最近夢枕獏先生の「餓狼伝」を読んでるので、その影響が随所に……
「楽しませてよね……おばさん!」
防御の構えを取るオリビアに向かい、アンズが一直線に突っ込んでくる。その時だった。
「ちょっと待ったぁ!」
「……お姉さん?」
「スカシユリじゃないか。そう言えばお前もこの娘と一悶着あったらしいな」
「その通り……その借りを返しに来たのだ」
拳を固く握るスカシユリ。アンズもにやりと笑ってそれに応じようとした。しかし攻撃は思いもよらない所から飛んできた。
「はぁっ!」
蹴りだ。オリビアの長い足が弧を描きながらアンズの顔面を襲った。
(ふ、不意打ち!?)
蹴りが当たったアンズは後ろへ吹き飛び、仰向けに倒れた。
「た、大佐……中々粋なことをするんだな」
苦笑いするスカシユリに対し、オリビアの表情には未だ険しさが残っていた。
「……立ちたまえ。大したダメージは受けていないだろう?」
「えへ♡」
軽々と立ち上がるアンズにスカシユリは驚愕していた。
「攻撃が当たる時に首を同じ方向に回し、ダメージを軽減していたのか」
「し、しかし! さっきの攻撃はこの私でやっと反応出来る速さだったんだぞ! 避けられるはずが……」
「殺気」
アンズがポツリと漏らす。
「アタシは他人から向けられる感情に敏感なの。怒り、憎しみ、哀れみ、欲情、そして殺気」
「私の殺気を感知し、攻撃を予測していたと言うことか」
「そうよ。だからアタシに攻撃は当たらない。絶対にね」
「はっ!」
右ストレート、ローキック、タックル。全てが最低限の動きでかわされてしまう。
(信じられない……いくら攻撃が読めるからって、大佐のあのとんでもないスピードをかわせるなんて……)
実際、感覚だけで避けられるはずが無い。そこにアンズの身体能力の高さと、実戦経験の豊富さが表れていた。
「もう諦めれば? おばさん」
「諦めるわけにはいかないんだよ……私は花騎士の上司だからな。彼女達の見本にならねばならない」
「そう言うの、ホントにウザい!」
アンズはオリビアの右拳を避けると、その腕を掴み、柔術を使ってオリビアを地面に倒した。
「どんな立派なこと言っても、腕が折れたら諦めるしかないでしょ? こんな風に!」
アンズは自分の太ももでオリビアの腕を挟み、そのまま身体を反らせていく。柔道の技、腕挫十字固だ。
小さき者が大きな相手に対抗する術が武術ならば、身長170cm超のオリビアに、140cmそこそこのアンズが優勢に立っている。これこそ正に武術だった。
「ほらほら、折れるわよ~♪ みっともなく泣き叫んじゃえ♡」
「大佐っ!」
駆け寄ろうとするスカシユリ。だが、
「来るなっ、スカシユリ!」
「し、しかし……」
「これは一対一の勝負だ。もし助太刀を許したら、偉そうにぶら下げている大佐という肩書きが泣くだろう?」
「はんっ! 何格好付けてんの? もう少し体重を掛けたら、あんたの腕はお陀仏になるのよ」
やがて「バキッ」と鈍い音がした。人間が生理的に嫌悪する音に、スカシユリも思わず耳を塞いでしまった。
「はい折れた~♪ 折れちゃいました~♪」
アンズが飛び退くと、オリビアの右腕はぷらんと曲がってはいけない方向に曲がっていた。関節が外されてしまったのだ。
「ねぇ、まだやる? その腕でもまだやるの、おばさん?」
アンズの挑発的な視線がオリビアに注がれる。だがオリビアは未だ冷静な表情を保ったままだった。
「あぁ。まだ腕が一本折れただけだ。まだ戦える」
「……」
アンズの顔がみるみる内に険しくなっていく。
「それじゃあ左腕も折ってやるわよ! はぁぁっ!」
突撃してくるアンズに対してオリビアは左のストレートパンチを放つ。アンズはそれを軽く避け、自分の攻撃に移ろうとする。しかし次の瞬間、思いもよらない攻撃がアンズを襲った。
「がっ……!」
(アッパー!? でもさっきパンチを避けて……っ!?)
右だ。折れた右腕がアンズの顎に直撃していた。
「ご……がぁ……!」
痛みにのけぞるアンズ。オリビアはその隙を逃さない。
(右ストレート!? だが右腕は折れているんだぞ!)
オリビアの右拳がアンズの頬に当たる。同時にオリビアが気合いを入れると、外れた関節は接着。そして、
「ごぁぁっ!!」
アンズの小さな身体は、スクリューのように回転しながら数十m後方へ吹き飛ばされた。宙に血しぶきが舞っていく。
「が……がはぁ……」
アンズは四つん這いになりながら血を吐き続ける。その中に白く硬い物が混じっている。歯だ。口の中がズタズタになって歯も折れてしまったのだろう。
「な、何なのよあんた……外れた関節を戻しながら寸勁とか、化け物じゃないの……?」
寸頸。普通のパンチとは違い、テイクバック無しで全体重を乗せたパンチを放つ、空手の高等技術だ。
「まだやるかね?」
今度はオリビアが尋ねる。その問いにアンズは顔を真っ赤に染め上げた。
「許さない……あんたも騎士団長も花騎士も、今度会ったら全員ぶっ倒してやるんだから!」
その捨て台詞を吐いて背を向ける。
「待てっ!」
追おうとするスカシユリを、オリビアが手で制した。
「止めておけ、スカシユリ。今のままでは彼女に勝てない。それに私ももう限界だ……」
膝を付くオリビア。スカシユリは慌ててその身体を支えた。
「大丈夫か、大佐っ!」
「死ぬ程痛い……だが骨を断たせて肉を斬らなければ勝てなかったのも事実だ」
「スカシユリよ、奴に勝ちたいか?」
「……勝ちたい! ヒーローとして、花騎士として!」
「そうか。ならば私が特訓をしてやろう。付いてこい!」
「了解したっ!」
南に昇り始めた太陽を浴び、二人は駆け出すのだった。
一方その頃。
「ガルルル……」
ここはリリィウッドの昼なお暗き森の中。たくさんの生物が暮らすこの森を、ある大型の肉食獣が闊歩していた。
羆。体長2mは優に超え、体重500kgに到達する個体も居ると言われる、最大最強クラスの哺乳類。その筋力は勿論、鋭い爪や牙、巨体に似合わぬスピード等、この森で敵う生物はいないのではないかと言われる程、圧倒的なスペックを誇る。
では羆がこの森の食物連鎖の頂点なのか。答えは否である。何故なら───
「おっ、今日の夕飯見っけ、なのね」
「ガル!?」
羆の前に立ったのは黄色い熊の着ぐるみを着た少女、ハニーだった。
「ガ……!」
彼女を見た途端、羆は背を向けて全力で走り始めた。野生の勘が生命の危機を告げている。あの羆が、身長140cmにも満たない少女を恐れているのだ。
全力疾走する羆。そのスピードは時速60kmに到達する。当然人間が追い付けるようなスピードではないが……
「待つのね。ハニーはお腹が空いてるのね」
「ガ!?」
いつの間にかハニーは羆と並走していた。しかも汗一つかかない余裕の表情で。
「ガ……ガァァ!」
逃げられないことを悟った羆は攻撃に転じた。
「窮鼠猫を嚙む……なのね?」
その太い腕が、鋭い爪がハニーの頭上に振り下ろされる。しかし、
「よっ!」
ハニーは片手でそれを悠々と受け止め、返しのストレートパンチを羆の腹に叩き込んだ。うつ伏せに倒れようとする羆を担ぎ、ハニーは自分のねぐらへ帰っていくのだった。
折り重なった木々の間から満天の星空が覗く。夜の森は鳥や獣の声が時折聞こえるだけで、都会の喧騒とはまるで違った美しい静寂さを持っている。そんな森の中で、
「はぐ……んぐ……」
少女の咀嚼音が響いていた。
ねぐらにしている洞窟の前で、ハニーは遅めの夕食を摂っていた。その傍らには、彼女のウエストくらいありそうな太い骨がいくつも積み重なっている。
「中々ジューシーで美味なのね」
ハニーは羆を食していた。しかも生で。
「ふぅ~……」
羆一頭をペロリと平らげ、ハニーはその場に横になった。星空を見上げ、ウトウトしながら考えるのは花騎士達のこと。
「まずはどのお姉さんから頂こうかな……楽しみなのね」
やがて眠りに就いてしまう。こうやって堂々と眠れるのは、天敵のいない強者のみに許される特権なのだ。
「むにゃ……ん?」
朝日が顔に当たって、ハニーは目を覚ました。しかし何か違和感がある。眠い眼を擦って見上げると、そこにはポニーテールの少女が立っていた。
「おはようございます、ハニーさん」
花騎士のサントリナだった。
「おはようなのね」
ハニーはのっそりと起き上がった。その眼はまっすぐサントリナを見つめる。
「嬉しいのね……まさか獲物の方から来てくれるなんて」
そう言って舌舐めずりをする。しかしサントリナの表情は変わることはない。
「今日は戦いに来たんじゃありません。これを渡しに来たんです」
サントリナが手渡したのは一枚の紙切れ。ハニーは不思議そうな顔でその紙に目を通す。
「新春庭プロレス、リリィウッド大会……プロレス!?」
そう。それはプロレスのチケットだった。
「来てくださいね?」
「待つのね! 何でこんな時にプロレスなのね!? 意図が分からないのね! 怖いのね!」
「来れば分かります」
「待っ……ん?」
そこでハニーはあることに気が付いた。
「お姉さん……随分鍛えたのね」
太くなっている。腕も脚も、腹も首も。太ったのではない。筋肉が付いたのだ。
「この一ヶ月で10kg増やしました。元々私は細すぎたので、これくらいがベスト体重なんです」
「……」
去って行くサントリナの背中を、ハニーは黙って見送った。そしてポツリとこう漏らすのだった。
「行ってみるのね……プロレス」
次回、プロレス編開始(唐突)
ここまで読んで頂き、ありがとうございました