両親の離婚が既に決まっているヨアは、幼いながらどこか人生を諦念している様子。
そんな彼に、山姥切は……?
※2025年、「オレンジの片割れ」一次創作化と夜翰さん→ヨアさんへの転生により、一部記述を修正しています!
【Cam_The World of ORANGE_Real_Tokyo_2043_05】
「さて。主らの言っていた地点というのはここか」
住宅街の一角に佇む、とある家にやって来た
青地のネクタイを締めたシャツに、水色のセーターと灰色のスラックスを合わせた、すらりとした装い。それを彩る朱色のベルトと、金のメダルが胸元に眩しい。極める前に被っていた白布は、今は山姥切本人としては必要としていないのだが、以前修行から帰って来た際、本丸で待つ主のぬいぐるみことぬい達が、布を脱いだ山姥切の姿を見慣れないあまり大騒ぎになってしまったため、戦地に赴く時以外は成り行きで羽織っていることが多かった。今日も出発直前まで布の端をぬい達にしゃぶられていたせいで、結局なんとなくこのままで来てしまったのだ。
「まあ、それであいつらが安心するなら、俺は別に構わないが……まさか、布を俺の一部と思っているんじゃあるまいな」
白く広がる布がヒーローのマントを彷彿させるのか、ぬい達だけではなく、次代の主候補である夜羽や、そのきょうだいである恵李朱といった子供達にまで、本丸では好評なのである。その輝きに満ちた視線を不意に思い出し、くつくつと笑ってから、山姥切は開けっぱなしのガラス窓からカーテンの内側を覗いた。
部屋の中に、子供の姿がある。紺のズボンに上質のシャツを纏った、一目で育ちが良さそうだとわかるような衣服を身に纏った子供は、入り口に立った母親らしき人物と何か話をしていた。
当然、カーテンがあるとはいえ子供部屋からベランダの外は丸見えなのだが、付喪神である山姥切の姿は、こちらを向く母親には見えていないらしい。
しばらく様子を伺っていると、母親は子供に紙幣のようなものを渡して部屋を出て行った。愛想よく応対していたように見えた子供は、くるりと体を反転させた途端瞬時に冷めたような表情になり、勉強机の上の引き出しに紙幣をしまう。内側は意外と綺麗に整理され、種類別に貨幣を分類できるようになっていて、変なところで几帳面なのは大人になったこいつと変わらないと、山姥切は小さく苦笑したのだった。
その時だ。
「……誰なのさ、あんた。まさかドロボウ?」
すいっと窓辺の方を向いた子供が、青色の瞳をまっすぐにこちらに向けながら問い掛けた。片方の瞳は、橙混じりの変わった色をしていて、この頃から既に、その瞳には電脳世界からの影響があったらしい事が窺える。血色のいい褐色肌の顔の中で、つんと尖った形良い唇から発せられたのは、少年の声だ。
山姥切は、思わず瞬きした。この少年の未来の姿と、山姥切とは既に本丸で顔を合わせて知り合っている。だから、大人になった彼に山姥切の姿を視認できる能力があるのは、まあ頷ける。しかし、審神者や本丸や、刀剣男士といった概念すら知らないであろうこの時代の少年にも、付喪神を知覚できる力があったことに、山姥切は純粋に驚いた。夜明には特殊な能力があると聞いていたが、あくまでバーチャル世界の物質に対しての物だけだと思っていたのだ。見られた時にどう応対するかという心の準備が、全く出来ていない。
「驚いたな。俺が見えているのか」
「見えてるも何も、さっきからそこにいたじゃん」
母親の前では、見えない振りをしていたようだ。慌てることも騒ぐこともなく、やや好奇心を讃えた瞳をうっすら細める様が、まだ子供でありながらも見覚えのある姿を彷彿とさせるなと、山姥切は思っていた。
「どうしようか。通報しないでいてあげてもいいけど、その代わりボクの言うこと聞いてくれる?」
「俺は、物盗りじゃない」
「じゃあ何。ああ、もしかして誘拐ってやつ? ボクがあんまり可愛いから。まあ、いいんじゃない。ママもパパもお金はいっぱい持ってるからね。ボクのためだったら、幾らでも出すと思うよ」
ふん、と鼻息を吐き出す様が、どこかその歳に不似合いな諦念で染まっている。
どうしたものかと、山姥切はやや困惑気味で、とりあえず警戒心を抱かせないよう、生意気な少年の前に視線を合わせてしゃがみ込んだ。
「なぜそこまで自分を蔑ろにする?
「ちょっと待って。なんでボクの名前知ってるの?」
「そこに書いてある」
白く綺麗な指先で、山姥切がすっと指差したランドセルには「JOAH KANBA」と刻印されたネームタグが付いている。そんな物を見ずとも山姥切はとっくにその名前を知っていたが、この場合は知り得た所以を教えた方が自然だろう。
少年は——
「うち、パパとママがもうすぐ離婚するんだって。二人とも、ボクを引き取りたくて競ったようにお小遣いくれたり、服を買ってくれたりするんだけど、そんな事ができても、二人が一緒にいることはできないんだよね。人の繋がりなんて、そんなものだよ。ヨウイクヒをどうこうするってのが決まったら、パパとママの関係も終わり。結局なんでも、お金で解決するんだ」
「……」
夜明の両親が子供の頃に離婚した話は、山姥切も主や本人から聞いて知っている。それでも、実際の歴史の中でその現状を前にすると、心が痛むものがあった。
机から出した紙幣を、粗雑に掴んだ夜明がひらひらと振る。
「だから、あんたの目的は知らないけど、金でボクの事をどうにかできるんだったら、あの人たちはいくらでも何とかする。競争してんだよ、あの二人。どっちがボクの事を大切にしてるか、お金と玩具と洋服で、何でも競ってるんだ」
「……俺が偉そうに説教できた義理ではないが、それもお前の両親が、お前に関心を持っている結果だろう。そのやり方には、確かに賛成できないがな。
というか、俺はお前を誘拐するつもりはない」
「じゃあ、本当に何しに来たわけ?」
「単純に、お前と話しに来た……というのも、妙な話か。とにかく、お前の身の安全が確認できたなら、俺はすぐに帰る。話の聞き役ぐらいにはなってやれるが、特に何をするでも、ましてや危害を加えるつもりもないから安心しろ」
「……変な奴」
あからさまに、その形よい細い眉を顰めた夜明は、結局騒ぐことも人を呼ぶこともなく、机の前に座って、ランドセルに丸めて入っていた画用紙を広げた。やや安堵しながらも、山姥切は正直な疑問を口にする。
「勝手に侵入した俺が言うのも何だが、よく落ち着いていられるな」
「だって、騒いでも結局無駄だしね。今、パパは別居中だから滅多にこの家に帰って来ないし、ママはさっき仕事で出て行った。今日はもう夜まで誰も戻って来ないよ」
「遅くまでこんな子供一人とは、不用心だな。そこまで金があるというなら、使用人や警備員の一人ぐらい雇っていてもいいんじゃないか?」
「いつもはハウスキーパーの人が来てるよ。けど、さすがに毎日じゃないし、ボクも身の回りのことぐらいは一人でできるようになってきたから。っていうか、あんたに言われたくない」
それももっともだ、と苦笑しながら、山姥切はクレヨンを動かす夜明の手元を覗き込む。
「それは何だ?」
「今日の図工の時間で描いたやつ。母の日だから、カーネーションの絵を描いてお母さんにあげましょう、だってさ。笑っちゃうよね。一日の大半、仕事でいないような母親なのに」
真っ赤な花の絵と、緑の茎が画用紙にこぢんまりと描かれている。もっと空白を埋めてもいいだろうに、どこか小さく収まっているその絵は、案外几帳面な夜翰本人の性格を表しているようにも、どこか自分を押さえつけているようにも見えて、山姥切は机の傍に立ったまま、小さく目を細めた。
「母親にはまだ見せてないのか?」
「別に見せなくていいよ。帰ってくる頃には母の日終わってるんだし。そうじゃなくても下手くそだし、見せる意味ないし」
そう言いながらも、夜翰は小さな手に握り締めたクレヨンで、真剣に画用紙を塗り潰していた。口で何を喋ろうと、真剣な目の光が、絵に掛ける思いを物語っている。本当にこれを見せなくていいのだろうかと思いながらも、山姥切はただ隣で、その作業を見守っていることしかできない。
やがて納得できるところまで描き上げたのか、その絵を両手で持って眺め頷いてから、夜明は山姥切のことを振り返った。
「ねえ。いっそのこと、誘拐してみせてよ。ボクのこと」
唐突に何を言い出すのかと、目を見開いた山姥切の前で、椅子の上でくるりと体を反転させた夜明が、にこりと笑う。椅子から揃えた両足を斜めに下ろして、小首を傾げながら妖艶に微笑むショートボブ姿の少年は、外から差し込んでくる夕陽の光の中で、天使のような美しさを纏っていた。どこか寂しげな、疲れたような笑みを浮かべながら。
「もう、どうでもいいんだ。パパとママのことなんて。いっそパパもママも、誰にも届かないところまで行っちゃいたい。本当にお金目当てじゃないんだったら、あんたにだってそのぐらいできるでしょ? 白い布のドロボウさん」
縋るようでありながら、どうせ否定されるとわかっているような、その上で慰めに憐れみの言葉を掛けてくる相手を蔑んでいるような、そんな言葉だった。山姥切より遥かに小さな体が、彼を見下ろしてくるかのようだ。
どれほど助けたくともその期待に応える事はできないと知りながらも、山姥切は迷うことなく、夜明に向かって口を開いた。
「神隠しの頼みだったら、俺には無理だ。たとえ逃げたくなったとしても、お前にはお前の、俺には俺の、やるべきことがあるはずだ」
「あはっ、何それ。妖怪か何か? まーそうだよね。あんただって、これ以上犯罪者にはなりたくないもんね」
結局、お前も保身に走るのだ。夜明の言葉は、言外にそう詰っているように聞こえる。それに反発するように、山姥切はきっとした目を夜明に向けた。
「それに、どうでもいいと思っているようには、俺には到底見えないな。そう思い込もうとしているだけで、お前には本当の望みがあるんじゃないのか?」
「ボクの……」
虚を衝かれたように、夜翰が怯んだ表情を見せた。一瞬、虚勢も皮肉も、何もかもが剥がれ去った無垢な表情に、山姥切は畳み掛ける。
「お前は、本当はどうしたいんだ?」
美しい空のような碧眼で、揶揄うことも問い詰めることもなく、ただ静かに、真面目に淡々と、山姥切は子供の夜明に向き合った。
自分がどうしたいのか、などという問いは、嘘を吐き続けることに慣れた夜明には無意味だった。小さな嘘の積み重ねは、ただ家族の気を惹き、翻弄し、できるだけ大きなものを手に入れるためで、その先に何を望むかなど、考えた事もなかった。
けれどこの瞳にまっすぐ見つめられると、美しさと可愛さと高級さで着飾った自分自身の外側はひどいハリボテで、中身は空っぽのような気がして、夜明の心がざわついていく。それと同時に、胸の奥が微かに熱くなる。何がしたいのかを、自分が望んでみてもいいのだろうか、と。
自覚なく心臓を押さえて俯いた夜明に、山姥切は声を和らげた。
「本当の思いを持ち続けていたところで、お前にとってそれは苦しいだけかもしれない。だが、その思いを決して消さないで欲しい。
誰にも伝わらずとも、人に通じずとも、自分の中に生き続ける思いや記憶が、お前という存在を形作っていくんだ。誰に言われずとも、お前の在り方はお前で決めろ」
「……難しくて、よくわかんない」
正直な瞳が、不安そうに揺らぐ。
その頭を、山姥切はぽんと優しく撫でながら微笑んだ。艶のある髪越しに、夜明にもその掌の温かさは伝わってきた。
「今の俺が、お前の憂いを斬り伏せてやるわけにも、導いてやるわけにもいかない。どんなに苦しくとも、お前が歩いた先にしか、夜明という存在はないからな。
けれど、約束しよう。〝その時〟には、必ず俺がお前の手を取ると」
真摯で、こちらを強くまっすぐに見つめる瞳に、夜明は気押されたように、言葉の零れない唇を薄く開く。差し出された大きく広い掌の小指に、わけがわからぬまま吸い寄せられるように小指を合わせてしまったのも、その言霊から伝わってくる信頼ゆえのことだったのだろう。
次の瞬間、階下から呼ばれる声がして、夜明は夢から覚めるようにはっと顔を上げた。
「夜明ー? いるー?」
先ほど去ったはずの人の声に、慌てて子供部屋から駆け出した夜明が二階の廊下から下を覗くと、階段の下にケーキの箱を提げた母親の姿があった。
「ママ! どうして!? 仕事で一日帰って来れないんじゃ……」
「今日の仕事、やっぱりキャンセルすることにしたの! 今日は母の日でしょう!? 折角なら、夜明と一緒に過ごしたいなって。ほら、ケーキ買って来たのよ。今日は夕飯も私が作るし、後で一緒に食べましょう?」
笑顔で手を振る母は、少し息を切らしているようだった。慌てて帰って来なくても、別に夜明が家から消えるわけでもあるまいに、余程慌てていたと見える。
後で行く、と答えてから、夜明は廊下の手摺にもたれたまま、むっつりと口を曲げた。
「……別に、そんなんで機嫌取られても嬉しくないし。ママが帰って来たって、どうせパパはうちにいないんだから」
不機嫌そうに口は結ばれているが、頬は微かに紅潮している。
ひくつきそうになる唇の端を一生懸命抑えながら、夜明はなんとか振り返って、子供部屋の扉を開けた。
「ねえ。ママがケーキ買ってきたって言うんだけど、よかったら一緒に……」
口を開いて言いかけてから、夜明は無人の部屋に立ち尽くした。あの不思議な青年は、部屋のどこからも忽然と消えていた。慌ててバルコニーに駆け寄って周りを見渡すも、そこには見慣れた住宅街があるだけで、通行人の中にあの布を纏った姿は影も形もない。
「何だったんだろう……」
夢だったのだろうか、と夜明は思わず片頬を手でつねる。と、その頭上にひらりと、ピンク色の欠片のようなものが降ってきた。
「桜……?」
掌に乗せて不思議そうに眺めた夜明は、部屋の床にもそれが落ちていることに気付く。机の上には、さっきまで自分が塗り潰して完成させた、カーネーションの画用紙があり、その上にも花弁はひらりと舞い降りていた。まるで、ついさっきまでそこに誰かがいたことの証明のように。
しばらく考えて、夜明は拾い集めた花弁と一緒に、それを画用紙の上へセロテープで貼り付けた。カーネーションの絵なのに、桜が貼ってあるのは変に思われるだろうか。それでも、花好きの母親ならば、喜んでくれるように思えた。
丸めてリボンを結び直した画用紙を持って、夜明はにんまりとしながら部屋を出る。
普段ならば、これでどの程度母親を喜ばせる、褒美に幾ら小遣いをせびれるかと考えるところだ。けれど今日ばかりは、それだけではない微笑みが、彼の表情を占めていたのであった。
夜明さんの苗字を見て気付いたかもしれませんが、タイトルの「篠崎」と作中の「樺」が違うのは、両親が離婚してお母さんについて行ったからなんですね。篠原は母方の姓、樺が父方の姓。モデルとなった「セブンスコード」の夜翰さんの原作設定に、そこは合わせてみました。
我が家の望寧ちゃんは、第五話で出て来たように樺家の人間ですが、これまた「セブンスコード」から二次創作で派生して作った、夜明さん(元・夜翰さん)のご先祖様という設定があるからです。流石にあまりにも創作要素が強すぎるので、まんま一次創作設定に流用しました←
望寧ちゃんは夜明さんのひいひいおばあちゃんに当たります。詳しくは、マルメロ家日記の「其は、いにしへの君」をチェック!