Levi   作:asabuki

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Levi(後篇)

Levi(後篇)

 

 想い出すのも疎ましいが、そいつは確かに俺の方向性を固めてくれた。俺みたいな生まれの者に施されるには上等な教育だったといえる。掃きだめでも独りでも生き抜く技と力。

 街のやくざ者を返り討ちにして脅し返している俺を見て、そいつは帽子をかぶり直して何処かへ行ってしまった。訊きたいことがあったが、その時の俺はあまりにも子どもでそのことに想いあたらなかった。母親の傍で死にかけていた俺に飯をくわせ、短刀の使い方を仕込んでくれたあいつ。あいつは俺の母さんの何なんだ。

「男だろう。懇意の」と仲間は云ったが、なんとなくそうは想えなかった。母さんとその男がそんな仲なら、足しげく通ってきたはずのその男を

俺も覚えているだろうから。

「ここに居たのか」

「出て行って」

 老婆が誰かに厳しく云い返していた。そんな騒動が扉の向こうから聴こえた。俺は扉に耳をひっつけて外を窺った。鍵穴に眼をつけても何も見えない。納戸の中を見廻した。鍵を壊す何かがないか。

 剣の音がした。家まで揺れるような音を立てて、何人かこの家に押し入ってきたようだ。

 庭のほうからも足音がした。俺は反対側の壁にとんで行って、そこら辺に積まれている荷に足をかけて登り、納戸の上部にある横に細長い採光窓から庭側の外をのぞいた。

 一角獣。憲兵団のマントだ。

「畜生」

 どういうことだ。憲兵団が、慎ましく暮らしている無害な老婆の家に乱暴に押し入ってくることなど考えられない。ということはあいつらは偽物なのか。憲兵団のふりをした強盗団か。それとも俺が此処にいるからか。

 迷いは一瞬にして消えた。婆さんが襲われている気配がしたからだ。何かが納戸の外で起こっている。

 痩せているちびで良かったとは口が裂けてもいいたくないが、その頃の俺は今よりももっと、ちびでガリだった。

 庭仕事に使う鋤で窓をぶち破った。何度か硝子を突いて大きな破片をとばすと、俺は突き刺す破片に構わず窓に開いた隙間を乗り越えて、外の庭に降りた。

「子ども」

 憲兵団が駈けてきた。剣を抜いていやがる。しかもそいつは女の兵士だった。

 一撃だぞ。おちび。

 忌々しいあいつの声がする。おちびなら尚更のこと初動が大切だと云っている。初弾でかましてしまえ、びびらせろ、相手が女ならな、まず顔を殴ることだ。いやいや俺だってやりたくはねえさ、さすがに女の顔を殴るなんざ外道が過ぎる。

だがな、命がかかっている時にはやるしかねえのよ。女と想って侮ると迷っているうちに殺られるからな。殴るのは顔だ。おちび。それで大抵の女は怯む。

「嘘つけよ、ケニー!」

 俺は恨みの声をあげた。顔を殴っても女はまったく動じず、猛然と殴り返してきたからだ。俺は軟弱な痴漢ではないし、女はど素人じゃない。こうなるのは当然といえた。

 とんぼ返りして俺は女兵士の剣を避けた。俺の二撃めも女は腕を立てて防いだ。

防いでおいて俺の腹を蹴ってきた。訓練されている。

 女兵士と俺のあいだには、先ほど俺が窓を破るのに使った鋤が落ちていた。女もそれに気づいていて鋤を取り上げようととびかかる。俺が早いか女が早いか。こいつは女だが人を殺めることに躊躇わない兵器だ。

 鋤に手をかけた。女兵士がその鋤の上に片足を乗せる。女の剣が俺の頭上で閃いた。俺は鋤から飛び退いた。

「この家にいるということは、お前を殺す理由になる」

 女兵士の声は鋼鉄のようだ。こいつは本物の憲兵団の軍人だ。婆さんがいる家の中からは凄い音がしていていて、どう聴いてもそれは剣と剣が絡み合う音だった。何が起こっているんだ。

 そういえば、婆さんがおかしなことを云っていた。

 この家に、人を匿うのは、あなたで二人目。

 俺を見る女兵士の眼がすわっていた。これが憲兵団なら、街の人たちが云うところのただ飯喰らいの調査兵団の腑抜け共とは確かに筋が違うようだ。

「わたしは命令に従う」

 相手が子どもでも容赦しない覚悟をこめて、女兵士は俺に向かってきた。

「憲兵団に入団する時にそう誓った。我らは街の治安を護る」

「俺たちが何をした」

 女兵士は応えなかった。剣が風を切る。女は笑った。

「なるほど小さくても力は十分というわけか。危険だな」

 女が笑ったのは俺が女の間合いに飛び込んで、女の腰帯にある短剣を奪ったからだ。奪ったと想った時には片腕で投げ飛ばされて、ひっくり返されていた。

 女は倒れた俺の身体に上から乗ってきた。身体の大きな女は苦手だ。埋もれるような気分になる。

 俺は多分、他の連中よりも強いのだろう。それを疑ったことはない。だが俺が今まで相手にしてきたのは所詮は街の愚連隊で、心身を極限まで

鍛え上げている本物の兵士と闘ったのはその時がはじめてだった。

「リヴァイ」

 家の中から婆さんが呼んでいた。助けを求めているのではない。なぜかそれは俺を励ましていた。俺の中の何かが婆さんに応えようとしている。俺は婆さんの声に俺自身を呼び起こしていた。未知の感覚。

「戦いなさい」婆さんがまた叫んだ。

 戦え。

 

 

 どうやって女兵士を斃したのか覚えていない。ともかく俺は女の剣を浴びることもなく勝ち残り、庭にひとりで立っていた。女から奪った短刀をふるったつもりだったが、絡み合っているうちにどうなったのか、俺が女を斃した武器は短刀ではなく庭から咄嗟に掴んで手にした石だったようだ。石は女兵士のこめかみを陥没させていた。

女兵士は死んではおらず、昏倒しているだけのようだった。

 俺は血のついた石を庭に捨てた。そこから近い裏口の戸が開いたままになっていた。俺は裏口から家に入った。

 今朝、丁寧に掃除したばかりの廊下に血を流して兵士が倒れていた。一人、そこにもまた一人。憲兵団が計三人。

 庭で倒した女兵士を合わせて五人でやってきた憲兵団の最後の一人を相手に、婆さんは台所で闘っていた。俺の足許には二つに折れた剣が転がっていた。

 静脈の浮き出た枯れ木のような細腕に料理で使う刃を握り、婆さんは男と対峙して、きらりと静かに眼を光らせていた。婆さんのその眼つきと

同じものを見たことがあった。跳びかかって獲物の鳥を捕まえる直前の猫の眸だ。

「おいおいおい」と俺の中のあいつが廊下を見て呆れていた。

「これ全部、婆さんがやっちまったのかよ」

「婆さん」

 眼にも止まらぬ速さというが、まさにそんな感じで婆さんの身体が沈み、兵士の剣を避けて兵士を襲い、跳び退ってはまたぶつかりあっていた。

絡み合う剣と刃。鋭い音がして火花が散った。加勢しようとした俺を婆さんが制した。

「呪われた一族め」

 長靴の音を激しく立てて老婆に襲い掛かりながら男の兵士が叫んだ。一角獣の徽章が翻った。

「王命により、始末する」

「リヴァイ、よく見ておきなさい」

 男よりも婆さんのほうが息が乱れていなかった。

「これが私たちアッカーマンの闘いです」

 巨人から怯えて暮らす呪われた人類の、さらに呪われたその血族。老婆にはあり得ないほどの力強い動きで婆さんの身体が男の兵士にぶつかっていく。男兵士も婆さんの身体へ体当たりしていった。男の剣を婆さんの刃が止めていた。婆さんと兵士の力が拮抗する。

 からからと音を立てて、料理用の刃が俺の許にまで転がってきた。婆さんは倒れた。男兵士の方も傾いて、片腕を調理台についていた。

「よくも」

 俺は転がり落ちてきた料理用の刃を掴んだが、その前に男兵士の身体が床に倒れていた。倒れてきた男兵士を俺はよけた。仰向けに倒れた兵士の胸には、今朝まで俺がこの台所で使っていた野菜用の小さな刃が柄まで突き刺さっていた。

 見てみな、おちび。とあいつが俺の肩を叩いた。あの婆さんは利き手で刃を扱いながら、もう片方にあれを隠し持っていた。

それで兵士の胸を下から刺したのさ。

 刃を捨てて俺は婆さんに駆け寄ったが、婆さんはもう駄目だとすぐに分かった。何度かこうなる人間を観てきたからだ。

 俺は婆さんの傍らに手をつき、婆さんに呼びかけた。老婆はまばたきした。それから喉を鳴らした。毛糸の肩掛けはどこかに失せていたが、婆さんはほとんど返り血を浴びていなかった。手練れほど返り血を浴びないというが、三人の兵士を相手にして見事なものだった。

「婆さん」

「アッカーマンは、隠れ潜んでいるのよ……」

 婆さんの眼から光が消えて、息がとまり、心臓も止まった。

 

 

 その家から出て行く時、俺は玄関から門をとおって表から出て行った。誰かに見られても構わなかったが、通りには誰もいなかった。

 憲兵団の小隊がこの家に派遣されていることを憲兵団本部が知っているのならすぐに、たとえ来なくても、明日の朝になれば牛乳配達のおやじが家の中の遺体を見つけることだろう。

 いつも仲間が群れている路地の奥や残飯処理場に使われている飲食店の裏手を覗いてみたが、誰もいなかった。みんな憲兵に引っ張られて兵舎に

連れて行かれたのか。

 仲間が消えた街は廃墟のようだった。運河に沿って歩いて行ったが街の外れでも知った顔には誰にも逢わなかった。

 広場の噴水で顔を洗っていた時だ。おーい、と声がかけられて仲間があちこちの通りから走ってきた。その様子は、俺もその一員ではあるが、まさに溝からねずみが這い出してくるのにそっくりだった。

「お前ら」俺は手から雫を振り落とした。

「無事だったか」

「犯人が捕まったんだ。だから解放されたよ。娼館の主を殺して

回っていたのはアッカーなんとかという何かで、そのアッカー何とかは

昔そこで働いていた娼館を恨んで、娼館の主を殺して回っていたらしい」

 仲間は口々にそう云って、兵舎を出される時に配布されたという焼きたてのパンを俺にも分けてくれた。

「子どもと想われていた理由もわかった。そいつが女だったからだ。

頭巾をかぶった小柄な後ろ姿が子どもに見えていたんだと」

「アッカー何とかは危険だと聴いていたけど、本当なんだな」

「アッカー何とかじゃない。アッカーマンだ」

 落ちぶれた一族。王都に隠れ潜んでいるその一族を片端から憲兵団はあぶり出していき、今日、老婆の家にもやって来たのだ。

「俺がそのアッカーマンだ」

 そう云ってやると仲間は眼を丸くして、「えっ」と絶句した。

 

 それからも俺は婆さんの家の前を何度か通った。通るつもりはなかったが、気が付いたらその前に来ていた。

 殺しがあった家は取り壊されてしまい、しばらく更地になっていたが、やがて基礎工事がはじまり、三階建ての共同住宅が建てられた。

婆さんの庭も潰された。敷地いっぱいに建っているその共同住宅を眺めながら、俺は婆さんの遺した言葉を想い返した。

 隠れ潜んでいるとは、何故だ。何故そんなことになった。俺たちの血が人よりも強く、強靭であることは、王家にとってそんなに都合が悪いことなのか。俺たちを召し抱えて護衛にした方が王家にとっては利があるんじゃないのか。

「それはお前、そんな近くから反逆でも起こされてみろよ。剣を向けられたら護衛の強者でもアッカーマンには太刀打ちできないだろうが」

 そう云うものもいた。そうなのかもしれない。

 老婆は、家に匿ったのは二人目だと云っていた。過去にも何度か似たようなことがあったのだろう。その度に迫害された俺たちの一族は虫けらみたいにこの壁に囲まれた街の中を逃げ回っていたのだろう。

母親が呪っていたその意味が少し分かるような気がした。這いあがれない残酷の底に俺たち一族は生きている。だがそれが何だというのだ。

 地獄へ行けというのなら、俺は行こう。

 婆さん、あんたがそこにいるのなら、俺はそこまで降りていってやる。そこにいるのは、クシェルかもしれないし、他の誰かかもしれない。井戸の底の黴くさい不潔きわまる陰にまで、俺は降りていってやる。

 云ってくれ、俺にそうしろと。

 誰かがそう命じてくれたら、俺はそうする。そこにはあのにやついた男もいるんだろう。アッカーマン一族という腐敗が煮えたぎっている。

「リヴァイ」

 ああ、あんたか。俺は待っていた。お前みたいな男が俺の前に現れて、俺を壁の向こうに連れて行ってくれることを。俺がここが底だと想っていた底辺のさらに底にお前は降りていく。

「夢をあきらめて、死んでくれ」

 その男に俺は告げる。当たり前だな、俺を地獄に連れて行く男がいるのなら、そいつは俺よりさらにその下の地獄にいて、俺の手を下へ引っ張らなきゃならないからな。

 地獄の井戸の底から俺は仰ぐ。空は円い。ひゅんと音を立てて、はるか上空を何かが飛んでいく。青空を背にした自由の翼。そうなのか。

あいつらはあそこを飛んでいるのか。

 ずいぶんといい処を飛び回っているじゃないか。

 そして太陽に照らされた白い雲がまぶしく眼を灼く。男たちが出て行った後に取り換えられる白い敷布みたいな大きな雲だ。脚を広げて女は男たちが通り過ぎるのを待っている。そのたびに女は白い敷布を取り換えて、自分の肉体を取り換えようとしている。あの流れる雲みたいに流れて去りたいと、窓から挿し込む光の筋に疲れた顔を向けている。この血を棄てられるのであれば、そこが地獄でも安んじて受け入れると。だったら俺はあんたも連れてそこへ行ってやる。

「兵長」

 誰かが俺を呼ぶ。生者も死者もいる。鐘が鳴る。巨人が来る。

「今最高にかっこつけたい気分なんだよ」

 巨人を愛した莫迦な女が粋がる。もうあの女は、そっちにいるのか。あいつもそこへ逝ったのか。そんなに悪くない。地獄はそんなに悪くない。

 俺は飛ぶ。真っ逆さまに飛んでやる。これは悪くない呪いだ。俺に綴り方を教えてくれた婆さんもそう云っていたではないか。俺はその文字を見て、そしてその文字に刻まれた呪いのとおりに生きてやる。巨人を討伐する数の分だけ、俺はそこに近づいている。太陽が眼に入った。眩しすぎて昏くなる。

「リヴァイ・アッカーマンとは、こう書くの」

 地獄へ行け。

 

 

 

 

[了]

 

 


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