あんまり長くやってもテンポが悪くなるので
しかし私自身はトレーニング風景の方が書いてて楽しかったり……
時は1ヶ月前に遡る。セクハラ六人衆の一人、熊の着ぐるみのハニーに負けたサントリナは、ある道場を訪ねていた。
「ほォ……」
無駄な物が一切置かれていない部屋で、一人の大柄な女が机の上で手を組んでサントリナを見つめていた。サントリナも緊張した面持ちで相対している。
「なるほど、理由は良く分かった。それで短期間入門させて欲しいわけか」
「はい。よろしくお願いします!」
サントリナの元気の良い返事に女も微笑みを浮かべる。
(やっぱりオーラが凄いな……本物のイノキさんは)
プロレスラー、ニャントニオ・イノキ。言わずと知れた春庭の大スターであり、ここ新春庭プロレスの社長でもある。
「しかしいきなり花騎士が訪ねてきた時は驚いたぜ」
「その節はすみませんでした」
「いいさ。花騎士が試合をするってことになれば、話題性も充分だろう。だが」
イノキはすっと立ち上がった。齢40を超えるとは思えない軽やかな動きだった。
「生半可な実力でプロレスをやったら怪我をするんでね……少し君の実力を見せて貰おうか、サントリナ君」
ゆっくりとサントリナへ近付くイノキ。身長190cm、体重100kgを超える巨体が、サントリナの前に立ち塞がった。
「……何をすればいいですか?」
「私と手四つで組んでくれないか」
右手と左手が、左手と右手が組まれていく。それだけでもイノキの人並外れた握力が感じられた。
「ふんっ!」
イノキが力を込める。後方へ押し込まれそうになるのを、サントリナは必死に堪えた。しかし、
「うわぁっ!」
今度は急に前へ力を入れられ、サントリナはバランスを崩してしまう。
「ダッシャァァァ!」
そこへすかさずエルボーを打ち込むイノキ。その肘はサントリナの頭上でピタリと止められた。
冷や汗をかくサントリナ、ニヤリと笑うイノキ。だがそのイノキの長い顎にも、サントリナの拳が寸止めされていた。
「ほォ……こりゃあ大物になるな! はっはっは!」
イノキはサントリナの背を叩くと、トレーニングルームへ共に向かうのだった。
(遂に来た……最強の格闘技、プロレスを学んで、私はハニーさんに勝つ……!)
最強の格闘技。空手、柔道、ボクシング、キック、ムエタイ、サンボ。あるいはMMA(総合格闘技)。人によって意見は異なるだろう。
そんな中、「プロレスこそ最強の格闘技」と提唱したのは、他でもないニャントニオ・イノキだった。
実際、彼女自身も多くの異種格闘家をリングのマットに沈めている。
トレーニングルームに入ると、サントリナは唖然としてしまった。ボロボロのボクシンググローブ、くたくたになったサンドバッグ、シャフトのすり減ったバーベル。白かったであろうリングのマットは、うっすらと血の色が滲んでいる。ここのトレーニングの厳しさが尋常でないことを表していた。
イノキが部屋に入ったと同時に、練習生達は横一列に並んだ。全員がサントリナよりも頭一個分は大きい。潰れた鼻やよじれた耳、丸太のように太い首。
(皆さん、強そうですね……)
「ナガオカ、花騎士のサントリナさんだ。コーチしてやれ」
「はいっ!」
ナガオカと呼ばれた女が前に出る。歳は40前半位、現役は引退している歳だろう。だが彼女が放つオーラは下手な現役選手よりも遥かに大きかった。
「言っておくが、うちの練習は半端じゃないぞ?」
ナガオカがニヤリと笑う。
「勿論。覚悟の上です」
その日から、サントリナの辛く厳しいトレーニングが始まった。
「3519……3520……はぁ……はぁ……」
「ほら、もっと腰を落として」
「うぇぇっ!?」
プロレスラーの基礎トレーニングと言えばヒンドゥースクワットだ。筋力は勿論、回数をこなすことでスタミナも鍛えられる。プロレスラーはこれを毎日何千回とこなし、リングで戦う体力をつけるのだ。
「5000! はぁ……はぁ……」
「よし、じゃあ次はベンチプレスだ」
「えぇっ!?」
更にプッシュアップ、クランチ、懸垂、デッドリフト等、ありとあらゆる筋肉をいじめ抜いた。プロレスラーの武器は己の身体のみだ。基盤となる筋肉が無ければ、リングに立つことすら出来ないのだ。
その晩。
「はぁ……はぁ……うぷ」
サントリナの前には肉や魚や野菜など、様々な食べ物が並ぶ。だが食欲は一向に沸かなかった。あれだけ激しい運動をしたのだ、当然だろう。
「強くなりたいのなら喰え。今のお前の身体じゃあプロレスは出来ん。もっと太らなければ」
「は、はい……」
「あのお嬢ちゃん……ハニーに勝ちたいんだろう?」
「……はい!」
サントリナは黙々と食し始めた。その様子を練習生達が見つめる。
「あの子凄いなぁ」
「あたし、初日は何も喰えなかったわ……」
「はぐ……んぐ……」
一般人三人分程度の食事を平らげ、最後にジョッキに注がれた生卵を一気に飲み込んだ。
「はぁ……はぁ……」
その夜、サントリナは泥のように眠ったのだった。
練習が始まってから一週間。
「へぇ……大したもんだな」
サントリナの身体は二回りも三回りも大きくなっていた。筋肉と脂肪が全身を纏い、プロレスラーらしい体型に近付いていると言える。
「どうですか? これならプロレス出来そうですか?」
「馬鹿言え。まだ受け身も教えてないんだぞ」
「受け身……?」
「あぁ。見ておけ」
ナガオカがそう言うと、練習生がロープの上に上がる。そして、
「えぇっ!」
バシーンと衝撃音が部屋中に響く。練習生がリングに背中から飛び落ちたのだった。
「プロレス技はガード出来ないからな。こうやってリングに叩き付けられることで打たれ強さを鍛えておくしかないんだ」
「プロレスラーって凄いんですね……」
「他の練習生はこれを一日50回やってるが、サントリナは初めてだし20回位でいいだろう」
「……いえ、私も50回やります」
サントリナの瞳に鋭いナイフのようなものが浮かぶ。あのハニーに勝つためには、妥協するわけにはいかないのだ。
「ぐぁっ!」
10回目が終わった頃だ。サントリナの練習用シャツに血が滲んでいた。背中を擦りむいてしまったのだ。
プロレスリングのマットは、マットとは呼ばれているが、実は硬い畳なのだ。プロレスラー達は観客が思っている以上の痛みを堪えながら戦っている。
「がっ……はぁ……」
25回。顔が青ざめ始める。背中はもう血まみれだった。
「おいおい、もう止めておけって」
コーチのナガオカも、練習生達もそう声を上げるが、サントリナは一向に止める気配が無かった。
(プロレスラーの打たれ強さが無いと、ハニーさんに勝てるわけがない。そのためなら……)
「ぐぅっ!」
(このくらいの苦しみは耐えてみせる……!)
「既にプロだな、あの子は……」
50回の受け身を終えると、サントリナは拍手で迎えられた。練習生達が彼女の頑張りに感動していたのだ。
サントリナは彼女達に笑顔を返すが、身体はバッタリと倒れ込んでしまう。そんな彼女を支え医務室に運んだのは、カジと言う中堅のプロレスラーだった。
「凄いな、あんた……」
「えへへ……」
「おりゃあ!」
基礎体力、受け身と来て、ようやく技術的なトレーニングが始まった。気合充分のサントリナを相手にするのは、中堅のカジ。元からの身体能力もあってか、若手ではサントリナの相手にならないのだった。
カジは所謂前座のレスラーである。10代の頃はアマレスのウィンターローズ代表に選ばれる程の選手だったが、プロレスのリングに上がって早10年、今一歩花開かない。プロとはそれだけ厳しい世界なのだ。
しかし前座とは言え、
「うわっ!?」
サントリナが軽々とロープまで投げられてしまう。力だけではない。組み方、軸の捉え方、力の入れ方。プロレスラーが相手をロープに飛ばすのは、柔術に近いテクニックによるものだった。そのテクニックにおいては、現役花騎士のサントリナも中堅レスラーに劣ると言う他ない。
「はぁ……はぁ……ありがとうございました!」
結局、投げられるだけでその日のトレーニングは終了した。
「カジさん、今度は関節技を教えて貰えませんか」
「随分と熱心だな」
「勝ちたい人がいるんです。勝って、救いたい人が……」
「救う?」
サントリナの瞳が遠くを見つめる。
「何て言ったらいいか分かりませんが……寂しそうなんですよ、彼女……」
「そうか……」
それっきりカジは黙ってしまった。寡黙な女だ、必要以上のことは話さない。だが心の中ではサントリナを思い、力になろうと決心しているのだった。
そして一ヶ月が経った。
「おぉい! 聞いてくれ~!」
サントリナ達がトレーニングをしていると、若手の練習生が興奮した様子で入ってきた。
「どうしたんですか?」
「サントリナのプロデビューが決まったんだ!」
「おぉ!」「やったな、サントリナ」「で、相手は?」
練習生達は途端に盛り上がった。それを見て微笑むサントリナ。彼女の人柄もあってか、この短期間ですっかり馴染んでいるのだった。
「何と……異例のタッグマッチでデビュー戦だ!」
「何ですって! それで、私は誰とタッグを組むんですか?」
「カジさんだよ」
その時、丁度そのカジが部屋に入ってきた。
「サントリナ、見せてやろう。勝とうが負けようが、サントリナと言う女を、観客達の目に刻み込んでやろう」
「……はい!」
熱気と興奮の中、サントリナのトレーニングは更に厳しさを増していくのだった。
次回、サントリナちゃんデビュー戦、そしてハニーにも動きが……!
ここまで読んで頂き、ありがとうございました