魔女は吹かれる 作:七星(ナナホシ)
楽園には多くの名がある。エデンの園、極楽浄土、常世の国など楽園は姿形を変えながら人の心に残る。ただし、この幻想郷という楽園は楽園らしからぬ様相を醸し出す。人の心にも残らず、人妖が入り混じる楽園という境界の幻想。
時刻は早朝、晴れ晴れと煌く空に雲はなく、太陽はその光で地面を燦々と照らす。我先に東へと向う凍った風の中、一つの黒い彗星が駆ける。その彗星は、大仰な帽子と長いスカートに風のせいで荒ぶる金色の髪で彩られた少女だった。その少女は名を霧雨魔理沙と言い、その瞳はまっすぐと遥か遠くの館を捉えている。その瞳はこれから悪事をする子供のような純粋さを写し出し、絵画が現実に現れたような笑顔は人をおびき寄せる何かを持っていた。
そんな少女の目的地は紅魔館。悪魔の住まう館、紅い悪魔ことスカーレットデビルの支配する領域、かつて起きた異変の大舞台と’’普通’’の人間からしたら危険地帯そのものである。しかし、この少女は’’普通の’’魔法使いであるが、普通の人間ではない。魔導を求め、親から独立した時点で彼女は──いや、霧雨理沙という普通の人間は消えて、代わりに霧雨魔理沙という少女は生まれたのだ。そんな彼女を支えているのは才能でもコネでもない、決して途絶えない好奇心と諦めることを知らないその意思、そして常人には真似できない努力が霧雨魔理沙という少女を何よりも人間らしく、輝かせた。
そんな魔理沙は紅魔館に本を借りに行くのが日課だった。日課であるが故に、その進路は完璧に暗記し、避けるべきルートもわかっていた。まず、魔法の森を出る。魔法の森は太陽の光から地面を守るように鬱蒼と木々が生え、極めて高い湿度と魔法の森特有の魔力によって群生しているキノコ類が有毒成分をたんまりと含んだ胞子を年がら年中放出している。深い胞子の霧は濃い紫色をしており、ただでさえ少い太陽光に反射され幻想的で近寄りがたい雰囲気を醸し出している。そんな魔境に居を構えている霧雨魔理沙からしたら日常ではあるが、身を魔法で守れない者や下級の妖怪、力のない人間にとっては禁足地である。
魔法の森を出ると、次に通過するのは霧の湖。昼間に限り濃霧が湖全体を覆い隠し、露見することを防いでいる。また、妖怪と妖精が水辺を求めて霧の湖の周辺を悠々と闊歩している。そこを超えれば、ご本命の紅魔館が遺憾なくその悪趣味さを魅せる。どこを見ても、赤、赤、赤と全体的に色が統一されている大きな館。スカーレットデビルの名に恥じないその外装と内装は自然と見た者の目を痛くする。その深紅の中で目立つガラスこそが
いつもより早いスピードのせいで多少は焦ったものの、自分が無事であることを確認すると安堵の声が漏れる。
「ふぅ、危なかったぜ」
割れた窓から流れ込んでくる冷気のおかげで、息が白に染まる。走りながらも、しっかりと握られる箒とミニ八卦炉はその臨戦態勢を表す。いくら日課とは言えここは悪魔の館、気を抜くことは最善ではない。ミニ八卦炉、霧雨魔理沙という魔法使いを象徴するマジックアイテムだ。彼女の必殺技となるマスタースパークを撃つにも必須、最大で山一つを消し飛ばせるその火力は絶大な抑止力となる。いくら弾幕の美しさを競う不殺の決闘法であるスペルカードルールがあっても、それが通用するのは理性的な相手のみだ。そして、ほとんど妖怪は非理性的であるからこそ純粋な力は幻想郷において大事な生命線である。
階段を下り、お目当ての大図書館の扉を蹴り飛ばして中へと押し入る。ドアがむりやり開けられ軋む音とは対象的に完全な無音が場を支配していた。この図書館は普通の図書館と異なり、何らかの音はしていた、小悪魔が本を落とす音、レミリアが豪快に笑う音、パチュリーが本をめくる音など────それに対してこのような静寂は魔理沙にとっても初めてだった。
「パ、パチュリー居るか?」
恐る恐ると声を出してみるが、自分の声が木霊するばかりでパチュリーの返事は返ってこない。大図書館を見渡すがいつもの光景が見えるだけで、人が居る気配が微塵もしない。広い空間にぎっしりとそびえる本棚群は天井にも届き、ところどころに梯子がかけられているくらいに高い位置がある。
今更、気が付く。今日、この館全体があまりにも静かじゃないかと。
本来、この館に居るべき妖精メイド達、時を操るメイド長である十六夜咲夜、動かない大図書館のパチュリーノーレッジ、紅魔館の主であるレミリアスカーレット、 華人小娘の紅美鈴。
こんなあからさまな異常に気づけない自分の失態を今になって思い知る。確実に何かがあった、それは誰から見ても自明の理で、この異常な現状を重い雰囲気が漂う。
レミリアは最近、よく外出しているとは知ってるがそれにしてもおかしい。
「今日は失礼したぜ」
自分の恐れをごまかすように高らかに宣言し、踵を返すがさきほど蹴り飛ばした扉が完全に閉まっている。
「えっ」
驚きのあまりに一瞬だけ体が言うことを聞かない、必死に動かそうと思えば動けたが勝手に閉まっただけと楽観視してしまった。それが今後、彼女の将来を良くも悪くも変える判断となる。
「マリサ、ワタシノオネェチャンニナッテ」
首元に鋭い痛みを感じ、体全体が脱力していく。抗おうとする気すら起きないほど快感に飲まれ、霧雨魔理沙の世界は暗転する。
「フラン、なんで」
それを言い残して、気を失う。そう、そこに居たのは紅魔館の主の妹であるフランドールスカーレット。その宝石がぶら下がった羽しか見えなかったが、それで十分にわかってしまった。
初めて小説投稿でヒヤヒヤするところがありましたが、無事投稿できたのでひと安心です。
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