マルメロ家だいすき日記2022〜2023   作:大野 紫咲

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風邪引き記録、その1。
風邪で熱を出したムラサキと、それを看病するヨハネさんのエッセイ的短編。
軽い話をしたり重い話をしたりしてます。
基本的にハートフル。
※2025年から、夜翰さん→ヨアさんの修正作業を始めました!


マルメロ家の日常3
牛乳とビスケット


 ムラサキが熱を出した。

 

 まあ、それはいつもの事なんだけれど。

 最近仕事が立て込んでしまってほんの少しの間ボクが目を離した隙に、サキの奴いつの間にかまた勝手な無理をしてペンは執るし、編み物はするし。

 その方が本人の気が紛れて良さそうなら放っておくけど、昼食のミルク粥を作ってから、サキはとうとう食欲がないからと横になってしまった。

 これは由々しき事態だ。サキは胃腸性の症状がある時以外は、体調不良でも滅多に食欲をなくしたりはしない。物を食べる気もなくすほど、それなりに熱が高いようだった。

 聞いていれば昨日から薬は飲んでいるらしいが、未だ熱が下がる気配はないと言う。

 このまま昼を飛ばしたらどうしようかと思ったが、少し休んだらお腹が空いたと言うので、ボクは冷めたお粥をせっせと食べるサキの様子にやや安心しながらも、食後のサキを問答無用で布団に押し込んだのだった。

 

 ご飯を食べてしばらくは具合がいいから平気だと、いつもはそのまま起きている事が多いサキはごねるんじゃないかと思ったが、意外にも素直に横になって、携帯をボクに預けた。

 ボクは面食らう。

 

「……素直じゃん」

「ヨアさんが横にいてくれたら、別に何もいらないもん」

 

 おちゃらけてそんな事を言うので、こっちはまた小言の一つも言いたくなったけど、隣で見守るうちにふっと気がついた。

 多分、いやいや横になっているわけじゃなくて、寝ている事しか出来ないくらいしんどいだけなのだろう、と。

 そのくらい、表情だけでわかるほどに、サキとの付き合いも長くなってきた。

 肩まで布団を掛け直して、ボクは時計を見ながら言った。

 

「とりあえず、4時半まではゆっくり横になってること」

「ねむくないよ」

「眠くなくても、横になって目を閉じるの。その方が疲れが取れるでしょ」

「じゃあヨアさんが何かお話しして」

「ハァ? ……しょうがないなぁ。むかしむかし、あるところに……」

「……」

「あるところに……えー……」

「いつもヨルくん達に読み聞かせてあげてるお話センスはどうした」

「うるさいなぁッ! あれは子供向けなんだから、あんなのあんたに聞かせたところでしょうがないじゃんッ!」

 

 そんな事を言い合いながらも、横で添い寝をしていれば彼女は大人しいので、時々うつらうつらする彼女の傍で、久しぶりにゆっくり一日を過ごした。

 空は、最高の行楽日和とも言える程のいい天気で、サキの部屋の磨りガラスを開け放つと、澄み切った空を穏やかな雲が流れていた。見かけによらず外は極寒の気温だろうが、とにかく太陽は眩しく、陽気に訴えかけてくる。

 何が悲しくてこんな綺麗な青空を布団の中から見なければいけないのかという彼女の気持ちも、少しはわかる気がする。

 ぼんやりと四角い窓の外を見上げながら、サキが言った。

 

「みんな、布団が離してくれないとか布団が恋しいとか言うけど、私はお布団あんまり好きじゃないのよね」

「ベッドの方がいいってこと?」

「それもあるけど。寝具っていう場所が好きじゃないの。

だって、ベッドに入る時って大抵は寝る時か具合が悪い時でしょ。

ここから見えるのってずーっと『病人の景色』なんだもん。

小さい頃から熱が下がるまでずっと出してもらえなくて、寝ててもつまんないししんどいし、不安な気分の時に見えるのって部屋の中とか窓の外だけだし、辛さやしんどさに耐えるのも、気持ち悪いの我慢するのもゲロ吐くのだって、大抵はぜーんぶベッドの上でしょ。

もう悪印象しかない。私にとって布団って辛い時間を耐える場所だもん。

だから嫌なの。横になっただけで脳が『具合悪い』って錯覚起こしそうになっちゃう。昼寝の時だってホントは使いたくないよ」

 

 つまらなさそうに、彼女は唇を尖らせる。

 ボクはただ、それを隣で聞いていることしかできない。

 

「それに、大抵は一日寝てたくらいで具合が良くなったりしないから、良くなるよねって思いながら、一日経っても大した変化が体に起きないとすっごく不安になる。

朝から晩まで同じ格好でずっと我慢してて、やりたい事もなんにもできずに、私だけ一歩も進めずにいるのに、空の色だけはだんだん青からオレンジに変わって、部屋の中がどんどん暗くなっていくのを見るとすごく怖くなる。

動ける時はそんなの気にならないでしょ。でも寝てる時は、ずっと自分が今どんな状態か、今がいつなのか向き合って考える事しかできない。そのくらいしか考える事ないじゃない?

辛いのに気が紛れないんだもん、寝てる時って。だから嫌いなの。

それなのに、昼間寝ちゃったら夜はまた眠くなくなるしさぁ、地獄だよ」

「……でも、しっかり休まないと良くならないよ?」

「わかってるよぅ。だからこうして、携帯もゲームも我慢して横になってるんでしょ」

 

 ヨアさんがいないとこんなにいい子にしないんだから、と頬を膨らませながら、サキは布団を被ってしまった。

 今まで見たこともなかった病人の世界を覗くようで、サキの話は面白くもあるけれど、心配にもなる。

 サキはなんでも、それこそ鯨さんと夫婦で暮らしていたって、自分が出来る事はなんでも一人でやってしまう。誰かに甘えていい部分まで「言わなくてもこうして欲しい」なんていう曖昧さではなく、「指示を出すべきこと/出さなくていいこと」で振り分ける。

 「指示を出さなくていいこと」に関しては、その苦悩を徹底的に他人に見せない。

 

 でも、ボクだけはそんなサキの傍にいられる。

 色んなしんどさを見てしまう。

 その度に、大丈夫、と聞いてしまいそうになる一言を、歯を食い縛ってぐっと飲み下す。

 何呑気に聞いてるんだ。一番しんどいのはサキじゃないのか。

 大丈夫、と問えば、大丈夫、と答えるだろう。

 ただそのやり取りだけで、サキは相手の気遣いを失礼なく丁寧に受け止めようと細心の注意を払い、相手を安心させるための表情をどうにか見繕うだろう。

 大丈夫だと言って欲しいだけの、自分を安心させて欲しいだけの声掛けで、ボクは満足したくはなかった。それがひとつもサキの身のためにはならない事を、わかっていたからだ。

 

 けれど、だとしたらどうするべきなのか、それもわからなかった。

 ただ、サキが余計な気を遣わなくていいよう、出来るだけ心配の言葉を飲み込んだ。

 弱っている姿をずっと見られるのも、心配されるのもサキ自身にとって良くないだろうと思って、夜羽と恵李朱は、魔界的保護者であるメイコさんのところに預けておいた。

 寝ている間、窓際は寒いし押入れの側は隙間風が寒いと言うので、思い切って邪魔な机を片付けて、サキの布団を窓からも押入れからも離れた、部屋の真ん中に移動した。

 隣室の鯨さんは少し出入りがしにくくなるかもしれないが、背に腹は変えられない。

 長時間横になり続けて頭痛を起こさないよう、2時間に一度くらいは起こしてトイレに行かせ、脱水にならないよう水やお茶も飲ませる。

 みかんゼリーが冷蔵庫に残っていたのを食べたいと言うので、布団の上でそれを食べさせてまた寝かせる。

 飽きないように途中で音楽くらいは聴いてもいいと許可を出したけど、あれこれボクが世話を焼くのを見て多少感ずるものがあったのか、大丈夫だからとサキはただただ大人しく横になっていた。

 

 夕方近く、少し雑用を終えて枕元に帰ってきたら、サキがうっすら目を開けた。

 横になってはいたけど、時々身じろぎしていたので眠ってはいなかっただろう。

 布団からはみ出た足が、べったりと汗で湿っている。サキは、体調が悪いと手足によく汗をかく。まだ完全に調子が整ってはいない証拠だ。

 そんなサキは、ボクの顔を見るなり「おやつたべたい」と言い出した。それがあまりにも子供然とした我儘だったので、ボクは思わず小さく笑ってしまった。

 日の暮れかかった部屋で、サキの頭に手を載せて指先で前髪をかき分ける。窓から空が見えていた方がいいとサキが言うから、ギリギリまで部屋の照明はつけていなかった。

 

「何がいい?」

「マリービスケットとぎゅうにゅう」

「いいよ」

 

 そのくらいなら、消化もいいし軽いし丁度いいだろう。

 サキが言うのに合わせて、温かな額を軽く撫でると、不意にその手をぱしっと両手で掴まれた。

 

「どうした?」

「……んー。

ヨアさんさぁ、私が死ぬ時も、こんな風に看取ってくれる?」

「ちょっ、縁起でもない事言わないでよ」

 

 思わず苦笑すると、ボクの掌の下でサキも照れたように笑っていた。

 

「だって、いいなぁって。こういうの。

別に今死ぬわけじゃないし、できたら病気じゃなくて老衰がいいけど。

でも、私が死ぬ時って、ヨアさん私より七つくらい下だからきっとこの世に残るでしょ。

だからさ、私は私は安心して死ねるじゃん。そんな風に好きな食べ物の話しながら見送ってもらえて」

「わかんないよ? 七歳差なんて実際何の保証もないんだから。ボクの方が先かも」

「でも、私の世界とヨアさんのいた世界を並べて、実際の生年に合わせたら、ヨアさん私とは五、六十歳くらい差があるんだよ? 必要ならヨルくんに魔法で若返らせてもらえば、私が死ぬ時君は二十代とか三十代でいられるじゃない」

 

 そしたら絶対私より長生き、と冗談めかして言いながら、サキは熱っぽい両手でボクの掌をきゅっと握った。

 

「そんな時の話まで出来るのが、幸せだなぁって思ったの。

実際もしもの時がどんな感じかはさておいて、死ぬ時に傍にいて欲しい人がいるなんて、とても幸せな事。

そうでしょ。君はともかく、私はしわしわのおばあちゃんになっていくばかりなのに、そんな風になっても傍にいてくれようとするなんて、君は本当に愛情深い人なんだなって」

 

 そう言って、ボクの手でひんやりした頬を撫でさせる。

 この肌に刻まれる皺がどんなに増えても、サキがそんな自分を愛せるように、もちろんボクは、誰よりも傍で愛してみせる。

 ていうか、サキが望むんなら、別に一緒に天国に行ってあげてもいいんだけど。

 猫のように何度も掌に甘えるサキが身を起こすのを手伝い、ボクはリビングに案内した。

 

 カップで温めた牛乳に、ビスケットをつけてふやかして食べるのが、サキは好きだ。ビスケットの破片が溶けた、甘い牛乳を飲むのも好きらしい。

 森永の丸いビスケットを牛乳に浸し、至福の表情でぺろりと平らげたサキは、その後できなこ味の煎餅を一枚、バレンタインにもらったチョコレートを一粒、6Pチーズ型のチーズデザートを1つ食べ、さらにお茶を淹れようとお湯を準備していたら「インスタントの味噌汁が飲みたい」と言い出した。

 おかげで準備をするボクはてんてこ舞いだ。

 

「あれ入れて欲しい。冷凍庫の生姜とネギ」

「わかったわかった」

 

 ムラサキは、さすが体調を崩し慣れているだけあって、こう言う時に自分が適切に食べるべき物は、呆れるほどすらすら口から出てくる。

 まあ、それだけ苦労してきたんだろうけど。よくこんなすぐ思いつくもんだ。

 それにしても、ほんのおやつのつもりがこんなに食べるなんて、余程食べられずに寝ているしか出来ないのが辛かったんだろう。多少無理してでも休ませたのは正解だった。

 食欲が戻った事にほっと胸を撫で下ろしながら、ガツガツと無表情に等しい真剣さで食べ物にがっつくサキを見ていたら、その様子がふと頭の中で何かを彷彿とさせて……

 そうだ。

 

「……『黒ねこのおきゃくさま』って絵本知ってる?」

「え。ヨアさんもその絵本知ってるの?

私が大好きなやつだよ。小さい頃めっちゃ読んだ。30年後も残ってるんだ」

「そりゃ、不朽の名作だからね」

 

 ボクの時代にも残ってる。

 経緯は忘れたけど、ボクも小さい頃に読んだ事があった。

 

 嵐の夜、貧しいおじいさんの家に、ずぶ濡れのやせ細った黒猫が訪ねてくる。

 弱々しい装いの猫を中に入れ、おじいさんは自分の残りわずかな瓶のミルクを分けてやったが、ひもじい黒猫は大声で鳴いて食べ物をくれと訴えるものだから、結局おじいさんは翌朝の朝食にする予定だった羊の肉も、何かのスープの出汁くらいにはと思って取っておいた魚の骨も、家にあった食べ物という食べ物を、貪り食う黒猫に全部分けてしまう。

 更には抱えた黒猫が震えているのを見て、おじいさんは取っておいた残り僅かな薪も、全部黒猫のために暖炉にくべてやった。

 翌朝、元気を取り戻し丸々太った黒猫は、よく晴れた天気のいい外に走り出て、なんとおじいさんに口を聞いた。

 あなたの残り僅かな食べ物も、大事な薪も全部使わせてしまったのに、なぜ私を家の外に叩き出してしまわなかったのか、と。

 あんな嵐の中にお前を追い出すなんてとんでもない、確かに食べ物はなくなったが、そのおかげでお前はもうやせ細った猫ではなくなり、毛並みも良くなり見違えたんだからよかったのだと、おじいさんは何度も猫を撫でてお別れする。

 そして空っぽのはずの家に戻ったおじいさんは、ミルク壷の中に濃いたっぷりのミルクが入っているのを見て驚愕する。皿には丸々太った羊の肉が十分あり、薪がどっさり積まれた暖炉には赤々と火が燃えていた。

 その後おじいさんは黒猫に会うことはなかったが、暖炉に当たりながらうたた寝をする度、傍であの黒猫がゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえるような気がしたそうだ。

 

 ……という話だったはずだ。多分。

 ボクもうろ覚えなんだけど。

 

「で、それがどうかした?」

「今のサキ、あの本に出てくる黒猫そっくり」

「ぶふっ。てことは、ヨアさんは優しいおじいさんってことね?」

 

 絵本にあった、黒猫の食べ物への凄まじい飛びつき方を思い出したらしく、サキもげらげら笑い出した。

 だって、今の食べ方見てたら本当にそのぐらいお腹が空いてるように見えたし。家の中に食べ物がなくなるまで、隅から隅までチェックしておじいさんに要求する黒猫の姿を思い出したら、余計に可笑しい。

 

「そうだよ? ボクは優しい人間だからね」

「じゃあ、私は出て行かないでそのまま住み着いちゃうかも」

「あーらら、図々しい黒猫」

 

 からかって言いながら顎を撫でるフリをすると、サキがくすぐったそうに笑う。

 よかった。ここまで元気が出たのなら、もう持ち堪えそうだ。

 

 嵐の間、冬の間と言わず、ずっと居ればいい。

 こんな安らかな顔を見られるのなら、ミルクだろうとビスケットだろうと惜しくはない。

 そんな事を言ったら、きっと甘い飼い主だと言われるんだろうな。

 ボクは予断を許さずムラサキの様子に目を配りながら、夜羽たちを呼び戻す算段を考えていた。




《参考》
黒ねこのおきゃくさま
ルース・エインズワース作/福音館書店
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=723

黒ねこのおきゃくさまはいいぞ。
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