そう言えば最近、主人公が全く出てこないような……
リリィウッド武道館。収容人数5千人を超える会場は、血に飢えた観客でいっぱいになった。今日はこの場所で、イノキ率いる新春庭プロレスの興業があるのだ。
「今日のイノキVSバンゼン楽しみだな~」
「前座で花騎士が試合やるらしいぜ」
「マジ? でも花騎士って言ってもリングじゃ素人だろ。プロには勝てねぇって」
そんな噂話の中、一際目を引く少女が歩いていた。130cmそこそこの小さな身体に、熊の着ぐるみ。幼女にも見える彼女の名はハニー。サントリナと敵対しているセクハラーだ。
ハニーは熱気に包まれた会場の、下の方の席に座り、大きなため息をついた。
(煩いところは苦手なのね……)
もう帰ろうかとウンザリしていると、マイクを持った背広の女がリングの中央に立った。スポットライトが彼女に当たる。
「レディース&レディース……本日は良くぞお越し下さいました。本日のメーンエベントはイノキVSバンゼン、SWA(春庭・レスリング・アライアンス)ヘビー級タイトルマッチとなっております!」
「うぉぉぉ!!」
その歓声にハニーは耳を塞ぐ。元より彼女はプロレスのようなショービジネスには興味が無い。イノキが勝とうが負けようがどうだって良いのだ。だが一人、気になる人物がいる。
「お姉さん……」
前説もそこそこに最初の試合が始まった。まるで歌舞伎役者のような白いメイクをした女と、悪魔のような仮面を付けた巨体の女が戦う。
二人は大袈裟にロープに飛んだり投げられたり、関節技でやはり大袈裟な声を出したりしていた。その様子を見ながら、ハニーは「ふぁ……」と大きな欠伸をした。
(全然リアルじゃないのね……観客はこんなのが楽しいのね……?)
日頃から羆を殺したりして食物連鎖の中に生きているハニーにとって、プロレスなど所詮お遊びにしか見えなかった。
最後に白化粧が仮面をジャーマンスープレックスで倒し、その試合は終わりを告げた。
(台本なのね。下らないのね)
そして次の試合が始まる。次はタッグマッチ、出場するのは……
「新春庭プロレス所属、カジ&サントリナーーー!」
「っ!? お姉さん!」
サントリナはロープを掴んで屈伸運動をする。そして本日の相手と向かい合った。
「相手はバナナオーシャン出身の新人、アンドリューとブロックのタッグ。どちらも身長2mを超える巨体だ」
試合前、カジから言われたことを思い出す。今リングに上がっているアンドリューは身長220cm、体重150kgを超える巨人。後ろに控えるブロックは、アンドリューよりは小さいが、それでも身長200cm、体重130kgは下らないだろう。
(体重差二倍以上……ですか)
サントリナはごくりと唾を飲んで、拳をギュッと握った。
「おいおい、流石にこの体重差は危ないだろ。こんなのプロレスとして成立しねぇよ」
ハニーの隣に座っている中年女性が不満げに呟く。
「じゃあ何なのね? 熊に襲われた鹿が、『俺はお前より体重が軽いから見逃してくれ』とでも言うのね? それで熊は見逃してくれるのね?」
「いや……それは……」
女性はそれきり黙ってしまった。
(体重差二倍、どう戦うか見せて貰うのね、お姉さん)
そして遂に試合開始を告げるゴングが鳴り響いた。
「うっしゃぁ!」
アンドリュー目掛けてドロップキックを放つサントリナ。しかし、
「ぐっ……!」
アンドリューは片手をペシンと振り払った。それだけでドロップキックが防がれてしまった。
「こ、これが二倍の体重差……」
「サントリナ! 大技を狙うな! 小回りを利かせて行け!」
リングサイドのカジが忠告する。サントリナも頷いた。
「よし! って、うわぁ!」
いつの間にかアンドリューの大きな手がサントリナの目の前に迫って来ていた。何とかかわし、ロープ際へ逃げる。
巨体だけにスピードはそう速くはないのだが、これだけ身長があるとリーチも異様に長いのだ。
「相手を良く見るんだ! 必ず隙がある!」
(隙……)
アンドリューをじっと見つめるサントリナ。迫り来る巨体を冷静に観察していく。
「……そこ!」
「ぐぅ!」
パンチを避け、ローキックをアンドリューの膝に放った。悶絶するアンドリュー。
(あのデカい身体を乗せてるんだから、膝に負担が掛からないはずないのね)
「こ、このガキャァ!」
「止めろアンドリュー! 熱くなるな!」
ブロックが止めるが、アンドリューはお構い無しに突っ込んでいく。そんな彼女に、
「ダッシャァ!」
サントリナのエルボーが脳天に直撃した。
「ご……おぉ……」
「よし、サントリナ。タッチだ」
「お願いします、カジさん!」
カジがリングに上がるとアンドリューはのっそりと起き上がる。
「随分とタフだな」
「ふ、ふん……あんなチビの攻撃なんか効いてねぇよ」
だがそれは強がりでしかなかった。アンドリューの視界はぐらりと揺れている。そこへ、
「はっ!」
カジのタックルが襲い掛かった。
「ぐっ……!」
自分よりも50kg以上軽いカジに押し倒されてしまう。軸足を取られてしまったのだ。
「抑え込みだぁ~!」
観客がワッと沸き上がる。カジがアンドリューの両肩を抑え、ピンフォールのカウントが始まった。
「こ、このまま負けてたまるか!」
「乱入だぁ~!」
相方のブロックがリングに飛び込んできた。勿論反則だ。だがレフェリーはカジとアンドリューの方を見ているので、反則には気付いていない。プロレスは、レフェリーが気付かなければ反則にならないのだ。
「だっしゃぁ!」
「ごぁっ!!」
ブロックの乱入を読んでいたのか、サントリナは横からドロップキックを彼女の顔面に直撃させた。そしてふらつく彼女を、
「ふんっ!」
「ジャーマンスープレックス!」
「お姉さん……容赦ないのね……」
そうこうしている内にピンフォールのスリーカウントも終わり、ゴングが鳴り響いた。こうしてサントリナの華々しいデビュー戦は終わりを告げたのだ。
「ありがとうございま~す!」
観客に向かって手を振るサントリナ。その視線がハニーのものと重なった時、サントリナはにっこりと笑みを浮かべた。優しいようで、どこか含みのある笑顔だった。
「お姉さんはずるいのね……こんなの見せられて、ハニーが我慢できるわけないのね」
のっそりと立ち上がる黄色い熊。その一匹の獣は、まばゆい光に誘われるように、リングに向かって歩いていった。
『さて、大変長らくお待たせ致しました。これよりメーンエベント、ニャントニオ・イノキVSスダン・バンゼン、SWAヘビー級タイトルマッチを行います』
観客はその日一番の盛り上りを見せる。
「やっぱイノキだろ。春庭にアイツに勝てる奴なんていねぇよ」
「でもよぉ、バンゼンのラリアットを喰らったら、流石のイノキも危ないんじゃないか?」
イノキだ、バンゼンだ。観客達は口々に囃し立てる。そんな中、赤コーナーから現チャンピオン、ニャントニオ・イノキが現れた。
「イ・ノ・キ! イ・ノ・キ!」
割れんばかりの歓声を浴び、燃える闘魂はその巨体をロープに潜らせた。
「ウッシャァ!」
右拳を大きく掲げるイノキ。観客も応えるように声援を送った。
『青コーナー……スダン・バンゼン!』
カウボーイハットを被った巨体の女がゆっくりと歩いてくる。しかしそこへ、
「獣の臭いがするのね……ハニーの好きな臭いなのね」
バンゼンなど眼中にないとでも言うように、ハニーがリングへ近付いていた。
「おいおいお嬢ちゃん、お母さんとはぐれちまったのかい?」
「……っ!!」
バンゼンは飽くまで迷子としてハニーに接した。だが『お母さん』という言葉がハニーの逆鱗に触れてしまった。
「……手四つなのね」
ハニーがバンゼンに一歩近付く。
「?」
「ハニーが組んでやるって言ってるのね! 早くするのね、デクノボウ!」
「……こいつは教育が必要だな」
バンゼンがハニーをつまみ出そうと、彼女が差し出した手を取ったその時、
「がぁぁぁぁ!」
武道館中に響く悲鳴が聞こえた。その悲鳴がバンゼンのものだとすぐに気付いた者はいなかった。
「うぁ……あぁ!」
「おい……嘘だろ……」
バンゼンの五本の指は全て折れ曲がっていた。ハニーが握力のみでへし折ったのだ。
バンゼンは小便を漏らしながらその場に跪く。それも束の間、バンゼンの身体は宙を舞っていた。
「ラリアット……見よう見まねでやってみたのね」
虫の息となったバンゼンに会場はざわつく。
「ハニーさんっ!」
ハニーの前にサントリナが立ちはだかった。
「お姉さん、闘いに来たのね。早く
「何てことを……」
サントリナは倒れているバンゼンを見て、拳を震わせた。そんな彼女の肩を叩き、前に出たのはイノキだった。
「強いな、お嬢ちゃん……次は私と
「ハニーはサントリナお姉さんと
「なるほど……それならプロレスのリングで決着を付けようじゃないか。今度の興行でスペシャルマッチを組んでやる」
「いいのね? ハニー、台本通りの闘いは出来ないのね」
その言葉に会場の空気は凍り付いた。台本、その言葉はプロレスラーには絶対に言ってはならない言葉だった。
「台本? どういう意味だい、そりゃあ……」
「『八百長』って言った方が分かりやすいのね?」
「……」
イノキの周りにどんよりと重い威圧感が放たれる。常人ならば目を合わせることもままならないだろう。だがハニーはイノキを睨み付けている。一触即発かと思われたその時、
「はっはっはっ! いやぁ、中々面白い嬢ちゃんだ!」
イノキがハニーの肩をトンと掴んだ。
「心配するな。ちゃんと
肩を掴む手に力が入っていく。
「闘いが終わる頃には、二度とプロレスを馬鹿に出来なくなるぜ?」
「……望むところなのね」
「サントリナも異論は無いな?」
「ハニーさんとプロのリングで……願ってもないことです」
「よし、じゃあ決まりだ! 一週間後、サントリナとハニーのスペシャルマッチを行う!」
イノキが両者の腕を持ち上げると、先程まで凍り付いていた会場の空気が一変した。サントリナは恥ずかしそうに手を振り、ハニーは興味無さそうにじっとりとした目で会場を見回していた。
こうして、二人の因縁の対決が決定したのだった。
森に帰ると、ハニーは着ぐるみを脱いだ。年相応の華奢な白い肌が森の闇に浮かび上がる。しかしその肩に、
「っつ~……!」
青アザが出来ていた。丁度イノキに掴まれていた部分だ。
「プロレス……侮れないのね……」
決戦は一週間後だ。
次回より本筋、サントリナちゃんVSハニーが始まります
ここまで読んで頂き、ありがとうございました