アクエリアスがぼくに譲ってくれたんだ。彼にもチャンスはあったのにね」

 

 私は目を丸くした。

 昼前に視たアクエリアスの波長は、紛れもなくヴァルゴに好意を抱いていた。それは、何億年経った今でも、彼女に対する想いが変わっていないことの証明である。

 

「でも、どうしてそんなことを……?」

「簡単な理由でございます、優曇華院様」

 

 アクエリアスは胸に手をあてると、穏やか極まる表情で、こう言ってのけた。

 

「なにせ、わたくしは従者で御座いますから」

 

 意味がわからず沈黙した私に、アクエリアスは構わず続ける。

 

「厳密には、そのときは従者では御座いませんでした。ですが、いずれは皆様の従者となることを決めていた身……。ならば、これはそのための儀式だと受け入れたのです」

「譲った……? 従者だから、御主人様のために身をひいたってこと?」

「左様。ですが優曇華院様、ここからが、このお話の最も重要なトコロです」

 

 なにか、空気がひんやりとする感覚を覚える。アクエリアスの表情は、物悲しいとも、なにかに怒っているともとれる、複雑怪奇なものになっていた。

 

「お恥ずかしい限りですが、わたくしは、そのことを未だに後悔しております」

「……え?」

「後悔しているのです」

 

 彼が真剣なのは、その鋭い目つきから容易に理解できた。しかし、あまりにも予想だにしない展開だったので、私はしばし唖然としていた。

 

「……それ、ジェミニの前で言って大丈夫?」

 

 眉を寄せて問いかける。他にも言いたいことは色々あったが、纏まらなかった。

 

「ええ。すでに何度も申し上げていることですので」

「本人に⁉」

「ふたりきりになると大体この話が出るんだよ。参っちゃうよね」

 

 肩をすくめて苦笑するジェミニ。なるほど確かに、随分と聞きなれた様子である。

 

「申し訳ございません。ですが正直、今でも想像せずにはいられないのです。あのとき、この譲れぬ思いを貫いていたら、今頃どうなっていたのだろうと」

「それは……」

 

 言いかけて、思わず顔を伏せた。仮にアクエリアスが譲らない選択をしていたとして、今は変わっていたのだろうか。どちらにせよ、結論を出すのは当時のヴァルゴだ。アクエリアスが彼女に告白をしたとして、果たしてヴァルゴは、彼の手をとったのか。

 もしダメだったとしたら、そのときはまた、べつの後悔がアクエリアスを襲うだけなのではないか。

 

「……あれ?」

 

 ふと、私は顔をあげた。目が合ったアクエリアスは一瞬眉を上げたが、すぐに微笑みを浮かべて見せた。

 

「気付かれましたか?」

 

 小首を傾げるだけの動作が、妙に色っぽかった。黒髪の先端まで洗練された優雅な立ち振る舞いに、一瞬、私の視界から彼以外のあらゆるものが消失したような錯覚を覚える。

 

「……どっちにしても、後悔はするのね」

「お見事です」

 

 彼は満足気に首肯した。

 

「どの道、選択するという行為には後悔が付きまといます。フラれればそれだけで辛い。だったら告白なんて最初からしなければ良かった! と壁を叩くこと請け合いで御座いましょう。では、仮に成功したとしたら? 今度は『従者として恥ずべきことをした』と頭を抱えたかもしれませんね。なにせ、わたくしは従者で御座いますから」

 

 私は呆然と、彼を見つめていた。面倒くさいことこの上ない思考にも思えるが、これは事実だと思った。

 選ぶという行為には後悔がつきまとう。何故なら、過去には戻れないのだから。選択はその都度一回しか出来ないのだ。

 

「ならばせめて、自分がどうしても譲れないと思うものがあるのなら。それを選んでみるのは如何でしょうか」

 

 どうせ後悔はするのですから。アクエリアスは最後にそう付け加えた。

 

「私の、譲れないもの……」

「答えはすでに出ているのでしょう? ……大丈夫。優曇華院様の選択がどのような結果をもたらしたとしても、わたくしはソレを喜んで受け入れ、支えます。従者ですから」

「……ありがとう」

 

 思わず顔がほころんだ。愛想笑いでない笑顔を男性に向けるのは初めてかもしれない。彼という存在が、臆病者の私にとって大きな心の支えになっていることを、私はここで理解した。

 

「──……十六夜咲夜様を探しに参りましょう。優曇華院様」

 

 その言葉を発する直前、彼が一瞬目を見開き、すぐにかぶりを振ったのには、一体どんな意味があったのだろうか。

 

 

  

 

「勝ったほうがマグナと戦う。負けたほうは決して邪魔をしない。異論はないわね?」

 

 十六夜咲夜が、遠目からでも分かる鋭い目つきを見せ、私は静かに頷いた。

 決断するが早く、咲夜を見つけた私たちは、彼女にバトルを申し込んだ。賭けの内容は咲夜が言った通りで、マグナとの対戦権を奪い合うものだった。

 鈍色の空の下。里の薄暗い裏通りの一角で、私たちは簡易型のバトルフィールドを展開する。〝あちら〟のフィールドを使うことも考えたが、どうもあそこは埃っぽくて好きになれない。それには咲夜も共感してくれ、ここを戦場とすることで意見が纏まった。

 すでにフィールドは展開され、両者、四枚のカードを手にしている。ジェミニとヴァルゴは病み上がりなので見学だが、代わりに、アクエリアスがデッキに入ってくれた。

 

「アナタの先攻でいいわ、鈴仙。時間がもったいないから早くしなさい」

「うん。……じゃあ、行くね」

 

 言葉通り、バトルは素早く進んだ。

 第一ターンを、ネクサス《バチマン・ド・ゲール―戦艦形態―》の配置のみで終わらせた私に対して、第二ターンで咲夜は《キャメロット・ポーン》二体と《キャメロット・ナイトX》を召喚。手札を増やしつつ《カクメイミラージュ》までセットしてきた。

 そして、準備だけで終わらないのが彼女だ。咲夜はそのまま、召喚した三体のスピリットで一斉攻撃。私はそのすべてをライフで受けた。

 この時点で、ライフ差は五対二だ。咲夜が鼻でふんと笑う。

 

「紫の速攻デッキを相手に、悠長なことしてるからよ。そんなんでマグナを倒そうっていうなら笑いものね」

「……挑発してるつもり?」

「事実を挑発と受け止めてしまうのなら、相当追い詰められている証拠だわ」

「……」

「どうしたの? なにか言い返してみせなさいな」

「うん。……今日はよく喋るね」

「はあ?」

 

 咲夜が眉を上げたのを確認し、ターンを進める。

 

「メインステップ。……力をかしてね、アクエリアス」

 

 私は一枚のカードを手にとり、咲夜に向けて突き出した。

 

「天と地を潤す命の源! 《宝瓶神機アクア・エリシオン(Rv)》を召喚!」

 

 カードから放たれた光が、天空に水瓶座の紋章を描き出す。門から湧き上がる清らかな水とともに、白き巨神がバトルフィールドに降臨した。

 

「白の12宮……」

 

 咲夜が目を細める。私は続けて《メカニポリス》のミラージュをセットすると、迷うことなくターンエンドを宣言した。

 

「スピリット一体を召喚しただけでターンエンド? そんな守りで私の攻撃を防ぎきれると思っているの?」

「試してみればいいんじゃない?」

 

 私が小首を傾げると、咲夜は小さく舌打ちした。低い声でターンの開始を告げ、乱雑にカードをドローした彼女が、リフレッシュステップを宣言したとき、私の《アクア・エリシオン》が動いた。

 

「な、なに……?」

 

 彼が突き立てた二振りの剣を中心に、バトルフィールドが水で満たされていく。乾いた戦場はまたたく間に潤いに包まれ、水面の揺れる美しい湖へと姿を変えた。

 

「《宝瓶神機アクア・エリシオン》の効果。合体していない相手のスピリットすべては、リフレッシュステップで回復出来ないの」

「っ……」

「敬愛する主の御前だ。アクエリアス、そう簡単には敵に頭をあげさせないだろうね」

 

 ジェミニが呟くと、ヴァルゴもそれに首肯した。敬愛する主、なんて呼ばれてむず痒い気分だが、本当に頼もしい限りである。

 攻撃の手を止められた咲夜は、このターンを《闇騎士ラモラック(Rv)》の手札交換とバーストセットのみで終わらせた。とても納得のいく動きでは無かったようで、彼女が奥歯を噛み締める音が、私の耳にまでよく聞こえてきた。

 

「一ターン止まってみて、すこしは冷静になった?」

「馬鹿にしているの? 次のターンこそ仕留めてみせるから覚悟しなさい」

 

 そんなに血走った目で睨まれると、流石に萎縮してしまう。

 だがこれで一つ、ハッキリしたことがあった。

 

「……やっぱり、今の咲夜がマグナと戦うのは危険だわ」

「は?」

「私のターン」

 

 私は手札の一枚をフィールドに送りだす。

 

「《サポートロボ ピック》を召喚。召喚時効果で、私の手札にある白の契約スピリットカード一枚を、1コスト支払って召喚できる!」

 

 瞬間、フィールドに月が満ちた。

 

「蒼白なる月よ、闇を照らす牙となれ! 《月光龍ストライク・ジークヴルム(Rv)》を、レベル1で召喚!」

 

 震撼する大気とともに、月の化身たる気高き龍が降臨する。その後、《ピック》の効果でドローとカウントアップを行った私は、手札から《白魔神》を召喚した。

 

「《白魔神》を《ストライク・ジークヴルム》と《アクア・エリシオン》に合体! さらに《ピック》のコアを使って、《アクア・エリシオン》をレベル2にアップ!」

 

 白の機械兵が両手から光を発し、二体のスピリットにチカラを分け与える。異魔神ブレイヴの合体は通常のものと異なるので、接続という表現が正しいかもしれない。

 

「トリプルシンボルのスピリットが二体⁉」

「アタックステップ! アクエリアス!」

 

 12宮の騎士が、悠然たる足取りでフィールドを征く。すると、彼の動きに合わせるように、《白魔神》は肩部の装甲を展開し、数発のミサイルを発射した。

 

「《白魔神》の追撃で、《闇騎士ラモラック》を手札に戻す!」

「ブロッカーを消してきたわね! ライフで受ける!」

 

 その一撃は、華麗にして苛烈だった。剣の一振りで咲夜のライフを三つも破壊したアクエリアスは、落ち着き払った動きで咲夜に背を向け、私のもとへ帰還しようとする。

 

「待ちなさい!」

 

 咲夜が叫んだ。

 その直後、いつからそこにいたのか、アクエリアスの背後に砂埃が舞ったかと思うと、白銀の甲冑を身にまとった紫黒の騎士が煙のように姿を現し、彼に斬りかかった。

 アクエリアスは振り向きざまに、危なげなくそれを受け止める。私は情けなくも、大粒のつばをゴクリとのみ込んでしまったのだが。

 どうやら、咲夜の伏せていたバーストを踏み抜いてしまったらしい。私はその名を無意識に読み上げた。

 

「《ソーディアス・アーサー(Rv)》……!」

「ちっ……なんで効いてないのよ!」

 

 それは、彼女のキースピリットだった。攻撃を受け止められた彼は、剣を振るうことを止めて数歩後退する。

 

「《ソーディアス・アーサー》のバースト効果は、相手のスピリットからコア3個を奪い取るというもの。アクエリアスじゃなければ、やられていたかもね」

 

 ジェミニが口にすれば、

 

「アクエリアスは12宮の騎士だもの。守ることにかけては最強なんだから!」

 

 ヴァルゴも両の拳を握りしめる。

 

「……『装甲』の効果ってわけね」

「うん。合体している《アクア・エリシオン》は、紫属性の効果を受けないの」

「……そう」

 

 咲夜はその鋭い視線を、今度は《ストライク・ジークヴルム》に向けた。《アーサー》もシンクロしたかのように彼を睨む。しかし、残念ながら《ストライク・ジークヴルム》も、アクエリアス同様に紫属性の『装甲』を持つスピリットだ。

 

「……私のライフが減少したことで、手札の《絶甲氷盾(Rv)》をコストを支払わずに使用できるわ」

 

 動き出さない《アーサー》を見て理解したのか、咲夜は小さなため息とともにカードを提示した。白のマジックカード《絶甲氷盾》は、相手のアタックステップを強制的に終了させる優秀な効果を持っている。

 

「ターンエンド」

 

 私の宣言と同時に、アクエリアスが双剣を重ねて大地に突き立てた。攻撃を終えた今の彼は疲労状態のはずだが、どうやら、主以外に膝をつく気はないらしい。

 

「随分と、立派なナイトを従えたものね」

 

 皮肉っぽい表情で、咲夜が言った。

 

「アナタのなにが良くて、そんなことをしているのかしらね」

「……アクエリアスがそうしてくれているだけよ。私には、彼を従えている自覚なんてないんだもの」

「理解に苦しむわね。カリスマ性なんて微塵もないアナタに、どうして遥か格上の存在である12宮が頭を垂れるのか」

「それは……」

 

 言いかけて、私は口を噤んだ。ここはそうするべきだと思った。

 

「だけど、レミリアお嬢様には命をかけて従うだけのカリスマがあり、力がある」

「……知ってる」

「だったら何故、私の邪魔をするの? 私がマグナと戦うことに、私がお嬢様を取り戻すことに、なんの問題があるというの?」

「危険だからよ」

 

 射るような目で答える。咲夜をまっすぐ見つめて。

 

「今の咲夜は冷静じゃないから、危なっかしくて任せられない。それが全部よ」

 

 咲夜の目が益々鋭くなり、眼輪筋がピクピク痙攣する。発せられる怒気に思わず怯みそうになったが、ここで『マグナの誓いを守るため』などと正直に言えば話がややこしくなるに違いない。それに、私の脳裏には想定しうる最悪のケースも浮かび上がっていた。

 

「……私のターン」

 

 咲夜の静かな怒りを、五感すべてで感じ取る。これでいい。私は僅かに目を瞑った。

 咲夜の怒りは今、私だけに向けられている。

 そしてこれからも、その怒りと絶望は、私だけに向けられればいいのだ。

 

「《ソーディアス・アーサー》をレベル3にアップ。さらに、《竜騎士ソーディアス・ドラグーン》をレベル1で召喚。不足コストは《キャメロット・ナイトX》から確保」

 

 戦場に、竜を象った鎧の騎士が現れる。《アーサー》と似た容貌をしているが、こちらは黒を基調とした、ダークヒーローのような姿が印象的だった。

 

「トラッシュの《キャメロット・クイーン》の効果。私の《ソーディアス・ドラグーン》が召喚されたとき、このこのスピリットを、コストを支払わずに召喚できる。二体の《キャメロット・ポーン》からコストを確保し、レベル2で召喚するわ」

「前のターンに《ラモラック》で破棄したスピリット……。このためだったのね」

 

 ヴァルゴが眉を上げる。

 その後、《キャメロット・クイーン》の効果でデッキから二枚ドローしたのち、咲夜は信頼する《ソーディアス・アーサー》に手のひらを重ねた。

 

「《ソーディアス・アーサー》でアタック!」

 

 紫黒の騎士が大剣を薙ぎ払う。その衝撃は空気の刃となって戦場を駆け抜け、アクエリアスに牙を剥いた。

 

「アタック時効果で、疲労状態の相手のスピリット一体を破壊する!」

「《アクア・エリシオン》の【超装甲】の効果!」

 

 結果は先程と同じだ。空気の刃を全身に受けながらも、アクエリアスはよろめくことすらなく戦場に立ち続けていた。

 

「だけど《ソーディアス・アーサー》のBPは21000よ!」

「なるほど。鈴仙のフィールドで唯一回復している《ストライク》より高いわけだね」

 

 真顔で状況を分析するジェミニ。おそらく分かってのことだろう。私はこれに首肯を返したのち、声をあげた。

 

「《ストライク・ジークヴルム》の効果発揮! 相手のアタックステップで、相手のスピリットが疲労したとき、私のスピリット一体を回復させる!」

「えっ?」

「私が回復させるのは、当然《アクア・エリシオン》よ! 守って!」

 

 突き立てた剣を引き抜き、アクエリアスは堂々たる姿で覇王の前に立ちはだかる。

 彼は一太刀で《アーサー》の剣を上空に弾き飛ばし、流れるような回し蹴りで膝をつかせると、あっという間に首筋に刃を突きつけた。直後、《アーサー》は落下してきた自らの剣に心臓を貫かれ、頭を垂れるような姿勢で爆散してしまう。

 咲夜は青ざめた顔で息を呑んだ。信頼するエースの惨敗を目の当たりにしたのだから無理もないが、抱いていた感情は私も同じだった。

 

 恐怖。……美しすぎることが、逆に恐ろしかった。

 

「圧倒的な美しさは、ときとして恐怖の対象にもなる」

 

 不意に、ジェミニが呟く。

 

「ジェミー?」と声を潜めて問いかけるヴァルゴに、彼は続けた。

「アクエリアスの恐ろしいところだよ。……圧倒的な美しさが、ときとして恐怖の対象になり得ることを、彼は誰よりも知っているんだ。神々の従者として、神々の顔に泥を塗ることを嫌うあまり、彼自身が、誰よりも神様らしくなってしまった」

 

 こめかみを汗が伝った。そんな彼を私が使役していることに、今さら畏れを抱かされる。

 神々に仕える従者が誰よりも神様らしいとは、なんという矛盾だろうか。しかし、そんな矛盾を内包していることがまた、皮肉にも彼を神足らしめているように思えた。

 

「……けど、私にはコイツがいるわ。《ソーディアス・ドラグーン》でアタック!」

 

 黒の竜騎士が曇天へ舞い上がる。同時に、地上では《キャメロット・クイーン》が杖を天高く掲げていた。

 

「《キャメロット・クイーン》の効果発揮! 私のカウントが5以下なら、《竜騎士ソーディアス・ドラグーン》はアタックしたときに【転醒】できる!」

 

 光が収束し、《ソーディアス・ドラグーン》を包み込む。それが弾け飛んだとき、漆黒の竜に跨がる新たな騎士王が姿を現した。

 

「《竜騎士王ソーディアス・ドラグーン・ケーニヒ》! 転醒時効果でこのスピリットは回復し、私のトラッシュから紫の『騎士』一体をノーコストで召喚できる!」

 

 騎士王が槍を掲げると、巨大な盾を携えた聖なる騎士が姿を現した。

 

「《聖杯の闇騎士ギャラハッド》か……。あれも《ラモラック》の手札交換でトラッシュに送っていたカードね。でも!」

 

 私は再び《ストライク》の効果を使い、回復したアクエリアスを《ケーニヒ》に差し向ける。しかし、咲夜が口角を吊り上げたのを見て、早計だったと自覚した。

 

「《ギャラハッド》の効果発揮! 私の『騎士』がブロックされたとき、相手のライフのコア一個をリザーブに置く!」

「うあっ⁉」

 

 前触れもなくライフが砕け、バリンという音の衝撃に目を瞑ってしまう。

 アクエリアスは相変わらずの強さで《ケーニヒ》を圧倒したが、音もなくライフを奪う紫の戦術にまでは、流石に反応できない。

 

「続けて《キャメロット・クイーン》でアタック! 《ギャラハッド》の効果は『キャメロット』にも有効! あとが無くなってきたようね、鈴仙!」

「《ストライク・ジークヴルム》の効果で、《アクア・エリシオン》を回復! さらに、フラッシュタイミング!」

 

 咲夜が目を見開いたときにはすでに、第二の月が戦場を照らしていた。

 

「《メカニポリス》のミラージュ効果で、二体目の《ストライク・ジークヴルム》を手札からノーコスト召喚! そしてこのターン、私のライフはコスト4以上のスピリットのアタックでは減少しなくなる!」

 

 私の背後から二体目の月光龍が飛び立ち、戦場の空を駆け抜ける。その軌跡がカーテンのように《キャメロット・クイーン》を包み込むと、彼女は攻撃の手を止めてしまった。

 

「どうしてっ!」

 

 舌打ちとともに、咲夜はトラッシュを見やる。なにかがあることを確認したかったようだが、残念。そもそも彼女のトラッシュは大して肥えておらず。

 

「……ターンエンド」

 

 苦渋の表情で、そう宣言するしか無かったようだ。

 

 拳を震わせる咲夜を尻目に、私は静かにターンを進行した。

《白魔神》と合体している《ストライク・ジーク》に、《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》を煌臨させ、《キャメロット・クイーン》をデッキの下に戻したり。

 もう一体の、合体していない《ストライク・ジーク》に《騎士王蛇ペンドラゴン》を合体させて《ギャラハッド》を消滅させたりした頃には。

 

「……」

 

 咲夜の顔から生気は消え去り、戦意を失っていることが明白になった。

 私はアクエリアスのカードに手を重ね、首を傾げて問いかける。

 

「咲夜、わかってくれた?」

「……わからない」

 

 咲夜はかぶりを振る。

 

「わからないわ。どうして私じゃダメなの? 私がマグナと戦うことに、お嬢様を救おうとすることに、なんの問題があるの?」

 

 マグナが、レミリアが望んだから。とは言えまい。

 私は、一瞬伏せかけた目を見開く。

 レミリアを救い、マグナを救い、咲夜も救う。彼女がレミリアにあらぬ感情を抱かないようにするために、咲夜の怒りを買ってでもマグナと戦う。そう誓ったのだ。

 

「私のほうが強かった。……それだけのことよ」

 

 アクエリアスが剣を振りかざし、戦場に水しぶきが舞った。

 

 

 

 

「お辛かったでしょう。よく頑張りましたね、優曇華院様」

 

 アクエリアスの慰めの言葉に、私は目を閉じて首を振った。

 夏なのに風が冷たい。上空を覆う鉛色の雲が、太陽の光を遮っているせいだろう。髪を撫でる冷風で頭を充分に冷やしてから、私はようやく口を開いた。

 

「辛いのは咲夜だよ。私はべつに平気だもん」

「だと良いのですが。……自分の辛さに正直でいられる女性も、魅力的だと思いますよ。守って差し上げたくなってしまう」

「……ありがと。でも本当に平気だから」

 

 私は微笑んだ。咲夜の無力感に比べれば、こんなの、なんでもない。

 

 咲夜とのバトルのあと、私たちは意気消沈の彼女を置き去りにして、マグナ探しを再開した。隠れるには持って来いの人里を出ることはしないだろうし、咲夜がいないことさえ分かれば、あちらも自ら私たちの前に姿を現してくれるはずだ。

 

「でも、あれで良かったの? もっと正直に伝えれば良かったんじゃない?」

 

 ヴァルゴが顔をしかめた。

 

「マグナの話、なんで隠したりしたのよ。あれじゃ鈴仙が怒りを買うだけだわ」

「話がややこしくなると思って。それに、咲夜が変な勘違いをするといけないから」

「変な勘違い?」

「レミリアがマグナに『咲夜とは戦わないでほしい』って言ったこと、咲夜はどう受け取るのかなって思ったら、怖くなって」

「どうして? 従者と戦いたくないなんて、いい御主人様じゃない」

「みんながヴァルゴみたいに純粋なら良いんだけどね」

 

 ジェミニが口を挟んできた。流石に彼は理解がはやい。それとなく私に目配せして、話の続きを促してきた。

 

「重要なのは、今の咲夜が冷静さを失ってるってこと。それに、咲夜はレミリアを自分が助けることに執着してる。マグナを倒して、ね。そんな状態で、レミリアが咲夜とマグナの戦いを望んでいないと聞かされたら……」

「……拒絶してるみたいに聞こえる?」

「なんなら、『アナタじゃ勝てない』って言ってるようにすら聞こえるかも」

 

 私の立てた予想に、ヴァルゴは小さなため息を漏らした。地上の民の面倒くささに呆れ返って、ものも言えないのかもしれない。

 

「他人の主従関係に亀裂を走らせないために、自分が犠牲になろうってわけね……」

 

 あ、違う。呆れられているのは私のほうだった。

 なんかもう色々諦めた感じの目でこちらを見つめるヴァルゴに、私は引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。

 

「でも、保険のかけかたは上手だったと思うよ」

 

 そんな私に、ジェミニが助け舟を出す。

 

「どういうこと?」

「すぐに分かるよ、ヴァルゴ。ことが済んで、皆が落ちつきを取り戻した頃、十六夜咲夜もそのことに気がつくだろうさ」

「う、うーん……?」

「簡単な話、鈴仙も咲夜との関係を終わらせるつもりはないってことさ」

 

 だから、キミが心配するようなことは起こらないよ。イマイチ意味が分かっていない様子のヴァルゴに、ジェミニはそう笑いかけた。

 私は、そんな予想もしていなかったジェミニのフォローに若干困惑しつつも、アクエリアスに目線を送る。バトルのお礼がしたかったのだ。

 

「アクエリアス、バトルありがとね。すごく強かったわ」

「勿体ないお言葉で御座います。わたくしはただ、優曇華院様の指示に従っただけ。わたくしを強かったと思うのなら、それは使用者であるアナタ自身が強かったのですよ」

「そ、そんなことはないと思うけど……」

 

 顔が熱くなって、思わず頬を掻いた。褒められることにはやはり耐性がない。

 

「……ときに、優曇華院様」

 

 ふと、アクエリアスが立ち止まったので、私も立ち止まる。ジェミニとヴァルゴは気づいていないようで、ふたりとの距離が離れていくのが分かった。

 

「どうしたの?」

 

 私は眉を上げて問いかけた。ヴァルゴたちとの距離がどんどん離れていく。焦るような距離ではないが、なんとなく、離ればなれになるのは良くなさそうだと感じていた。

 アクエリアスは黙って俯いていたけれど、すぐに顔を上げてこちらに歩み寄ると、急に片方の膝を折って、私に跪いた。どうしたのかと困惑する私に、彼は顔を上げた。

 

「突然申し訳ございません。ふと、まだアナタ様に、忠誠の誓いをしていなかったことを思い出しまして」

「あ、ああ! アクエリアス、騎士だもんね。やっぱりそういうのがあるの?」

「……はい」

 

 緊張して損した。と私は息をついた。

 って言うか私、主とかの器ではないし。そういうのは別にいいのだけれど……。と言いかけたときにはもう、アクエリアスは私の左手を握っていた。なにするつもりだろう?

 あれ、そう言えば忠誠の誓いってなにをするんだろう? 永遠亭の主従はかなりフランクなものだからよく分からないや。まあでもそんな特別なことしないよね。ん? どうして手を顔の高さまで持ち上げるの? その覚悟の決まった目はなに? いやでも違うなんかそれらしい言葉を並べて誓いとする的な感じなんだろうな忠誠は命がけだからそりゃ真剣な目にもなりますよってだけれどああダメ待ってやっぱ緊張して……。

 

「──レオ様には、黙っていて頂けますか?」

 

 次の瞬間、アクエリアスの艶やかな唇が、私の手の甲に触れていた。

 

「ひゅっ」

 

 ……完全に声を失った。なんか顔が熱いのだけれど、なにこれ。唇や頬ではないにせよ、殿方からそういうのを受け取るのは初めてのことだから仕方ないよね?

 こともなげに立ち上がった彼と、自身の手の甲を交互に見回す。えっと、手の甲へのキスってどんな意味があるんだっけ?

 呆然とする私に、アクエリアスは意地悪な笑みを浮かべて見せた。

 

「手の甲への口づけは、尊敬の証でございます。再三申し上げていることですが、優曇華院様の優しき御心を、わたくしは心から尊敬しておりますよ」

「そ、尊敬……」

 

 肩がストンと落ちた。

 安心したような、ガックリ来たような感じだ。だから忠誠の誓いだって言ってるのに、私は一体なにを考えているのだろうか。

 

「おーい、ふたりともなにしてるの? 置いてくわよー」

 

 私たちが付いてきていないことに気が付いたらしく、すこし離れた位置から、ヴァルゴが大きく手を振ってきた。隣にいるジェミニは、早くもなにかを察したような顔で眉を上げている。勘弁してくれ。

 

「ええ、すぐに! ……では参りましょうか。優曇華院様」

「え、あ、ああ。うん」

 

 まだ柔らかい感触の残る手を見つめてから、私はアクエリアスのあとに続いた。彼の言葉通り、これは忠誠の証に過ぎない。と何度も自分に言い聞かせながら。

 

「優曇華院様」

「……なに?」

「手の甲への口づけには、尊敬以外にもいくつかの意味があることをご存知ですか?」

「……そうなの?」

「ええ。……例えば、独占欲とかね」

「どっ……⁉」

 

 変な声が出た。目玉が飛び出そうなほど目を見開く私に、彼はまた、あの意地悪な笑みを浮かべて見せる。いや独占欲て。それはつまりそういうことなのか。

 出てくれない声の代わりに、目で訴える。彼は言った。

 

「お返事は結構。アナタ様は、あのレオ様がお気に召した御方ですからね。わたくしが出しゃばるのは畏れおおい話です」

「じゃ、じゃあ、なんでこんな……」

「譲れないと思うものがあるのなら、それを選んでみろ。なんて、ご立派に説教をしたものですから、わたくしもそうしておかないと面目が立たないかと思いまして」

「あの、あの、つまり、アクエリアスは、その、私のこと……」

 

 頬を真っ赤にして問いかける私に、彼は口元で指を立てた。

 

「ですから、申し上げた通りですよ。〝レオ様にはどうかご内密に〟とね」

 

 

 

 

「……じゃあ、僕も譲ることにするよ」

 

 従者の話を聞いたあと、僕はそう答えた。

 

「よろしいのですか? アナタ様がわたくしを真似る理由はないのですよ」

「いいや、これは必要なことだよ。僕はキミのあとを継ぐものだからね。この世界の誰よりも謙虚で素晴らしい従者であるキミを、生涯をかけてリスペクトし続けるつもりだ」

「……なんということだ」

 

 彼は驚愕した面持ちでかぶりを振った。何事にも動じない彼のこんな顔が見られたのだから、僕の決断も無駄じゃなかったなと確信できた。

 

「本当に、よろしいのですね?」

「ああ、いいとも。これっきりヴァルゴのことは、ジェミニに(・・・・・)譲るよ」

「……美々しい覚悟で御座います。アクエリアス様(・・・・・・・)

 

 およよと涙をぬぐう彼に、僕は「よせやい」と笑いかけた。

 

「なんだよこれくらいで。ホロロ・ギウムって案外涙もろいんだね」

「わたくしは従者でございますので、主上の御心を尊重させて頂きます。ですが、これまで承ってきたお言葉の中で、これほど嬉しいものはなかった」

「そりゃどうも。僕も頑張るからさ……」

「ですが」

 

 突然、彼の口調が強くなったので、僕はピシャリと口を閉じた。

 彼は鋭く真剣な目つきで、言葉を続ける。

 

「わたくしのあとを継いで、13星座の従者となるおつもりでしたら、もっと優雅な立ち振る舞いを心掛けて頂かねばなりませんね」

「うぐっ」

 

 彼の言葉は正拳突きの如く、僕の腹に深々と突き刺さった。確かに、今の僕は優雅さとは縁遠い存在だ。お気に入りのバイカージャケットは基本前開きにしているし、彼に話を聞いてもらっていた今までの時間も、ずっと頬杖をついて過ごしていた。

 狼狽える僕を見て、彼はたまらなく愉快そうに笑う。

 

「冗談で御座いますよ。ただ、なんとなくそれっぽい言葉遣いと、それらしい礼儀作法みたいなのをしておけばいいのです。あとは雰囲気で誤魔化せますよ」

「ぬぬぬ……。もしかして、キミもよく分かってない?」

「もちろん。ただし、これだけは肝に銘じてくださいませ。……相手を不快な気持ちにさせぬこと。それが、優雅というものだと」

「……ふぅむ」

 

 僕が静かに頷くと、彼はニコリと微笑んだ。

 彼の温和な人柄には、僕だけでなく、他の星座神全員が救われてきた。そもそも、絶望的に仲の悪かった僕たちが上手く纏まることが出来たのも、彼がみんなの間に立ち、緩衝材のような役割を果たしてくれたからに他ならない。

 

「ため息など吐いて、どうなさいました」

「……え?」

 

 言われて気がついて、目を見開いた。

 完全に無意識だった。ふと思うことがあって、僕はため息を吐いていたらしい。なんて返事をしたものかとたじろいでいると、彼はわざとらしく「あー」とニヤけた。

 

「ヴァルゴ様を譲ったこと、早速後悔しておりますね?」

「してないよ! これからは従者として、あのふたりの恋路を応援するつもりさ」

「だと良いのですが。……まっ、次に誰かを好きになることがあれば、戦うことを推奨しますよ。正直、どうしても譲れないと思うことがあるなら、その声に従うべきです」

「だーから違うってば! 僕はただ……!」

 

 そこで言葉が途切れる。どうしても、この先が口に出来なかった。僕は顔を伏せて黙り込むばかりだ。

 しばらくの沈黙ののち、彼は静かに口を開いた。

 

「そうですねえ……。わたくしは、大半のスピリットが数年か数十年で生を終える中で、畏れ多くも千年近く、皆様の御側に置いて頂きました。ですので、そろそろお暇せねばと思っているのですよ」

 

 どうやら気付かれたらしい。僕は大粒のツバを飲み込んだ。

 

「……本当に、ピオーズの術を受け取るつもりはないのかい? 寿命を延ばすことが法に触れると思っているなら大丈夫だ。父様のお許しが出ている。母様はまだ渋ってるけど、あの調子なら父様がすぐに言いくるめてくれるだろうし」

 

 そうだ。無限に等しい寿命を持つ僕たちとは違い、彼の寿命は精々千年程度。そこいらのスピリットと比べれば凄まじい長寿だが、僕らに言わせればあまりに短い。

 祈るように問いかける僕に、彼は首を振った。

 

「ええ。もう十分に長生きしましたし、それに……」

 

 彼は遠くを見つめるような目になり、酷く辛そうな表情を見せる。

 

「このまま生きていると、なにか、良くないことをしてしまう気がするのです」

「良くないこと……?」

「ええ。……もしかしたら、既にしているのかもしれませんが」

「なに言ってるんだ。キミがこれまでに、何かミスをしたことがあったかい?」

「一度。躓いたところをデスピアズ様に受け止めて頂きました」

「ただの凡ミスじゃないか!」

 

 そんなことを気にするなんて、どれだけ完璧主義なんだこの従者。呆れ顔の僕を見て、彼はフフフと笑った。

 

「とにかく、そういうことで御座いますよ。寿命がくれば、わたくしはそれを受け入れて生を全うします。このような老いぼれがジタバタと生き長らえるのは、優雅とは言えませんからね。そこんところは譲れません」

「僕より歳下だろ、キミ」

「皆様は肉体が成長しないのですから、わたくしが歳上と言ってもいいのでは?」

 

 しばらくの間、彼は愉快そうに笑っていたが、やがて静かに席を立った。次の仕事があるそうだ。彼の仕事は13星座全員のサポート。その業務内容は多岐にわたる。

 

「後日、紳士としての作法をレクチャーして差し上げますよ。アクエリアス様」

 

 彼はそう言い残して、部屋を出ていった。

 ひとり残された僕は、ハーブティーを喉に流し込んで考える。

 彼の心配する「良くないこと」とは、一体何だったのだろう。剽軽なようで多くを語らない彼の心理には謎が多い。

 

 まあでも、そんなミステリアスなところが魅力的なのだけれど。

 

 僕も席を立つと、彼の部屋をあとにした。あと数年であの部屋の主がいなくなり、僕が憧れたその名を呼ぶものがいなくなるとしても、なにも恐れることはない。

 

「なってみせるよ、ホロロ・ギウム。僕は、キミのような素晴らしい従者になる。たとえキミが心配するようなことが本当に起こったとしても、僕が皆を支えるから」

 

 この想いだけは、未来永劫、絶対誰にも譲らない。

 

 

  続

 




 末尾まで読んでくださりありがとうございます。
 この場を借りてひとつ、皆様に謝罪しなければならないことがあります。
 次回の投稿ですが、私の都合で少々お時間を頂くことになってしまいました。投稿日は年内を目標としておりますが、今のところ未定と言わざるを得ません。
 ただ、必ず投稿しますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
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