聖都の路地裏
聖都グリフォネアの一角、煌びやかな大通りと対をなす薄汚れた路地裏、その片隅に目的の店は存在した。
「ようこそお越しくださいました。娼婦のご指名はおありでしょうか?」
「来るのは初めてだ。これで足りるなら相手は選ばない」
相場の判断はつかなかったが、心許ない預金から崩した数枚の硬貨を受付に渡す。男は「用意が整うまでお待ちを」と言い残して店の奥へ消え、しばらく待つと案内係に通路の奥へと誘導された。いつぞやのような門前払いは避けられたようで、青年はひとまず安堵の息を吐く。
ここは金で女を買える店——俗に言う娼館である。厳粛な聖都にはあるまじき娼館の存在、その経緯は二百年前に遡る。
魔女禍の発生による混乱と混沌の時代、魔女狩りを名目に多くの女が娼館へと売り払われた。そこでは悪辣な虐待や拷問など茶飯事であり、数えきれない娼婦が老若を問わず、異常性癖の捌け口として連日使い潰される。この事態を重く見た教会により、一度は悪しき風習として一掃が図られたものの、ごく一部の運営者は賢しくも自分達こそ女の味方と名乗り出たのだ。
『我々は女を道具扱いなどしない。無論、魔女ともみなさい』、『常に屈強な守衛を待機させており、悪質な来訪者は即刻排除する』、『彼女らには破格の報酬と待遇を約束しており、双方合意の上で契約を結び……』、などと口八丁で教会すらも煙に巻き、ついには法の厳守を条件に懲罰を免れたのだ。
もっとも、いつの世も色を好むは男の性質であり、万が一にも女に飢えた騎士が己の聖女に蛮行を働くことのないよう、教会は最低限の捌け口を残したかったのかもしれない。斯くして、外道に手を染めていなかった数店のみが、暗黙の了承を得る形で各地に点在することとなった。
この娼館も数少ない生き残りのひとつであり、長い歴史を誇る隠れた名店である——というのが聞き齧った話だ。案内された部屋はお世辞にも小綺麗とは言い難く、古風というより寂れた印象を拭えながったが。
「本日のお相手を務めさせていただきます。精一杯奉仕いたしますので、どうぞよろしくお願いします」
とはいえ、流石は古来より引き継がれてきた老舗というべきか。寝台に座る娼婦は目を見張る美貌の持ち主であり、脳裏へ浮かんだ旧友にも劣らぬ肢体を扇情的な肌着で包んでいた。
「何だねその喋り方は。もう少し力を抜きたまえよ」
「ふふっ、お客様の方こそ。物語の騎士様のような喋り方」
「ほう、貴公には分かるのか」
「趣味なので。色々読みましたが愛読書はジャック・ドゥの英雄譚ですわ」
流石に手慣れているなと嘆息する。騎士らしくあろうと長く続けた努力を見抜かれたのは初めてだった。しかも自分と同じ物好き——悪騎士ジャック・ドゥの愛好家という。語り合えばさぞ盛り上がるのだろうが、ここに来た目的はそれではない。話に花を咲かせたいなら娼館を訪ねる必要などないのだ。
「申し訳ないが経験豊富ではなくてな。今日は色々教えてもらえると助かる」
「畏まりました。初めてのお客様も多くお越しになられます。心配はご無用ですわ」
青年の上着に手を掛け、娼婦はあら?と小首傾げた。不自然に垂れ下がっていた右腕に動く気配がなく、正常に機能していないことが見て取れたのだ。
「やはり、この身体では難しいだろうか」
「そのようなことはありませんわ。欠損こそ騎士の武勲にして誉れ……惚れ惚れしてしまいます」
「……そういう意味ではないのだがな」
裸に剥かれた上半身に、肉感の豊かな乳房を押し当てられる。男の獣心に火を付けるには過剰なほどの破壊力、正に爆薬のような肉体による暴力だったが、
(……勃たないな)
青年はどこまでも冷めきっている己の下半身に首を傾げた。自分は男色家ではなく、人並みの性欲は持ち合わせている。官能的な書物も嗜んでいたし、旧友と顔を合わせるたびに胸元や脚線美を注視する程度には助平だった。薬物の過剰摂取も長らく行っておらず、まさか彼女の聖性による副作用とでも——
「……様、困ります……」
「レー……のバ………」
そこで至極単純な答えに思い至る。
目の前の女性は真逆なのだ。豊満な双丘も、蠱惑的な仕草も、妖艶な誘い文句までーー何もかも、彼女と真逆すぎる。自分が惚れたのはもっと貧相な胸板と、常に暴力を伴う挙動と、こちらを見下すかのように傲慢で挑発的な——なぜ惚れたのか分からなくなり始めたので、青年はそこで思考を打ち切った。
「誰か……早く守衛を……」
「……カはどこに………」
とにかく、確かなのは五体の自由のみならず、性衝動まで彼女に支配されていたことだ。早くも暗雲が垂れ込め始めたが、ここに来た目的は果たさなければならない。
貴重な休日を潰し、なけなしの貯金を下ろし、重い右腕を引っ張りながら、彼女の目を掻い潜り聖都まで足を運んだのだ。この日を逃せば、次の好機がいつ訪れるかは分からない。
先程から廊下が騒がしかったが、青年は行為に集中しようと片腕でぎこちなく娼婦を抱き寄せ、そのまま首筋に顔を埋めようともたれ掛かり——
「レェェエベェエエエエエン!!!」
大気を震わす怒声。次いで轟音。
扉の金具が粉々に吹き飛ばされ、そのまま乱暴に蹴破られる。
現れたのは全身を武装した聖女だった。
装束の上から巻かれたベルトには投擲用の短剣、焼夷弾、炸裂弾までもが無数に装備されており、これからひと魔女狩ってくると言わんばかりの様相である。右手に握られた短銃は通常の物より一回り大きく、扉の鍵を粉砕した反動で砲筒から白煙を上げている。左手には大型の長銃——片手で撃てば大男でも腕を痛める代物を、しかし聖女は躊躇なく二人へと向けた。
ひっ、と短い悲鳴を漏らし、娼婦は咄嗟に青年の背に隠れる。聖女の全身を飾る凶器より、己に照準を定める銃口より、爛々と輝く瞳が恐ろしかった。漆黒の双眸は闇よりも暗く、泥よりも濁っており、こちらを射殺す様な眼光を放ち続けている。怒りに駆られて充血する眼球には一切の正気が伺えず、娼婦は思わず遭遇したことのない魔女を連想した。
事実、聖女は既に正気ではなかった。魔女へと至る鍵が『怒り』であったならば、その身は疾うに崩れ落ち泥と化していただろう。思考回路を激情に支配され、すぐ目の前で呆然と佇む目当ての人物——レーベンの存在さえ認識することなく、突如として乱入した聖女、シスネレインは両手に銃を構えたまま咆哮を上げる。
「レーベンの馬鹿はどこ⁉︎ あの馬鹿はどこにいるの‼︎」