犬が苦手なのになんで犬になってるのかは突っ込んではいけない。
ほら、車酔いする人も自分で運転するのは平気とか言うし(?)
「……」
金曜日の真昼間である。
喫茶店とスーパーに鯨を伴いながら共に出向き、布団に転がったムラサキを、直生が見下ろしていた。
いつもと変わらないポニーテールだが、その頭髪からはみ出た、ミルクティー色の柔らかそうな垂れ耳は、面白がって直生に魔法を掛けた夜羽と恵李朱によるものである。耳こそ垂れているが、目つきは鋭い。同じく毛量の多い亜麻色の尻尾は、落ち着きなくさっさと畳を払い続けていた。
視線の先に、抱き枕に抱きついたまま、安らかに口を半開きにしているムラサキの顔がある。寝るつもりはないと言っていたが、案外疲れていたらしい。
「すぴー……」
澄んだ青い瞳は、せっかくオレがいるのにこのザマは何だと言いたげな光を放っているが、これは拗ねているだけで別に怒っているわけではない。
直生は、ムラサキ——の抱き付いている、白くてもふもふの抱き枕をじっと見つめていた。この家への嫁入り前から、ムラサキの実家からはるばるついて来ている、あざらしの抱き枕である。多少変色し、型崩れしてふにゃふにゃになってきているが、人間の子供ほどの大きさはあるそれを両足でがっちりホールドしながら、ムラサキは安心したような顔をその白毛に埋めていた。
対して、直生の顔の険しい事といったらない。
「……」
なんでこんな怖い顔で睨まれているのか、あざらしの方が聞きたいといった顔で冷や汗を浮かべている。ような気がする。
つまるところ、直生の嫉妬というやつだった。
なぜこんなに上等の抱き枕が傍にいるのにそんな奴を抱いているのか、とでも言いたそうである。が、そんなことを素直に言える直生ではない。
そもそも自分は、過去にムラサキを嫌っていたキャラで通っている。最近になってそれは変化したものの、だからといって気楽に簡単に、おいそれと余裕のない顔を見せたくはないし、傍に居させてくれと素直に打ち明けるのも恥ずかしい。
先程まで直生のワンピースを着ていたムラサキは、部屋でそれを脱ぎ落とすと、下に着ていた白の半袖シャツに、これまた直生のデニムのキュロットを部屋着代わりにしていた。
最近は寒い寒いと騒いでいたくせに、滅多に着ない相当なミニ丈のキュロットで堂々と寝ている。抱き枕をホールドする脚は、ワンピースの下に穿いていた白タイツのままなので、寒くないらしい。タオルケットすら掛けていない肩は、捲れ上がった半袖の下から剥き出しになっていた。
「……おい」
直生が隣に座って声を掛けても、ムラサキは小柄な体をあざらしごとぎゅーっと丸めるだけで、起きない。
風邪を引いたらどうするんだと、言い訳するように白いタオルケットをそーっと引っ張って体に掛けるが、それでも勿論起きない。その腕に抱かれたフィット感満載の抱き枕を、手放す気配もなさそうだ。
(あーーーーーーっ、もう!)
ぼふん、と音が立って煙が上がる。我慢が限界に達した直生は、獣人姿から、レトリバーのような犬姿に変化していた。
亜麻色の柔らかな体毛を持つ巨躯が、胸毛を波立たせてぼすうっとムラサキの隣に潜り込む。
ムラサキと抱き枕の間に一片の隙間もないのがもどかしいと言うように、仕方がないのであざらしとは反対側にムラサキをサンドするようにして押し掛けると、タオルケットの下に泳ぐように顔を突っ込みながら、ふんふんと鼻を鳴らす。
起こしたくはないが腹立たしい、というように、脚で布団を蹴りながらばたばたしていると、ムラサキの喉から微かに声が漏れた。
「ううん……」
「!」
もしや起こしてしまったか、というように機敏に頭を上げた直生の耳がゆらんと揺れるが、そうではなかった。
ムラサキはごろりと寝返りを打つと、枕を背にして直生の方に体を向けたのである。
そのまま、今度は直生のふわふわした毛に顔を埋めて、また安堵したようにすーぴー寝息を立て始める。
「……」
ぽんっ、とたまらず煙を立てて人型に戻った直生は、固まっていた。耳がほんのり赤い。まさか、こんなに素直に身を委ねられるとは思っていなかったらしい。
狭い布団の上でぎゅうぎゅうに密着していたので、今は腕の中にムラサキの姿がある。そっと引き寄せるように両腕を回すと、ムラサキは毛皮の代わりに直生の豊胸に顔を寄せながら、すよすよと眠り続けていた。柔らかな呼吸音と共に、静かに胸が動いている。
「……ったく」
自分から潜り込んでおいて悪態を吐く直生だが、その頬は隠しようもなく緩んでいる。
やっとこっち向いた、とばかりに微笑んだ顔は満足げで、年相応な幼さと独占欲を剥き出しにしていた。直生本人も、こんな表情は誰にも見せたくないだろう。
自分の服を着て、自分の腕の中にいるのだから、少なくともこいつは今どこにも行かない。そう思ってでもいるかのようだ。
開けた窓から日の差してくる部屋で、ムラサキの寝顔を眺めているうち、いつの間にか隣で横たわっていた直生さえも、そのぬくみに負けて眠りに誘われていたのだった。
*****
(んん……?)
ややあって、私は目を覚ました。
20分くらいの昼寝のつもりで随分長く寝てしまった気がする。手を伸ばすと、耳に嵌めることすらできずに力尽きたせいで放り出されたイヤホンが、そのまま抱き枕のあたりに転がっている気配を指先に感じた。
今何時だろう。家の中が薄暗い。目を擦りながら、台所の時計を見ようとして、妙に身動きが取りづらいことに気付く。
「へ……?」
思わずぽかんとしてしまう。直生くんが、私のすぐ傍で眠っていた。がっちり私をホールドしながら、頭の上に顎を乗せて。私のとは比較にならないほど豊満かつナイスなバディが、呼吸の度に規則正しく上下している。
(な、何これ。え、待って、どういう状況???)
そろそろと体をずらして見上げると、淡い色の垂れ耳が、時々顔の横でぴくっと動いていて、ますます訳が分からなくなる。うさぎ……にしては短いよな。犬だろうか。獣人イラストにするには難しそうな耳をしている。モップみたいな尻尾が、ぱたんと一回揺れたのが見えた。
ただ眠っているだけなのに、ため息が出てしまいそうなほど整った顔立ちと綺麗な肌は相変わらずなのだが……可愛いなおい。
(ヨルくん達のいたずらか……?)
まあ、前にもヨアさんのことを犬にしてくれと頼んだ事があるので、それには正直驚かない。驚くべきところなんだろうけど。
どちらかというと、直生くんが私を抱き締めて眠っていたことに驚いている。
そりゃ、今まで添い寝してくれとか頼んだことはあったけど、眠っている時に潜り込んでくるなんて、そんなあからさまな可愛いデレを見せてくれたことはあまりない。
甘えたいのかと人に追求されて答えに窮するような、そんなやりづらい状況を、あの子は自ら作ったりしないだろう。ましてや私相手に。と、思っていたのだが。
ヨアさんの影響で、多少は素直になる気にでもなったのだろうか。
(……まあ、いっか!!!)
私は眠い。
細かいことを考えるのを放棄し、私はもぞもぞと身じろぎするともう一度、直生くんにくっついて目を瞑った。
背中を枕、お腹を直生くんにサンドされているおかげでぬくぬくと温かい。
私は、直生くんのことがとても好きだ。だから、いくらでも甘えてくれて構わない。その存在を受け止めることで生きようと思えるのなら、愛欲だろうと性欲だろうといくらでもぶつけて欲しい。むしろ、甘えられる事で支えられているのは私の方だ。
くっつかせてくれるのなら、これ以上嬉しいことはない。今日は直生くんに甘えてゆっくりさせてもらおう。
最近疲れていた分、いくらでも眠ることができたので、結局次に二人して目が覚めた時には、とっくに窓の外は陽が落ちて部屋が真っ暗になっていたのだった。