まだ感情に乏しい恵李朱の、高火力な魔法を見た髭切は……
【Cam_Spirit World_Castle_2014_05】
「おじゃましまーすっ」
軽い調子で、庭に生えたかぼちゃ畑の蔓をひょいひょいと避けながら、黒で統一された魔界の雰囲気には殊更目立つ真っ白なスーツとジャケットの装束が、鼻歌混じりで屋敷の敷地を歩いていく。
天界や聖なる存在とは距離を置いて暮らしている魔界の住人は、セキュリティ代わりに魔法陣や魔法生物を邸宅に仕掛けていることも多く、中には天使や妖精を襲って喰らい尽くしてしまいような危険な罠もあるのだが、薄黄色の髪をした見た目が中性的なこの青年の放つ神気に、かえって罠の方が怯えて引いてしまう始末だった。もちろん、ここへ来る道程の邪気も瘴気も、跳ね飛ばしてしまうほどの神気を纏ってにこにこしている。魔界の住人的な視点から見ると、この青年の方がよっぽどサイコパスじみているのだった。
「ありゃ。呼び鈴鳴らないねえ。お留守かなぁ」
鳴らないのではなく、持ち前の剛力と霊力でインターホンのボタンを壊してしまっただけなのだが、本人はまったくその事に気付いていない。
勝手に裏口から中に入り、カラスの飛ぶ庭を見渡してきょろきょろしていると、不意に鋭い何かが飛んでどこかに刺さる音が、髭切の耳に届いた。
かぼちゃ畑の中に点々と立つカカシに向かって、両端の跳ねた金髪の少年が、ダーツの矢を投げている。投げる地点は畑のかなり手前で、子供が矢を届かせるにはどのカカシもかなり遠くに設置されているのだが、それでも軽々と、無表情でひょいひょい矢を投げて命中させていた。
大きなかぼちゃの上に座り、足をぶらぶらさせながら気紛れに投げた矢が、すとっとカカシの胸に刺さる。次に頭。右手、左手。胴体に両足など、細かな標的にも命中していくのがさも当然と言ったような表情で、少年は最後に、口から火を吹いて矢に乗せてから投げると、カカシごと畑を焼き払ってしまった。
月夜の下、風に煽られて、白い肌の表情が火の粉の中に映える。ひどく冷徹に見えるが、そのくせぼんやりとして何も考えていないようにも、つまらなさそうにも、ひどく幼くも見える顔。
「わーお。すごい力」
屋敷の影に隠れてその様子を見ていた青年がひゅうっと口笛を鳴らしたその時、背後からずるずると不気味な足音が迫ってきて言った。
「来るなら事前に連絡を寄越さんか、
「あっとー。ごめんね、今日は様子見に来ただけだから、すぐ帰るつもりだったんだよ。勝手に入っちゃマズかったかな」
呆れたように闇の中で佇む黒いドレスの女性は、髪の中にもドレスの足元からも幾多の蛇を這わせた異形だった。いわゆるメデューサだ。その姿形にも動じる事なく、髭切と呼ばれた青年はのほほんとしている。
「こんな無粋にわらわの屋敷へずけずけと入って来れる奴は、お前とアホ狐ぐらいじゃ。いくら加護があるとはいえ、怯えることすらないとはの。源氏の重宝、だったか。付喪神とはふてぶてしい者ばかりじゃの」
「いやだなー、そんなに褒めないでよ。えーと……目ぇーのお姉さん?」
「褒めとらんが!? それとわらわの名は目デューサじゃ! この見た目で何度言っても覚えられんのはお前くらいじゃぞ!?」
髭切の足元に這い寄ってきた黒い鱗の蛇が、しゃーっと声を上げる。その割に目デューサが本気で怒らないのは、どれほど名前を忘れていようと呼び方が適当だろうと、髭切が絶対に彼女のことを「お姉さん」扱いしてくれるからなのだが。
わあっと蛇の群れに驚いたような声を出しながら、髭切が月明かりの下でその目を輝かせる。
「それより僕、お姉さんにその蛇しまって欲しいなぁ。あんまり目の前に動くものがいると、ついうずうずして斬っちゃいたくなるんだよね〜」
「お前は、たまに魔界の連中よりよっぽどえげつない事を言うね……」
恐ろしいことに、どこまでも本気なのである。髭切の記憶力のなさにも、天然物と言って遜色ないゆるふわさにも呆れながら、目デューサはもはやげんなりとして、しゅるしゅると蛇を引っ込めたのだった。
「あの子の……エリスの様子を見に来たのか?」
「うん。深い意味はないけど、特に変わりないかなーと思って」
「いつも通りじゃ。転生してからしばらく経つが、わらわの屋敷くんだりまで、あの子を脅かしたり取り返したりしようとする輩も見てはいないしね」
「うんうん、それはよかった。平和が一番だよ」
「わらわが言うのも何じゃが、それは付喪神がこの世界に来て言うセリフか?」
振り回されっぱなしの目デューサが思わずそう呟いている間に、畑の端の方にある池に移動した少年ことエリスは、水上に石を放って水切りをしながら遊んでいるようだ。相変わらず黙々と石を放っているが、孤独に遊ぶその仕草から、どことなく微かに楽しげな空気が見て取れる。
「まったく。わらわが出かける間に畑を野焼きしておいておくれとは頼んだが、相変わらずあの子は仕事が雑じゃ」
「ええー、やる事さっさと終わらせて遊ぶのはいい事じゃない? 有能だよ」
「それはそうだけどもね……あの子には、子供時代がない。事情が特殊でな。本来は転生後の世界に生まれるところから新たな人生がスタートするが、あの子は生まれながらにしてあの姿じゃ。
ゆえに、心身のアンバランスさが目立つ。わらわも見てはおるが、あまりに淡々としていて、もう少しぐらい子供らしい感性が目覚めないものかと不安にはなるだろう」
「うーん、今の恵李朱も可愛げはないけど、子供っぽいとは思うよ?」
言われた事にありのままを答えて首を傾げる髭切に、目デューサは苦笑する。
「思えば、お前とエリスもどこか似てはおるな」
「そう?」
「まあ、あの子も人間界に出て、ゆくゆくは巡り会う双子の片割れや友人らと出逢うことで、人の傍に在る悪魔として成長していくことだろうね」
「目のおねーさん、時々心配とかならない? あんな強い力を持っちゃう子が悪魔だなんて、暴走して僕らと相対することになっちゃったらどうしようって」
穏やかな表情の中で、不意に髭切の眼光が鋭くなる。
それに動じることもなく、目デューサは黒いドレスのレースを靡かせながら、髭切を不敵な笑みで振り返った。
「その時はその時じゃ。わらわは、あの子を軟弱な堕落者の悪魔に育てるつもりはないからな。人と共に在り、人と共に生きる魔物にしてみせる。
それが成らなかった時は——お前があの子を斬るがよい。刀には易い真似だろう? わらわが決して、そんな事態にはさせんがな」
その強気な態度に、踵を返しかけていた髭切は驚きの表情を浮かべ、そして楽しそうに笑った。
「あははっ、それ最高だね。いいよ。約束を違えるほどどうしようもなくなった時は、僕が何とかしてあげる。鬼切りの刀だもんね。鬼だろうが、刀だろうが——たとえ悪魔だろうが、切っちゃうよ。その時は」
妖しい月の下で振り返ったその瞳が、刹那、数々の伝説を帯びてきた宝刀に相応しい修羅の表情を浮かべた。
コウモリが飛ぶ軒先を、土で汚れるのも構わずに、髭切は上機嫌に歩いて帰っていく。もう用事は済んだらしい。慌てて目デューサが叫んだ。
「おい! 次こそはわらわの名前を覚えてくるんじゃぞ!」
「んー、わかったー! 目ぇー姉さん!」
「どんどん酷くなっておらんか!?」
まるで雰囲気に合わない桜を足跡のように残して、大きく手を振った髭切が去っていく。
その桃色の花びらを手に掴んだ目デューサは、声を聞きつけてこちらに駆けてくる愛弟子エリスの姿に応じながら、ぽつりと呟いたのだった。
「……もうそろそろ、あやつに壊されないインターホンを真面目に考えるべきじゃな」
目デューサさんは、エリスくんを転生させた力の強い魔族であり、エリスくんの師匠。
彼がなぜ「恵李朱」という名を持つに至ったのか、なぜ夜羽くんと出会って藤の苗字を授かり双子となったのかは、「運命の人」シリーズに詳しく書かれています。