マルメロ家だいすき日記2022〜2023   作:大野 紫咲

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ある日の夕飯、魚の小骨が喉に刺さってしまったムラサキ。
その話を聞いていた直生によれば、直生にも最近そんな事があったようで……?


骨抜き注意報

 鰯の小骨が、喉に引っ掛かった。

 別にそれだけ聞くと大事でもなんでもなく、刺さった直後はちくちくして違和感がある程度だったのだが、夜中に変な夢を見て目覚めた時は、取れたかと思いきややっぱり喉に違和感があり痛みも強くなっていたので、恵李朱くんに慰めてもらいつつ、なんとか眠気が訪れるのを待って一眠りしたという始末であった。

 放っておくと傷から菌が入って膿んだり、熱が出たり、その状態で骨が取れない奥まで入り込んでしまうと一大事になる、みたいな話もある事だし、どうせ今日も明日も取れずに痛いのなら先延ばしにする必要もないと思い、とりあえず近所の耳鼻科まで行って鼻からカメラを入れてもらったが、一応視認できる範囲に骨らしき異物はなかったらしい。突然「喉の奥はやっぱり見え辛いので、カメラ入れますね」とか言われて、鼻カメラも胃カメラもやった事のない私はあまりの急展開に付き添いのヨルくん達にしがみ付いて震え上がり、案の定嘔吐反射で何度かおえっとなったものの、そこまでして調べて何も見えないと言うのだから、骨自体はもう抜け落ちてしまったのだと信じたい。おそらく、傷か何かが残ってしまってるんだろう。鰯の骨だったら多分大丈夫って、お医者さんも言ってたし。

 

 とりあえず一安心だが、また余計なことでお金を掛けてしまったな……と思いながら、病院の待合ですっかり冷え込んだ体を帰宅後に紅茶で温めていたら、直生くんが私の肩に自分のパーカーをひょいっと被せてくれた。微妙な面持ちでマグカップを啜る私の隣にあぐらで座り込んだ直生くんは、同情的な表情をしている。

 

「吐きそうになってまで検査したのに、災難だったな……」

「いや、まあ……正直、こんなカメラを入れ込まないといけない部位に骨刺さってたら、取る時なんてこれ以上に苦しいんじゃないかと思うと絶望的な気持ちになってたから、異常ないならラッキーなんだけどね……。けど、結局まだ治ってないし、飲むと痛いし」

「自然に治るの待つしかないって事か……お前が病院行った結果って、ホントそういうの多いよな。いや別に嫌味じゃなくて、金の工面もあるだろうし治るまで不安だろうし、大変だろうなって」

 

 以前であれば「そんな事くらいで病院病院騒いでんじゃねえよ、軟弱が」とか言いそうだった直生くんは、今やすっかり丸くなって心配してくれるので、その気遣いと優しさに感謝しつつ、私は目を細めた。

 

「まあねー。お小遣い節約しなきゃ……いやでもさ!? 久しぶりにおえってなる感覚思い出したし、これのおかげで次に食中毒とか胃腸炎なった時は、吐くのが下手な私でもスムーズに吐ける説ない!? 異常もないしその練習が出来たと思ったら、2700円めっちゃ安いかも!?」

「お前ポジティブシンキングにも程があるだろ!?!?」

 

 すぱこんと優しく頭を叩かれながら、ぐっとガッツポーズをしてみせる私。その隣で、恵李朱くんも例のしょぼん顔をしながら、自分とヨルくんの分の紅茶を淹れつつ会話に参加してきた。今は魔法学校がイースター休暇に入っているので、ヨルくんもエリくんも、リモート補修を家で見ながら宿題をしているところだ。

 

「ボクが現実に干渉出来るんだったら、すぐ目頭に見てもらうのにね(´・ω・`)骨なんて、見つけたらすぐに口で咥えて引っこ抜いちゃうよ」

「いや、管状のカメラでも喉の奥突っ込まれたらそれなりに苦しいのに、蛇は無理じゃない……?」

「髪の毛みたいにほそーくできるよ( ˙꒳˙)前にこれで夜羽の喉の骨取ったもん」

「怖いからやだって言ったんだけどね、入ってるかどうかもわからないくらいでね、喉の奥がこちょこちょってして、おしまいだったよ」

「マジか。目頭くん万能すぎでは??? 魔界の人医者要らずじゃん」

 

 恵李朱くんの体に埋め込まれた蛇こと目頭くんは、恵李朱くんの悪魔師範であるメデューサさん謹製の弟子監視装置なのだが、それ以上に摩訶不思議生物としての機能が高すぎる。ドラえもんのポケット並みに便利なその力を、兄のために使ってあげるのは何とも微笑ましいなぁという気持ちで、私は夜羽くんの頭をなでなでする恵李朱くんを、炬燵の反対側から眺めていた。かわいい。

 すると、それを聞いていた直生くんが、膝を崩しながらふと言った。

 

「えー。じゃあ、オレもあの時見てもらえりゃよかったなぁ」

「あの時ってことは、直生くんも喉に骨刺さったことあるの?」

「ちょっと前に。まあ、オレのは病院行くまでもなく自然に治っちまったんだけど」

 

 そう言って、直生くんが教えてくれた小話は、次のような内容だった。

 話の都合上、以下、ヨハネさん視点から見た再現映像をご覧いただこう。

 

*****

 

 ある日、野外での雑誌の撮影と、それとは別件のロケハンが同時に仕事として入っていた時のこと。

 二件外での仕事が立て続けに入っていれば、移動時間はもちろん長くなる。ダンサーだけではなくモデルとしての仕事もしているヨハネは、同じ事務所のよしみと、何より直生のパートナーであるという事実も大きく、一緒の仕事場になることが多い。今回も二人同時に撮影があるので、ロケバスも勿論一緒だった。

 

「……」

 

 が、今日の移動時間は、いつもとは微妙に違っていた。

 常日頃、ちょっと暇ができたと見れば、やれサービスエリアで買ったあれが美味いだの、やれ昨日のテレビは見たかだの、休憩中移動中問わず、カメラが回っている時間以外は口喧しくヨハネに話し掛けてくるはずの直生が、異様に静かなのである。

 向かい合った座席で窓の外を眺めていたヨハネは、車の走行音以外聞こえてこないあまりの静けさを訝しみ、進行方向とは逆側の席に座っていた直生の方をちらりと伺った。

 直生はヨハネよりも三半規管が強いようで、ジェットコースターも平気なタイプだ。だから、電車や車の移動で向かい合わせの座席を使う時には、酔いやすいヨハネよりも先に、進行方向逆側の席を我先にと陣取ってくれている事を、ヨハネは知っている。そんな、微妙な気遣いが出来るのか出来ないのかよくわからない恋人は、何を考えているのか読み取れない横顔で、車窓を流れる田んぼに目線を投げていた。流し見なら酔わないからと買ってすぐ封を切った漫画の新刊も、目を通す気配がなく、膝に置かれたままだ。現場やスタッフの前での直生はまったくのいつも通りで元気そうに見えるが、今日の移動時間の大半は、ずっとこんな感じなのである。

 暗い車内へ斜めに差してくる春の陽光が、深刻な横顔を半分照らしている。眩く金に輝く睫毛を半分伏せ、キラキラと光る明るい髪色を陽に晒し、頬杖を突いたまま足を組んでいるアンニュイな直生の顔を見て、ヨハネは思わず胸がざわついた。仕事で大失敗した訳でもあるまいに、どこか憂いた顔で窓の景色を眺めているなんて、いつ如何なる時もこいつに似合わない。もしかしたら、隠しているだけで今回の仕事で何か重大な悩みをこいつなりに抱えていたり、疲れが溜まっていたりするのかもしれない、と。

 ただ、隠すほどの事であるなら、いくらパートナーとはいえどうつついたらよいのかも分からず、ヨハネはわざとらしく大きく一つ咳払いをした。その音に我に返ったように、直生の視線が窓から引き剥がされる。その機会を掴んで、ヨハネはそろっと第一声を投げ掛けた。

 

「えっと……どうかした?」

「ん?」

「いや、なんか今日のあんた、静かだから。腹でも痛いのか」

 

 単刀直入に聞けばいいのに、婉曲にしか伝えられない角張ったヨハネの言い草に、直生は一瞬きょとんとした目を向けたが、気まずそうなその表情を見て言いたいことに察しが付いたのか、今度は頬を掻きながらやや困った顔になった。

 

「あー……いや、その。大したことじゃねえんだけど。昼間のロケ弁で食ったアジフライの骨が、喉に刺さっちまって……なかなか取れなかったから」

「はあああああああああっ!?!?!?」

 

 と、怒鳴りたいのをヨハネは間一髪のところで飲み込んだ。

 ここまで自分に一日気を揉ませといて、真剣に心配してたのがバカみたいだ、と思ったのだが、よく考えたら魚の骨も不愉快なものではあるし、人によっては重大案件だろう。それに、万が一こんな事で自分が心配したなんてバレたら、絶対に揶揄われる。そう思って辛うじて閉口したのだった。後者の理由はともかく、感情的に爆発する寸前、相手を慮って黙れるヨハネも十分優しいのだが、あいにくと本人はその事に気が付いていない。

 一旦ぐっと引き結んだ唇を、ヨハネはそれとない素振りで開いて尋ねる。

 

「……で、取れたの?」

「ん。さっき茶ぁ飲んだ時に。多分もう平気だ」

「あ、そ。よかったね」

 

 つんと顎を逸らしたヨハネはそれ以上何も言わないが、その頬が夕陽に当てられたにしてはちょっと赤すぎる程度に染まっている。それを見て、直生は小さく笑いながら、トンネルに入った隙に席をヨハネの隣に移した。その細い肩を、直生の腕がぎゅっと抱き寄せて体温が近くなる。

 

「サンキュ。心配してくれたんだろ」

「べ、別に。〝取れなかった〟って言ったから、取れたのかと思っただけ」

「なんか今日は、やたらとお前からの視線が熱いなあと思ったよ」

「わ、わかってんだったら一言ぐらい何か言えばッ!?!?」

 

 横を向いて思わず反論に開いた唇を、暗闇の中でさりげなく奪われる。顎先に手を当てられ、自分の置かれた状況も忘れて、反射的にヨハネの声が漏れた。

 

「んっ……」

「バカ、声出すな。運転手に聞こえちまうだろ」

 

 吐息にさえ甘い香りが乗り移りそうな程近くで、掠れた声が囁く。お前が先にしてきたんだろうがとヨハネは言いたくなったが、やたら熱い唇と、こんな短い間にも全身を駆け巡っていく痺れのような快感に翻弄されて、声を殺すのが精一杯だ。

 肩を抱いているのと反対側の手が、口付けながらヨハネの細い指をまさぐり当てて、指先を絡めながら握り締めた。ありがとうと照れて言うよりは、こうした方が直生にとってはよっぽど伝えやすいのだという事くらい、ヨハネにもわかる。むしろ、感じすぎるくらいに伝わってしまうから困るのだ。

 

「っ……何、そんなに浮かれるくらい、嬉しかったわけ?」

「ああ。心配性の誰かさんがこうも可愛いと、舞い上がっちまってな」

 

 呼吸の隙間に言葉を継ぐように、なお唇を啄み続けながら、直生が喉元を震わせる。こんな時に限って茶化すことなく、嬉しいという感情を隠しもしないでぶつけてくるのはズルいと、暗がりの中でヨハネは思った。

 トンネルを車が通過する寸前、暗闇が明ける前に唇を離した直生は、くすっと小さく笑って、存外子供が照れたような甘酸っぱい表情をしていた。自分の方が余程一方的に羞恥に耐えかねているのだろうと思っていたヨハネは、思わぬ表情に面食らう。

 驚いている隙に、直生は子供のようにどかっと座席に座り込みながら言った。

 

「さーて、お前に要らん心配掛けるぐらいなら、こっから先は存分に騒ぐかな!」

「は、ハァ!? 静かだねって言っただけで、別に騒いで欲しいワケじゃないんだけど!?」

「まあまあ、そう言うな。まだ帰りに寄れる美味そうな店あんだろ。調べといたんだよ。ここと、ここと……」

「ちょっ、急にガイドブック渡すな! ボクは無理だよ、車の中で読めないんだから。あんた適当に選べば?」

 

 投げられた薄い冊子を前に目を白黒させるヨハネの前で、指を立てた直生はさっきまでの静かさが嘘のようにぺらぺらと喋り始めた。

 

「そうか? シュークリームとエクレアとタルトで迷ってんだよ。けど、愛理の土産のこと考えると羊羹も捨て難いし。藍の奴、クリーム尽くしにしたらまた太るっつって怒るかなぁ。

あっ、おいあそこの看板にあるゲーム、この間詫び石配布してたの知ってっか? お前まだだったら受け取って来いよ。それからさぁ、ゲームといえば中に出て来たクイズにすっごい面白い奴があってさぁ」

「うっ……うるさーい!!!!! 機関銃みたいに一気に喋んないでくれるッ!? やっぱり黙らせといたままにしとくんだったッ!」

「なんだよ、オレが静かだと不安なんだろ?」

「加減ってもんをちょっとくらい覚えなよ、この両極端! 魚の骨なんか刺さんなくてもボクの声帯が痛むっつーの!」

 

 ゲラゲラ笑う直生の前で、怒ってみせるヨハネの表情がほっとしたように緩んでいるのを観察できないほど、直生も阿呆ではない。

 結局はいつも通りの騒がしさに戻ったロケバスは、スタッフ達との合流地点まで、無事に二人を乗せて辿り着いたのだった。

 

*****

 

「……よくわかったけど、その説明に後半のくだり要った?」

「えっ……あ、あれはその、ヨハネの反応があんまり可愛……って、これは別にどーでもいいっ、やっぱ忘れてくれ!」

 

 私のツッコミに、今更のように慌てながら両腕を振る直生くん。

 と言われても、もうヨルくんもエリくんもニヤニヤしちゃってるし、遅いと思うけど。

 

「ごちそうさま( ˙꒳˙)」

「? 恵李朱、紅茶はまだ残ってるよ」

「こういう時は『ごちそうさま』って言うんだよ、夜羽( ˙꒳˙)」

「そっか、なるほど」

「お前はまた余計なことを教えんでいい! 夜羽も! そっかじゃねーの! 聞かなくていいから!」

 

 子供相手に本気でぎゃあぎゃあ騒ぐ直生くんの前で、にこにこしている双子のヨルエリくん兄弟。やはり、天使と悪魔には人間は敵わないという事だろうか。意味違う気がするけど。

 うんうんと腕組みしながら、恵李朱くんが更なる追い討ちを放つ。

 

「とにかく、骨抜きにされちゃったわけだね。直生くんもヨハネも。魚の骨だけに」

「おお、エリくんうまいこと纏めたねぇ」

「いやうまくねーし! てか、お前の喉に骨が刺さったって話なのに、なんでオレの話で纏めるんだよおおおおお!」

「まあまあ、こんないい話が聞けたと思ったら、魚の骨が刺さったのもやっぱりそう悪くはないよ」

「お前の万年ポジティブシンキングもいい加減にしろよ!? 刺すぞ!? イヤリングの先を!」

「えっ、それ貸してくれるの!?」

 

 目をキラキラさせた私の前で、顔の火照りが未だ冷めやらない直生くんはやれやれとため息をつきながら、耳元に黒のループイヤリングを付けてくれた。ヨハネさんと直生くんがお揃いにしてる奴だ。耳に提げるとピアスに見えるそれを、自分のパーカーを羽織った私の耳にあしらって満足そうに眺めた直生くんは、ふと照れを隠すように明後日の方向を向きながら、ぽんと私の頭を撫でた。

 

「お守り代わりだ。貸してやるから、風邪引かねえように今日は家で大人しくしてろ。待合、寒かったんだろ」

「うぬ。ありがとう〜」

「じゃあ、ボクは早く治りますようにっておまじないかけとくね( ˙꒳˙)」

「ぼっ、ボクも、痛いのとんできますようにっておまじないするね!」

「二人もありがとう〜」

 

 放っておくと怪しげな祈祷を始めそうな勢いの夜羽くんと恵李朱くんを、ぎゅっと抱き締める。

 直生くんが大事に至らなかったのもよかったし、甘々エピソードが聞けたのもよかった。その激甘な角砂糖の一片くらいを飲み込んだら、この痛みも鎮静化したりしないものかしらと思いながら、私は一口、ぬるくなったお茶を啜ったのだった。




@事務所
ヨハネ「……っ、へっきゅしゅん!」
ライラ「あら、ヨハネくん大丈夫? まあ、最近は季節の変わり目だし花粉症も酷いらしいし、お互い気をつけないとよねー」
ヨハネ「いや、これは多分、誰か噂してますね……」(ずびっ

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