「昨日は本当にごめんね。今日はこの馬鹿が奢るから何でも頼んで」
「シスネが随分と迷惑をかけたようだな。俺からも謝らせてもらおう」
「元凶のくせに何様のつもりですか? あと二時間ほどそのままで反省してもらいましょうか」
「全部俺のせいだ。誠に申し訳ない」
仕事上がりを見計らったようにシスネが現れ、既視感を禁じ得ないやり取りを交わしたのが数刻前。二日も続けて飲むのは如何なものかとエイビスは難色を示したのだが、昨日のお詫びがしたいと懇願するシスネと、何より変わり果てた姿で頭を下げるレーベンの様相に押し切られてしまったのだった。
「では果実酒を一杯……あとレーベン殿の顔を治してやれ。痛々しくて見るに耐えん」
「ごめんなさい。馬鹿面のせいでお酒が不味くなるよね」
「見るに耐えない馬鹿面で申し訳ない」
大方シスネを怒らせて仕置きでも受けたのだろうが、その痕跡は目も当てられないものだった。レーベンは両頬に真っ赤な紅葉腫れを咲かせており、瞼の周りには青痣が浮かんでいた。鼻は不自然なほどに折れ曲がり、口から覗く歯は数本欠けている。側頭部のこぶは殴られた跡だろうか。よく見ると顎も若干ずれているようだ。
惨憺たる有り様だったが、シスネがレーベンの頬に手を添えると、瞬く間に腫れや痣が引いて見知った顔立ちへと戻っていく。シスネとレーベンは聖性の相性が極めてよく、四肢の欠損さえ取り戻して見せたのだ。折れた鼻や顎を治す程度は朝飯前なのだろう。——だからといって、痴話喧嘩で骨格を歪めるなど正気の沙汰とは思えない。
レーベンは当然のように治癒を受け入れているが、これ程の体罰も茶飯事に過ぎないのだろうか。あるいは、この騎士には被虐癖でも備わっているというのか。常軌を逸したやり取りを平然と見せつける二人にエイビスは思わず身震いした。
「そもそも徒に聖性を使うなと言ったばかりだろう。私の話を聞いていたのか?」
「すまない、この体は聖性がないと満足に動かせなくてな。シスネはそれに付け込んで好き放題しているが、あまり責めないでやってくれ」
「あなたはどちらの味方なんですか。擁護してくれるのなら真面目にやってください」
とはいえ、かくいうエイビス自身も昨晩の記憶が曖昧だった。彼女はいつの間にか意識を失っており、目を覚ますとシスネは酒代と書き置きを残して立ち去っていたのだ。
酔い潰れていた割には気怠さや吐き気を感じなかったが、エイビスは記憶を遡ろうとするたびに激しい頭痛に襲われた。何か恐ろしい光景でも目の当たりにして、脳が呼び覚ますことを拒否しているかのようだった。いったい昨晩に何が起きていたのか、エイビスは首を傾げるばかりだった。
確か、この女が戯けたことを言い始めて、ケリをつけようとしたところに顔見知りらしい胡散臭い男が——
「——そうだ。レーベン殿、貴殿には失望したぞ!」
思い出した途端に怒りが込み上げ、エイビスは酒杯で乱暴に机を叩く。
「聞けば隠れて娼館に通い詰めていたそうではないか。騎士たるものが色事に現を抜かすとは何事か!」
「その節は誠に申し訳ない。もう二度と通わないことをシスネにも誓った」
「当然だな。恋人を差し置いて娼婦に手を出すなど人として許されざる愚行だ。浮気に走るくらいならその女を寝屋に連れ込む方がマシというものではないか?」
「エイビス、私たちはまだ恋仲じゃないし、そのことはもう大丈夫だから……」
彼女は勢いよく詰め寄るあまり、シスネが気まずそうに顔を引き攣らせたことに気がつかなかった。そんなエイビスの機嫌を伺うように、レーベンは差し出された酒杯に果実酒を注いでやりながら、
「心配ない。それなら昨晩に済ませた」
……
「そうか。ならば問題は——」
……?
どこか自慢げに酒瓶を傾けるレーベンに対して、シスネは何も聞いてくれるなと言わんばかりに伏し見がちのまま黙り込んでいる。その顔色は伺えなかったが、横髪から飛び出した耳は赤く染まっており、装束の襟から覗く首筋にも虫刺されのような赤い斑点が——
……この女、まさか。
「貴殿、昨晩に何を?」
「シスネと寝所を共にしていた」
直後、シスネの鉄拳がレーベンの頬に突き刺さる。そのまま振りぬかれた拳の勢いに吞まれ、レーベンの体躯は宙を舞い椅子から転げ落ちた。その手から離れた酒瓶が派手な音を立てて砕け散り、店内から好奇の視線が殺到する。
「貴公、最近容赦がなくなっていないか? 治るとはいえ痛いものは痛いのだが」
「こ……こ、の馬鹿は……いったい何を言い出すのよ!!」
「? エイビス殿に事情を説明するのではなかったのか」
「そこは話さなくてもいいでしょう! いちいち言わないとわからないの? 馬鹿なの!?」
怒りと羞恥で己を見失ったのか、シスネは口調を取り繕いもせずレーベンに掴みかかる。そのまま取っ組み合いの乳繰り合いを繰り広げ始め、酔っ払いの野次馬共が「何だ、喧嘩か?」「いいぞ聖女様! もっとやれ!」などと囃し立てる。最高潮の盛り上がりを見せる酒場の空気に反して、特等席から二人を眺めていたエイビスは心底白け切っていた。
確かに(面倒臭いから)さっさと抱かれてこいと突き放しはしたが、まさかその日の晩に実行してみせるとは。この聖女、とんでもない尻軽女ではないか。
「あなたはいい加減に常識を覚えなさい! 恥知らずにも程があるでしょう……さっきから何がおかしいの?」
「あぁ、その、貴公は怒るとそのような喋り方になるんだな」
素の口調のまま怒り狂うシスネを他所に、レーベンは「新鮮だ」などと独り言ちる。この変人騎士も懲りないな、とエイビスは呆れながら酒杯に口を付け、
「はあ? こんな時に何を——」
「もっと罵ってくれないか?」
盛大に咽せた。何度も咳き込みながら気管に入った果実酒を吐き出した。
この男、前から変わり者だと思ってはいたが——馬鹿だ。本物の馬鹿がここにいた。なるほど、この女以外の騎士が務まるはずもない。聖女が聖女なら騎士も騎士だ。
「そんなにお望みなら何度でも言ってやりますよ、この馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿っ! ばーかっ‼︎」
「待ってくれ、何故そこで口調を戻すんだ?」
「あなたが喜んでしまうからでしょうが! 以前から思っていましたが、あなた、絶対に被虐嗜好ですよね? 変態ですよね⁉︎」
「いや、俺は攻められるより貴公を愛でる方が「は?」……性癖が歪んでいて申し訳ない」
さっきから自分は何を見せつけられているんだろうか。兄の仇の乳繰り合いなど酒の肴にもなりはしないというのに。
「本当にあなたという人は、いつもいつも私の言うことは聞かずに余計なことばかり……昨日だって、あ、あんなに何度も無理やり……」
「すまない、だが昨晩は途中から貴公が——」
「~~~~っ忘れなさいと言いましたよね!? まだ記憶が飛ばないようなら手伝ってあげましょうか!!」
取り返しのつかない醜態でも晒してしまったのか、シスネは馬乗りになってレーベンの口に酒瓶を突っ込み記憶の消却を試みている。酒場で乱痴気騒ぎを巻き起こす姿には清貧さなど欠片も伺えない。
「白い髪の聖女は良い聖女」などいったい誰が言い出したのか。とんだまやかしではないか。この女が聖女の象徴など勘違いも甚だしい。エイビスは幼い日の思い出が崩れ落ちる音を確かに聞いた。
「辛いですか? 苦しいですか? 下戸のあなたにはちょうど良い仕置きですよ」
「薬をやめて随分経ちますからね。多少飲んだところで死にはしません」
「ああ、吐くなら横を向いてください。ついでに頭の中身まで全部空にしてください」
「あっはっはっは、ははははは——」
狂喜乱舞するシスネの姿は、かつて憧憬の念を抱いた理想の聖女とは似ても似つかなくて——エイビスは考えることをやめた。
もう疲れた。自分も好き勝手に振る舞うことにしよう。どうせ他人の奢りなのだ、贅沢をしても懐は痛まない。
「店主、この店で1番高い酒を頼む」
記憶の中の白い聖女に別れを告げながら、エイビスは目一杯やけ酒に走るのだった。
それが非常に不味かった。
シスネの暴走による被害は暴れ回った酒場に留まらず、あちこち破壊された娼館にも及んでおり、二人の貯金を合わせても支払い切れる額ではなかったのだ。結局、半額以上を負担する羽目になり、揃って注意人物の烙印を押されたエイビスは二度とシスネとは飲まないことを誓った。
これにてひとまずの完結となります。
一次創作の二次創作という特殊なジャンルでの執筆となりましたが、最後まで読んでいただき、感想やお気に入り登録、評価までくださった方々、誠にありがとうございます。
何より「魔女狩り聖女」という名作を投稿され、主人公とヒロインの恋愛、それも告白という局面の執筆許可を下さった甲乙様に感謝いたします。
他にも書きたいネタはいくつかあるので、アンケートを設置してみました。リアルの都合により次話の投稿はしばらく先になると思いますが、その際にはまたお付き合いいただけましたら幸いです。
追記
甲乙様に許可をいただき、レーベンとシスネのイラストを描かせていただきました。二次創作といい、色々と自由に描かせていただきありがとうございます。
レーベン
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シスネ
【挿絵表示】
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レーベンとシスネのその後(今作の続き)
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レーベンとシスネの初体験(R18)
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ライアーとカーリヤの救済if
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